つれづれに:金とダイヤモンド(2024年7月25日)

つれづれに

つれづれに:金とダイヤモンド

 19世紀後半のダイヤモンドと金の発見は、南アフリカ国内と国外の両方に大きな影響を与えた。初めにオランダ人が来て、次にイギリス人が来てアフリカ人から土地を奪って好き勝手をしたが、入植者の勢力争いは19世紀の半ばに何とか折り合いをつけていた。肥沃な海岸線のケープ州とナタール州はイギリスが領有し、恵まれない内陸部のトランスヴァール州とオレンジ自由州はオランダ人による領有をイギリスが認めた形で落ち着ちつくことになった。そこに、ダイヤモンドと金の発見だった。しかも、金とダイヤモンドが発見されたのはオランダの領有地内だった。当然、イギリスが放っておくはずがない。両者は殺し合いを始めた。アングロ・ボーア戦争である。殺し合いはいつの世も過酷だ。イギリスの武力が優勢だったのは間違いないが、アフリカーナーも武器で応戦している。どの戦争も相手を殲滅(せんめつ)するまで戦うことはない。それに、入植者は全人口の僅か13%ほどで、殺し合いをしながら周りを見たらアフリカ人だらけだった、というわけである。両者は殺し合いをしていた手で、握手をすることにした。1910年の南アフリカ連邦はその産物だ。共倒れになるよりは、アフリカ人を搾取するという一点に妥協点を見つけたわけである。イギリス軍は戦争で女性や子供にも手を出したので、後々までアフリカーナーの遺恨はとりわけ深かったという人もいるが、遺恨を遺さない戦争は存在しない。

オレンジ自由州キンバリーのダイヤモンド鉱山

 国外での影響も大きかった。それまでインド・中国への航路の中継地の役割が強く、南アフリカ自体はさほど重要な扱いではなかったが、金とダイヤモンドが発見されて、一躍注目され始めたのである。安価な労働力を使って掘り出される金やダイヤモンドを欧米や日本が黙って見ているわけないわけがない。格好の貿易相手となった。そのうえ、欧米や日本の製品が捌(さ)ける一大市場にもなる。金やダイヤモンドで暴利を貪れるかどうかは、如何にアフリカ人労働者の賃金を抑えられるかにかかっていた。必然的に、豊かな鉱物資源に恵まれた南部一帯に、安価なアフリカ人労働者から最大限に貪れる一大搾取機構が確立してゆく。次は、その搾取機構についてである。

南アフリカ最大の都市となったヨハネスブルグ近くの金鉱山