英語 Rb1(3)

7月12日(前日の18日の書き込みになりました。)

ブログ、最後あたりになって、なかなか手こずってるなあ。授業のこのページは大体その日に書けてたのにねえ。

あしたと来週で終わりです。何とか最終日までに成績をつけようと思っているんやけど、なかなか思い通りにならないね。金土日、ある人に書く手紙でかかりっきり。書きたいことは胸の辺りにあって、書いていくうちにだんだんと書きたいことがはっきりして、一応全部吐き出してから、手を入れる、大体そのような要領で書くことが多いみたいです。
アレックス・ラ・グーマ(ラ・グーマのAnd a Threefold Cordとその翻訳『まして束ねし縄なれば』の表紙絵の原画です。奥さんに描いてもらいました。最近画像を取り込みました。↓)は、書き始めるときすでに頭のなかに全部が出来ていて、それをタイプライターに向かって書くだけ、毎回そんな風に書いていたそうやけど、人それぞれやからなあ。
13回目の授業でした。

③の240までしか出来なさそうやね。あとは自分でやってや。サンフランシスコのListening Comprehension Practiceをほんの少し。

次回はその続きと、NBAを少し。The colonization of Africaの日本語訳、出来るかなあ。

奴隷貿易→アフロアメリカの歴史は後期にやろうと思っています。The colonization of Africaの日本語訳、もし出来なかったときは、後期にまとめて。

あしたに、また。

アフロアメリカの歴史と音楽(前期用)

7月12日(前日の書き込みになりました。)

ブログ、最後あたりになって、なかなか手こずってるなあ。授業のこのページは大体その日に書けてたのにねえ。

あしたと来週で終わりです。何とか最終日までに成績をつけようと思っているんやけど、なかなか思い通りにならないね。金土日、ある人に書く手紙でかかりっきり。書きたいことは胸の辺りにあって、書いていくうちにだんだんと書きたいことがはっきりして、一応全部吐き出してから、手を入れる、大体そのような要領で書くことが多いみたいです。
アレックス・ラ・グーマ(ラ・グーマのAnd a Threefold Cordとその翻訳『まして束ねし縄なれば』の表紙絵の原画です。奥さんに描いてもらいました。最近画像を取り込みました。↓)は、書き始めるときすでに頭のなかに全部が出来ていて、それをタイプライターに向かって書くだけ、毎回そんな風に書いていたそうやけど、人それぞれやからなあ。
13回目の授業でした。

「招かれざる客」(Guess Who’s Coming to Dinner)を途中まで。白人若い女性の家にロサンジェルスから結婚予定の相手の両親が来るところで終わりました。

次回はその続きで最後まで。そのあと公民権運動、その後の映像を少しと、まだ紹介していないStrange Fruitと、シカゴ・ブルース、ソウル(『ブルーズ・ブラザーズ』のなかから一曲、We Are the Worldはを紹介したいけど時間足らんやろなあ。CDの中に入れてあるんで、時間がないときは、観て聴いてや。

「公民権運動、その後」、シカゴ・ブルース、ソウル(『ブルーズ・ブラザーズ』のなかから一曲)、We Are the Worldのプリントは用意しています。

19日(木)に、また。

英語 Ta1(7)

7月17日

14回目の授業で、実質的に最後の授業でした。

次回の最終回は一人一人のコメントを聞きたいと思っています。

金のフレーズの②181~200までやり、一応②を終わらせてから、San FranciscoのListening Comprehensionの続きと、NBAの紹介と少しだけtranscriptionの解説をしました。

授業でも言ったけど、難しいけど、実際に使われている英語やし、実際に発行されてた新聞記事やし。言葉を試験のための道具ではなく、スポーツを楽しむための道具として、こんな風に使えるで、みたいなんが言いたかったんやろと思う。
基本的な例文は、スコアを上げるためにも、実際に言葉で使うためには役に立ちそうやから、例文も作りプリントも作り印刷してみんなに用意しました。
スコアの必要な人は、やろうと思ったときに、いつでも手伝うんで、どうぞ。もう一年はいて地域資源創成学部の一回生が卒業するのを見送ろうと思い直しました。

来週に、また。

南アフリカ概論(前期用)

7月17日

14回目の授業で、実質的に最後の授業でした。

次回の最終回は一人一人のコメントを聞いて、それでも時間があったら、南アフリカの日本人とマンデラ釈放、アフリカ人政権誕生とその後について、映像を紹介しながら話したいと思っています。120~130人くらいいるんで(実際には100人くらいしか来ないような気がするけど)少し時間はかかるかも知れないけど、後期も来年の前期も後期も授業をするつもりなんで、みんなのコメントを是非聞いておきたいです。
アフロアメリカの歴史と音楽は後期も来年もしないつもりで、前期の今週と来週の木曜日で、たぶん最後やと思います。

なぜアパルトヘイトを廃止したか、の続きをやりました。

前回出た意見

* 利益が小さくなって不利益の方が大きくなったから
* 外国からの圧力、情報封鎖
* 白人政権とANCの疲弊
* 資本主義vs共産主義
* レアメタルの産出国であった南アを、資本主義国は、簡単に経済封鎖できない

は大体的を得ていたと思います。

5つの意見に、江藤さんが言ってた二つの施設を作る非効率性と、セナくんが言ってた南アフリカで戦争が起こっていたら失うものが大きすぎたという意見と、ウランを巡る東西のバランスを加えたくらいが、実質的な理由だと思います。
僕は南アフリカを概観するのに10年ほどかかったので、4月からまだそれほど経っていないのに、的を得た意見が出て、感心しています。

これだという正解はたぶんなく、証明できない推論であることを承知の上で、まとめておきます。

南アフリカ国内と国内に分けると、

南アフリカ国内の問題としては、

* アフリカ人の抵抗運動の効果があった。
* 制度自体経済効率が悪いので(施設を二つ作る必要がある、少数派には出来る人が少ないから無能な白人にも高い給料を払わないといけない一方、多数派の優秀なアフリカ人を法律的に使えない)経済優位のイギリス系の白人の不満が募っていた。

国外の問題としては、

* 他国の経済制裁の効果もあった。
* (最大の要因は)戦争が起きて白人アフリカ人の全面対決の局面に至れば、西側と東側から武器が流れ代理戦争、それも核戦争直前のようなミサイル戦争になる可能性が高く、国土は廃墟になりかねず、その場合、資源と労働力も失われる。
* 核を支えるウランの埋蔵量はソ連と南部アフリカ(南アフリカが委任統治して今も実質的に実権を握っている隣国ナミビアとでバランスを取っている)が、戦争になって社会主義体制の国になればそのバランスが大幅に崩れる。あり得ない話ではなく、隣国のジンバブエ、モザンビーク、アンゴラは前面衝突のあと社会主義体制を敷いている。

他にも理由が考えられると思うけど、結局現状維持の、白人政府と先進国側の利益を損なわない形の妥協策が取られ、アフリカ人側からすれば、最後の変革の好機(アフリカ人の労働賃金を上げる)が永久に失われたわけで、その意味では、他のアフリカ諸国と同じく、植民地支配体制から、先進国と一部のエリートアフリカ人との連合による新植民地体制に移行したに過ぎないと言えそうです。
その妥協策を飲み込んで、圧倒的な民衆の支持を受けられ、しかも改憲に必要な4分の3の得票までは行かない人物、ネルソン・マンデラ以外には見当たらんよね。ソブクエやビコなら、その妥協案を飲まななかったやろし。飲む人物なら、体制に抹殺されることもなかったやろし。これは人の生き方の問題やと思うけど、殺されても理想を貫く、生きて妥協案を飲む、南アフリカはマンデラがその役割を演じたと言うわけです。金持ち層には、それが最も利益を損なわない方法、アフリカ人の大統領、おおいに歓迎、だったと思います。

いつも思うけど、ソブクエとマンデラは、歩み寄れなかったのかなあ。
エイズのプリントしか用意出来なかったので、先にエイズの話を少ししました。

免疫の仕組みと血液中にみられる細胞の種類のプリントで、血液と免疫の話を、HIVの構想図とTargeting a Deadly Scrap of Genetic CodeのDisrupting the Assembly Lineを使って、HIVの複製のメカニズムと抗HIV製剤の話をしました。

1996年がエイズ治療元年の話と、抗HIV製剤と南アフリカのコンパルソリーライセンスやゴアとブッシュの大統領選の話もしました。
読めなかったけど、History of AIDS Discoveryを読めば、ロサンジェルスで最初のエイズ患者が出て当初男性同性愛者が標的にされたことや未知の病の実態が分りだしてウィルスと病気の名前がつけられたことなどがわかります。
エイズについては2回科研費をもらって(3年と4年の7年間)いろいろやりました。ブログの「書いたもの」には本文を移す時間の余裕がなくてタイトルだけしか載せてないけど、ホームページでは出版社のブログに繋いであります。

→ホームページノアと三太のトップページの→玉田吉行の『ナイスピープル』を理解するために

幸いあしたは6月に合同授業をしたので医学科の授業はなく、あしたと土日を使って何とか最終回までには成績をつけたいと思っています。1回目はつけてあるので、たぶん成績を出せそうな気がしているけど、どうやろなあ。いつもすんなり終わったためしがないんで。

また、来週に。