南アフリカ概論(火5-6)

11月24日(火)5-6(1:30-3:00)7回目でした。

<今日>は

①「遠い夜明け」最後まで

②映画の感想

③課題と課題図書の解説を繰り返し

④発表:アパルトヘイト政権の誕生のみ(岩崎くん、森林緑地)

アパルトヘイトとアフリカ人の解放闘争について詳しく書かれている野間さんの著書

<次回は>

発表:アパルトヘイト政策(岩崎くん、森林緑地)、1955年のクリップタウンの国民会議(豊崎くん、獣医)、1960年シャープヴィルの虐殺(内田くん、環境ロボ)

②映像(テキストに沿って)、ジンバブエの話の続き

「遠い夜明け」のロケが行なわれたハラレの街中

来週、また。

クラス名簿(Campusmateからダウンロードしました。)

2020年後期 クラス名簿(127名)(2020年11月6日現在、確定名簿)

1 30190238 カイ ヒロト 地域資源創成学部 地域資源創成
甲斐 大翔 2年
2 30190511 ソエジマ ケンゴ 地域資源創成学部 地域資源創成
副島 健吾 2年
3 46190185 サタ カズマ 教育学校小中一貫小主免(数学)
佐田 一真 2年
4 46190765 ノウトミ タカシ 教育学校小中一貫中主免(数学)
納富 崇 2年
5 50180050 イリエ アン 農学部植物生産環境科学科
入江 安 3年
6 50190180 オノ ユウタ 農学部植物生産環境科学科
小野 憂太 2年
7 50190247 コガ キミアキ 農学部植物生産環境科学科
古賀 公章 2年
8 50190357 ノグチ ケイスケ 農学部植物生産環境科学科
野口 圭佑 2年
9 50190388 ヒダ エイジ 農学部植物生産環境科学科
日田 瑛士 2年
10 50200072 ウト リョウタ 農学部植物生産環境科学科
宇都 僚汰 1年
11 51180250 ジゲ マサヒロ 農学部森林緑地環境科学科
地下 昌宏 3年
12 51180310 タカハシ エイコウ 農学部森林緑地環境科学科
高橋 英行 3年
13 51190080 オノダ シン 農学部森林緑地環境科学科
小野田 深 2年
14 51200035 アベ ユウナ 農学部森林緑地環境科学科
阿部 悠南 1年
15 51200071 イワサキ タツヤ 農学部森林緑地環境科学科
岩崎 達哉 1年
16 51200121 オオヤ リュウノスケ 農学部森林緑地環境科学科
大矢 龍ノ介 1年
17 51200288 サクライ ユミ 農学部森林緑地環境科学科
櫻井 宥実 1年
18 51200314 シノハラ コウイチ 農学部森林緑地環境科学科
篠原 弘一 1年
19 51200343 タケウチ マユ 農学部森林緑地環境科学科
竹内 万結 1年
20 51200406 ハマスナ モモカ 農学部森林緑地環境科学科
濱砂 桃果 1年
21 51200420 ハルヤマ サヤカ 農学部森林緑地環境科学科
春山 明香 1年
22 51200468 ホンブ ユウカ 農学部森林緑地環境科学科
本部 結夏 1年
23 51200479 マエダ リナ 農学部森林緑地環境科学科
前田 莉菜 1年
24 52190320 トクナガ シュン (農)応用生物
徳永 駿 2年
25 52200234 カワハラ トモ (農)応用生物
川原 朋 1年
26 53200082 カワシマ ナミキ 農学部海洋生物環境学科
川島 愛生 1年
27 53200097 キグチ キョウカ 農学部海洋生物環境学科
木口 京香 1年
28 53200150 ドトウ スズカ 農学部海洋生物環境学科
土塔 涼華 1年
29 53200181 ニシカワ ソウタロウ 農学部海洋生物環境学科
西川 颯太朗 1年
30 53200291 マツシマ サホ 農学部海洋生物環境学科
松嶋 紗穂 1年
31 53200303 ミヤギ ナオカ 農学部海洋生物環境学科
宮城 尚佳 1年
32 54200304 ササキ コトノ 農学部畜産草地科学科
佐々木 琴乃 1年
33 54200313 ササキ ユウト 農学部畜産草地科学科
佐々木 悠斗 1年
34 54200432 トウダ コスズ 農学部畜産草地科学科
当田 香涼 1年
35 54200467 ナカハラ ナナミ 農学部畜産草地科学科
中原 七海 1年
36 54200526 ミヤモト サクヤ 農学部畜産草地科学科
宮本 咲耶 1年
37 55190136 コンドウ ミズホ (農)獣医
近藤 瑞保 2年
38 55200031 イシダ タケル (農)獣医
石田 岳 1年
39 55200077 オ インジ (農)獣医
呉 仁志 1年
40 55200103 カツヤ ナオ (農)獣医
勝冶 奈央 1年
41 55200112 クマガイ リサ (農)獣医
熊谷 りさ 1年
42 55200127 サトウ ノブ (農)獣医
佐藤 暢 1年
43 55200130 ジュウバシ アカリ (農)獣医
重橋 あかり 1年
44 55200141 シラハマ リョウ (農)獣医
白濱 遼 1年
45 55200217 トヨサキ ユウスケ (農)獣医
豊﨑 祐介 1年
46 55200222 ニシオ ユウト (農)獣医
西尾 勇人 1年
47 55200301 マツモト マサト (農)獣医
松本 真和 1年
48 55200325 ヤマウチ ヒカル (農)獣医
山内 光 1年
49 61190409 ナガヤマ オウスケ 工学部環境応用化学科
永山 欧佑 2年
50 61190485 フクモト ケンタ 工学部環境応用化学科
福元 健太 2年
51 61200067 イノウエ マイカ 工学部環境応用化学科
井上 舞香 1年
52 61200128 オノダ イツセイ 工学部環境応用化学科
小野田 一成 1年
53 61200285 ツチヤ シユウト 工学部環境応用化学科
土谷 修史 1年
54 61200340 ナカタ ミサト 工学部環境応用化学科
中田 三智 1年
55 61200465 ヒカリ リヨウタロウ 工学部環境応用化学科
光 遼太朗 1年
56 61200562 ヤノ カイリ 工学部環境応用化学科
矢野 海竜 1年
57 62190033 イソ ユウキ 工学部社会環境システム工学科
磯 祐有樹 2年
58 62190079 カケハシ カズマ 工学部社会環境システム工学科
桟 一馬 2年
59 62190404 ヒグチ コウダイ 工学部社会環境システム工学科
樋口 公大 2年
60 62200228 クラヤマ チホ 工学部社会環境システム工学科
倉山 千穂 1年
61 62200280 ツキアシ メイ 工学部社会環境システム工学科
月足 天衣 1年
62 62200543 ヤマダ シヨウケン 工学部社会環境システム工学科
山田 尚賢 1年
63 63190072 ウオズミ リュウタロウ 工学部環境ロボティクス学科
魚住 龍太郎 2年
64 63190146 キムラ トモカ 工学部環境ロボティクス学科
木村 友佳 2年
65 63200076 ウチダ ユウイチロウ 工学部環境ロボティクス学科
内田 裕一朗 1年
66 63200234 コガ リヨウタ 工学部環境ロボティクス学科
古賀 亮多 1年
67 63200245 スモト ユウタ 工学部環境ロボティクス学科
須本 雄太 1年
68 63200319 ナカシマ リク 工学部環境ロボティクス学科
中島 陸 1年
69 63200324 ニシカワ テル 工学部環境ロボティクス学科
西川 輝 1年
70 63200355 フジノ ユウタロウ 工学部環境ロボティクス学科
藤野 祐太朗 1年
71 63200410 ムラカミ ユウタ 工学部環境ロボティクス学科
村上 裕太 1年
72 63200449 モリミツ ユウマ 工学部環境ロボティクス学科
盛滿 優雅 1年
73 64180340 ナガミネ ダイゴ 工学部機械設計システム工学科
長峯 大護 3年
74 64190024 アライ キイチロウ 工学部機械設計システム工学科
荒井 貴一郎 2年
75 64190123 オゴシ ケイタロウ 工学部機械設計システム工学科
生越 奎太朗 2年
76 64190321 タケダ レン 工学部機械設計システム工学科
竹田 蓮 2年
77 64190334 ツカモト シュンキ 工学部機械設計システム工学科
塚本 駿希 2年
78 64190370 ニシ ユウマ 工学部機械設計システム工学科
西 佑真 2年
79 64190383 ヌキ タツノリ 工学部機械設計システム工学科
貫 辰徳 2年
80 64190408 ハマサキ カイヘイ 工学部機械設計システム工学科
浜崎 海平 2年
81 64190435 フナコシ リヨウタ 工学部機械設計システム工学科
舩越 涼太 2年
82 64190460 マツオ リオ 工学部機械設計システム工学科
松尾 理央 2年
83 64190567 ワタナベ ユウマ 工学部機械設計システム工学科
渡邊 悠馬 2年
84 64200095 オオハシ リヨウタロウ 工学部機械設計システム工学科
大橋 遼太郎 1年
85 64200158 カイ タクミ 工学部機械設計システム工学科
甲斐 拓海 1年
86 64200165 カイ ワタル 工学部機械設計システム工学科
甲斐 渉 1年
87 64200222 カミヤ ヒョウ 工学部機械設計システム工学科
神谷 彪 1年
88 64200260 コウ ケイイチロウ 工学部機械設計システム工学科
高 敬一郎 1年
89 64200356 ニシダ ツバサ 工学部機械設計システム工学科
西田 大翼 1年
90 65160230 セキヤ ブンタ 工学部電子物理工学科
関谷 文太 4年
91 65180380 ハヤシダ コウヘイ 工学部電子物理工学科
林田 滉平 3年
92 65190502 ムラカミ タツヤ 工学部電子物理工学科
村上 達也 2年
93 65200010 イワシタ タイセイ 工学部電子物理工学科
岩下 大晟 1年
94 65200038 ウラノ ショウタ 工学部電子物理工学科
浦野 翔大 1年
95 65200063 オオクボ アツヒロ 工学部電子物理工学科
大久保 敦広 1年
96 65200137 カドヤ コウスケ 工学部電子物理工学科
角谷 昂亮 1年
97 65200162 キヨタケ リクウ 工学部電子物理工学科
清武 陸空 1年
98 65200186 クロギ アヤミ 工学部電子物理工学科
黒木 彩心 1年
99 65200205 コジマ シユンスケ 工学部電子物理工学科
児島 俊介 1年
100 65200346 ツダ モモハ 工学部電子物理工学科
津田 桃華 1年
101 65200353 ナカジマ カイヤ 工学部電子物理工学科
中島 魁耶 1年
102 65200371 ナガタ ジユンペイ 工学部電子物理工学科
永田 惇平 1年
103 65200506 ヤマモト コウヘイ 工学部電子物理工学科
山元 康平 1年
104 66190031 アラカキ ユウト 工学部電気システム工学科
新垣 裕都 2年
105 66190059 イケハタ ユタカ 工学部電気システム工学科
池畑 勇威 2年
106 66190127 オオタニ ソラ 工学部電気システム工学科
大谷 宙 2年
107 66190194 キダ ゲンキ 工学部電気システム工学科
木田 元気 2年
108 66200084 カジタニ レイ 工学部電気システム工学科
梶谷 伶 1年
109 66200099 カヤシマ ヨシヒロ 工学部電気システム工学科
茅嶋 義博 1年
110 66200134 シイハラ ヨウ 工学部電気システム工学科
椎原 陽 1年
111 66200239 ナガノ リユウマ 工学部電気システム工学科
永野 流磨 1年
112 66200406 マツモト ユウヤ 工学部電気システム工学科
松本 佑哉 1年
113 66200468 ヤマグチ ケンシロウ 工学部電気システム工学科
山口 謙志朗 1年
114 66200479 ヤマグチ ヒロト 工学部電気システム工学科
山口 寛人 1年
115 66200482 ヤマダ タイガ 工学部電気システム工学科
山田 大雅 1年
116 67190113 カワムラ コウキ 工学部情報システム工学科
河村 航希 2年
117 67190128 キサカ リヨウタ 工学部情報システム工学科
喜坂 僚太 2年
118 67190166 サイトウ コウキ 工学部情報システム工学科
斉藤 功樹 2年
119 67190261 タニアイ コウセイ 工学部情報システム工学科
谷合 晃誠 2年
120 67200146 オシカワ リヨウ 工学部情報システム工学科
押川 陵 1年
121 67200315 タカサキ クウガ 工学部情報システム工学科
高崎 球宇我 1年
122 67200379 ナガイ マミ 工学部情報システム工学科
永井 真美 1年
123 67200434 ホマン コウダイ 工学部情報システム工学科
穂満 晃大 1年
124 67200470 ヤノ コウセイ 工学部情報システム工学科
矢野 晃成 1年
125 67200483 ヤベ ミズノ 工学部情報システム工学科
矢部 瑞乃 1年
126 67200513 ヤマモト ユウヤ 工学部情報システム工学科
山本 裕也 1年
127 67200542 ワタナベ ケイスケ 工学部情報システム工学科
渡部 敬恭 1年

英語 Ta2(8)

11月24日(火)3-4(10:30:-12:00)7回目でした。

<今日>

①エボラとコンゴのまとめを英語で。内容は前回書いたブログを見ながら英語で。↓

奴隷貿易で蓄積された資本で産業革命(Industrial Revolution by capital accumulated through the slave trade)→ヨーロッパの産業化(Industrialization in Europe)→植民地争奪戦(Scramble for Africa)→世界大戦の回避のためにベルリン会議・植民地分割(Berlin Conference and the Division of Africa to avoid world wars)→二度の世界大戦(two world wars)→第三世界の独立(Independence of the Third World)→最初は押さえ込みにかかるも戦略を変更(Strategic change from suppressing colonies at first)、独立の過程を邪魔して後に軍事政権を樹立して間接支配(At first interrupting the independence process, later setting up and controlling military puppet regime)、この過程にアメリカが介入(American interfering with this process )、今日話をした辺りについては、書いてまとめたのがあります。配れなかった資料を末尾に添付しときます。エボラとコンゴをやった今なら読めばわかると思うけど。→Zaire’s turmoil(英語と日本語訳、長~いけどね)

②映像:コンゴの独立・コンゴ危機→ベルリン会議・植民地分割・強制労働・ヨーロッパ世論・アンゴラの綿花栽培→ウガンダの水→エチオピアの旱魃・飢餓(BBCも)ウガンダの水に関連してガーナの初代首相エンクルマの伝記『アフリカは統一する』で書かれている田舎の水の話→エンクルマの伝記(日本語とリンク)

クワメ・エンクルマ(小島けい画)

<次回は>

①映像:単一作物を押しつけられたガーナのローリングスとタンザニアのニエレレの言い分

 

ニエレレ

②映像:ライブエイドの音楽

③トーイックPart 1(残り)、Part 5 (Reading)→Zoomトーイック3_R_P5解説_文法.zipを置いてるんで自分で予めやって来るとわかりやすいと思います。問題は資料①の中にもあるよ。

④時間があれば、アフリカの曲とアフリカシリーズ冒頭

来週、また。

Zaire’s turmoil

Africa and its Descendants 2―Neo-colonial Stage (『アフリカ、その末裔たち 2  新植民地時代』)written by Tamada Yoshiyuki Edited by William Nikolai (Yokohama: Mondo Books, 1998)

Chapter 3  Contemporary issues:  第3章  今日的諸問題

Zaire’s turmoil 2 ザイールの苦難

The 1995 Ebola virus outbreak put Zaire into the world spotlight again. Reuters reported from Kinshasa (May 16, 1995):

1995年のエボラウイルスの発生によって、再び世界中がザイールに目を向けるようになりました。1995年5月16日、キンシャサからロイター通信が報じています。

The Ebola virus outbreak in Zaire has refocused attention on the vast nation of 40 million people in the heart of Africa that has lurched from one crisis to another since independence from Belgium in 1963 (sic).

The virus, for which there is no known cure or vaccine, has killed at least 64 people.

Many Zaireans are openly angry at the government of President Mobutu Sese Seko, who has ruled unchallenged for most of the past 30 years and, according to critics, salted a way a personal fortune estimated in billions of dollars.

ザイールでエボラウイルスが発生したために、1963年(原文のまま)のベルギーからの独立以来次々と起こる危機に揺れ動くアフリカの中心部にある四千万人の広大な国に再び世界の注意が向けられました。

治療法もワクチンも知られていないため、そのウイルスによって少なくとも64人の死者が出ました。多くのザイール人がモブツ・セセ・セコ大統領の政府に公然と腹を立てています。批評家によると彼は、過去30年間(の大半を、誰の挑戦も受けずに継続的に支配し、推計で数十億ドルもの個人の資産を貯め込んだと言われています。

Two years later in May, 1997, Mobutu fled Kinshasa to Morocco and Laurent   Kabila and his rebels proclaimed victory in a seven-month civil war. The victory was cheered by Zaireans tired of the corruption and economic stagnation, and internationally accepted. Kabila renamed Zaire the Democratic Republic of the Congo and began to take office as head of the state, promising to hold elections in April 1999 and to bury the legacy of ousted Mobutu Sese Seko.

2年後の1997年5月に、モブツはキンシャサを追われ、モロッコへ逃亡しました。ローラン・カビラとカビラを支持する反体制勢力は7ヶ月の内戦における勝利を宣言しました。勝利は、腐敗や経済不況にうんざりしていたザイール人に歓迎され、国際的にも受け入れられました。カビラはザイールをコンゴ民主主義共和国と改名し、国の首長として指揮をとり始め、1999年4月に選挙を実施し、排除したモブツ・セセ・セコの負の遺産を葬り去ることを約束しました。

Joseph-Desire Mobutu was born as the son of a hotel cook and grew up in a poor village on the northernmost stretch of the River Congo. He belonged to a minority ethnic group. After a mission school education, he was by turns a soldier and a journalist and worked for a while in Belgium. As independence approached, he approached the colonialists. In June 1960, he became a government minister under Patrice Lumumba. Within months of independence he was at the forefront of an army coup and soon became commander-in-chief.

ジョセフ・デザイヤー・モブツはホテルの料理人の息子として生まれて、コンゴ川流域の最北の貧しい村で育ちました。彼は少数民族に属していました。ミッションスクールを出た後、兵士やジャーナリストをやり、しばらくの間はベルギーで働きました。独立が近づくにつれ、彼は植民地主義者に接近しました。1960年6月に、彼はパトリス・ルムンバの下で政府の閣僚の一人になりました。独立して数ヶ月以内に、彼は軍隊のクーデターの最前線にいて、間もなく最高司令官になりました。

The CIA plotted with Mobutu to eliminate Lumumba, whom Washington misread as pro-Soviet, giving Mobutu $1 million to buy the loyalty of his troops. Lumumba was deposed in August, 1960 and killed by soldiers six months later.

CIAとモブツは、ワシントンがルムンバを親ソ連派だと読み間違えたのですが、ルムンバの失脚を画策し、モブツに100万ドルを渡してモブツ軍を買収しました。ルムンバは1960年8月に退位させられ、その66ヵ月後に兵士によって殺されました。

After U.N. peacekeepers left in 1964, rebels set up an alternative government and soon controlled two-third of the country. Mobutu expelled, imprisoned, and executed his political opponents and rivals, then the U.S. endorsed his 1965 coup. He ended civilian rule and started a nearly 32-year reign over the country with more than 250 ethnic groups scattered over an area equivalent to most of Western Europe.

1964年、国連の平和維持部隊が去った後、反体制派は暫定政府を設立し、すぐに国の3分の2を支配しました。モブツは政敵やライバルを追放し、投獄し、処刑しました。その後、アメリカは1965年のクーデターを支援しました。民政を終わらせ、ほぼ西ヨーロッパと同じ広さに散らばる250を超える民族集団を持つこの国のほぼ32年間にわたる支配を始めました。

He declared his Popular Revolutionary Movement the sole legal party in 1967 and went on to remake the country. He called it Zaire and renamed Josef-Desire into Mobutu Sese Seko Kuku Ngebendu wa za Banga, “the all-powerful warrior who because of his endurance and inflexible will to win  sweeps from conquest leaving fire in his wake.”He was routinely elected by 98 per cent of the country and his critics were either bribed, driven abroad or imprisoned. He enforced his rule with imprisonment, torture and murder.

モブツは1967年に、自身の国民革命運動が唯一の合法的な党であると宣言し、国の再建を続けました。モブツは国をザイールと呼び、ジョセフ・ディザイヤーを、モブツ・セセ・セコ・クク・ゲ・ベンドゥ・ワ・ザ・ベンガ、「忍耐と勝利への不屈の意志故に、征服地を颯爽と突き進み、通り過ぎた跡に火を残して行く全知全能の戦士」と改名しました。国民の98%から慣例的に選ばれ、批判する者は買収されるか、国外に追放されるか、投獄されました。投獄と拷問と殺人を武器に支配を強行しました。

Little or nothing was spent on maintaining ports, roads, railways, riverboats, schools, hospitals and mines while millions of dollars were spent  transforming his native village into a city. Today the roads in much of the country are so inadequate that the simplest journey can take days.

彼の生まれた村を都市に変えるために数百万ドルが費やされましたが、港、道路、鉄道、汽船、学校、病院および鉱山を維持するためにはほとんど何も費やされませんでした。今日、国のほとんどの道路はひどい状態なので、簡単な旅をするのにも日にちがかかります。

We are taught how most Zaireans were forced to suffer under Mobutu’s regime by a memoir by an American who applied to become a Peace Corps volunteer in 1984 and spent two years in rural Zaire. His article in the Washington Post, included in the Daily Yomiuri (June 6, 1997) shows us his nightmarish experience in the country:

私たちはほとんどのザイール人がモブツ政権下でどのように苦しみを強いられたかを、1984年に海外協力隊に応募して、二年間ザイールの田舎で過ごしたアメリカ人の伝記によって知ることが出来ます。[デイリー・ヨミウリ(1997年6月6日)]に載ったワシントンポストの記事は、その国での悪夢のような体験が記されています。

For two years I was a volunteer in the Kasai region of central Zaire, amid mud huts and barefoot people and poverty as heartbreaking as any on the planet…

二年間、私はザイール中部のカサイ地区でヴォランティアをしました、この地球上の他のどの地域よりも痛ましい、土の小屋と裸足と貧困のまっただ中で・・・

I saw with my own eyes, in the late 20th century, people forced into slavery at gunpoint, compelled to grow cotton to fill the coffers of now deposed dictator Mobutu Sese Seko….

20世紀の後半に、人々が銃に脅されて奴隷のように、綿摘みを強要され、今は失脚しているモブツ・セセ・セコの金庫を一杯にするのを、私はこの目で見ました。

My job in Zaire was to help children stricken by protein deprivation…. I built village fish ponds, bringing supplemental nutrition to rural communities so poor that a single aspirin taxed family budgets. But my work was purely symbolic. The poverty was too profound, too widespread, too deep-and the American aid dismissively small. I helped a few individual families….

ザイールでの私の仕事はたんぱく質の欠如によって病気にかかった子供たちを助けることでした。・・・村の養魚池を作って、田舎の地域に栄養補給をすることでしたが、田舎の地域は貧しくてアスピリンの一錠が家計を圧迫する惨状でした。しかし、私の仕事はまったく象徴的なものでした。貧困はあまりにも深く、広範で深刻すぎました。そしてアメリカの援助はあまりにも小さすぎました。私はそれぞれ何軒かの家族の手助けをしました。

God (or his absence) is in the details. Details like the sobbing faces of village people who came to my house looking for help with their rotting teeth. Even by African standards, medical care in Zaire has been appallingly bad, almost nonexistent. Medicines donated by the United States and other Western countries were routinely hijacked by Mobutu’s forces and resold on the black market at prohibitive prices. Even when aid reached targeted groups there were no guarantees. I once saw an overweighed Zairean soldier – clad in a mismatch of French and American military clothing – take a cup of UNICEF rehydration formula from the hand of a girl suffering from diarrhea and drink it himself….

神(あるいは神の不在)は細部に潜んでいます。腐りかけの歯を何とかしてもらうために私の家に来た村の人々の泣きじゃくる顔のような細部にです。アフリカの基準から言っても、ザイールの医療は驚くほど酷く、ほとんど存在しません。アメリカや他の西側諸国によって寄贈された薬は、モブツ軍によって慣例的に強奪され、法外な価格で闇市場に転売されました。目的の場所に援助物資が届いた時でさえ、保証はありませんでした。私は、以前不釣り合いなフランスとアメリカの軍服を着た兵士が、ユニセフが配給した粉ミルクを溶いてこしらえた飲み物を下痢で苦しむ少女の手から取り上げて、自分で飲んでしまう光景を目の当たりにしました。

In my tiny village, when people were ill, I gave what little I had: aspirin, malaria pills, bandages. And when they came with aching teeth, I gave them what they asked for: gasoline. I’d pour a half-inch shot from my motorcycle carburetor and then watch the 70-year-old woman or 15-year-old boy put the gas to their lips, pour it in and swish it around. By the grim standards of Zaire, this constituted dentistry. A little gas this way, according to the locals, helped kill the infection and reduce the pain. The idea repulsed me, but people kept coming and coming to me -some walking tens of miles, crying, begging, mouths swollen. So I became a tooth doctor. It was better than nothing, I suppose….

私のいた小さな村で、人々が病気になった時、私は持っていたアスピリン、マラリア用の錠剤、包帯などどんな僅かなものでも与えました。また、村人たちが歯痛のため私の所へ来た時には、求められたガソリンをその人たちに与えました。私は、オートバイのキャブレターから半インチのガソリンを注ぎました、そして70歳の女性と15歳の男の子がガソリンを唇にたらし、そのガソリンを口に含んで、シュシュと音を立てるのを見ました。ザイールの容赦のない基準では、これが歯の治療だったのです。地元の人々によると、このように使う僅かなガソリンは感染を防ぎ、痛みを和らげる手助けをするということでした。私はその考えに拒絶反応を見せました。しかし、人々は私の所へ来続けました。口を腫らして、泣きながら、頼むから何とかしてくれと言って、数十マイルも歩いてくる人もいました。だから私は歯医者になりました。何もないよりはいいと思ったのです。

In central Zaire where I lived, it was particularly important for villagers to stay healthy so they could meet the government’s demand for conscripted labor. Every adult male, already struggling to cultivate enough food for his family, was required to plant roughly half an acre of cotton and sell it to the government. Those who wouldn’t or couldn’t plant cotton risked severe fines and savage rifle-butt beatings from soldiers sent out to enforce the rules. It was a system transplanted wholesale from the Belgian colonial days. A Mobutu-controlled monopoly set cotton prices at artificially low levels, then routinely rigged the scales at purchase time to cheat villagers again. I know all this, because in my village the cotton sales were held in my front yard. I watched it all including the myriad beatings, from my doorstep…

私が住んでいたザイール中部では、政府が求める強制労働の要求を満たせるように、村人は健康でいることが特に重要でした。家族の十分な食料を得るために耕すの為に既に充分苦労していたすべての成人男性は、綿をおよそ半エーカー植え、その綿を政府に売るように要求されました。綿を植えない人、または植えられない人々には厳しい罰金や、凶暴なライフル銃の銃身で規則を守らせるために派遣された兵士から鞭打ちの刑を受ける危険がありました。それはベルギーによる植民地時代からそっくり受け継がれた体制だったのです。モブツは独占的に綿の価格を不自然なまでに低い基準に規制し、買い取る際にいつものように目盛りをわざと不正に操作し、村人を再び騙しました。私の村で、綿販売は私の前庭で行われていましたので、ことの子細をすべて知っています。私は無数の鞭打ちを含め、すべてを戸口から見たのです。

All this was made possible by U.S. and European support. In 1977, 1978 and 1984, the United States and France, directly or indirectly, helped rescue Mobutu’s regime from reformist uprisings similar to the one that finally toppled his government. Throughout the 1980s, the United States continued to provide military and economic support to the Mobutu regime, despite solid reports of corruption and gross human rights abuses. Mobutu made the best use of the Cold War, and extracted the maximum of aid from the neo-colonialists. In exchange he kept the Russians and the Cubans out, maintained a certain stability in his domain and produced minerals for the factories of the West.

これはすべてアメリカとヨーロッパの支援によって可能になりました。1977年、1978年および1984年にはアメリカおよびフランスが直接あるいは間接的に、最後にモブツ政府を倒した人たちに似た改革派による暴動からモブツ政権を救う手助けをしました。1980年代の間じゅう、アメリカは、腐敗や夥しい人権侵害についての信頼し得る報告書を入手していたにもかかわらず、モブツの政権に軍事援助と経済援助をし続けました。モブツは冷戦を最大限に利用し、新植民地主義者から最大の援助を引き出しました。見返りとして、モブツは、ロシア人とキューバ人を中に入れず、領土内の安定をしっかりと維持し、西洋の工場向けの鉱物を生産しました。

At the end of the Cold War his personal fortune and national debt reached $6 billion.

冷戦の終わりには、モブツの個人資産と国債が共に60億ドルに達しました。

As foreign pressure grew to stamp out corruption and human rights abuses, his grip on internal politics weakened. He bowed to foreign and domestic pressure for democratic reform in 1990. The 1994 Rwanda genocide, however, gave him a new lease of life, for the West needed him once again. On October 18, 1996, a revolt broke out in the eastern region. The Rwandan-backed rebels led by Kabila and the Alliance of Democratic Forces for the Liberation of Congo-Zaire routed Zaire’s poorly trained and demoralized army, capturing the major eastern border towns of Goma and Bulavu.

外圧によって腐敗や人権侵害が閉め出されるようになるにつれて、国内政治への支配力は弱まりました。モブツは1990年に民主主義的な改革にむけての内外の圧力に屈服しました。しかしながら、1994年のルワンダの大量虐殺でモブツはまた生き延びました。というのも、西洋がモブツをもう一度必要としたからです。1996年10月18日に反乱は東部地域で発生しました。カビラに導かれたルワンダ人の支持する反乱軍、およびコンゴ・ザイール解放民主勢力連合は、あまり訓練されずに士気のあがらないザイール軍を敗走させ、ゴマとブラブなど、東部の境界周辺の主要な町を占領しました。

Bill Clinton conveyed to Mobutu what Ronald Regan made clear to Ferdinand Marcos in the Philippines in 1986 – that there should be a peaceful transition to a new government. On May 17 rebel forces marched into the capital, and two days later Kabila swore the oath as the president of the Democratic Republic of Congo. In an address to the nation, he made clear he would bring democratic change to former Zaire.

ビル・クリントンはモブツに、ロナルド・レーガンが1986年にフィリピンでフェルディナンド・マルコスに明言したこと、つまり武力を行使しない形で平和裡に政権移譲を行なうべきだと伝えました。5月17日、反体制軍は首都に行進し、2日後に、カビラはコンゴ民主共和国の大統領として宣誓しました。国民への演説の中で、カビラははっきりと以前のザイールに民主主義な変化をもたらすと言いました。

Laurent Kabila, 56, somehow escaped death in murderous years of Mobutu’s rule, and vanished into the forests of the province of Kivu and its confines along the Rift Valley and its lakes; the few who went to look for him had little to tell. He had been involved in minor rebellions in Zaire since the 1960s, and longed to unseat Mobutu. In the current rebellion, he served first as a spokesman for the rebels, then was pushed to the front as their leader in October, 1996, perhaps because as a member of Zaire’s Luba people, he would appear to be a neutral party in Hutu-Tutsi conflicts. Now he is present again, and this time as the man to steer the vast country into peaceful waters. It is said that he sometimes said he would be president, but only for a short time and only if the people want him.

ローラン・カビラ(56歳)は、モブツの支配した残酷な時代に、辛うじて死をまぬがれ、キブ州とリフト渓谷沿いの境界線地区と湖畔地区の深い森の中に逃げ込みました。カビラを探した人もいましたが、その人たちからは何の情報も聞かれませんでした。カビラは1960年代からずっと小規模な反乱に参加しており、モブツの追放を切望していました。今回の反乱で初めて反体制の代表者を務め、1996年10月に、その人たちの指導者として前面に推されました。それはカビラがザイールのルバ人の一員として、フツ人とツチ人の間の紛争で、恐らく中立の立場にいる人に見えたからでしょう。今、カビラは再び姿を現わしました。そして、今回はこの広大な国を平和な流れに導く舵取りとして出現したのです。カビラは「人々が自分を求め、短期間である場合に限り、大統領になる」と言うこともあったと報じられています。

Kabila was internationally recognized, but many critics raise the questions of his leadership because of his own weak political base. Some observers think he still has no strategy for the future of Zaire. The United States and some Europeans have been demanding early elections. Julius Nyerere, former president of Tanzania, raises his strong opposition against this attitude (“Pushing Kabila on early election unrealistic" Cf. Chapter One, Section 5):

カビラは国際的に認められていますが、その弱い政治基盤のために、指導力に問題があると批評する人もたくさんいます。まだザイールの将来に対する戦略を持っていないのではないかと考える批評家もいます。アメリカとヨーロッパ諸国は、早期の選挙を要求しています。タンザニアの元大統領ジュリアス・ニエーレレは、早急に選挙をするように圧力をかけることに対して、強く反対しています。(「カビラに早期選挙を強いるのは非現実的」第1章の(5)を参照)

This demand for elections is wrong. People who want to see a democratic process in Zaire should not push Kabila. The country has been devastated and must be built up again from scratch. He has to start over completely. This will take time, just as it has taken time for President Musenveni of neighboring Uganda to recover all these years later from the ruinous legacy of Idi Amin.

この早期選挙の要求は間違っています。民主主義への推移を望むザイールの人々はカビラに無理強いをすべきではありません。国は荒廃し続けており、零から国を再建しなければなりません。つまり、カビラは完全にやり直さなければならないのです。これには、隣国ウガンダのムセンヴェ二大統領が、イディ・アミンが残した壊滅状態から回復するために長い年月を要したように、かなりの時間がかかるでしょう。

Musenveni, who has yet to hold elections after several years in power, may not be a bad example for Kabila. Musenveni has said that 'priority number one’ for Uganda is rehabilitating the country, not multiparty democracy. If Kabila were to say the same thing, I for one would support him. . . .

数年の間政権にいたのちに、選挙をする予定のムセンヴェ二も、カビラにとって悪い手本ではないかもしれません。ムセンヴェニは、ウガンダのために一番に優先すべきは複数政党制の民主主義ではなく、国を修復することであると言いました。もしカビラが同じようなことを言うなら、少なくとも私自身はカビラを支援したいと思います。

If early elections are held, as the United States wants, the parties with money, the parties of Mobutism, will win. So we should forget this nonsense.

もしアメリカが望むように早急な選挙が行われたなら、財力のある党や、モブツを支持する組織が勝つでしょう。だから、私たちは早期選挙などと言う愚挙は考えない方がいいのです。

All of us now in the region are interested in human rights and accountability. None of us, however, naively believe that unprepared elections will somehow accomplish this.

現在、この辺りでは誰もが、人権と説明責任に関心があります。しかしながら、周到な準備もしないで選挙をして、ことが達成すると単純に信じている者などはいません。

He criticized neo-colonial policies which have supported Mobutu:

ニエーレレはモブツを支えてきた新植民地主義政治を批判しています。

Frankly, the United States and Europe should have a little humility. They are not morally qualified to demand of Kabila that he hold elections within months when, for 35 years, they coddled and protected that despot in a tiger-skin cap. Without them, Mobutu would have gone long ago. He was virtually finished politically by 1994, when certain European powers revived him once again for the purpose of protecting their interests in the Great Lakes area, particularly after the Hutus were driven from power in Rwanda.

率直に言えば、アメリカとヨーロッパ諸国は少しは恥というものを知るべきでしょう。過去35年間も虎皮の帽子を被った暴君を甘やかし、支え続けた奴らに、数ヶ月以内に選挙をしろとカビラに要求する道義上の資格などありません。奴らがいなければ、モブツはとっくにいなくなっていたでしょうから。カビラは実質的には1994年までに、政治的には終わっていましたが、特にフツ人がルワンダの政権から追われた後、あるヨーロッパ勢力がタンガニーカ湖周辺の利益を保護する目的で、再びモブツを復活させました。

He adds some advice, both to Kabila and to us:

ニエーレレは、カビラと私たちにいくつかの助言をしています。

If we want to help, we should assist Kabila in establishing basic political structures in the country, including a transitional government and a new constitution, before even thinking about elections.

もし私たちが援助したいなら、選挙について考える前に、暫定政府と新憲  法を含む国の基本的な政治構造を設立していく中でカビラを援助するべきです。

To start with, Kabila has to organize his own political base. What has happened? He has not so much organized a take-over of power as he has been sucked into a power vacuum. He can’t just suddenly have elections. His own group has no money, but others have money, including the scores of political parties already in existence, all of which were organized and funded by Mobutu. . . .

まず第一に、カビラは彼独自の政治基盤を形成しなければなりません。事態はどうなっているのか。権力構造の真空状態に吸い込まれてしまっているので、カビラは組織としての権力の引き継ぎをうまく行なっていません。ですから、早急な選挙は出来ないのです。自分たちの取り巻きに金はありませんが、金のあるグループもありません。既存の多数の政党も含め、そのすべてはモブツが組織し、資金を出したのです。

Basil Davidson regards Zaire’s current turmoil as an invitation to an African solution. He points out that the Belgian colonial power dispossessed the peoples not only of their land and its wealth, but also of their self-esteem and self-responsibility; all power of decision passed into European hands. This dispossession brought disaster. The decolonization of 1960 was supposed to reverse this dispossession, but what happened was that dictatorial structures of government passed into the hands of local agents of foreign interests. This independence was a fake. Over the past ten years or so, widely in Africa, we have seen the rise of a real opposition to this fake independence. This indicates a movement for genuine democracy, i.e., a shift away from centralized government and bureaucracy in favor of local and direct forms of self-administration. Davidson regards Zaire’s case as an example:

バズル・デビッドソンはザイールの今の混乱を、アフリカの問題解決へつながるものとみなしています。デビッドソンはベルギーの植民地勢力がその土地の人々を追い出し、その富を奪うだけでなく、自尊心と自己責任なども侵害したと指摘しています。すなわち、すべての意思決定の力がヨーロッパ人の手に渡ってしまったのです。この意思決定の剥奪が大惨事をもたらすことになりました。1960年の独立で、この意思決定の剥奪を取り戻す予定でしたが、政府の支配構造が外国の利益を優先するアフリカ人職員の手に渡っただけでした。独立はまやかしだったのです。過去10年か10数年の間、アフリカの広い地域で、このまやかしの独立に対する本当の反対運動が沸き起こるのを見てきました。これは本当の民主主義を求める運動、つまり、地方自治と直接的な形態の自治のための中央政府と官僚からの権力移行です。デビッドソンは、ザイールの事例がよい見本だと見ています。

Kabila is good news for African self-respect, even very good news. This may seem a far-out view, but it is based on two strong probabilities. One is that no external major power has anything to gain, in this region, from another long bout of uproar and mayhem. The brutal frenzies of the Cold War are over and done with. The other probability is that this country called Zaire no longer exists as a safe source of plunder. The many and various peoples of Zaire, in short, may at last be within sight of being able to govern themselves for their own benefit. The wasted years that began in these parts a century ago and more may be approaching their end. . . .

カビラはアフリカ人の自尊心にとってという点ではよい知らせで、本当に とてもいい知らせです。奇抜な観方かも知れませんが、その観方は二つの強い見込みに基づいています。一つは、外部の主要な勢力ももはや、また別の騒乱と荒廃を経たのちにこの地域で得られるものがもはや何もないということです。冷戦の残酷な狂乱は過ぎ去り、すべての処置も終わりました。もう一つの見込みは、ザイールと呼ばれるこの国はもはや安全な搾取源として存在していないということです。つまり、ザイールの多くの人々は、ついに自分たちの利益を自分自身で管理することが出来るかもしれないという可能性が見えてきたのです。一世紀前、それよりも数十年前にこの地で始まった無益な歳月は、終わりに近づいているのかもしれないのです。

Davidson’s view is optimistic and he notes that this movement toward local and effective democracy has already begun to show impressive results, such as in Eritrea. He concludes:

デビッドソンの見解は楽天的で、地方重視の、効率的な民主主義に向けた運動が、すでにエリトリアで見られるように印象的な結果を示し始めていると言っています。そして以下のような結論を出しています。

. . .We can look for more evidence of this kind if a Kabila government proves competent in Zaire .

カビラの政府がザイールで仕事が出来るかどうかの証拠をもっと見つけるのは可能です。

The problem in Zaire may, in practice, prove less tough than it must seem. If so, it will be because the sheer incompetence and outrageous corruption of the Mobutu dictatorship have left long-abandoned populations to run their own affairs as best they can. Who, after all, has been running the affairs of the wide province of Kivu – unless local people themselves – during all the years when Kabila had his refuge there? (“Zaire’s Turmoil Invites an African Solution," Cf. Chapter One, Section 5)

実際上、ザイールの問題は見かけより厄介でないとわかるかも知れません。そうであるとしたら、それはモブツ独裁制のひどい堕落と全くの不適格さ故に、長い間見捨てられた人々が出来る限り自分たちのことは自分たちでやれる体制が許されてきたからでしょう。結局、もし、カビラが逃げ延びていた間じゅう、地方の人々が自分たちのことを自分たちでやっていなければ、一体誰が、広大なキブ州の切り盛りをやってきたと言うのでしょうか。(「ザイールの艱難、アフリカ的解決に誘(いざな)う」。第1章の(5)を参照)

Kabila’s success might bring hope for bigger social change and wider economic cooperation, for Zaire, which borders nine countries, created a great economic hole under Mobutu’s rule. A functioning Congo could provide a central infrastructure for business in a large portion of sub-Saharan Africa. The country’s railways and roads could be crucial links between Kinshasa and Cape Town, Maputo and Luanda, Nairobi and Brazzaville, between economic centers north and south, east and west. If Congo’s minerals, which range from diamonds to copper, could be mined efficiently again, the country could grow rich. As Nyerere points out, “If under Kabila, the thinking in what he calls the Democratic Republic of the Congo becomes as integrative as its geography, bringing all the potential wealth to bear – it could be the leader with South Africa of what (South African Deputy President) Thabo Mbeki calls 'the African renaissance."'

カビラが成功すれば、より大きな社会変化とより広範囲の経済協力に希望を見いだせるかもしれません。というのも、九つの国と境を接するザイールは、モブツ支配の下で巨大な経済的の空洞をつくり出していたからです。コンゴが機能的に働けば、サハラ以南のアフリカの大部分のビジネスのための中心となるインフランストラクチュア(基幹施設)が供給される可能性があります。また、国を横断する鉄道と道路が出来れば、キンシャサとケープタウン、マプートとルアンダ、ナイロビとブラザヴィルといった東西、南北の経済の中心地間を結ぶ決定的な交易網になり得ます。もし、ダイヤモンドから銅まであるコンゴの鉱物資源を再びうまく採掘できれば、国が豊かになる可能性もあります。ニエーレレが指摘するように「もしカビラの下で、カビラの言うコンゴ民主共和国での理想が、地理的な面だけでなく、あらゆる面で統合が可能であり、潜在的な富を現実の富に変えることが出来るのであれば、タボ・ムベキ(南アフリカ大統領代行)が『アフリカ・ルネッサンス』を提唱する南アフリカとともに、新生コンゴは指導的役割を果たす国になり得ると思います。」

エンクルマの伝記

イギリスの植民地政府庁がわが国を統治していた全期間に、農村の水の開発がまともにおこなわれたことはほとんどなかった。これがなにを意味するかを、栓をひねるだけで良質の飲料水がえられるのを当然とみなしている読者に伝えるのは、容易ではない。(中略)暑い湿気のある畑でつらい一日の仕事をおえると、男や女は村に帰り、それから、手おけか水がめをもって二時間ものあいだ、とぼとぼと歩いて行かなければならなかった。行きついたところで、沼とほとんど変わらないようなところからでも、塩気のある、ばい菌だらけの水を、そのおけやかめにくめたら、幸運なのだ。それから長い道のりをもどる。洗ったり飲んだりする水、たいていは病気のもとになる水の、とるにたりないほどの量をえるのに、一日に4時間!

国じゅうのほとんどが、ほんとうにこのような状態だったのだ。

前後は→「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」「黒人研究」第55号26-32頁
クラス名簿(Zoomではある方がよさそうやから、学生支援課でもらったファイルからコピーしたよ。)

2020年後期 クラス名簿(48名)(2020年10月6日現在)

61200043 イケムラ ヒロト 工学部環境応用化学科
池村 広飛 1年
61200254 ソネ ケンセイ 工学部環境応用化学科
曽根 健聖 1年
61200375 ニシムラ ハルヒ 工学部環境応用化学科
西村 春陽 1年
61200430 ハマカワ コウヘイ 工学部環境応用化学科
濱川 光平 1年
61200441 ハヤシダ カズヤ 工学部環境応用化学科
林田 和也 1年
61200476 ヒダカ ユウセイ 工学部環境応用化学科
日高 祐誠 1年
62180110 カワノ シヨウヤ 工学部社会環境システム工学科
河野 匠哉 3年
62200062 イワモト ソウマ 工学部社会環境システム工学科
岩本 颯真 1年
62200109 オオツカ コウキ 工学部社会環境システム工学科
大塚 恒輝 1年
62200213 クラヅメ トシナリ 工学部社会環境システム工学科
倉爪 駿成 1年
62200259 サトウ リヨウセイ 工学部社会環境システム工学科
佐藤 瞭成 1年
62200471 ミヤジ ユウト 工学部社会環境システム工学科
宮地 優人 1年
63200027 イイヤマ タカト 工学部環境ロボティクス学科
飯山 貴冬 1年
63200030 イガラシ レン 工学部環境ロボティクス学科
五十嵐 廉 1年
63200319 ナカシマ リク 工学部環境ロボティクス学科
中島 陸 1年
63200373 ホリタ ヒデオミ 工学部環境ロボティクス学科
堀田 英臣 1年
63200401 ミヤ ヨシエ 工学部環境ロボティクス学科
宮 佳恵 1年
63200425 モタニ ケンタ 工学部環境ロボティクス学科
茂谷 健汰 1年
63200508 ワタナベ タクヤ 工学部環境ロボティクス学科
渡辺 拓哉 1年
64200222 カミヤ ヒョウ 工学部機械設計システム工学科
神谷 彪 1年
64200271 ソノダ コウダイ 工学部機械設計システム工学科
園田 高大 1年
64200299 タカハシ コウジ 工学部機械設計システム工学科
高橋 輝至 1年
64200356 ニシダ ツバサ 工学部機械設計システム工学科
西田 大翼 1年
64200387 ハヤシ ジユンヤ 工学部機械設計システム工学科
林 隼矢 1年
64200518 ヤガサキ リユウヘイ 工学部機械設計システム工学科
矢ケ崎 龍平 1年
64200523 ヤマガ トモヤ 工学部機械設計システム工学科
山鹿 友也 1年
65160180 サイトウ タイチ 工学部電子物理工学科
齊藤 太一 4年
65200186 クロギ アヤミ 工学部電子物理工学科
黒木 彩心 1年
65200371 ナガタ ジユンペイ 工学部電子物理工学科
永田 惇平 1年
65200384 ナカタケ キヨウタ 工学部電子物理工学科
中武 杏太 1年
65200409 ハシグチ リト 工学部電子物理工学科
橋口 理斗 1年
65200418 ヒグチ レン 工学部電子物理工学科
樋口 蓮 1年
66190222 キリハラ ヒロキ 工学部電気システム工学科
桐原 拓希 2年
66190253 クリタ ワタル 工学部電気システム工学科
栗田 亘 2年
66200060 オゼキ タイセイ 工学部電気システム工学科
尾関 泰正 1年
66200183 タムラ リユウスケ 工学部電気システム工学科
田村 竜佑 1年
66200288 ニシカワ リヨウ 工学部電気システム工学科
西川 遼 1年
66200332 ヒガシ コウシロウ 工学部電気システム工学科
東 香士朗 1年
66200451 モリ カイヤ 休学 工学部電気システム工学科
森 海也 1年
67200018 アマキ ダイスケ 工学部情報システム工学科
天木 大介 1年
67200146 オシカワ リヨウ 工学部情報システム工学科
押川 陵 1年
67200184 カワバタ アオイ 工学部情報システム工学科
川畑 葵 1年
67200212 クシマ リュウヤ 工学部情報システム工学科
櫛間 龍也 1年
67200230 コバヤシ リヨウスケ 工学部情報システム工学科
小林 良輔 1年
67200294 スギモト ダイチ 工学部情報システム工学科
杉元 大地 1年
67200333 タナカ シンノスケ 工学部情報システム工学科
田中 慎乃介 1年
67200368 トダカ ヨシヒコ 工学部情報システム工学科
戸高 快彦 1年
67200528 ヨシオカ シユン 工学部情報システム工学科
吉岡 駿 1年

ビジネス英語 I-2(2)

19日(木=月曜日振替)5-6(1:30:-3:00)7回目でした。

<今日>

①口頭発表:河野さん、里中くん、染田くん、田中さん、開田さん、足達くん

②アウトブレイクセッション:グループ別に発表内容を決め、内容の検討

①簡潔で聞きやすいのが多かったね。前期やったひとは工夫されててよかったと思いました。

②グループ発表のアウトブレイクセッションは時間も少なかったし、来てない人がいるグループもあったんで、次回継続、テーマと日程は決めたいね。

<次回は>

①口頭発表:奥村くん

迫田くんだけまだやけど、大丈夫かいな。

*****Zoomトーイック4*****

7回(Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)を12月、1月と試験後の2,3月に7回の予定で、目下資料を作成中、連休中には完成して案会するつもりです。メールくれれば招待状と要領を案内します。

来週、また。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)(2020年10月26日現在)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

英語 Ra2(2)

19日(木=月曜日振替)3-4(10:30:-12:00)7回目でした。

<今日>

①発表:アパルトへイト政権の誕生(山口さん)、アパルトへイト政策(川越くん)、1955年の国民会議(菅付さん)、1960年シャープヴィルの虐殺(角田くん)

<次回>

①映像:アパルトヘイト政権、アフリカ人の抵抗運動

②ジンバブエの話→参考ファイルに置いてある「2020後地域1資料②」4、5ジンバブエの話、を予め読んでおくとわかり易いと思います。

山口さん、川越くん、菅付さん、角田くんはみんな内容の濃い発表で感心しました。発表もうまいし、分かり易かったねえ。

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まとめの意味で、アパルトヘイト体制とアフリカ人の抵抗運動に関して箇条書きにしておきます。

第二次世界大戦で大きくヨーロッパの国力が低下

→それまで抑圧されていた人たちが独立・自由を求めて闘争

→南アフリカでも、旧世代に飽き足らない若者がANC青年同盟(1944)を結成してデモやストライキなどで激しく闘争を展開

→当時の与党イギリス系の統一党は事態の収拾が出来ず

→1948年に総選挙→アフリカナーの野党国民党はアパルトヘイト(人種隔離)をスローガンに掲げ、人種によって賃金の格差をつけ、本来社会の最底辺のプアホワイト=アフリカーナーの大半の農民を優遇することを約束

→白人人口の60%のうちの大半のプアホワイトが国民党に投票→オランダ系アフリカーナーが議席の過半数を獲得

→アパルトヘイト政権の誕生*山口さんの発表

→体制を強化(人口登録法で人種の明確化、集団地域法で居住区を限定、共産主義弾圧法で反体制勢力を弾圧)川越くんの発表

→アパルトヘイト政権に対抗してANCの闘争は激化

→1955年にクリップタウン郊外で全人種による国民会議、自由憲章を採択→指導者156名を逮捕して裁判にかけ、全員の死刑をはかる(叛逆裁判)菅付さんの発表

→結果的には無罪

→ANCの中でアフリカ人だけで戦うという理想派PAC(ソブクエがリーダー)とアパルトヘイトを廃止するためなら白人とも共産主義者とも共闘する現実派ANC(マンデラ・タンボがリーダー)が1959年にANCを分裂させる(白人にとっては願ってもないチャンス、アフリカ人側の抵抗力が半減)

(小島けい画)

→1960年3月ソブクエがパス法不携帯で警察に出頭して法改正を迫る戦略を開始、マンデラは時期尚早と不参加

警察署に出頭するソブクエとPACのメンバー

→シャープヴィル・ランガなどで警官が無差別に発砲(シャープヴィルの虐殺)角田くんの発表

シャープヴィルの虐殺

→社会は騒然、ソブクエは逮捕され、政府はソブクエ一人のためにソブクエクローズを制定してロベン島に孤独拘禁

→騒乱に乗じてANCがパス法を焼く闘争を展開

→それまでの非暴力戦略を捨てて武力闘争・破壊活動を開始

→政府は非常事態宣言を出して弾圧を強化

→国連は非難決議・経済制裁を開始

→白人政府は親書を各国に送り協力を要請→日本と西ドイツだけが要請に応じて通商条約を再締結

→見返りに白人政府は居住区に関する限り白人並に扱うという名誉白人の権利を附与

→マンデラは国外に出て資金集め・ロンドンのBBCで武力闘争開始宣言

→アパルトヘイト政権は弾圧を強化

→帰国後マンデラは逮捕され裁判にかけられる(リボニアの裁判)

1964年マンデラ他8名に終身刑、以降1990年まで獄中生活。指導者は殺されるか、国外逃亡か、獄中かのいづれかで、指導者はいなくなる暗黒時代に

→日本は東京オリンピックを開催して高度経済成長の時代に突入

*********次回はこの辺りの補足の話もするつもりです*****

*****Zoomトーイック4*****

7回(Part 1~Part 7各partずつインテンシブに)を12月、1月と試験後の2,3月に7回の予定で、目下資料を作成中、連休中には完成して案会するつもりです。メールくれれば招待状と要領を案内します。

来週、また。

クラス名簿

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(31名)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ