つれづれに

つれづれに:穏やかな日

 穏やかな日が続いていたが、昨日の夜半過ぎから降り始め、今日は朝から雨の一日である。午後はかなり降るらしい。久しぶりに、雨水を蓄えられそうである。濁っているポリバケツ(↓)をきれいにして、雨水が垂れる下に置いた。畑に生野菜を埋めたあとの容器を洗ったり、採りたての野菜を濯(すす)いだりするのに便利である。抜いた後の大根についた土も、きれいに洗ったりしている。

 昨日は普段通りに1時間ほど歩けた。高台の公園の坂道を2往復、木花神社では99段(↓)の階段を1往復した。太腿(ふともも)の筋肉のために、上りは1段飛ばしである。遣り過ぎると、体が重くなるし、蓄積すると体のどこかにSOSが出る。自転車に乗る日は歩かない。もう両方に耐える体力はないので、両者の塩梅(あんばい)が大切なようある。

 先週は猫のぴのこ(↓)が歯を気にして食べられなくなったので、獣医さんに診てもらった。預けて診てもらったので、青島を2往復である。飛ばせば25分くらいで行けるが、普通に行くと40分くらいはかかる。妻と二人で2往復した。次の日に手術をしてもらうのに、また2往復だった。おかげで、麻酔をかけてじっくりと手術をしてもらえた。「全体がかなり傷んでいたので相当痛かったでしょう」と言われた。術後は順調で、ほぼ元通りに戻っている。食欲も旺盛である。適切な治療をしてもらえるのはありがたい。

 水曜日に私自身の歯医者だったので、2日目は妻が一人で2往復した。歯医者は清武にあり、やはり40分ほどの距離である。自転車で自力で行けるのはありがたいが、続くとなかなか大変である。調整しながらでないと、体がもたなくなっている。

昨日は日曜日だったせいか、木花神社(↓)に一人参詣客がいた。坂の中ごろに駐車のスペースが拵(こしら)えてあるのに、入り口に近い階段下に車を停めていた。知らなかったのかも知れない。

 木花駅(↓)では北側に簡易の机を置いて、5人ほどが座っていた。乗車券臨時販売所と書いてあった。宮崎・南宮崎とも書いてあったから、そこの駅員だろう。一度通り過ぎたが、気になったので戻って聞いてみた。「マラソンがあり、最寄りの駅ですから」と中の一人が教えてくれた。サンマリーン球場から出発して宮崎神宮辺りで折り返し、球場に戻って来るらしい。そう言えば、宮崎に来た当初は神宮の少し北辺りから自転車で通っていたから、フルマラソンの距離を移動していたということになる。木花駅は、プロ野球のキャンプの時以外にも、マラソンでも賑わうわけである。

 駅の西側に、お結びやさん(↓)が出来ていて、ときたま店先のベンチに座ってスポーツドリンクを飲んだりしている。午前中で売り切れて閉まることが多いので、気軽に座っていたら、突然中から店員さんが顔を出した。少し話をしたら、マラソンのお陰で客が多かったということはなかったらしい。東に球場があるので、電車を利用する人は西側には行かないからだろう。

 金曜日に白浜に行ったとき、海岸道路でマラソンの掲示板がたくさん立ててあったので、てっきりそこを利用するものだと思っていたが‥‥。ウェブの「青島太平洋マラソン2023」の解説には「市内中心部から太平洋・青島を望むトロピカルロードを駆け抜ける」と書いてあったが、実際は違ったわけである。

「いつも通っている海岸道路は、トロピカルロードというんや?」

 普段はサーファーや散策する人とときたま行き交う程度だが、昨日は運動用の服装をした高校生(↓)がたくさん歩いていて、何組もの高校生に挨拶された。総合運動公園で合宿していたんだろう。トロピカルロードを歩いて青島に行った帰りのようだった。

 先週は冬の旧暦の6節気について書いた→「郁子と通草」(12月2日)が、しばらくは12月とは思えないほどの穏やかさだった。特に金曜日は、少し雲は出たもののそう風もなく、気温も高く秋の初めの感じだった。西風のきつい日には、自転車がなかなか進まないが、風の心配をしなくて済んだ。白浜の海(↓)も、冬の色ではなかった。

揉んでくれる人がサーフィンをするので、海流と波の関係や波の質などについていろいろ教えてもらっている。いい波を探すために、天気図を読んで予測するだけあって、天候についてもずいぶんと詳しい。一昨日の波はかなりよかったそうである。昨日はその名残りで、ロングボードで穏やかな波を楽しめたらしい。

白浜の海(12月8日)

つれづれに

つれづれに:郁子(むべ)と通草(あけび)

小島けい「私の散歩道2023~犬・猫・ときどき馬」12月<馬(ジプシー)とイチョウ>

 もう12月になっている。今年もあと1ケ月を切ったわけである。広島の人のメールに「広島はどこも紅葉が深まり視覚的にも感覚的にも秋を感じるようになりました」とあったが、宮崎にいるといつも緑という感覚になってしまっている。もちろん、公園の銀杏(いちょう)が少しだけ黄色に染まることもあるが、雪国の北海道や韓国などの銀杏の鮮やかな黄金色には叶うはずもない。去年の11月に前立腺騒動があり、もう一年である。経過観察も含めて、3ケ月に一度の診察を受けた。また3ケ月後に、血液検査をするらしい。数値が戻っていればいいが。今のところはシロだそうだが、一応、である。

 一月前に→「郁子」(11月2日)の中にも、二つの実が少し色づき始めたことを書いて、 いつかすっかり色付いた実の写真を撮るつもりでいたが、ある日、片方の実が消えていた。今日見に出かけたら、もう片方も見事になくなっていた。(↓)

 片方の実は道路の脇に転がっていた。だいぶ日が経ったような感じである。中の実がほとんどない状態である。樹に生っている時はふっくらとして光沢があったのだが、落ちた実の表面には艶はなく、道草の色に似ていた。

 もう片方の実は、隣の家の庭の中に落ちていた。割れてはいたが、いたみ具合から見て、こちらの方が後で落ちたようだった。その実にも艶はなく、道草の色に近かった。

 妻に絵を書いてもらおうと、目についた道草を採って来たのが最初だった。もう30年以上も前になる。そのあと、出版社から装画の話が来てからも、注文のないときも、しばらくは道草の絵を何枚も描いていた。(→「通草」)郁子も見つけて採って来たが、形と色が道草とは違うようで、そちらの方は絵にならなかった。形と色が気に入らないらしい。郁子に罪はないが、相性の問題だろう。

村越一哲『幻の東京オリンピック』(装画、2000/12/2)

気温も下がって、だいぶ畑に出る時間が多くなり、また旧暦の二十四節気(にじゅうしせっき)が身近になった。一年の太陽の黄道上の動きを視黄経の15度ごとに24等分して決められているらしく、旧暦(太陰太陽暦)では、季節を表すために用いられていたと聞く。全体を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けた24の期間を「二十四節気」と言ったらしい。二十四節気はその瞬間を指すこともあれば、そこから始まる期間を指すこともあるそうである。

冬には立冬(11月7日~)、 小雪(11月22日~)、大雪(12月7日~)、冬至(12月22日~)、小寒 (1月6日~)、大寒(1月20日~)の6節気があり、そのあと春が立つ、立春(2月4日~)である。

小雪をこゆきと呼んでいたら、妻に「しょうせつでしょ」と言われた。その通りである。小雪は、雪が降りはじめるころ。まだ、積もるほど降らないことから、小雪といわれたらしい。宮崎はほとんど雪が降らないので、実情に合ってはいないが、全国的に考えれば、そうなんだろう。

昨日の金曜日も、また自転車で白浜の鍼灸整骨院に行って揉んでもらえた。海はすっかり冬の色だった。カメラを持って行けなかったので、海の写真は撮れなかった。残念である。

金木犀の樹をだいぶ切ったので、家と家の間から加江田の山が見えるようになった。ちょうどこの位置に私の部屋があって、南向きで陽が入るので日中は暖かく過ごせている。窓ガラスもきれいに拭いたので、毎日この加江田の山の景色を遠くに見ている。だいぶ寒くなって来た。

つれづれに

つれづれに:烏瓜(からすうり)

 先日、清武の量販店に焼酎(しょうちゅう)を買いに行ったあと、久しぶりに烏瓜(↓)を採って持って帰ってきた。途中の清武川の土手でたくさん実がぶら下がっているのが目に入って、つい採ってしまった、というところである。焼酎は、妻の個展に出品して下さったお礼に畑でできた瓢箪南瓜(ひょうたんかぼちゃ)といっしょに送る予定である。東京では売ってない20度の霧島は、お酒の好きな人には好評らしい。

 絵は仕上がったあと注文して下さった人に送り届けていたから、お願いして個展会場まで宅配便で送ってもらっていた。会場の真ん中に飾って、好評だったと聞く。トイプードルの愛らしさ(↓)をたくさんの人に観てもらえた。

 展示した絵は、個展が終わった日に全部宅配便で自宅に送ってもらっているので、その絵にお礼を添えて持主の元に戻すというわけである。絵は来年のカレンダーの中の一枚になり、また楽しませてくれる。

ちょうど今年のカレンダーの11月の絵(↓)に烏瓜が入っている。

 宮崎に来た80年代の終わりから数年間は、烏瓜と通草(あけび)を採ってきては、妻が絵を何枚も描いた。当時は花を中心に描いて、カレンダーに入れていた。上のカレンダーの絵は、その時に描いていた烏瓜の絵の一枚に、家の猫にも入ってもらい、この原画が出来上がった。

「私の散歩道2009」10月(企業採用分)

 宮崎に来る前から横浜の出版社の雑誌に書かせてもらっていたが、妻に頼んで書いてもらっていた挿画をみて出版社から装画の依頼が来た。烏瓜も装画の材料になった。

村越一哲『三方原』(装画/からすうり)

 大阪工大(↓)で世話になっていた先輩から、ある日「出版社の人があんたに会いたい言(ゆ)うてるけど、会(お)うてみるか?」と言われた。よくわからなかったが、新幹線で横浜まで会いに行った。いきなり縄文時代の話をし始めて、何時間かその話が続いた。その時は特に何かを頼まれたわけではなかったが、しばらくしてから雑誌の記事を書くように薦められた。宮崎に来てからは雑誌の記事に加えて、大学のテキストや翻訳などを次から次に言われて、小説を書くどころではなかった。定年退職したあとも、しばらくその状態が続いた。

大阪工大(→「大阪工大非常勤」、2022年7月11日 )

 妻の装画も、その延長上にあった。今はその出版社の人も亡くなって、私は小説を書いている。今は5冊目である。目途があるわけでないが、売れると思ってくれる出版社があれば、その原稿がお金にかわる予定である。生きてるうちに、とは思うが、自分が決めるわけではないので、未定である。教授になったときも、自分が決めるわけではないので、未定だった。

宮崎医科大学講義棟(→「英語科」、2022年8月22日)

 *烏瓜は ウリ科のつる性多年草で、巻きひげで他の物にからむ。夏の夕方に、きれいな白い色の花が開く。果実は楕円形で、秋に赤く熟す。漢方では根を利尿剤や鎮痛剤に使用するらしい。

今日も白浜の鍼灸整骨院に自転車で行けたのは何よりだった。白浜の海も秋から冬の海にかわりつつあった。

つれづれに

つれづれに:南風茶屋

先週の白浜

 昨日も自転車で白浜(↑)の鍼灸整骨院に行くことが出来た。有難いことである。木曜日の夜中に雨が降って、朝にはすっかり晴れていた。畑には理想的な天気である。水遣りの心配が要らない。お昼前に電話をして、いつもより15分早く治療を始めてもらうようにお願いした。久しぶりに南風茶屋(↓)に行こうと思ったからである。夏野菜の南瓜とピーマンがたくさんなっているので、それも届けたかったし、久しぶりに南風定食も食べたかった。普段は魚や鶏肉は食べないが、小さ目のチキン南蛮と魚の揚げ物の酢づけなら何とか食べられる。普段食べない種類の食べ物を摂るいい機会だ。自転車で1時間余りの距離なので、いつまで行けるかわからないが、自力で行ける間は食べに行きたい。まだ使ったことはないが、市発行のバスカードを使えば100円で行けるらしいから、いつか世話になるかも知れない。

白浜からはホテルサンクマール(↓)の横を取って、海岸道路に入る。

入り口は、わざと車が入り難いようにしているのかと思えるほどのがたがた道(↓)である。大きな石がごろごろしている。自転車でも、ゆっくりと行かないと転びそうである。車は擦る可能性が高い。南側の入り口は台風の後から大きな石が道を塞いで通るのが難しいから、サンクマール側から入るしかない。その日は釣り客の車は1台もなかった。

堀切峠下の山肌はすすきだらけである。すでに盛りを過ぎてはいるが、穂が風に散るほどまでは行っていない。秋が深まって来た雰囲気が漂っている。

夏前にこの道を通った時も、展望台への階段は一部壊れて、草で覆われていたが、その度合いが増している。これでは展望台からは海岸道路には下りられないし、もちろん下からも展望台と道の駅には行けない。

15分治療を早めにしてもらったのは、店が4時までで3時半までに注文しないといけないからだ。少し早めに終わってもらったので、余裕を持って注文ができた。南瓜とピーマンを渡し、南風定食を堪能した。ひさしぶりだった。

帰りも海岸道路を通ってすすきを摘んで帰るつもりだったが、トンネル付近で気持ちが変わり、上の旧道を通って帰ることにした。道の駅への坂道を登る前に写真(↓)を撮った。

道の駅の付近や堀切峠からの海は、いつ見ても雄大である。何度も自転車を停めて、写真を撮った。

堀切峠からは下り坂である。自転車道は途中で2度下って上る必要があるが、大体は下り坂である。今年はすでにすすきは終わりと諦めていたが、一か所だけまだ生きているすすきを見つけて摘んだ。服に雑草の粘着質の棘がくっつかないように注意しながら、すすきを採っていると、横を南風茶屋の人が車のスピードを緩めながら「気をつけて帰って下さいね。今日はありがとうございました」と言い残して通り過ぎて行った。その個所からすぐのところ右手に青島(↓)が見えた。ずっと北に、尾鈴山系を背景にシーガイアの建物が見える。

秋も深まり、冬が始まっている。