南アフリカ概論(前期用)

6月19日

10回目の授業で、あと5回になりました。

今日は行きも帰りもよう降ったねえ。

最初に1955年の国民会議と反逆裁判、PACがANCから分裂して先にやった抗議行動がシャープヴィルの虐殺を引き起こしたことや、その後ANCが非暴力を捨てて破壊活動を始め、マンデラが金集めに国外に行き、そのついでにロンドンからBBCで武力闘争宣言を出した、帰国後変装して逮捕をされずに活動を続けたが逮捕されてリボニアの裁判で終身刑を言い渡されてロベン島に、以来27年間獄中生活を送ることに、そんな流れを話をして、40~60年代の映像を観てもらいました。

マンデラとソブクエがもう少し大人の対応をしていたら、もっと早くアパルトヘイトが廃止されていたやろ、アパルトヘイト政権は一番体制をひっくり返す危険のあるソブクエをロバートソブクエ法という特別法を作って、ソブクエを生涯換金し続けることに成功、そのソブクエの1960年3月22日の行動を克明に描いた野間さんがANCの資料を元に書いたので、史実と違う記述になった、他にも日本人によるラ・グーマの翻訳があまりにもお粗末、そんなかなりマニアックな話をしました。このレベルの話が出来る日本人は、たぶんそういないと思います。大概は、関心そのものがないんで。

でも、そんな話を聴いてもらってたようで、少し嬉しくなりました。たぶん宮崎にいるのも先はそう長くなさそうなので、こんな機会が持てて、よかったんやろなあ、と思います。

『アフリカ文化論』は20万ほど出して出版してもらったけど、今日少し解説したように、今日話したあたり、特にソブクエやラ・グーマについてはかなり気合いを入れて書いたんで、是非読んでもらいたいです。
先が長くなさそうなので、まだ半分ほど残ってるので、40万くらい使ったことになりそう。もう少し長くいて、受講した人に買ってもらえるつもりやったんやけど。長く生きてると、いろいろあるねえ。

次回は、「アフリカの蹄」と、今日紹介出来なかった映像なども補足したいと思っています。

あとは、日本とアパルトヘイトの関係と、どうしてアパルトヘイトを廃止したのかについての議論と、アパルトヘイト廃止後の状況と、エイズの話が出来ればと思っています。先が見えてきたねえ。

今日の授業の終わりの方に2年前に看護学科の大学院を卒業して東京渋谷の日本赤十字病院で助産師をしている黒木さんが、休暇を利用して会いに来てくれ、ました。最後の方は聞いてくれてたみたいです。
そのあと研究室で2時間ほど話して行きました。病院では結構外国人も来るので、英語が使える黒木さんはよく呼ばれるそうで、大学でやってたことが活かせてよかったと思います。タイのプリンスオブソンクラ大学の病院で4年生の時と大学院の時にも実習し、留学生に開放された看護部の宿舎に住み、留学生の世話をして英語も生活の中で使っていました。看護学科の人は2年間も準備期間があるのに話せないままタイで実習をする人が多いような話をしましたが、黒木さんのように実習を利用して英語が使えるようになって、卒業したあとも職場でその英語で重宝されている人もいたわけです。少数派やけどね。
そのあと、来年度の工学部の入試問題を作るのに5人で集まりました。作った問題を持ち寄って検討しました。何回か集まって検討して8月くらいに仕上げたあと、何回かチョックをして完成です。前期の試験の日は、試験の間待機をして、そのあと採点です。
医学科を退職したとき、もうこれで入試問題を作ることはないと思ったんやけど。

英語 Ta1(7)

6月19日

10回目の授業で、あと5回になりました。

今日は行きも帰りもよう降ったねえ。

コメントも聞けず、80~85を僕がさっとやって、86~90(渡辺さん)、91~95(加藤くん)、96~100(宇佐くん)にやってもらって(渡辺さんには悪いことしました、ごめんなさい)金のフレーズの①を終わり、リーディングの問題を1問だけやって時間切れでした。かなり丁寧に、出来るだけスコアを取れるこつなども交えながらやったんで、結構時間がかかったね。

折角時間をかて、過去問をコピーして配り、実際に問題もやったんで、時間内に出来なかった分は試験の日までにやって、どれくらいスコアが取れるか、自分で確かめや。
試験は今回だけやないので、同じやるんなら、試験を利用して、就職や進学に役に立つスコアまで行けるとええね。

次回は今日出来なかった①コメントを聞いて、②金のフレーズの②101~110(岩切くん)→111~120(加藤くん)→121~130(山口くん)→131~140(中道くん)→141~150(宇佐くん)をやってから、今日少し紹介したTravel GuideのSan Franciscoの映像を観て、Listening Comprehensionをやろうと思っています。プリントは用意しときます。旅番組は楽しいので、気軽に楽しんでもらえるとええんやけどなあ。80年代にアメリカに何回か行ったとき、東海岸のシカゴやニューヨークは西海岸から3時間、4時間かかるので、いつもサンフランシスコで何泊かしてから東海岸に行ってました。1985年にミシシッピの国際会議に行ったとき、発表者の一人の伯谷さん(当時ケント州立大学の英語科教授)から2年後のサンフランシスコの会議で発表しないかと誘われて家族で行きました。(サンフランシスコは日本から一番近いから家族もいっしょにいらっしゃいよ、と言われて行ったんやけど、よう考えたら、日本から一番近いと言われてもなあ、と思うよね。)長男が5歳で長時間の飛行機はきついからハワイ経由で。奥さんがビジネスクラスががいいなというので、ビジネスクラスで。おかげで旅費だけで200万ほど。僕は大学を探してる最中で、無職。ようやるよねえ。サンフランシスコとハワイでの写真です。(ハワイで長女と→サンフランシスコで奥さんと長女とタクシーの運転手さんと→サンフランシスコのホテルで長女と長男→フランシスコの会議で伯谷さんと)↓

今日はあなたらの授業あと3コマ目は南アフリカ概論の授業で、終わりの方に2年前に看護学科の大学院を卒業して東京渋谷の日本赤十字病院で助産師をしている黒木さんが、休暇を利用して会いに来てくれました。南アフリカ概論の授業の最後の方は聞いてくれてたみたいです。そのあと研究室で2時間ほど話して行きました。病院では結構外国人も来るので、英語が使える黒木さんはよく呼ばれるそうで、やってたことが活かせてよかったと思います。タイのプリンスオブソンクラ大学の病院で4年生の時と大学院の時にも実習し、留学生に開放された看護部の宿舎に住み、留学生の世話をして英語も生活の中で使っていました。時々看護学科の人の話をしたときに、2年間も準備期間があるのに話せないままタイで実習をする人が多いような話をしましたが、黒木さんのように実習を利用して英語が使えるようになって、卒業したあとも職場でその英語で重宝されている人もいたわけです。少数派やけどね。
そのあと、来年度の工学部の入試問題を作るのに5人で集まりました。作った問題を持ち寄って検討しました。何回か集まって検討して8月くらいに仕上げたあと、何回かチョックをして完成です。前期の試験の日は、試験の間待機をして、そのあと採点です。
医学科を退職したとき、もうこれで入試問題を作ることはないと思ったけど、長いこと生きてると、いろいろあるねえ。もう今年で最後にしたいけどねえ。

ビジネス英語 I-1(2)

6月18日

10回目、あと5回になりました

リーディングの問題を2問だけやって時間切れでした。かなり丁寧に、出来るだけスコアを取れるこつなども交えながらやったんで、結構時間がかかったね。
折角時間をかて、過去問をコピーして配り、実際に問題もやったんで、時間内に出来なかった分は試験の日までにやって、どれくらいスコアが取れるか、自分で確かめや。
試験は必修で今回だけやないので、同じやるんなら、毎回の試験を利用して、就職や進学に役に立つスコアまで行けるとええね。

次回は発表と基本英文金のフレーズを再開。金のフレーズは前期で、既に配ってある⑦501-600と⑧601-700は終わりたいね。⑨は部署・職業名(Departments & Occupations)をまとめてくれてるんで、次回配るね。(今日配るつもりで印刷してたんやけど、持って行ってなかったんで。)

発表は

①川畑さんと鬼塚さん
②久保くんと有働くん

⑦501-510(大野くん)
511-520(内村くん)
521-530(外山さん)

折角の試験、利用して自分のために出来るだけ時間を使いや。

また、来週に。

英語 Ra1(2)

6月18日

10回目、あと5回になりました

コメントも聞けず、リーディングの問題を一問だけやって時間切れでした。かなり丁寧に、出来るだけスコアを取れるこつなども交えながらやったんで、結構時間がかかったね。

折角時間をかて、過去問をコピーして配り、実際に問題もやったんで、時間内に出来なかった分は試験の日までにやって、どれくらいスコアが取れるか、自分で確かめや。
試験は必修で今回だけやないので、同じやるんなら、毎回の試験を利用して、就職や進学に役に立つスコアまで行けるとええね。

次回はエボラの話を再開。

CNNのtranscription(喜多くん)→1976年のエボラ騒動の映像とtranscription→2回目の騒動を煽ったアメリカ映画「アウトブレイク」→アメリカの医者がコンゴ東部にボランティアに行ったアメリカのテレビ映画

そのあと、すでに独立とコンゴ危機→アフリカ分割とレオポルド2世による植民地支配(コンゴ自由国)の映像は観てもらったんで、その前のヨーロッパ人が来る前のアフリカについてざっと見ていきたいと思っています。

後期は、1505年にタンザニアの沖合の島キルワの虐殺(ヨーロッパ人による最初の略奪)や奴隷貿易などの西ヨーロッパ諸国の暴虐と、奴隷の連れて行かれた新大陸、特に1620年にメイフラワー号ですでに到着していたイギリス人による大陸支配の歴史を現代まで辿れたらと思っています。その過程で代々歌い次がれてきたアフリカ系アメリカ人の音楽所謂ブラックミュージックを聴いてもらえるとええなとも思っています。
(後期担当出来ない人も出ると思うけど。三分の二しか担当出来ないし、後期はトーイックのクラス分けを学部はやる予定なので、その人のクラスを担当しないのは決まっているので、クラスで会った人しか継続的にやれないことになるけど。)

来週日程を聞くつもり、出来ればL111の大きな部屋で観て欲しいけど、難しいかもねえ。その時は普段の部屋で。

折角の試験、利用して自分のために出来るだけ時間を使いや。

また、来週に。