英語 Ma2(3)

10月23日5回目の授業でした。

15章のoral checkをやり始めたけど。あとから、骨の名前以外の病名などを覚える余裕がないというコメントを聞いて、そうなんやと、やや納得気味。お節介やったみたい。次回はやらんから、自分のペースで。

コメント、西アフリカの曲を2曲、「ルーツ」。

コメント(清水、城野、尻枝、高岡、武村)、もうちょっといろいろしゃべってもらえると覚えやすいけど。

歌手はセネガルのユッスー・ンドゥールとサリフ・ケイタ。どっちもなかなかインパクトあったやろ。それに打楽器が強烈やね。アフリカ系アメリカ人の音楽のルーツでもあるんで、最初に観てもらいました。

西アフリカのビートやリズムがアフリカ系アメリカ人の音楽の原点なんで、先に見てもらいました。

「ルーツ」の冒頭、奴隷狩りくらいは観たんかな。

「ルーツ」は1977年にアメリカで放映され、30年後にDVDの6枚組がリリースされたけど、紹介の映像を見てもらいました。次回以降、奴隷貿易から始めて、結構「ルーツ」の映像を見てもらうつもりです。通して観たい人はDVDがあるんで、いつでもどうぞ。長いけどね。課題図書には日本語訳版を入れてるから、本で読むのもええね。

アメリカに関連して今日的な問題として、エイズの話も併行して見ていこ。

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<次回は>

* コメント(何人か)

* A Short History of Black Americans、African American songsはやったやろか。

* 「ルーツ」の映像

* エイズ(HIV増幅のメカニズム、城野くん、エイズの症状など、田島くん)

全部やれるかな。

また、来週に。

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23日(水)に、臨床実習でお世話になっていたカリフォルニア大学アーバイン校から医学科が招待した小児科医のペニー・ムラタさんのお世話をさせてもらいました。空港から観光ホテルの夕食まで、ほぼ半日。
前回はフラワーガーデンと平和台公園に案内したので、今回は海に、と思ったけど、生憎の激しい雨。レストランからの海しか観てもらえなかったのは、残念。今回はEMPの授業以外にも、二日目の放課後に、医者や学生を対象に話もしてくれはったよう。

金曜日は石﨑さんが懇親会でペニーさんと再会再会したようで、「5年ほどぶりに、Penny先生と再会することができ、近況を話すなど、とても貴重な時間でした。EMP時代を思い出し、UCIでの時間も全て思い出されました。やはり、私にとって濃い経験だったのだと思います。」と、今朝メールが来てました。石﨑さんは2年続きでペニーさんの授業を受け、自宅に泊めてもらいながら小児科で1か月臨床実習を受けたラッキーな人。今は腎臓内科にいるそうやから、話を聞いてみたい人は、石﨑友梨(yuri_ishizaki@med.miyazaki-u.ac.jp)さんに連絡してみたらええよ。

僕の方は、普段は一定のリズムで辛うじて毎日をやり過ごしてるからなんやろな、半日も普段以外のことが入ると、すっかりペースがぐちゃぐちゃ。
あしたからまた7コマの一週間が始まるから、戻さんとね。

今週は、あした獣医用語の授業もあって、8コマもあるしね。
というわけで、ブログの更新が今日になりました。

上段左がペニー・ムラタさん、右は池ノ上さん

ペニーさんが来てくれはったEMPの報告書→11EMP後期報告書

アフロアメリカの歴史と音楽

10月24日4回目の授業でした。

「ルーツ」の映像と曲を2曲。

前回「アフリカシリーズ」で紹介したヨーロッパ人が来るまでのアフリカとキルワでの虐殺のあとの、奴隷貿易関連の映像を「ルーツ」で。クンタ・キンテの村での様子、奴隷狩り、奴隷船。

結構衝撃的な映像やったやろ。ハリウッドはあんな奴隷船の船底の様子などをよう映画にしたよねえ。

ROOTS – Airdate January 23, 1977. (Photo by ABC Photo Archives/ABC via Getty Images) EDWARD ASHER;LEVAR BURTON

でも、白人資本。よう考えたら、一番あくどいことをして蓄財し、その恩恵をもろに受けた奴隷商や大農園主。その人たちの子孫が富を受けついで今も大金持ち。その人たちが映画でも儲け話に投資して、また莫大な利益を、ほんま資本主義の絡繰りは、どうしようもない、ね。
登場人物は黒人でも、映画監督もすべてのスタッフは白人。ほんま、ようやるで。

でも、この映画の与えた衝撃はすごかったようで。今観ても、こっちに伝わってくるものは多いね。

第一部だけでも12時間の大作。クンタの誕生から、南部戦争後土地を得てテネシー州に定住、まで。
第二部は南北戦争後から『ルーツ』が出る前までの1960年代。著者のアレックス・ヘイリーがクンタの生まれたガンビアのジュフレ村に行ってクリオの口からクンタの名前を聞く辺りまで。やっぱり12時間くらいかな。
第一部は30周年の2007年にDVDでリリースされたけど、第二部は今となっては手に入れるのが難しいやろな。僕は1985年に大阪工大のLL教室で先輩が録画してたビデオをダビングさせてもらい、その後DVDにしたけど。

曲はDeep River,とGo Down, Moses。

<次回は>

* 何人かのコメント
* ルーツ(奴隷船の接岸、奴隷市)
* Joshua Fit the Battle of Jerico、the Battle Hymn of the Republic

Dionne Warwick

英文(SLAVERY SLAVE TRADEとAfrican American songs)も誰かに読んでもらうつもり、次回は聞くんで誰かやってや。

<配ったプリント>

* Deep River, Go Down, Moses, Joshua Fit the Battle of Jerico

来週、またね。

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23日(水)に、臨床実習でお世話になっていたカリフォルニア大学アーバイン校から医学科が招待した小児科医のペニー・ムラタさんのお世話をさせてもらいました。空港から観光ホテルの夕食まで、ほぼ半日。
前回はフラワーガーデンと平和台公園に案内したので、今回は海に、と思ったけど、生憎の激しい雨。レストランからの海しか観てもらえなかったのは、残念。
普段は一定のリズムで辛うじて毎日をやり過ごしてるからなんやろな、半日も普段以外のことが入ると、すっかりペースがぐちゃぐちゃ。
あしたからまた7コマの一週間が始まるから、戻さんとね。今週は、あした獣医用語の授業もあって、8コマもあるしね。
というわけで、ブログの更新が今日になりました。

上段左がペニー・ムラタさん、右は池ノ上さん

英語 Rb2(3)

10月24日4回目の授業でした。

トーイックのTest 1のPart 3(リスニング)の47-52(2問)、それだけで終わってしもうたねえ。

羽田野さんがやってくれました。
こんな調子でやってると、2年生なんかは、話はええからもっと問題をと言う人が多いね。それで、話をせずに問題を出来るだけたくさんと思ってやると、上を見上げれば、半分は寝てて。3年生もおんなじやったなあ。いや、3年生はもっと来てなかったかも。
ま、何をやってもやる人はやるし、やらん人はやらんし、僕らの役目は、そんなもんなんやろな。

その割には、印刷するにもようさん時間がかかるし、大抵は土日に出てやってるし。テキスト使わん代わりに、ようさんプリントもこしらえなあかんし、ブログも書かんとあかんし文句を言いながら、それでもやれることはやってるつもり。元々文句を言いながらやるタイプみたい。

でも文句を言ってるだけでも始まらんから、ま、しこしこ出来ることをするしかないんやろな。
それでも授業料払って授業を受けてるんやし、楽しくやれるにこしたことはないんで。僕一人では、やっぱりどうにもならんで。いっしょにやってこ。

<次回は>今日やれんかった

* コメント(何人か)

* 「アフリカシリーズ」の続き(黄金の交易網、キルワの虐殺、奴隷狩り、奴隷船あたり)

* Rootsの映像の続き(奴隷狩、奴隷船)

をやってから、

A Short History of Black AmericansのSLAVERYを岩井くんが。

時間があれば、トーイック関連: Part 3の続き。リスニングが終わったら、Part 7のリーディングやな。

その次に、African American songs(プリントの3枚目、STEAL AWAYの歌詞の前まで)、誰かやらへんか。

ゴスペルの女王マへリア・ジャクソン

<配ったプリント>

* トーイック関連: Test 1 Part 3(リスニング)53-58の問題と解説

来週はもう5回目、後期も3分の1が終わるねえ。また。

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23日(水)に、臨床実習でお世話になっていたカリフォルニア大学アーバイン校から医学科が招待した小児科医のペニー・ムラタさんのお世話をさせてもらいました。空港から観光ホテルの夕食まで、ほぼ半日。
前回はフラワーガーデンと平和台公園に案内したので、今回は海に、と思ったけど、生憎の激しい雨。レストランからの海しか観てもらえなかったのは、残念。
普段は一定のリズムで辛うじて毎日をやり過ごしてるからなんやろな、半日も普段以外のことが入ると、すっかりペースがぐちゃぐちゃ。
あしたからまた7コマの一週間が始まるから、戻さんとね。今週は、あした獣医用語の授業もあって、8コマもあるしね。
というわけで、ブログの更新が今日になりました。

上段左がペニー・ムラタさん、右は池ノ上さん

南アフリカ概論

連絡事項

* 「遠い夜明け」の感想文、次回出してや。

10月24日4回目の授業でした。後期が始まってもう4週目やねえ。

南アフリカに来てからのオランダ人の動向、金とダイヤモンドについての発表のあと、「遠い夜明け」を観てもらいました。

南アフリカに来てからのオランダ人の動向については金子さん(畜産1年)が、金とダイヤモンドは梶山さん(畜産1年)が発表してくれました。しっかりと調べてくれてました。時間が足りなくなりそうで、質問を聞いてもらえなかったので、次回に。

「遠い夜明け」を観てもらうだけでいっぱいいっぱい。長い映画を端折ったんで、分かり難いところもあったやろから、次回質問と感想と解説、やね。

補足の説明は長くなりそうやから、最後につけときます。↓

<次回は>

* 金とダイヤモンドの発表(梶山さん)の質問など

* 映画の感想(何人か)

* 映画の補足説明

* コシシケレリアフリカ・ユッスー・ンドール「ネルソン・マンデラ」

* 歴史の関連映像

来週、また。

<配ったプリント>

* 「遠い夜明け」の感想文

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23日(水)に、臨床実習でお世話になっていたカリフォルニア大学アーバイン校から医学科が招待した小児科医のペニー・ムラタさんのお世話をさせてもらいました。空港から観光ホテルの夕食まで、ほぼ半日。
前回はフラワーガーデンと平和台公園に案内したので、今回は海に、と思ったけど、生憎の激しい雨。レストランからの海しか観てもらえなかったのは、残念。
普段は一定のリズムで辛うじて毎日をやり過ごしてるからなんやろな、半日も普段以外のことが入ると、すっかりペースがぐちゃぐちゃ。
あしたからまた7コマの一週間が始まるから、戻さんとね。今週は、あした獣医用語の授業もあって、8コマもあるしね。
というわけで、ブログの更新が今日になりました。

上段左がペニー・ムラタさん、右は池ノ上さん

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「遠い夜明け」画の補足

映画の補足や、書いたものなどの紹介もしておきます。

この映画を作ったのは監督のリチャード・アッテンボロー。次回観てもらう予定の「ガンジー」や「コーラスライン」で超有名な監督です。「ガンジー」でも暗殺の場面を最初に持ってきました。冒頭に典型的な場面を持って来るのが好きなようです。今回の場合は、スラムの強制立ち退きの話を南アフリカの典型的な場面として衝撃的に持って来ていました。英文テキストの中にも以下の文を紹介しています。日本語訳も貼っておきます。

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The bantustan policy meant that Africans were to be prevented from living permanently in the white areas. Ruthless, forced evictions took place to force ‘surplus labour’ to move from the towns to the bantustans. Crossroads outside Cape Town is only one example of this policy.

バンツースタン政策は、アフリカ人を白人地区で永住させないという意味のものでした。冷酷で、強制的な立ち退きが、「余剰労働力」を町からバンツースタンに強制的に移動させるために強行されました。ケープタウン郊外のクロスローヅはこの政策の一例です。

REFERENCE 3 参照3

We can hear the news of Radio South Africa about the 1978 Crossroads eviction in the following scene of Cry Freedom.
Newscaster: “This is the English language service of Radio South Africa. Here is the news read by Magness Rendle. Police raided Crossroads, an illegal township near Cape Town early this morning after warning this quarter to evacuate this area in the interests of public health. A number of people were found without work permits and many are being sent back to their respective homelands. There was no resistance to the raid and many of the illegals voluntarily presented themselves to the police. The Springbok ended . . .”

米国映画「遠い夜明け」の以下の場面で、1978年のクロスローヅの立ち退きについての南アフリカのラジオニュースが出てきます。
ニュースキャスター:「こちらは南アフリカラジオの英語放送です。
マグネス・レンドルがニュースをお伝えします。公衆衛生の見地から、その地域を空け渡すように勧告を出したあと、今朝早く警察は、ケープタウン郊外の不法居住地区クロスローヅの手入れを敢行しました。多くの人が労働許可証を持たず、それぞれのリザーブに送り返されています。手入れに対して全く抵抗の気配もなく、不法滞在者は自発的に警察署に出頭していました。放送を終わります・・・。」

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人種隔離政策の下で情報操作を強いられている白人にはそういうニュースしか流れないわけです。小さい頃から白人社会で育ったら、それが当たり前、というわけです。

ウッズとビコの出会いのシーンは、いつも美しいなあと思います。あの通りはハラレに行った時に、たぶん近くを通ったような気がします。transcribeしたのを貼っておきます。

Cry Freedom_The first meeting

Woods: Steve Biko? Are you Steve Biko?
Biko: l am. l would have met you in the church, but, as you know, l can only be with one person at a time. lf a (third) person comes into the room, even to bring coffee, that (breaks) the (ban)… And the (system) – the police – are just across the road. But, of course, you would (approve) of my (banning).
Woods: No. l think your (ideas) are (dangerous), but, no, l don’t (approve) of (banning).
Biko: A true (liberal).
Woods: lt’s not a title l’m (ashamed) of, though l know you (regard) it with some (contempt).
Biko: l just think that a white (liberal) who (clings) to all the (advantages) of his white world – jobs, housing, education, (Mercedes) – is perhaps not the person best (qualified) to tell blacks how they should (react) to (apartheid).
Woods: l wonder what sort of (liberal) you would make, Mr. Biko, if you were the one who had the job, the house, and the (Mercedes), and the whites lived in (townships).
Biko: lt’s a (charming) idea. lt was good of you to come, Mr. Woods. l wanted to meet you for a long time.

Mercedesはマーサディーズと発音、意味はメルセデス・ベンツ。ドイツ車で金持ちのシンボル。医者ややくざがよう乗ってる車で、医学科の駐車場ではよう見かけるねえ。

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自己意識の話と、アレックス・ラ・グーマの話を補足しときます。

今日も映画を観たあと話をしたように、ビコは合法的に殺されましたが、それだけ体制に脅威だったということでしょう。
裁判の中でビコがEven in this environment we must find a way to develop hope for themselves, to develop for this countryと言ってたけど、ほんとすごいよね。前の方Even in this environment we must find a way to develop hope for themselvesは僕でも言えるので、ま、授業でずっと言い続けて来たつもりやけど、あとの方to develop for this countryは、言えないもんね。この国のやってきたことを考えると、恥ずかしすぎて、国に希望を紡ごうと言う気にならんもんなあ。今日も何度も言ったけど、こう言わないといけないのは悔しいね。
自己意識については、ビコとマルコム・リトルに焦点を当てて書いたことがあります。ビコを引用して書いた部分です。

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白人優位・黒人蔑視

奴隷貿易に始まる西洋諸国の侵略によって、支配する側とされる側の経済的な不均衡が生じましたが、同時に、白人優位・黒人蔑視という副産物が生まれました。支配する側が自らの侵略を正当化するために、懸命の努力をしたからです。支配力が強化され、その格差が大きくなるにつれて、白人優位・黒人蔑視の風潮は強まっていきました。したがって黒人社会は、支配権を白人から奪い返す闘いだけでなく、黒人自身の心の中に巣食った白人優位の考え方を払しょくするという二重の闘いを強いられました。アメリカ映画「遠い夜明け」で広く知られるようになったスティーヴ・ビコは、ある裁判で黒人意識運動の概念について質問されたとき、その「二重の闘い」に言い及んで、次のように述べています。

基本的に「黒人意識」が言っているのは黒人とその社会についてであり、黒人が国内で二つの力に屈していると、私は考えています。まず何よりも黒人は、制度化された政治機構や、何かをしようとすることを制限する様々な法律や、苛酷な労働条件、安い賃金、非常に厳しい生活条件、貧しい教育などの外的な世界に苦しめられています。すべて、黒人には外因的なものです。二番目に、これが最も重要であると考えますが、黒人は心のなかに、自分自身である状態の疎外感を抱いてしまって、自らを否定しています。明らかに、ホワイトという意味をすべて善と結びつける、言い換えれば、黒人は善をホワイトと関連させ、善をホワイトと同一視するからです。すべて生活から生まれたもので、子供の頃から育ったものです。[I Write What I Like (New York: Harper & Row, 1986), p. 100.神野明他訳の日本語訳『俺は書きたいことを書く』(現代企画室、 一九八八年)が出ています]

南アフリカを本当の意味で変革していくためには、先ず何よりも黒人ひとりひとりが、厳しい現状に諦観を抱くことなく、自らの挫折感とたたかい、自分自身の人間性を取り戻すべきだと、ビコは説きました。自己を同定するために自分たちの歴史や文化に誇りを持ち、次の世代に語り伝えようと呼びかけました。そして、経済的な自立のための計画を立てて、実行に移しました。

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↑ホームページにはpdfをダウンロード出来るようにしてましたが、今回ブログに書きました。1987年に訪ねたカナダに亡命中のラ・グーマの友人セスル・エイブラハムズさんに宛てて、映画の感想も書きました。訪問記と併せてリンクしておきます。↓

「自己意識と侵略の歴史」「ゴンドワナ」19号10-22頁。

「セスゥル・エイブラハムズ氏への手紙」「ゴンドワナ」11号22-28頁。

「セスゥル・エイブラハムズ氏への手紙」「ゴンドワナ」11号22-28頁。