続モンド通信・モンド通信

続モンド通信23(2020/10/20)

 お知らせ:2021年カレンダー(小島けい)

私の絵画館:ロバとポニー、走る!(小島けい)

2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~②ぼちぼち いこか(小島けい)

3 アングロ・サクソン侵略の系譜20:アフリカ史再考:②「アフリカシリーズ 」(玉田吉行)

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1 お知らせ:2021年カレンダー(小島けい)

寒くなって参りましたが、皆様・犬ちゃん、猫ちゃんたちもお元気でしょうか。

例年より、絵の完成が2ヶ月半も遅くなりましたが。10月14日13枚の絵が出来上がり、現在カレンダーの製作会社で進行中です。

2021年のカレンダーが届きましたら、皆様のお手元にお送りさせていただきますね。

2021年のカレンダー表紙

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2 私の絵画館:「ロバとポニー、走る!」(小島けい)

すっかり秋になりました。ススキの穂が風に揺れる頃になると、せいたか秋のキリン草の黄色が目立つようになります。

いつからかアレルギーの元?とか言われ、あまり評判はよくありませんが、私は今も好きです。

これまでも、時折絵に登場しています。

<秋立ちぬ>では馬(サンダンス)と。

<ノアと三太と合歓の花>では猫・犬と。

そしてこの絵では、ロバのパオンちゃんと、ポニーのファニーとぶりちゃんと一緒に描きました。

鳴き声が大きすぎるため、一頭だけ牧場から離れたトンネルの中で暮らしていたパオンちゃんでしたが、時々脱走しては、牧場にいる二頭と楽しそうに広馬場を走ることがありました。

あまりに嬉しくて、そんな時ロバは顔を空に向けて走るのですよ。

ある秋の日の一コマです。

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3 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~②:ぼちぼち いこか(小島けい)

私はほぼ毎日、午後から夕方にかけて絵を描きます。そのため、その後から寝るまでの数時間が、めまぐるしい忙しさとなります。人間の夕食やおかず作りの他に、一度にたくさん食べられない猫たちに、2時間おきくらいに3回ほどごはんをあげます。

寝る頃にはさすがに疲れていますが、少しクールダウンをしないと、うまく眠れません。そこで毎日<ロデオボーイ>に乗ります。馬の動きを模したマッサージ機のようなものですが、それで15分ほど揺ら揺らすると、不思議に血圧も下がります。

乗っている間両手はヒマですので、しばらく前から、すぐ横の絵本の棚から本を取り出して見始めました。

長い間見返すこともなかった絵本たちですが、改めて見てみると、今ではお話よりも絵の方が気になり、新たな発見があったりします。

たくさんの絵本のかで、絵も内容もすっかり忘れているのに、題名だけははっきり覚えていた本があります。それが<ぼちぼち いこか>です。

訳者のいまえよしともさんの翻訳が、あまりにもぴったりの関西弁でしたので、なんとなく日本人が書いた本だと思い込んでいましたが。<マイク・セイラーさく><ロバート・グロスマンえ>ということでした。

12年間、毎年個展に間に合うよう7月末の〆切りにむけ、追われるように絵を描き続けてきました。今年、絵の完成が大幅に遅れてくると<こんなに遅くなっていいのかしらん?>とあせりの気持ちが出てきました。

その度に、わざと目につく場所に置いたこの本を横目に見ながら<そうそう、ぼちぼち いこか、ですよ>と自分に言いきかせました。

何とか今年の絵は描き終えましたが。ほこりをかぶった本棚から再生したこの一冊、この言葉は、きっとこれからも私の大切な拠りどころになるのだろう・・・・と思います。

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4 アングロ・サクソン侵略の系譜21:アフリカ史再考:② 「アフリカシリーズ」

「アフリカシリーズ」

「アフリカ史再考」の2回目です。

「アフリカシリーズ」は1983年に放送された8回シリーズの番組(各45分)である。イギリスのタイムズ誌の元記者で後にたくさんの歴史書を書いた英国人バズル・デヴィドスンが案内役で、日本語の吹き替えで放送されている。20年ほど前に「アフリカシリーズ」でインターネット検索をした時は、番組内容の案内が載っていた気がするが、今は過去の番組紹介「NHKアーカイブ」にも入っていないようだ。

40年足らず前のもので、前半でヨーロッパ人の侵略が始まる以前のアフリカ大陸を紹介している。後半では人類の歴史を大きく変えた奴隷貿易→アフリカ分割・植民地支配を経て、第二次世界大戦後の多くのアフリカ諸国の独立闘争後に再構築された新しい形の搾取体制を丹念に紹介して、今こそ先進国はアフリカから搾り取って来た富を返すべき時であると結論づけていている。アフリカに対する意識が当時とそう変わったとも思えない大半の日本人には、今でもその提言は充分に傾聴に値するものだ。

8回の内容は「第1回 最初の光 ナイルの谷」、「第2回 大陸に生きる」、「第3回 王と都市」、「第4回 黄金の交易路」、「第5回 侵略される大陸」、「第6回植民地化への争い」、「第7回 沸き上がる独立運動」、「最終回 植民地支配の残したもの」である。

アフリカシリーズは当時放映されたものをビデオに録画し、DVDにして保存してある。高校を辞めたあと非常勤で世話になっていた大阪工業大学のLL教室でダビングさせてもらったもので、米国テレビドラマ「ルーツ」(1978年)と併せて、英語などの授業で使って来たとても貴重な資料である。

前半は古くからアフリカ大陸には黄金の交易網が張り巡らされていてヨーロッパともペルシャやインドや中国とアフリカ内陸部とも繋がっていたという壮大な物語だ。その豊かな大陸が1505年のポルトガル人によるキルワの虐殺から始まるヨーロッパ人の侵略に悩まされ、現在に至っているというのが後半である。

白人優位・黒人蔑視

500年に及ぶ侵略の過程で、ヨーロッパ人は自分たちの行為を正当化するため白人優位・黒人蔑視の意識を浸透させて来た。デヴィドスンは番組の冒頭で今は観光名所になっているジンバブエの遺跡グレートジンバブエを紹介しながら、発見当初のヨーロッパ人の反応について次のように語っている。

「アフリカの真ん中の石造りの都市、発見当初、アフリカにも独自の文明が存在したと考えるヨーロッパ人はいませんでした。文明などあるはずがないという偏見がまかり通っていたのです。初期の研究者はこれをアフリカ人以外の人間が造ったものだと主張しました。果てはソロモン王とシバの女王の儀式の場だという説まで飛び出したものです。」(「第1回 最初の光 ナイルの谷」)

グレートジンバブエ(1992年たま撮影)

 しかし、歴史を見る限り古くからヨーロッパ人とアフリカ人の関係は対等で、ルネッサンス期以前のヨーロッパ絵画を解説しながら、デヴィドスンは「人種差別は比較的近代の病」と断言している。

「18世紀、19世紀のヨーロッパ人は祖先の知識を受け継ごうとはしなかったようです。 それ以前のヨーロッパ人は、例えば、西アフリカに中世ヨーロッパにひけをとらない立派な王国がいくつもあることをよく知っていました。しかも、そうした王国を訪れた貿易商人や外交官の報告には、人種的な優越感を臭わせる態度は全く見られません。人種差別というのは、比較的近代の病なのです

この違いを何より語っているのはルネッサンスまでのヨーロッパ絵画です。ここには 黒人と白人が対等に描かれています。非常に未熟な人間という、後の世の言葉を思わせるものはありません。美術の世界だけではありません。中世では広く一般に、黒人は白人と対等に受け入れられていました。例えば、中央ヨーロッパで崇拝されていた聖人聖モーリスは、13世紀に十字軍に加わって殉教した騎士ですが、彼はエジプトの南ヌビアの黒人です。」(「第1回 最初の光 ナイルの谷」)

奴隷貿易

そしてその人種的偏見を生んだ大きな原因の一つとして奴隷貿易をあげ、デヴィドスンは次のように述べている。

「では、黒人に対する白人の人種的偏見はどこから生まれたのでしょう?歴史が示す大きな原因の一つは奴隷貿易です。

かつてヨーロッパ諸国はアフリカ西海岸に堅固な砦を築き、そこを根城に何千万という奴隷の積み出しを競い合いました。大砲は海に向けられていました。アフリカ大陸の内側には彼らの敵はいませんでした。敵は水平線にふいに現われる競争相手の国の船だったのです。

むろん、人種差別や人種的偏見の犠牲者はアフリカ人だけに限りません。しかし私は、アフリカ人はどの人種よりも酷い目に遭って来た、そしてその原因は奴隷貿易という歴史にあったと考えます。情け容赦のない奴隷貿易で、300年もの間、黒人たちは無理やり故郷から引き離され海の彼方の白人社会に送り込まれました。囚われの身となった黒人は一切の人間的権利を奪われました。家畜同然に売買される商品と見なされ、どんな虐待行為も認められていました。

奴隷貿易の出現で、アフリカ社会の秩序は崩壊していきました。損なわれたのはそれだけではありません。黒人と白人の間にあった互いを尊重するという関係も打ち砕かれたのです。

恐怖の奴隷貿易はずーっと昔になくなり、今はアフリカを知る新しい時期に来ています。黒人を劣ったものと見る古い考えは何の根拠もありません。ここで素直な目でアフリカを根本から見直してみる必要があります。そうするとどんな姿が見えて来るでしょうか。近年、考古学の発展で今まで知られていなかった事実が次々と出て来ました。それはここアフリカに彼ら独自の、長い多彩な歴史があったことを示しています。このシリーズではアフリカを一つの舞台と見て、そのダイナミックなドラマを捉えていきたいと思います。」(「第1回 最初の光 ナイルの谷」)

奴隷を運んだ帆船(アメリカ映画「ルーツより」

経済的譲歩

そうした長い歴史的な背景を踏まえ、難しいことは百も承知のうえで、先進国は今までのアフリカについての見方や関係を改め、今まで搾り取って来た富をアフリカに返すべきだと次のように結んでいる。

「援助を待つだけでなく、自力で立ち上がる、どんなにささやかでもこれは今アフリカで一番大事なことです。かつては自給自足し、豊かな生活内容を持っていた人々が飢餓地獄に置かれている。これは一つには自分たちの食料を犠牲にし、輸出用の作物を作っていた植民地時代の延長線上にあるためです。

そしてもう一つ、アフリカ諸国が都市の開発に力を注ぎ、巨大な農村をなおざりにしていることも上げなければなりません。

しかし、これと取り組むには先進国の大きな経済的譲歩が必要でしょう。飢えている国の品を安く買いたたき、自分の製品を高く売りつける、こんな関係が続いている限り、アフリカの苦しみは今後も増すばかりでしょう。アフリカ人が本当に必要としているものは何か、私たちは問い直すことを迫られています・・・。

奴隷貿易時代から植民地時代を通じて、アフリカの富を搾り取って来た先進国は、形こそ違え今もそれを続けています。アフリカに飢えている人がいる今、私は難しいことを承知で、これはもうこの辺で改めるべきだと考えます。今までアフリカから搾り取って来た富、今はそれを返すときに来ているのです。」(「最終回 植民地支配の残したもの」)

アフリカの歴史について英文書を2冊書き、英語などの授業で使って来た。ウェブでも案内をしている。①Africa and Its Descendants 1『アフリカとその末裔たち1』(門土社、1995)(https://kojimakei.jp/tamada/works/africa/africatoday1.doc)、②Africa and Its Descendants 2『アフリカとその末裔たち2:新植民地時代』(門土社、1998)(https://kojimakei.jp/tamada/works/africa/africatoday2.doc)である。 ↓

次回③は、ヨーロッパ人の侵略が始まる前のアフリカについて、である。

(宮崎大学教員)

ビジネス英語 I-2(2)

次回は19日(木=月曜日振替)で、来週16日(月)は授業なし(大学祭後片づけ予定日)です。

11月9日(月)5-6(1:30:-3:00)6回目でした。

<今日>

①口頭発表:林聡一くん、入江くん、小出さん、永吉くん、松浦さん、森本さん

②アウトブレイクセッション:グループ別に発表内容を決め、内容の検討

①それぞれ工夫されていてよかったと思うよ。自分の住んでいた所を他の人に紹介するのを利用して自己アピールの練習をしてもらうとええね。ポイントを押さえてとか、聞いてる人がなるほどと感心する工夫とか、発表では工夫が要るからね。

下関、南島原、佐世保、伊佐、芦屋、宮崎とみんな別々で、大学て感じやなあ。

②グループ発表のアウトブレイクセッションは時間もそうなかったし、来てない人がいるグループもあったし、次回に持ち越し。

小城くんから
1.プレゼンではテーマに対してどのような内容を盛り込むのがよいの
2.プレゼンの構成、全員が発言したほうがよいのか
3.プレゼンの1回当たりの時間
について質問があったけど、みんなにも共通の疑問やと思うんで、次回意見を出し合って確認しよか。

<次回は>

①口頭発表:河野さん、里中くん、染田くん、田中さん、開田さん、足達くん

奥村くん、迫田くんがまだみたいなんで、評価の対象がないと成績つけられへんで、と言っとったて、誰か連絡したってや。

②小城くんの疑問を全員で検討して確認する

③アウトブレイクセッションの続き:グループ発表の日程、検討の続き

*****Zoomトーイック4*****

試験直前Zoomトーイックはきつくて中止にさせてもらったけど、試験が終わってから1月末まで、たぶんZoomトーイック4(7回:Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)くらいでやれたらと思っています。用意出来たら授業でも言うんで、スコアをあげたい、本格的にやってみたいと思う人は、どうぞ。今回参加予定やった人8名にも案内のメールを送るつもりです。メールくれれば招待状を送ります。

*****もうすぐ来年度のカレンダーが出来てきます。

2021年カレンダー表紙絵(今はなき豊島園のメリーゴーランドの犬と猫を乗せて楽しそうな表紙になりました。)

2020年カレンダー表紙絵

来週、また。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)(2020年10月26日現在)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

英語 Ra2(2)

次回は19日(木=月曜日振替)で、来週16日(月)は授業なし(大学祭後片づけ予定日)です。

11月9日(月)3-4(10:30:-12:00)6回目でした。

<今日>

①簡単な英語での解説と残りの映像(ナタールの砂糖黍畑で働く少年)

②「遠い夜明け」(縮刷版)

③映画の感想を何人か

④次回発表者決定:アパルトへイト政権の誕生(山口さん)、アパルトへイト政策(川越くん)、1955年の国民会議(菅付さん)、1960年シャープヴィルの虐殺(角田くん)

<次回>

①発表:アパルトへイト政権の誕生(山口さん)、アパルトへイト政策(川越くん)、1955年の国民会議(菅付さん)、1960年シャープヴィルの虐殺(角田くん)

②映像:アパルトヘイト政権、アフリカ人の抵抗運動

③時間があれば、ジンバブエの話を少々

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2020後地域1資料②.docxと②今回までの歴史のまとめと③「遠い夜明け」の解説

2020後地域1資料②.docx

参考ファイルに2020後地域1資料②を置きました。1,2「遠い夜明け」、3「コシシケレリアフリカ」、4、5ジンバブエの話、6ラ・グーマとミリアムさんの新聞記事、7名誉白人の新聞記事記事です。

今回までの歴史のまとめ

たくさんの人に発表してもらってテキストでも確かめたんで、だいぶはっきりして来たかな。

ヨーロッパ移住者がアフリカ人から土地を奪って課税して安価なアフリカ人労働者の一大搾取機構を打ち立てた・・・辺りまでを年代順に箇条書きにしてまとめておきます。

*1652年にオランダ人が到来
*1795年にイギリス人がケープを占領
*1806年にイギリス人が植民地政府を樹立
*1833年にイギリス人がケープで奴隷を解放
*1835年にボーア人が内陸部に大移動を開始(グレート・トレック)
*1854年頃には海岸線のケープ州とナタール州をイギリス人、内陸部のオレンジ自由州とトランスバール州をオランダ人、で棲み分ける
*南アフリカは戦略上そう重要ではなかった
*金とダイヤモンドの発見で状況が一変、一躍重要に
*1867年キンバリーでダイアモンドを発見
*1886年1ヴィトヴァータースランド(現在のヨハネスブルグ近郊)で金を発見
*1899年金とダイヤモンドの採掘権をめぐって第二次アングロ=ボーア戦争(~1902)
*イギリスの勝利。
*1910年南アフリカ連邦成立(イギリス人統一党とアフリカーナー国民党の連合政権、統一党が与党、国民党が野党)

「遠い夜明け」の解説

冒頭の強制立ち退き

この映画を作ったのは監督のリチャード・アッテンボロー。「ガンジー」や「コーラスライン」で超有名な監督です。「ガンジー」でも暗殺の場面を最初に持ってきました。冒頭に典型的な場面を持って来るのが好きなようです。今回の場合は、スラムの強制立ち退きの話を南アフリカの典型的な場面として衝撃的に持って来ていました。英文テキストの中にも以下の文を紹介しています。日本語訳も貼っておきます。

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The bantustan policy meant that Africans were to be prevented from living permanently in the white areas. Ruthless, forced evictions took place to force ‘surplus labour’ to move from the towns to the bantustans. Crossroads outside Cape Town is only one example of this policy.

バンツースタン政策は、アフリカ人を白人地区で永住させないという意味のものでした。冷酷で、強制的な立ち退きが、「余剰労働力」を町からバンツースタンに強制的に移動させるために強行されました。ケープタウン郊外のクロスローヅはこの政策の一例です。

REFERENCE 3 参照3

We can hear the news of Radio South Africa about the 1978 Crossroads eviction in the following scene of Cry Freedom.
Newscaster: “This is the English language service of Radio South Africa. Here is the news read by Magness Rendle. Police raided Crossroads, an illegal township near Cape Town early this morning after warning this quarter to evacuate this area in the interests of public health. A number of people were found without work permits and many are being sent back to their respective homelands. There was no resistance to the raid and many of the illegals voluntarily presented themselves to the police. The Springbok ended . . .”

米国映画「遠い夜明け」の以下の場面で、1978年のクロスローヅの立ち退きについての南アフリカのラジオニュースが出てきます。
ニュースキャスター:「こちらは南アフリカラジオの英語放送です。
マグネス・レンドルがニュースをお伝えします。公衆衛生の見地から、その地域を空け渡すように勧告を出したあと、今朝早く警察は、ケープタウン郊外の不法居住地区クロスローヅの手入れを敢行しました。多くの人が労働許可証を持たず、それぞれのリザーブに送り返されています。手入れに対して全く抵抗の気配もなく、不法滞在者は自発的に警察署に出頭していました。放送を終わります・・・。」

強制立ち退きのあったところは空港のマークがある道路を挟んだ向かい側にあるCrossroadsというスラムで、冒頭の夜明けのシーンで映っていた山は海側CAPE TOWNの文字の下辺りのTable Mountain、上のケープタウンの写真で見えるtable Mountainは、ロベン島(Robben Island、ソブクエやマンデラが収容されていた監獄のある離れ島、今は観光名所の一つになってるようです。)のある北側からケープタウンを撮したものです。

ビコとドナルドウッズの出会いの場面

いつ見てもかっこいいなあと思います。当時南アフリカではロケ出来なくてジンバブエの首都ハラレで作られたんやけど、ウッヅがビコを訪れた場所には行ったことがあるんで、余計に親しみが持てるんかも。日本語字幕で観てもらったけど、英語字幕で再現しときます。

Cry Freedom_The first meeting

Woods: Steve Biko? Are you Steve Biko?
Biko: l am. l would have met you in the church, but, as you know, l can only be with one person at a time. lf a (third) person comes into the room, even to bring coffee, that (breaks) the (ban)… And the (system) – the police – are just across the road. But, of course, you would (approve) of my (banning).
Woods: No. l think your (ideas) are (dangerous), but, no, l don’t (approve) of (banning).
Biko: A true (liberal).
Woods: lt’s not a title l’m (ashamed) of, though l know you (regard) it with some (contempt).
Biko: l just think that a white (liberal) who (clings) to all the (advantages) of his white world – jobs, housing, education, (Mercedes) – is perhaps not the person best (qualified) to tell blacks how they should (react) to (apartheid).
Woods: l wonder what sort of (liberal) you would make, Mr. Biko, if you were the one who had the job, the house, and the (Mercedes), and the whites lived in (townships).
Biko: lt’s a (charming) idea. lt was good of you to come, Mr. Woods. l wanted to meet you for a long time.

Mercedesはマーサディーズと発音、意味はメルセデス・ベンツ。ドイツ車で金持ちのシンボル。医者ややくざがよう乗ってる車で、医学科の駐車場ではよう見かけるねえ。

ビコ役のデンデル・ワシントンデンデル・ワシントン

ビコと自己意識

今日映画で観たように、ビコは合法的に殺されたけど、それだけ体制に脅威だったということやろな。
裁判の中でビコがEven in this environment we must find a way to develop hope for themselves, to develop for this countryと言ってたけど、ほんとすごいよね。前の方Even in this environment we must find a way to develop hope for themselvesは僕でも言えるので、ま、授業でずっと言い続けて来たつもりやけど、あとの方to develop for this countryは、言えないもんね。この国のやってきたことを考えると、恥ずかしすぎて、国に希望を紡ごうと言う気にならんもんなあ。今日も何度も言ったけど、こう言わないといけないのは悔しいね。
自己意識については、ビコとマルコム・リトルに焦点を当てて書いたことがあります。ビコを引用して書いた部分です。

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白人優位・黒人蔑視

奴隷貿易に始まる西洋諸国の侵略によって、支配する側とされる側の経済的な不均衡が生じましたが、同時に、白人優位・黒人蔑視という副産物が生まれました。支配する側が自らの侵略を正当化するために、懸命の努力をしたからです。支配力が強化され、その格差が大きくなるにつれて、白人優位・黒人蔑視の風潮は強まっていきました。したがって黒人社会は、支配権を白人から奪い返す闘いだけでなく、黒人自身の心の中に巣食った白人優位の考え方を払しょくするという二重の闘いを強いられました。アメリカ映画「遠い夜明け」で広く知られるようになったスティーヴ・ビコは、ある裁判で黒人意識運動の概念について質問されたとき、その「二重の闘い」に言い及んで、次のように述べています。

基本的に「黒人意識」が言っているのは黒人とその社会についてであり、黒人が国内で二つの力に屈していると、私は考えています。まず何よりも黒人は、制度化された政治機構や、何かをしようとすることを制限する様々な法律や、苛酷な労働条件、安い賃金、非常に厳しい生活条件、貧しい教育などの外的な世界に苦しめられています。すべて、黒人には外因的なものです。二番目に、これが最も重要であると考えますが、黒人は心のなかに、自分自身である状態の疎外感を抱いてしまって、自らを否定しています。明らかに、ホワイトという意味をすべて善と結びつける、言い換えれば、黒人は善をホワイトと関連させ、善をホワイトと同一視するからです。すべて生活から生まれたもので、子供の頃から育ったものです。[I Write What I Like (New York: Harper & Row, 1986), p. 100.神野明他訳の日本語訳『俺は書きたいことを書く』(現代企画室、 一九八八年)が出ています]

南アフリカを本当の意味で変革していくためには、先ず何よりも黒人ひとりひとりが、厳しい現状に諦観を抱くことなく、自らの挫折感とたたかい、自分自身の人間性を取り戻すべきだと、ビコは説きました。自己を同定するために自分たちの歴史や文化に誇りを持ち、次の世代に語り伝えようと呼びかけました。そして、経済的な自立のための計画を立てて、実行に移しました。

↑ホームページにはpdfをダウンロード出来るようにしてましたが、今回ブログに書きました。リンクしておきます。→「自己意識と侵略の歴史」

*****Zoomトーイック4*****

試験直前Zoomトーイックはきつくて中止にさせてもらったけど、試験が終わってから1月末まで、たぶんZoomトーイック4(7回:Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)くらいでやれたらと思っています。用意出来たら授業でも言うんで、スコアをあげたい、本格的にやってみたいと思う人は、どうぞ。今回参加予定やった人8名にも案内のメールを送るつもりです。メールくれれば招待状を送ります。

来週、また。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

③1980年の初めにアフリカを見直す動きが出たことについて、少し。戦後80年代の初めまでアメリカが無茶苦茶をしてた時代が中国が力をつけて来たために変化が起きたと関連づけて話をしました。その再評価を映像で残してくれたのがバスル・デヴィドスン。1983年には日本でもNHKで「アフリカ・シリーズ」として放送されました。その映像をいろいろ紹介すると思います。前期もエボラの話で、コンゴの独立やコンゴ危機、レオポルド2世のコンゴ自由国、植民地分割とベルリン会議などを紹介しました。課題図書に入れた『アフリカの過去』と『アフリカ史入門』もついでに少々。そのついでに野間さんの『差別と叛逆の原点』、楠原彰さんの『アパルトヘイトと日本』も。どちらも画像にしてるんで、いつでもどうぞ。

④映像:ダイヤモンドの発見とセシル・ローズ→バンツースタン→カラハリ砂漠に暮らすサン人→ズールー人とズールー戦争→金鉱山(1972年頃と1987年)→ナタールの砂糖黍畑で働く少年

*バンツースタン:アフリカ人からいい土地を奪い、不毛の地をあてがってそれを最初はreserveと呼び、国際的に非難を浴びるとbantustanに呼び方を変え、更に非難が強くなると、今度はhomelandと呼び方を変えて行ったけど、すべて草も生えないような不毛の土地、先に映像を見てもらいました。国連の職員が密かに隠し撮りをしてその映像を反アパルトヘイト運動をしている人たちに配信、僕も大阪のこむらど委員会の下垣さんからビデオテープを送ってもらいました。タイトルはDimbaza(墓場)。今回観てもらったのはその一部です。

「2020後地域1資料② .docx」を参考ファイルに置きました。

1:アフリカ史再考②:『アフリカシリーズ』

2:遠い夜明け、ドナルト・ウッズ、デンゼル・ワシントン

3:コシシケレリアフリカ

4:My stay in Harare, 1992

5:アフリカは遠かった・ジンバブエの旅

6:南アフリカ文学、南ア女性作家

7:名誉白人

<次回は>

①(先に)「遠い夜明け」

②残りの映像

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試験直前Zoomトーイックはきつくて中止にさせてもらったけど、試験が終わってから1月末まで、たぶん7回(Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)くらいでやれたらと思っています。用意出来たら授業でも言うんで、7日の試験でスコアをあげたい、本格的にやってみたいと思う人がいれば、どうぞ。今回参加予定やった人6名にも案内野メールを送るつもりです。メールくれれば招待状を送ります。

カレンダー11月「いちょうと子猫」です。水、木と気温が下がるみたいで、また冬になっていくなあ。宮崎は温かいので銀杏並木のきれいなところが少ないけど、北の寒いところの銀杏並木は迫力ありそうやな。猫は寒がりなんで、こんなのんびりと二匹が銀杏並木の近くに座ってなさそうな気もするけど。それが、絵では可能なんやな。

パリなどでは第二波で大変らしいねえ。全国的にGOTO何とかを使って色々移動してるみたいやね。毎年神武さんに馬を出してる牧場の人が、神武さんはなしですが、シーガイヤの観光用の馬乗り(園内5000円、外乗15000円)がえらい繁盛してて助かってます、と言ってはったね。生協の人は、宮崎から行く人が少なくてフライトの予約などの仕事がほとんどありません、と言ってはったから、都会の人が普段は行けないシーガイヤのような豪華なホテルに押しかけてるみたいやねえ。第二波の事態にならんとええのにね。

来週、また。

続モンド通信・モンド通信

続モンド通信22(2020/9/20)

私の絵画館:「イチョウと子猫」(小島けい)

2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~①:土日の午後は(小島けい)

3 アングロ・サクソン侵略の系譜19:「 アフリカ史再考:①アフリカ史再考のすすめ」(玉田吉行)

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1 私の絵画館:「イチョウと子猫」(小島けい)

 以前、大分県の<九州芸術の杜>で個展をしていた時、猫好きのスタッフの方とお友だちになりました。彼女はかわいい美人さんで、性格もとても優しい方でした。

<九州芸術の杜><ギャラリー夢>

<九州芸術の杜>で2年目の個展の時。<ギャラリー夢>の入口正面に、2枚の猫の絵を飾りました。<蔦とさや>と<梅とぴのこ>です。

ある日、福岡から来られたお客様が、その2枚の絵の前で迷っておられました。そして、どちらを買うか決めかねて、一端そこを離れた時。

彼女は一番気に入っていて自分が買いたい!と思っている<梅とぴのこ>に売約済みの赤い丸のシールをサッと貼りました。

<蔦とさや>

 もどってきたお客様は<そうか・・・、こちらが売約済みならもう一枚の絵にします>と<蔦とさや>の絵を購入されました。

後で彼女から<咄嗟にシールを貼ってしまいました>と聞き、みんなで大笑いしました。それほど気に入ってもらえるなんて!描いた者として、これほど嬉しいことはありませんでした。

<梅とぴのこ>

彼女とは、飼い猫の梅ちゃんで<梅ちゃんと桔梗>という絵を描かせていただいたり、その後も犬(三太の眠り)や花(白木蓮)の絵を購入していただいたりと、ずっと交流が続いています。

<梅ちゃんと桔梗>

(三太の眠り)

(白木蓮)

一昨年、以前の<イチョウと子猫>の絵はまだありますか?と問いあわせがありました。<あの絵は東京の個展でお世話になっている、オーナーさんのご自宅に行きましたよ>とお答えしましたが。

私もとても気に入っている構図でしたので、今一度描いてみようと思い、<イチョウと子猫>の2枚目ができました。

実は、この絵に登場する子猫二匹のうちの左側の子が<幼くして突然逝ってしまったちーちゃんにとても似ている>のだとか。絵をお送りすると。<ちーちゃんがまた帰ってきて、やさしく見守ってくれているような気がします>と、ご夫妻から熱いお手紙が届き、ほっとしました。

<イチョウと子猫>

2010年カレンダー表紙

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2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~①「土日の午後は」(小島けい)

小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~①「土日の午後は」

小島けい

私の絵画館:「続モンド通信22」(2020年9月20日)

元競走馬ツルマル・ツヨシ

小島けいカレンダー2015年8月

今週も土日の午後、私のテレビは競馬中継です。

いつからでしょうか。<馬の姿を見ていたら、もしかして馬の絵が上手になるのでは?!>というアホな思いから、競馬中継を見るようになりました。

その効果のほどはわかりませんが、今ではただ走る姿を見るだけで、心が洗われるような気がします。

たまにですが、騎手の方の落馬があります。あれほど馬のことを知りつくしているはずの人たちでさえ、一瞬で起こりうる。生き物である馬との折り合いの難しさを痛感します。

ツルマル・ツヨシ2016

小島けいカレンダー2017年11月

これまで見てきたなかで、一番感動したレースがあります。何時だったのかも、馬の名前も忘れてしまいましたが。とても大きなレースで、本命はこの馬!と誰もが予想していた馬がいました。

ところが結果は、全く違う馬が優勝しました。そしてこのレースが、その馬の最後のレースでした。<有終の美を飾る>という言葉通りの見事な勝ちっぷりで、多くの人々に感動とどよめきを残して、引きあげていきました。

引退後、この馬がどうしているのか私にはわかりませんが、どこかの牧場でのんびりすごしていてほしい・・・と願わずにはいられません。

無観客競馬となって何ヶ月もたちます。そんな大歓声のない中でも、馬たちは変わらず、今日もひたすら走り続けています。

シンディと梅

小島けいカレンダー2012年2月

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3 アングロ・サクソン侵略の系譜19:

「アフリカ史再考①ーアフリカ史再考のすすめ」

バズル・デヴィドゥスン

「アフリカ史再考」の連載一回目である。

二つの科学研究費(註1)でアフリカのエイズを取り上げ、二つの連載(註2)と、他にもエイズ関連のもの(註3)を書いた。その過程で、ひとつの病気を理解しようとする時には、社会や歴史などのより大きな枠組みの中で病気を包括的に捉える必要があると改めて感じた。
アメリカやヨーロッパ諸国では1995年の後半あたりから、抗HIV製剤が劇的な成果を見せ始め、HIVを抱えたまま生活を維持することが可能になったが、アフリカ諸国では抗HIV製剤だけでは問題の解決は難しい。貧しく惨めな環境で暮さざるを得ない人たちがあまりにも多く、高価な薬にはなかなか手が届かず、手が届いたとしても基本的な生活基盤が変わらない限り、必ずしも効果が望めるとは限らないからである。コロナウィルス(Covid19)で混乱に拍車がかかっている今となっては、尚更である。
基本構造を変えないまま、つまりアフリカ人労働者の賃金を上げられないまま、アパルトヘイト体制から新体制に移行して貧困と闘っていた南アフリカの元大統領ムベキは「私たちの国について色々語られる話を聞いていますと、すべてを一つのウィルスのせいには出来ないように私には思えるのです。健康でも健康を害していても、すべての生きているアフリカ人が、人の体内で色んなふうに互いに作用し合って健康を害するたくさんの敵の餌食になっているようにも私には思えてならないのです。このように考えて、私はありとあらゆる局面で必死に、懸命に戦って、すべての人が健康を維持出来るように人権を守ったり保障したりする必要があるという結論に達したのです。」と世界エイズ会議でもそれまでの主張を繰り返したが、世界のメディアの大半を所有する欧米のメディアはムベキを散々に叩き続けた。しかし、よく耳を傾ければ、ムベキ氏の言ったことは極く当たり前のことである。南アフリカのアフリカ人の安価な労働力にただ乗りして自分たちの生活を享受する欧米人や日本人こそ、無自覚な傲慢さを恥じるべきだろう。
アフリカの貧困も、ここ数百年来の欧米の侵略が大きな原因で、今も「先進国」と「第3世界」の間の経済格差がなくならないのは搾取構造が形を変えて続いているからだ。
「アフリカについて見直す時期に来ています」と呼びかけたバズル・デヴィドゥスンの「アフリカシリーズ」がNHKで放映されたのは1983年だが、アフリカについての報道も極端に少ないままだ。英語や教養科目「アフリカ文化論」「南アフリカ概論」などの授業でアフリカの問題を取り上げて来たが、学生のアフリカについての認識の程度や意識は、あまり変わっていないように感じることが多かった。
自分たちの足下を見直すためにもアフリカ史の再考は必要だと考え、「アフリカシリーズ」を元に「アフリカ史再考」を連載することにした。

デヴィドゥスンは元タイムズ紙のイギリス人記者で、後に歴史家としてたくさんの著書を残している。日本でも『アフリカの過去』(理論社)が翻訳されている。翻訳したのは神戸市外国語大学の教授だった貫名義隆さんで、貫名さんは大学紛争では学生側に立って支援を続けたが、研究室に火炎瓶を投げ込まれ完成原稿を焼かれてしまったと聞く。もう一度同じ歳月をかけて翻訳出版したその書は、貴重な生きた歴史記録である。夜間課程はゼミが一年間しかないので、一年間だけの貫名ゼミ生だったが、授業にも出ず、勉強もしない学生だった。のちに大学の職に就いて、授業で『アフリカの過去』を学生用の課題図書として紹介することになるとは夢にも思わなかった。→「がまぐちの貯金が二円くらいになりました」「ゴンドワナ」3号8-9頁、1986年。

神戸市外国語大学事務局・研究棟(大学ホームページより)

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註1
(平成15年~平成18年)科学研究費補助金「基盤研究(C)(2)」「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが」(課題番号 15520230)と(平成21年~平成23年)科学研究費補助金「基盤研究(C)(2)」「アフリカのエイズ問題改善策:医学と歴史、雑誌と小説から探る包括的アプローチ」(課題番号15520230)
註2
二つの連載は、ケニアの作家ワムグンダ・ゲテリアが書いた『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳[No. 5(2008年12月10日)からNo.34(2011年6月10日)までの30回]と、「『ナイスピープル』を理解するために」[No. 9(2009年4月10日)からNo.47(2012年7月10日)までの27回]である。それぞれブログに一覧表もつけている。→「玉田吉行の『ナイスピープル』」、→「玉田吉行の『ナイスピープル』を理解するために」
包括的に病気を捉える必要性については:→「アフリカのエイズ問題を捉えるには」「モンド通信」(横浜:門土社) No. 15(2009年10月)、ムベキについては:→「エイズと南アフリカ―2000年のダーバン会議」「モンド通信」(横浜:門土社) No. 19(2010年2月)を書いた。

ワムグンダ・ゲテリアが書いた『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』

註3 エイズ関連で他に書いたもの:
「アフリカとエイズ」「ごんどわな」22号(復刊1号)2-14頁、2000年。
「医学生とエイズ:ケニアの小説『ナイス・ピープル』」「ESPの研究と実践」第3号5-17頁、2004年。
「アフリカ文学とエイズ ケニア人の心の襞を映す『ナイス・ピープル』」「mon-monde」創刊 25-31頁、2005年。
「医学生とエイズ:南アフリカとエイズ治療薬」「ESPの研究と実践」第4号61-69頁、2005年。
“Human Sorrow―AIDS Stories Depict An African Crisis"「ESPの研究と実践」第10号12-20頁、2009年。
「タボ・ムベキの伝えたもの:エイズ問題の包括的な捉え方」「ESPの研究と実践」第9号30-39ペイジ、2010年。
「『ニューアフリカン』から学ぶアフリカのエイズ問題」「ESPの研究と実践」第10号25-34ペイジ、2011年

(宮崎大学教員)