つれづれに:南北戦争のあと:経済篇2(2026年1月24日)
つれづれに:南北戦争のあと:政治篇

→「南北戦争のあと:経済篇1」の後半である。
南北戦争で北部の産業資本家が勝ち、産業社会への動きが加速した。当然、安価な労働者と原材料が要る。手っ取り早く、が身上のアングロ・サクソン系の傾向は同じ、侵略して奪う、である。自国と南米では賄いきれない分を調達するために、手短なカリブ海とアジアから始めた。アフリカにも手を出したかったが、ヨーロッパ諸国のガードは固い。いつかの機会を待つしかない。当時、その地域にのさばっていたのはスペインである。そこと闘うしか活路はない。名目は、スペイン帝国に苦しめられているその地域の人たちのために、である。何とも滑稽だが、実際にやったのが1898年の米西戦争である。それほど産業化も進み、スペイン帝国に勝つための武器を賄う経済力をアメリカがつけていたということだろう。

南北戦争が終わったあと、しばらくしてから産業社会への変化の激しさを実際の生活の中で体感した人も多かっただろう。実際に生活がどう変わったは具体的にはわからないが、産業革命で基本構図が大きく変わったのは確かだろう。今まで手でやってたものを機械でするのだから。出来る範囲も広がるし、ある意味便利になる。鍬で耕していところを耕運機が耕してくれる。手で洗っていたところを洗濯機が洗ってくれる。歩いて行っていたところに、自転車や車で早く行ける。薪で沸かしていた風呂も、電気やガスで沸かせる。少し考えただけでも想像は広がる。鉄鋼、造船、トラックやバスや列車など、あらゆる面で基本構図が変わったはずである。経済的に豊かになった人たち、特に都会の住人には恩恵が大きかったと思われる。

シカゴミシガン通り
ドイツは1886年にガソリン・エンジンの車を実用化し、アメリカは1909年に大量生産を開始、1913年にはベルトコンベアを導入して低価格化に成功、自動車の大衆化を実現している。自動車の大衆化で、鉄工業や機械工業に石油産業、タイヤのゴムや窓ガラスなどの技術革新や生産の合理化が進んだ。自動車の普及は道路網の整備や物流や通信など、あらゆる分野に影響を及ぼし、現代社会の人間生活を一変させた。大量生産・大量消費時代に突入して行く。コンゴのレオポルト2世が傭兵(↓)を使い、残虐な行為に及んでアフリカ人にゴムを集めさせた時期に符合する。

20世紀の自動車ブームに加えて、18世紀後半のイギリスの運河開削ブームと、1830年代がピークの鉄道ブームも大きかった。アメリカで鉄道建設が始まったのは1827年で、1840年代後半に急速に発展した。カリフォルニアのゴールド=ラッシュで西部開拓が推進され、西に向かって人が押し寄せた。大量に、そして短時間に人と物資を運べる鉄道は脚光をあびた。1869年には大陸横断鉄道が開通し、広大な国土の東西をむすぶ大動脈となった。また、コロンビアからパナマを分離独立させて有利な条件で1914年にパナマ運河(↓)を開通させ、カリブと繋いだ。

米西戦争でアメリカはカリブ海及び太平洋の旧スペイン植民地に対する管理権を獲得していた。1898年12月に講和が成立し、パリ条約でキューバの独立は承認され、アメリカはフィリピン・プエルトリコ・グアムを領有した。フィリピンのハノイはペンタゴンが描く環太平洋構想の出発点となり→オキナワ→ソウル→ハノイと領域を伸ばして行った。ペンタゴン(↓)の世界戦略が進んで行く。
