つれづれに

つれづれに:紛争

 テレビドラマ『ER』の→「『悪夢』」でアメリカの救急医カーターが行ったキサンガニはコンゴの北東部の紛争地帯に近い。ワクチンも届き、道路が通れるようになったので、ワクチン接種のためにマテンダの診療所に出かけた。すでにその診療所にいた同僚のコバチュと2人で200人の接種を終えた。そのあと、政府軍の兵士を助けたあとに、反政府軍が来て、コバチュが赤十字は中立だと訴えても、たくさんのいる前で虫けらのように撃ち殺された。マテンダに行く道には、政府軍と反政府軍のあおりを受けて家を追われた人たちが、重い荷物を持って避難のために歩いていた。

 欧米の一握りの金持ちたちが始めた大西洋の大規模な奴隷貿易で莫大な利益を上げて、その資本で社会の仕組みを変える方に進んだ。それまで手で作っていたものを機械を利用して製造するようになって、大量消費社会にまっしぐらで走り出したのである。格段に生産量が増し、更なる生産のための原材料の確保と、作った製品を売り捌(さば)くための市場として植民地が必要となり、近くのアフリカ大陸が狙(ねら)われた。原材料と鉱物資源が豊かなところはその標的になった。コンゴもその一つである。カーターが見た紛争の遠因はこの頃に遡(さかのぼ)る。紛争を理解するためには、イギリスを中心に欧米諸国がこの500年余りの暴虐を続けてきた経緯を知る必要があるだろう。コンゴの場合、植民地分割で認められたベルギー王の個人の植民地→ベルギー領→独立とコンゴ危機→モブツ独裁→カビラと続く流れの中で紛争を捉(とら)えるべきである。

 なぜコンゴが狙われたのか?まだ植民地の宗主国が決まってない時にベルギーのレオポルド2世が植民地を欲しがったのがきっかけだが、英仏米3国の思惑が一致して個人所有が認められたのが悲劇の始まりである。植民地では最初象牙(ゾウゲ)が狙われた。獲りすぎて象牙が見込めなくなると、ゴムに目をつけた。世界的に自動車のタイヤの需要が高まった時期と一致して、莫大な利益を得た。その後、国際的に批判が高まっても、第1次大戦のどさくさに紛(まぎ)れて咎(とが)められることなく、ベルギー政府の植民地になった。戦後はベルギーに独立の過程を邪魔され、しゃしゃり出て来たアメリカにモブツを担(かつ)がれて独裁政権を作られた。国連大使だったカンザ(↓)は「国際的な植民地になった」と当時の様子を表現している。アメリカ主導で第2次大戦後に再構築された多国籍企業の貿易と資本投資の体制が始動していたのである。そこでは鉱物資源が狙われた。独裁政権を作る前に、新政権が力を持たないように銅が豊富なカタンガ州、現シャバ州の分離独立でモブツとは別人のカサブブを傀儡(カイライ)を仕立ててて押し切った。2003年の経済面の世界経済リポートでアフリカでの携帯の普及を特集していた。「アフリカでも携帯急伸ー人口の6割をカバー」の大見出しで、低所得者者を狙う新サービスや象の追跡にも一役買っている現状を報告していた。2008年の国際面では「魅惑の資源 紛争の種ー価格高騰で争奪戦」の見出しで、途上国の急成長やIT需要で高騰している石油や希少金属(レアメタル)についての現状を報告していた。「希少金属の利益 武器に」でコンゴを、「急接近の中国と摩擦も」でザンビアを取り上げていた。携帯電話やパソコンのコンデンサーなどの部品に使われるタンタルがドラム缶に入れられて、ケニアやタンザニア経由で欧州に運ばれている現状と、恩恵は一握りの手にしか行き渡らないので不満が増幅している現状を報告していた。2022年には1面に「コバルト源流 危険な採血」の大見出しに「スマホ電池原料 コンゴで7割生産」の小見出しの記事が大きく掲載されていた。2面にもシャバ州と南東部のコルウェジ辺りに銅やコバルトが帯状に広がるコパーベルトが紹介されて、コルウェジがコバルトで注目されるようになった。

 1990年代には、アンゴラとシエラレオネで採掘されるダイヤモンドの原石が反政府武装勢力の資金源になって問題になった。結局国連が禁輸措置をして収めたが、モブツ独裁が終わってから鉱物をめぐってコンゴ周辺で紛争が激化したので、鉱物を狙う欧米や日本は協力して規制を始めた。紛争鉱物という名称も生まれた。対象鉱物はスズ(Tin)、タングステン(Tangsten)、タンタル(Tantalum)、金(G)で、対象国はコンゴおよび周辺9ケ国(アンゴラ、ウガンダ、コンゴ共和国、ザンビア、タンザニア、中央アフリカ、ブルンジ、南スーダン、ルワンダ)である。4鉱物は頭文字を取って3TGと呼ばれていて、どの鉱物資源も先進国の産業には欠かせないもので、最近ではスマートフォンや電気自動車に搭載されるリチウム電池に使われている。コバルトの7割を生産するコンゴは、相も変わらず狙われ続ける。

 カーターが体験した政府軍と反政府軍の闘いも、鉱物資源をめぐる紛争の一つである。鉱物資源が豊かで、その鉱物資源が産業化の中で需要が高かったという理由で、同じ民族同士が殺し合っているのだ。かなり高価な武器も持ち込まれる。その武器の出所は、政府軍は関係の深いアメリカが中心で、軍需産業を支えるひとつになっているだろうし、反政府軍の武器は先進国のどこかの国か東側のソ連か中国かキューバか、おそらくその辺りが出所だろう。そこでもその国の重工業を支える役目を果たしている。武器商人が裏社会で暗躍して、暴利を貪っている。もう、500年もそんな事態が形を変えて延々と続いてきたというわけである。豊饒(ほうじょう)な大地と豊かな水とあらゆる鉱物資源にめぐまれた国が、どうして医療施設が機能しないほど荒廃しなければならないのか?まことに不条理な世界である。デヴィドスンは「今は搾り取って来た富をアフリカに返すべき時に来ています。それには先進国の経済的な譲歩が必要です」と言ったが、それが少しでも実行されない限り、不条理は続く。チェルノブイリや福島を経験しても、何も学ぼうとしない。人間が怖い。

次はモブツを追い遣(や)るために周辺国から担がれてキンシャサに入り、実際にモブツを追い出したカビラである。

<2003年シンポジウム>

シオラレオネについて書いた本の著者山本さんとケニア人のムアンギさんと3人で医大の大学祭でシンポジウムをしたことがある。ダイヤモンド紛争で荒廃していた時に滞在し、帰国後に書いた『世界で一番いのちの短い国』がよく売れていたみたいあったので、シンポジウムには100人を超える人が聞きに来た。国際保健医療研究会というサークルのメンバーといっしょに企画した。授業で山本さんの図書の話をしたら、メンバーのひとりが「わたし敏春さん知ってる」とすぐにメールを出していた。その夜に、山本さん本人から「医学生からメールがあったんですが、どうしましょう?」と連絡があった。「そうですね、折角ですから、シンポジウムでもやりますか?」ということになって実現した。研究費で2人を招待する形になった。ムアンギも、授業で仲良くなった服部くんも、山本さんの発言には不服があったようだ。ムアンギさんは自分の話の中でアフリカ人にネガティブな印象を与える山本さんの発言に苦言を言っていたし、服部くんは途中で出て行ってしまった。あとで聞くと、半年滞在して自分がいなくなったあとも継続できるようにシステムを作って来たと言われてましたが、そんあこと半年で出来るわけないやないですか、と言っていた。家でした夕食会には来てくれたので、ほっとしたが、僕は服部くんの言い分に納得した。

つれづれに

つれづれに:いのち

 テレビドラマ『ER』の→「『悪夢』」では、いとも儚(はかな)く人のいのちが消えて行く。それまでコンゴについてはよく知らなかったが、医学と一般教養と繋(つな)げないかと考えて1995年のエボラ出血熱から始めてみたら、知らない世界が広がっていた。植民地時代→独立・コンゴ危機→モブツ独裁と、長期間に渡って社会はすっかり荒廃し切っていた。賄賂(わろ)が横行し、豊かな鉱物資源をめぐって血なまぐさい紛争が続いていた。道路も荒れ、経済もとっくに破綻(はたん)していた。ことに、皺(しわ)寄せをもろに受ける医療施設は悲惨だった。エボラがエイズに追い打ちをかけていた。医者が主人公で、舞台が病院の設定で作られた「悪夢」は、そんな惨憺(さんたん)たるコンゴ社会を映し出していた。そこでは、消えなくて済むいのちが消えていた。

 医学生の英語の授業だけでなく、本学の教養科目や非常勤の英語の授業でもこのコンゴの医療ドラマを観てもらったが、気分が悪くなって部屋にいられなくなり、外に出て行く学生が何人かいた。その点、さすがに医学科と看護学科では途中で出る学生はいなかったなあと思いながら、変に納得をしたことがあった。アフリカにエイズ患者が出始めたのが1985年辺りだから、カーターが行った北東部キサンガニの病院でも、当然エイズ患者がいた。ある日、夫と夫の左肩に寄りかかっている夫人が壁を背に並んで座っていた。カーターが老夫人の頸(くび)の脈を診ると、すでに死んでいるのがわかった。近くの看護師に通訳を頼み、死亡を伝えてもらうと、老人はそっと口を開いてカーターと話す。

「知ってる。弱ってた」

「早く言えばいいのに」

「この2、3ケ月調子が悪くて。エイズだったが、行くところがなくて。僕もすぐに行くよ。愛してるよ」

 奴隷貿易の蓄積資本で産業化に突き進む欧米諸国が狙った豊かな鉱物資源や農産物をめぐって争い、戦後は多国籍企業の貿易と資本投資の体制をアメリカ主導で再構築したために、宗主国のベルギーにアメリカまでコンゴにしゃしゃり出て来た。宗主国に独立過程の邪魔は任せて国内を大混乱させ、アフリカ人を立てて傀儡(かいらい)の独裁政権を作ってしまった。2回目のエボラ騒動の翌年にカビラが多くの勢力に担(かつ)がれてキンシャサに入り、モブツはモロッコに逃走、そこで前立腺癌(がん)で死んでいる。独裁体制は1997年まで続いた。当然、欧米資本に対抗するアフリカ人の武装組織が出来る。武器の出所は先進国のどこかの国からか、東側の国からの場合もある。武器を売りつけるのは、自国の重工業の維持にも繋がるのだから、力も入る。かつての奴隷商人のような武器商人が、裏社会で跋扈(ばっこ)する。フランスとユダヤ系が一番あくどいと言う人もいる。

 しかし、犠牲になるのはいつもごく普通の人たちである。一握りの欧米の金持ちとアフリカの金持ちが潤(うるお)う分、その皺寄せは国民に来る。カーターたちがワクチン接種のために出かけたマテンダの診療所に車が着いたとき、人が列をなしてカーターたちの到着を待ちわびていた。カーターとコバチュは一人一人と二言三言(ふたことみこと)交わしながら、淡々とワクチンを接種した(↓)。

 カーターの患者のなかに苦しそうに咳(せき)をする少年がいた。症状からして百日咳のようだった。病気だからよくなる薬を出すと言い、看護師に点滴をするように言った。高い抗生物質はないので、効かないアモキシしか出せなかったのである。ワクチンが終わり、二人は少し離れたところの空き箱を置いて座り話し始める。

「百日咳か?アモキシを出して、治せると言った?」

「言った」

「アモキシじゃ治らない。死ぬよ。10ドルのエリスロマイシンの処方で根絶できる病気で、死んでいく」

「今日200人に接種した。一日に200人も救ったことあるか?」

 キサンガニのある東部は政府の支配の行き渡らない地域で、反政府軍の拠点である。最近は希少金属をめぐって、隣国の国々も派兵して駐留している。案の定、一人の少女が爆撃のあおりを受けて診療所に運ばれて来た。吹き飛ばされて、片方の膝から下がない。反政府軍が迫るなか、のこぎりで足を切断して緊急手術(↓)を終えた。点滴をつけたまま、密林の中に避難した。カーターたちがキサンガニに戻ることになったとき、その少女たちのためにコバチュと補助員は残る決心をした。

 診療所を攻撃されてそこに残っていた人たちとカーターとコバチュと補助員は少女に点滴をつけたまま、逃げ惑った。それでも夜は明けて、密林のなかで座ったまま、二人は話し出す。

「経験あるんだな?」

「あるよ。初めは国家だ、愛国心だと建前は立派だが、結局待ってるのは死と悲しみだ。望みはごく平凡だよ。子供たちが幸せに育ってくれればいい。領土や大統領は関係ない。平和を望んでいる」

「最初は政治も理解しようとしたよ」

「カーター、君はアメリカ人だ。民主主義が世界を救うと思っている」

「代わりは何だ?軍事独裁か?」

「君たちはミサイルを撃ちこんで空母へ引き揚げて、テレビに興じていればいい」

「アメリカ人もイラクで犠牲を出している」

「でも餓死する子供たちはいるか?レイプされる女性はいない‥‥テレビや新聞で正義の戦争だと言っていたと思うが、私には家族がいなくなった。あの戦争の何が正義だったんだ?家族を亡くして‥‥」

 政府軍の兵士の治療をして、手術に成功した。目覚めた兵士は充分に政府軍の怖さを知っていたので、無理を承知で部隊に戻りたいと必死に懇願したが、カーターは「歩けるようになれば行っていい」と言って許可を出さなかった。トラックに乗せて運ぼうとしたが、運悪く巡回して来た反政府軍に見つかってしまった。トラックから引きずり降ろされて、誰もが見つめるなかで、至近距離から虫けらのように撃ち殺された。そして、いのちは消えた。

 最初は鉱物資源を狙った欧米が仕掛けたが、違う先進国や東側諸国が反対勢力に武器を送り込むので、複雑に絡(から)んだ糸はもうほぐせる段階にはないようだ。本来中立であるべき国際医療団も中立ではいられない。ひっしにコバチュが中立を訴えても、無理やりねじ伏せられた。『ER』には『悪夢』の続編がある。混沌(こんとん)の世界である。続編の前に、次回は紛争についてである。

つれづれに

つれづれに:銃創

 日本は銃社会ではないので、銃による傷、銃創をみかけることは少ない。しかし、アフリカでも紛争地帯と言われるところでは武器として銃などが使われるので、当然銃創の手術も必要となる。キサンガニの診療所でも、反政府軍の兵士(↓)が担ぎ込まれて、大手術となった。銃社会アメリカに住むカーターは近くに下町のあるシカゴの救急の専門医なので、もちろん銃創手術の経験もある。しかし、医療器具もまともに揃っていない病院での手術は初めてだった。キサンガニの診療所は紛争地域に近いので、反政府軍がしょっちゅう送電線を切断する。緊急手術のために発電機をまわすが、燃料が長くは持ちそうにない。いつ電気が切れるかも知れない中での手術だった。

 インド人のNGO現地医師が手術の指示を出していた。ここでの経験が豊富だったんだろう。カーターが手術した患者は、左胸に銃弾を受け弾は肺と腹部を貫通して大腿骨(だいたいこつ)を砕いて止まっていた。女性医師は「資源の無駄使いだわ」と言いながら開腹して銃弾を取り出した(↓)あと、銃の型と特徴を解説している。

 「完全装甲のライフル弾よ。狙撃用ね。ドラグノフ銃は800メートルから殺害可能、内臓も破壊」

「死んでも当然か?」と食い下がるカーターに「時間をかけてもいずれは死ぬ。自家発電は4時間で、重症患者が3人もいるの。そっちが終わったら戻ってくる」と言い残してその場を離れていった。

 ワクチン接種に出かけたマテンダの診療所では生き残った政府軍の兵士を治療した。手術は成功して安静が必要だったが、反政府軍に見つかれば殺されるのを知っていた兵士は、軍に戻ると必死に訴える。しかし、結局はその兵士は反政府軍に発見されて、至近距離から銃で撃ち殺されてしまった。カーターも額に銃を突き付けられた(↓)が、最後まで諦めずに兄の手術をしてくれた医師だと弟がリーダーに耳打ちしたので、辛うじて命だけは取り留めた。コバチュは医師は中立だと訴えたが、紛争地域では中立さえも成立しないのである。コバチュと補助員の2人は、手術した患者を放ってはおけないからと、しばらく反政府軍に壊されたクリニックに残って患者の治療に当たることにした。カーターと看護師はキサンガニの診療所に戻ることになったが、カーターにとってもまさに→「『悪夢』」の連続だった。

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つれづれに:診療所

 アメリカNBCのテレビドラマシリーズ『ER緊急救命室』(↓)の→「『悪夢』」は、もちろん架空のものだが、いろいろと想像を膨らませてくれる。『ER』は海外での臨床実習に行く医学生にだけでなく、一般の学生にもアフリカの現状を知る生きた素材である。想像力を広げてくれる。すでに読んだ「1995年のエボラウイルスの発生によって、再び世界中がザイールに目を向けるようになった」という→「ロイター発」の新聞記事にも、モブツの独裁でザイール社会全体が想像できないほど悲惨な事態に陥っていることを報じていた。医療施設についても、一部言及されている。

 「『医療関係施設は悲惨な状況です。私たちは長い間、大災害が起きてもおかしくない方向に向かって進んできました。』とザイールの野党指導者エティニュエ・ツィセケディのスポークスマン、ランバエルト・メンデは言いました。ウィルスはザイールの老朽化した医療機関に広がっており、医療機関はたいていの国よりも激しくザイールを襲っているエイズ禍の対応に追われています」

私がいつも世話になっている小さなクリニックや、最近出かけた大学病院などの日本の医療が当たり前になっている人間からみたら、別世界である。この流行がある前に家族でしばらくコンゴの南東部からそう遠くないジンバブエの首都ハラレで暮らしたとき、医療についての噂は聞いていたので、病院にかからなくても済むように毎日細心の注意を払った。おかげで行かなくて済んだが、体験する機会を失ったので残念な気持ちもある。行く前に、バングラデシュの留学生とよく英語でしゃべったが、その人がジンバブエにいる従弟の医師に問い合わせてくれた。本国では内科医で、国費留学生として高血圧の研究に来ていた。残念ながら、すでに南アフリカに異動したらしかった。マンデラが釈放された直後の激動期だった。その時期の病院を見るいい機会を逃したのも心残りである。懇意になったジンバブエ大学の英語科の人が「田舎でエイズのドキュメンタリーを作ったけど、ヨシ、見てみるか?」と誘ってくれたのに、機会を逃したのも心残りである。

 キンシャサから→「エイズハイウエィ」で北東部のキサンガニ(↑)に到着したとき、カーターは圧倒された。暗い中に病院の外にも患者が溢れかえっていたのからある。翌朝病院に案内してくれたインド人の女医が簡単に医療事情を解説してくれた。二人(↓)の遣り取りである

「仏語が苦手なら通訳をつけます‥‥ここはとてもシンプル、発熱と咳(せき)は肺炎でコトリモウサゾールを。発熱と下痢(げり)はコレラで点滴とドキシサイクリン。患者が無痛で熱があればマラリアでファンシダール。感染症を繰り返して日々衰えていればエイズで、家族に告知する」

「使える薬は?」

「アモキシシリン、ドキシサイクリン、ファンシダール、メトロナイダゾール、クロラムフェニコール‥‥」

「安いから?再生不良性貧血は?」

「新生児はほとんど1年で死ぬ。貧血などは問題外。抗生物質はアンピとゲンダ、ペニシリン」

「ユナシンやシプロは?」

「ない」

「抵抗性の菌には?」

「お祈り」

患者は200人、オペ室は2つ、医師がカーターも入れて4人、看護師が5人。扉を開けて、カーターはまた圧倒された。人でごった返していたからである。「ここは何病棟?」の質問の返事が「受け付けよ」(↓)だった。

 最初に診た患者は少女(↓)だった。看護師に「熱は40度で頭痛、下痢と咳はない」と言われて触診した。

「黄疸(おうだん)も出ている。ファンジダール?」

「そうね。2錠」

「これで治るよ。あの娘は入院が必要?」

「ただのマラリアじゃねえ」

 父親が抱きかかえてきた少年(↓)はポリオだった。排尿障害と熱と咳があって来院した。腰椎穿刺(ようついせんし)などの検査をせずに、看護師が膀胱(ぼうこう)不全麻痺、前傾姿勢で呼吸補助筋を使う呼吸、筋肉で頭部をささえられない状態を確認して小児麻痺(ポリオ)という診断を出した。カーターを睨(にらむ)父親の目が鋭い。

 ある日、道路封鎖が解かれたので、更に小さなマテンダの診療所にワクチンの接種にいくように誘われた。国際電話でボランティアを誘った同僚がすでに出向いていたので、看護師1人を同伴して行くことに決めた。政府軍と反政府軍が戦闘を繰り広げている危険地帯だった。

マテンダの診療所に着いたとき、すでに患者が列をなしていた