つれづれに:雪合戦(2022年6月9日)
HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:雪合戦
生野峠周辺の山々
雪合戦をした。前の晩から降り始めた雪が積もり、その日は朝から辺り一面が雪の原だった。その日の英語の授業は雪合戦になった。今なら雪合戦はなかったかも知れない。
兵庫県の瀬戸内側の地域に住んでいたので、暑くもなく寒くもなく、そう頻繁に台風も来ず、雪が降っても積もるのは年に数回である。心がいじけていたせいか、暑くもなく寒くもないから、この辺の人は意地が悪いんやろなと本気で信じていた。兵庫県は宮崎県と同じで縦に長く、日本海側に面した北側は普段の生活に入り込んで来ることもめったになかった。一度中国山脈の「生野峠」(5月12日)を越えて日本海側の海岸線を自転車で回ったことがあるが、日本海を見るのはそれが初めてだった。
生野峠
学年旅行で浜坂に蟹を食いに行くことになり、毎日その話題で盛り上がっているのを見て、集団で旅行に行くのもその話が毎日続くのも摩訶不思議な世界だった。日本海で覚えているのはそれくらいである。
香住海岸
大学の時に電車で宮崎に来て、30年ぶりの雪だと言っているのを聞いたが(→「阿蘇に自転車で」、5月11日)、こちらに来て30数年、雪を見たのは何回かしかない。ほとんどがみぞれ混じり、少し積もったのが1回か2回である。台風は毎年やって来るが、雪とはほぼ無縁だ。ただし北の五ケ瀬にはスキー場もある。子供は高校の旅行でスキーに出かけ、女子は一日目は見学するように言われて憤慨していた。まわりのみんなが当然のように従っているのがもっと嫌だったと哀しそうに言っていた。関西弁をしゃべるからと虐められて虐める相手をやっつけたら、その輪が大きくなったらしい。大変な日々だったが、最後まで関西弁を使い、今は東京への永住組である。
今なら、職場を放棄して何ごとか、授業の遅れをどうするのか、と言われそうである。条件が揃わないと雪合戦は成り立たない。先ず合戦が出来る雪が要る。宮崎ではしようにも雪がない。大学の教養の時間に雪が降ってるな、外に出て雪合戦しよう、という気にはならない。雪国では顰蹙(ひんしゅく)を買うのがおちだろう。新設でスカートの丈がどうのこうのと煩かった(→「新採用一年目」、5月18日)、校長も怖れられている、そんな中で、雪が積もってるから雪合戦は、普通は範疇外だろう。素足に下駄で教員の面接に出かけた(→「面接」、5月9日))と同じくらい、か。どう考えても「鉄ちゃん」の影の力である。だからこそ教頭は、髭?雪合戦?懇親会には来んし、言うこともきかんし返事もせん、そんな私への苛立ちが怒りとなって、ある日、止められなくなったんやろうなあ(→「懇親会」、5月19日)。
当の本人はどう考えていたか。「こんなに雪が積もってるんやから、鉄ちゃん、学内放送で、今日の1校時は全校で雪合戦、速やかに運動場に出るように、と言わへんやろか」一年目に教務で隣り合わせだった国語の女性と、2年目に左隣の席だった理科の教師も、私が雪合戦をしているのを見て、生徒を連れ出して雪合戦をしていたよ、と後から聞いた。たまさんのクラスは雪合戦してるで、と言う五月蠅(うるさ)い生徒の声に負けたらしい。生徒からも教員からも、雪合戦のことで直接何かを言われたことはない。
次は、大学院入試2、か。
移転先の新校舎