英語 Ma2(3)

12月19日

新たに組んだ4回の日程の1回目。5章の筆記試験とエイズ。

エイズに関しては最初に解説。HIVの増幅のメカニズム→抗HIV製剤→エイズの歴史→エイズへの包括的アプローチとアフリカ問題の順で簡単にプリントを見ながら解説しました。プリントは最低限読んで欲しいです。

次回は、“9.10 Immune deficiency: The special case of AID"→"Disrupting the Assembly Line"を読んだあと、AZTをめぐるERの映像(ERII2B、1994年にエイズ=死であったころにAZTを使うしかなかった小児科医の苦悩を描いた場面)を見てもらえたらと思っています。映像のtranscriptionに目を通しておくとよりわかりやすいと思います。“Disrupting the Assembly Line"は一般向けにScience Writerが書いた記事。専門的には問題ありそうやけど、一般の人には結構わかりやすいみたい。

この前も書いたけど、このブログの掲示板に3種類の動画をリンクしてあります。それぞれわかりやすく英語も聞きやすいです。transcriptionも作っています。必要ならメールしてくれたら、ファイルを送ります

HIVに関しての動画のアドレスです

How HIV Causes Disease

HIV life cycle: How HIV infects a cell and replicates itself using reverse transcriptase

How HIV attacks human

ゴアとブッシュの大統領選のNatureの記事を紹介したとき、南北戦争や公民権運動の話をしたけど、流れを少し掻い摘んで書いときます。すでに配って、読むつもりだったA Short History of Black Americansを読んでもらえるとわかります。そういう背景がないとNatureの記事も肝心なところがわからないと思うよ。

三つの大きな山

①(イギリス人入植者の繁栄の基礎となった)奴隷貿易と(大農園主=寡頭勢力を潤した)奴隷制1:イギリス人入植者の繁栄の基礎となった奴隷貿易と2:奴隷制

②南北戦争(北部の産業資本家と南部の寡頭勢力の妥協が生み出した奴隷解放と北部の先導で強行した再建期と寡頭勢力の巻き返しの反動

③(実質的な権利を求めた)公民権運動とその後

南部の大荘園主と、奴隷貿易で潤った資本で産業化の結果生まれた北部の産業資本家が奴隷制を巡って起こした市民戦争=南北戦争の話と、3%の支配階級=大荘園主が奴隷所有者と大半の労働者階級=奴隷と貧乏白人の間にカラーライン(人種隔離政策)を引いて人種差別(賃金格差)を利用した話。

北部(共和党)が担いだリンカーン(↑)が大統領になって南北合一のために戦争はしたものの経済力が拮抗していたために最終的な決着はつかずに、北部の自由な黒人の参戦の見返りに出した奴隷解放令だけが残り、元奴隷にとっては体制が変わる(賃金が上がる)ことはなく、奴隷が小作という名前に変わっただけ。

北軍の占領政策は行われたものの北軍が去ったあとの南部の寡頭勢力の反動は凄まじく、1896年の隔離すれども平等という最高裁の判決を引き出してしまいました。

カラーラインを維持するために、奴隷制で貧乏白人を奴隷狩りや奴隷の調教師に雇ったように、貧乏白人を利用してリンチやKKKで元奴隷を締め付け続けました。

奴隷解放宣言が実質的なものでなかったので元奴隷は小作人に名前が変わったまま、第二次世界大戦が終わるまで、厳しい人種隔離体制が続きます。大戦でのヨーロッパの総体的な力が落ちたとき、それまで抑えつけられていたアジア・アフリカ諸国の独立運動が始まります、アメリカでは公民権運動、南アフリカではアパルトヘイト廃止を掲げた解放闘争です。

最初に見てもらったカーターはあつらえた白衣を着てたし、彼女ともうまく行かず、前から漠然と抱いていた思いを現実にしてコンゴにボランティアに行ってたけど、奴隷貿易で富を築いた大富豪の家に生まれた人にしかわからない苦悩があったんかもねえ。そう考えると、元奴隷の息子、くそ生意気なベントンが元奴隷主の息子、あつらえた白衣を着てくる貴公子というのも、結構、微妙な皮肉かもな、と見るといつも僕なんかは思うけどね。

また、年明けに。

<課題について>

今日までに課題を全部読めなかったけど、何人かの勘違い(調べたものを列記=レポート、仮説を立てての論証分ではない)もあるけど、2回目はしっかりと仮説をたてて、きっちりと論証して提出してや。

課題を見ながら講評も時間を取るし、メールで問いあわせてくれれば返事も出来ると思います。

 

ビジネス英語 I-2(2)

12月17日

11回目、今年最後の授業でした。

来週、再来週は休みで、次回は1月7日、13回目は16日(水、月曜日振替)、14回目は21日(月)、28日(月)が最終日です。

次回から、授業についてのコメントを聞きたいと思っています。最終日に全員でもええんやけど、8~9人を4回にわけて言ってもらえると嬉しいです。授業について、質問、要望、提案などがあれば遠慮無く。来年も1年生、2年生を担当予定なので、その時の参考に意見を聞かせてや。

グループワークと個人面接、あと4回、少しでもお互いのためになる時間になるとええなあ。

各グループでする内容について決まった時点でこの11回目の掲示板にリーダーが書き込んでや。

発表が可能なグループは、次回からどうぞ。

次回は年明けやね、また。

水曜日から金曜日まで吉祥寺に行ってました。その期間はメールも見ないんで、普段とはまったく違う生活、戻って来ると、ずいぶん日にちが経ったような気がするね。

昨日の晩は、あしたの地域の一年と二年のクラスのページを書き忘れてた、水曜日の医学科の用語のテストも作らんと印刷を頼むのが間に合わんなと、夜中にページを更新、試験問題を作り、現実に引き戻されました。

科研費も使わないとあかんので、次回は3月に名古屋に行こうと思っています。名古屋大のアフリカ研究(地誌学関連)の蔵書や研究史を見せてもらうつもりです。

ブログを作ってくれてる岩谷くんにも会って、いろいろ教えてもらい、来年度のブログの準備もしてもらうつもりです。例年は宮崎に来てもらってるけど、愛知県知事選があって秘書室にいる岩谷くんに日程の無理を言うのも偲びないんで、僕が名古屋に行くことに。

 

英語 Ra2(2)

12月17日

11回目、今年最後の授業でした。

来週、再来週は休みで、次回は1月7日(課題提出)、13回目は16日(水、月曜日振替)、14回目は21日(月)、28日(月)が最終日です。

次回から、授業についてのコメントを聞きたいと思っています。最終日に全員でもええんやけど、8~9人を4回にわけて言ってもらえると嬉しいです。授業の内容(アフリカ、アフロアメリカ関係、トーイック、課題など)について、質問、要望、提案などがあれば遠慮無く。来年も担当予定なので、その時のためにも参考に出来ればと思っています。

今日は何曲か聴いてもらって、Slaveryを最後まで。今回も濟陽くんがやってくれた箇所の日本語訳を貼っときますので、参考にしてや。

Paul Robesonが歌うアイルランド民謡Danny Boy(イギリスに渡って特にシェイクスピアのオセロ役(黒人)でヒットしてヨーロッパで有名になったこともあってヨーロッパの民謡も歌っています)、ゴスペルの女王マへリア・ジャクソンが歌うメドレーSummertime(たぶんジャズナンバー), Sometimes I Feel Like a Motherless Child(たぶんスピリチャル)、それからクロマティのゴスペルの映像の冒頭とメンフィスのマへリア・ジャクソンの映像、公民権運動の時に始まったソウルの映像(ブルーズブラザーズから)。

マへリア・ジャクソン

あと、ゴスペルの映像を何本かと、ブルース、ジャズを何曲か紹介出来たら。公民権運動の時にWe Shall Overcome、そのあとWe Are the World、までかな。

歴史については、南北戦争→占領政策→反動→公民権運動と続きます。次回はさっと話をして、関連の映像も観てもらうつもりです。出来れば、公民権運動時代の映画を一本観てもらえたらええんやけど、ね。

トーイックに関しての例文のプリント④も、次回、各グループの割り当てを決めて、少しでもやろ。④の残りに目を通しておいてやな。

濟陽くんがやってくれた箇所の日本語訳です。

There were many escaped slaves who fought against their slave owners together with other abolitionists, black and white, in the North.

北部にはたくさんの逃亡して来た奴隷がいて、黒人や白人の奴隷制廃止論者と一緒に奴隷主と闘いました。

Harriet Tubman, the great conductor of the Underground Railroad to freedom, a nurse for the Union soldiers in the Civil War, a spy for the Union Armies, went back and forth in the South to rescue slaves.

自由への地下鉄道の偉大な車掌で、南北戦争では北部の兵士のための看護師や北軍のスパイも務めたハリエット・タッブマンは南部へ行き来して奴隷たちを救いました。

ハリエット・タッブマン

Frederick Douglass ran away when he was twenty-one. He got a job in New England, began to make anti-slavery speeches and eventually became one of the Great American abolitionists, founding a paper called 'The North Star,’ writing and speaking for freedom. People in bondage keenly wanted a kind of Moses to lead them to freedom and there appeared their Moses, John Brown. He was a white man, old and tall, with a flowing beard, a Bible in one hand and a gun in the other.

フレデリック・ダグラスは21才のときに逃亡しました。ニューイングランドで職を得て、奴隷制に反対する演説を始めました。そして、やがてはアメリカの偉大な奴隷廃止論者となって「ノーススター」紙を創刊し、自由を求めて本を書いたり、演説もやりました。捕らわれの境遇にいる奴隷は、解放して自由にしてくれるモーゼのような人物を切望していました。そこにモーゼのような人物ジョン・ブラウンが現れました。ジョン・ブラウンは白人で、年老いて背が高く、流れるようなあごひげを生やし、片手には聖書を、もう一方の手には銃を持っていました。

フレデリック・ダグラス

In 1859 John Brown and 22 other members, black and white, marched on the government arsenal at Harpers Ferry, Virginia, intending to seize the arms and give them to the slaves. Some were killed and the rest were taken prisoner. John Brown’s uprising was a failure in so far as freeing the slaves then went. But it shook the empire of slavery to its foundations. It gave courage to the bondsmen and struck terror into their masters. John Brown was hanged. But it was only a matter of time before the Civil War began.

1859年にジョン・ブラウンは黒人、白人を含む22名と一緒に、ヴァージニア州のハーパーズフェリーにある政府の兵器庫に行進しました。武器を奪って奴隷たちに与えるつもりでした。何人かが殺され、残りは捕らえられました。ジョン・ブラウンの蜂起はそのとき奴隷を解放するという点では失敗でしたが、その蜂起は奴隷制の根幹から揺るがしました。その蜂起は奴隷に勇気を与え、奴隷主に恐怖を与えました。ジョン・ブラウンは絞首刑にされましたが、南北戦争が始まるのも時間の問題でした。

ジョン・ブラウン

The European capitalists used the profits from the slave trade and from slave labor in America to develop their own industries. Gradually the industrial capitalists grew more powerful than those capitalists who invested in trade. While the slave traders and the plantation owners wanted to keep slavery, the industrial capitalists’ main interest was to buy workers on a 'free labor market.’ The capitalism of free competition was turning into monopoly capitalism.

ヨーロッパの資本家は奴隷貿易やアメリカでの奴隷の労働によって得た利益を自分たちの産業を発展させるために使いました。産業資本家が、奴隷貿易に投資した資本家よりも次第に力をつけて行きました。奴隷商や荘園主が奴隷制を維持したいと思いましたが、産業資本家の主な関心は「自由な労働力市場」で労働力を買い集めることでした。自由競争の資本主義が独占資本主義へと変貌して行きました。

また、来年やね。

ビジネス英語 I-2(2)

12月10日

10回目でした。その日のうちに書いたつもりが、前日になりました。水曜日から金曜日まで東京に行ってたせいか、ずいぶんと日にちが経ったような気がするなあ。

もう少し実り多いものになるかと思っていたけど、もう一つやったね。機械も、お互いの発表も、スカイプでの遣り取りも。

折角グループで発表をして来たんで、もう一回、今度はビジネスに関しての発表をやらへんか。折角発表には好都合の大きな部屋を使ってるし。

具体的には、僕から提案を出そうと思ってるけど、みんなもいっしょにやってみたい内容を考えて具体的な案を出してくれるとありがたいけどね。いっしょにやろ。

グループワークをしてるときに、個人の面接も出来たらと思っています。あしたも含めて5回あるんで、お互いのためになる時間になるとええなあ。

トーイックに関しては、折角例文のプリントも配ってあるんで、少なくとも④の残りは、グループで例文作りをやってもらえたらと思っています。それも、授業の時に。

あしたの授業で、また。