つれづれに:教員免許(2022年5月3日)
つれづれに:教員免許
少し前には柿の花が満開だったが、すでにほとんど散ってしまっている。(↓)黄色がかったベージュ色の小さな花である。枝にはびっしりと小さな実がなっている。(↑)一昨年は時間の余裕もなくて生り過ぎた柿を取り入れるのも剥くのも億劫で少なからず腐らせてしまったが、今年は何とか面倒な作業もこなして、またお裾分けしたいと思っている。
教員免許は簡単に取れた。夜間課程の場合、一日に2コマしか授業がなく、落とさず目一杯単位を取っても、4年次で僅かに5コマの空きが出るくらいで、教職課程を取ればきつきつである。しかし、2年間留年をしたので、その点は心配いらなかった。道徳教育を取れば中学校の分も取れたようだが、敢えて取らなかった。高校の方が教員の質がいくらかましやろと思ったこともあるが、通りやすいとう理由で受験しないようにという気持ちが働いたのかも知れない。
大学全景(同窓会HPから)
全部は覚えていないが、教育原理などの所定の教職科目を取り、自分の出た高校に頼んで2週間の教育実習をすればよかったと思う。教科の英語は4年間のカリキュラムで定められた科目を取れば教科担当は可能ということのようだった。英語は全くしなかったので、実際に授業をする時に困らない程度には準備する必要があったわけである。
高校のホームページから
教育原理の授業は担当教員の威勢がよかった。大学紛争の時に学生側に着いた7人のうちの一人で、共産系らしくマルクスの『経済学・哲学草稿』の話を熱っぽく話していた。『経済学・哲学草稿』は1800年代の半ばに30歳のドイツ人カール・マルクスが書いたもので、問題を孕む資本主義に代わるもの(アンティテーゼ)として共産主義を提案したらしい。このまま資本主義が進んで行けば、労働、労働過程、労働生産物から疎外されるようになり、やがてはその大量消費の社会もマスメディアに完全に制御されて、必ず人間疎外の問題が起きると書いているようだ。その教員は企業優先の工業化社会の実態を指摘し、資本主義の持つ矛盾と、生産した富を平等に分配する必要性を説いてたように思う。
『経済学・哲学草稿』
あの熱意は、1930年代、40年代に西洋の多くの知識人が共産党に入党したことにイメージが重なる。そして、多くの人たちが脱党した。虐げられる人たちを一つの大きな塊(かたまり)として捉えても、個人としては決して見ることがない共産主義の矛盾に気づいたからである。リチャード・ライトや『コンゴ紀行』のアンドレイ・ジイドなどの転向記を集めてThe God That Failedが出ていたので、シカゴの本屋で買って読んだ。『神は跪く』の翻訳を注文して新本で買った覚えもある。
The Got That Failed
『神は跪く』
ベルリンの壁の崩壊や北朝鮮、今回のロシアのウクライナ侵攻を見れば、共産主義が資本主義の矛盾をただす解決策にはならなかったと思う。当の教員だが、日教組の闘士として政府と勇ましく「闘っていた」ようだが、後に学長になり、霞が関で辞令を拝命し、2期も学長を務めたらしい。いっしょに「黒人研究」の編集をしていた同僚が、「あの人、学長選の時は色んな人に頼みまくってたなあ、どうしてもなりたかったんかな」と言っていた。70年の第二次安保闘争に関わって東大の学生が卒業時に踏み絵を踏まされて転身、のちに警察庁長官や自民党の有力議員になって国家の中枢にいた構図とよう似てるなと思ったことがある。その人に、推薦書を頼みに奈良の家まで行った時、大声で一喝された。
「黒人研究」
次回は、教育実習、か。