続モンド通信32(2021/7/20)

2021年7月25日続モンド通信・モンド通信

続モンド通信32(2021/6/20)

私の絵画館:うさぎのしょうちゃんとチョビちゃん(小島けい)

2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~⑪:「のらいぬ」の世界へ(小島けい)

3 アングロ・サクソン侵略の系譜28:編註書And a Threefold Cord(玉田吉行)

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1 私の絵画館:うさぎのしょうちゃんとチョビちゃん(小島けい)

 以前、大分県の「九州芸術の杜」で個展をしていた時、“私の店で、絵やポストカードを販売しませんか?”と声をかけていただきました。「夢色工房」というお店を開いておられる方でした。

それから長年、大変お世話になりっぱなしでしたが。数年前、お店を閉じると聞き、お礼に何か絵を描かせて下さいとお話したところ、それでは我が家にいたうさぎたちを、とお写真が届きました。

ただ、このうさぎの絵は、すぐ描くことができませんでした。理由は二つあります。一つめは、私がこれまでうさぎとは全く無縁ですごしてきた、ということです。犬・猫・馬たちは、一緒に暮らしたり、身近に接したりしてきましたし、絵も二百枚以上描いてきましたので、たとえ会ったことのない子たちでも、お写真と向きあうことで<友だち>になれました。そうして、描き始めてきました。けれどま近で見たり、触ったりしたことのないうさぎは、どう近づき<友だち>になればよいのか・・・・わかりませんでした。

さらに、もう一つ。数年前から娘さんが絵の才能を開花され、躍動感あふれる力強い絵を描いておられました。

娘さんとは全くちがう描き方の私が、ご家族の大切なうさぎさんをほんとうに描いていいのだろうか?と、少し迷ったりもしていました。

けれど、ようやく昨年完成させて、とりあえず絵のカードをお送りすると、とても喜んで下さり、ご丁寧なお手紙が返ってきました。

そこには、ご家族が非常に大変だった時期、どれほどうさぎたちの存在に助けられ、励まされてきたのかが語られていました。私などが思いもしなかったほど、その存在は大きく、心のささえであったのだと、初めて知りました。

絵の中の<しょうちゃん>と<チョビちゃん>に改めて、“あなたたち、がんばったねえ・・・・”とほめてあげたいくらいです。

ちなみに<しょうちゃん>は、娘さんが小学校からもらってきてお母さんにもなったベージュと白のうさぎです。<チョビちゃん>は、長く体調がよくなかった娘さんを元気づけるために、ご家族が買ってあげた黒いうさぎです。

しょうちゃんとチョビちゃん

カレンダー「私の散歩道2021~犬・猫ときどき馬~」7月

そういえば以前一度だけ、猫のぎんちゃんと仲よく暮らしているうさぎさんを、飼い主さんご希望の三色スミレと一緒に、描いたことがありました。

ぎん君とモモちゃんと三色菫

カレンダー「私の散歩道2014~犬・猫ときどき馬~」表紙

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2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~⑪:「のらいぬ」の世界へ

今、私の手元には、5冊の絵本が置いてあります。いずれも、長年放っていた絵本の棚から、再生した本たちです。

それぞれに選んだ理由は違いますが、大きな共通点が一つあります。それは、古典的な<名作>ではない、ということです。

どの本を<名作>というのかは、よくわかりませんが。

時代をこえて読み続けられてきた絵本といえば、私はすぐに「ひさの星」「ごんぎつね」「なめとこ山の熊」などを思い浮かべます。

それらのお話は、確かに心打ついいお話ですし、絵もすばらしいと思うのですが、私はあえてそれらの<名作>を選びませんでした。

<名作>といわれるお話には、いつも深い哀しみがこめられているからです。

日本のお話ではありませんが、「フランダースの犬」なども、子供たちが小さい頃よく読みましたが。いつも途中から涙があふれて、最後までスムーズに読むことができませんでした。感情移入しすぎる私は、深すぎる哀しみが苦手なのです。

そこで、少し寂しさがあるとしても、たちなおれないほどの哀しみではないお話を、身近に置く本として選びました。

この5冊のなかで、私がひそかに近付きたいなあ・・・と願っているのは「のらいぬ」(谷内こうた絵 蔵冨千鶴子文)です。

その本は、左のページに絵、右のページに言葉(途中から反対になります)、でできていますが、絵も文も、これ以上簡略にはできないと思われるほど、単純化されています。その絵を、言葉で説明するのは難しすぎますが。

例えば1ページめは<暑そうな砂山に少しの草、上の方に空、砂山の向こうにごく一部見えている海、そして、ひどく暑そうに歩いているのらいぬ>です。そして言葉は<あついひ>だけです。

たくさん描かないのに、想いが見る人にきちんと伝わる。

見事だなあ・・・と思います。

主役の犬も、こげ茶色一色ですが。

少年と出会えて、一緒に燈台まで走り、燈台から

海に飛び込み、また一人になって。

 

でも<あついひ すなやまに みつけた ともだち>

<いつか きっと あえる>

と暑い砂山を再び歩く<のらいぬ>は、少年と出会う前と

首のうなだれ方が微妙に違っているのです。

ひとすじの希望があるから、だと思います。

 

できる限り描かない絵で、たくさんのお話を伝えることができたら・・・・と、夢見ている私です。

「のらいぬ」表紙

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3 アングロ・サクソン侵略の系譜28:編註書And a Threefold Cord

  編註書については一度詳しく書いていますので(→And a Threefold Cord by Alex La Gum)、今回は出版の経緯と授業について書こうと思います。

And a Threefold Cord(1991年、表紙絵小島けい画)

前回の日本語訳→「アングロ・サクソン侵略の系譜28: :日本語訳『まして束ねし縄なれば』」続モンド通信31、2021年6月20日)

宮崎医科大学に来る前に5年間、大阪工大などで非常勤として一般教養の英語を担当していました。最初の年は修士課程を修了しても博士課程でどこも門前払いを食らい、先輩がいた大阪工大で辛うじて世話してもらった夜間3コマ、月4万8千円の非常勤で大学の授業を始めました。最後の年は明石の家の近くの神戸学院大学や、通うのに片道2時間半ほどかかった桃山学院大学など週に16コマもやりました。→「アングロ・サクソン侵略の系譜10:大阪工業大学」続モンド通信13、2019年12月20日)

大阪工業大学(ホームページより)

大学での授業は初めてでしたが、試験のための英語の授業がずっと嫌だったので、一般教養の英語は有難かったです。専任の話が理事会に認められず組合で交渉する間非常勤で来て下さいと言われた大阪経済法科大学では、わいABCもわからへんねん、という学生もいて授業そのものが成り立たないクラスもあったので、授業が当たり前に出来るクラスは天国のように思えました。英語も伝達の手段だから使えないと意味がない、「英語」をするのではなく、「英語」を使って何かをする、と非常勤で授業をしながら自然に授業の方針が決まっていました。折角大学に来たのだから中高では取り上げない題材で意識下に働きかけ、自分や世の中について考える機会を提供して、大学らしい授業だと思ってもらえるような授業がいい、そんな方向性です。人のテキストを使い、短時間に成績が出せる筆記試験が一番楽ですが、自分が嫌だったものを人に強いるのも気が引けましたし。まわりはそんな人がほとんどでした。

宮崎医科大学での一年目は、ラングストン・ヒューズ(Langston Hughes, 1902-1967)の“The Glory of Negro History”(1964年)を使いました。非常勤の5年間で使っていたこともありますが、この500年ほどのアングロサクソン系を中心とした侵略過程の中で、侵略を正当化するために刷り込まれた白人優位、黒人蔑視の意識について考え、自分自身や世の中について考える機会が提供出来ればと考えたからです。修士論文で取り上げたリチャード・ライトや、アメリカの学会MLA(Modern Language Association of America)での発表をきっかけに南アフリカのアレックス・ラ・グーマを取り上げる過程で、そんな流れになりました。詩人ヒューズの歴史物語は、作者自身が朗読した音声もあり、アレックス・ヘイリー原作のテレビドラマ「ルーツ」や、イギリスの歴史家バズル・デヴィドスンのドキュメンタリー「アフリカシリーズ」の映像なども使えるので最適でした。

“The Glory of Negro History”(南雲堂)

ライトについては→「リチャード・ライト死後25周年シンポジウム」(2019年3月13日)、ラ・グーマについては→「 MLA(Modern Language Association of America)」(2020年2月20日)、アフリカ系アメリカの歴史については→「アフリカ系アメリカの歴史 」(2020年8月20日)、アフリカの歴史については→「アフリカの歴史」(2020年7月20日)

ずいぶんと前のことなので記憶が怪しいところもありますが、たしか医学科の授業が始まってすぐに、出版社の社長さんから電話があり、アレックス・ラ・グーマのA Walk in the Nightの編註書を薦められたと思います。それがテキストの最初です。→A Walk in the Night(2021年4月20日)

A Walk in the Nightの表紙(表紙絵小島けい画)

学生として授業を受けている時は、テキストにはかかわりたくないなと感じていましたが、気がついたらテキストを作っていた、そんな感じです。その時は学生に本を買ってもらえばいいと言われましたが、実際は出すまでも出たあともなかなか大変でした。非常勤も含めてクラスは結構持っていましたので、出してもらったものは何とか買ってもらえました。

ある日編集者の方から東京都立大でこのテキストを使ってくれた人がいますよ、と電話をもらいました。早速連絡を取り、東京で会ってもらいました。南アフリカの作家の英文をどんな人が授業で使いはるんやろ、という素朴な疑問からです。会ってみると、宮崎の高校を出た後一橋大学に行き、学生時代に英文エセイコンテストの賞品でイギリスに留学、そこでアフリカ文学に出会ったとか。よう出来はる人は違うわ、と感心しました。