つれづれに

道端にけしも咲き、上の公園では桜がほぼ満開、と例年ならのどかな春の日を当たり前のように綴るところなんだが、今年はそれも白々しいほど、感染症の脅威で先行きが見えない。

大学は授業開始が22日に延びたものの、やっぱり授業はじめるんかなという気持ちしか湧いてこない。

卒業生がたくさん卒業旅行に行き、学部毎の卒業式に出て、前後で小グループの会食をやっている。軍隊、警察、やくざと同じくらい縦系列の好きな医学科、式をすれば会食を断るのは難しい。ずっとそういう「医大村」の生活を送って来てるし、今も送ってるから。30年ほど医学科の授業をして、部屋に来てくれた学生を通して医学科を教えてもらった正直な感想である。今のところ卒業生=研修医がまき散らした例は、京都産業大学、県立広島大学、横浜市立大学、大阪大学、東北大学、神戸大学、慶応大学、京都大学↓

2020.03.29 京都産業大学→「京都産業大学における新型コロナウイルス感染症罹患者の発生について(第1報)」

2020年3月29日 県立広島大学→「本学卒業生の新型コロナウイルス感染者発生について」

2020年4月2日 横浜市立大学→「横浜市立市民病院研修医の新型コロナウイルス感染について」

2020年4月2日 大阪大学→「大阪大学における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)罹患患者の発生について」

2020年4月 6日 東北大学→「新型コロナウイルス感染者発生について」

2020年04月06日 神戸大学→「新型コロナウイルス感染者の発生について」

2020/4/7 慶応大学→「慶応病院、研修医40人会食 18人が新型コロナ感染」

2020/4/4/7 京都大学→「京大病院医師ら自宅待機2週間 研修医含む95人、会食自粛違反」

だけだが、どこも同じようなことをやっているのだから、表面化しない方が不自然である。先行きが見えない。22日から、授業が始まる、のか。

ウェブの情報は玉石混合だが、すっとこちらに伝わってくるのも時々。三つほどすとんと心に落ちた。↓

<患者、入院先から>長女から。

2020/04/01 18:30 ライフスタイル Forbes JAPAN 編集部→「これで『軽症』と言うのか。新型コロナ感染で入院中、渡辺一誠さんの手記」

<感染症専門家>

2020年3月30日 16時02分 有料記事 新型肺炎・コロナウイルス→「『とっとと感染しちまえ』 京大准教授、ツイートの思い」

<医師、NYから>

2020/4/7(火) 6:05 DIAMOND ON LINE→「日本の緊急事態宣言が遅すぎる理由、コロナ最前線の米医師が戦慄の提言」

もろい上に今の社会がある。チェルノブイリや福島を見せつけられても、原子力を諦めない。原爆を落とされてもわからない。自己意識の大切さを説いたアメリカのマルコム・リトゥルや南アフリカのロバート・ソブクウェやスティーヴン・ビコは、偉かったんやなあ。自身が大変な時も、変わらず言い続けられたんだから。

歴史から学べる人間でありたい。

つれづれに

2020年2月10日 「ひよとめじろが来ています」

2019年度もほぼ終わり、また2020年度の準備です。4月から名古屋に移る予定でしたが、まだ、宮崎にいます。

久しぶりの更新です。「書いたもの」をブログに移行したり、新たに書き込んだり、やっと何とか→「書いたもの一覧」を拵えました。EMP報告書や科研費の報告書などはまだですが、ま、何とか。
出版社の社長さんの薦めもあってその時その時に、わりと無理もしながら書いて来たんですが、一覧を作るのに時間がかかるほど、書いたようです。
職業作家になるつもりで大学にきたものの、宮崎に来る前に横浜で、目標にしようとしていた芥川賞や直木賞を売るための便法で意味がないと言われて、小説を書くのを密かに封印。しかし、どうやら職業作家になるための封印は解かれたようですので、そろそろ創作開始。でも70、ま、いいか。

宮崎も長くなりましたが、ここは柑橘類の宝庫。それまでは愛媛や和歌山や静岡などが柑橘類の宝庫だと思っていましたが、宮崎もなかなか。散歩をしていると、連休前には、あの甘酸っぱいにおいがどこからともなく漂って来ます。蜜柑、夏蜜柑、八朔、椪柑(ぽんかん)、金柑、それと何と言っても日向夏。最近は、檸檬や晩白柚(ばんぺいゆ、鹿児島から来た学生にもらったことがありますが、ずいぶんとでかい)もちらほら。

人が住まなくなった家の近くや道路脇に何本か実がなったままの樹があって、散歩をしながら落ちた実を拾って来ては、金木犀の樹に、二つに切った実を置いています。ひよやめじろ(たぶん)が毎日やって来て、ついばんでいます。ひよは、たぶん春先に家の軒先に巣を作って巣立っていったひよたちのような気がします。夏の瓢箪南瓜用の長い竹を何本か立ててやると、その枝に止まったり。今しばらく実を拾う日々が続きそうです。

めじろ、遠くからだとわかりませんでしたが、写真で「目白」と判明。

地面を歩くひよ(?)、ブロッコリーの葉っぱ(右手)がほぼなくなった理由が判明。

庭のレタスはここ何年か根枯れを起こすようになっています。10月にやっと苗を植えて大きくなりかけたとき、一斉に根が枯れてぐにょぐにゅになるのを見て、気が萎えました。レタス類は11月以前だとほとんど虫にやられますし、3月も終わりになると、ほぼ芯だけになりますから、何とか種から大きくなったのを植え替えてるんですが、何とか対策を考えないと。毎年陽当たりのいい庭の北側に植えてるんですが、来年は南側(隣の家で影になって陽当たりがよくないんですが)に植えるしかないか、そんな気もしています。

ここのブロッコリーの葉もひよたちについばまれているみたいです。

大根も大きくなっていますが、大きくなったときは一斉で、そんなに食べきれないし。

何とか成績も終わりそうで、新学期が始まるまでに小説を仕上げられるといいなあとは思っていますが、どうなりますか。

つれづれに

2019年10月15日

久しぶりの更新です。

10月やと言うのに暑い日が続いています。それでも朝晩や、風には秋の気配が。今週末に台風が過ぎ去ったら、一気に秋になりそうです。

今年の畑は南瓜畑。東京では2,3千円もするのがわかった瓢箪南瓜が好評で、9月の個展に今年も一箱送りました。

 

この前の台風で全体が傾いていますが、すでに盛りは過ぎています。


 

一個が二千数百円で駅市場に出てるよと言われて、うそやろと思いましたが。そのあと神戸の元町の商店街を歩いているときに同じものをみましたが、数百円、宮崎の道端では2,3百円で売られてるのをみて、やっぱり東京だけなんやと合点がいきました。

今年は希釈した酢をまけば大丈夫やないかもと淡い期待を抱いて9月の初めと半ば頃に大根の種を蒔いたものの、やっぱりこの惨状↓

近くでは8月の終わりか9月の初めに切り干し大根用の種がまかれますが、虫にやられてる気配なし、相当薬をまいてるんやろなあ。おまけに化成肥料の白い粒をまいてる光景をよくみかけるので、ぱんぱんに太らせた大根を千切りにして干し店に出されている切り干し大根を買っている姿を見ると、これ買うしかしゃーないんよなあ、と思ってしまいます。

ほかにおくら。↓今までのと違う種類で、日持ちがいいみたいです。前のは取ったらすぐ食べないとすぐ固くなったり傷んだりするので、お百姓さん大変やろな。冬場にタイのおくらが出回るけど、タイから運ぶとなると、ポストハーベスト結構きついんやろな、と思うと食べられへんねえ。そう言うてたら、食べるのもなくなる、ま、より安全なものを食べるしかない→より安全なものを食べるには、お金がかかる、大変な世の中やなあ、ほんま。

夏休みの間に結構書いて、ブログも更新しました。ブログへの移行は、まだしばらくかかりそうですが。

去年の4月に「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」で科学研究費を交付されたのを機に、高校の教師を辞めて大学を探してた時のことをいろいろ書きました。

「アングロ・サクソン侵略の系譜一覧」(2019年3月13日)「続モンド通信」に連載

一番最近のは→「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」(2019年9月20日)「続モンド通信10」

ラ・グーマについても書きました。→→「『まして束ねし縄なれば』の文学技法―雨の象徴性と擬声語の効用を軸に―」「言語表現研究」(2020年3月)37号(収載予定)

やっと引っ越しできそうな気配でしたが、うまく行かず、今しばらく宮崎にいることになりそうです。後期の授業も始まっています。きのうで一巡、結構プリントの準備もあって、といつも通りです。

つれづれに

10連休も終わり、明日からまた授業再開です。

人混みが苦手やし、人と同じ流れに乗れないままなので、連休になるといつもと違う流れを感じます。
連休の間に2回木崎から青島を通って白浜に体の手入れをしてもらいに行ったですが、普段は人もいない店が満員、普段人のいない海岸にも人がたくさん、木崎浜ではたぶん大会など以外では一番の人出、品川、那須、千葉、相模など関東から、大阪、神戸など関西から、名古屋、豊橋など愛知圏から、福岡、熊本、大分などの九州内からのナンバープレートをつけた車がぎっしり並んでいました。
学生にも二人会いましたが、普通は顔を合わさないのになあと思いました。

春は草花の勢いが凄く、3月の半ばころからいろいろ、3週間前ほどは山藤が盛り、牛が時々草を食んでるのでたぶん畜産草地学科の演習場だと思われるところで写真を撮りました。このブログ用に新たに買ったカメラで折角撮りましたので、3枚ほど。

最新のカメラは軽いうえ、撮った画像を接続コードを使ってすぐにパソコンに取り込めます。それにブログにしてもらってから画像の取り込みが簡単になってほんとありがたいです。

奥さんが藤で絵を描きたいというので山藤を取ってきたんですが、取って来て初めて、すぐにぽろぽろ散ってしまうのを思い知りました。キャンパスの藤棚の藤を少々もらって、絵が出来ました。↓

私の絵画館5→「藤とココちゃん」(No. 21:2010年5月)

そのあと、もう一枚藤を使った絵を描いています。

私の絵画館62→「ケーシーとムギ・コトと山藤」(No. 79:2015年5月1日)

2010年5月の日付けなので、もう十年目になるんやなあと思います。

去年の3月の終わりに突然急な事態が起きて、2週間ほどかかりっきりでした。体力的によう持ったなあと思いますが、考えてみたら今年で70、いろんなところにがたがきて、大変です。

普段やとゆっくり授業の準備をする期間でしたが、ほんとばたばた始まりました。大きなクラスにも600人と200人余り来て。初めて人数制限をさせてもらって200人、200人で始めました。今年から持たないと決めて実行中ですが、時間に余裕が出来たようです。

そのどさくさに科研費が交付されるという知らせが。横山さんが、しかも文学で、と大きな声で感心してました。退職者の再任用の制度を作ったこともそうですが、退職者に科研費も、へえーそうなんやと感心しました。「今年で70才ですか。科研費も凄いですね。JSPSの専門研究員としても(現在2年目で、あと1年の任期)、良いことだと思います。」と林さんに言われると、ひょっとしたら凄いかも、と思ったり。

「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」が題で、この500年くらいアングロ・サクソン系のイギリスやアメリカを中心に西洋の人、ほんま無茶苦茶して来たやん、という話で、去年の11月にシンポジウムをして、経緯も書きました。

「アングロ・サクソン侵略の系譜1:概要」(2018年12月29日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜2:着想と展開」(2019年1月20日)

退職すときに、もうすることもないかもなと、本を人にもらってもらったりしたけど、また要るようになるみたいです。とくにライトのNative Son、グギさんのWriters in Politics、ナタラジャンの『広島からバンドンへ』はもう一度手に入れなくちゃ、と思っています。Native Son、Writers in Politicsは改訂版が出てるみたいで、それだけ歳月が過ぎ去ったということなんやろなと納得するしかないようです。