つれづれに

歩き始めたのは体調を大幅に崩してからである。

今の散歩コースの最初、背景は加江田渓谷

原因は無理をし過ぎたからだが、自分を追い込まないと生きていられなかったからもあると思う。一時は背中から頭の芯まで鉛が入っているような感じできつかった。若かったので34歳まで持ちこたえたが、少し遅れていたらどうなっていたか。すぐに死ねていたら本望だったと思うが、寝たきりになったりしていたら周りが大変な荷物をしょい込んだ可能性もある。

きついマッサージで救ってもらった。

宮崎に来たのは昭和の最後で途中で平成に変わった年のようである。あまり意識したことはなかったが、退職後も履歴書を書いて「そうやったんや」と思った記憶がある。文部科学省に出す書類には元号が要る。今は西暦併記のようだか、いちいち西暦に置き直して考える必要がある。たしか1988年だったような気がするから30数年にもなるわけである。

宮崎医科大学(旧のホームページから)

その前は明石、正確にいうと朝霧という優雅な町名の街に住んでいた。子供が出来て暫くしてから妻の父親が一人暮らしをしていたその街の一軒家に転がり込んだ。一人暮らしが長くなりかけて少々老人臭くなっていたが、突然孫が転がり込んで、ぐっと若返った。目にいれても痛くない娘が帰って来たし、孫との相性が抜群だったこともある。ただいっしょについて来た孫の父親とは相性が悪く、今から思うとお気の毒、としか言いようがない。加害者には常に自覚はないのでその分本当に申し訳ないが、宮崎に来てから同居を薦めて重い腰を上げていっしょに住んでもらえたので、相殺ということで勘弁してもらえると有難い。亡くなる前日まで、好物のステーキを食べて、娘の手を煩わせることなく逝った死に際はお見事である。

歩いて行っていた大蔵海岸、背景は瀬戸内海と淡路島

朝霧に住みだした頃に歩き始めた。その前は少し西側の小さな町に住んでいた。その時は、川の堤防を朝日に向かって全力で走っていた。

書き始めた小説にこんな文章を織り込んだりしてる。次は今の散歩コース、か。

つれづれに

前回の「つれづれに」で瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ)の柵を作るために「あしたからまた竹取の翁です。」と書いたものの、これがなかなか、目下苦戦中。

前回紹介した写真

たぶん理由は重量と手間。すべてそうかも知れないが、そんなつもりやなかったのに・・・、そんな感じである。地面に這うと南瓜(かぼちゃ)の実に土がついて腐りやすいし・・・庭を囲うように植えた30本ほどの金木犀が3メートルほどに繁ったとき、その樹に蔓をからませて重い実をぶら下げているのを見て、竹の柵を作ってそれに蔓を這わせてみるか、それが始まり。金木犀は繁り過ぎると南側からの陽が射しこまないから、特に冬場は野菜には致命的。それで身長くらいの高さに切ったのはいいが、それだとすぐに南瓜(かぼちゃ)が隣家に闖入、特に両隣は要注意。それで30坪ほどの元庭の野菜畑の真ん中に竹を立てることを思いついた。

現在進行中の写真1

ここはいなかで、近くの公園、大学の近辺、沿道、いたるところに竹林があるので、材料に事欠くことはない。一年目、最初の台風で実もろとも見事にどさっと崩れた。葉や実に加えて竹の重量に耐えかねたのである。それでジャングルジムのような柵を作ることにするかとなった。しかし、数十個の実に耐える柵を拵(こしら)えるには、3~4メートルの竹と支えの鉄棒を地面深くに埋める必要がある。中古を買ったのだが、家も庭もしっかりと出来ている。住む人が一生暮らすつもりで手間とお金をかけたのだろう。庭には一メートルほどきれいなさらさらの山土が入っていて、その下が粘土質の土のようである。ラブラドールの三太が亡くなって、走れるように砂を敷いていた庭半分を潰し、せっせと畑用の土を運びこんで、庭を丸々野菜畑に変えてしまった。

竹と支柱での柵はその野菜畑の中央部分に作る。ピーマン、胡瓜(きゅうり)、茄子(なす)、オクラなどが作れるように周りの土の部分を確保するためである。南瓜(かぼちゃ)は勢いがあり、蔓に巻き込まれればたいていの野菜はやられてしまう。延びてくる蔓はその都度、中央部分に戻す。竹と支柱の粘土層の辺りまで掘って埋め、針金で一つ一つ固定する。これがなかなかの手間である。総体は長方形で、4×9の36本の竹である。それをジャングルジムのようにするには縦に延びる竹と交差させる細い竹がもっとたくさん要る。その分を切るのも運ぶのも、七十を過ぎた体には手に余る。若いときのように、とても一気にとはいかない。それで、せっせせっせと竹を運んでは埋め込むのである。

それが、竹取の翁の苦戦の実態である。何とか太い竹は運び終え、竹を埋め込む作業もあと10本ほどになった。あとは細い竹を取って来て、太い竹と絡めて固定すればいい。近いうちに完成しそうである。地面に延びた蔓を、そのジャングルジム柵に絡ませれば、すぐに勢いを継続させて伸びて行く。その重量に耐えるかどうか、台風の季節が終わる11月くらいにはわかるはずである。台風5号が発生したそうである。台風の固定作業もなかなか手間だが、自然の猛威の前には、ほぼ無力である。

現在進行中の写真2

つれづれに

南瓜に勢いがついて来ました。

近いうちに柵を拵えて登らせるつもりです。

柵が追いつきません。ここまでくれば隣に侵入しないように見張るだけ、秋には実をつけてくれるでしょう。何年か前から瓢箪形の南瓜を作ってますが、柔らかくて評判は上々です。吉祥寺の駅ビルで一個2000円の値札を見た時はびっくりしましたが、神戸から元町の間の店屋さんでは400円くらいで変に安心しました。

他に鞘オクラ、胡瓜、ピーマンが順調にが大きくなりかけています。そのうち食べきれなくなってまたお裾分けするようになりそうです。

オクラ、この3~4倍の高さになります

胡瓜は早めに採ると柔らかくて瑞々しいです

柵は竹でジャングルジムのようにするつもりです。台風の時は固定する必要はあるものの地面につかずにきれいな実が取れます。一年目は重みで竹が台風の時に総崩れ。それ以降は竹を鉄棒で固定するようになりました。

近いうちにジャングルジムのような柵が出来る予定。レタスの種を採るために花を咲かせています。かなり細かい種なので、うまく採れるかどうか。

すでに蚊にやられないように蚊取り線香を5~6本炊いての作業ですが、梅雨の合間の晴れ間は助かります。どうやら今度は土曜日くらいまで降らないみたいなので、南瓜の柵と、虫よけのためにせっせと希釈した酢を撒こうと思っています。

虫の勢いはすごいので、ブロッコリーやレタスなどの寒冷野菜はすでに採れませんが、この時期、まだ大根の葉が残っているのは酢のおかげのようです。今は15倍くらいに希釈して撒いています。あしたからまた竹取の翁です。

大根の葉はだいぶ虫にやられてますが。今日も何匹が青虫を潰しました。

つれづれに

先月久しぶりに「つれづれ」を更新したとき、「これからは決まった時間にいく必要もなく、時間はあるようですので、毎月20日に更新している続モンド通信に合わせて、せめて月に一回くらいは『つれづれ』も更新出来ればいいんですが。」と書いたものの、もう25日。遅ればせながら。

何とか滞っていた続モンド通信を今月は書き(「アングロ・サクソン侵略の系譜26:A Walk in the Night」)、4年間最終年度の科学研究費の前年度の最終報告を書きました。

大学にいる限り教育、研究、社会貢献を求められるようで、居やすいように研究をする振りをして何回か科研費をもらい、ごまかしごまかし退職したものの、退職後も専任に再任用され、また研究をする振りをして科研費をもらっています。まさか、その研究だけが残り大学の研究室を使うことになるとは、ほんと何が起こるかわからんもので。

30年以上もためた、学生からの課題や感想文を整理中で。小説に使えればと思って取って置いたものながら、ほんまにようさんあって。使えることを祈りながら、今年中には整理を終えて部屋も空にしないとと思っています。

小説の方も天気に合わせたように停滞気味です。一週間ほど前から虫にやられたか、帯状疱疹か、背中に変な発疹のようなものが。充分に機能を果たさないとまではいかなくてもあっちこっち体にもがたがきてるようで。どうも全般に停滞気味、という近況報告です。

畑はレタスやブロッコリーの季節が過ぎ、胡瓜、茄子、トマト、オクラ、南瓜などの夏野菜、青虫から蚊の季節に移っているようで。次回までには、規則正しい生活のリズムが取り直せるとええんやけど。牡丹がそろそろ今年も咲くかなあ。