つれづれに:ニューアフリカン(2024年10月9日)
つれづれに:ニューアフリカン
エイズに関するアフリカの3回目、ニューアフリカン(↓)である。
1966年創刊の「ニューアフリカン」は英語の月刊誌で、ロンドンが拠点である。毎月、22万人がアフリカ大陸での最新情報を求めて購読している、と言う。読者層は主に官僚やビジネスマン、医師や弁護士などらしい。日本に来たグギさんの世話をして以来、反体制分子とレッテルを貼られてしまったケニアの友人も、New Africanは読んでるよ、と言っていた。ケニアの文部省から京大に政治の研究に来て、博士号を取ったあと3年は助手をしていた。その後の職がなかったので、私が世話になっていた先輩が大阪工大(↓)の非常勤を世話したときに、同じ非常勤として紹介してもらった。それ以来、よく遣り取りをした。
出版されないままだが、グギさんの評論の翻訳をしたときは、いろいろ聞いた。ギクユ語やスワヒリ語やケニア(↓)の文化背景などで聞きたいことがたくさんあったからである。友人はナイロビ大学の秀才のようで、母国語のギクユ語の他に東海岸で使われているスワヒリ語に、もちろん英語、日本に来てからは日本語も使えるようになっている。ほかにルヒア語などもわかるらしい。日本語だけで済む人が多い日本と言語事情は違うが、多言語用の脳を持っている人物なのだろう。ただし、日本語は京都訛(なま)りというより、いかにも外国人という日本語で、一向に変化する気配はない。教えてもらうまで外国人だと気づかないほど流暢(りゅうちょう)な日本語をしゃべる人が身近にいるので、比較してしまう。
欧米のメディアが圧倒的な力を持っている現状では、アフリカに関心のある人たちには貴重な雑誌である。ただし、日本では「タイム」や「ニューズウィーク」のようには行かない。もちろん、研究室で定期購読という手もあったが、エイズの記事以外にそれほど必要性を感じなかったので、私は科研費の旅費を使って、過去の在庫がある大阪の国立民族学博物館と東京外大のアジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)の図書館に行き、アフリカのエイズ関連の記事を大量にコピーさせてもらった。民族学博物館は事前に連絡を通り、有料の万博公園を無料で通って図書館に辿(たど)り着いた。誰もが気軽にという雰囲気ではないなと、毎回思いながら公園内を歩いていた。もちろん、中に入れば図書館員は親切だったが。いかにも国家公務員という対応だった、と言えばいいか‥‥。東京外大のAA研(↓)の図書館は本館で事情を説明したら、案外すっと係員が連れて行ってくれたが、人はいなかった。わざわざ足を運ぶ人がほとんどいない分野ということだろう。お蔭で、一人静かに雑誌を見ることができた。
たぶんイギリス資本で、1999年までは英国人アラン・レイクなどのイギリス人が編集長をしていたようである。それが、イギリスに住むガーナ出身のパンアフリカニストバッフォー・アンコマー(↓)が編集長になってから、編集の色彩が大きく変わった。同じ年にムベキが大統領になり、歩調を合わせるように雑誌の傾向も変化した。
アフリカ人が執筆したエイズに関する記事が大幅に増えているし、異端派と無視されたアメリカ人の医師に原稿依頼をして、内部告発の人たちに書く場を提供してしている。扱うテーマも、エイズ検査や統計に加えて、抗HIV製剤と副作用、ムベキとメディア、エイズと貧困など、ぐっと幅を広げている。その後の約10年間に掲載されたエイズ関連の記事は、①エイズの起源、②エイズ検査、③統計、④薬の毒性(副作用)、⑤メディア、⑥貧困などが中心である。次回以降は、そこに提起された問題を詳しく紹介したい。次回はエイズの起源である。参照→「『ニューアフリカン』から学ぶアフリカのエイズ問題」(「ESPの研究と実践」第10号、2011年)
エイズの検査キット