概要
横山さん、ゲストさんと編集したものです。
執筆年
2005年
本文
収録・公開
8ペイジ 印刷物、大学HP公開
研究協力課から依頼があって書いたものです。
宮崎大学における研究の成果等を、広く地域社会にPRするための広報誌(平成15年度版冊子)に収載され、大学のホームペイジにも掲載されました。
宮崎大学における研究活動紹介
「エイズを主題とするアフリカ文学が描く人間性(さが)」
研究助成種目: 科学研究費補助金 基盤研究(C)(2)「一般」
研究代表者: 医学部 教授 玉田吉行
交付金額: 2500千円(平成15年~平成18年)
研究課題名: 『英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題-文学と医学の狭間に見える人間のさが』
研究の内容と展望 : [-エイズを主題とするアフリカ文学が描く人間の性(さが)-]
英語によるアフリカ文学が「エイズ」をどう描いているのかを探りたいと思っています。「エイズ」を正面から取り上げている作品はまだ多くはありませんが、文学作品を通して、病気の爆発的な蔓延を防げない原因や、西洋的な価値観とアフリカ的な見方の軋櫟などを、明らかに出来ればと考えています。
社会や学校にいつも疎外感を感じながら生きてきましたので、疎外された状況下での自己意識について考えることが多かったのですが、同じような問題意識をもったアメリカ人作家リチャード・ライトの祖先の地として、たまたまアフリカについて考えるようになりました。その過程で、英語は侵略者の使っていた言葉で、侵略が形を変えて今も続いていると思い始めてから、妙な空間をうろつく羽目になりました。
昭和64年度に「1950-70年代の南アフリカ文学に反映された文化的・社会的状況の研究」で科学研究費をもらったのですが、今回の「エイズ」と「アフリカ文学」、前回の「アパルトヘイト」、どちらも国の政策や利害と深く関わりがあるようです。
授業でもアフリカを取り上げていますが、偏見や無知や傲慢には、人間としての恥ずかしさを覚えます。アフリカにもすぐれた文学があり、すてきな人がいるという当たり前のことを伝えるのは、妙な空間にはまり込んだ人間の務めかも知れません。
(http://tamada.med.miyazaki-u.ac.jp/tamada/)に書いたものを掲載しています。
(この研究を代表する著書・論文)
“AIDS epidemic” in Africa and Its Descendants 2 Neo-colonial Stage (Yokohama: Mondo Books) by Tamada Yoshiyuki, 1998, pp. 51-58.
「アフリカとエイズ」、「ごんどわな」22号、2~13ペイジ、2000年。
“Ngugi wa Thiong’o, the writer in politics: his language choice and legacy,” Studies in Linguistic Expression, No. 19 (2003), pp. 12-21.
2004年
「2003 Research研究活動紹介 宮崎大学」 56ペイジ
宮崎医科大学大学祭すずかけ祭実行委員会の委員から依頼があって書いたものです。
速達便
英語科 玉 田 吉 行
四国に住むムアンギさんから速達便が届いた。中にはある論文のゼロックスコピーと一冊の本が入っていた。
サイラス・ムアンギさんはケニアのギクユ人で、かれこれ20年のつき合いになる。70年代の半ばにナイロビ大学の学生として京都大学法学部に坂本竜馬の研究に来ていたと聞く。政治が専門らしい。76年に、現大統領の金大中氏や詩人の金芝河氏の死刑に反対する「韓国に関する国際緊急東京会議」に出席した同郷の作家グギ・ワ・ジオンゴさんの世話をしたために国のブラックリストに乗って以来、祖国に帰れないでいる。今は、四国学院大学で平和学や女性学を担当しているらしい。
動物王国やサヴァンナのイメージが強いケニアは恐ろしい国である。アパルトヘイト下の南アフリカの人に「ケニア人が何か出来ることはありませんか」と聞いたら、「そちらこそ大変ですから」と言われてしまったと、いっしょに行なった「アパルトヘイトを巡って」というシンポジウムでムアンギさんはケニアの惨状について紹介していた。
コピーはある歴史学会で発表されたもので、永年政治犯を閉じ込めていた悪名高いロベン島が、実は遠い昔はハンセン病患者の隔離施設に使われていた史実を掘り起こして、ハンセン病と人種差別の関係を論じたもので、本はケープタウンのカラード居住地区第6区についての思い出を綴った著者からムアンギさんに託されて私に寄贈されたものである。しかし、著者について私は知らない。日付けは18-02-1999とある。
ケープタウンでの知り合いは2人だけである。一人は、作家アレックス・ラ・グーマ夫人のブランシさんと、亡命先のカナダでお会いした学者のセスゥル・エイブラハムズさんである。第6区はブランシさんがかつて住んでいた所で、1966年に政府は5万人の住人を一掃して白人居住地区にしようとしたがうまく行かず、以来更地のままだと聞く。恐らく、ラ・グーマの編註書2冊と翻訳書を日本で出版した日本人として、ブランシさんが著者に私のことを紹介して下さったのだろう。
20年もつきあっていると、2年以上も前に託された本を速達便で届けるアフリカ流にも、驚かなくなった。もちろん、今回のカメルーン騒動も、さもありなんである。92年に家族で2か月半ハラレに滞在した時に、充分免疫が出来たせいかも知れない。
お礼の手紙を書きたいのですが、著者と住所について少し教えてもらえませんか、と近々ムアンギさんに手紙を書こうと思っている。もちろん、速達便でである。
2002年
宮崎大学医学部すずかけ祭第27回パンフレット 43ペイジ
教授職に就いた時に依頼があって書いたものです。
新任教官等紹介
英語科教授 玉 田 吉 行
研究室にて
「宮崎も十四年目になりました」
玉 田 吉 行
宮崎も十四年目になります。
三十八歳でこの大学に来ました。その時二年生だった人たちが最初の学年です。同僚だった宮田さん(現在、高知医科大学におられます)が在外研究に行かれることもあって、その年だけ、変則的に一、二年生を担当しました。それ以降は、長いこと、一年生ばかりの担当が続きました。最初の学年の人は、卒業して九年目になるのでしょうか。
それまで、「わい、ABCもわかれへんねん」という大学で授業をしたこともありましたから、授業の成り立つ空間は、天国に近いように思えました。(最近は、携帯電話がなったり、授業中にまんがを読みながらパンを食う学生もいて、少し雰囲気が変わってきたようですが、今のところまだ、充分に授業の成り立つ空間です)
英語の教員も二十六年目です。受験で行き先が見つからなかったのに、高校では進学を担当し、今は大学で授業です。英語も好きではなかったですし、学校では疎外感ばかり味わっていた方ですから、人生、どうなるかわかりませんね。
考えたり書いたりする空間を大事にしていたら大学に辿り着きました。
昭和二十四年の兵庫県生まれです。中学生の時に東京オリンピックがあり、大学受験で初めて新幹線に乗り、入学したとたんに学舎が封鎖されました。大阪万国博覧会のある夏に、梅田の地下街を通って地下鉄に乗り換え、大学のバスケットボールのリーグ戦に通った記憶が残っています。
英語をやり始めたのは、大学を卒業してからです。アフリカ系アメリカ人作家リチャード・ライトに惹かれてアメリカに行きました。そして、その延長上でアフリカにかかわるようになりました。
リチャード・ライト
アフリカにかかわった限り、ある一定の期間、アフリカで家族と暮らしてみたいと思って、九十二年に短期の在外研究で、南部アフリカのジンバブエに家族で行ってきました。可能ならば、その年に南アフリカに行けるとよかったのですが、まだアパルトヘイト政権に対して表向きは「文化・教育の交流」が禁止されていましたから、公務員としては、南アフリカには行けませんでした。時は移り行くもののようですね。
首都ハラレで借りて家族で住んだ500坪の借家
文学や語学関係の人と接することが多かったので、今の環境は新鮮です。
二人の子供も、大学に行くのに家を出て、随分と楽になりました。
長いこと、片道約十七、八キロの道を自転車で通いましたが、四十五を過ぎた辺りから、背中の張りがすぐには取れなくなり、少し前から車を使い始めました。
宮崎大学で学生や教員と週に一回のバスケットボールは続けていますが、いつまで続きますか。
近況報告も兼ねました。学校に来たら、立ち寄って下さい。コーヒーでも、淹れましょう。
からすうりもあけびも採って、歳が暮れる 我鬼子
平成十三年十一月十一日
略歴
1975年3月 神戸市外国語大学外国語学部卒業
1976年4月 兵庫県立東播磨高校教諭
1981年4月~83年3月 兵庫教育大学大学院修士課程
1983年4月 大阪工業大学非常勤講師
1986年4月 同上講師
1988年4月 宮崎医科大学講師
1992年7月~10月 ジンバブエ大学で短期在外研究
1996年2月 同上助教授
2001年5月 同上教授
論文
著書
1.玉田吉行訳、ラ・グーマ『まして束ねし縄なれば』〈門土社、一九九二年〉。
2.TAMADA Yoshiyuki, Africa and Its Descendants (Mondo Books, 1995).
3.TAMADA Yoshiyuki, Africa and Its Descendants 2 (Mondo Books, 1998).
原著
4.TAMADA Yoshiyuki, “Realism and Transparent Symbolism in La Guma’s Novels,” Studies in Linguistic Expression No.12, pp. 73-79, 1996.
5.玉田吉行、「アフリカとエイズ」、「ごんどわな」22号、2~13ペイジ、2000年。
2001年
宮崎医科大学篠懸会「篠懸」 第12号 37-38ペイジ