英語 Ta1(9)

再確認

* 課題:8月4日(火)の授業時までにWebclassで提出。

* 次の授業8月4日(火):『金のフレーズ』、映像「ルーツ」

* 8月11日(火)が最終回、一人一人話を聞かせてや。

* 前期試験後から9月末までZoomトーイック、希望者はメールしてや。

授業は

* 映像:We Are the World→We Are the World

* (英語で少し解説しながら)「アフリカシリーズ」:西アフリカ→トワレグ人→カイロ→東アフリカ(モンバサや川崎さんと同じ名前のラムなどの港街)→南部アフリカ(1992年に行ったジンバブエの話と、ジンバブエ遺跡に行った時の写真も)→1505年のキルワの虐殺

* 『金のフレーズ』①の100題、解説を少々。

次回

* 『金のフレーズ』①(続き)、ブレイクアウトセッション

参考ファイルに置いてある演習用シートのファイルか、研究室の前の椅子の上に置いてある印刷したプリントを用意しときや。日本語を見て英語を言う練習をするんで。

* (時間があれば)映像「ルーツ」:奴隷狩り、奴隷船、奴隷市、鞭打ち

授業で、また。

とうとう感染者が出たなあ。福岡に行った工学部の学生と、事務の人。誰にでも感染する可能性はあるんで、出来ることはせんとあかんな。
先行きが見えんけど、後期も改善する保証がないし、オンラインが続くと考えて、準備せなあかんみたい。
学士力発展科目を2つから3つに増やしてブログも足してもらわんとあかんし、シラバスも書き足して、最初に配るプリントの印刷も準備せなあかんし。300人分の15回分を、英語のクラス以外に準備せんとあかんからかなりの量、成績をつけたら始めんと間に合わんかも。3月に出来ずにそのままになっている提出課題と残りのプリントの整理(大きなクラスは欠席者も多いから、相当な量。)もせんと、部屋を使いにくいし。
医学科の授業は前期で最後になりそうやから、今医学科で使ってる部屋を片づけて、鍵も返さんとあかんし。ようさんすることがあるみたい。

We Are the World

“We Are the World” 日本語字幕、53分(DVD)

イギリスで活躍するミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発されてアフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングで、作詞作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー、プロデュースはクインシー・ジョーンズ。

1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げた。最終的にはアメリカだけで750万枚のシングルが売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付された。ビルボード(Billboard)誌では、1985年4月13日に週間ランキング第1位を獲得。1985年ビルボード誌年間ランキングでは、第20位。

そのほかドキュメンタリーも制作され、2004年には20周年記念DVDとして「We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG」がリリースされた。

We Are the World

There comes a time when we heed a curtain call

When the world must come together as one

There are people dying

And it’s time to lend a hand to life

The greatest gift of all

 

We can’t go on pretending day by day

That someone, somewhere will soon make a change

We are all a part of God’s great big family

And the truth, you know,

Love is all we need

We are the world, we are the children

We are the ones who make a brighter day

So let’s start giving

There’s a choice we’re making

We’re saving our own lives

It’s true we’ll make a better day

Just you and me

 

Send them your heart so they’ll know that someone cares

And their lives will be stronger and free

As God has shown us by turning stones to bread

So we all must lend a helping hand

 

When you’re down and out, there seems no hope at all

But it you just believe there’s no way can fall

Let us realize that a change can only come

When we stand together as one

 

Harry Belafonte originally wanted to put together a benefit concert featuring black musicians to raise money for Africa. Ken Kragen (who became president of the organization United Support of Artists for Africa) thought an American version of “Band Aid" would be a better idea. Ken Kragen is an owner of a personal management and television production company. One of his clients was Lionel Ritchie, so he called him with the idea. Lionel’s wife talked to Steve Wonder’s wife and arranged to line him up for the song.

Quincy Jones was lined up as the producer, and Michael Jackson and Lionel Ritchie were the song writers. The recording took place on the night of the American Music Awards, January 28th, 1985. This was the perfect way to assure that most of the artists would all be free on a single date.

The instrumental tracks were recorded ahead of time and sent out to the interested musicians. With each tape, he sent a letter that stated they should “check their ego at the door." When they arrived in the studio, there was a piece of tape on the floor for each person to stand on, arranged around six microphones in a semi-circle.

800,000 copies arrived in stores on Tuesday, March 7th 1985. There were sold out by the first weekend. It entered the Billboard Hot 100 on March 23rd, at number 21. At the time it was the highest debuting single since John Lennon’s “Imagine" and was number one in three weeks, which at the time was the fastest rising chart-topper since Elton John’s “Island Girl" in 1975. It was the eighth consecutive year the Lionel Ritchie had written a number one song. It won Grammys in 1985 for Song of the Year and Record of the Year.

Dan Aykroyd also sings on We Are the World. You can see him in the top row in the video. Dan Aykroyd was in the Blues Brothers was a band before it was a SNL sketch (and then a movie), hence he was a musician. VH-1’s “Pop-Up Video" states he’s there to represent the American film industry.(http://www.inthe80s.com/weworld.shtml

 

クラス名簿(再掲載)2020年前期 英語 Ta1(9)クラス名簿(44名、5月27日現在)

61150220 下田 晃平 シモダ コウヘイ
61200128 小野田 一成 オノダ イツセイ
61200142 川崎 来夢 カワサキ ラム
61200159 菊地 未紗 キクチ ミサ
61200340 中田 三智 ナカタ ミサト
61200465 光 遼太朗 ヒカリ リヨウタロウ
62200228 倉山 千穂 クラヤマ チホ
63140140 北川 翔太 キタガワ ショウタ
63190117 太田 優二 オオタ ユウジ
63200012 荒井 達輝 アライ タツキ
63200234 古賀 亮多 コガ リヨウタ
63200252 高崎 慶十 タカサキ ケイト
63200456 矢羽田 桂都 ヤハタ ケイト
64200077 WANG CHUQI オウ ソウチー
64200217 上中別府 賢晋 カミナカベップ ケンシン
64200349 中村 雄太 ナカムラ ユウタ
64200561 吉元 桃子 ヨシモト モモコ
65150050 泉 大輔 イズミ ダイスケ
65190256 鹿摩 周平 シカマ シユウヘイ
65200025 宇都 大樹 ウト ダイキ
65200087 大下 隆也 オオシモ タカヤ
65200214 古藤 隼人 コトウ ハヤト
65200232 齊藤 悠人 サイトウ ユウト
65200267 丈下 桐弥 ジョウシタ トウヤ
65200296 諏訪 亮成 スワ リヨウセイ
65200353 中島 魁耶 ナカジマ カイヤ
66170470 山城 克敏 ヤマシロ カツトシ
66190402 平田 祥稀 ヒラタ シヨウキ
66200035 石川 太一 イシカワ タイチ
66200107 黒木 翼 クロギ ツバサ
66200202 中園 侑汰 ナカゾノ ユウタ
66200343 久松 篤生 ヒサマツ アツキ
66200396 松原 裕貴 マツバラ ユウキ
66200406 松本 佑哉 マツモト ユウヤ
67170400 平岡 拓朗 ヒラオカ タクロウ
67190236 田川 汐音 タガワ シオン
67190302 長嶋 晟大 ナガシマ セイタ
67190364 西尾 吉平 ニシオ ヨシヘイ
67200108 大村 祐輝 オオムラ ユウキ
67200153 鎌田 大貴 カマダ タイキ
67200351 戸高 海輝 トダカ カイキ
67200397 奈須 泰樹 ナス タイキ
67200470 矢野 晃成 ヤノ コウセイ
67200542 渡部 敬恭 ワタナベ ケイスケ

ビジネス英語 I-1(2)

<連絡事項>

* 次回の授業はあさって7月29日(水)、月曜日時間割。

* 8月3日(月)が最終回

* 発表が終わった人は、発表のファイルに感想文などをつけてWebclassで提出してや。提出期限は8月3日(月)。評価の対象(今回は個人発表)がないとトーイック点だけでつかなあかんから、再試対象=60。再試を受けんかったら再履修。強制やないから、自由やけど、僕としては評価の対象がないのにあったことにしてつけてもお互いのためによくないと思うので、つけないつもり。発表の機会はあと2回、その間に発表なしの場合は、自動的に再試か再履修。来てない人には、連絡を頼む筋合いもないけど、気が向いたら言っといてや。

* 当座9月末まで、希望者にZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3の過去問演習、編集中)、希望者はメールしてや。

授業は

* 個人発表(続き)

次回

* 個人発表(続き)

授業で、また。

とうとう工学部で感染者が出てみたいやね。火曜日の工学部のクラスの徳永くんかも。恐らく許可を取らずにバスで福岡に行った、そうで。工学部は出入り禁止で消毒をやったらしいです。
Lineを作ってくれたりして名前も早うに覚えてたんやけど。この前福岡に帰って欠席したと連絡があり、そのあと3回ほど声を聞いてないな。明日の授業で確認出来るかな。
対面授業をやってる医学部でなく、工学部から感染者が出たねえ、誰にでも可能性あるんで、出来ることはせんとあかんね。先行きが見えんけど、後期も改善する保証がないもんな。オンラインが続くと考えて、準備せなあかんみたい。
学士力発展科目を2つから3つにしてブログも足してもらわんとあかんし、シラバスも書き足して、最初に配るプリントの印刷もあるな。300人分の15回分を、英語のクラス以外に準備せんとあかんからかなりの量、成績をつけたら始めなあかんなあ。3月にし残したままの提出課題とプリントの残り(大きなクラスは欠席者も多いから、相当な量。何か自慢してるみたいやな。ああ、あほらし。)の整理もせんと部屋が片づかんし。医学科の授業は前期で最後になりそうやから、使ってる部屋も片づけて鍵も返さんとあかんし。ようさんすることあるわ、ほんま。

クラス名簿(再掲載)2020年前期 ビジネス英語I-1 (2) クラス名簿(34名)

30190034 足達 陽向 アダチ ヒナタ
30190070 安藤 由貴 アンドウ ヨシキ
30190083 家城 真志 イエキ マサシ
30190098 市谷 奈菜 イチタニ ナナ
30190133 岩井 駿空 イワイ シュンスケ
30190197 奥村 直也 オクムラ ナオヤ
30190225 甲斐 彩香 カイ サヤカ
30190249 香川 百萌子 カガワ モモコ
30190263 河口 暁 カワグチ アキラ
30190274 河野 紘進 カワノ コウシン
30190287 河野 多恵 カワノ タエ
30190292 河野 舞香 カワノ マイカ
30190313 喜多 あやめ キタ アヤメ
30190359 小出 響 コイデ キヨウ
30190366 小金丸 拓哉 コガネマル タクヤ
30190405 小林 里雄人 コバヤシ リユウト
30190414 小松 晃大 コマツ アキヒロ
30190429 佐伯 直樹 サエキ ナオキ
30190432 迫 優花 サコ ユウカ
30190443 迫田 信慈 サコダ シンジ
30190478 里中 優太 サトナカ ユウタ
30190496 清水 優成 シミズ ユウセイ
30190539 田中 碧 タナカ アオイ
30190557 塚元 健太 ツカモト ケンタ
30190588 徳留 未来 トクドメ ミライ
30190609 中川 大夢 ナカガワ ヒロム
30190661 中平 悠稀 ナカヒラ ユキ
30190719 羽田野 夢華 ハタノ ユメカ
30190755 林 聡一 ハヤシ ソウイチ
30190762 原口 智衣 ハラグチ チエ
30190786 春山 大輔 ハルヤマ ダイスケ
30190803 藤野 百香 フジノ モモカ
30190841 松原 光弥 マツバラ コウヤ
30190946 與那嶺 明里 ヨナミネ アカリ

 

英語 Ra1(2)

<連絡事項>

* 8月3日(月)が最終回、いろいろ聞かせてや。

* 「授業についての感想」のワードファイルを参考ファイルに置くんで、次回までにWebclass(「授業についての感想」)に出してや。

オンライン授業と対面授業についての質問も入れてあります。後期もオンラインが続きそうな気配なんで、みんなの気持ちも知りたいし、9月末締め切りの新人賞に送るつもりで小説も仕上げるつもりで、その中に使うかもしれないんで、予め諒承のほどを。受ける側の気持ちを聞いてみたいです。

* オンライントーイックの成績がメールで送られて来てると思うので、そのファイルをWebclass(「トーイックオンライン」)に出してや。

急遽無理やり実施した割りには事務処理も遅いので、成績を出すのが遅れそう。そこで、協力要請です。成績を送ってもらえれば詳細もわかるし、後期の参考にもなりそうやし、成績も最終日までに出せそうやし。さっき松元さんにLineを頼みました。よろしく、ね。

* 当座9月末まで、希望者にZoomトーイック(公式TOEIC Listening & Reading 問題集2と3の過去問演習、編集中)、希望者はメールしてや。

授業は

* 課題、ブログの確認。

* 映像:We Are the →We Are the World

* 『金のフレーズ』①の30から60までのブレイクアウトセッション。

演習用シートを使って日本語を見てすぐに英文がスムーズに出て来る練習をくり返して英語に慣れや。⑥~⑨の希望者がいれば、いうでもどうぞ。~⑫も必要なら作るけど。

次回

* 最終回、授業についての感想や意見、もちろん個人的な質問なども含めて、一人一人いろいろ聞かせてや。

いよいよ来週で前期も終わりやな。授業一覧を作ってるけど(作業中)、まとめてみると、いろいろ大変やったなあ。オンラインて初めてやったし。でも、出来ることはやったという気がするな。ま、過ぎ去ってみないとわからないけど。来週、また。

 

We Are the World

“We Are the World” 日本語字幕、53分(DVD)

イギリスで活躍するミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発されてアフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングで、作詞作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー、プロデュースはクインシー・ジョーンズ。

1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げた。最終的にはアメリカだけで750万枚のシングルが売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付された。ビルボード(Billboard)誌では、1985年4月13日に週間ランキング第1位を獲得。1985年ビルボード誌年間ランキングでは、第20位。

そのほかドキュメンタリーも制作され、2004年には20周年記念DVDとして「We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG」がリリースされた。

We Are the World

There comes a time when we heed a curtain call

When the world must come together as one

There are people dying

And it’s time to lend a hand to life

The greatest gift of all

 

We can’t go on pretending day by day

That someone, somewhere will soon make a change

We are all a part of God’s great big family

And the truth, you know,

Love is all we need

We are the world, we are the children

We are the ones who make a brighter day

So let’s start giving

There’s a choice we’re making

We’re saving our own lives

It’s true we’ll make a better day

Just you and me

 

Send them your heart so they’ll know that someone cares

And their lives will be stronger and free

As God has shown us by turning stones to bread

So we all must lend a helping hand

 

When you’re down and out, there seems no hope at all

But it you just believe there’s no way can fall

Let us realize that a change can only come

When we stand together as one

 

Harry Belafonte originally wanted to put together a benefit concert featuring black musicians to raise money for Africa. Ken Kragen (who became president of the organization United Support of Artists for Africa) thought an American version of “Band Aid" would be a better idea. Ken Kragen is an owner of a personal management and television production company. One of his clients was Lionel Ritchie, so he called him with the idea. Lionel’s wife talked to Steve Wonder’s wife and arranged to line him up for the song.

Quincy Jones was lined up as the producer, and Michael Jackson and Lionel Ritchie were the song writers. The recording took place on the night of the American Music Awards, January 28th, 1985. This was the perfect way to assure that most of the artists would all be free on a single date.

The instrumental tracks were recorded ahead of time and sent out to the interested musicians. With each tape, he sent a letter that stated they should “check their ego at the door." When they arrived in the studio, there was a piece of tape on the floor for each person to stand on, arranged around six microphones in a semi-circle.

800,000 copies arrived in stores on Tuesday, March 7th 1985. There were sold out by the first weekend. It entered the Billboard Hot 100 on March 23rd, at number 21. At the time it was the highest debuting single since John Lennon’s “Imagine" and was number one in three weeks, which at the time was the fastest rising chart-topper since Elton John’s “Island Girl" in 1975. It was the eighth consecutive year the Lionel Ritchie had written a number one song. It won Grammys in 1985 for Song of the Year and Record of the Year.

Dan Aykroyd also sings on We Are the World. You can see him in the top row in the video. Dan Aykroyd was in the Blues Brothers was a band before it was a SNL sketch (and then a movie), hence he was a musician. VH-1’s “Pop-Up Video" states he’s there to represent the American film industry.(http://www.inthe80s.com/weworld.shtml

 

クラス名簿(再掲載)2020年前期 英語 Ra1(2)クラス名簿(31名)

30170030 井戸 颯人 イド ハヤト
30200049 池ノ上 将基 イケノウエ シヨウキ
30200092 梅山 愛梨 ウメヤマ アイリ
30200100 押領司 尚美 オウリヨウジ ナオミ
30200137 尾崎 ちひろ オザキ チヒロ
30200186 加藤 大地 カトウ ダイチ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200232 北村 詩歩 キタムラ シホ
30200250 串間 怜央 クシマ レオ
30200278 小島 楓華 コジマ フウカ
30200322 迫田 凜々香 サコダ リリカ
30200335 佐々木 ルナ ササキ ルナ
30200423 田代 直哉 タシロ ナオヤ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200461 堂下 つばさ ドウシタ ツバサ
30200506 時松 桃花 トキマツ モモカ
30200533 戸高 みなみ トダカ ミナミ
30200551 永友 阿耶里 ナガトモ アカリ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200676 福瀬 一真 フクセ カズマ
30200713 藤田 涼 フジタ リヨウ
30200728 淵脇 紅南 フチワキ アカナ
30200731 古田 紋子 フルタ アヤコ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200766 松田 美月 マツダ ミヅキ
30200777 松元 彩夏 マツモト サヤカ
30200816 御沓 帆志 ミクツ ホシ
30200834 宮脇 駿介 ミヤワキ シユンスケ
30200870 山田 凌平 ヤマダ リヨウヘイ

 

英語 Ma1(2)

1回目の課題の講評です。もっと早くと思ってましたが。やっとさっき終わりました。

全般の講評は、たぶん自粛期間も長かったので時間をかけた人もいたけど、感想文に近いのや、調べたものをまとめて自分の意見をつけたのもあったように思います。

仮説が曖昧なのも結構ありました。~が~であるという明確な仮説を立ててはっきりと論証するのが大切やと思います。

最終的には言いたい気持ちが強いのがこちらに一番伝わって来ると思います。課題に限らず、書いたものはすべてそうやと思うけど。

(「対面を経験していない新入生を優先する」、という片岡さんのメッセージのように。)

わかりやすいのは、きちんと章立てが出来(もちろん、論理的な展開一目でわかるものがベスト)、参考文献もきちんとついているもの。図や統計のような客観的な資料や、言ってることをまとめているような画像や地図も効果的やと思います。

仮説を立てて客観的に論証するという作業は、大学ですべき大事なことの一つ、教養、基礎医学では特に大事やと思います。そのあと、人と人との意思疎通がかかせない臨床、やな。

秀を3段階(満点、SS、S)、優を2段階(AA、A)、良(BB、B)を2段階、あんまりひどいのはCをと思ってたけど、Cはつけずに済みました。

満点 3人、SS 3人、S 7人、AA 5人、A 6人、BB 2人、B 1人。計27人。

全員英語で書いてました。全員が英語というのは、初めてです。この数年英語で書く人が増えてたけど、それでもせいぜい半分ほど、やっぱり異常事態やろな。

満点は、ある一定の水準を超えていそうで、短い期間によう書けたなあ、と感服した課題につけました。

書かれた英語は充分に読めるので、アウトプットの機会を増やして、書いたり、読んだり、聞いたり、話したり、どんどんやれば気づいたら使えるようになってる、ということかも。

僕は、戦争に負けて無理やりやらされてという意識が強かったせいか英語に対していまだに抵抗があるけど、高校の教員の採用試験が受験出来たのも、38で大学職に就けたのも、受験勉強をしないでたまたま行き着いた先が英米学科やったからやと思う。もちろん、結果論やけど。

原爆落とされて無条件降伏をつきつけられ、ヨーロッパ医学に代わってアメリカ医学を強要されてから久しい今となっては、英語が使える方が圧倒的に有利なのは事実、みたい。

個人的な講評が必要な人は連絡してもらえればメールでも、Zoomでも。課題を見ながら、意見も聞きながら話出来ると思います。

なんとか、やっと書けました。外は雨、もうしばらく梅雨が続きそうやね。学園木花台で高台にあるんで、家からも木花の研究室からも、加江田の山が見えます。今は雨に煙ってるけど、梅雨明けすればかーっと暑くなって、違った加江田の山に。