つれづれに

つれづれに:暑中の畑模様

家の近くの百日紅、今が一番勢いがある

 猛暑が続く。百日紅(さるすべり)やハイビスカスなどは、この暑い最中に勢いがある。畑もそうだ。夏野菜はかんかん照りの中で、元気に育つ。とまとのように、雨が多いと実がならないのもある。もちろん雑草の勢いも半端ではない。去年は暑中に畑に出る気にならず、9月になってようやく畑に出てみたら、草に覆われて踏み込めないほどだった。肥料がよく効いているので、雑草の繁り方も尋常でない。瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ)の柵(さく)を辛うじて作って安心していたが、台風で傾いてしまった。

春先、柵を拵(こしら)える前

台風のあと

 去年の二の舞にはなるまいと、可能な限り朝晩ホースでたっぷり水をやり、陽が陰ってからしばらく酢と焼酎を20倍ほどに希釈した液を如露(じょろ)で丁寧にかけたりしている。大根もある程度まで生き残っていたが、液をまき続けられないこともあって、枯れてしまった。元々冬野菜を真夏の気温の中で作ること自体に無理があるようだ。お蔭で、草茫々(ぼうぼう)で畑に出られないという事態は避けられている。今のところ、普通に畑に出られるのはありがたい。

 瓢箪南瓜も勢いが増してきて、何個か実がなっている。実(↑)を見ると、何だか嬉しくなる。柵ができ始めたころに撮った写真(↓)とくらべれば、勢いがわかる。他に金木犀(もくせい)の樹にも蔓(つる)を這(は)わせているので、秋には実を見込めそうである。柔らかくて包丁も入れやすいし、味もまろやかである。

蔓が少し登り出した頃

 何枚か犬の絵を注文して下さった方に、今年も実を贈れそうである。犬(↓)が南瓜をすきなので、いっしょに描いて下さいと言われて以来のご縁である。絵の中に描いた南瓜とは種類は違うが、味は保証する。

 丸莢(さや)オクラも勢いがある。例年、虫による粘液で葉が丸くなってしまうが、今年は何回か酢と焼酎(しょうちゅう)を希釈(きしゃく)して液をかけたから、葉が生き生きしている。2日も実を採り入れないと、硬くなって食べられない。包丁の刃が入らないのである。大きいうえに、実も柔らかい。ねばねばした野菜なので、貴重である。納豆や山芋なども、胃の壁を守ってくれる。野菜を食べた後、ねばねばした納豆と山芋を食べて、甘酒を飲む。食事の前に食べるようにしているが、毎日続けるのは難しい。しかし、普通に暮らせるかどうかは、その食事と適度な睡眠と運動にかかっているので、毎日手を抜けない。

 暑中(7/6-8/6)をやり過ごせれば、立秋(8/7-21)、朝晩は幾分か過ごしやすくなるだろう。それから、暑さが和らぎ、台風シーズンの処暑(8/22-9/6)になるが、台風の被害が最小限に済んでくれると有難い。 去年は1つもならなかった西条柿が、今年は250~300個くらいなっているようだ。台風の大風にも落ちずに色づけば、また干し柿の季節だ。

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つれづれに:8月

<オオカミ> (3号)

 8月である。カレンダーもプードルのつむぎちゃんから狼(↑)に変わった。狼はずっと描きたかったようで、去年はシベリア狼の画像を探していた。今年はイベリア狼を描いている。イベリア半島はヨーロッパ大陸南西部にあり、そこのピレネー山脈に棲む岩山の上で吠える狼の画像を探し出したようである。半島は地中海と大西洋に面し、そこにはスペインとポルトガルがある。狼は眼が鋭い。如何にも狼という感じである。絵も眼が描けるかどうかだろう。

 暑い日が続いている。36-26℃辺りでも、百日紅(↑)は勢いがある。高台から降りる坂の手前の家の庭から、こぼれるように咲いている。咲いている期間も長い。その家の横を通って、加江田の山を見ながら南に坂を下りる。

新聞で「温暖化により海水温が上昇したことで、赤道寄りの暖かい空気と北極よりの冷たい空気が境界に吹く偏西風が例年に比べて北上。その結果、日本や欧米など北半球中緯度に位置する国で猛暑になった」と専門家が書いていた。マッサージをしてもらいながら、(サーフィンで)海に入っても水がぬるいですもんね、という話を聞いた。

1年に2回、宮崎に来た時に会う人がいる。今日も夕食をしながら2時間ほど話をして来た。今は鹿児島への帰り途だろう。月曜日には福岡から卒業生が来る。宮崎にいる時は、よく会って食事をしていたが、久しぶりである。福岡に行って、2年目である。

 先週からそろそろ稲の刈り入れ(↓)が始まっている。2割か3割か(↓、下は春先の同じ位置)が、すでに刈り入れが終わっている。今年は梅雨前も雨の日が多くて、日照時間、大丈夫やったんやろかと心配していたが、刈り入れは例年通りのようである。兼業農家が多いらしいので、明日からの土日か、次の週の土日かで作業をするところが多いだろう。ただし、台風が来なければである。

同じ当たりの春先の様子

先週の稲刈り前の様子、木花神社の展望所から

 旧暦の暑中も6日で終わり、秋が始まる。秋が立つ、立秋である。朝夕は、何とか過ごせるくらいにはなりそうである。大暑(7/22-8/6、夏の暑さが本格的になる頃)が終われば、立秋(8/7-21)が終われば、処暑( しょしょ、8/22-9/6、 暑さが和らぎ、台風シーズンになる頃。今年もうまく台風をまともに受けなくて済むことを願うばかりである。

カレンダーの原画

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つれづれに:百日紅(さるすべり)

坂道の百日紅

 36-26℃あたりの猛暑が連日続いている。37℃て、体温より高いやろ、と言いたくなるような毎日である。外に出るのは、勇気が要る。熱中症になると、平衡感覚が取れずに地面が揺れる。存在自体が脅かされる、そんな気持ちになる。腹筋や背筋を鍛える、そんな歳はとっくに過ぎ、普通に暮らせるように、きちんと食べで、遣り過ぎないように体を動かし‥‥そんな毎日だから、猛暑はこたえる。

 普通に畑に出られる春や秋には、旧暦の24節気を感じることもあるが、こう暑くては節気通りという感じにはならない。太陽の動きをもとに1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けて24の季節に区切ったものを『二十四節気』と言う。その中の小暑と大暑を合わせた期間が暑中だ。暑中お見舞い申し上げますと便りを出す人もいる。2024年の暑中は小暑の始まる7月7日から大暑が終わる8月6日までである。大暑が過ぎれば、立秋、秋が立つ。朝晩はだいぶ過ごしやすくなるだろう。この猛暑も、もうしばらく、というところか。しかし、窓から照りつける外の様子を見ると、やっぱりまだこの猛暑が収まる気配が感じられない。

 暑い最中に、赤い花をつける木が百日紅(さるすべり)とハイビスカスである。百日紅は淡いピンクと濃いピンクの花に、最近は白の花も見かけるようになった。

 宮崎ではハイビスカスはあちこちに咲いている。さすが南国である。明石にいた頃は、あまり見かけた記憶がない。もっともアスファルトで舗装された箇所が多いのと、地価が高いので広い庭が少ないというのもあっただろう。

妻手製のカレンダー、明石では珍しかったからだろう

毎年拵(こしら)える妻のカレンダーにも

近くの生産者市の前の黄色いハイビスカス

 「百日紅」と書くのは、長期間花を咲かせるかららしい。落葉性である。「百日紅」のほか、「猿滑り」「紫薇(しび)」とも書くようだ。「猿滑り」は、樹皮がつるつるしていて、猿ですら滑り落ちてしまいそうな木ということらしい。今日は、歯医者に行く道に咲いている白と淡いピンクの花を摘んで来た。

 この時期、玄関に飾る花を摘んで来るのは難しい。青島近辺の海岸沿いにたくさんの浜木綿(はまゆう)が咲いているので、3年前に摘んで来て玄関に飾ってみたが、何とも言えない悪臭がして、それ以降は摘んで来ていない。摘むと言っても、かなり大きいので、切ってくると言う方が合っていそうだ。明石の家の庭には浜木綿があった。その花はいいに匂いしていた記憶がある。こちらでその種類の花を見かけたことはない。

 歯医者は自転車で30分ほどの距離にある。急な坂(上り↓と下り↓)を越えて30分、平坦な道を遠回りすれば40分、距離はある。腰を痛めていた時は、歯医者にも行けなかった。吉祥寺の歯医者に世話になっていたが、コロナでご無沙汰で、地元の歯医者に検診だけでも言って下さいと言われて、新しく歯医者を探した。急な坂を越える両脇にたくさん百日紅が植えられている。街路樹というより、フェンスの向こう側に植えられているので、ま、もらってもいいかと思いながら摘んでいるというわけである。今しばらく、猛暑は続く。

つれづれに

つれづれに:ヒュー・マセケラ

 南アフリカに最初→「オランダ人」 が来て、その後に→「イギリス人」が来て、土地を奪ってアフリカ人から絞り取ったことを書いた。→「金とダイヤモンド」が発見されてからは両者が殺し合いをして、結局アフリカ人から搾取する1点に妥協点を見出し、国まで創ってしまった。金が出たのは北東部の→「ラント金鉱」で、オランダの領有地だった。ダイヤモンドと金で最大限に利益を上げるために、両者は協力をしてアフリカ人を安価な労働力として鉱山で働かせる→「一大搾取機構」を造り上げた。周辺国も過酷な搾取構造下にあったので、多くの国からも出稼ぎ労働者を集めて、ラント金鉱の中心地ヨハネスブルグは南部一帯の経済圏の中心になった。

 1992年に南アフリカの隣国ジンバブエの首都ハラレに滞在したが、その5年前にハラレの国立競技場で大きな野外コンサートが開かれた。イギリスのポール・サイモンが呼びかけて、亡命中の南アフリカの歌手が一堂に集ったのである。その模様は『グレイスランド』(↑)のタイトルでDVDになっている。グレイスランドはサイモンが好きなエルビス・プレスリーの生家の名称だそうである。アフリカ経験の長い仲良しの医学生が教えてくれて購入して、授業でも観て、聴いてもらった。その中に、周りの国から労働者を乗せてヨハネスブルグに運ぶ石炭列車「スティメラ」(Stimela)という歌をヒュー・マセケラが自らトランペットを吹きながら歌っている映像がある。

スティメラ

アンゴラとモザンビークから来る列車がある
ボツワナとスワジランドと
近隣の南部と中央アフリカから
無理やり集められて契約労働のためにやって来る
列車は若者と年寄りのアフリカ人を運んで来て
ヨハネスブルグの金鉱山と
周辺の大都会の鉱山で、1日に16時間かそれ以上
ほとんど無給で
地球の胎内の奥深く、奥深くで働く
ごちゃ混ぜの食べものを柄つきの鉄製しゃもじで金属皿に盛るとき
臭いがきつくて黴(かび)臭い、穢(きたな)くて虱(しらみ)だらけの
小屋かたこ部屋で座っているとき
若者と年寄りは二度と会えないかも知れない愛しい家族を想う
最後に家族と別れて出て来た所が
すでに強制的に立ち退かされてしまっているか
特段の訳もなく人を襲うくギャングに殺されてしまった可能性もあるからだ‥‥
‥‥若者と年寄りはいつも口穢(ぎたな)く罵(ののし)り、悪態をつく
そして石炭列車に呪(のろい)の言葉を浴びせかける
ヨハネスブルグに自分たちを運んで来た石炭列車に
うぉーっ、うぉーっ!

 「マセケラが腹の奥から絞り出すだみ声が、地中の奥深くから響いて来るアフリカ人の叫び声に聞こえたなあ」というのが私の感想である。

映像はマンデラが釈放された1990年頃から爆発的に南アフリカで感染が広がった主な原因が、オランダ人とイギリス人が創り上げた一大搾取機構の下で働かされる鉱山労働者であるという報告をする欧米制作のドキュメンタリーの一部だった。番組では、会社側は食費と住居費を浮かせるために多人数を収容するたこ部屋(compound)と、男性労働者を目当てに、部屋と会社直営の粗末な売店の途中に待ち構えて売春する女性たちを紹介していた。そこでHIVに感染した男たちが契約切れのあと一時的に帰省して、配偶者に感染させる、そんな悪循環を指摘していた。

コンサートでは、マセケラの元妻ミリアム・マケバが「ソウェト・ブルース」を歌った。1990年に来日して、昭和女子大で歌った曲である。NHKで特集された「赤道音楽14日間」の中にも紹介されていたので、録画して英語や一般教養の授業で観て、聴いてもらった。音楽の分野では、アフリカの女王とタイトルをつけていた記事も多かった。二人とも長い亡命期間の間じゅう、南アフリカの解放を願って歌い続けた。