つれづれに

つれづれに:CDC

 バイオセーフティ指針(Biosafety Level、BSL)の基準で言えば、HIVはレベル3で、エボラウィルス(↓)はレベル4である。(→「音声『アウトブレイク』」でコンゴでのエボラ出血熱騒動の時に話題になったアメリカ映画の紹介もしながら解説している)どちらの場合も、患者の発生の報せを聞いて、疾病対策予防センター(Centers for Disease Control and Prevention: CDC、↑)は必要性ありと判断して、早期に対策を講じたわけである。

 ジョージア州アトランタにあるCDCは、保健社会福祉省(Department of Health and Human Services: DHHS、↓))の下部機関で、国内外の人々の健康と安全の保護を主導する立場にある連邦機関である。CDCにはいくつかの主要組織があり、それらの組織はそれぞれの専門分野で独立して活動する一方、それぞれの持つ資源と専門知識を組み合わせて分野横断的な課題と特定の健康への脅威に対処している。

 エボラやエイズなどの感染症は、命を奪い、地域資源の負担を増すだけでなく、多くの国にとって脅威となる可能性もある。今日のグローバルな環境では、新しい疾病(しっぺい)は数日、場合によっては僅(わず)か数時間で全世界に広がる恐れもあり、早期発見と早期対処の重要性は高まっている。エイズ患者の報告を受けて、特別調査チームを置いたのもその流れの中にある。

役割が大きいだけに、影響力も大きい。予測の判断を間違う場合もある。エイズの場合も、いくつか方向性を誤った可能性がある。誰しも方向を見誤ることはある。大きな組織になれば、尚更である。問題は、その過ちを修正するために何をしたか、問題解決に向けてどう手を打ったかである。

 →「エイズ発見の歴史」の概要で、1981年にCDCがカラン(↓)を指名して発足させた「特別調査チームは、その症状が病原体の侵入から人の体を守る細胞免疫において重要な役割を演じるTリンパ球(↑)の減少によって引き起こされたことを発見し、最終的に、この疾患が血液あるいは精液によって感染するという結論を下した」と書いた。その過程でチームは早くから、疫学的研究の焦点を男性の同性愛者に絞った。ゲイの病気だと決めつけたわけである。この絞り込みは早計で、明らかに方向性の誤りだった。すぐに幼児や男性エイズ患者の配偶者や、静脈注射による麻薬常用者から患者が出たからである。その時点で、男性同性愛者やハイチの人たちに対する偏見はすでに広まってしまっていた。CDCが疫学的研究の焦点を男性同性愛者に絞ったから偏見が生み出されたのは明らかだったのだから、CDCは早期に無理をしてでも偏見を和らげるための何らかの強力な方策を採り、それに見合うだけの予算を当然つけるべきだった。エイズ患者は病気だけでも大変なのに、偏見とまで闘わなければならなかったのだから。

 この偏見は個人の生活には予想以上に厄介で、仕事を解雇されたり、人間関係が壊されたりする。社会的に抹殺される場合が多い。1996年に多剤療法でエイズ=死でなくなるまでは、殊に厳しかった。エイズと男性同性愛にまつわる偏見を法廷で覆(くつがえ)してゆく物語「フィラデルフィア」(Philadelphia、↓)は、1993年のアメリカ映画である。主人公はエイズを理由に解雇されて法廷で闘った。治療法がないので、長くても10年の残り時間を覚悟したうえで闘っていたわけである。韓国ドラマ「ありがとうございます」(2007年、고맙습니다)は恋人の医療ミスでHIVに感染してしまった少女に謝罪するためにある島に渡る外科医の話である。エイズ=死でなくなってから10年ほどが経った頃の設定だが、島の人たちの偏見は凄まじかった。鹿児島大院生の情報漏れの話も、偏見によって普通の生活が実際に出来なくなるからこそ大きな問題になったのである。

 輸血用の血液製剤でも方向を誤った。貧困層の麻薬常用者から献血される血液のHIVを完全には除去できないまま、汚染された血液製剤を使用された血友病患者などがHIVに感染してしまったのである。10ドル目当ての貧困層の献血者の中に、麻薬常用者(↓)も含まれていた。CDCが登用したロバート・ギャロが責任者だったが、日本の厚生省もギャロを信奉する安部英を登用して血液製剤によるHIV感染の犠牲者を多数出してしまった。危険性を指摘されても、しばらく継続したので犠牲者が増えた。犠牲者は大規模な訴訟を起こして国と闘った。犠牲者の一人は被害者の会の代表として国会議員に選ばれ、活動を続けた。CDCも厚生省も、危険性を指摘される前に対処すべきだった。素早く対処出来ていれば、少なくとも犠牲者の数をそう増やさずに済んだはずである。

 1992年のエイズ国際会議と同時に開催された医師による内部告発に国もCDCもマスコミも耳を傾けるべきだった。いくら利益を生む抗HIV製剤(↓)で潤う製薬会社が主なスポンサーだとしても、CDCやマスコミは、異端派として黙殺し続けたが、方向性を誤ったと思う。

マスコミはギャロやその取り巻きが言い出したエイズのアフリカ起源説を盛んに取り上げた。アメリカのHIV人工説の非難の矛先をかわすためには好都合だったのだろう。エイズがアフリカで爆発的に感染を始めたときに、欧米人はエイズはアフリカの病気だと騒ぎ立てた。奴隷貿易や植民地支配を正当化するために白人優位・黒人蔑視を浸透させた手法を、またエイズでも使ったというわけである。アフリカで永年医療活動を続けたアメリカ人医師レイノルズ氏は、アフリカのエイズのことはアフリカ人に聞くべきだと提言した。耳を傾けてみると、普段いかにマスコミに支配されて偏見に満ち溢れているかがわかる。教えられることが多かった。アフリカを巡っては、☆社会問題としてアメリカのエイズ事情について書いたあとに、詳しく書いてゆきたい。

次回は、世界エイズ会議についてである。

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つれづれに:エイズ発見の歴史

医学科の英語の授業で医学的な側面も取り上げようとした1990年の前半頃に、ちょうど横浜でエイズ会議があって、特集記事がすぐに手に入った。研究費で最初はアフリカ系アメリカの月刊大衆Ebonyと南アフリカの週刊紙Mail & Guardianを定期購読していたが、英字新聞のThe Daily Yomiuriも取るようになっていた。アジアで初めての世界エイズ会議でもあったので、特集を組んだんだろう。その中に「エイズ発見の歴史」(History of AIDS Discovery)があった。1994年8月8日の記事である。ロサンジェルスで最初のエイズ患者が発見されてからの簡単な流れが書かれてあった。分かり易いので、授業で使うことにした。概要である。

「1981年春にロサンゼルスの医師グループが5人の患者の治療に悪戦苦闘していた。その患者は通常は起こり得ない日和見(ひよりみ)感染症ニューモシスティスカリニ肺炎(PCP、Pneumocystis carinii pneumonia)に苦しんでいた。

5人の患者には2つの共通点があった。 男性同性愛者であることと、臓器移植を受けて免疫抑制剤を投与されていたことだった。医師達は米国疾病予防センター(CDC)発行の「罹患率と死亡率」(MMWR、Morbidity and Mortality Weekly Report) 6月号に症例を報告した。

 その後同様の報告が相次いだ。ニューヨークの患者はカポジ肉腫を発症していまた。すべて1979年1月から2年半の間に発症し、26人の男性はすべて同性愛者だった。この状況に驚いて、CDCは1981年にジェイムズ・カラン(↓)が率いる特別調査チームを発足させた。特別調査チームは、その症状が病原体の侵入から人の体を守る細胞免疫において重要な役割を演じるTリンパ球の減少によって引き起こされたことを発見し、最終的に、この疾患が血液あるいは精液によって感染するという結論を下した。そして、この疾患を後天性免疫不全症候群(Aquired Immunodeficiency Syndrome)と命名した。

 この頃、幼児とエイズ患者の配偶者の女性がこの疾患にかかり始めていた。1983年の春にエイズがあるウィルスによって引き起こされることが完全に証明され、米誌「サイエンス」5月号にフランスのパスツール研究所(↓)の研究者グループが発見を発表した。翌年には、アメリカの2つの医学研究グループがウィルスを単離を発表した。別々に発見されたウィルスは、後に同じものであることが確認され、現在、一般にヒト免疫不全ウィルス(HIV)と呼ばれている」

 エイズ発見の歴史を1994年の英字新聞の記事で、HV増幅のメカニズムを1996年のニューズウィークと『ヒト生物学』の記事で読み始めてから20年ほど経ったころ、アメリカとイギリスが製作した「エイズの時代」4回シリーズのドキュメンタリーが放送された。最初にエイズ患者を診察した医師やハイチやコンゴなど、当時話題になった地域を取材して関係者にインタビューした内容は、先に読んだ記事を裏付けるなかなか興味深い映像だった。文字だけでは感じられない内容を伝えていたと思う。それ以降は、映像ファイルを作って授業でも使わせてもらった。

 両者を比べてみると、その時その時の人の動きがわかる。その中で、病院や国の機関が働いた役割は大きかった。特に、米国疾病予防管理センター(CDC)の果たした役割も大きかった。ただ、国の機関であるため、国の方針や、関わっている公務員の質にもよって誤った方向に向かう場合もある。横浜での会議の2年前の1992年に、CDCのあるアトランタで会議が開かれたが、その同じ年に国の政策を批判する医療関係者たちが集まった会議は余り知られていない。国の政策に従って、癌の治療に当たった医師が大半で、その人たちの患者が臨床実験に使われたと告発したのである。国が生物兵器を造る過程で偶発的または人為的に人工的なHIVが洩れたと主張した。政府もCDCもマスコミもその告発を無視し続けたが、主張に耳を傾けるとその信憑(ぴょう)性は無視できないと思う。他にも、方針を間違ったと思われることもある。そのことによって偏見を生んだり多数の被害者を出しているが、当然すべき対応をしていなかったとも思う。次回からは3つ目の山☆社会問題として:アメリカ(エイズ会議、抗HIV製剤、HIV人工説)とアフリカ:(欧米・日本の偏見、ケニアの小説、南アフリカ)に入るが、先ずはエイズ患者が出始めたときのCDCに触れておきたい。

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つれづれに:HIV増幅のメカニズム

 HIVはDNAを持たないから、人間の血液の中に侵入して自分の子孫を増幅させる。どのように侵入して増幅するのかが、今回のHIV増幅のメカニズムである。

エイズ患者が出始めた1981年からおよそ10年余りで、病原体HIVの構造(↑)やHIVの増幅の仕方が徐々に解明されて、一般の人の目に触れるようになった。1990年代に入ってからは世界エイズ会議も2年毎に行われるようになった。1992年にはCDC(Centers for Disease Control and Prevention、米国疾病予防管理センター、↓)のあるアトランタで、2年後には横浜で開催された。アジアで最初であった。その頃には、エイズに関する記事や映像などもかなり増えていた。

 ある日、授業用に一般向けの雑誌を探すために、当時非常勤で行っていた旧宮崎大学(↓)教育学部英語科の図書館にでかけた。当時、まさか後に統合して同じ大学になるとは思いもしなかったが、英語科にはまだ10人ほど教員がいて研究費で図書館に事務員を雇用していた。その図書館には、入試用の過去問や英語の雑誌などが置かれていた。

 ニューズウィーク誌(Newsweek)とタイム誌(Time)を10年分ほどチェックしたら、90年頃から記事の数も多いことがわかった。その中に1996年の「生命の危機にかかわる遺伝情報の断片を標的にすること(Targeting a Deadly Scrap of Genetic Code)というニューズウィークの記事を見つけた。「流れ作業の工程を遮断すること」(Disrupting the Assembly Line、↓)という見出し図につけられていた。いわゆるサイエンスライターと言われる医者ではない記者の記事である。一目見ればわかる。医療の専門家はAssembly Lineは使わない。

 しかし、一般の人には流れ作業に準(なぞら)えた記事はわかりやすい。その記事と医学生向きの記事を授業では誰かにやってもらった。発表にはパワーポイントを使う人が多かった。記事の図の概要である。

「HIVは白血球の中に侵入し、白血球をウィルス製造の工場に変えることによって生き延びる。その過程は以下の数段階である。

1 HIVは宿主細胞の受容体(レセプター)に付着し、リボ核酸(RNA)のような遺伝子物質を放出する。

2 逆転写(RT、Reverse Transcriptase)酵素と呼ばれる酵素がウィルスのリボ核酸(RNA、RiboNucleic Acid)をデオキシリボ核酸(DNA、DeoxyriboNucleic Acid)に変える。逆転写酵素阻害剤と呼ばれる製剤がこの過程を阻害する可能性がある。

3 インテグラーゼと呼ばれる酵素が宿主細胞の染色体にウィルスのデオキシリボ核酸を組み込む。インテグラーゼ阻害剤という新しい種類の製剤を開発し、それがウィルスを防ぐ新たな障壁になる可能性がある。

4 感染した細胞は新しいウィルスのリボ核酸作り、それが蛋白質(たんぱくしつ)とその他の構成要素を産生する。

5 プロテアーゼ酵素がウィルスの蛋白質をより短かい断片に切断する。プロテアーゼ阻害剤が酵素を中和させることによって、ウィルスが複製出来ないようにする。プロテアーゼ阻害剤は逆転写酵素阻害剤を併用すればより効果的である。

6 新しく作られた蛋白質は組み合わさって新しいヒト免疫不全ウィルスを形成する。

7 完全な形のHIVが出芽して、また新たに他の細胞に感染する」

 エイズに関心を持ち出し雑誌の記事などを読み始めたのが1992年にジンバブエに行ったあとくらいだった。まだその時期には、宿主(しゅくしゅ)のCD4陽性T細胞に侵入する際に、細胞膜を破って入るのか、融合して入るのかはあやふやだったと記憶している。仲良しの微生物の人に聞いたら、まだ確定していないけど、貫通する(penetrate)のは確かやね、という答えだった。教授選の制度を変えただけあって、その人は面白い授業をやってたようである。学生はいろいろ質問されて緊張の連続、課題も国内外のトップレベルの人にあってインタビューして来るというのを出していたそうである。既卒者の一人が、当時医科歯科大に居た山本直樹という人にインタビューしたという話を嬉しそうにしていた。受容体(レセプター)にはセカンドレセプターもあって、その侵入する過程を阻害して薬を作れないかを研究しているらしいですということだった。なかなか面白いので、ちょうど今その辺りをやってるんで、1年生の授業で話してくれへんか?と頼んだら、やってくれた。上級生が生の情報を伝えるために下の学年の授業に出てしゃべるというのは、画期的なことだった。融合するはfuse、新聞で fusinと言う単語をみたので、その方面の研究をやっている人がいたようである。2000年を過ぎた頃には、ウェブ上で鮮やかなコンピューター映像(CG、Computer Graphic)の映像が出るようになり、そこでは見事な融合の場面が見られた。

 英字新聞にケニアの売春を生業(なりわい)にしている集団があって、感染の危険性が高いのにHIVに感染しないので検査してみたら、元々遺伝子そのものに受容体(レセプター)がないのを発見した。これだとHIVが血液に侵入しても、抗体の指令塔であるCD4陽性T細胞に入れないのだから、感染は起こらない。その遺伝子を利用して薬を作れないかという可能性にも触れていたらしい。プロテアーゼ阻害剤と逆転写酵素阻害剤以外にも可能性があるんやと嬉しくなった覚えがあるが、その系統の薬に関する報道はないようなので、難航しているんだろう。

 医学生向きの資料は配布済みの『ヒト生物学』(Human Biology)9章免疫システムと防御システム、16章性感染症(Sexually Transmitted Diseases)である。

9章では最初に病気を引き起こす3つの原因(ウィルス感染、細菌感染、プリオン蛋白)が簡単に解説され、免疫不全としてエイズが紹介されている。学生にやってしまったので手元にないので確認出来ないが、プリオンが教科書に乗るのは1990年代の半ばの狂牛病騒動のしばらく後だから、おそらく2000年辺り以降の版だろう。現在は17版、高校の生物学と専門の基礎医学の橋渡しとしては読みやすい本だからだろう。HIVが免疫システムのヘルパーT細胞を標的にすること、体液を通じて感染すること、エイズがゆっくりと進行すること、の項目にわけて解説したあと、3つの段階(フェイズ、phase)の特徴を述べている。第1フェイズは、風邪に似た初期症状で一時収まり、潜伏期間に入る。第2フェイズは潜伏期間で、長ければ10年の場合もある。この時期に何もしなければ、助からない。最終段階の第3フェイズはエイズ末期と呼ばれ(full-brown AIDS)、免疫力が落ちてカポジ肉腫やカリニ肺炎など、通常なら罹(かか)らない日和見(ひよりみ)感染症にやられて衰弱してやがて死に至る。1000ミリグラム中にCD4陽性T細胞が200個以下になると第3フェイズで、末期を迎える。

 エイズについては半期15回のうちの大体4~5回で、☆HIVの増幅のメカニズム、☆簡単なエイズ発見の歴史、☆社会問題として:アメリカ(エイズ会議、抗HIV製剤、HIV人工説)とアフリカ:(欧米・日本の偏見、ケニアの小説、南アフリカ)と書いた。最初に→「エイズ」、次に→「ウィルス」と→「血液」と→「免疫の仕組み」を書いたあと、今回、一つ目の山☆HIVの増幅のメカニズムを書いた。次回は2つ目の山☆簡単なエイズ発見の歴史である。

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つれづれに:免疫の仕組み

 今回は免疫の仕組みである。エイズは病原体がヒト免疫不全ウイルス(HIV)なので→ウィルス、ウィルスはDNAを持たないので自分では複製できず子孫を増やすために標的にするのが人間の血液の中の白血球のT細胞→血液、次はウィルスや細菌などの外からの異物を排除する働き→免疫機構である。その仕組みをみておきたい。やはり資料は一般向けと医学生用の2種類を用意した。一つは文科省から配られた冊子の中からである。「人の免疫の仕組み」とこちらもわかり易く図示してある。

 外から異物が入ってくると白血球が総動員して排除するというわけである。図示されているのは、先ず外から病原体、この場合はHIVが血液の中に侵入してきた場合に闘う仕組みである。血液中には食細胞といわれるマクロファージがあちこちにいて、異物(病原体)が入って来るとB細胞とCD4陽性T細胞にその情報を伝える。B細胞は抗体を産生し、CD4陽性T細胞はNK(ナチュラルキラー)細胞と細胞障害性T細胞とマクロファージに情報を伝える。B細胞で産生された抗体とNK細胞と細胞障害性T細胞と活性化されたマクロファージが総動員されて異物を排除する。抗体を作って異物に対抗する方は(体)液性免疫、免疫細胞が直接異物を攻撃する方は細胞性免疫と呼ばれる。一般向けなのでわかりやすい。

 医学生向きの血液についての資料は医学用語の『ヒト生物学』(Human Biology)7章リンパシステムと免疫(Lymphatic System and Immunity)、9章免疫システムと防御のメカニズム(The Immune System and Mechanisms of Defense)、16章性感染症(Sexually Transmitted Diseases)である。既に配布済みのガイトンの『生理学』(Guyton’s Phisiology)の33章人体の感染への抵抗(Resistance of the Body to Infection)も使用した。エイズは免疫不全の病気でもあるが、HIVによる性感染症でもある。

 執行部内にいた基礎系の教授2人とほか何人かが協力して、ずぶずぶの関係から生まれた旧来の教授の選考方法を変えて、公正な公募で最終選考に残った3人による公開講演会後に投票するという選考方法を実施した。私は旧来の人事で辛うじて潜り込ませてもらったあと制度の実態を知って万年講師かと思っていたが、思わず教授選に出るように言われて、まさかの教授になった。結果、後期から前任の教授が担当していた医学英語を引き継いだ。制度を変えた基礎系の人たちが中心になって学部長と副学長を巻き込み、新入生に少人数輪読会を実施することになった。私に輪読会実施の説得に各講座を回る役割が回ってきた。7~8人のグループに分けて、各講座から主に助教授か講師を出して、『ヒト生物学』を週一回輪読するという計画だった。医学科はゼミがないので、小人数は学生にも教員にも貴重な機会である。テキストも高校の生物と2年の基礎医学の橋渡しの良書で、画期的な試みだった。ただ、長くは続かなかったが。

各講座を回った感想は、概ね協力的やな、だった。ただ、教授と話をした救急は、教授が文句たらたらで、何なら執行部に掛け合いますかと言ったら、静かになった。これでは、救急に人は集まらんやろ、と思って聞いてみたら、案の定、学生には不評だった。教授選の制度を変えた人たちが、のちに4・5年次に海外で臨床実習に行ける学生交換制度を、3年次に研究室配属を新しく創った。国内以外にも、国外でも選択できるという制度である。その頃には、卒業生の教授たちも加わって、学生のための制度が充実していったように思う。その時期に教授になったので、公正に選んでもらった義理も多少は感じていたのだろう。ドイツ語の人や前任のアメリカ人が嫌でずっと異動を考えていたが、気がついたら定年退職だった。文科系は教授になる年齢が遅い人が多いし、講座に一人、前任者との年齢差もあるので、結局は教授の期間は11年だった。

医大の講義棟(最初は4階で、あとは3階で授業をやった)

ガイトンの『生理学』は、部屋に来る既卒組の一人から教えてもらった。

「下の書店に行ったら、翻訳が1万円以上、英文は半額、それ見て思わず英文を買ってしまいました。買ったからには使わないと勿体ないので、英語でやりました」

本人は入学時以外は、2~5年と首席だった。よく部屋に出入りしてたので、そんなに勉強をしてる風にも見えなかったが、出来がよかったわけである。その学年は東大、早慶組が多く、何人かで空き時間に集まって輪読会を卒業まで続けていた。1年のときは『ヒト生物学』、たまさんもやりません?と誘ってもらったが、余裕がなくて参加できなかったのは心残りである。

次回はHIV増幅のメカニズムである。