つれづれに

つれづれに: 堀切峠下海岸道路④

南風茶屋の紹介までに4回もかかるとは思わなかったが、最終回である。前回は階段を昇って展望台を紹介、まで書いたが、階段を昇ったのは、自転車を担いでいけるかを確かめたかったからだ。今回は行きに写真が撮れなかったから叶わなかったが、次回は駐車場近くの峠から海を眺めたあと、一気に坂道を下って戻ろうと思う。車で連れてもらったときは一台がやっとの道幅を見て「すれ違ったらどうするんやろ?怖そうな方に道を譲って戻るんやろか?」とふと思ったが、よく見ると所々に車が待機して行き交える空間が取ってあった。↓

二人の老人が自動車よけの空間に軽自動車を停めて、海に糸を垂れていた。帰りにも見かけたので、じっくりと腰を据えて釣りを楽しんでいるようだった。常連なのだろう。車で連れて行ってくれた人が「内海港の近くで時々もぐって魚を捕まえ、自分で捌きますよ」と言っていた。捕獲禁止の看板もあるにはあるが、監視の人を見かけたことはない。

実際は行きに展望台に寄ったので、サンクマールの入り口からは二十分くらいで、終点の内海港が見えて来た。↓

出口は両側とも薄などが生い茂る通砂利道である。↓サンクマール脇の入り口(出口?)もそうだったが、入り口も出口も見つけ難い。しかし、高台からの眺めがあるわけでもないから、目の高さの防波堤を見ながらドライブする人もそう多くはないだろう。しかし、散歩の人やサイクリングの人には格好の場所である。所々階段が作ってあって海辺まで下りられる。ほんの少し砂浜になっている所もあるし。

内海港への緩やかな坂道(↓)を下って行くと、コンクリート会社の敷地(たぶん)を通って、道の駅からの坂に続くトンネルの出口近くに出る。内海港脇の川にかかる橋を渡ると右手に内海駅のバス停があり、少し入ったところに駅がある。今は少し先の小内海で大規模ながけ崩れがあって日南線は青島までしか通ってないので、電車は来ない。この辺りの山は崩れやすい岩質らしく、よくがけ崩れを見かける。今回は崩れた岩が日南線を塞いだだけでなく、水も大量に流れ出ているようだ。小内海以南の人は南郷を迂回して宮崎に出ないといけないようで、影響は大である。すぐに知事が視察に行ったとニュースに流れたあと、十月半ばに片側通行で復旧見込みと言っていたから、国道の管轄の国土交通省も迅速に対応したのだろう。日南線は復旧には年末までかかるらしい。

トンネルの出口

内海駅

やっと南風茶屋である。海の見晴らしもいいので、学生や同僚とよくでかけた。コロナ騒動で足が遠のいていたが、また復活である。その先にデモンドマルシェというバイキング形式のレストランが出来て、選択肢の幅が増えていたが、コロナ騒ぎの前に閉店してしまった。油津からの途中にランチで立ち寄る中国人観光客の団体と鉢合わせすると少し騒がしかったが、それも今は昔である。福岡資本で寿司職人も連れて来て好評で繁盛しているように見えたが、経営を続けるのは難しかったのか。いつもは具だくさんの南風うどんを食べるが、今回はチキン南蛮や小鉢やご飯がついた南風定食にした。ふだんは海産物やチキンは食べないが、いろんな種類を食べるに越したことはないので食べることにした。

窓から見える内海港

写真が多くて4回もかかってしまったが、堀切峠下海岸道路は今回が最後である。しかし、青島や堀切峠のような観光地や、南風茶屋やデモンドマルシェのような飲食業界については、前回触れた衆議院選挙の結果とも深いかかわりがありそうで、次回は堀切峠下海岸道路追記①、あたりか。

つれづれに

つれづれに: 堀切峠下海岸道路③

例年より遅れていた金木犀の香りが漂い始めたと思ったが、もう盛りを過ぎている。花の命は短かくて、だ。柿が色付いている。去年は250個以上も実をつけた西条柿が、今年は6つ。来年は生り年で復活するかどうか。採り込んで、洗って、剥いて、干すの作業が僅かで済むといういい面もある。柿の葉が毎日散って、風で三軒先まで飛んで行く日もある。ご近所で柿の木があるのはここだけなので、三軒先までの柿の葉を拾う日々が当分続く。

堀切峠下海岸道路②の続き、今回で終わると思っていたが、写真が多いので4回シリーズになりそうである。

青島の鬼の洗濯岩は有名だが、この辺りはその鬼の洗濯岩が続く。木崎浜、曽山寺浜、青島海岸の見える部分は大半が砂浜だが、曽山寺浜の河口も、青島神社から青島港辺り、水産試験場から白浜、ホテルサンクマール辺りも鬼の洗濯岩の見える部分が多い。サンクマールからの海岸道路にはほぼ砂浜はなく、鬼の洗濯岩がずーっと続く。崖の上は堀切峠の坂道である。坂の途中に道の駅があって、展望所もある。以前に車で連れてもらった時は気づかなかったが、海岸道路で散歩やサイクリングをする地元の人からその展望所に登る階段があると聞いた。海岸道路の真ん中より少し手前で、その階段を見つけた(写真①)。階段を登ってみた。薄などの草が階段を塞いで通り難かった。途中で何個所かが崩れていたし(写真②)、水が捌けずに溜まっている個所もあった。展望所脇に「この階段は海岸まで下りられます。」という掲示を出すわりには(写真③)管理費が充分でないのか、手入れが行き届いていない。道の駅にある展望所にはたくさんの人が訪れる。人が多いのが元来苦手なので、普段は道の駅や展望所の近くには行かない。外国からの招待客や学生や同僚と内海のレストランで食べたあとは、少し南の駐車場からの海を眺めることが多い。高いところからの、わぁーっと広がる日向灘は絶景だ。真冬は風が冷たくて長くはいられないが、穏やかならいつまでも眺めていたい気分になる。上に登る階段の手前で、その場所の下あたりから写真を撮った(写真④)角度でその場所は見えないが、椰子の樹はかろうじて見えた。

写真①道の駅に通じる階段、薄などの草で覆われて進み難かった

崩落個所(写真②)

写真④

フェニックス道の家

(写真③)

眺めはいい。この眺めに魅かれて、かつては新婚旅行の人たちが押し寄せたそうである。眺めのよさは変わらないが、経済状況がすっかり変わってしまった。海がきれいで、眺めのいいところはたくさんある。沖縄やハワイやサイパンやグァムなど、海の青さや透明感では叶うはずもない。経済的に日本が豊かになったということである。最初にカリフォルニアに行ったときは、1ドルが280円台だった。学生時代は常に360円、学費が月に千円だったから、その経済状態で、いくら海の青さや透明感が魅力だからと言って、おいそれと海外には行けなかった、ということだろう。それに、航空業界が民営化されたとは言え国からの保護は手厚く、相も変わらず国内線の飛行機代が高すぎる。北海道から来た看護の学生が、長期休暇の時に家に戻らず、その飛行機代で東南アジアに行っています、と言っていたのも頷ける。

比較の問題だが、汚れた、船の行き交う瀬戸内海の海に慣れていたので、水平線が広がる宮崎の海は、十分に美しい。木崎浜からいつも見る曽山寺浜、青島海岸もそうだが、堀切峠から眼下に広がる大海原の景色はいつ見ても、いい。

つれづれに

つれづれに: 堀切峠下海岸道路②

11月である。11月12日(金)から14日(日)までの個展(→「小島けい2021年個展案内」)に間に合うように、来年のカレンダーも出来た。(→「私の散歩道2022~犬・猫・ときどき馬」)やっと、出展する絵の搬送の準備である。

「自民党の過半数割れ」の淡い期待も空しく、絶対安定多数261議席の見出しが躍る。予想されたとはいえ、あいも変わらずである。人の意識と議会制民主主義の乖離を考えれば当然だが、そのうち書くつもりである。

堀切峠下海岸道路②である。自転車で1時間半の行程は長く、目的地に着くには時間がかかる。前回の木崎浜→曽山寺浜→青島海岸(→「久しぶりに木崎浜に行って」)に続いて、今回は青島→青島港→白浜→ホテルサンクマール脇の海岸道路入口までである。

南風茶屋のオーダーストップ3時半に急かされて、行きは海岸道路の写真は撮る余裕がなかったので、帰りに来た道とは逆の順序で写真を撮った。青島に来た頃には、すっかり暗くなっていた。総合公園からの舗道は旧パームビーチホテルの教会の辺りで途切れ、そこから砂浜横の舗道が続く。左手に行けば、青島神社に行く辺りから再び防波堤が始まる。防波堤沿いに進むと、青島港近くに出る。

青島海岸の歩道

左が青島参道

青島港辺りの防波堤

青島の砂浜を維持するのもなかなか大変である。今も流木が流れついている。夏の海水浴シーズンの前には撤去作業が行われる。管轄は県の土木課のようで、自転車で通るときに下請け業者が作業をしている姿をみかける。コロナ騒動で、ほとんど観光客がいない時もあったが、少し人が増えたようだ。しかし、油津から運ばれる大型客船の中国人観光客の姿は、いっさい見なくなった。

青島港辺りから、また県道に戻り南に進むと折生迫の掲示板が見える。そのまま進めば堀切峠、左に行けば、白浜、ホテルサンクマールに辿り着く。

川沿いに、小さな漁船が岸壁に繋がれている。台風前には毎回、漁船はロープで両岸に固定される。時々、丈の長い重機を載せた船が、川に溜まった砂を取り除く作業をしている。漁船の航行に支障が出るらしい。引き潮の時は川底が見える。

漁船の繋がれている所を進むと、県の水産試験用がある。大学の農学部には水産科があるから、そこの卒業生もたくさんいそうである。センター試験の結果で安全策を採って東京から来た学生に何度か、大学院入試で相談を受けた。毎年東京水産大の院を受験して、進学する学生がいるようである。

山沿いに海岸道路を少し進むと、突き当りにキャンプ場がある。キャンプの好きな人が多いようで、冬の寒い時期や、風の強い日にも、テントを張って宿泊している姿を何度も見かけた。学生時代に、山口県の佐波川の川原でテントを張って野宿したが、蚊取り線香をいっぱい焚いても、テントを張る前にぼこぼこに蚊にやられた。思い出しても、むず痒い。

そこからしばらく進むと、白浜地区に入る。白浜の海水浴場は地元の自治会で運営されているらしく、役員も固定、収入は自治会費に回されるらしい。役員のなり手が少なくなったというのに、進んで役員をする人がいるところがあるのは信じがたい。何かうまみがあるんだろう。縁戚関係の人が役員を持ちまわっているようで、それ以外の地域住民にも横柄な態度を取るらしい。最近、崖の崩落個所の写真を撮ろうと白浜ビーチに入ったとたん、中年の男性がすぐに飛んで来て、ビーチは遊泳禁止で、すぐに出て下さいと横柄な口調で言われた。さっき通ってきた青島ビーチではたくさん人がサーフィンしてたで、と言いかけたが、口に出さなかった。初対面の人間に、なんでああも横柄な口がきけるんだろう。

白浜ビーチ

崖崩れによる崩落個所

ホテルサンクマール

やっとホテルサンクマールである。農協系の資本が入っているのか、泊りがけの研修会などで農協の団体がよく使っているようである。温泉が広くて寛げるので、日帰り利用で通った時期もある。広い窓から望む日向灘の景色はなかなかである。コロナ騒動の前に、温泉の温度が下がり過ぎてしまって以来、行かなくなった。ホテル脇に、海岸道路に入る道がある。いよいよである。砂利を敷いたでこぼこ道で、大きな石も混じっているので車は慎重に進む必要がある。海岸道路の出口の方も、同じように砂利道だった。あまり海岸道路は利用しないで下さい、というのが国土交通省の方針のようだ。

いきなり左手に海から突き出た二本の鉄棒が見える。タンカーが座礁したらしい。当時は油が漏れて、漁業にも被害が出たようである。最初に堀切峠から見た時には、まだタンカーの船首が見えていた。その後何年かして今の状態になった。噂話の域は出ないが、中国籍のタンカーが座礁、あと始末はしなかったという。

次回はいよいよ海岸道路である。→堀切峠下海岸道路③