ビジネス英語 I-1(2)

* 前期Zoomで大変やったけど、何とか最後まで出来てよかったです。

* 今日か明日かに成績登録しときます。未提出者もいるんで。

* たぶん4回くらいになると思うけど、Zoomトーイック(夏休み版)やる人は、今からでもメールしてくれたら招待状送るよ。

(2007年10月小島けいカレンダー、手書きのカレンダー)

トーイックの奨学金については、学生からの問いあわせもあり、副学長の段階で検討中です。結果が出たら該当(二人しかいないけど)にはメールするね。

事務局からは以下のメールが届いています。 ↓

ご担当の先生より、6月に地域資源創成学部で実施された「TOEIC-IPオンライン」の試験結果も成績優秀者奨学金の申請可能であるかという問合せがありました。

担当部局(学生支援部学生生活支援課)に確認をしておりましたところ、「テスト形態(問題数・時間)が異なることから、奨学金の対象外とさせていただく」との回答がありました。

※2020年度宮崎大学「夢と希望の道標」奨学金については下記URLをご参照ください。

http://gakumu.of.miyazaki-u.ac.jp/gakumu/campuslifeinfo/2015-12-22-01-52-39.html

 

前期のスコアと換算スコアの分布を書いとくね。3年まであと3回受験が必須で、成績の50%をトーイックのスコア、が学部の方針なんで、英語で良い成績をと思う人はトーイックのスコアを伸ばすしかないと、ということになるかな。

授業でも繰り返し言ったけど、トーイックのスコアがよくても必ずしも英語が使えるというわけではないけど、英語を使うモードにするなら、トーイックも役には立てられる、と思うよ。いいスコアを取れば励みにもなるしね。くり返していうけど、過去問をくり返してやり、基本文をくり返してインプットすれば800まではそれほど不可能やないと思う。500前後の人は、一踏ん張りすれば奨学金をもらえるライン(650)に行くと思うよ。希望者には夏休みもZoomトーイック、後期が始まってからも11月の試験に向けてのZoomトーイックも考えてるんで。就職活動で使う履歴書に高得点の証明が要る人はお金を出してトーイック講座に通うと聞くけどね。

このクラスのスコア、換算点(成績の50%)の分布

スコア

700~ 2人

500~549 1人

400~449 0人

350~399 11人

300~349 6人

~299 5人

換算点

46~50 2人

41~45 1人

36~40 4人

31~35 17人

25~30 9人(単純に倍にして点をつけると不可やね。)

 

英語 Ra1(2)

* 前期Zoomで大変やったけど、授業してて楽しかったです。

* 今日か明日かに成績登録しときます。

* たぶん4回くらいになると思うけど、Zoomトーイック(夏休み版)やる人は、今からでもメールしてくれたら招待状送るよ。

(2007年10月小島けいカレンダー、手書きのカレンダー)

トーイックの奨学金については、学生からの問いあわせもあり、副学長の段階で検討中です。結果が出たら該当者にはメールするね。

事務局からは以下のメールが届いています。 ↓

ご担当の先生より、6月に地域資源創成学部で実施された「TOEIC-IPオンライン」の試験結果も成績優秀者奨学金の申請可能であるかという問合せがありました。

担当部局(学生支援部学生生活支援課)に確認をしておりましたところ、「テスト形態(問題数・時間)が異なることから、奨学金の対象外とさせていただく」との回答がありました。

※2020年度宮崎大学「夢と希望の道標」奨学金については下記URLをご参照ください。

http://gakumu.of.miyazaki-u.ac.jp/gakumu/campuslifeinfo/2015-12-22-01-52-39.html

 

前期のスコアと換算スコアの分布を書いとくね。3年まであと5回受験が必須で、成績の50%をトーイックのスコア、が学部の方針なんで、英語で良い成績をと思う人はトーイックのスコアを伸ばすしかないと、ということになるかな。

授業でも繰り返し言ったけど、トーイックのスコアがよくても必ずしも英語が使えるというわけではないけど、英語を使うモードにするなら、トーイックも役には立てられる、と思うよ。いいスコアを取れば励みにもなるしね。くり返していうけど、過去問をくり返してやり、基本文をくり返してインプットすれば800まではそれほど不可能やないと思う。500前後の人は、一踏ん張りすれば奨学金をもらえるライン(650)に行くと思うよ。希望者には夏休みもZoomトーイック、後期が始まってからも11月の試験に向けてのZoomトーイックも考えてるんで。就職活動で使う履歴書に高得点の証明が要る人はお金を出してトーイック講座に通うと聞くけどね。

このクラスのスコア、換算点(成績の50%)の分布

スコア

600~ 4人

550~599 0人

500~549 7人

450~499 9人

400~449 0人

350~399 3人

~349 7人

換算点

46~50 4人

41~45 11人

36~40 5人

31~35 5人

25~30 5人

 

続モンド通信・モンド通信

続モンド通信21(2020/8/20)

 

私の絵画館:「寅次郎くんとコスモス」(小島けい)

2 小島けいのジンバブエ日記14回目:後書き(小島けい)

3 アングロ・サクソン侵略の系譜18:「 アフリカ系アメリカの歴史」(玉田吉行)

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1 私の絵画館:「寅次郎くんとコスモス」(小島けい)

モデルは、大分県在住の<寅次郎くん>です。

寅次郎くん

個展を始めて今年で13年目になりますが、最初の五年間は、大分県の飯田高原にある<九州芸術の杜>でお世話になりました。

九州芸術の杜正面

そこで個展をしていた時。一人の落ち着いた雰囲気の女性が、作品を見終わった後話しかけてこられました。豊後大野市で<夢色工房>というお店をしている方でした。<私のお店で、絵とカードを販売しませんか?>というお誘いを受けました。

しばらく後、ありがたく作品を置かせていただいたのですが。そのお店に来る若い女の人で、えらく私の作品を気に入って下さった方がおられるとか。そして、彼女はもっと私の作品を広めようと、自主的にあちこち動物病院にあたったりして下さっているというのです。そのお話を聞いてからずっと、何という<ありがたい方>!と感謝の気持ちでいっぱいでした。

その後何年も年月が流れ、彼女は縁あって大分県から四国の方に嫁いでいかれました。

寂しくなった彼女の実家には、新しい犬ちゃんがやってきました。それがこの愛らしいダックスフンドの寅次郎くんです。ちなみに、命名はお父様だそうですよ。

2020年10月カレンダー

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2 小島けいのジンバブエ日記14回目:「後書き」(小島けい)

 何故か、旅の六年後に書いた文章が残っています。その時からっもずいぶん月日は流れましたが、感じる思いは今も変わりませんので<小島けいのジンバブエ日記>の後書きに代えたいと思います。

旅kら六年を経た今、改めてふり返ると、「私のアフリカ」はほとんどゲイリー一家との交流に限られています。そして出逢ったことを忘れてしまわないで、引き受け続けることの難しさを、感じるこの頃でもあります。

白人と黒人が対立している国を訪れ、初めて、そのどちらにも属さない立場を意識しました。それはとても中途半端ですが、その曖昧さ故に、どちらにも関わり得るということが強みでもあります。

これからもし何か出来るとすれば、それはいずれかに擦り寄ることではなく、「黄色」の立場からではないか、と感じたのですが、その実行は、生半可にはいかないようです。

 

 アフリカ不思議なところです。何もなくてあたりまえですが、何が起こってもおかしくありません。体力的にそれほど強くない私たち家族が、病気もせず帰ることができた。本当は、それだけで、十分だったのかもしれません。

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3 アングロ・サクソン侵略の系譜18:「アフリカ系アメリカの歴史」

アフリカの歴史の次は、アフリカ系アメリカの歴史の拠り所についてです。リチャード・ライトの小説を興奮して読みながら、小説を理解するためにはアフリカ系アフリカ人が辿った歴史を辿るなかでその必要性を感じました。

「アングロ・サクソン侵略の系譜17: アフリカの歴史」続モンド通信20、2020年7月20日)

リチャード・ライト(小島けい画)

もちろん、アフリカ系アメリカの小説を理解するために始めたわけですから、本格的な歴史書、ハーバード大学でアフリカ系アメリカ人として初めて博士号を取ったCarter G. WoodsonのThe Negro in Our History (1922)ゼミの担当者貫名さんが十年かけて翻訳されたWilliam Z. FosterのThe Negro in An American History (1954)(『黒人の歴史―アメリカ史のなかのニグロ人民』、大月書店、1970年)シカゴ大学の歴史学者John Hope FranklinのFrom Slavery to FreedomA History of Negro Americans (1980)などを先ず読むべきだったのでしょうが、私が拠り所にしたのは、①ラングストン・ヒューズの“The Glory of Negro History”、 ②ライトの12 Million Black Voices、③マルコム・リトゥルのMalcolm X on Afro-American History④アレックス・ヘイリーのRootsと⑤それを基に作られたテレビ映画「ルーツ」、それと⑥本田創造さんの『アメリカ黒人の歴史』でした。

  • “The Glory of Negro History”

“The Glory of Negro History” (1964年)はラングストン・ヒューズ(Langston Hughes, 1902-1967)が物語った詩人の歴史です。アメリカにアフリカ人が連れて来られるようになった頃から公民権運動が始まる頃くらいまでの詩人から見た民衆の物語です。詩人らしく、自らが朗読してレコード(LP)も出しています。当時生存中の著名人にも演奏や朗読を依頼して花を添えている貴重な歴史資料でもあります。

文化として黒人が受け継いできたスピリチュアルズ、ブルース、ジャズなどを盛り込み、そのレコードをウッドスン博士に献じました。

ヒューズとも親交のあった古川博巳さんが註をつけて、南雲堂から出されていた大学用のテキストを5年ほど、映像などといっしょに教養の英語の時間に使い、ヒューズの朗読も教室でくり返して聴きました。民衆に寄り添った詩人の肉声は、後の世の人への素敵な贈り物だと実感しながら聴いていました。マルコム・リトゥルなどが痛烈に批判したNegroが表題に使われてはいますが、死ぬまでハーレムを去らなかった詩人らしく、民衆の中に根ざしたアフリカから連れて来られた人たちの子孫の「栄光」の歴史です。

  • 12 Million Black Voices

詩人の“The Glory of Negro History”と併せて、小説家リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)の12 Million Black Voices(『1200万の黒人の声』、1941)も拠り所となりました。『アメリカの息子』(Native Son, 1940)と自伝的スケッチ『ブラック・ボーイ』(Black Boy, 1945)の谷間にあって知名度は高くないのですが、なかなかの力作です。

少数の支配者層に搾取され、虐げられ続けてきた南部の小作農民と北部の都市労働者に焦点を絞り、エドウィン・ロスカム編の写真をふんだんに織り込んだ「ひとつの黒人民衆史」です。

「リチャード・ライトと『千二百万人の黒人の声』」(「黒人研究」第56号50-54頁、1986年)

  • Malcolm X on Afro-American History

Malcolm X on Afro-American History は、1981年にニューヨーク公立図書館のハーレム分館に行った帰りに立ち寄ったアフリカ系アメリカとアフリカの専門店リベレーションブックストアで見つけたもので、前回紹介したThe Struggle for Africaと共に貴重な拠り所になりました。

「アングロ・サクソン侵略の系譜3:『クロスセクション』」続モンド通信3、2019年2月20日)

公民権運動の指導者マルコムが4回シリーズで語ったアフリカ、アフリカ系アメリカの歴史で、4回目の途中に暗殺されましたので、未完のままです。白人支配の体制に闘いを挑む前に、先ず自己意識の変革の必要性を説き、アメリカ黒人の歴史についての話をしています。奴隷船でアフリカから連れて来られる以前に、アフリカにいかに豊かな文化があったか、いかに自分たちの祖先が優れた人々であったか、又、いかに巧妙な手段を使って白人たちが黒人に白人優位の考え方を植えつけてきたか、そして今、自分たちが何をしなければならないのかなどを語りました。「黒人歴史週間」やアメリカ黒人の呼び方「ニグロ」の欺瞞性も次のように厳しく批判してします。

なかでも、特に質の悪いごまかしは、白人が私たちにニグロという名前をつけて、ニグロと呼ぶことです。そして、私たちが自分のことをニグロと呼べば、結局はそのごまかしに自分が引っ掛かっていることになってしまうのです。……私たちは、科学的にみれば、白人によって産み出されました。誰かが自分のことをニグロと言っているのを聞く時はいつでも、その人は、西洋の文明の、いや西洋文明だけではなく、西洋の犯罪の産物なのです。西洋では、人からニグロと呼ばれたり、自らがニグロと呼んだりしていますが、ニグロ自体が反西洋文明を証明するのに使える有力な証拠なのです。ニグロと呼ばれる主な理由は、そう呼べば私たちの本当の正体が何なのかが分からなくなるからです。正体が何か分からない、どこから来たのか分からない、何があなたのものなのかが分からないからです。自分のことをニグロと呼ぶかぎり、あなた自身のものは何もない。言葉もあなたのものではありません。どんな言葉に対しても、もちろん英語に対しても何の権利も主張できないのです。[『マルコムX、アメリカ黒人の歴史を語る』 Malcolm X on Afro-American History (New York: Pathfinder, 1967), p. 15]

小島けい画

後に、自己意識の大切を説いた南アフリカのスティーブン・ビコなど、多くの人にも影響を与えた貴重な人物の一人だと思います。

 

Rootsと⑤テレビ映画「ルーツ」

『ルーツ』(Roots, 1976)はアレックス・ヘイリー(Alex Haley, 1921~1992)が自分の祖先を七世代遡って小説にまとめたもので、翌年にはテレビ化され、各国で翻訳もされて世界的に反響を呼びました。

30周年記念DVD版の表紙

17歳だった1767年に奴隷狩りに遭い、アメリカ大陸に連れて来られた祖先クンタ・キンテの名前を、村の歴史を継承する語り部グリオ(griot)の口から聞くために、西アフリカガンビアの小さなジュフレ村を訪れています。

私はテレビ放送があった頃は見ていませんが、1980年代半ば頃に非常勤講師としてお世話になった大阪工業大学のLL(Language Laboratory)教室でダビングしてもらいました。孫テープの画質はよくないですが、今となっては貴重な資料です。2007年に30周年記念版のDVDは映像も鮮明ですが、一部(クンタ・キンテの誕生から、奴隷解放がテネシー州に落ち着くまで)だけで、それ以降の2部は含まれていません。どちらも、今は映像ファイルに化けて、英語の授業で大活躍です。

Roots, 1976

安岡章太郎訳日本語版上

安岡章太郎訳日本語版下

 

『アメリカ黒人の歴史』

本田創造さんの『アメリカ黒人の歴史』(岩波新書、1964年)も拠り所の一つになりました。黒人研究の会の例会で一度だけ本田さんのお話を伺ったことがあります。大学で私のゼミの担当者だった貫名義隆さんが誘われたようで、当時は一橋大学の教授だったと思います。

黒人研究の会は貫名さんが1954年に神戸市外国語大学の同僚を中心に、中学や高校の教員や大学院生とともに始めた「黒人の生活と歴史及びそれらに関連する諸問題の研究と、その成果の発表を目的とする」(会報「黒人研究」第1巻第1号1956年10月)小さな研究会です。例会での『アメリカ黒人の歴史』の評判は上々でした。同じ頃出版された猿谷要さんの『アメリカ黒人解放史』(サイマル出版会、1968年)も研究会で話題にのぼりました。当時東京女子大教授で、NHKにも出演して有名だったようですが、本田さんの本とは対照的に、研究会での評判は散々だったと記憶しています。

「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」続モンド通信10、2019年9月20日)

1619年8月に植民地労働力としてアメリカ最初のアフリカ黒人が、1620年11月にイギリス軍艦をともなったオランダ船が、どちらもヴァージニアのジェームズタウンに来たことを指摘して書いた「アメリカ最初の代議制議会の誕生という民主主義的なもののはじまりと、アメリカ最初の黒人奴隷の輸入、すなわち生身の人間を動産とする黒人奴隷制度という非民主主義的なもののはじまりとが、同じ時に、同じ場所で、同じ人間によってなされたことのアメリカ史の皮肉である」という書き出しは印象的でした。

その後、奴隷制を基に発展していくアメリカを、南部戦争→再建期→反動→公民権運動を丁寧に辿り、わかり易く書かれています。1991年に改訂新版(新赤版)が出て、今も岩波新書「アメリカ黒人の歴史」は読み継がれているようです。

アメリカの歴史に関しては、英文書Africa and its Descendantsの3章を軸に、4回に分けて書きました。↓

「アフリカ系アメリカ小史①奴隷貿易と奴隷制」「モンド通信 No. 67」(2014年3月10日)

「アフリカ系アメリカ小史②奴隷解放」「モンド通信 No. 68」(2014年4月10日)

「アフリカ系アメリカ小史③再建期、反動」「モンド通信 No. 69」(2014年5月10日)

「アフリカ系アメリカ小史④公民権運動」「モンド通信 No. 70」(2014年6月10日)

(宮崎大学教員)

 

英語 Ra1(2)

課題の講評です。もっと早くと思ってたけど。昨日は早く寝た分、今朝は早く目覚めて。さっきやっと読み終えました。

全般の講評は、全体によう出来たてたと思います。感心しました。たぶん自粛期間も長かったので時間をかけた人も多かったようで。四分の三ほどが英語というのも異常事態、初めてです。毎年一割あるかないかやから、やっぱり異常事態、やなあ。

しかも、英語は充分に読めたんで、アウトプットの機会を増やして、書いたり、読んだり、聞いたり、話したり、どんどんやれば気づいたら使えるようになってる、ということかもねえ。

僕は、戦争に負けて無理やりやらされて・・・という意識が強かったせいか英語に対していまだに抵抗があるけど、高校の教員の採用試験が受験出来たのも、38で大学職に就けたのも、受験勉強をしないでたまたま行き着いた先が英米学科で、教員資格も取れたし、(アメリカの半ば支配下にあって)全般に英語と関係のある仕事が圧倒的に多かったからやと思う。もちろん、結果論やけど。

原爆を落とされて無条件降伏をつきつけられ、色々な局面でアメリカを強要されてから久しい今となっては、英語が使える方が圧倒的に有利なのは事実、みたい。

仮説を立てて客観的に論証するという作業は、大学ですべき大事なことの一つ、教養、専門基礎では特に大事やと思います。

秀を3段階(満点、SS、S)、優を2段階(AA、A)に分けました。あんまりひどいのはB、Cをと思ってたけど、それはつけずに済みました。

満点 8人、SS 1人、S 10人、AA 3人、A 5人、未提出3人。計30人。

英語で書いてたのは20人。満点は、ある一定の水準を超えていそうで、短い期間によう書けたなあ、と感服した課題につけました。

仮説が曖昧なのが結構ありました。~が~であるという明確な仮説を立ててはっきりと論証するのが大切やと思います。感想文に近いのや、調べたものをまとめて自分の意見をつけたのもあったように思います。

最終的には言いたい気持ちが強いのがこちらに一番伝わって来ると思います。課題に限らず、書いたものはすべてそうやと思うけど。

わかりやすいのは、きちんと章立てが出来(もちろん、論理的な展開一目でわかるものがベスト)、参考文献もきちんとついているもの。図や統計のような客観的な資料や、言ってることをまとめているような画像や地図も効果的やと思います。

その辺りは形式の問題なので、読む側の視点も考慮して書ければ自ずから何が読みやすいかは見えて来ると思います。

個人的に講評が必要な人は連絡してもらえればメールでも、Zoomでも、課題を見ながら、意見も聞きながら話出来ると思います。7~8割は後期も授業で会う機会がありそうなので、遠慮なくどうぞ。

なんとか、やっと書けました。

住んでるのは学園木花台の高台にあるんで、家からも木花の研究室からも、加江田の山が見えます。今は梅雨もあけた真夏の加江田の山やね。ひさしぶりに木崎浜に自転車で行って、真夏の砂浜を歩くかな。