つれづれに:アフリカシリーズ(2024年11月4日)

2024年11月7日つれづれに

つれづれに:アフリカシリーズ

 「アフリカシリーズ」に出会えてよかったと思う。小説のために大学を探していたときに見つけた。通例、大学の職には修士号が要るので、修士論文を書いた。それが出発点だった。大学で、研究業績、教育実績、社会貢献が求められるとは考えていなかった。大学の採用条件は学歴、教歴、研究業績である。博士号が望ましいが、門前払いでどこにも入れてもらえなかったので、教歴と研究業績を増やすしかなかった。高校を辞めての職探しだったので30歳を過ぎていたが、先輩のおかげで修士修了時に非常勤の機会をもらった。大学での教歴の始まりだった。その1年目に「アフリカシリーズ」と出会ったのである。業績のために参加した「黒人研究の会」の月例会(↓)でアフリカの話を聞けたこともよかった。

例会があった神戸市外国語大学事務局・研究棟(大学ホームページより)

 修士論文でアフリカ系アメリカ人の作家の理解を深めるために歴史を辿(たど)っていたので、ルーツとしてのアフリカは自然の成り行きでもあった。それに、授業で出来る限り映像や音声を使う工夫をしていたので、「アフリカシリーズ」はありがたかった。大阪工大(↓)の先輩が開発して予算をつけて整備していたLL教室も、気兼ねせずにたっぷりと映像や音声が使えるので、とても有難かった。学生の助手の手助けも、機械操作などに疎い私には何よりだった。個人的には大学の購読は好きだったが、それまでのリーディング中心の授業にはしたくなかったこともあって、映像や音声をたくさん使った。特に、最初の工学部学生は受験英語で英語に抵抗がある人も多かったので、尚更好都合だった。単に言葉だけよりも、映像や音声は効果的な場合が多かった。

 「アフリカシリーズ」に出会えて一番よかったと思うのは、この500年余りの歴史を見渡せたことだろう。しかも、侵略した側のイギリス人がアフリカから絞ってきた富、今はそれを返す時に来ています、それには先進国側の経済的な譲歩が必要です、と語るのを聞けたのだから、感動ものだった。マルコム・リトゥル(↓)が「金髪で青い眼をした白人がみな悪魔だと思っているのか?」と常々親しい友人に語っていたのを証明するかのようだった。

小島けい挿画

 「アフリカシリーズ」には大きな山が3つある。①ヨーロッパ人が来る以前、②奴隷貿易後の産業化、植民地化、植民地時代、③第2次世界大戦後以降、である。どこでこんな映像を手に入れたんやろ、と感心する映像が多い。自分の足で歩き、アフリカの人たちと話をしてきた賜物だろう。それと、侵略者側は記録として見るに堪(た)えぬ写真や映像でも残すらしいので、後の世代の人にとっては貴重な証拠と言えそうである。サハラ砂漠を横断するトワレグ人と焚火(たきび)の横で語らうデヴィドスン、ザイールの深い森の中で大きな川に蔓で編んだ橋を架ける作業をするピグミーの人たち(↓)、揺れる船の上でダウと呼ばれる帆船のロープを操るスワヒリの船乗りたちなど、とりわけ印象に残っている。

次回は、アフリカについて書く前に、『アフリカのための闘い』に触れておきたい。