つれづれに:日本1860年(2024年2月2日)
つれづれに:日本1860年
小島けい画
まさかと思って調べてみたら、日本でも1860年は歴史の大きな潮目だった。しかし、その流れを感じたのは、アングロ・サクソン系の侵略の系譜を辿(たど)って、ある程度見渡せるようになってからだ。
アメリカ系アメリカの歴史を辿れば、自ずとアフリカに行き着く。奴隷が連れてこられたのがアフリカからだったからである。私の場合、アフリカ系アメリカ人の作家リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960、↑)が書いた訪問記Black Power(↓)がアフリカとの最初の出遭いである。ライトが1940年代の後半に逃げるようにアメリカからパリに移り住んでいたときに、独立の気配をいち早く察知してイギリスの植民地ゴールド・コーストに出かけて訪問記を書いていた。(「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」)
その訪問記を理解するには、アフリカの歴史を知る必要がある。ちょうどその頃、バズル・デヴィドスンの「アフリカシリーズ」(↓)に出遭ったのも幸いした。「奴隷貿易の蓄積資本で産業革命を起こし、産業社会に突入していたヨーロッパ社会は、奴隷貿易から植民地支配に換えた。安価な原材料・労働力と製品の市場が必要となったからである」とデヴィドスンに教えてもらった。
1543年に遭難した時に、ポルトガル人が助けてくれた種子島の人に火縄銃(↓)を置いていったと高校の授業で聞いていたが、てっきりポルトガル船で来て難破したと思い込んでいた。しかし、実際は明船に便乗していただけだった。日本にはその1丁の火縄銃から精度の高い銃を作る製鉄技術があった。1573年には長篠の戦で信長が堺商人に銃を集めさせ、勝利を収めている。長篠の戦が当時の世界最大の銃撃戦だったと知ったのはずいぶんと後のことである。まだヨーロッパでは植民地争奪戦どころか、奴隷貿易も始まっていなかった。日本は1600年に鎖国をした。そして、1859年に黒船が来た。開国を迫るためである。
鎖国か開国かを迫られていたとき、1860年に桜田門外の変が起きた。実力者井伊直弼(↓)が斃(たお)れて、潮目は変わった。大砲は刀では防げなかったわけである。開国した日本には、欧米を追いかけて、産業化とアジアでの植民地化の道を歩むことが約束されていたのである。(→「日1860」)