つれづれに: 通草3(2021年9月28日)

つれづれに

つれづれに: 通草3

今日も台風の影響で雨が降っている。ここは海が近いので、絶えず潮騒が聞こえる。台風時は、ごーっとは表現し切れないような音、というか響きが絶えずしてる。地響きとは違うが、何か奥深くから絞り出されるような振動音で、少し不気味な感じがする。日本は島国なので、こんな海に囲まれた中で生活しているのに、日々の生活で意識することは稀だ。

いつかの台風の前の木崎浜

普段の木崎浜

あけびの続き通草3である。

道草の絵は多い。それだけ一時期集中して書いたということだろう。二人が働いて子供がいた時は、ほんとうに妻の絵の時間が取れなかった。それでも辛うじて、土曜日の午後の二時間を絞り出して、以前から通っていた伊川寛という画家の絵画教室に通っていた。当時は土日も授業があり、土曜日の半どんを終えたあとから出かけていた。伊川さんは都会風の洒落た絵を描いていて、マスコミに乗っていれば、小磯良平と同じくらいの評価を受けてもおかしくないのになあと絵を見て何度か思ったことがある。

ウェブで検索できる伊川寛「夏の海」(1938年制作 油彩2号)

なかなか大学が決まらなかったが、やっと宮崎医科大学に決まったとき、辞めて絵を描いてもいい?と嬉しそうだった。正規の職のない浪人ったので、交代しようということになった。

油絵を描いていたが、何度も上から塗れる油絵は体力が要るので、水彩にしようかなと言い出した。それで、京都に日本画を見にでかけたが、日本画は精密で、もっと体力が要りそうだった。宮崎と違って、新幹線があるので、明石からは半時間で京都に行ける。もちろん在来線を使えば超特急の料金を払わなくて済んだが、その時はお金より時間の方が優先順位が高かった。土曜日の午後は貴重な時間だったから。京都へ行くと、必ず錦市場に寄った。

錦市場

特に何かをというわけではなかったが、あの雰囲気がいい。コロナ騒動の前は、錦市場も外国人で溢れてすっかり変わってしまったと何かで見たが、今は少しは元の状態に戻っただろうか。地元には明石の魚の棚という市場があってよく生きている目板鰈(めいたがれい)や海老などを買っていた。

よく買っていた魚の棚の魚屋さん

海産物は苦手だが、その時は食べていた。目板鰈や海老には申し訳なかったが、生きたまま料理すれば、臭くなかったから。ホモサピエンスはどう仕様もない。

そんな状態で宮崎に来たから、描くことが楽しそうだった。毎日毎日花菖蒲を描きに、市民の森公園に自転車ででかけていた。僕も、花の材料をあちこち探し回った。

市民の森公園の花菖蒲園

道草の絵を見て、誰かが「おいしそう!」と言うのを聞いたとき、「そうや道草は食べられるんや」、と思った。それまで、絵を描く対象としか見ていなかったのである。それからは地元の農産物を扱う店先に道草が並べられているのに気づくようになった。ただ、まだ食べたことはない。