つれづれに:借家に(2022年8月15日)

2022年8月14日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:借家に

 最悪の宮崎初日は宿泊所を移動して朝を迎えた。二日目も雨で、やはり肌寒かった。入る予定の借家に向かった。タクシーに乗り、中心街の橘通や宮崎駅を越えて、宮崎神宮駅(↑)より少し北の地域にある借家に15分ほどで着いた。紹介してくれた人の持ち家で、百坪余りあるようだった。10年余り住んでいた中朝霧の家と同じくらい位の敷地なので、狭い思いはしなくて済みそうである。話では、旧宮崎大学はこのあとすぐの4月1日から家から20キロメートルほど南にある学園木花台に移転する予定だった。宮崎神宮辺りに県立図書館などの文化施設があり、その近辺に教育学部と農学部と工学部の別々のキャンパスがあるらしかった。推薦してくれた人は元々旧宮崎大学農学部におられた方で、通勤圏内に分譲されていた新築の家を購入されていたようだが、これから行く宮崎医科大学に異動したので、通勤圏内の南宮崎駅近くに新築の分譲住宅を新たに購入したと聞く。宮崎駅から大淀川を越えて駅一つ南の駅付近である。今は宮崎駅近辺に中心が移っているが、昔は南宮崎駅辺りが中心だったらしい。宮崎交通の経営する宮交シティというショッピングセンター(↓)があり、今はなきダイエーも入っていた。その人が異動で新しい家に移ったあと、そのままにしていた家を借りたというわけである。

 大学の英語科には同僚となる助教授の人がいるらしく、私が着任するのでその人が秋から在外研究に行けるらしく、現在持っている農学部の英語の非常勤を任せたいらしかった。全学の英語は教育学部の英語科が世話しているようなので、まだ旧校舎にいる英語科の人に会いに連れて行ってもらえるらしい。新学期の始まる前に二人で会いに行ったら、私が通った神戸の大学と同じように木造の2階建ての建物だった。建てられた時期が同じで、仕様が似ていたんだろう。教育学部の前身が旧宮崎女子師範学校で、このあと文科系の大学が用地を活用すると言っていたが、作るかどうかも含めて話し合いはこれからだそうである。人口が30万人ほどの地方都市に大学?と思ったのは、百万都市の神戸市でさえ、市立大学を維持するのは財政的に難しいというような話を聞いたことがあったからである。前身が農業専門学校と工業専門学校だった農学部(↓)と工学部も近くにあったらしい。同僚に紹介されたのは教育学部英語科の主任の人だったようで、上智大出身でイギリス文学が専攻、言葉遣いも丁寧な英国紳士風、だった。

 家は1階は6畳3部屋に台所兼食堂、2階は6畳2部屋で、東側の玄関先と南側に庭、西側に広い畑があった。子供が2階、私は西の6畳、妻は6畳二間続き、テレビを6畳二間続きに置いたので居間を兼ねそうである。南北の風通しはよさそうである。南が2軒、東が1件、西が1件と隣り合わせだが、西は畑が間にあるので直接接しないでもよさそうである。北側がわりと近いので、今のところ家がないのは有難い。妻の父親が滞在するときは、子供部屋にどちらかに泊ってもらい、子供に移動してもらうことになりそうだ。
 妻は引っ越し作業が落ち着けば、毎日でも描きたいとうずうずしている。娘は近くの小学校に、息子は幼稚園に行くことになりそうである。幼稚園はすぐ近く、小学校もそう遠いなさそうで、どちらも近いうちに挨拶を済ませておこう。少し東に県道があり、そこから東に少し行けば日向灘である。自転車も運んで来ているので、いろいろ探ってみよう。この日、郵便受けに最初の郵便物が届いた。予め引っ越し日を知らせていたので、この日に着くように出されたものらしい。出版社の社長さんからの分厚い手紙だった。
 次は、初めての郵便物、か。

すぐ近くにあった宮崎神宮