ビジネス英語 I-1(2)

<連絡事項>

* 授業日程確認:

12回目→7月27日(月):発表(時間があれば『金のフレーズ』)

13回目→7月29日(月):発表、(時間があれば『金のフレーズ』)

14回目(最終回)→8月3日(月):発表、(時間があれば『金のフレーズ』)、まとめ(みんなのコメントが聞きたい、ねえ)

* 希望者がいれば、前期試験が終わった頃から先ずは後期が始まる前、希望があれば継続して11月の2回目のトーイックの試験まで週一回くらいのZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集しての過去問演習、前回希望者でやった要領で)につき合ってもいいと思っています。ただし、11月の試験では、最低5000円はもらえる650はクリアしてもらわんとあかんと思うけど。希望者はメールしてくれたら、Zoomの招待状を送ります。(人数にもよるけど、たぶん他の希望者と合同で)試験最終日が8月の20日くらいやろから、それまでに連絡してくれたら。一人でもメールが届いた時点から新Zoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集)の問題を作ります。

授業でやったこと

* 日程、Webclassでの提出(発表したファイルに感想、コメントをつけて)の確認。

* 発表:さん

(前回の繰り返しやけど)少し英語の文章や、表現の仕方についても言いました。済んだ人でsecond versionを作って発表してや。将来の専攻の選択や専攻と英語を結びつけられるように、先ずは自分のしたいこと→ゼミ選択→ゼミでの専攻内容、将来の職業選択と重なればと思っています。

<次回>は
① 発表:出来るだけようさんの人。

② (時間があれば)『金のフレーズ』。

授業で、また。

途中で着替えたけど、あの頃に少し汗がひいて。
二週間毎にマッサージをしてもらってる西口さんから、玉田さん、左脚の筋肉が少し落ちてますねと言われたんで、左脚に力を入れて三段変速の一番重いので坂道を立たないで2往復(一年のクラスが終わったあとお昼を食べに家に帰ってるんで)、汗だくになったね。
日が落ちる頃に歩けるとえんやけど。70過ぎても筋肉はつくそうやけど、生きてるだけで、大変や。
一つ葉の砂浜ではしゃいでいた三太(ブログの名前の片われ)。最近木崎の浜で歩いてないけど、自転車で浜まで行って歩きたいねえ。冬の砂浜もええけど、夏はサーファーとは違う動きで砂浜を歩くのもそれなりに楽しいね。サーフィンの大会があると、警備員に締め出されるけど。
木崎浜から曽山寺浜にかけられた橋。総合公園からのマラソンコース。青島の旧パームビーチホテルのとこら辺まで。道は青島から、青島港まで続いてるけど。

クラス名簿(再掲載)2020年前期 ビジネス英語I-1 (2) クラス名簿(34名)

30190034 足達 陽向 アダチ ヒナタ
30190070 安藤 由貴 アンドウ ヨシキ
30190083 家城 真志 イエキ マサシ
30190098 市谷 奈菜 イチタニ ナナ
30190133 岩井 駿空 イワイ シュンスケ
30190197 奥村 直也 オクムラ ナオヤ
30190225 甲斐 彩香 カイ サヤカ
30190249 香川 百萌子 カガワ モモコ
30190263 河口 暁 カワグチ アキラ
30190274 河野 紘進 カワノ コウシン
30190287 河野 多恵 カワノ タエ
30190292 河野 舞香 カワノ マイカ
30190313 喜多 あやめ キタ アヤメ
30190359 小出 響 コイデ キヨウ
30190366 小金丸 拓哉 コガネマル タクヤ
30190405 小林 里雄人 コバヤシ リユウト
30190414 小松 晃大 コマツ アキヒロ
30190429 佐伯 直樹 サエキ ナオキ
30190432 迫 優花 サコ ユウカ
30190443 迫田 信慈 サコダ シンジ
30190478 里中 優太 サトナカ ユウタ
30190496 清水 優成 シミズ ユウセイ
30190539 田中 碧 タナカ アオイ
30190557 塚元 健太 ツカモト ケンタ
30190588 徳留 未来 トクドメ ミライ
30190609 中川 大夢 ナカガワ ヒロム
30190661 中平 悠稀 ナカヒラ ユキ
30190719 羽田野 夢華 ハタノ ユメカ
30190755 林 聡一 ハヤシ ソウイチ
30190762 原口 智衣 ハラグチ チエ
30190786 春山 大輔 ハルヤマ ダイスケ
30190803 藤野 百香 フジノ モモカ
30190841 松原 光弥 マツバラ コウヤ
30190946 與那嶺 明里 ヨナミネ アカリ

 

英語 Ra1(2)

<連絡事項>

* 課題提出:7月27日(月)授業時までにWebclassで提出。遅くとも29日(水)までに。

* 授業日程確認:

12回目→7月27日(月):『金のフレーズ』、映像「アフリカシリーズ」

13回目→7月29日(月):『金のフレーズ』、映像「アフリカシリーズ」

14回目(最終回)→8月3日(月):まとめ(全員のコメントが聞きたいです。いろいろ聞かせてや。頼みます。)

* 希望者がいれば、前期試験が終わった頃から先ずは後期が始まる前、希望があれば継続して11月の2回目のトーイックの試験まで週一回くらいのZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集しての過去問演習、前回希望者でやった要領で)につき合ってもいいと思っています。ただし、11月の試験では、最低5000円はもらえる650はクリアしてもらわんとあかんと思うけど。希望者はメールしてくれたら、Zoomの招待状を送ります。(人数にもよるけど、たぶん他の希望者と合同で)試験最終日が8月の20日くらいやろから、それまでに連絡してくれたら。一人でもメールが届いた時点から新Zoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3を編集)の問題を作ります。

授業では

* 課題提出日、課題の再確認

* 前回、やってくれた発表のThe colonization of Africa: Precolonial Africa(恒吉さん)、西アフリカの王国(戸高さん)、トワレグ人(小島さん)、カイロ(梅山さん)、The colonization of Africa: The first colonialists(田代くん)の「アフリカシリーズ」の映像。(西アフリカの王国の映像が壊れてたんで見てもらえなかったけど)

1992年に家族で行ったジンバブエ遺跡の画像も。英語で解説。

* 『金のフレーズ』①の10までのブレイクアウトセッション。

次回

* 『金のフレーズ』①の11からのブレイクアウトセッション。①が終わるとええね。

* 「アフリカシリーズ」の映像、それと1980年代のライブエイドの音楽を少々、時間があるとええけどね。

授業で、また。

 

二週間毎にマッサージをしてもらってる西口さんから、玉田さん、左脚の筋肉が少し落ちてますねと言われたんで、左脚に力を入れて三段変速の一番重いので坂道を立たないで2往復(一年のクラスが終わったあとお昼を食べに家に帰ってるんで)、汗だくになったね。
日が落ちる頃に歩けるとえんやけど。70過ぎても筋肉はつくそうやけど、生きてるだけで、大変や。
一つ葉の砂浜ではしゃいでいた三太(ブログの名前の片われ)。最近木崎の浜で歩いてないけど、自転車で浜まで行って歩きたいねえ。冬の砂浜もええけど、夏はサーファーとは違う動きで砂浜を歩くのもそれなりに楽しいね。サーフィンの大会があると、警備員に締め出されるけど。
木崎浜から曽山寺浜にかけられた橋。総合公園からのマラソンコース。青島の旧パームビーチホテルのとこら辺まで。道は青島から、青島港まで続いてるけど。

 

クラス名簿(再掲載)2020年前期 英語 Ra1(2)クラス名簿(31名)

30170030 井戸 颯人 イド ハヤト
30200049 池ノ上 将基 イケノウエ シヨウキ
30200092 梅山 愛梨 ウメヤマ アイリ
30200100 押領司 尚美 オウリヨウジ ナオミ
30200137 尾崎 ちひろ オザキ チヒロ
30200186 加藤 大地 カトウ ダイチ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200232 北村 詩歩 キタムラ シホ
30200250 串間 怜央 クシマ レオ
30200278 小島 楓華 コジマ フウカ
30200322 迫田 凜々香 サコダ リリカ
30200335 佐々木 ルナ ササキ ルナ
30200423 田代 直哉 タシロ ナオヤ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200461 堂下 つばさ ドウシタ ツバサ
30200506 時松 桃花 トキマツ モモカ
30200533 戸高 みなみ トダカ ミナミ
30200551 永友 阿耶里 ナガトモ アカリ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200676 福瀬 一真 フクセ カズマ
30200713 藤田 涼 フジタ リヨウ
30200728 淵脇 紅南 フチワキ アカナ
30200731 古田 紋子 フルタ アヤコ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200766 松田 美月 マツダ ミヅキ
30200777 松元 彩夏 マツモト サヤカ
30200816 御沓 帆志 ミクツ ホシ
30200834 宮脇 駿介 ミヤワキ シユンスケ
30200870 山田 凌平 ヤマダ リヨウヘイ

 

続モンド通信・モンド通信

続モンド通信20(2020/7/20)

 

私の絵画館:「赤い屋根」(小島けい)

2 小島けいのジンバブエ日記13回目:パリ編(小島けい)

3 アングロ・サクソン侵略の系譜17:「 アフリカの歴史」(玉田吉行)

**************

1 私の絵画館:「赤い屋根」(小島けい)

赤い屋根が印象的なこの街は、クロアチアのドブロブニクです。

何故かイタリアの石だたみの街には、とても猫が似合うと思うのですが。この街にも猫がぴったり!と思い、たくさん登場してもらいました。

 

絵を描きおえた後で、この街がジブリ映画<魔女の宅急便>のモデルになったと知りました。

2020年9月カレンダー

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2 小島けいのジンバブエ日記13回目:「パリ編」(小島けい)

 

ハラレ最後の夜。空港の殺気立った大混雑のなかから、ようやくパリ行きの飛行機に乗り込むことができた時は<アフリカから何とか抜け出せた!>という思いに尽きました。

空港で飛行機に乗る。ただそれだけのはずでしたが。その場所が<アフリカ>だったということなのでしょう。

慣れない土地で少しずつたまってきていた疲れに、最後の一撃のような空港での大混乱で、私たちは疲れ果てドロのように眠りました。

 

私にとっては三度目のパリでしたが、初めて飛行機に酔い、同じく気分が悪くなった息子と私は重い足どりで、相方と娘は元気にシャルル・ド・ゴール空港に降り立ちました。

ロンドンでは、南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマの奥さんのブランシさんにお会いしましたが。パリでは、ソルボンヌ大学でアメリカ文学を研究しておられるファーブルさんにお会いします。

宿は、ファーブルさんが素敵な屋根裏部屋を予約して下さいました。建物の最上階に最後はハシゴを使って登ると、広い空間が広がっていました。ベッドは手前と奥の二カ所にあり、空にむかって斜めになった窓を開けると、パリの屋根屋根が目の前に重なっています。

小島けい画(奥の扉は壁に描かれた絵です!)

 

いかにもパリらしい<ワンルーム>に大喜びしましたが。まもなく由緒ある古い建物の不便さに気付くことになりました。

最上階なので水圧が弱く、水もお湯もチョロチョロしかでません。バスタブのお湯も一杯になるまで長―――い時間がかかります。また10月初めのパリはすでに寒くなっていましたが、暖房も思うように使えませんでした。

とても魅力的な部屋で、普通の時ならきっとその不便さも許容できたと思いますが、当時の私たちにはその余裕がありませんでした。

2~3日後、パリらしさよりも快適さを選び、この上なく心地よくすごせる<モン・タ・ボー>というホテルに宿を移しました。

湯船にいっぱいお湯を入れ、シャボンの泡に包まれている子供たちの笑顔が、どれほどしあわせそうに見えたことか。

大学用テキストの装画に使ったこの時のパリのスケッチ

少し休んだ後、ファーブルさんのお宅に伺いました。やはり古い建物の中の一軒で、1回が玄関とロビー、2階が広いリビングとキッチン、3階が書斎と寝室でした。奥さんのジュヌビエーブさんも大学の先生で、忙しくしておられました。

私たちはご挨拶の後お茶をいただきましたが、ファーブルさんはテーブルに置いてあった小さなリンゴを薦めて下さいました。それは<別荘で一昨日摘んできたりんご>ということでした。

パリは古くからの街並みを大切にしているため。古い建物を壊して高層ビルを建てたりはしません。そこで、ある程度余裕のある人たちは、ふだんは街なかですごし、週末は広い庭のある田舎の別荘でのんびりすごすという生活をされているようでした。

お茶の後、ファーブルさんと私たちはレストランで食事をしました。まだ飛行機酔いが収まっていない息子に、彼は心配して<そんな時はコーラが一番いいんだよ>と勧めてくれました。私は内心<ほんとかなあ・・・?>と思いましたが、効果があったかどうかは、息子に聞き忘れました。

もう何十年も昔のことですので、どんなお話をしたのかは忘れてしまいましたが、食器の音や人々の話し声のする暖かくてにぎやかなレストランの雰囲気だけはぼんやりと記憶に残っています。

食事の後は、ソルボンヌ大学を案内して下さいました。あちこちの建物を回り、最後には授業中の大きな教室にもずんずん入って行かれました。私たちが少しためらっていると<気にしなくていいからおいで>と呼ばれます。いいのかなあ?と思いながらもついていったのですが。今から思えば、突然見知らぬ東洋人の家族が入ってきて、きっと学生さんたちは<何だ、これは?>とびっくりされたことでしょう。

 

すでに秋の気配のするパリは、肌寒い日々でした。寒さに弱い子供たちの体が心配で、残りの数日はあまり無理をせず、小さな美術感をいくつかめぐったり、少し買い物をしたりしてすごしました。

毎朝焼きたてのフランスパンを買いに行くお店で、店員のかわいいパリジェンヌが、おつりを渡す時、相方に笑顔でウィンクしてくれた!と子供たちが大喜びしたり・・・。

そんな何げないパリでの数日が、アフリカでの生活の疲れを、知らないうちに少し軽くしてくれたような気がしました。

本の装画に使ったスケッチ

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3 アングロ・サクソン侵略の系譜17:「アフリカの歴史」(玉田吉行)

 リチャード・ライトの『ブラック・パワー』をきっかけに本格的にアフリカに首を突っ込むようになったものの、アフリカの歴史について何を拠り所にするかは大きな問題でした。

リチャード・ライト(小島けい画)

「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」、「黒人研究」第55号26-32頁、1985年。

“Richard Wright and Black Power”Memoirs of the Osaka Institute of Technology, Series B, Vol. 31, No. 1: 37-48. 1986年。

大学職に就くためには業績も必要で研究らしきものも始めましたが、小説を書く空間さえ確保出来れば充分で、元より研究の目標も展望もあるはずもありませんでした。しかし、その都度やれることをやっていたら次が見え始め、また次が見え、気がついてみたら、アフリカの歴史の拠り所を探り始めていました。探り始めて手がかりらしきものが見え始めたのも、黒人研究の会、リベレーションブックストア、「アフリカシリーズ」の影響が大きかったと思います。

黒人研究の会

黒人研究の会は第二次世界大戦後のアジアやアフリカの独立運動や、アメリカの公民権運動の頃から活動を始めていた小さな研究会です。アフリカ系アメリカとアフリカが研究の対象で、神戸市外国語大学の教員が活動の中心でした。

神戸市外国語大学の夜間課程を卒業後、高校教員6年目に入学した大学院で修士論文を書き始めた頃に入会し、月例会にも参加し始めました。会員は文学や語学が専門の人が中心でしたが、歴史や政治の専門家もいましたので、アフリカ系アメリカやアフリカの広範囲な話が聞けました。発表の場が欲しくて参加しましたが、自然にアフリカの文学や政治や歴史にも触れるようになりました。アフリカ人の会員もいて、アフリカ人の立場からの意見も聞けましたし、自然にアフリカも視野に入れて考えるようになったのは大きかったと思います。

「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」「続モンド通信10」、2019年9月20日)

月例会が行なわれた神戸市外国語大学旧校舎事務局、研究棟(大学ホームページより)

リベレーションブックストア

リベレーションブックストアはニューヨーク市ハーレムにあるアフリカ系アメリカとアフリカの専門店で、1981年にニューヨーク公立図書館のハーレム分館を訪れた帰りにたまたま立ち寄りました。そこでThe Struggle for Africa (Zed Press, 1983)を見つけました。図書館にはアフリカ系アメリカとアフリカの貴重な資料が揃ったションバーグコレクションがあり、その中に修士論文の軸に据えたライトの中編小説が掲載された雑誌のフォトコピーがあると知って出かけました。実際には、図書館に行く前に、ニューヨーク市の古本屋で雑誌の現物を見つけたので、コピーを手に入れる必要はなくなってしまいましたが。

「アングロ・サクソン侵略の系譜3:『クロスセクション』」「続モンド通信3」、2019年2月20日)

前書きによれば、The Struggle for Africaはアフリカを見直そうという目的で、南部アフリカとの連帯を掲げて活動していたスウェーデンのアフリカグループ(The African Groups of Sweden)が書いたアフリカ史で、1982年にスウェーデン語で出版された本の英語版です。

そのグループは、長年南部アフリカ諸国と連携して解放のために活動を続けていましたが、参考図書として使っていた選集The Liberation Struggle in Africa (Befrielsekampen i Afrika)に飽き足らずに、その選集に代わるものとしてThe Struggle for Africaを書きました。解放運動を支援する政府や州の先進的な方向性は認められるものの、それでもアフリカ全般、特に解放運動に関しては、学校図書もマスメディアも表面的で、スウェーデンの大衆に届く情報の数々に西洋の偏見(バイアス)がはっきりと見て取れたからです。

本が生まれた経緯を編者Mai Palmbergが前書きで次のように書いています。

「歴史背景と紛争の現実の問題をよく知った上で連携作業を進めるべきだと考えていましたので、アフリカの闘争で実際何が問題なのかを説明するために私たちは書籍を作りました。そして、アフリカ大陸で現実に何が起こっているのかを理解したいと思っている人たちの間でも、私たちのグループ以外でも、この種の背景や分析を強く望む声があるというのがわかりました。

解放闘争に携わっている人たち自身の間でも、こういった事実や分析の必要性が非常に高いとわかって、書籍を作るという発想が生まれました。もちろん、南部アフリカの解放闘争の背景をもっとよく知りたい人すべてに役に立てばと思いますが、同時に、書籍が読まれる所で連帯関係が強まればと願っています。」

 The Struggle for Africa は9章からなり、最初の3章がアフリカ史全般、4~9章が南部諸国の解放運動についてです。

1章はアフリカの植民地化、2章は独立運動と植民地時代の終焉、3章が第二次世界大戦後の新しい形の支配体制(「新植民地支配」)。

4章は、ギニア・ビサウとカーボベルデ、5章はモザンビーク、6章はアンゴラ、7章はジンバブエ、8章はナミビア、9章は南アフリカの解放運動についてです。

ションバーグコレクションからの帰りに立ち寄ったリベレーションブックストアで、「アフリカ大陸で現実に何が起こっているのかを理解したい」と考えていた日本人がたまたまこの書籍を発見し、その本を軸にアフリカ史の入門書として2冊の英文書 Africa and Its Descendants (Yokohama: Mondo Books, 1995)、Africa and Its Descendants 2: Neo-colonial Stage (Yokohama: Mondo Books, 1998)を書いて、その後大学のテキストとして使うことになったというわけです。

「アフリカシリーズ」

「アフリカシリーズ」は1983年にNHKで放送された8回シリーズ(各45分)の番組です。英国誌タイムズの元記者で後に多数の歴史書を書いた英国人バズル・デヴィドスンが案内役で、日本語の吹き替えで放送されています。

30年以上も前のものですが、前半でヨーロッパ人の侵略が始まる以前のアフリカ大陸を紹介し、後半では人類の歴史を大きく変えた奴隷貿易→アフリカ分割・植民地支配を経て、第二次世界大戦後の多くのアフリカ諸国の独立闘争後に再構築された新しい形の搾取体制を丹念に紹介して、今こそ先進国はアフリカから搾り取って来た富を返すべき時であると結論づけていています。アフリカに対する意識が当時とそう変わったとも思えない大半の日本人には、今でもその提言は充分に傾聴に値するものだと思います。

バズル・デヴィドスン

8回の内容は「第1回 最初の光 ナイルの谷」、「第2回 大陸に生きる」、「第3回 王と都市」、「第4回 黄金の交易路」、「第5回 侵略される大陸」、「第6回植民地化への争い」、「第7回 沸き上がる独立運動」、「最終回 植民地支配の残したもの」です。

前半は古くからアフリカ大陸には黄金の交易網が張り巡らされていてヨーロッパともペルシャやインドや中国とアフリカ内陸部とも繋がっていたという壮大な物語です。その豊かな大陸が1505年のポルトガル人によるキルワの虐殺から始まるヨーロッパ人の侵略に悩まされ、現在に至っているというのが後半です。

西欧が自らの理不尽な侵略を正当化するために捏造した白人優位・黒人蔑視の意識、現在の資本主義社会の方向性を決めた奴隷貿易、解決策としての「先進国の経済的譲歩」を軸にして、バズル・デヴィドスンはシリーズ全体を展開しています。

白人優位・黒人蔑視―デヴィドスンは番組の冒頭で、ジンバブエの遺跡グレートジンバブエなどを紹介しながら、500年に及ぶ侵略の過程で、ヨーロッパ人は自分たちの行為を正当化するため白人優位・黒人蔑視の意識を如何に浸透させて来たかについて、次のように語っています。

アフリカの真ん中の石造りの都市、発見当初、アフリカにも独自の文明が存在したと考えるヨーロッパ人はいませんでした。文明などあるはずがないという偏見がまかり通っていたのです。初期の研究者はこれをアフリカ人以外の人間が造ったものだと主張しました。果てはソロモン王とシバの女王の儀式の場だという説まで飛び出したものです。「第1回 最初の光 ナイルの谷」

しかし、歴史を見る限り古くからヨーロッパ人とアフリカ人の関係は対等で、ルネッサンス期以前のヨーロッパ絵画を解説しながら、デヴィドスンは「人種差別は比較的近代の病なのです」と断言しています。

18世紀、19世紀のヨーロッパ人は祖先の知識を受け継ごうとはしなかったようです。 それ以前のヨーロッパ人は、例えば、西アフリカに中世ヨーロッパにひけをとらない立派な王国がいくつもあることをよく知っていました。しかも、そうした王国を訪れた貿易商人や外交官の報告には、人種的な優越感を臭わせる態度は全く見られません。人種差別というのは、比較的近代の病なのです

この違いを何より語っているのはルネッサンスまでのヨーロッパ絵画です。ここには 黒人と白人が対等に描かれています。非常に未熟な人間という、後の世の言葉を思わせるものはありません。美術の世界だけではありません。中世では広く一般に、黒人は白人と対等に受け入れられていました。例えば、中央ヨーロッパで崇拝されていた聖人聖モーリスは、13世紀に十字軍に加わって殉教した騎士ですが、彼はエジプトの南ヌビアの黒人です。「第1回 最初の光 ナイルの谷」

奴隷貿易―そしてその人種的偏見を生んだ大きな原因の一つとして奴隷貿易をあげ、デヴィドスンは次のように述べています。

では、黒人に対する白人の人種的偏見はどこから生まれたのでしょう?歴史が示す大きな原因の一つは奴隷貿易です。

かつてヨーロッパ諸国はアフリカ西海岸に堅固な砦を築き、そこを根城に何千万という奴隷の積み出しを競い合いました。大砲は海に向けられていました。アフリカ大陸の内側には彼らの敵はいませんでした。敵は水平線にふいに現われる競争相手の国の船だったのです。

むろん、人種差別や人種的偏見の犠牲者はアフリカ人だけに限りません。しかし私は、アフリカ人はどの人種よりも酷い目に遭って来た、そしてその原因は奴隷貿易という歴史にあったと考えます。情け容赦のない奴隷貿易で、300年もの間、黒人たちは無理やり故郷から引き離され海の彼方の白人社会に送り込まれました。囚われの身となった黒人は一切の人間的権利を奪われました。家畜同然に売買される商品と見なされ、どんな虐待行為も認められていました。

奴隷貿易の出現で、アフリカ社会の秩序は崩壊していきました。損なわれたのはそれだけではありません。黒人と白人の間にあった互いを尊重するという関係も打ち砕かれたのです。

恐怖の奴隷貿易はずーっと昔になくなり、今はアフリカを知る新しい時期に来ています。黒人を劣ったものと見る古い考えは何の根拠もありません。ここで素直な目でアフリカを根本から見直してみる必要があります。そうするとどんな姿が見えて来るでしょうか。近年、考古学の発展で今まで知られていなかった事実が次々と出て来ました。それはここアフリカに彼ら独自の、長い多彩な歴史があったことを示しています。このシリーズではアフリカを一つの舞台と見て、そのダイナミックなドラマを捉えていきたいと思います。「第1回 最初の光 ナイルの谷」

経済的譲歩―そうした長い歴史的な背景を踏まえ、難しいことは百も承知のうえで、先進国は今までのアフリカについての見方や関係を改め、今まで搾り取って来た富をアフリカに返すべきだと次のように結んでいます。

援助を待つだけでなく、自力で立ち上がる、どんなにささやかでもこれは今アフリカで一番大事なことです。かつては自給自足し、豊かな生活内容を持っていた人々が飢餓地獄に置かれている。これは一つには自分たちの食料を犠牲にし、輸出用の作物を作っていた植民地時代の延長線上にあるためです。

そしてもう一つ、アフリカ諸国が都市の開発に力を注ぎ、巨大な農村をなおざりにしていることも上げなければなりません。

しかし、これと取り組むには先進国の大きな経済的譲歩が必要でしょう。飢えている国の品を安く買いたたき、自分の製品を高く売りつける、こんな関係が続いている限り、アフリカの苦しみは今後も増すばかりでしょう。アフリカ人が本当に必要としているものは何か、私たちは問い直すことを迫られています・・・。

奴隷貿易時代から植民地時代を通じて、アフリカの富を搾り取って来た先進国は、形こそ違え今もそれを続けています。アフリカに飢えている人がいる今、私は難しいことを承知で、これはもうこの辺で改めるべきだと考えます。今までアフリカから搾り取って来た富、今はそれを返すときに来ているのです。「最終回 植民地支配の残したもの」

今回の科学研究費の「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」もこうした背景から生まれました。(宮崎大学教員)

2010年~の執筆物

続モンド通信20(2020/67/20)

アングロ・サクソン侵略の系譜17:「アフリカの歴史」(玉田吉行)

 リチャード・ライトの『ブラック・パワー』をきっかけに本格的にアフリカに首を突っ込むようになったものの、アフリカの歴史について何を拠り所にするかは大きな問題でした。

リチャード・ライト(小島けい画)

「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」、「黒人研究」第55号26-32頁、1985年。

“Richard Wright and Black Power”Memoirs of the Osaka Institute of Technology, Series B, Vol. 31, No. 1: 37-48. 1986年。

大学職に就くためには業績も必要で研究らしきものも始めましたが、小説を書く空間さえ確保出来れば充分で、元より研究の目標も展望もあるはずもありませんでした。しかし、その都度やれることをやっていたら次が見え始め、また次が見え、気がついてみたら、アフリカの歴史の拠り所を探り始めていました。探り始めて手がかりらしきものが見え始めたのも、黒人研究の会、リベレーションブックストア、「アフリカシリーズ」の影響が大きかったと思います。

黒人研究の会

黒人研究の会は第二次世界大戦後のアジアやアフリカの独立運動や、アメリカの公民権運動の頃から活動を始めていた小さな研究会です。アフリカ系アメリカとアフリカが研究の対象で、神戸市外国語大学の教員が活動の中心でした。

神戸市外国語大学の夜間課程を卒業後、高校教員6年目に入学した大学院で修士論文を書き始めた頃に入会し、月例会にも参加し始めました。会員は文学や語学が専門の人が中心でしたが、歴史や政治の専門家もいましたので、アフリカ系アメリカやアフリカの広範囲な話が聞けました。発表の場が欲しくて参加しましたが、自然にアフリカの文学や政治や歴史にも触れるようになりました。アフリカ人の会員もいて、アフリカ人の立場からの意見も聞けましたし、自然にアフリカも視野に入れて考えるようになったのは大きかったと思います。

「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」「続モンド通信10」、2019年9月20日)

月例会が行なわれた神戸市外国語大学旧校舎事務局、研究棟(大学ホームページより)

リベレーションブックストア

リベレーションブックストアはニューヨーク市ハーレムにあるアフリカ系アメリカとアフリカの専門店で、1981年にニューヨーク公立図書館のハーレム分館を訪れた帰りにたまたま立ち寄りました。そこでThe Struggle for Africa (Zed Press, 1983)を見つけました。図書館にはアフリカ系アメリカとアフリカの貴重な資料が揃ったションバーグコレクションがあり、その中に修士論文の軸に据えたライトの中編小説が掲載された雑誌のフォトコピーがあると知って出かけました。実際には、図書館に行く前に、ニューヨーク市の古本屋で雑誌の現物を見つけたので、コピーを手に入れる必要はなくなってしまいましたが。

「アングロ・サクソン侵略の系譜3:『クロスセクション』」「続モンド通信3」、2019年2月20日)

前書きによれば、The Struggle for Africaはアフリカを見直そうという目的で、南部アフリカとの連帯を掲げて活動していたスウェーデンのアフリカグループ(The African Groups of Sweden)が書いたアフリカ史で、1982年にスウェーデン語で出版された本の英語版です。

そのグループは、長年南部アフリカ諸国と連携して解放のために活動を続けていましたが、参考図書として使っていた選集The Liberation Struggle in Africa (Befrielsekampen i Afrika)に飽き足らずに、その選集に代わるものとしてThe Struggle for Africaを書きました。解放運動を支援する政府や州の先進的な方向性は認められるものの、それでもアフリカ全般、特に解放運動に関しては、学校図書もマスメディアも表面的で、スウェーデンの大衆に届く情報の数々に西洋の偏見(バイアス)がはっきりと見て取れたからです。

本が生まれた経緯を編者Mai Palmbergが前書きで次のように書いています。

「歴史背景と紛争の現実の問題をよく知った上で連携作業を進めるべきだと考えていましたので、アフリカの闘争で実際何が問題なのかを説明するために私たちは書籍を作りました。そして、アフリカ大陸で現実に何が起こっているのかを理解したいと思っている人たちの間でも、私たちのグループ以外でも、この種の背景や分析を強く望む声があるというのがわかりました。

解放闘争に携わっている人たち自身の間でも、こういった事実や分析の必要性が非常に高いとわかって、書籍を作るという発想が生まれました。もちろん、南部アフリカの解放闘争の背景をもっとよく知りたい人すべてに役に立てばと思いますが、同時に、書籍が読まれる所で連帯関係が強まればと願っています。」

 The Struggle for Africa は9章からなり、最初の3章がアフリカ史全般、4~9章が南部諸国の解放運動についてです。

1章はアフリカの植民地化、2章は独立運動と植民地時代の終焉、3章が第二次世界大戦後の新しい形の支配体制(「新植民地支配」)。

4章は、ギニア・ビサウとカーボベルデ、5章はモザンビーク、6章はアンゴラ、7章はジンバブエ、8章はナミビア、9章は南アフリカの解放運動についてです。

ションバーグコレクションからの帰りに立ち寄ったリベレーションブックストアで、「アフリカ大陸で現実に何が起こっているのかを理解したい」と考えていた日本人がたまたまこの書籍を発見し、その本を軸にアフリカ史の入門書として2冊の英文書 Africa and Its Descendants (Yokohama: Mondo Books, 1995)、Africa and Its Descendants 2: Neo-colonial Stage (Yokohama: Mondo Books, 1998)を書いて、その後大学のテキストとして使うことになったというわけです。

「アフリカシリーズ」

「アフリカシリーズ」は1983年にNHKで放送された8回シリーズ(各45分)の番組です。英国誌タイムズの元記者で後に多数の歴史書を書いた英国人バズル・デヴィドスンが案内役で、日本語の吹き替えで放送されています。

30年以上も前のものですが、前半でヨーロッパ人の侵略が始まる以前のアフリカ大陸を紹介し、後半では人類の歴史を大きく変えた奴隷貿易→アフリカ分割・植民地支配を経て、第二次世界大戦後の多くのアフリカ諸国の独立闘争後に再構築された新しい形の搾取体制を丹念に紹介して、今こそ先進国はアフリカから搾り取って来た富を返すべき時であると結論づけていています。アフリカに対する意識が当時とそう変わったとも思えない大半の日本人には、今でもその提言は充分に傾聴に値するものだと思います。

バズル・デヴィドスン

8回の内容は「第1回 最初の光 ナイルの谷」、「第2回 大陸に生きる」、「第3回 王と都市」、「第4回 黄金の交易路」、「第5回 侵略される大陸」、「第6回植民地化への争い」、「第7回 沸き上がる独立運動」、「最終回 植民地支配の残したもの」です。

前半は古くからアフリカ大陸には黄金の交易網が張り巡らされていてヨーロッパともペルシャやインドや中国とアフリカ内陸部とも繋がっていたという壮大な物語です。その豊かな大陸が1505年のポルトガル人によるキルワの虐殺から始まるヨーロッパ人の侵略に悩まされ、現在に至っているというのが後半です。

西欧が自らの理不尽な侵略を正当化するために捏造した白人優位・黒人蔑視の意識、現在の資本主義社会の方向性を決めた奴隷貿易、解決策としての「先進国の経済的譲歩」を軸にして、バズル・デヴィドスンはシリーズ全体を展開しています。

白人優位・黒人蔑視―デヴィドスンは番組の冒頭で、ジンバブエの遺跡グレートジンバブエなどを紹介しながら、500年に及ぶ侵略の過程で、ヨーロッパ人は自分たちの行為を正当化するため白人優位・黒人蔑視の意識を如何に浸透させて来たかについて、次のように語っています。

アフリカの真ん中の石造りの都市、発見当初、アフリカにも独自の文明が存在したと考えるヨーロッパ人はいませんでした。文明などあるはずがないという偏見がまかり通っていたのです。初期の研究者はこれをアフリカ人以外の人間が造ったものだと主張しました。果てはソロモン王とシバの女王の儀式の場だという説まで飛び出したものです。「第1回 最初の光 ナイルの谷」

しかし、歴史を見る限り古くからヨーロッパ人とアフリカ人の関係は対等で、ルネッサンス期以前のヨーロッパ絵画を解説しながら、デヴィドスンは「人種差別は比較的近代の病なのです」と断言しています。

18世紀、19世紀のヨーロッパ人は祖先の知識を受け継ごうとはしなかったようです。 それ以前のヨーロッパ人は、例えば、西アフリカに中世ヨーロッパにひけをとらない立派な王国がいくつもあることをよく知っていました。しかも、そうした王国を訪れた貿易商人や外交官の報告には、人種的な優越感を臭わせる態度は全く見られません。人種差別というのは、比較的近代の病なのです

この違いを何より語っているのはルネッサンスまでのヨーロッパ絵画です。ここには 黒人と白人が対等に描かれています。非常に未熟な人間という、後の世の言葉を思わせるものはありません。美術の世界だけではありません。中世では広く一般に、黒人は白人と対等に受け入れられていました。例えば、中央ヨーロッパで崇拝されていた聖人聖モーリスは、13世紀に十字軍に加わって殉教した騎士ですが、彼はエジプトの南ヌビアの黒人です。「第1回 最初の光 ナイルの谷」

奴隷貿易―そしてその人種的偏見を生んだ大きな原因の一つとして奴隷貿易をあげ、デヴィドスンは次のように述べています。

では、黒人に対する白人の人種的偏見はどこから生まれたのでしょう?歴史が示す大きな原因の一つは奴隷貿易です。

かつてヨーロッパ諸国はアフリカ西海岸に堅固な砦を築き、そこを根城に何千万という奴隷の積み出しを競い合いました。大砲は海に向けられていました。アフリカ大陸の内側には彼らの敵はいませんでした。敵は水平線にふいに現われる競争相手の国の船だったのです。

むろん、人種差別や人種的偏見の犠牲者はアフリカ人だけに限りません。しかし私は、アフリカ人はどの人種よりも酷い目に遭って来た、そしてその原因は奴隷貿易という歴史にあったと考えます。情け容赦のない奴隷貿易で、300年もの間、黒人たちは無理やり故郷から引き離され海の彼方の白人社会に送り込まれました。囚われの身となった黒人は一切の人間的権利を奪われました。家畜同然に売買される商品と見なされ、どんな虐待行為も認められていました。

奴隷貿易の出現で、アフリカ社会の秩序は崩壊していきました。損なわれたのはそれだけではありません。黒人と白人の間にあった互いを尊重するという関係も打ち砕かれたのです。

恐怖の奴隷貿易はずーっと昔になくなり、今はアフリカを知る新しい時期に来ています。黒人を劣ったものと見る古い考えは何の根拠もありません。ここで素直な目でアフリカを根本から見直してみる必要があります。そうするとどんな姿が見えて来るでしょうか。近年、考古学の発展で今まで知られていなかった事実が次々と出て来ました。それはここアフリカに彼ら独自の、長い多彩な歴史があったことを示しています。このシリーズではアフリカを一つの舞台と見て、そのダイナミックなドラマを捉えていきたいと思います。「第1回 最初の光 ナイルの谷」

経済的譲歩―そうした長い歴史的な背景を踏まえ、難しいことは百も承知のうえで、先進国は今までのアフリカについての見方や関係を改め、今まで搾り取って来た富をアフリカに返すべきだと次のように結んでいます。

援助を待つだけでなく、自力で立ち上がる、どんなにささやかでもこれは今アフリカで一番大事なことです。かつては自給自足し、豊かな生活内容を持っていた人々が飢餓地獄に置かれている。これは一つには自分たちの食料を犠牲にし、輸出用の作物を作っていた植民地時代の延長線上にあるためです。

そしてもう一つ、アフリカ諸国が都市の開発に力を注ぎ、巨大な農村をなおざりにしていることも上げなければなりません。

しかし、これと取り組むには先進国の大きな経済的譲歩が必要でしょう。飢えている国の品を安く買いたたき、自分の製品を高く売りつける、こんな関係が続いている限り、アフリカの苦しみは今後も増すばかりでしょう。アフリカ人が本当に必要としているものは何か、私たちは問い直すことを迫られています・・・。

奴隷貿易時代から植民地時代を通じて、アフリカの富を搾り取って来た先進国は、形こそ違え今もそれを続けています。アフリカに飢えている人がいる今、私は難しいことを承知で、これはもうこの辺で改めるべきだと考えます。今までアフリカから搾り取って来た富、今はそれを返すときに来ているのです。「最終回 植民地支配の残したもの」

今回の科学研究費の「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」もこうした背景から生まれました。(宮崎大学教員)