1976~89年の執筆物

解説

 初めての依頼原稿です。門土社(横浜)から貫名さんの追悼集を出すから何か書いて欲しいと依頼があって書いたものです。
大学には行きたかったものの、受験勉強に馴染めず、結局入れる所に行ったこともあり、英米学科にもかかわらず英語も含めて何もしませんでした。元は文章だけですが、解説と写真を付け加えました。

本文

ー貫名美隆先生を悼んでー

「ゴンドワナ」3号1986年8-9ペイジ

ドゥレイク氏

11月下旬に、私はミシシッピー州立大学で行われたリチャード・ライトの死後25周年記念国際シンポジウムに参加する機会を得たが、その時、発表者の一人でもあり、ライトがその序をよせた『ブラック・メトロポリス』の共著者でもあるドゥレイク氏に、ある親しみを覚えた。白髪の風貌と瓢瓢とした語り口が、貫名さんのイメージと重なったからである。名誉教授であること、年齢がほぼ同じであることも、その要因の一つだったかもしれない。10月15日のお葬式の日に、菊の花を添えてお別れした死に顔が、なぜかちらついて仕様がなかった。マーガレット・ウォーカー女史の出版記念パーティの席上で、いたたまれず、ドゥレイク氏にそのことをお話ししたら、やさしい目で微笑んで居られた。私がつい一週間前に『ブラック・メトロポリス』の文献複写を依頼したことを告げると、一部お送りしましょうと言って下さった。また、貫名さんが、1954年に黒人研究の会を創設されたことに触れると、一瞬驚きの表情を示された。3日間の期間中に、様々な人と喋ったが、1954年の創設の話をした時の反応は一様に「驚き」だった。30年余の歴史の重みを、アメリカの地で知ろうとは夢にも思わなかった。

シンポジウムの特集記事を掲載した雑誌

雑誌の中に紹介された写真:ファーブルさんと

二冊の本

1981年に私は初めてアメリカの地を踏んだ。「行くこと」が主な目的だったせいか、あまり人とも喋らず、ひたすら本屋、古本屋を歩きまわった。お蔭で思わぬ拾いものをしたが、その時もとめた二冊の本を貫名さんへのおみやげにと持ち帰った。一冊は、1942年にライトが「地下にひそむ男」のタイトルでその草稿の一部を発表したクロス・セクション誌の『1940~1960年秀作特集』で、もう一冊は、ライトの『アフリカの飢え』だった。帰ってから、二冊の本と菊の花を一枝持って、何度か貫名さんのお宅をおたずねしたが、決ってお留守だった。いつも、庭に水をはって置いてあったバケツに花をそっと投げ込んでは、黙って戻って来た。菊はしつこく枯れないから、どうも好きになれない花なのに、どうしてよりによって菊の花を選んで持って行ったりしたのか。

クロス・セクション誌『1940~1960年秀作特集』

それ以降にも、いく度となくお渡しする機会はあったはずなのに、その二冊の本は、今も本箱の片隅に眠ったままである。持ち主となるべき人の手元に、今はもう届ける術はない。

祖父と孫

今、私の手元に1971・5・28の日付け入りの10枚からなる手書きのレジメがある。とじるのに用いたホチキスがさびついて赤くなっている。貫名さんから戴いた葉書きを探していて見つけたものだが、ゼミの発表時にくばったもののようだ。「親(父)と子の愛情について-HARPER LEE 著 TO KILL A MOCKINGBIRD より」と題してあり、拙い数匹のものまね鳥らしきもののカットが見える。そして、「作者は三つのこのそれぞれの親子関係を前後にならべることによって親の子に対する影響の大なること、ひいては人の愛の絶大なることを訴えている気がしてならない。」と結んである。どうも、登場する三組の親子関係を比較したようだ。
後にも先にも、これが一度きりの発表だった。15年経った今、詳細は必ずしも定かではないが、断片的な記憶は残っている。
登場人物を明らかにするために、主人公の家で働く黒人女性カルパーニヤに"their cook" (negress)の説明を付した。本文でしばしば見かけた niggerの女性形を知っているぞと私は言いたかったのであろう。貫名さんから「negressという言葉が使われてましたか」と問われた時、私は「たしかに見たのですが……」と言いながら、一応、必死に本をめくってみせた。帰宅してから詳しく調べてみたが、negressの語は見当たらなかった。
時間もなく、自信もなかったので、引用には翻訳本をそのまま借用した。貫名さんが「これはだれかの訳ですか、それともあなたの訳ですか」と聞かれた時、私が「菊池という人の訳です」と答えたら、みんながどっと笑った。なんだ自分で訳もつけられないのか、というあざけりのひびきがあった。「そうですか」とおっしやった貫名さんの目は笑ってはいたが、決して責めてはいなかった。
親への飢えを常に感じながら育った私は、勝てないとわかっている裁判の弁護をあえて引き受け、身をもって子供に生き様を示した父親アティカスに羨望を覚えたことだろう。しきりに、父親の子に対する義務が如何に大きいかを力説したようだ。じっと耳を傾けておられた貫名さんは、最後に「玉田クン、親に子を育てなければならない義務は、やはり、あるんですかね」と一言だけ、ぽつんとおっしやった。

教壇の真下の席

ゼミが一年間しかなかったことや、卒業する年に貫名さんが居られなかったこともあって、とうとう私は卒業論文を書かずじまいであった。今回、アメリカ南部のある本屋で、It Is a Sin To Kill a Mockingbird (『アラバマ物語』の題で翻訳出版)の3種類のテキストを見つけて買い求めたが、どうやら、今から私の〈卒論〉を仕上げるつもりでいるらしい。 私は「良い」学生ではなかった。はじめから、学校そのものに期待していなかったせいか、授業に「出る」ことをあたりまえと信じ込んでいる人達には、どうしてもなじめなかった。大抵は何度目かの授業が私のはじめての「出講日」だった。貫名さんの授業の場合も例外ではなかった。テキストが教室で販売されたと聞いて、臆面もなく研究室に買いに出かけたのは夏休みも間近かの頃だ。授業に、出ないことなんか、気にもとめておられない貫名さんの表情に、却ってこちらが気おくれしてしまって、「ぼく、川端さんが自殺なさった気持ち、わかる気がします」と言う言葉がつい口から出てしまった。褌に着物、下駄ばきに風呂敷き包みの出て立ちで、天城越えをするなど、当時の私は川端さんに相当いれこんでいたからであろう。とにかく、とっさに口がすべってしまったのである。貫名さんは、私をまじまじとごらんになってから「玉田くん、その歳でそんなこといっちゃあ、困りますよ」とおっしゃったが、目は実に優しかった。

『アラバマ物語』(暮らしの手帖社)

授業にはあまり出ないくせに、出ると決って質問をした。大抵の場合、あらかじめ質問の答えを用意をして居て、かえって来る答えで教師のランク付けをやっていたのだ。貫名さんにも、私はやっぱり質問をした。ところが答えがいつも違うのだ。準備していたランクに貫名さんの答はおさまりきらないのだ。私の思考形態の範疇を超えていたというわけだ。私はいささかまいった。それ以降、授業に出るときには、必ず人より早く行き、黒板を丁寧に丁寧に、拭いた。そして教壇の真下の席に座った。少し離れるとぼそぼそと話される内容が聞き取れないということもあったが、誰にも教壇下の席を譲らなかったという芥川龍之介さんのまねをして、私なりの敬意を表したかったのだ。
貫名さんにはオーソリティという言葉がよく似合う。偉大すぎて却ってこわいという声も耳にしたが、「偉大さ」をわかり切れなかったせいか、私にはやさしいばかりの存在だった。叱られたことがない。negressの無知浅学についても、間違いをずばりと指摘なさりはしなかった。翻訳のことについても、不勉強を責めたりはなさらず、少し余地を残して下さった。今にして思うと、私にとっての貫名さんは何をしても叱られることのない「祖父」であり、貫名さんにとっての私は叱る気にもなれない「孫」ではなかっただろうか。
ゼミで、貫名さんが最初に言われたのは「勝手にテーマを決めて、勝手にやって下さい」だった。何とほっとしたことか。高校では丸刈りに、運動靴、学生服の下には白のカッターシャツを着せられて、帽子をかぶれだの、通学路を守れだのと、園児か、まるで牛馬の如き扱いを受けていたから、なおさらだった。やることを自分で決めて、自分でやれることが如何にうれしかったことか。
その年がゼミを担当された最後の年だったことや、お身体の調子が悪かったことなども重なったせいか、やたら休講が多く、たしか半分ほどしか授業がなかったと思う。それに、私の方でも、すすんで「自主休講」の措置をとるものだから、よく考えてみると、結局、数回ほどしかゼミで貫名さんにお目にかかれなかったことになる。それでも、成績表を見たら優がつけられてあった。
今、私は学生に惜しげもなく単位を出し、優をつけている。どうやら、無意識のうちにこの時のご恩返しをやっているらしい。

神戸市外国語大学旧学舎(神戸市東灘区土山町)

がま口の貯金

あるとき入院なさっていると聞いて、お見舞に行ったことがある。案の定、病院にはおられなくて、小一時間程して貫名さんは「一寸、郵便局まで手紙を出しに行ってましてね」とおっしゃりながら部屋に入ってこられた。
お身体がよくないのに、かれこれ四時間ほどもお話しして下さったろうか。何をお話ししたのか、あまりはっきりしないが、出来るだけ若い時に外国へ行ったらいいですよ、ロシア文学の英訳本を読んだりするのもいいですよ、などとおっしゃった様な気もする。別れ際に「玉田君は、今、がま口の貯金が一円くらいしかないから、一円でも多く貯金しなさいよ」とおっしゃった言葉が今だに耳にこびりついている。
あれから、何年経つのだろう。二度、アメリカに行った。高校に七年間、教科に、ホームルーム活動に、クラブ活動に精一杯だった。本を読み、書く時間がどうしても欲しいと考えて高校を辞めた。もう五年になる。その間、少しは本を読み、少しは物も書いた。それでも「がま口の貯金が二円くらいになりました」と言えるのかどうか。
何年か前から、私は黒人研究の編集のお手伝いをさせてもらっている。今回、会報に貫名さんの訃報を載せた。会報の充実を望んでおられた貫名さんを思いながら、何とかがんばってみた。その編集後記に、私は次のように書きとめた--「…編集部には、この会報22号を送り届けたあと、会誌56号(貫名美隆氏追悼号)の仕事が待っています。時代を先取りした先人へのご恩返しにふさわしいものにしたいと念じています。それが、30年余の歴史を継承する次の布石のひとつになりますように、と祈りながら……」何年も前に貫名さんが蒔かれた〈一粒の麦〉は、ひそかに育ち続けているようだ。

               貫名さん

1985年12月12日      (大阪工業大学非常勤講師)

執筆年

1986年

収録・公開

「ゴンドワナ」 3号 8-9ペイジ

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がまぐちの貯金が二円くらいになりました-貫名美隆先生を悼んで-(31KB)

1976~89年の執筆物

概要

会の創設者貫名さんの追悼号として編集した会報の編集後記です。

「黒人研究の会会報」 22号 1ペイジ

本文

黒人研究の会会報編集後記

写真

「黒人研究の会会報」(1982) 第22号10ペイジ

会誌55号を九月中旬に刊行するという約束を果たされた編集部代表の須田さんは、現在、アメリカの地。

アメリカだより、モロイセ氏の処刑、ライトのシンポジウムなど、「最新」の記事が集まりました。会報の充実を望んでいらっしゃった貫名さん、喜んで下さっていますか。

編集部には、この会報22号を送り届けたあと、会誌56号(貫名義隆氏追悼号)の仕事が待っています。時代を先取りした先人へのご恩がえしにふさわしいものにしたいと念じています。それが30年余の歴史を継承する次の布石のひとつとなりますように、と祈りながら……(玉)

黒人研究の会  会報22号

発行日:1985年12月15日

編集: 須田稔、玉田吉行、宮本佳子、青山玲子、北島義信

発行: 黒人研究の会

〠 657 神戸市灘区土山町6 神戸外大気付

執筆年

1985年

収録・公開

「黒人研究の会会報」 22号 10ペイジ

ダウンロード

編集後記(27KB)

1976~89年の執筆物

解説

高校教師5年目、4回生を3年間担任して一回り、7回生で2回り目に入りました。学年主任も同じ学年の人たちにも馴染めず、たえず腹を立てていたように思います。「教える」とか「指導する」とかを微塵も疑わない教員には、お前らが何を教えるねん、お前らが何が指導やねんと憤り、何をしても中途半端に思える生徒にはするんやったらちゃんとやれよと腹を立て、うちの子に勉強するように言って下さいという保護者には、冗談やないやろと呆れ返り、ずーっとそんな日が続いていたように思います。

久し振りに Wright の Black Power を開いたら目がちかちかして、このままでは死ぬより酷い状態になってしまうと感じ、高校を辞める決心をしました。

結局は、高校に在籍のまま教員再養成の大学院に行くことを決めました。

その学年にいた「淳ちゃん」とは、クラブのバスケットでも一年しかいっしょに付き合えませんでしたが、卒業後、家に訪ねてくるようになりました。宮崎への引っ越しを手伝ってくれ、引っ越しの日には見送りにも来てくれました。宮崎に来てからも、「鹿児島のおばあちゃん」の家から遊びに来てくれました。

しかし、ある日、相談もなく、手の届かないところに逝ってしまいました。

「貧しさの ゆゑにぞ寒き 冬の風」

ドングリの実表紙

兵庫県立東播磨高等学校第7期生文集

「どんぐりの実」(1981年)4ペイジ

本文

貧しさの ゆゑにぞ寒き 冬の風     我鬼子

身にしみる冬の風です。何をやっても、自分の無能さが、思はれます。三十までに、これだけはやりたいと思って居たことのかけらも出来ずに、それぢゃ、死ぬまでにと、自分をなぐさめてみても、それもだうか、わかりません。

執筆年

1981年

収録・公開

兵庫県立東播磨高等学校第7期生文集「どんぐりの実」 4ペイジ

ダウンロード

貧しさの ゆゑにぞ寒き 冬の風(52KB)

2010年~の執筆物

分類別は→「書いたもの一覧:年代順、連載一覧、テーマ別」

2022年

「アングロ・サクソン侵略の系譜35:アフリカとエイズ 」続モンド通信38、2022年1月20日)【アフリカ/医療】【公開】

2021年

「アングロ・サクソン侵略の系譜34:ケニアの歴史(4)モイ時代・キバキ時代 ・現連立政権時代」続モンド通信37、2021年12月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜33:ケニアの歴史(3)イギリス人の到来と独立・ケニヤッタ時代 」続モンド通信36、2021年11月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜32:ケニアの歴史(2 )ペルシャ人、アラビア人とポルトガル人の到来」続モンド通信35、2021年10月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜31:ケニアの歴史1植民地化以前』」続モンド通信34、2021年9月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜30:在外研究」続モンド通信33、2021年8月20日)【ジンバブエ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜29:編註書And a Threefold Cord 」続モンド通信32、2021年7月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜28: :日本語訳『まして束ねし縄なれば』」続モンド通信31、2021年6月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜27: A Walk in the Night」続モンド通信30、2021年5月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜26:アレックス・ラ・グーマと『夜の彷徨』 」続モンド通信29、2021年4月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜25: 体制再構築時の『先進国』の狡猾な戦略:ガーナとコンゴの場合」続モンド通信28、2021年3月20日)【アフリカ/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜24: 2021年Zoomシンポジウム」続モンド通信27、2021年2月20日)【アフリカ/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜23:ケニアの歴史(1)植民地化以前」 続モンド通信26、2021年1月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

2020年

「アングロ・サクソン侵略の系譜22:アフリカ史再考④大陸に生きる(1)牧畜生活:ケニアのポコト人 」続モンド通信25、2020年12月20日)【ケニア/シンポジウム】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜21: アフリカ史再考③:ナイルの谷」続モンド通信24、2020年11月20日)【アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜20:アフリカ史再考:②『アフリカシリーズ』」続モンド通信23、2020年10月20日)【アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜19:アフリカ史再考:①アフリカ史再考のすすめ 」続モンド通信22、2020年9月20日)【アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜18:アフリカ系アメリカの歴史 」続モンド通信21、2020年8月20日)【アフリカ系アメリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜17: アフリカの歴史」続モンド通信20、2020年7月20日)【アフリカ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜16: 科学研究費 1」続モンド通信19、2020年6月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜15: ゴンドワナ (12~19号)」続モンド通信18、2020年5月20日)【アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜14::宮崎医科大学 」続モンド通信17、2020年4月20日)【随想】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜 13:ゴンドワナ (3~11号)」続モンド通信16、2020年3月20日) 【アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜12:MLA(Modern Language Association of America)」続モンド通信15、2020年2月20日) 【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

「アングロ・サクソン侵略の系譜11:アレックス・ラ・グーマの伝記家セスゥル・A・エイブラハムズ」「続モンド通信14」、2020年1月20日)【南アフリカ/ラ・グーマ】【公開】

2019年

「アングロ・サクソン侵略の系譜10:大阪工業大学」「続モンド通信13」、2019年12月20日)【随想】【★出版】

「『まして束ねし縄なれば』の文学技法―雨の象徴性と擬声語の効用を軸に―」「続モンド通信12」、2019年11月20日)【ラ・グーマ】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜9:『言語表現研究』」「続モンド通信11」、2019年10月20日)【随想】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度③制度概略1」「続モンド通信10」、2019年9月20日)【アフリカ】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」「続モンド通信10」、2019年9月20日)【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜7:修士、博士課程」「続モンド通信9」、2019年8月20日)【随想】【★出版】

「ほんやく雑記⑧イリノイ州シカゴ 3」「続モンド通信8」、2019年7月20日)【翻訳/ライト】【★出版】

「ほんやく雑記⑤オハイオ州デイトン」「続モンド通信7」、2019年6月20日)【翻訳/アフリカ系アメリカ】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜6:リチャード・ライトの世界」「続モンド通信6」、2019年5月20日)【ライト】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜5:ミシシッピ」「続モンド通信5」、2019年4月20日)【ライト】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜4:リチャード・ライト死後25周年シンポジウム」「続モンド通信4」、2019年3月13日)【ライト】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜3:『クロスセクション』」「続モンド通信3」、2019年2月20日)【ライト】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜2:着想と展開」「続モンド通信2」、2019年1月20日)【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【★出版】

2018年

「『続モンド通信』について」「続モンド通信」2018年12月29日)【案内】【★出版】

「アングロ・サクソン侵略の系譜1:概要」「続モンド通信1」2018年12月29日)【アフリカ/アフリカ系アメリカ】【★出版】

2018年12月より「続モンド通信」を開始。↑

編集者の不調により「モンド通信」休刊↓

2016年

「ほんやく雑記⑧イリノイ州シカゴ 3」(「モンド通信」未掲載)→「続モンド通信8」、2019年7月20日)に収載。【翻訳/アフリカ系アメリカ】【★出版】

「ほんやく雑記⑦イリノイ州シカゴ2」「モンド通信 No. 97」、2016年9月11日)【翻訳/アフリカ系アメリカ】【★出版】

「ほんやく雑記⑥イリノイ州シカゴ」「モンド通信 No. 96」、2016年8月3日)【翻訳/アフリカ系アメリカ】【★出版】

「ほんやく雑記⑤オハイオ州デイトン」(「モンド通信」未掲載)→2020年「続モンド通信」に収載予定。【翻訳/アフリカ系アメリカ】【★出版】

「ほんやく雑記④『 ケープタウン第6区 』」「モンド通信 No. 94」、2016年6月19日)【翻訳/南アフリカ/ラ・グーマ】【★出版】

「ほんやく雑記③『 ソウェトをめぐって 』」「モンド通信 No. 93」、2016年4月26日)【翻訳/南アフリカ】【★出版】

「ほんやく雑記②「ケープタウン遠景」」「モンド通信 No. 92」、2016年4月3日)【翻訳/南アフリカ/ラ・グーマ】【★出版】

「ほんやく雑記①「漁夫の波止場」」「モンド通信 No. 91」、2016年3月22日)【翻訳/随想】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(4)アフリカ系アメリカ人の音楽」★番号を訂正「モンド通信 No. 90」、2016年2月9日)【アフリカ系アメリカ】【★出版】

2015年

「アフリカとその末裔たち2(3)③今日的諸問題:1992年のハラレ滞在」★番号を訂正「モンド通信 No. 89」、2015年12月23日)【ジンバブエ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(3)②今日的諸問題:ザイールの苦難」★番号を訂正「モンド通信 No. 88」、2015年11月28日)【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(3)①今日的諸問題:エイズ流行病(AIDS epidemic)」★番号を訂正「モンド通信 No. 87」、2015年11月20日)【医療】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(2)②The Honourable MP」★番号を訂正「モンド通信 No. 86」、2015年10月19日)【ジンバブエ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(2)①And a Threefold Cord」★番号を訂正「モンド通信 No. 85」、2015年8月22日)【ラ・グーマ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑩自信と譲歩」★番号を訂正「モンド通信 No. 84」、2015年7月29日)【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑨開発援助と発達なき成長」★番号を訂正「モンド通信 No. 83」、2015年6月23日)【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑧経済的依存」★番号を訂正「モンド通信 No. 82」、 2015年5月30日)【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑦新しい階級の創造」★番号を訂正「モンド通信 No. 81」、2015年4月30日)【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑥コンゴ危機」★番号を訂正「モンド通信 No. 80」、2015年3月26日)【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度⑤コンゴ自由国」★番号・題を訂正「モンド通信 No. 79」、2015年2月22日)【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度④ガーナ」★題を追加(「モンド通信 No. 77」、2015年1月15日)【アフリカ】【★出版】

2014年

「EMP9年、結果として、active learning」(「ESPの研究と実践」第11号57-67頁。)【EMP】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度③制度概略1」(「モンド通信」No. 73 、2014年12月1日に未掲載、新規→2019年10月20日「続モンド通信」11に収載)【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度②執筆の経緯」★番号・題を訂正(「モンド通信 No. 72」、2014年11月1日)連載開始。【アフリカ】【★出版】

「アフリカとその末裔たち2一覧」(2014年11月~2016年2月に「モンド通信」に連載。掲載分の番号、題などを修正)

「アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度①概略」(「モンド通信」No. 71、2014年10月1日に未掲載)→2019年9月20日「続モンド通信」10に収載)【アフリカ】【★出版】

「アフリカ系アメリカ小史⑤公民権運動、その後」「モンド通信 No. 71」、2014年7月10日)連載終了。【アフリカ系アメリカ】【★出版】

「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」「モンド通信 No. 70」、2014年6月10日)【アフリカ系アメリカ】【★出版】

「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」「モンド通信 No. 69」、2014年5月10日)【アフリカ系アメリカ】【★出版】

「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」「モンド通信 No. 68」、2014年4月10日)【アフリカ系アメリカ】【★出版】

「アフリカ系アメリカ小史一覧」(2014年3月~7月に「モンド通信 」に連載)

「アフリカ系アメリカ小史①奴隷貿易と奴隷制」「モンド通信 No. 67」、2014年3月10日)連載開始。【アフリカ系アメリカ】【★出版】

「南アフリカ小史一覧」(2014年1月~2月に「モンド通信 」に連載)

「南アフリカ後半」「モンド通信 No. 66」(2014年2月10日)連載終了。【南アフリカ】【★出版】

「南アフリカ小史前半」「モンド通信 No. 65」(2014年1月10日)連載開始。【南アフリカ】【★出版】

2013年

「アフリカとその末裔たち1一覧」(2013年12月~2014年7月に「モンド通信 」に連載)

「アフリカ小史一覧」(2013年11月~12月に「モンド通信 」に連載)

「アフリカ小史後半」「モンド通信 No. 64」(2013年12月10日)連載終了。【アフリカ】【★出版】

「アフリカ小史前半」「モンド通信 No. 63」(2013年11月10日)連載開始。【アフリカ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記25『ジンバブエ滞在記』の連載を終えて」「モンド通信」No. 59」、2013年7月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記24ふたつの壷」「モンド通信」No. 58」、2013年6月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記23チサライ」「モンド通信」No. 57」、2013年5月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記22ジャカランダの季節に」「モンド通信」No. 56」、2013年4月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在21ツォゾォさんの生い立ち」「モンド通信」No. 55」、2013年日3月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑳演劇クラス」「モンド通信」No. 54」、2013年2月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑲ロケイション」「モンド通信」No. 53」、2013年1月10日)【ジンバブエ】【★出版】

2012年

「ジンバブエ滞在記⑱アレックスの生い立ち」「モンド通信」No. 52」、2012年12月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑰モロシャマリヤング」「モンド通信」No. 51」、2012年11月11日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑯75セントの出会い」「モンド通信」No. 50」、2012年10月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑮ゲイリーの家」「モンド通信」No. 49」、2012年9月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑭ルカリロ小学校」「モンド通信」No. 48」、2012年8月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑬制服の好きな国」「モンド通信」No. 47」、2012年7月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解27:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告6」「モンド通信 No. 47」、2012年7月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑫ゲイリーの生い立ち」「モンド通信」No. 46」、2012年6月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解26:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告5」「モンド通信 No. 46」、2012年6月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑪お別れ会」「モンド通信」No. 45」、2012年5月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解25:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告4」「モンド通信 No. 45」、2012年5月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑩副学長補佐」「モンド通信」No. 44」、2012年4月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解24:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告3」「モンド通信 No. 44」、2012年4月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑨ゲイリーの家族」「モンド通信」No. 43」、2012年3月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解23:「シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告2」「モンド通信 No. 43」、2012年3月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑧グレートジンバブエ」「モンド通信」No. 42」、2012年2月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解22:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告1」「モンド通信 No. 42」、2012年2月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑦ホテル」「モンド通信」No. 41」、2012年1月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解21:『ニューアフリカン』:エイズの起源4 米国産の人工生物兵器としてのウィルス」「モンド通信 No. 41」、2012年1月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

2011年

「『ニューアフリカン』から学ぶアフリカのエイズ問題」(「ESPの研究と実践」第10号25-34ペイジ)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑥買物」「モンド通信」No. 40」、2011年12月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解20:『ニューアフリカン』:エイズの起源3 アフリカの霊長類がウィルスの起源」「モンド通信 No. 40」、2011年12月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記⑤バケツ一杯の湯」「モンド通信」No. 39」、2011年11月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解19:『ニューアフリカン』:エイズの起源2 アフリカ人の性のあり方」「モンド通信 No. 39」、2011年11月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記④ジンバブエ大学・白人街・鍵の国」「モンド通信」No. 38」、2011年10月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「『ナイスピープル』理解18:『ニューアフリカン』:エイズの起源1 アフリカ人にとっての起源の問題」「モンド通信 No. 38」、2011年10月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「ジンバブエ滞在記③突然の訪問者・小学校・自転車」「モンド通信」No. 37」、2011年9月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記②ハラレ第1日目」「モンド通信」No. 36」、2011年8月10日)【ジンバブエ】【★出版】

「ジンバブエ滞在記一覧」(2011年7月~ 2013年7月に「モンド通信」に連載)

「ジンバブエ滞在記①アメリカ1981~1988」「モンド通信」No. 35」、2011年7月10日)連載開始。【アフリカ系アメリカ】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(30) 最終章」「モンド通信 No. 35」、2011年6月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』理解17:雑誌『ニューアフリカン』」「モンド通信 No. 34」、2011年6月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(29) 第30章 タラで過ごした一週間」「モンド通信 No. 34」、2011年5月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』理解16:メディアと雑誌『ニューアフリカン』」「モンド通信 No. 33」、2011年5月10日)【アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(28) 第29章 カナーン証明書」「モンド通信 No. 33」、2011年4月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』理解15:エイズと南アフリカ─ムベキの育った時代4 アパルトヘイト政権の崩壊とその後」「モンド通信 No. 32」、2011年4月10日)【南アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(27)第28章 カナーンホスピス」「モンド通信 No. 32」、2011年3月10日)【ケニア/医療】【★出版】

理解14 「『ナイスピープル』理解14:エイズと南アフリカ―ムベキの育った時代3 アパルトヘイト政権との戦い」「モンド通信 No. 31」、2011年3月10日)【南アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(26)第27章 男の赤ん坊」「モンド通信 No. 31」、2011年2月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(25)第25章 1983年2月・第26章 1984年―謎の病気」「モンド通信 No. 30」、2011年1月10日)【ケニア/医療】【★出版】

2010年

「タボ・ムベキの伝えたもの:エイズ問題の包括的な捉え方」(「ESPの研究と実践」第9号30-39ペイジ)【南アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(24)第24章 1982年」「モンド通信 No. 29」、2010年12月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(23)第23章 一匹狼の医者」「モンド通信 No. 28」、2010年11月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(22) 第22章 仮論文」「モンド通信 No. 27」、2010年10月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(21) 第21章 一九七九年モンバサ」「モンド通信 No. 26」、2010年9月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(20) 第20章 四十年間の投獄」「モンド通信 No. 25」、2010年8月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(19) 第19章 花婿の値段」「モンド通信 No. 24」、2010年7月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(18) 第18章 ナイセリア菌」「モンド通信 No. 23」、2010年6月1日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(17) 第17章 医師用宿舎B10」「モンド通信 No. 22」、2010年5月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(16) 第16章 豚野郎フィル」「モンド通信 No. 21」、2010年4月10日)

「『ナイスピープル』理解13:エイズと南アフリカ―タボ・ムベキ2 育った時代と社会状況2 アパルトヘイト」「モンド通信 No. 21」、2010年4月10日)【南アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(15) 第15章 ユーニス」「モンド通信 No. 20」、2010年3月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』理解:12 エイズと南アフリカ―タボ・ムベキ1 育った時代と社会状況1」 「モンド通信 No. 20」、2010年3月10日)【南アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(14) 第14章 ドクターGGの娘(後半)」「モンド通信 No. 19」、2010年2月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』理解11:エイズと南アフリカ―2000年のダーバン会議」「モンド通信 No. 19」、2010年2月10日)【南アフリカ/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(13)第14章 ドクターGGの娘(前半)」「モンド通信 No. 18」、2010年1月10日)【ケニア/医療】【★出版】

「『ナイスピープル』理解10: エイズ治療薬と南アフリカ2」「モンド通信 No. 18」、2010年1月10日)【南アフリカ/医療】【★出版】