英語 Rb2(3)

12月19日10回目の授業でした。

来週と年明け3回で終わりです。1月16日(木)は金曜日の時間割

トーイック関連はPart 7のリーディングの続きを2問(中平さん、岩井くん)。

*163-167解説、168-175と176-180の問題を配りました。

南北戦争、再建期、反動の辺りをA Short History of Black Americans②を読んで確認。映像は南北戦争直後(映画「ジェーンピットマンの生涯」)、KKK(「ルーツ」と1987年のドキュメンタリー)、ビリーホリデイの「奇妙な果実」。

*A Short History of Black Americans②(B4表)とStrange Fruit(B4裏)を配布。

<次回は>

反動の続きと公民権運動(1957年のリトル・ロック高校事件、1963年のミシシッピ大学・アラバマ大学事件、ワシントン大行進、残りの時間で映画「招かれざる客」。

マーチン・ルーサー・キング

「招かれざる客」(1967) GUESS WHO’S COMING TO DINNER

シドニー・ポワチエ

【解説】「アメリカ上陸作戦」のウィリアム・ローズのオリジナル・シナリオを、「愚か者の船」のスタンリー・クレイマーが製作・監督した。撮影は「手錠のままの脱獄」のサム・リーヴィット、音楽は「真昼の衝動」のデヴォル。出演は、これが遺作となった「おかしな、おかしな、おかしな世界」のスペンサー・トレイシー、「いつも心に太陽を」のシドニー・ポワチエ、「去年の夏突然に」のキャサリン・ヘップバーン、そのほか、キャサリン・ホートン、セシル・ケラウェイなど。

サンフランシスコ空港で飛行機から降り、タクシーに乗った若いカップルが、人目をひいた。だが、人々のぶしつけな視線など気にしないかのように、黒人青年と白人女性は親しげに語り合っていた。青年はジョン(シドニー・ポワチエ)といい、世界的に著名な医師。女性の名はジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)。2人はハワイで知り合い、互いに愛し合う間柄となったのである。ジョーイの母クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は、娘の婚約者が黒人であることを知り、驚いたが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていった。だが、父のマット(スペンサー・トレイシー)は、そうはいかなかった。新聞社を経営し、人種差別と闘ってきたマットも、自分の娘のこととなれば、話はちがってくるのだ。ジョンは、学界でも有数な人物であり、近くジュネーブの大学院に迎えられることになっているということは、マットも知ってはいるのだが、黒人と白人との結婚には、想像を絶する困難がある。結婚を許しながらもマットは割り切れなかった。ジョンのジュネーブ行きの時間が迫っており、2人はその前に、互いに両親の了解を得たがっていた。息子の見送りと嫁に会うため、ジョンの両親プレンティス夫妻が空港に着き、ジョーイは出迎えたが、夫妻は嫁が白人であることを知り愕然とした。やがて、夕食の時が訪れた。ジョンとジョーイ、ドレイトン夫妻、プレンティス夫妻。そしてドレイトン夫妻の友人であるライアン神父。母親同士は結婚には賛成だったが、父親同士は反対し、とくに、マットは頑固だった。だが、そのマットも、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認めた。一同はそろって、夕食の席に着くのだった。(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8577/index.html

来週、また。

南アフリカ概論

初回に配った課題についてのプリントの訂正→①提出期限、2回目は1月の1回目:1月19日。19日→9日

②★英語の授業の課題なので、英語で書いて下さい。→日本語でも英語でも

12月19日10回目の授業でした。

来週と年明けの3回で終わりです。1月16日(木)は金曜日時間割です

橋詰さんのシャープヴィルの虐殺と小野さんのリボニアの裁判の発表と、関連の映像でした。

発表してくれた人はみんな落ち着いて凄いねえ。今回の橋詰さんと小野さんの発表もきちんと内容がまとめられていて、感心しました。前回の発表とあわせた内容をだいたい把握していれば、今日観てもらった映像でイメージもかなり鮮明になったような気がするけど。

映像は反アパルトヘイト団体が作ったドキュメンタリー「抵抗の世代」。今日観てもらったのは1944年のANC青年同盟、その青年同盟が率いたゼネスト、1955年の国民会議、パス法に反対した女性たち、PAC(パンアフリカニスト会議)とソブクエ、シャープヴィルの虐殺、女性の日に宮崎に来たミリアムさんの講演のニュース(髪が黒黒としてたね、39の時やろか)でした。

ミリアムさん(小島けい画)

プリント(英文主体の5枚)に関してはラ・グーマに関するのを2枚解説しました。ミリアムさんとラ・グーマについて雑誌やメールマガジンに書いた記事をブログにも載せています。↓

<ラ・グーマについて>

「アレックス・ラ・グーマ 人と作品1 闘争家として、作家として」「ゴンドワナ」8号22-26頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品2 拘禁されて」「ゴンドワナ」9号28-34頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品3 祖国を離れて」「ゴンドワナ」10号24-29頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品4 『夜の彷徨』上 語り」「ゴンドワナ」11号39-47頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品5 『夜の彷徨』下 手法」「ゴンドワナ」13号14-25頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品6 『三根の縄』 南アフリカの人々 ①」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」16号14-20頁。
「アレックス・ラ・グーマ 人と作品7 『三根の縄』 南アフリカの人々 ②」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」17号6-19頁。

ラ・グーマ(小島けい画)

<ミリアムさんについて>

「ミリアムさんを宮崎に迎えて」「ゴンドワナ」15号2-8頁。
「ミリアム・トラーディさんの宮崎講演」「ゴンドワナ」15号9-29頁。

一般法修正令(90日拘禁法)の白人第一号ジャーナリストのルス・ファーストの娘さんが手紙爆弾で殺された母親を想って作った映画「ワールド・アパート」についても少し触れましたが、映画評を雑誌に書いてこのブログにも載せてますのでリンクしときます。映画はいつでもコピーするよ。↓

「『ワールド・アパート』 愛しきひとへ」「ゴンドワナ」18号7-12頁。

主人公役のバーバラ・ハーシー(小島けい画)

ソブクエについても書きました。日本ではあまり紹介されてないけど、歴史に翻弄されて52歳で治療も受けられずに肺癌で亡くなくなりました。理想主義者(ソブクエ)と日和見主義者(マンデラ)の歩み寄りが出来んかったんやろか、といつも思います。僕が理想主義者だけに、ソブクエへの思い入れは強いけど、現実の世界は理想主義者には手に余るほどどうしようもないもんやったんやろなあ。ブログにも載せました。↓

「ロバート・ソブクウェというひと ① 南アフリカに生まれて」「ゴンドワナ」20号14-20頁。

「ロバート・ソブクウェというひと ② アフリカの土に消えて」「ゴンドワナ」21号6-19頁。

ソブクエ(小島けい画)

<次回>は配ったプリントThe Struggle for South、ANC History (BBC)/ Rivonia Trialをチェックしながら関連の映像を紹介、時間があれば「アフリカの蹄」を少しでも。

主役の大澤たかお

また、来週に。

英語 Ma2(4)

<次回>

1月8日は、2回目の課題提出、5章(僕の解説・発音練習→予め決めたグループでそれぞれグループ毎のやり方で口頭チェック→実習直前の3月にEMPでやった僕のやり方のoral check。折角の機会、楽しんでやれるとええね。ま、すべての授業、あなたら次第で、僕のやれることなんかほとんどないけどね。

<次々回>

1月15日は

1995年のエボラ騒動のCNNでListening Comprehension Practice(Q&A in English)をやったあと、コンゴとエボラ出血熱、何人かに発表してもらってから、映像を観てもらうつもりです。

1月22日は休講(すでに済み。ゲストさんの試験)

最終日は、出来たらそれぞれのコメントを聞いて、時間があれば、コンゴの続きで映像を観てもらえたらと思ってるけど、時間あるやろか。

12月18日12回目の授業でした。年内最後、次回は年明けに。

最初に前回に続いて①南アフリカの続き。

金鉱山、金鉱周辺の売春婦の映像も見てもらいました。アパルトヘイト体制とアフリカ人の抵抗運動に関して箇条書きにしておきます。

第二次世界大戦で大きくヨーロッパの国力が低下→それまで抑圧されていた人たちが独立・自由を求めて闘争→南アフリカでも、旧世代に飽き足らない若者がANC青年同盟(1943)を結成してデモやストライキなどで激しく闘争を展開→当時の与党イギリス系の統一党は事態の収拾が出来ず→1948年に総選挙→アフリカナーの野党国民党はアパルトヘイト(人種隔離)をスローガンに掲げ、人種によって賃金の格差をつけ、本来社会の最底辺のプアホワイト=アフリカーナーの大半の農民を優遇することを約束→白人人口の60%のうちの大半のプアホワイトが国民党に投票→オランダ系アフリカーナーが議席の過半数を獲得→アパルトヘイト政権の誕生→体制を強化(人口登録法で人種の明確化、集団地域法で居住区を限定、共産主義弾圧法で反体制勢力を弾圧)→アパルトヘイト政権に対抗してANCの闘争は激化→1955年にクリップタウン郊外で全人種による国民会議、自由憲章を採択→指導者156名を逮捕して裁判にかけ、全員の死刑をはかる→結果的には無罪

メールマガジンにまとめた分をリンクしときます。たぶん理解し易くなると思います。↓

「南アフリカ小史前半」「モンド通信 No. 65」(2014年1月10日)

そのあと1992年に行った②ハラレの話。その前に生まれた所や高校、大学、高校の教員の時の話(坊主頭や髭を剃った忌まわしい写真も。高校卒業したとき、ぜーんぶ写真を焼いたんで、それまでの写真は手元にないけど。)

②ハラレについては、

ハラレに行く前に寄ったロンドンでお会いしたラ・グーマの奥さんのブランシさん(写真↓)の話。1985年にキューバでご主人を亡くされたあとロンドンに一人住まい。その家に招待されました。1990年にマンデラが釈放されてたけど、まだロンドンに亡命中。このあとすぐに生まれ育ったケープタウンに戻られました。でもマンデラの政権が出来る前のどさくさ、1966年の亡命以来久しぶりに帰国した時は、空港で一晩待機。ANCもひどいですよねと手紙で書いたら、今はいろいろ大変な時期、大目に見て下さいね、と逆に窘(たしら)められました。

スイス人の八十過ぎの一人暮らしの女性から借りた家の家賃は10万円、500坪。↓家の中にジャカランダの大木が植えてありました。

すぐに仲よくなったガーデンボーイとして雇われていたゲイリー。給料は一月170ジンバブエドル(4200円ほど)それと番犬のデイン。白人には吠えないで、黒人には激しく吠えてました。僕らはデインに白人と分類されたようで、誰も吠えられなかったねえ。

冬休み(北半球では夏休み)を利用して父親の元に来ていっしょに過ごしていた家族。普段は敷地内に家族を泊めることは出来なかったみたいやけど、僕らが借りてたので、南西の小さな部屋、コンクリートの床に毛布を敷いて寝たたみたいです(南半球では北側が陽当たりがいいので南西にある部屋は陽当たりがよくない)長女と長男とゲイリーの子供3人は一日中遊んでました。どっちも言葉もわからないのに、笑い声が絶えず、楽しそうやったねえ。蹴ってるバスケットボールが199ジンバブエドル、ゲーリーの一月の給料より高く、複雑な気分になりました。

ゲーリーの奥さんフローレンスにモデルを頼んで僕の奥さんが描いた水彩画。初めての経験で、フローレンスはやや緊張気味でした。

ゲイリーの家族写真。写真は貴重品で、現像して持って行くと、どこでもひとしきり写真談義。それもそのはず、現像費が毎回ゲイリーの給料ほど。写真は贅沢品の一つ。大学で誰かが飲んでた大瓶のコーラが10円。日本円やドルが強いんやとしみじみ思いました。

ゲイリーにインタビューを頼んで、生い立ちなどを聞いた時に撮った写真です。↓

ジンバブエ大学、アレックス、子供たちが行った小学校の話、一握りの貴族と大多数のの貧乏人の現実と、加害者としての自分についてなどについての話は出来なかったけど、みんなで訪問したゲイリーの子供たちの小学校、帰りに寄ったパリでのファーブルさんの話は出来ました。関連のリンクを最後に貼っておきます。↓

長男と仲良しになってチキンを食べるアレックス

ソルボンヌを背景にファーブルさんと

ハラレの話は帰国してから半年後に本を書いたけど出版は出来ず(1冊300万もかかるんで)、あとでメールマガジンに連載したらと言われて、分けて載せました。僕のブログに載せた一冊分のリンクです↓

「ジンバブエ滞在記一覧」(「モンド通信」No. 35、2011年7月10日~No. 59、 2013年7月10日)

その中から↓

<2>→「ジンバブエ滞在記②ハラレ第1日目」「モンド通信」No. 36」、2011年8月10日)

<3>→「ジンバブエ滞在記③突然の訪問者・小学校・自転車」「モンド通信」No. 37」、2011年9月10日)

<4>→「ジンバブエ滞在記④ジンバブエ大学・白人街・鍵の国」「モンド通信」No. 38」、2011年10月10日)

<5>→「ジンバブエ滞在記⑤バケツ一杯の湯」「モンド通信」No. 39」、2011年11月10日)

<12>→「ジンバブエ滞在記⑫ゲイリーの生い立ち」「モンド通信」No. 46」、2012年6月10日)

英語 Ma2(3)

連絡事項→Chapter 5: Digestive Systemは年明けの1月8日(水)に

12月18日12回目の授業でした。年内最後、次回は年明けに。

発表予定の①コンゴ、②エボラ出血熱、③1回目のエボラ騒動、④2回目のエボラ騒動、⑤独立とルムンバ、⑥コンゴ危機とモブツ、⑦ベルリン会議と植民地分割、⑧コンゴ自由国とレオポルド2世、のうち、①~④、⑤の途中まで。

①田代くん、②野村くん、③中村くん、④清水さん、それぞれ簡潔にまとめてたと思います。⑤の千葉くんは途中になって申し訳なかったです。次回もよろしく。

<次回>

1月8日は、2回目の課題提出、5章(僕の解説・発音練習→予め決めたグループでそれぞれグループ毎のやり方で口頭チェック→実習直前の3月にEMPでやった僕のやり方のoral check。折角の機会、楽しんでやれるとええね。ま、すべての授業、あなたら次第で、僕のやれることなんかほとんどないけどね。

<次々回>

1月15日は

⑤~⑧の発表のあと、今日清水さんが紹介しようとしてくれた1995年のアメリカ映画「アウトブレイク」を何ヶ所か紹介、1回目の騒動、独立・コンゴ危機・コンゴ自由国・植民地分割の映像を観てもらえると思います。ある程度今日の発表くらいの予備知識があれば、映像もなるほどと納得出来るんやないやろか。

もし時間があれば、Listening Comprehension Practiceをもう少し。

1月22日は休講(すでに済み。ゲストさんの試験)

最終日は、出来たらそれぞれのコメントを聞いて、時間があれば、なぜ英語をしゃべるようになったか、アフリカのことをやるようになったか、も含めて、学生時代のことや1992年に行ったハラレのことを話せたらと思ってるけど、時間あるやろか。

前回リンクしてなかったんで↓

「医学生と新興感染症―1995年のエボラ出血熱騒動とコンゴをめぐって―」「ESPの研究と実践」第5号61-69頁。