つれづれに

 歩くコース2の②・・・

高台から入る道

木花神社の中を通る「 歩くコース2の①」(7月30日)の続きである。木花神社には高台から入る道を右手に進む。両側の竹林の中の平坦な小道をしばらく歩くと、正面の鳥居の前に出る。

鳥居をくぐって短い階段をのぼれば、本殿の前に出る。無人で、普段は誰もいない。時折、たぶん氏子の誰かが単独で作業をしているのに出くわす。訪れる人もあまり見かけない。最近では年寄り夫妻が二か所ある展望所の一つの長椅子に座って休憩したのを見かけたのと、運動用のジャージを着た若い人とすれ違ったくらいである。年に何回かは定期的に何かの行事で、人が集まるようである。

いつも思うのだが、何が祀ってあるんだろう。正面は格子が嵌めてあって、賽銭箱のガラスだけがお金を投げ込めるように切ってある。格子の間からカメラをいれて中を撮影した。夕方だったが、わりときれいに撮れている。祭壇には鏡とか供え物の酒などが並べてある。宮崎神宮も同じようだったような気がするが、お盆に紙切れ、たぶん護符のようなものが置いてあるようだ。ご神体が何なのか、わからないままである。

神や仏のような目に見えないがあると思われる絶対的なもの、創造物とでもいうようなものは、信じ方によるのかもしれない。小さい頃は南印度の廬舎那仏、よく言われるお釈迦さんに魅かれて少しの間かかわったことがあるが、心の中で葛藤があり、結論は「わからない」だった。わかったように生きるのには抵抗があり、絶対的なものがあるかも知れないが、「あると信じる振りはやめよう。わからないのだから」、それが結論だった。今もかわらない。

アフリカ系アメリカ人の作家からアフリカに関心が向いて、ガーナ、南アフリカ、コンゴ、ケニアについていろいろ読むようになった。ケニアに関しては、何人かと親しくしたことがある。親しくした人の一人はクリスチャンだった。ケニア人がクリスチャンであることが当たり前のように言うのにカチンと来て、ある日、「イギリスに侵略されて、キリスト教も押し付けられたのに、クリスチャンておかしいやろ、何がクリスチャンやねん」、と言ったら、「タマダサン、実はケニア山の麓には神様がいて、それがキリスト、本当はキリストは黒人やねん」とその人が言っていた。関西に住むギくユ人である。

次回は「 歩くコース2の③」、ケニアの続きを少々と、神社の境内を写真入りで紹介、か。

授業

Zoomトーイック:2021年8月14日

Part 7 (reading)の4問(153-154, 155-156, 157-159, 160-162)だけ。文章を読んで、ぱっと掻い摘んで内容を把握、それを少しやりました。短い期間にいかに内容をつかんで答えられるかが決め手になるんで。最後の20分ほどでアメリカに行った時の話をしゃべらせてもらいました。内田くんと中原さんにしか質問出来んかったけど。毎回20分ほどしゃべらせてもらえると有難いけど。コロナが落ち着いたら長女のいる吉祥寺近辺に引っ越すつもり、そこで僕の英語を生かしてなんか考えてるみたいで。4月から授業もやってないんで、あんまり使わないと使えなくなるかもと思ったんで。
少ししか進まないけど、最後やるのは自分しかいないんで、繰り返して、繰り返して繰り返してやって、短い時間内に答えるにはどうやったらええか、自分の体で感じるしかない、ね。
中原さんが次回もPart 7を希望してるみたいやけど、他の人はどう?

読めるようになるにはたくさん読む、聞き取るにはたくさん聞くしかないんやけど、それをスコアに結び付けることは、たくさんやる中でしか感じられないんやと思う。
今日話をした最初に読んだ英語の本が千ページ以上あったという話→「修士、博士課程」

神戸市外国語大学の当時の写真(大学ホームページから)

英語をしゃべるようになったきっかけ→「リチャード・ライト死後25周年シンポジウム」

ミシシッピのシンポジウムでファーブルさんと

アメリカでの発表とハワイの話→「 MLA(Modern Language Association of America)」

クリススマスのワイキキの浜辺、南半球なので季節は日本と真逆

は少し前に、思い出して書いてるので、参考までに。

part 4 (Listening)もやれるようにしとくとええね。みんなの希望に添うようにするつもりなんで。

終わったあと内田くんがライティングをやってくれませんかと言ってたんで対応するつもり。他に希望があれば、個別にやってもいいと思ってるので、あればどうぞ。

つれづれに

つれづれに:超早場米

来た当時の宮崎医科大学(大学ホームページから)

1988年の3月28日に、家族で宮崎に引っ越して来た。子供が二人に、妻も働いていたし、僕は非常勤だけの無職の浪人時代が5年目になっていた。最後の年は専任の話のためにもと言われた分も含めて1コマ100分を週に16コマ、非常勤講師として一般教養の英語の授業やっていた。12コマが大阪で電車は満員、毎日がいっぱいいっぱいだった。妻は学校の後片付けもあったし、家では引っ越し作業、ほんとに最後はばたばたで、取り敢えず引っ越しを、とそんな感じで、西明石から新幹線に乗って、小倉で日豊線の特急に乗り換えた。

新幹線西明石駅

宮崎医科大学の人事が決まり、推薦者に紹介してくれた広島の人から電話を受けたとき「え、そんな遠いとこ、ほんまに行くんですか?」と聞いてしまった。今から思うとずいぶんと失礼なことを口走ってしまったが、何度か人事が最後にだめになっていたので決まるとは思っていなかったから、つい口に出てしまったのである。宮崎までは、実際、長かった。特に小倉からの5時間ほどが堪(こた)えた。今なら、飛行機に乗る。

引っ越し前に住んでいた朝霧近くの大蔵海岸

南国だという意識が働いて「ストーブなんか要らんやろ」と気軽に言ったのを今でも悔やむ。世話して下さった人に任せていたら宿舎は国民宿舎、雨も降って、寒い一日、散々の出だしだった。退職に伴う諸々を何とか片づけてきた疲労困憊の妻には、今でもその時の恨みごとを言われる。返す言葉もない。今なら宮崎観光ホテルに泊まるだろう。

大淀川河畔の宮崎観光ホテル

宮崎神宮駅の少し北辺りに一軒家を借りて生活が始まったが、着いた当初は寒いし、近所の人にはいろいろお節介されるし、幼稚園と小学校では関西弁をしゃべるからと集団でいじめられるし。今でも心の傷になったままだ。僕の都合だけで3人を連れて来てたが、三人には負い目を感じる。大学の人とは家の近くで会いたくない気がして、大学からは20キロ足らず離れた借家で暮らすことに決めていた。

借家近くの宮崎神宮

雨の降る中、空港からタクシーで家まで行ってもらったが、田植えのシーズンだった。まさか3月の末に田植えとは考えてもみなかった。英語科の年上の同僚が「台風が来る前に収穫できるように3月末に植える超早場米ですね」と教えてくれた。温厚な人で、いろいろお世話になった。

4年前の3月の終わり頃もこんな感じだった

住んでみれば、わかる。超早場米は、農業に携わる人の代々の知恵である。台風が来れば、外には出ない。身を守る術である。激しい雨風のなか、外に出る理由がない。台風前にすでに稲刈りが始まっていて、6日(金)に写真を撮った時は、半分程度がすでに稲刈りを終えていた。そこへ台風である。金曜日の夕方も、土曜日の午前中も作業をする人が多かったようだ。台風に備えての作業もあって、今年は稲刈りの写真を撮り損ねたと思っていたが、台風の翌々日に作業をしていたトラクターの写真を撮った。

少し画面を引けばもう何羽かの烏が、トラクターの後ろから撮ればあと二人が映っていた

台風前にすでに田起こしをしているたんぼもあった。起こす土のあとを何羽もの白鷺がついて歩く。格好のえさが掘り起こされるんだろう。これから何度かお目にかかれそうである。

田起こしの済んだたんぼ

つれづれに

つれづれに:台風一過②

曽山寺浜の橋の上から青島を望む

超早場米は次回に回し、台風の続きである。6日(金)辺りから急に台風9号が上陸するかも知れないとニュースで報道し始めた。隔週の金曜日に白浜にでかける時は、下曽山寺辺りの県道から裏道を通って総合公園からの遊歩道に入る。青島マラソンも含めて、マラソンコースのために造られたようで、自転車と通行人しか通れないことになっている。地面に10キロコースとか20キロコースとかの表示がある。以前、自転車とバイクの学生といっしょに青島まで通ったことがあるが、バイクの学生がゆっくり乗って行ったので、かなり気を遣った。

白浜から青島方向に見える高波

台風の影響ですでに波は高かった。普段ならいる初級コースのサーファーもまばらで、海水浴客はほとんどいなかった。2週間前はたくさんの人だったので、帰りは青島ビーチの道は避けて通らなかった。夏休みに入ったこともあり、海水浴と青島神社参拝でかなりの人出だった。サーファーが通報されて白眼視されたり、県外ナンバーの車が敵視されたりしていたのだから嘘のようである。まだ一年ほどしかならない。感染者はずいぶんと増えている。

人もまばらな青島ビーチ

海岸線にはよく出かけるので普段は写真は撮らないが、台風の影響で波が高かったので、久しぶりに白浜の高波の写真を撮った。砂浜に降りて撮り始めるとすぐに、海水浴場の係員から「遊泳禁止で、浜に入って写真を撮らないで下さい」と言われた。青島では人は少なかったものの、海水浴客も少しはいたので、遊泳禁止になっていて、浜に入ってはいけないとは考えてなかった。しかし高波は危険には違いないので、そこは素直に謝って引き下がった。代わりに山側の以前ブログで紹介した(→「 歩くコース1の④」、7月11日)大雨で崩れた山肌の写真を撮った。間に合わせに土嚢を積んだ仮工事の期間も長かったが、かなり頑丈そうで分厚いコンクリートで補強して、工事を終えたようである。その期間、奥のサンクマールへのバスは迂回路を通っていた。

数年前の大雨で崩落した山肌、工事も終わって落ち着いた様子

白浜から見える折生迫のホテルサンクマール

次回はおそらく「超早場米」で、撮って来た稲刈りの写真を紹介するつもりである。

台風から三日目、大きな被害はなかったものの、竹を登っていた胡瓜の竹そのものがほとんど傾いているし、南瓜も風にやられて、葉に勢いがない。一昨日は一歩も家をでなかったし、昨日は早起きして辛うじて歩いただけだ。なかなか体と気持ちが動かない。そろそろ畑に出ようと思ってはいるが、また大雨になりそうで、気持ちも萎える。湿気って暑いと蚊の勢いも半端でない。ままならないものである。