つれづれに:陽が出て(2024年11月2日)

つれづれに

つれづれに:陽が出て

柿干せど 献上ままならぬ 雨、雨が降る        我鬼子

小島けい画

 雨の日が続き、というより陽が顔を出さない日が続いて、折角49個の大きな西条柿を剥(む)いて干してはみたが、乾かず重みで枝から外れてぼとんと落ちてしまうし、雨を避けて家に取り込んでも黴(かび)がぎっしりと生えるし、こま蠅(ばえ)はわくし、落ちた汁に蟻(あり)が群がるわ、散散だった。それでもしつこく、最後まで望みを捨てずに粘ってみたが、結局すべてを廃棄、畑の土に埋めることになった。→「柿干せど」(2024年10月23日)

 今年は終わったなあとすっかり諦めていたのに、どうやら台風も消えて、明日から1週間ほど晴れの日が続くようである。陽が出て、干し柿の作業が出来るわけである。うまくいけば、干し柿のお裾分けができるかも知れない。昼ごろに樹をみてみたら、まだ柿は生きている。垂れ下がっている実を、少々取り入れた。大きな実が32個、だめになった49個、すでに落ちた100個ほど、まだ樹に生っているたぶん100個余りをいれると、今年の生り年は300個前後になりそうである。うまくいけば、半分は生き残る。今から作業である。

 昨日から11月に入って、カレンダーも11月用にかわっている。1980年代の終わりに宮崎に来たころには、神宮より北の借家に住んでいた。妻は仕事と家事と育児にと、体力の限界近くにいたが、宮崎に来てからは絵を描きたいと仕事も辞めた。来た当初は、ちょうど市民の森公園の花菖蒲が咲いていたので、毎日自転車で通って花菖蒲を描いた。描きたくても時間がなかった分、いくら描いても描き足りない様子だった。花菖蒲のあとは、明石では簡単に手に入らなかったあけびや葛など、野の花をせっせと描いた。材料集めは私の役目で、毎年どこに何が咲くかがわかるようになった。そのあと。出版社から装画の話が来て、出版社の人の言われるまま、躑躅(つつじ)や水仙など、次々と花を描いた。カレンダーの絵は、その時に描きかけのままにしていた絵にコーギーを組み合わせて描いたものである。

11月:<犬(コーギー)とあけび>(3号)

 金木犀(きんもくせい)が咲いている。マッサージに行くときに、たくさん枝を切って持って行った。恒例行事になっている。私同様に、あの甘酸っぱい香りが大好きなので、毎年この時期には持って行く。ただし、1週間ほどしかもたない。ぽろぽろと散ってしまう。あと、2、3日で盛りが過ぎる。ほんとに短い、期間は僅(わず)かである。

「中朝霧丘」の庭でも毎年いい香りを漂わせていた。ちょうど息子が生まれたころである。金木犀の犀を名前に使って市役所に届けに行ったら、この字は使えませんと言われた。10月8日だった。多少南に位置しているせいか、金木犀の咲く頃が、2週間から3週間は遅い。毎年その思いを味わう。今年は3週間ほど遅い。

陽が出て 柿を干す 秋になった        我鬼子