つれづれに

2019年10月15日

久しぶりの更新です。

10月やと言うのに暑い日が続いています。それでも朝晩や、風には秋の気配が。今週末に台風が過ぎ去ったら、一気に秋になりそうです。

今年の畑は南瓜畑。東京では2,3千円もするのがわかった瓢箪南瓜が好評で、9月の個展に今年も一箱送りました。

 

この前の台風で全体が傾いていますが、すでに盛りは過ぎています。


 

一個が二千数百円で駅市場に出てるよと言われて、うそやろと思いましたが。そのあと神戸の元町の商店街を歩いているときに同じものをみましたが、数百円、宮崎の道端では2,3百円で売られてるのをみて、やっぱり東京だけなんやと合点がいきました。

今年は希釈した酢をまけば大丈夫やないかもと淡い期待を抱いて9月の初めと半ば頃に大根の種を蒔いたものの、やっぱりこの惨状↓

近くでは8月の終わりか9月の初めに切り干し大根用の種がまかれますが、虫にやられてる気配なし、相当薬をまいてるんやろなあ。おまけに化成肥料の白い粒をまいてる光景をよくみかけるので、ぱんぱんに太らせた大根を千切りにして干し店に出されている切り干し大根を買っている姿を見ると、これ買うしかしゃーないんよなあ、と思ってしまいます。

ほかにおくら。↓今までのと違う種類で、日持ちがいいみたいです。前のは取ったらすぐ食べないとすぐ固くなったり傷んだりするので、お百姓さん大変やろな。冬場にタイのおくらが出回るけど、タイから運ぶとなると、ポストハーベスト結構きついんやろな、と思うと食べられへんねえ。そう言うてたら、食べるのもなくなる、ま、より安全なものを食べるしかない→より安全なものを食べるには、お金がかかる、大変な世の中やなあ、ほんま。

夏休みの間に結構書いて、ブログも更新しました。ブログへの移行は、まだしばらくかかりそうですが。

去年の4月に「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」で科学研究費を交付されたのを機に、高校の教師を辞めて大学を探してた時のことをいろいろ書きました。

「アングロ・サクソン侵略の系譜一覧」(2019年3月13日)「続モンド通信」に連載

一番最近のは→「アングロ・サクソン侵略の系譜8:『黒人研究』」(2019年9月20日)「続モンド通信10」

ラ・グーマについても書きました。→→「『まして束ねし縄なれば』の文学技法―雨の象徴性と擬声語の効用を軸に―」「言語表現研究」(2020年3月)37号(収載予定)

やっと引っ越しできそうな気配でしたが、うまく行かず、今しばらく宮崎にいることになりそうです。後期の授業も始まっています。きのうで一巡、結構プリントの準備もあって、といつも通りです。

つれづれに

10連休も終わり、明日からまた授業再開です。

人混みが苦手やし、人と同じ流れに乗れないままなので、連休になるといつもと違う流れを感じます。
連休の間に2回木崎から青島を通って白浜に体の手入れをしてもらいに行ったですが、普段は人もいない店が満員、普段人のいない海岸にも人がたくさん、木崎浜ではたぶん大会など以外では一番の人出、品川、那須、千葉、相模など関東から、大阪、神戸など関西から、名古屋、豊橋など愛知圏から、福岡、熊本、大分などの九州内からのナンバープレートをつけた車がぎっしり並んでいました。
学生にも二人会いましたが、普通は顔を合わさないのになあと思いました。

春は草花の勢いが凄く、3月の半ばころからいろいろ、3週間前ほどは山藤が盛り、牛が時々草を食んでるのでたぶん畜産草地学科の演習場だと思われるところで写真を撮りました。このブログ用に新たに買ったカメラで折角撮りましたので、3枚ほど。

最新のカメラは軽いうえ、撮った画像を接続コードを使ってすぐにパソコンに取り込めます。それにブログにしてもらってから画像の取り込みが簡単になってほんとありがたいです。

奥さんが藤で絵を描きたいというので山藤を取ってきたんですが、取って来て初めて、すぐにぽろぽろ散ってしまうのを思い知りました。キャンパスの藤棚の藤を少々もらって、絵が出来ました。↓

私の絵画館5→「藤とココちゃん」(No. 21:2010年5月)

そのあと、もう一枚藤を使った絵を描いています。

私の絵画館62→「ケーシーとムギ・コトと山藤」(No. 79:2015年5月1日)

2010年5月の日付けなので、もう十年目になるんやなあと思います。

去年の3月の終わりに突然急な事態が起きて、2週間ほどかかりっきりでした。体力的によう持ったなあと思いますが、考えてみたら今年で70、いろんなところにがたがきて、大変です。

普段やとゆっくり授業の準備をする期間でしたが、ほんとばたばた始まりました。大きなクラスにも600人と200人余り来て。初めて人数制限をさせてもらって200人、200人で始めました。今年から持たないと決めて実行中ですが、時間に余裕が出来たようです。

そのどさくさに科研費が交付されるという知らせが。横山さんが、しかも文学で、と大きな声で感心してました。退職者の再任用の制度を作ったこともそうですが、退職者に科研費も、へえーそうなんやと感心しました。「今年で70才ですか。科研費も凄いですね。JSPSの専門研究員としても(現在2年目で、あと1年の任期)、良いことだと思います。」と林さんに言われると、ひょっとしたら凄いかも、と思ったり。

「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」が題で、この500年くらいアングロ・サクソン系のイギリスやアメリカを中心に西洋の人、ほんま無茶苦茶して来たやん、という話で、去年の11月にシンポジウムをして、経緯も書きました。

「アングロ・サクソン侵略の系譜1:概要」(2018年12月29日)

「アングロ・サクソン侵略の系譜2:着想と展開」(2019年1月20日)

退職すときに、もうすることもないかもなと、本を人にもらってもらったりしたけど、また要るようになるみたいです。とくにライトのNative Son、グギさんのWriters in Politics、ナタラジャンの『広島からバンドンへ』はもう一度手に入れなくちゃ、と思っています。Native Son、Writers in Politicsは改訂版が出てるみたいで、それだけ歳月が過ぎ去ったということなんやろなと納得するしかないようです。

 

 

つれづれに

授業も一巡、本格的に。

今年は3週足らずで10連休、一息入れてから7月末まで。新入生には、この10連休は有り難いかも。

10代の早くに一度すべてを諦めたせいか、入学式、卒業式、結婚式、葬式の類いが、自分には関わりのないものになってしまいました。

そうは言うものの、入学式には出てしまいました。浪人をしても受験勉強が出来たわけでもなく、英数国をしないで国立大は望む方が無茶というもの、結局、神戸市立の外国語大学のⅡ部、いわゆる夜間課程だけは、それでも合格したようで、ま、行くところがないようりはましか、英米学科と言っても、文学は出来るわけだし、時間もあるんだし、そう気持ちに区切りをつけたんだと思います。

神戸市外国語大学旧学舎全景(大学ホームページより)

一年間予備校にも通いながら受験勉強らしきものもせず、それでも入学式にのこのこと出かけたのは、たぶんよっぽど気持ちが萎えてたんでしょう。

その割には、何だか不思議な、おもしろい入学式でした。

学生運動で東大で全員が留年した学年ながら、浪人している間に、すっかり終結していたようで、形骸だけが残っていた学生運動、それでも事務局・研究棟に行く昇りの階段には何やら粉砕(たぶん安保粉砕)と朱色のペンキで大きく文字が躍り、両脇にヘルメットを被った学生が並んで、そのうちの一人がマイクを握って「われわれは~」と大声でがなり立てていました。脇には火炎瓶が並んでいたと思います。

 

事務局・研究棟への階段(大学ホームページより)

入学式は図書館の階段教室、式が始まると、何故かコーラス部が校歌を歌い出し、脇から全共闘の学生がマイクを握って「われわれは~」とがなりだし、中央ではお構いなしに学長と思しき人が挨拶を始め、学生の何人かはそれぞれに野次を飛ばし・・・・何だかおもろい入学式やなあ、そう思いながら眺めていました。

図書館(大学ホームページより)

翌日から授業が始まったものの、毎晩毎晩クラス討議、大体始まったばかりの学生に意見があるはずもなく、それでもクラス討議みたいなものが続いたような。ある日、学生が木造学舎をバリケード封鎖、その脇を通りながら、クラブの練習に。

バリケード封鎖された学舎(大学ホームページより)

ある日そのバリケードが機動隊に排除され、終結。

なんだ不思議な日々でした。そんな世の中とは関係なく、僕は高校時代に出来なかったクラブ活動でバスケットの毎日、練習に出かけた中学校でコーチをするはめになり、留年。結局2年留年して、辛うじて6年で卒業。

木造学舎(大学ホームページより)

卒業式には、もちろん出ませんでした。卒業するときに希望があったわけではありませんでしたし、就職活動もせず進路も決まってませんでしたが、気持ちは萎えていなかったんだと思います。

つれづれに

充電期間も終わり、授業が始まっています。7月の終わりまで、またばたばたです。

きんぽうげがあちこちに、薊もそろそろ、見上げれば山藤、またそんな季節になりました。


以前明石市の中朝霧丘に住んでいたとき、梅の木に蜜柑を二つに切って枝に挿しておくと、鳥が来てついばんでいました。めじろの類いだったと思いますが、ついその姿が見たくなって、せっせと枝にみかんを挿していました。

ここでは日向夏、そろそろ終わりですが、毎日せっせと二つに切った日向夏を枝に挿しています。黒っぽい、鶯やメジロよりも大きめの鳥がさかんにやってきて、日向夏をついばんでいます。家のなかで、猫が飛んだり跳ねたり。

秋にも北側に植えた渋柿が終わりの頃に、何個か枝に残して置くと、必ずみつけて鳥たちがやってきます。

そんな季節になりました。退職5年目、退職前と同じような毎日を送れるのは、有り難いことなんやろなあ、と感じながらの毎日です。今年で70、からだの老化は如何ともしがたく、体調を崩さないだけで毎日いっぱい一杯です。

こんなに生き永らえるつもりやなかったものの、まわりに迷惑をかけないように生きるのもえろう難しいもんやなあと実感しながらの毎日です。