続モンド通信38(2022/1/20)作業中

2022年1月17日続モンド通信・モンド通信

続モンド通信38(2022/1/20)

私の絵画館:観覧車(小島けい)

2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬⑰:(小島けい)作業中

3 アングロ・サクソン侵略の系譜35:アフリカとエイズ(玉田吉行)

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1 私の絵画館:観覧車

昨年、念願だった回転木馬(カルーセル・エルドラド)を描くことができました。

 長い間、なにげなく見ていた木馬たちでしたが。いざ描こうとよく見ると、どの馬もそれぞれ表情、形が違っていました。

馬は、すべて職人さんたちの手作りと知り、作り手の方たちが、一頭一頭に込められた思いを感じました。

なかでも髪の毛の形で、一頭だけ異なる馬がいました。他の馬たちの前髪は、みんな横分けになっていますが。その馬の前髪だけは、前に下げてありました。

そこには、おそらく職人さんの特別な想いがあったのだろうと敬意を表し、絵の中では一番目立つ位置(右端)に描きました。

そのような発見もしつつ、楽しく同時にいつものように苦しみながら、絵は完成しました。

カレンダー「私の散歩道2021~犬・猫ときどき馬~」表紙

 その後少しホッとして、さて次の表紙は何を描こうかな?とぼんやり考えていると、娘がさらりと“メリーゴーランドの次は、観覧車でしょう”と言いました。

私の場合は、自分が描くので、なるべく描き易い題材を選びがちですが。彼女は、自分自身が描くわけではないという無責任さから、いつも軽く、そして適切な一言をくれます。

“そうか、やっぱりそうなるよねえ”と思いながらも、具体的にはしばらく筆を取れませんでした。

2、3年前。東京での個展の後、娘と一緒に名古屋に行き、一泊しました。

その時、久しぶりに間近に大きな観覧車を見ました。時間的に余裕がなく、乗ることはできませんでしたが、そのイメージだけは残りました。

あのような大きなものを、小さなカレンダーの表紙という小さな枠に、どうやっておさめるのだろうと思いつつ、時間がすぎました。

いよいよ〆切りが迫ってきた時。西宮に住んでいた子供の頃、両親と大阪のデパートに出かけた時は、いつも必ず屋上の遊園地で遊んだことを思い出しました。

デパートの屋上にあったようなかわいい観覧車に、動物たちを乗せてあげたら、きっと楽しいだろうなあ・・・。

そんな思いから、2022年の表紙の絵ができました。どの子をどこに乗せてあげよう、と考えながらの作業は、とても楽しい時間でした。

 楽しそうな絵を、カレンダー会社のデザイナーさんが、いつものようにさらに楽しく仕上げて下さいました。

カレンダー「私の散歩道2022~犬・猫ときどき馬~」表紙

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2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~⑰:

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3 アングロ・サクソン侵略の系譜35:アフリカとエイズ

2021年Zoomシンポジウム「アングロ・サクソン侵略の系譜」―アフリカとエイズ」(11月27日土曜日)/「ケニアの小説から垣間見えるアフリカのエイズ」5

エイズをテーマで2度科研費の交付を受けた。「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが」(平成15年~平成18年)と「アフリカのエイズ問題改善策:医学と歴史、雑誌と小説から探る包括的アプローチ」(平成21年~平成23年)である。両方とも文学と医学を結び付けた視点からエイズを考え直すいい機会になった。どちらのテーマも今回のテーマ「アングロ・サクソン侵略の系譜」に含まれる。(報告書を作っているので、PDFで送付可である)

奴隷貿易で資本を蓄積し、産業革命を起こして資本主義を加速させて、経済を拡大し続けて来ているのだから、当然搾り取られる側が被る弊害は大きくなっている。貧困や病気もそれらが表面化した結果に過ぎない。アフリカ系アメリカの歴史から辿り始めて、アフリカに目を向けるようになって、エイズをその流れの中で捉えるようになったのも、必然の結果である。その流れで、エイズの問題を考えてゆきたい。

交付された7年間での最大の成果は、エイズに限らず病気を包括的に見る、アフリカのエイズ問題はアフリカ人に聞くのが一番、ということだった。安い給料で働くしかないのに高価な薬が買えるはずがない、その日の食べものもないのに副作用の強い薬を飲めるわけがない、ほとんどのメディアを欧米諸国が支配している中でアフリカのエイズの状況を知る手立てがほとんどない、など考えればごくごく当たり前のことだ。ケニアの歴史で見てきたように、欧米や日本と手を組んだ政府に散散搾り取られて貧困に喘ぎ続ければ免疫力も低下して多くの人が病気になるのも当然である。エイズの問題も、貧困や病気を社会や経済などもっと大きな枠組みの中で捉えないと理解出来ないということである。

エイズも含め病気を包括的に見るべき、アフリカのエイズ問題はアフリカ人に聞け、と説くアメリカ人医師レイモンド・ダウニング(Raymond Downing)の著書 As They See It ? The Development of the African AIDSは非常に示唆的である。

エイズを包括的に見るために、ザンビアの元大統領ケネス・カウンダ、南アフリカの元大統領タボ・ムベキ、イギリスの雑誌「ニューアフリカン」の編集長バッフォー・アンコマーを紹介して、そのたちの言い分に耳を傾けるべきだと助言している。

欧米のメディアは抗HIV製剤が出来てエイズに打ち克ったように喧伝したが、カウンダは「いくらすぐれた薬が出来ても、満足に食べられないアフリカ人には抗HIV製剤だけがすべてではない」と言い、ムベキは「HIVだけがエイズの原因ではない。エイズ問題の根本原因は貧困である」と言い続けた。2003年に米国大統領ブッシュがアフリカなどのエイズ対策費用として抗HIV製剤に150億ドル(約1兆350億円)を拠出したあとにインタビューを受けたカウンダは次のように応じている。

「違った角度から見てみましょう。私たちはエイズのことがわかっていますか?いや、多分わかってないでしょう。どしてそう言うのかって?欧米西洋諸国では、生活水準の額は高く、HIV・エイズと効率的にうまく闘っていますよ。1200ドル(約10万8千円)、12000ドル(約108万円)で生活していますからね。数字は合っていますか。年額ですよ。アフリカ人は100ドル(約9千円)で暮らしていますから。もしうまく行って……将来もしアフリカの生活水準がよくなれば、生活も改善しますよ。たとえ病気になっても、もっと強くなれる……私は見たことがあるんです。世界銀行の男性です、HIV陽性ですが、その人は頑健そのものですよ!基本的に強いんです。それは、その男性がしっかりと食べて、ちゃんと風呂にも入り、何不自由なく暮らしているからです。その男性にはそう出来る手段がある。だから、ムベキの主張は、わざと誤解されて来た、いや、わざと言う言葉は使うべきじゃないか、わざとは撤回しますが、ムベキの言ったことはずっと理解されないままで来たと思いますね。」

ケネス・カウンダ

 さすがに貧困の原因の大半は先進国の搾取にあるとは言わなかったが、貧困をもたらす加害者アメリカに多額の寄付をされる現状にカウンダも苦笑せざるを得なかったに違いない。

ムベキはマンデラの大統領代行として新生南アフリカのエイズ問題を一手に引き受けた。当時のエイズ蔓延の状況が世界貿易機関(WTO)が決める知的財産所有権の例外条項である「国家的な危機や特に緊急な場合」と判断して、1997年に「コンパルソリー・ライセンス」法を制定した。しかし、製薬会社が後ろ盾の米国副大統領ゴアは南アフリカの状況は「国家的な危機や特に緊急な場合」にあたらないと主張して圧力をかけ、国際的に非難を浴びた。ゴアは「ムベキとともに、米国―南アフリカ二国間委員会の共同議長としての役割を利用して」、「悲惨な疫病に直面して絶望的な状況にある国民に薬を手に入れると誓って約束した一つの統治国家に対して無理強いを繰り返した」と英国科学誌「ネイチャー」で批判され、マイノリティの票を失なって、結果的にブッシュに大統領選で僅差で負けている。

ムベキは2000年に南アフリカダーバンで開催された世界エイズ会議でも同じ主張を繰り返して欧米のメディアに散散叩かれたが、二つの意味で歴史的な意義があった。一つは、病気の原因であるウィルスに抗HIV製剤で対抗するという先進国で主流の生物医学的なアプローチだけによるのではなく、病気を包括的に捉える公衆衛生的なアプローチによってアフリカのエイズ問題を捉えない限り本当の意味での解決策はありえないというもっと広い観点からエイズを考える機会を提供したことである。そしてもう一つは、1505年のキルワの虐殺以来、奴隷貿易、植民地支配、新植民地支配と形を変えながらアフリカを食いものにしている先進国の歴史を踏まえたうえで、南アフリカでは鉱山労働者やスラムを介して現実にエイズが広がり続けているのだから、その現状を生み出している経済的な基本構造を変えない限り根本的なエイズ問題の解決策はないと、改めて認識させたことだった。

タボ・ムベキ

 免疫不全の疾病と戦うのに、免疫力を弱める根本原因の貧困問題を考えずに、抗HIV製剤を声高に叫ぶ欧米や日本のマスメディアの方が明らかに不自然である。胃腸の調子がおかしい時に大量の薬を飲むのも、食べるものがない状態で副作用の強い薬を飲むのも苦しいだけなのだから。

「日赤看護師・助産師が出会った人々~ジンバブエにおけるHIV・エイズ対策事業~桜井亜矢子看護師による報告(前橋赤十字病院、2007年5月21日から11月20日にマショナランド・ウェスト州にて活動)」はそんな当時の実情を伝えている。

「エイズ治療薬はある。でも……

HIV感染者やエイズ発症者などで在宅看護のケアを受けている患者さんの中に、ザンビア出身の40代の女性がいます。彼女は1年以上前から毎月ザンビアに行き、エイズウイルスの増殖を抑える抗レトロウイルス薬(以下、ARV)を処方してもらい内服しています。以前、彼女を家庭訪問したとき、ARVを飲み忘れることはないかと尋ねたところ、『絶対に忘れない。これは、命綱だから』と真剣な表情で答えていました。

それから1か月、再び彼女の自宅を訪問したところ、彼女の顔の皮膚がやや黒ずみ、硬くなっていました。彼女にARVをきちんと飲んでいるか尋ねたところ、毎日欠かさず飲んでいると答えてくれました。ところが、『今日は飲みましたか?』の質問に彼女はうつむいてしまいました。すでに11時を過ぎています。本来であればとっくに飲んでいなければならない時間です。

『この薬は決められた時間に飲むように言われませんでしたか?』と確認すると、『薬をきちんと飲まなければ死んでしまうのはわかっている。しかし、この薬は空腹時に飲むと副作用がひどく耐えられないので、必ず食後に飲むようにしている。今日は食べるものがなくて、朝から食べ物を探しているがまだ手に入らないので飲めずにいる……。私だって早く薬を飲みたい……。』涙ぐむ彼女を前に、私は返す言葉が見当たりませんでした。」

アンコマーは、欧米のメディアに対抗して、「ニューアフリカン」で様々な角度からエイズ問題を取り上げ、問題提起をし続けた。「ニューアフリカン」のエイズ問題に関する記事全部に国立民族学博物館でほぼ目を通したが、極めて示唆的だった。ロンドン拠点の「ニューアフリカン」は1966年創刊の英語月刊誌で、「官僚やビジネスマン、医師や弁護士などや、アフリカに関心のある人たちには大切な雑誌」のようだ。永年英国に住むガーナ出身のアンコマーが1999年に英国人アラン・レイクに代わって編集長になった。同じ年にムベキが大統領になり、歩調を合わせるように雑誌の傾向を大きく変えた。アフリカ人が執筆したエイズに関する記事が大幅に増え、扱うテーマも、それまでのエイズ検査や統計の問題に加えて、抗HIV製剤と副作用、ムベキとメディア、エイズと貧困など、幅を広げた。その後の約十年間に掲載されたエイズ関連の記事は、①エイズの起源、②エイズ検査、③統計、④薬の毒性(副作用)、⑤メディア、⑥貧困などが中心である。

アンコマーは早くからエイズが人工的に生み出された病気だと主張して来たが、米国の皮膚科医アラン・キャントウェルJrに原稿を依頼している。キャントウェルJrは、エイズと癌の研究者として数々の具体的な根拠を示して、HIVが米国産の人工ウィルスで、エイズが生物兵器の実験から生まれたものではないかと結論づけた。起源説を主張するロバート・ギャロやマックス・エセックスは政府や製薬会社やマスコミとの繋がりが強く、学問的に過去に重大な間違いをおかしてきたこと(日本の厚生省はギャロを信じて輸入した血液製剤を使い続けて、エイズ薬害を引き起こした)、1978年に男性同性愛者に実施されたB型肝炎の人体実験がエイズの発症に大きく影響した可能性が強いこと、過去に米国政府が人体実験を行なった疑いが濃いことなどがキャントウェルJrの根拠である。キャントウェルJrは1994年のエイズ会議の立役者の一人で、会議は政府や製薬会社やマスコミに黙殺された。

アラン・キャントウェルJr

 米国政府の遺伝子組み換えによる超強力細菌兵器開発計画疑惑は、医師ドナルド・マッカーサーが国会で証言した1969年に遡る。マッカーサーは、専門家なら遺伝子操作で、細菌に対して免疫機構が働かなくなる、極めて効果的な殺人因子となる超強力細菌の開発は可能であることを示唆し、「次の五年か十年の間に、既存の病原因子とはある重要な点で異なる新しい感染性の微生物を作る可能性があり、感染症から比較的容易に身を守るために頼っている現存の免疫学的な手法や治療方法では手に負えなくなると思います。」と証言したが、その証言は80年代初頭の最初のエイズ患者騒動と時期が符合している。

過去に米国がB型肝炎の人体実験を男性同性愛者に行なった事実や、癌研究の名の下に生物兵器の研究を継続し、放射能の人体実験を行なった疑いが濃いこと、それらが兵器産業や製薬会社などと密接に繋がっていたという構図を考えれば、「アフリカ人が性にふしだらであると思い込んでいる人たち」が主張し続けるエイズのアフリカ起源説より、エイズが人工的に造り出された病気であるという主張の方がはるかに信憑性がある。

製薬会社

 チャールズ・ゲシェクターも主流派の言う「HIV/エイズ否認主義者」の一人で、1994年にエイズ会議を主催して主流派を学問的にやりこめた。ムベキの大統領諮問会議にも招聘され、「ニューアフリカン」でも執筆している。しかし、政府も製薬会社も体制派も資金源が体制派のマスコミもこぞってその会議を黙殺した。

ゲシェクターが「(1)エイズは世界で報じられているほどアフリカでは流行していない」と考えたのは、患者数の元データが極めて不確かだったからだ。エイズ検査が実施される以前は、医者が患者の咳や下痢や体重減などの症状を見て診断を出していたが、咳や下痢や体重減などは肺炎などよくある他の疾病にも見られる一般の初期症状で、かなりの数の違う病気の患者が公表された患者数に紛れ込んでいる確率が高かったわけである。検査が導入された後も、マラリアや妊娠などの影響で擬陽性の結果がかなり多く見受けられ、検査そのものの信憑性が非常に低いものだった。1994年の『感染症ジャーナル』の症例研究では、「結核やマラリアやハンセン病などの病原菌が広く行き渡っている中央アフリカではHIV検査は有効ではなく70%の擬陽性が報告されている」という結論が出されている。つまり、公表されている患者数の元データそのものが極めて怪しいので、実際には世界で報じられているほどエイズは流行していないとゲシェクターは判断したのである。2000年前後に「30%以上の感染率で、崩壊する国が出るかも知れない」という類の記事がたくさん出たが、最長10年と言われる潜伏期間の長さを考えても、20年以上経った今、エイズで崩壊した国はないのだから、報道そのものの元データが不正確だったと言わざるを得ない。

「(2)流行の原因が他にある」とゲシェクターが考えたのは、アフリカがエイズ危機に瀕しているのは異性間の性交渉や過度の性行動のせいではなく、低開発を強いている政治がらみの経済のせいで、都市部の過密化や短期契約労働制、生活環境や自然環境の悪化、過激な民族紛争などで苦しみ、水や電力の供給に支障が出ればコレラの大発生などの危険性が高まる多くの国の現状を考えれば、貧困がエイズ関連の病気を誘発する最大の原因であると言わざるを得ない。それはムベキが主張し続けた内容と同じである。

ゲシェクターが言う「患者数の元データが極めて不確か」に関しては、国連や世界保健機構(WHO)基準にも疑問を呈している。

チャールズ・ゲシェクター

 国連や世界保健機構(WHO)に関する記事に使われた数字は、世界保健機構(WHO)が1985年10月に中央アフリカ共和国の首都バングイで採択したバングイ定義に沿って計算されたものである。採択された「アフリカのエイズ」のWHO公認の定義は、「HIVに関わりなく、慢性的な下痢、長引く熱、2ヶ月内の10%の体重減、持続的な咳などの臨床的な症状」で、「西洋のエイズ」の定義とは異なる。しかも栄養失調で免疫機構が弱められた人が最もウィルスの影響を受け易いうえ、性感染症を治療しないまま放置していると免疫機構が損なわれて更に感染症の影響を受けやすくなるので、マラリアや肺炎、コレラや寄生虫感染症によって免疫機構が弱められてエイズのような症状で死んだアフリカ人は今までにもたくさんいたことになる。つまり、その人たちも含まれるバングイ定義に沿ってコンピューターによってはじき出された数字は、アフリカの実態を反映したものではなかったわけである。

英国のテレビプロデューサー/ジャーナリストのジョーン・シェントンは研究者チームを連れてガーナとコートジボワールに渡って調査を行ない「ガーナで227名の患者に、コートジボワールでは135名の患者に『HIVと関わりのないエイズ』を発見した。すべての患者はアフリカに昔からある体重減、下痢、慢性的な熱、肺炎、神経的な疾病の症状を呈していました。しかもガーナの227名、コートジボワールの135名がHIVの陰性でした。」と報告した。

エイズ検査の結果も極めて不確かで、資金不足のためにアフリカの病院で一般に行われていたELISA法[酵素免疫吸着測定法]による血液検査では83%も擬陽性が出る可能性があると言われていたし、ロンドンでも研究所によって結果が違い、一ヶ月の間に検査結果が二転三転した例も報告されていた。ダウニングも、妻にELISA法での陰性の結果が出て、ナイロビの病院でウエスタンブロット検査を受けたが判定できないと言われ、結局米国で検査を受けて陰性ではないと判った経験があると綴っている。

シェントンが「アフリカでは肺炎やマラリアがエイズと呼ばれるのですか?」と質問した時、ウガンダの厚生大臣ジェイムズ・マクンビは「ウガンダではエイズ関連で常時700以上のNGOが活動していますよ。これが問題でしてね。まあ、いつくかはとてもいい仕事をやっていますが、かなりのNGOは実際に何をしているのか、私の省でもわかりません。評価の仕様がないんです。かなり多くのNGOが突然やって来て急いでデータを集めてさっと帰って行く、次に話を聞くのは雑誌の活字になった時、なんですね。私たちに入力するデータはありませんよ。非常に限定された地域の調査もあり、他の地域が反映されていない調査もあります。」と答えた。別のウガンダ人バデゥル・セマンダは「人々はエイズで儲けようと一生懸命です。もしデータを公表して大げさに伝えれば、国際社会も同情してくれますし、援助も得られると考えるんです。私たちも援助が必要ですが、人を騙したり、実際とは違う比率で人が死んでいると言って援助を受けてはいけないと思います。」と語っている。

シェントンは「エイズ論争は金、金、金をめぐって行われて来ました。ある特定の病気にこれほど莫大な金が投じられてきたのは人類の医学史上初めてです。」と指摘した。

アンコマーは「一番厄介なのは、世界中の人々がこれらの数字を額面通り受け取り、アフリカ人はほとんど誰もが頭からつま先までHIVウィルスにまみれ、もし今死ななくても、十年かそこらのうちに死ぬのを待っているだけだと信じることです。」と指摘し、「アフリカ自体が自身と誇りを持つために、今こそ各国政府は自身の無気力、無関心な態度を捨て去り、アフリカ起源説の無実の罪を着せられかけた1980年代初頭にハイチがしたように、これらの数字に正々堂々と反論して闘うべきです。死を待つだけと言われている2600万人の市民とともに生きているのは、最終的にはアフリカの政府なのですから。」と訴え続けた。

アフリカのエイズ問題をアフリカ人に聞くために、次はエイズの状況を描いたケニアの二冊の小説ワグムンダ・ゲテリア著『ナイスピープル』とメジャー・ムアンギ著『最後の疫病』である。

バッフォー・アンコマー