アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度⑩自信と譲歩
アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度⑩自信と譲歩
『アフリカとその末裔たち2』
アフリカは今も飢えや貧困、病気や民族紛争などで苦しみ続けています。私たちは1994年のルワンダ大虐殺に大きな衝撃を受け、たくさんの難民が今も彷徨っています。そして、HIVの感染率はアフリカでは驚異的です。
そういった問題は慢性的で、人類によって人工的に創られ、第二次世界大戦後も形を変えて搾取構造が温存されたことによって引き起こされた必然的な結果です。しかし、それらの諸問題を解決出来るのも、同じ人類でしかないでしょう。問題を解決するには、二つのことが欠かせません。搾取し続けている先進国側の経済的な譲歩と、アフリカ諸国が持つ自分たちへの自信です。
デヴィドスンは「アフリカシリーズ」の締めくくりでも、次のように訴えています。
たとえ自分たちの努力が小さくても、援助に頼り過ぎずに、アフリカ諸国が自分たち自身が立ち上がることが最も大切です。かつて豊かで自給自足の生活をしていた人々たちが、飢えの地獄で喘ぎ苦しむことを強いられているのです。輸出用の換金作物を作らされていた植民地時代と同じ線上に、今尚とどまっているのも一つの理由です。また、アフリカ諸国が大都市だけに多額の資金を投入し、地方の開発をなおざりにして来たことも別の理由です.
こういった問題と取り組むためには、先進国の経済的な譲歩が必要です。先進諸国は今でも尚、飢えで食料を必要としている国々から低価格で原材料を買い叩き、その国に高い値段で自分たちの製品を売り付けています。もしこういった関係が今後も続くなら、アフリカ諸国の苦しみは増すでしょう。今私たちは、アフリカ人が本当に必要としているものは何かを問いかけられているのです。
こういった厳しい状況のなかでも、アフリカは戦争や紛争や饑餓や貧困をも乗り越えて何とか前へ進もうとしています。しています。その闘いは、抑圧された歴史を覆した自信、未来への夢に支えられています。
先進国は奴隷貿易と植民地支配を通じてアフリカの富を搾取して来ましたが、今も尚、形を変えてその搾取は続いています.私は、それがたとえどんなに難しくても、変えるべき時に来ていると信じます。私たちが搾取してきた富をアフリカ人に返す時が、来ているのです。(「アフリカシリーズ8」)
バズル・デヴィドスン
自信もまた大切です。より大きな経済グループの形成も選択肢の一つになるでしょう。元タンザニアの大統領ジュリアス・ニエレレは次のように指摘しています。
今アフリカの将来に必要なものは、統合してより大きなグループを形成する経済的な必然性ですが、その枠組みを超える筋道はまだほとんど見えません。南部アフリカ地域では南アフリカを中心に経済的活動を推進する必要性を認めています。東アフリカ地域では、ケニアとタンザニアとウガンダもその必要性を認めています。
その過程は、ヨーロッパのように経済の枠だけでは終わらずに、政治的な統合にまで発展するというのが私の見方です。一度アフリカ諸国に人々のために働く政権が出来れば、経済的な必要性からだけではなくて、政治的に統合が必要であるという筋道が理解出来るでしょう。
今は資本主義が花開く時です。非常に力に満ち溢れています。アフリカはこれまで破壊され続けてきました。しかし、誰も社会主義を推し進めるつもりはありません。また、もし誰かが富を分かち合う人々のことを考えないよう類のおかしな開発をしようとしても、それもうまく行かないでしょう。富が上から流れ落ちても結局はスイス銀行に落ち着いてしまうような開発は、モブツのような独裁者の後では、時代遅れというものでしょう。市場は富を生み出しますが、富を配るわけではありません。腐敗も当然起こります。
開発が人々を助けることになり、開発に人々に責任に負える正しい政府がかかわる限りは、イデオロギーとしてどんな呼び方をしようが私は構いまません。こういった考え方を受け入れる新しい世代の指導者が現われることが、これからのアフリカの希望です。(「カビラに早期選挙を促すのは非現実的」「ロサンゼルスタイムズ」誌掲載)
ジュリアス・ニエレレ
多くの日本人は、日本は安全で豊かな国であると言いますが、効率優先。大量消費に基づく忙しい生活に満足する人はそう多くはありません。たくさん稼いで、たくさん消費しています。高度先端技術は便利で豊かな生活をもたらしてくれますが、同時に、精神的な意味で何かが奪われているとも感じています。絶え間なく続く活動に疲れ切っている人もたくさんいます。
慌ただしい生活の中で、毎日あくせくと働くことを強いられて、自分が近視眼的になってしまっていることに気付きます。社会問題に関心を示さなくなっている人もいます。とても残念なことですが、アパルトヘイトの下でのあの厳しい状況の中でさえ、南アフリカの人たちに国に希望を持とうと言えたスティーヴ・ビコのようには、自分の国のために希望を紡ぎましょうと言えないのは、残念な限りです。どれくらいの日本人が自分の国に希望を持っているでしょうか?
私たちは自分が先進国の側にいるという事実を忘れてはいけないと思います。私たちが使う電気は、アフリカの人々の安価な労働力を搾り取って得られた南部アフリカ産のウランがあるからこそ供給が可能です。日本の高度先端技術も常に餓えるか死ぬかのぎりぎりの状態で生きることを強いられている南アフリカの抗夫が堀り出した希少金属によって維持されているのです。私たちは自分たちの生き方を、考え直す必要があると思います。(宮崎大学医学部教員)