英語 Ma1(2)

<連絡事項>

* 次回は1回目課題提出です。

* 2章は次々回にやるんで、準備してや。1回目の課題に追われてる人もいそうやし、次回2章をやりますと確認してなかったような気もするし。

* 次回10回目の授業は7月1日(水)10:15~11:30です。

授業では>・・・

① 1章。

CDで配ってあるファイルの練習問題はやっときや。他の章にも言えるけど、なかなかよう出来た練習問題やで。

② oral checkを少しだけ。

③ 西アフリカの音楽を紹介。→Youssou N’dour

(授業や自粛期間の感想などを聞きたいと思ってたんやけど、前半のクラスで何人かに聞いた印象屋と、あんまり話したそうでなかったんで、最終授業に、と考えてやめました。)

<次回>は

① 課題図書の解説

② コンゴ・エボラの映像:「アフリカシリーズ」で独立・コンゴ危機・コンゴ自由国・ベルリン会議での植民地分割

③ ザイールのその後。

(小島けい画)

すでに配ってあるプリントBasil DavisonのZaire’s Turmoil Inviites an Afrian Solution、Julius Nyerereの」Pushing Kabila on early election unrealistic、それに追加資料で配ったMike TidwellのLooking Back in Anger: Life in Mobutu’s Zaireは読んでおくとわかりやすいです。DavisonとNyerereはアメリカ英語でないのんで、ちょっと読みにくいかも。

(小島けい画)

④ 映像:「アウトブレイク」

授業で、また。

Youssou N’dour

Youssou N’dour【ユッスー・ンドゥール】

西アフリカ、セネガルのミュージシャンで、現代アフリカ音楽最大のスターの一人。

1959年、首都ダカールのグリオ(古くから伝わる音楽や思想を伝承する語り部)の家系に生まれ、10代前半からプロとして活動を始める。1979年、自ら率いるバンド「エトワール・ド・ダカール」を結成。中南米(特にキューバ)の音楽にセネガルの伝統的なリズムを融合し、ウォロフ語(セネガルで最も広く話されている現地語)のヴォーカルをのせた「ンバラ」という洗練されたスタイルを打ち出しセネガルのスターとなる。80年代に入りフランスを中心にその実力が評価され、1984年には初のヨーロッパ・ツアーが実現。その途中、イギリス公演でピーター・ガブリエルと出会い、彼のソロアルバム(「SO」)及びアメリカツアーへの参加、WOMADフェスティバルという民族音楽の祭典などへの出演のほか、世界デビュー・アルバム「ネルソン・マンデラ」の発表、そしてポール・サイモンのアルバム「グレイス・ランド」への参加などによって、一気に世界中にその名が知られるようになる。その後、欧米のレコード会社から自身のアルバム(「THE LION」、「SET」、「eyes open」、「The Guide」、「Joko」)などを発表するとともに、スティングやブルース・スプリングスティーンら様々なアーティストのコンサートやアルバムにも参加し、その評価を不動のものにしている。日本にも1986年以降たびたび来日してコンサートを行っているほか、坂本龍一やDreams Come Trueなどともコラボレーションしている。(現在、ホンダ「ステップ・ワゴン」のCMでは、彼の歌う「オブラディ・オブラダ」(原曲はもちろんビートルズ)をバックに、「コドモト イッショニ ドコヘイコウ?」という彼のナレーションも流れているので、その声を聞いたことがある人も多いはず)

南アのアパルトヘイトを題材にした「ネルソン・マンデラ」の例を見るまでもなく、ユッスーの歌にはメッセージ性の強いものが多い。アフリカの民衆を食い物にしてきた先進国や自国の指導者達への批判、女性の解放、児童労働、環境問題、青少年の飲酒や覚せい剤汚染等々、現代のアフリカが抱えるありとあらゆる問題が彼の歌のテーマになっている。これについて彼は、「音楽には特別のパワーがあるが、メッセージを伝えるものでなければ意味がない。僕の母親は、物語を歌い聴かせるグリオだった。僕もグリオでありたい。それも、王や貴族のために語るグリオではなく、世界の人々にアフリカのことを語って聴かせ、教育やコミュニケーションの役割を果たす、身近でモダンなグリオになりたいんだ」と語っているが、そうしたメッセージを歌にのせるだけではなく、15年以上にわたってアムネスティ・インターナショナル、ユニセフ、UNAIDSなどの組織を支援する様々な活動にも協力しており、現在もILOの反児童労働キャンペーンの名誉大使に任命されている。

天性のヴォーカルとステージ・パフォーマンスの素晴らしさ、そして、こうした意識の高さを反映した歌と行動の力強さが、アフリカのみならず世界中の人々の共感を得る理由なのではないだろうか。(服部晃好)

2020年前期 英語 Ma1(2)クラス名簿

29 91200299 金城 由歩 カネシロ ユウ
30 91200301 椛島 佑太 カバシマ ユウタ
31 91200310 川久保 耀貴 カワクボ テルタカ
32 91200325 川野元 悠人 カワノモト ユウト
33 91200338 川畑 隆士 カワバタ リュウジ
34 91200349 川原 正路 カワハラ セイジ
35 91200356 木山 奈美 キヤマ ナミ
36 91200363 久池井 秀元 クチイ シユウゲン
37 91200374 栗原 知大 クリハラ トモヒロ
38 91200387 黒木 陽斗 クロギ アキト
39 91200392 黒木 謙 クロキ ケン
40 91200402 黒田 昇悟 クロダ シヨウゴ
41 91200411 古賀 旭陽 コガ アサヒ
42 91200426 児玉 紘平 コダマ コウヘイ
43 91200439 後藤 舜平 ゴトウ シユンペイ
44 91200440 後藤 大地 ゴトウ ダイチ
45 91200457 後藤 陽樹 ゴトウ ヒロキ
46 91200464 小宮 菜々子 コミヤ ナナコ
47 91200475 近藤 縁 コンドウ ユカリ
48 91200488 境 笙太郎 サカイ ショウタロウ
49 91200493 阪倉 由真 サカクラ ユマ
50 91200509 坂田 稜 サカタ リヨウ
51 91200518 坂本 総司 サカモト ソウシ
52 91200523 相良 賢汰 サガラ ケンタ
53 91200536 佐藤 伶音 サトウ レオン
54 91200547 塩谷 拓馬 シオタニ タクマ
55 91200554 地下 勇矢 ジゲ イサヤ
56 91200561 重盛 宇紀 シゲモリ タカキ

 

英語 Ma1(1)

<連絡事項>

* 次回は1回目課題提出です。

* 2章は次々回にやるんで、準備してや。1回目の課題に追われてる人もいそうやし、次回2章をやりますと確認してなかったような気もするし。

* 次回10回目の授業は7月1日(水)8:40~9:55です。

授業では>・・・

① 1章。

CDで配ってあるファイルの練習問題はやっときや。他の章にも言えるけど、なかなかよう出来た練習問題やで。

② oral checkを少しだけ。

③ 授業や自粛期間の感想など、数人。(あんまり話したそうでなかったんで、最終授業に、また。

<次回>は

① 課題図書の解説

② コンゴ・エボラの映像:「アフリカシリーズ」で独立・コンゴ危機・コンゴ自由国・ベルリン会議での植民地分割

③ ザイールのその後。

(小島けい画)

すでに配ってあるプリントBasil DavisonのZaire’s Turmoil Inviites an Afrian Solution、Julius Nyerereの」Pushing Kabila on early election unrealistic、それに追加資料で配ったMike TidwellのLooking Back in Anger: Life in Mobutu’s Zaireは読んでおくとわかりやすいです。DavisonとNyerereはアメリカ英語でないのんで、ちょっと読みにくいかも。

(小島けい画)

④ 映像:「アウトブレイク」

授業で、また。

2020年前期 英語 Ma1 (1) クラス名簿

1 91200013 青木 夏海 アオキ ナツミ
2 91200028 池田 瑞姫 イケダ ミズキ
3 91200031 石黒 真莉奈 イシグロ マリナ
4 91200042 伊東 宏人 イトウ ヒロト
5 91200059 糸川 華乃子 イトカワ カノコ
6 91200066 井上 まい イノウエ マイ
7 91200077 岩井 友里 イワイ ユウリ
8 91200080 岩切 唯 イワキリ ユイ
9 91200095 岩室 心汰 イワムロ シンタ
10 91200103 岩本 壮太郎 イワモト ソウタロウ
11 91200112 上床 裕汰 ウエトコ ユウタ
12 91200127 上村 萌々香 ウエムラ モモカ
13 91200130 太田 有咲 オオタ アリサ
14 91200141 大村 優葵 オオムラ ユウキ
15 91200158 大山 遼 オオヤマ リヨウ
16 91200165 大山 嶺 オオヤマ レイ
17 91200176 緒方 春佳 オガタ ハルカ
18 91200189 尾形 萌音 オガタ モネ
19 91200194 桶谷 有希 オケヤ ユキ
20 91200208 鬼塚 飛駆 オニツカ ヒカル
21 91200217 甲斐 愛理 カイ アイリ
22 91200222 蔭山 慶樹 カゲヤマ ヨシキ
23 91200235 梶原 冴香 カジワラ サヤカ
24 91200246 片岡 凜 カタオカ リン
25 91200253 片山 詩葉 カタヤマ ウタハ
26 91200260 勝田 航大 カツタ コウダイ
27 91200271 加藤 潤 カトウ ジユン
28 91200284 香取 龍雲 カトリ リウ

英語 Rb1(3)

<連絡事項>

* 8回目授業→7月2日(木)15:05~16:20。

* 課題の提出日延期→7月30日(木)

* 授業は13回しかありません。不足分は課題を出してと言われてますが、普段以上に他の教科も課題、課題のようなんで僕は遠慮しときます。Webclassのシラバスには、時間外のZoomトーイックも書いておきます。

授業では

* 従業日程の確認

授業日程表を見ながら日程の確認をしました。5月11日(月)から開始の日程で、月曜日は8月3日(月)までの14回。

* 課題提出日の変更

1週ずらす日程になるので、課題締め切り日を7月30日(木)に変更。もちろん締め切り前に出してもらっても大丈夫です。どうしても都合が悪い場合は遅れてでも提出してもらえれば成績を出しときます。

* トーイックサンプル問題。リスニング(Part 1~Part 4)、リーディング(Part 5~Part 7)

リーディングの解説の時間が足りなかったけど、解説も参考ファイルに置いてあるんで、あとは自分でやってや。音声ファイルも載せとくんで、繰り返し使ってや。速度を速めて聞くのもやってみるとリスニング力が少しは上がるんやない?

Zoomトーイック用に作ったファイル(「Zoomトーイック2解説」、「Zoomトーイック2音声」、「Zoomトーイック2です。」)は参考ファイルに置いてあるんで、やっておくと二種類の過去問が出来るので、大体感じは掴めるんやないやろか。Zoomトーイック2はVol 6 Test 2の五分の一ほどの分量です。

次回

* アメリカの救急で医者をしているカーターがコンゴのキサンガニの診療所にボランティアで出かけるアメリカテレビドラマを観てもらおうと思っています。今まで新聞やニュースやドキュメンタリーで見てきたものとは違う局面を見てもらえるかもしれないと思っています。続編もあるけど、今回は最初のものだけ。後編を見たい人はいつでもコピーするんで、どうぞ。→ERIX6B・X解説

コンゴの歌も1曲聴いてもらいたいと思っています。→Papa Wemba解説

* 授業についてのコメント、コロナ騒動の中で思ったことや感想意見など、一人一人から聞きたいと思っています。

ERIX6B・X

* IX6『悪夢』(授業で観た分)・・・国際医療同盟の活動に参加していたコバッチュに助けを求められ、アフリカ・コンゴ共和国の難民キャンプでの医療支援活動に参加する。

Papa Wemba

服部晃好くん(北海道新冠郡の新冠町立国保診療所→http://www.niikappu.jp/kurashi/sekatsu/sumai/teijyu/iryo/kokuho.htmlの勤務医)に【ケニア、タンザニアの音楽事情とリンガラ音楽について】を書いてもらいましたが、その中にPapa Wembaについても書いてくれています。一部貼っときます。服部くんは36歳で宮崎医科大学に入って来て授業で出会いました。相性がいいみたいで、いまだに遣り取りをしています。名古屋工大をの院を出てガス会社に行ってたそうで、そこを辞めてタンザニアで3年理科の教師、一年半ほどケニアで調整員をし、その間に6年分のお金を貯めて一発勝負で受験をしたようです。そのころ医学科にはすでに何人か海外青年協力隊の経験者がいて、誰もが意欲もあり成績もよかったので、高年齢で面接もあったのに合格出来たと思います。写真は定年退職の年に医学部でやったシンポジウムで撮ったものです。

【リンガラ音楽】

「リンガラ」という呼び方は、ケニア、タンザニアなど「外国」(日本を含む)での呼び方であり、コンゴでは単に「ルンバ(Rumba)」と呼ばれる。また、欧米では「リンガラ」よりも「スークース(Soukous)」という名称の方が一般的である。元々、リンガラというのはコンゴの商用語のことであり、コンゴ川流域にそれぞれ独自の言語を持つ民族が多数共存する状況において、特に商取引の便宜を図るために自然発生的に形成されたものと言われている。1960年のコンゴ共和国の独立後、現地で流行したポピュラー音楽の多くがリンガラ語で歌われるようになったため、ケニアやタンザニアなどでは、そうした音楽を「リンガラ(音楽)」と呼ぶようになったのである。

地元(コンゴ)の人々が「ルンバ」と呼ぶように、リンガラ音楽のルーツにはキューバ音楽がある。ただし、これは何も「リンガラ」に限ったことではなく、ナイジェリアの「ジュジュ(Ju Ju)」、ガーナの「ハイライフ(High Life)」、カメルーンの「マコッサ(Makossa)」、そして、ユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタの音楽等々、現代アフリカン・ポップスのベースには、たいていキューバをはじめ中米やカリブの音楽の影響があるという。「(伝統的な音楽を持つ)アフリカ人がなぜキューバ音楽を?」と不思議に思ってしまうが、キューバで生まれた本来のルンバは、アフリカから強制的に連行された奴隷たちが、休憩時間にだけ小屋で踊ることを許されていたという状況の中で生み出された、打楽器と歌(コーラス)だけで構成された(いわゆるアフリカ色の強い)音楽であるということを考えると、アフリカの人々がキューバ音楽を取り入れるのは至極当然のことであろう。キューバやカリブ諸国の(いわゆる)ラテン系音楽は、1920年代から主として白人入植者によってアフリカへ持ち込まれたが、1950年代半ばにはヨーロッパからアフリカに輸入されるラテン音楽のレコードが、コンゴを含む中部・西部アフリカにおいて非常に売り上げの大きい重要な商品であったということから、現地の人々にとってこうした(ラテン)音楽の衝撃が如何に強烈だったかが想像できる。その衝撃は、目新しい衣装をまとって突然目の前に現れたのが、実は音信不通になっていた古くからの友人であったことを知った時のようだったのかもしれない(ちなみに、この時期、ヨーロッパの大手レコード会社が次々に現地へ進出し、キューバやアメリカで既に発表されていた音楽を低コストで再生産・再発売することで、莫大な利益を上げていたという)。

現在、一般に「リンガラ」と呼ばれている音楽は、キューバン・ルンバをベースにしながら様々な民族のリズムを融合したリズム体の上に、複数のエレキ・ギターによる高音域の繰り返しフレーズが絡み合い、主に高音域で歌うヴォーカルとコーラスが載るというのが最も一般的なスタイルであり、多くの楽曲は、①ルンバ、②サカデ(Sakade)、③セベン(Sebene)という3つのパートから構成されている。①ルンバは歌やコーラスを聴かせるゆったりしたパート、②サカデはソロ・ヴォーカルとコーラスの掛け合い(コール&レスポンス)で盛り上げていくパート、そして、③セベンはダンスのためのテンポの速いパートであり、ライブでは5分、10分と続くことも珍しくない。それぞれのパートは、同じようなリズムやリフレインの繰り返しが基本であり、「リンガラ」の目的が踊ることにあるのが一目(一聴?)瞭然である。ライブにおけるヴォーカルの掛け合いやセベン・パートでのダンスは、初めて見る人にはかなり奇異に写るかもしれないが、現地では聴衆も一緒になって盛り上がるのが普通である。そして、こうした構成はまさに伝統音楽を現代の楽器を用いて再現したものであり、夜を徹して延々と繰り返しながら盛り上がり、集団でトランスに入っていくような要素も伝統音楽と同様であるように思われる。ただ、1960年代までの初期(いわゆる第一世代や第二世代)の「ルンバ」は、ゆったりとしたキューバン・ルンバのカラーが強く、楽曲も歌が中心であった。それを上記のような主としてダンスを楽しむための音楽として変革したのが、1969年に結成されたザイコ・ランガ・ランガ(Zaiko Langa Langa)であり、現在のリンガラもその延長線上にあると言える。そして、そのザイコ・ランガ・ランガの中心人物であり、現在も「リンガラ」のシンボル的存在であるのが、欧米や日本でも有名なパパ・ウェンバである。

近年のコンゴの混乱を反映してか、現在のコンゴのリンガラ・シーンは1970~80年代の全盛期に比べてずいぶん沈滞しているという。しかし、ラップの要素なども取り入れた新たなスタイルも生み出されており、特に中部・東部アフリカにおいては依然として最も影響力の強い音楽であることは間違いない。

パパ・ウェンバ Papa Wemba –<リンガラ・ポップの伝道師>

中央アフリカに位置するザイールからアフリカ各地へと広まっていったリンガラ・ポップ、このサウンドをアフリカからヨーロッパへ、そして世界中へと広めていった伝道師の役目を果たしたのが、ヴィヴァ・ラ・ムジカを率いて何度も日本を訪れているパパ・ウェンバです。彼はミュージシャンとして、ザイールの音楽シーンを引っ張っただけでなく中央アフリカ最大の都市キンシャサという大都会に住む若者たちのファッション・リーダー、トレンド・リーダーとして、そのライフ・スタイルにまで影響を与える存在でした。そのサウンドは都会の文化、ストリートから生まれた数少ないアフリカン・ポップスと言えます。

クラス名簿(再掲載) 英語 Rb1(3)クラス名簿(32名)

30190700 西田 侑暉 ニシダ ユウキ
30200063 岩切 佑理可 イワキリ ユリカ
30200074 岩根 穂乃花 イワネ ホノカ
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200119 大重 滉輝 オオシゲ コウキ
30200191 川越 千尋 カワゴエ チヒロ
30200281 古藤 凜 コトウ リン
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200409 杉村 拓志 スギムラ タクジ
30200418 田代 歩 タシロ アユム
30200436 田中 ひびき タナカ ヒビキ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200485 堂前 虹太 ドウマエ コウタ
30200515 得能 万里奈 トクノウ マリナ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200544 長倉 由依 ナガクラ ユイ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200641 平原 鈴華 ヒラバラ スズカ
30200658 樋脇 千可子 ヒワキ チカコ
30200694 福田 美南 フクダ ミナミ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200780 松本 望 マツモト ノゾミ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200845 森山 友渚 モリヤマ ユウナ
30200852 安田 龍司 ヤスダ リユウジ
30200883 由地 紀一郎 ユウヂ キイチロウ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200911 渡邊 凌一朗 ワタナベ リヨウイチロウ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

 

英語 Ta1(7)

<連絡事項>

* 次回の8回目の授業→6月30日(火)10:15~11:30。

* 前期は14回、課題提出は1週延期で7月28日。

授業

① 予定の確認↑

② 「ER]→ERIX6B・X

③ 授業や自粛期間の生活やオンライン授業についてのコメント、感想など。(数森くん、篠原さん、押川くん、石川さん、浦川くん、山田くん、杉田さん)

トーイックについて

次々回に、配ってあるサンプル問題をやったと、時間外のZoomトーイックを希望する人がいるかを聞くんで、希望者は授業後の再度入室して意思表示してや。希望者がいれば、時間を決めて(たぶん土曜日の午前中くらいに)やってもいいと思っています。参考ファイルに「Zoomトーイック2です。」(Vol 6 Test 2の五分の一ほど)を置いてるので、参考にしてや。Zoomトーイックの希望者がいたら、実施後、「Zoomトーイック2解説」、「Zoomトーイック2音声」を参考ファイルにアップします。

次回

① コンゴの音楽を1曲→【リンガラ音楽】Papa Wemba

② 感想・コメント・意見など(続き)

③ 映像:(時間があれば)「アウトブレイク」、「アフリカシリーズ」のコンゴの独立・コンゴ危機、コンゴ自由国、植民地分割→「アウトブレイク」、「アフリカシリーズ」

 

ERIX6B・X

* IX6『悪夢』(授業で観た分)・・・国際医療同盟の活動に参加していたコバッチュに助けを求められ、アフリカ・コンゴ共和国の難民キャンプでの医療支援活動に参加する。

* X1『失われた友を求めて』・・・強い意思でコンゴの激戦区に残ったコバッチュが死亡したとの連絡を受け、彼を残してきてしまった罪悪感から再びコンゴに飛び、コバッチュの生存を確認し彼をアメリカへ送った後も、自分の居場所と使命を見出しコンゴに留まる。→いつでもコピーするんで、どうぞ。

【リンガラ音楽】

36歳で医科大に入って来てすぐに友だちになった服部晃好くん(北海道新冠郡の新冠町立国保診療所→http://www.niikappu.jp/kurashi/sekatsu/sumai/teijyu/iryo/kokuho.htmlの勤務医)に頼んで頼んで【ケニア、タンザニアの音楽事情とリンガラ音楽について】を書いてもらいましたが、その中に次回聴いてもらうPapa Wembaについても書かれています。一部載せときます。

退職の年にいっしょに医学部でシンポジウムをした時の写真です。

【リンガラ音楽】

「リンガラ」という呼び方は、ケニア、タンザニアなど「外国」(日本を含む)での呼び方であり、コンゴでは単に「ルンバ(Rumba)」と呼ばれる。また、欧米では「リンガラ」よりも「スークース(Soukous)」という名称の方が一般的である。元々、リンガラというのはコンゴの商用語のことであり、コンゴ川流域にそれぞれ独自の言語を持つ民族が多数共存する状況において、特に商取引の便宜を図るために自然発生的に形成されたものと言われている。1960年のコンゴ共和国の独立後、現地で流行したポピュラー音楽の多くがリンガラ語で歌われるようになったため、ケニアやタンザニアなどでは、そうした音楽を「リンガラ(音楽)」と呼ぶようになったのである。

地元(コンゴ)の人々が「ルンバ」と呼ぶように、リンガラ音楽のルーツにはキューバ音楽がある。ただし、これは何も「リンガラ」に限ったことではなく、ナイジェリアの「ジュジュ(Ju Ju)」、ガーナの「ハイライフ(High Life)」、カメルーンの「マコッサ(Makossa)」、そして、ユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタの音楽等々、現代アフリカン・ポップスのベースには、たいていキューバをはじめ中米やカリブの音楽の影響があるという。「(伝統的な音楽を持つ)アフリカ人がなぜキューバ音楽を?」と不思議に思ってしまうが、キューバで生まれた本来のルンバは、アフリカから強制的に連行された奴隷たちが、休憩時間にだけ小屋で踊ることを許されていたという状況の中で生み出された、打楽器と歌(コーラス)だけで構成された(いわゆるアフリカ色の強い)音楽であるということを考えると、アフリカの人々がキューバ音楽を取り入れるのは至極当然のことであろう。キューバやカリブ諸国の(いわゆる)ラテン系音楽は、1920年代から主として白人入植者によってアフリカへ持ち込まれたが、1950年代半ばにはヨーロッパからアフリカに輸入されるラテン音楽のレコードが、コンゴを含む中部・西部アフリカにおいて非常に売り上げの大きい重要な商品であったということから、現地の人々にとってこうした(ラテン)音楽の衝撃が如何に強烈だったかが想像できる。その衝撃は、目新しい衣装をまとって突然目の前に現れたのが、実は音信不通になっていた古くからの友人であったことを知った時のようだったのかもしれない(ちなみに、この時期、ヨーロッパの大手レコード会社が次々に現地へ進出し、キューバやアメリカで既に発表されていた音楽を低コストで再生産・再発売することで、莫大な利益を上げていたという)。

現在、一般に「リンガラ」と呼ばれている音楽は、キューバン・ルンバをベースにしながら様々な民族のリズムを融合したリズム体の上に、複数のエレキ・ギターによる高音域の繰り返しフレーズが絡み合い、主に高音域で歌うヴォーカルとコーラスが載るというのが最も一般的なスタイルであり、多くの楽曲は、①ルンバ、②サカデ(Sakade)、③セベン(Sebene)という3つのパートから構成されている。①ルンバは歌やコーラスを聴かせるゆったりしたパート、②サカデはソロ・ヴォーカルとコーラスの掛け合い(コール&レスポンス)で盛り上げていくパート、そして、③セベンはダンスのためのテンポの速いパートであり、ライブでは5分、10分と続くことも珍しくない。それぞれのパートは、同じようなリズムやリフレインの繰り返しが基本であり、「リンガラ」の目的が踊ることにあるのが一目(一聴?)瞭然である。ライブにおけるヴォーカルの掛け合いやセベン・パートでのダンスは、初めて見る人にはかなり奇異に写るかもしれないが、現地では聴衆も一緒になって盛り上がるのが普通である。そして、こうした構成はまさに伝統音楽を現代の楽器を用いて再現したものであり、夜を徹して延々と繰り返しながら盛り上がり、集団でトランスに入っていくような要素も伝統音楽と同様であるように思われる。ただ、1960年代までの初期(いわゆる第一世代や第二世代)の「ルンバ」は、ゆったりとしたキューバン・ルンバのカラーが強く、楽曲も歌が中心であった。それを上記のような主としてダンスを楽しむための音楽として変革したのが、1969年に結成されたザイコ・ランガ・ランガ(Zaiko Langa Langa)であり、現在のリンガラもその延長線上にあると言える。そして、そのザイコ・ランガ・ランガの中心人物であり、現在も「リンガラ」のシンボル的存在であるのが、欧米や日本でも有名なパパ・ウェンバである。

近年のコンゴの混乱を反映してか、現在のコンゴのリンガラ・シーンは1970~80年代の全盛期に比べてずいぶん沈滞しているという。しかし、ラップの要素なども取り入れた新たなスタイルも生み出されており、特に中部・東部アフリカにおいては依然として最も影響力の強い音楽であることは間違いない。

パパ・ウェンバ Papa Wemba<リンガラ・ポップの伝道師>

中央アフリカに位置するザイールからアフリカ各地へと広まっていったリンガラ・ポップ、このサウンドをアフリカからヨーロッパへ、そして世界中へと広めていった伝道師の役目を果たしたのが、ヴィヴァ・ラ・ムジカを率いて何度も日本を訪れているパパ・ウェンバです。彼はミュージシャンとして、ザイールの音楽シーンを引っ張っただけでなく中央アフリカ最大の都市キンシャサという大都会に住む若者たちのファッション・リーダー、トレンド・リーダーとして、そのライフ・スタイルにまで影響を与える存在でした。そのサウンドは都会の文化、ストリートから生まれた数少ないアフリカン・ポップスと言えます。

「アフリカシリーズ」

「アフリカシリーズ」8巻

授業で紹介している英国人歴史家バズル・デヴィドスンが案内役のNHKのドキュメンタリー番組「アフリカシリーズ」1~8(各45分)、1983年制作。第1部は西洋諸国の侵略が始まる以前おアフリカ。第1回「最初の光 ナイルの谷」、第2回「大陸に生きる」、第3回「王と都市」、第4回「黄金の交易網」。第2部は西洋諸国の侵略が始まった頃から1980年頃まで。第5回「侵略される大陸」、第6回「植民地化への争い」、第7回「沸き上がる独立運動」、第8回「植民地支配が残したもの」。奴隷貿易で暴利を得た西洋諸国がその資本で産業革命を起こし、作った製品の市場獲得のためにアフリカ争奪戦を繰り広げ、結果的には2つの世界大戦を引き起こしたあと、大戦後は戦略を変え、「開発」や「援助」の名のもとに、国連や世界銀行などに守られながら新しい形の支配体制(新植民地体制)を築き上げている歴史を概観している。映像化されてないので、今となっては、極めて貴重な映像。

「アウトブレイク」

アウトブレイク (Outbreak) は1995年制作のアメリカ映画。アフリカからアメリカに持ち込まれた非常に致死性の高いウィルスに立ち向かう人々を描いたサスペンス。

1967年、アフリカで内戦に参加していたアメリカ軍の部隊が原因不明のウイルス感染で全滅状態となった。軍は隠蔽のため部隊のキャンプを気化爆弾で消滅させた。

そして現在、アフリカの小さな村が原因不明のウイルス感染で全滅状態となった。CDCのダニエルズ大佐の調査で、正体が判明した。

そんな折、アフリカから一匹のサルがアメリカに密輸入された。密売人のジンボは、町のペットショップに売りつける事に失敗し、やむなくサルを森に放した。その後、そのサルに関わった、ジンボや周辺の人々が原因不明のウイルス感染で次々と死亡。感染が広まったシーダークリークという町は大混乱に陥った。ダニエルズは調査を進めていく中、原因不明のウイルスの謎に迫っていく事となる。

一部は観てもらうつもりやけど、観たい人はコピー、いつでもどうぞ。

クラス名簿(再掲載)英語 Ta1(7)クラス名簿(45名、5月18日現在)

63200094 浦川 大和 ウラカワ ヤマト
63200216 黒木 雅人 クロキ マサト
63200300 徳永 紅漢 トクナガ クレハ
63200324 西川 輝 ニシカワ テル
63200463 山川 健伸 ヤマカワ ケンシン
63200487 吉武 直哉 ヨシタケ ナオヤ
64200112 緒方 那美 オガタ トモミ
64200189 数森 皓太 カズモリ コウタ
64200310 田上 嘉伸 タノウエ ヨシノブ
64200363 西原 太輝 ニシハラ タイキ
64200402 東 広明 ヒガシ ヒロアキ
65160230 関谷 文太 セキヤ ブンタ
65180020 厚地 湧太 アツチ ヨウタ
65180210 小牧 優太 コマキ ユウタ
65190414 長谷川 隆郁 ハセガワ タカフミ
65200038 浦野 翔大 ウラノ ショウタ
65200308 高島 陸人 タカシマ リクト
65200447 牧ノ瀬 開人 マキノセ カイト
66190253 栗田 亘 クリタ ワタル
66200053 内山 大智 ウチヤマ ダイチ
66200084 梶谷 伶 カジタニ レイ
66200121 佐藤 賢吾 サトウ ケンゴ
66200134 椎原 陽 シイハラ ヨウ
66200226 永野 聖人 ナガノ マサト
66200257 中山 崇瑛 ナカヤマ タカアキ
66200420 溝口 幸輝 ミゾグチ コウキ
66200433 武藤 聖汰 ムトウ シヨウタ
66200479 山口 寛人 ヤマグチ ヒロト
66200482 山田 大雅 ヤマダ タイガ
67160330 永原 颯 ナガハラ ハヤテ
67200090 大野 和輝 オオノ カズキ
67200135 押川 優 オシカワ ユウ
67200160 上赤 侑矢 カミアカ ユウヤ
67200289 篠原 里奈 シノハラ リナ