概要
ラ・グーマの第2作目の物語『三根の縄』(1964年ナイジェリアムバリ出版社刊、のちに日本語のタイトルを『まして束ねし縄なれば』と改題)の作品論です。
第1作『夜の彷徨』では、夜と黒のイメージを使ってアパルトヘイト下での第6区の抑圧的雰囲気を醸し出しましたが、今回は雨と灰色のイメージを利用して惨めなスラム街の雰囲気をうまく伝えています。ラ・グーマが敢えて雨を取り上げたのは、政府の外国向けの観光宣伝とは裏腹に、現実にケープタウンのスラムの住人が天候に苦しめられている姿を描きたかったからで、世界に現状を知らせなければという作家としての自負と、歴史を記録して後世に伝えなければという同胞への共感から、この作品を生み出しました。
聖書の伝道之書の「もしその一人を攻め撃たば、二人してこれにあたるべし、三根の縄はた易く切れざるなり」に準えて、自ら虐げられながらも、他人への思い遣りを忘れず、力を合わせて懸命に働き続ける人々の姿を描いています。
*発音記号はThe sounds of English and the International Phonetic Alphabet …を参照下さい。()
本文
「三根の縄」
聖書・・・・・・『三根の縄』では、『夜の彷徨』のシェイクスピアに次いで、ラ・グーマは聖書を借用し、伝道之書第4章の9節から12節をエピグラフに掲げた。ダビデの子、イスラエルの王である伝道者が世の中の抑圧について語る第4章は次のように始まる。
ここに我身をめぐらして、目の下に行われる諸々の虐げを視たり。ああ虐げらるる者の涙流る、これを慰むる者あらざるなり。また、虐ぐる者の手には権力あり。彼等はこれを慰むる者あらざるなり。
ラ・グーマの目には、この1節が南アフリカの現実と重なったのであろう。独りでいることの辛さについて伝道者が触れたあと、エピグラフに用いられた次の4節が続く。
二人は一人にまさる。其はその骨おりのために善き報いを得ればなり。
即ち、その倒る時には、ひとりの人そのともを助け起こすべし。然れど、ひとりにして倒る者はあわれなるかな、これを助け起こす者なきなり。
又、二人とも寝ぬれば温かなり、一人ならばいかで温かならんや。
人もしその一人を攻め撃たば、二人してこれにあたるべし、三根の縄はた易く切れざるなり
タイトルの『三根の縄』はその12節から取られており、この「三根の縄」に準えた人物を中心に物語は展開される。
「三根の縄」の人間関係を支えるのは相手を思いやる心遣いである。「大切なブランシに本書を捧ぐ」という献辞にもその思いが込められている。それは、自ら虐げられながらも、他人への思い遣りを忘れず、貧しい人々の間で懸命に働き続ける妻に寄せるラ・グーマの共感でもあろう。本書とブランシヘの思いをラ・グーマは振り返る。
この物語をラブ・ストーリーにしていたという可能性もありますが、それとは別に『三根の縄』の中で表現されている思いがすべて、妻ブランシと貧しく虐げられた人々への気持ちに何か係わりがあると思います。さらに、ブランシは地域の貧しい人々の間で助産婦や看護婦として多くの時間を費やして来ました。ですから、ブランシには私が何かどこかで触れるだけのねうちがあると信じています。
ラ・グーマが本書をラブ・ストーリーにしなかったのは、歴史を記録したい、真実を伝えたいという気持ちが強かったからである。その意味では、本書は『夜の彷徨』の続編でもある。ただし、ラ・グーマはケープタウンの市街地の第6区からケープタウン郊外のスラム街に舞台を移した。本書のねらいについてラ・グーマは語る。
再び歴史を記録する、状況を書き留めるという問題です。この本は、それがソウェトであれ、アレキサンドラタウンシップであれ、クックブッシュであれ、南アフリカの特徴的な情景とも言える郊外のスラム街についての物語です。それはその地域の生活の一場面でもあり、その写真のひとコマでもあるのです。
更に補足してラ・グーマは言う。
付け加えると、私はある段階でこの本がラブ・ストーリーになると考えていました。作家は誰でもいつかはラブ・ストーリーを書きたいと望むようですし、私にも絶えずその気持ちはあります。しかし、全般的に見て、この本は本当の意味でのラブ・ストーリーではなく、ある特定の家族とその仲間のつき合いから照らし出される、人々の極く普通の生活の記録であると私は考えています。
父・母・・・・・・ラ・グーマは「三根の縄」の人間関係をすべて、母親を軸に展開させる。厳しい抑圧の中での、生活を支える女性の役割を強調したかったからである。自分の母親を回想して「あの人は親切で心の寛い母親であり、献身的な妻でもありました。そして、第6区の他の女性たちのように辛い日常の生活の雑事をやりこなしていました」とラ・グーマは語る。アパルトヘイトと闘う男たちを支え、子供を育て、黙々と日々の雑事をこなす母親やブランシの存在の大きさをラ・グーマは充分に承知していたのである。
「三根の縄」の人間関係の基調は他人への思いやりである。本書では特に、身近な人を大切にする気持ちをラ・グーマは中心に据えた。
朝方、母親が弟ロナルド (通称ロニー) をからかうチャーリーをたしなめるのも、チャーリーと母親が父親への不満をこぼすロニーを諭すのも、或いはチャーリーが釘を打たずに石を置いて屋根に応急処置を施すのも、すべて病床で苦しむ父親への配慮からである。
ラ・グーマは物語の中で、父親に直接喋らせることはしなかった。従って、読者に聞こえてくるのは、病床からの咳ばらいや呻き声ばかりである。それだけに、父親の様子を描くくだりは哀れをさそう。
骨だけになった両膝が掛け蒲団の下で山がたに盛り上がり、小さな地震のように震えていた。壁の隙間や古い釘穴から吹き込んで来る隙間風と病のせいで、ベッドの中で全身がぶるぶると震えていた。歯の抜け落ちた口が開き、痩せさらばえた胸からは、やかんのように、ぜいぜい、すーすーと音がして、からだ全体が機械仕掛けのオモチャのように揺れ動いていた。
「父さん、どう?」と問いかけるチャーリーに父親からの返事はなく、次に続く。
空ろな目をチャーリーの方に向け、浜辺に打ち上げられた魚のように、口だけをぱくぱくさせた。一人の患った老人が、いのちの崖っ縁に脆い爪で懸命にしがみつき、何とか持ちこたえようとしている。
チャーリーは父親に目くばせをしながら、「父さん、そのまま。休んでてよ」と言い残してその場を離れるしか術がなかった。
ラ・グーマは父親の咳ばらいや坤き声に喋る以上の働きをさせたわけだが、それが可能になったのも、家族の父親に対する思いやりがあったからである。家族の父親に対する思いやりは、父親の死と葬式を通して更に印象づけられて行く。
ラ・グーマは小屋の出来上がった経緯を語る中で父親の人となりに少し触れていたが、その死と葬式を通じて父親フレデリック・ポールズが如何にかいがいしく働いて来たかを明らかにする。
一家の主の死に際してうろたえなかったのは母親レイチェル・ポールズである。検死の医者や葬式の手配などを済ませてから、死者にとっておきの真新しい下着を着せた。生前から死者が望んでいたのだが、手厚く葬ってやることが死者への最善の供養になると信じていたからである。苦しい家計の中から、葬式に備えて幾何かの積立金を工面していたのもその気持ちのあらわれだった。
うろたえこそしなかったが、チャーリーに語りかけた言葉の端々に伴侶への思いや悲しみが滲む。
おまえの父さんは逝ってしまった。もう二度と戻っては来ないんだよ。おまえの父さんは良い人だった。みんなが食べていけるようにずっと働きづめだった、あの人は私に子供たちを授けてくれ、みんなが大きくなるのを見守ってた。あの人は私にも子供にも良い人だった、そして神様を信じていたよ。あの人はただ生きて、働いて、神様の目にとまるような悪いことはこれっぽっちもしなかった。家族のために働き、もうこれ以上は働けなくなったとき、横になって、神さまが来て天国に連れて行って下さる時を待ったんだよ。今、あの人は神さまのもとへ行っちまった。病気に苦しむこともなく、お腹をすかせることもなく、仕事から解放されて休みに行ったんだよ。イエス様のように、あの人はいつも十字架を背負っていたけど、今やっと、肩から背負っていた荷物を降ろしてもらえたんだよ・・・・・・。
母親は夫の臨終の委細を死亡証明書を書いてくれた隣人のンズバにしんみり語って聞かせる。
静かな死に際でした。私はすぐそばについてました。あの人、昨夜のスープを少し飲んで、それから私を見て「レイチィ」って言いました。あの人いつも私のことほんとそう呼んでいましたよねえ。「子供らは大丈夫か?」って聞くんです。それで「そりゃ、父さん、子供たちは大丈夫ですよ、心配しないでいいよ」と言ったら、又「ワシはみんなにもっとましな家に住まわせてやりたかったよ、あんな瓦屋根の家になあ・・・・・・」って言うんです。だから私、「まあなんてことを、家のことは気にしないで」と言ったんです。するとあの人、私を見て目を閉じました。それからタメ息みたいなのをついて、次に喉をぐるぐる鳴らしました。そうして死んで行きました。
ラ・グーマはそのように語る母親の様子を次の1節で締めくくる。
涙をこらえたしわかれ声が続き、両肩が震えた。母親ポールズの目に涙こそなかったが、言葉が母親の涙だった。
母親の言葉から、父親が家族のために黙々と働き続けた末に体をこわしたことを知る。そして、苦しみの病床でさえ愚痴一つこぼさず、ひたすら子供たちを気遣いながら死んで行った父親の姿がありありと目に浮かぶ。父親が来る日も来る日も天井のしみを見つめながら最後に、子供たちを瓦屋根の家に住まわせてやりたかった、と言い残して死んで行く話を聞かされるとき、その無念を思わずにはいられない。同時に、日々衰えゆく夫をそばに見ながら医者を呼ぶ金もなく、むなしく薬草を煎じて飲ませてやるしかなかった母親への同情も禁じ得ない。そして、その思いはそんな惨状を生み出したアパルトヘイト体制へと及ぶ。
子供たちと夫に尽くし続ける母親、家族のために働き、家族を思いながら死んで行った父親、生来の楽天的性格で陰ながら両親を支え、思いやるチャーリー、そんな親子の関係を通して、ラ・グーマは「三根の縄」の貴さを見事に描き出している。
伴侶・・・・・・父親と母親のいたわりの世界を引き継ぐのはチャーリーと恋人フリーダである。ラ・グーマはその2人と母親に、もう一つの重要な「三根の縄」の役割を演じさせた。チャーリーは未だ定職に就けずぶらぶらしてはいるが母親の信頼は厚い。
フリーダは2年前に夫を亡くし、今は白人の所でメイドをしながら懸命に2人の子供を育てている。現実の厳しさを感じながら暮らしている母親にはフリーダのひたむきさが理解出来る。そんなフリーダを暖かく見守ってやれるチャーリーの姿勢も痛い程わかるのである。2人がいずれ結婚すると母親は信じており、2人を見つめる目は温かい。
その点では、弟ロニーと相手スージィに対する見方とは対照的である。チンピラ連中といざこざの絶えないロニーと尻軽なスージィヘの母親の目は厳しい。
ラ・グーマはフリーダを軸に2つの事件を通してアパルトヘイトの惨状を物語る。
1つは警察の手入れである。事件はチャーリーがフリーダの家に泊っている夜に起きた。夜中の突然の侵入者に子供たちは怯え、フリーダは身構える。尋問から2人が夫婦でないのを知った警官の1人は「この黒んぼ淫売め」と捨てぜりふをして帰って行った。
ラ・グーマは前章で、パス法の手入れで交歓現場に踏み込まれた男を描いていた。男は裸同然の姿で手錠をされて引き立てられながら「どうしてこんなことするんだね。同じアフリカ人にどうしてこんなことするんだね」とアフリカ人警官に訴えていた。そして今、手入れがチャーリーとフリーダに及ぶのを見て、アパルトヘイトという怪物の前ではチャーリーの優しさも打ち砕かれ、愛しい子供たちや恋人さえ守ってやれない現実を思い知らされる。
更に、ナイトガウンを引っ掛けて手入れ騒ぎを見に出た男が家の前で捕えられ「パスは家の中にある!」と叫びながら連れて行かれる光景からは、シャープヴィルの虐殺事件が思いおこされる。あの人たちはこのパス法に抗議して集まったのである。その群衆に向かって、白人警官は無差別に発砲した。
南アフリカの子供たちは、フリーダの子供のように、幾度となく恐怖を味わい、感性を切り刻まれながら大きくなっていく。人々は日々の暮らしの中で、人間としての誇りを傷つけられ、絶えず脅かされながら生きることを余儀なくされる。あの虐殺事件ですらそんな日常の単なる延長でしかないのである。ラ・グーマはチャーリーとフリーダの思いやりの世界を背景に警察国家の暴虐をうまく伝えたことになる。
もう1つの事件は、フリーダの小屋の火事である。フリーダが買い物に出かけた隙に子供の1人がストーブを倒して火事は起きた。主に段ボールからなるその小屋は火のまわりが驚くほど早かったうえ、フリーダが外から鍵をかけていたから子供ごと瞬く間に燃え尽きてしまった。途中、男が2人を助けに入ろうとしたが、火力が強くて近寄ることさえ出来なかった。駆け戻ったフリーダは半狂乱になる。
叫び声や残り火のパチパチいう音に混って別の声が聞こえて来た。それは最初咽び声だったが、次第に金切り声になり、やがてぞっとするほど低い呪文のような泣き声に変わった。それはどこかの未開人が行なう忌まわしい死の儀式かとまちがえるほどの恐しい阿鼻叫喚図絵だった。それは高く神経を掻きむしるような泣き叫びになった。その声は単なる叫び声や金切り声以上のもので、あり得ないほどの悲しみの声、苦悶を通り越した声、範ちゅうを越えた佗しく耐えられない程の悲痛な叫び、貫き抜けた悲しさであった。それはフリーダだった。
火事は確かにストーブが倒れて起きたのだが、いつ火災が起きてもおかしくない状況である。床は牛糞などで固めてならされ、安物の油紙が敷かれている。しかし、その地面は油紙がはがれて今は平担でない。足のとれたストーブがマッチ箱を支えにしてその床の上に置かれているが、最近はつまってどうも調子が芳しくない。段ボールに紙を貼りつけた壁には所々広告の印刷の文字が見える。低い天井には古ぼけたランプが吊されており、出入りの度に小屋が揺れる。手入れの時には警官がドアを叩いたので小屋全体が激しく揺れた。こんな状態だから今まで火事にならなかった方がむしろ不思議なくらいである。
しかしながら、ラ・グーマはフリーダの小屋を特別なものとして描こうとしたわけではない。むしろ、ありきたりの小屋として取り上げたに過ぎない。フリーダの小屋も、大部分拾いものの段ボールや屑鉄などで建てられたまわりの小屋と大差はない。拾ってきた壊れかけのストーブでも真冬には必需品となるこの辺りの小屋の住人には、フリーダの叫びは個人を越えた、言わばその地域の人々の叫びである。そしてフリーダの小屋の火事は、その人たちの悲惨な住宅事情や劣悪な生活環境の象徴と言えるだろう。
ラ・グーマは先の手入れ事件では、官憲の横暴により人格を挫かれる人々の精神面を強調したが、フリーダの火事では、惨めな生活環境を強いられて苦しむ人々の物質面に焦点を合わせて、アパルトヘイト体制の生み出す惨状を描き出している。
妹・・・・・・もうひとつの「三根の縄」の役は、チャーリーと妹の、キャロラインと母親で演じられ、ラ・グーマはキャロラインの出産をその軸に据える。人々の日常生活を描こうとするラ・グーマには死や葬式と並んで出産が重要な意味合いを持っていたからである。
キャロラインは17歳で出産を間近に控えているがまだ頼りなく、18歳の夫アルフレッドと共に支えが必要である。父親が死んだ今、チャーリーが父親代わりだが、展開の中心はここでも母親である。産婆が間に合わず、駆けつけてくれた隣人ンズバの手を借りて母親は娘の出産を無事済ませる。
ラ・グーマが出産を通して強調したかったのは出産の状況のひどさである。アルフレッドから産気づいたとの知らせを受けて母親が駆けつけた時、娘は床のマットレスの上で毛布を掛けて横たわっていた。オイルランプの火は薄暗く、戸口の所に溜っていた天井からの雨もり水が床を流れ始めていた。しかし、母親に出来たことと言えば、持参のランプを吊り、娘の気持ちを落ち着かせ、雨もりの個所に水差しを置いてから、用意させていた新聞紙を腰の下に敷いてやるくらいだった。あとは産婆を待つしかなかった。
部屋の状況のひどさを印象づけるのにラ・グーマはキャロラインの叫びを聞いて駆けつける白人警官を登場させた。叫び声が酔っ払いによるものだと思い込んで手入れに来たという設定である。娘のお産だと言い張る母親の言葉を信じない白人警官は無理やり小屋を覗き込む。
その瞬間キャロラインは叫び声を上げた。警官は「何てことだ」と言い、母親ごしに小屋の中を覗き込み、マットレスに横たわっている娘にンズバの大きな体がかがみこんでいるのを見た。煙った天井、泥まみれの床、天井の雨もり、大売り出しの時に並べられたようなぼろ布を見ながら警官は目をきょろきょろさせた。けむりとランプ油と出産の臭いが入り混って室内はたまらなく臭かった。
再び警官は「赤ん坊?何、ここでか?」と言い、それから肩をすくめて低い声で「わかった、分った」と言った。警官が向きを変えて部下に鋭く命令を出している最中に、母親は目の前でぴしゃりとドアを閉めた。
かつてキャロラインは、父親とチャーリーが小屋を建てるのが間に合わなくて鶏小屋のような場所で生まれた。そして今、キャロラインはこんな惨めな場所で子供を産んだ。おそらく、アパルトヘイト体制が続く限り、キャロラインの子孫もまた、いずれ同じ運命に晒されるだろう。
母親を軸に、親と子、やがて結ばれる2人、兄と妹という3組のいたわり合いを通じて、ラ・グーマは「三根の縄」の重要性をもの語った。
孤独な人々
「三根の縄」の重要性をより印象づけるために、ラ・グーマは人を信頼できず孤独な生き方をする人物像を対照的に持ち出した。伝道之書第4章9-12節の「三根の縄」とは極めて対照的な同章8節にあるような孤独な世界で苦しむ人々である。
ここに人あり、只独りにして伴侶なく子もなく兄弟もなし。然るにその労苦はすべてきわまりなく、その目は富に飽くことなし。かれまた言わず、ああ我は誰がために労するや、何として我は心を楽しませざるやと。是もまた空にしてほねおりの苦しきものなり。
ロニーとロマン・・・・・・ラ・グーマは孤独な生き方をする3つのタイプの人物像を登場させる。一つは『夜の彷徨』で克明に描き上げたタイプで、いつも不満を持ち、街にたむろして無為な時を過ごしている類の不良連中である。尻の軽いスージィをめぐって争ったロニーとロマンがこれにあたる。
ロニーはチャーリーの忠告に耳をかさず、白人モスタートに身を売ったと邪推してスージィを惨殺して刑務所行きになる。
ロマンは妻子がありながら女を追いまわしたり、盗みで刑務所入りしたりする日々が続く。11人の子供を常に飢えさせており、妻子には烈しく暴力を振う。
両者は何事に対しても刹那的で、自己の欲望を満たすことに窮々としており他人を思いやれない点で共通している。ロニーがスージィを殺したのも自分の思い通りにならない女への苛立ちからである。又、ロマンが妻子に暴力を加えるのも弱者を虐めることで自分の不満を解消しようとしたからである。虐げられながらも他人への思いやりを基調に結ばれた「三根の縄」の世界とは対照的である。
アンクル・ベン・・・・・・2つ目は厳しい世の中にすっかり諦観を抱き、酒などの逃避手段に溺れてその日を暮すタイプで、叔父のベンがそれにあたる。ベンは、病気の義兄や家族のことで悩む姉を気使う優しさを持ちながらも、僅かの稼ぎを殆んど酒代に替えてしまう生活を改められないでいる。持参した安ワインを酌み交しながら、深酒への忠告をしてくれるチャーリーに、そのやる瀬ない心境をベンは語る。
それがどうしてだがワシにもわからんのじゃよ、チャーリー。人はつい酒に手を出してしまうんじゃ。じゃが、ワシの場合、何かにせかされて飲む、飲む、飲むのようじゃ。チャーリーよ、どこかの悪魔が無理やりベロベロになるまで人に酒を飲ませ続けるんじゃよ。悪魔なんじゃ、なあ。
チャーリーが友人の言葉を借りて「もし貧乏人たちが協力して世の中の富を分かち合えば、誰も、貧しい者はいなくなるよ」と社会のあり方を説いてみても「そりゃアカの言うことじゃよ。政府に反対する話じゃ」と全く取り合わない。その生き方の姿勢はおそらく死ぬまで変わらないだろう。
友人のことを思い出しながら、チャーリーが傷心のフリーダにしんみり語りかける次の言葉は、他からはどうもしてやれないロニーやベンヘのやる瀬ない思いと「三根の縄」の貴さを教えてくれる。
あいつの言うように、人は世の中でひとりではやっていけず、みんなで力を合わせることが必要だ・・・・・・たぶんロニーの奴の場合もそうだったよ。ロニーは人に助けてもらいたがらなかった。何でもひとりでやりたがった。決してオレたちと一緒じゃなかった。わからないが、たぶんベンおじさんも同じだろう。人がひとりでいるのは自然じゃないよ。
ジョージ・モスタート・・・・・3番目は妻に逃げられ佗しいやもめ暮らしをする白人ジョージ・モスタートである。スラム街に隣接するさびれたガソリンスタンドを営むモスタートはスラムの住人と接する機会が多い。自分の佗しい生活と比べて、貧しいながらもスラム街には何か生気が感じられて仕様がない。屑鉄などを与えた縁で知り合ったチャーリーのパーティヘの誘いに乗る決心をしたのも孤独な生活の佗しさからだった。しかし1度は出かけたものの、結果的には途中から引き返してきてしまった。「集団地域法」に触れるのを恐れたからである。又、心は揺れながらスージィの甘い誘いに乗れなかったのも「背徳法」が恐かったからである。結局は1人の世界から1歩も踏み出せないで苦しむモスタートもやはり、アパルトヘイト体制の犠牲者のひとりなのである。
各人各様に苦しみながらも孤独な生き方をするしかないその人たちの存在は「三根の縄」の重要性をより印象づけている。
雨
闘いの中から生み出された『三根の縄』がスローガンではなく、すぐれた文学作品であるのはラ・グーマの文学的手腕による。
ラ・グーマは「三根の縄」の関係をさらに印象づけるのに、冬のスラム街に容赦なく降り注ぐ雨を持ち出した。
『夜の彷徨』でラ・グーマは、夜と黒のイメージを使って第6区の抑圧的雰囲気を醸し出したが、今回は惨めなスラム街の雰囲気を作り出すために、雨と灰色のイメージを利用した。
ラ・グーマが敢えて雨を取り上げたのは、政府の外国向けの観光宣伝とは裏腹に、現実にスラムの住人が天候に苦しめられている姿を描きたかったからである。
次のインタビューからそんな真意が汲み取れる。
暫く前に、なぜいつも私が南アフリカの天候について書くのかと尋ねられました。たぶん、1つには天候がその雰囲気を作り出す役割を果たし、実情などを描き出す助けとなっているからです。又、この国がとてもすばらしい気候の国だという政府の観光宣伝を海外の人が信じているという事実もあるからです。私にはその気候を南アフリカの1特徴として使えたらという考えもありましたが、同時に象徴としての可能性から見て、最も南アフリカ的なものにしたい、或いはしようとする考えもありました。言い換えれば、私は自然美を謳う政府の観光宣伝とたたかい、美しいゴルフ場だけが南アフリカのすべてではないことを世界の人々に示そうとしているのです。
ラ・グーマは物語を雨で始め、雨で終える。しかも、主題に係わる事件はすべて雨に絡ませ、雨のイメージで物語全体を包み込む。まえがきでバンティングが言うように『三根の縄』は「ケープの冬の湿り気と惨めさに濡れそぼり、その灰色と佗しい色調をラ・グーマは一連の絵画的、散文的銅版画」で捕えている。
第1章遠景・・・・・・山々を背景にひかえ、海に面した町の遠景から先ずラ・グーマは書き始める。次に映画のクローズアップ手法さながらに、国道や鉄道線路脇のスラム街をゆっくりと写し出して行く。
南半球の7月はもう冬、木々は既に落葉し、重くたれこめた暗雲は、雨の気配を漂わせる。最初は細やかな霧雨が地面に湿り気を与えるだけだが、雨はやがて本降りとなり、見渡す限り灰色の世界が広がる。ラ・グーマは次の言葉でその冬景色を語る。
太陽は遮られてどんよりした灰色の世界が広がり、昼には不似合いなじめじめした薄明かりがさしていた。雨は突然の烈しい風で再び始まり、断続的な大粒の雨でその世界を垣間見せた。それから、雨脚は次第に一定となり、容赦ない本降りの雨となる。それは灰色一色の世界だった。
あくまでも静かな書き出しである。第1章には音に関する表現が殆んど見当たらない。殊に、全体を通してあれほど多く使われている擬声語が皆無である。視覚に焦点を置き、特に雨の灰色のイメージをラ・グーマはまず読者の心に植えつけたかったのであろう。それはまさしくこれから始まる騒々しい物語の「嵐の前の静けさ」を象徴している。
第2章小屋・・・・・・チャーリーは雨の音に起こされる。第1章とは対照的に音に関する表現が多い。自然音を模した擬声語が書き出しだけでも、ヒュッ (hissing)、パラッ (rattling)、ドオッ (roar)、ポトポト (drip-drip)、ポツポツポツ (plop-plop-plop) などと多彩だ。雨が小屋に当たって様々な音を発するからである。小屋は拾ったり、盗んだり、或いはもらったりした材料で建てられており、錆びたトタン板や石油缶、段ボール紙などから出来ている。瓦屋根の家なら余程の雨が降らない限りそれほど音はしない。つまり、雨の音は小屋の貧しさの象徴なのである。
雨脚が弱ければその音はポタッやポトッであるが、ひどくなればポタ、ポト、ボタ、ボトにかわる。チャーリーが雨漏り水を缶に受ける一光景はこうだ。
チャーリーは天井から落ちて来る雫の下に缶を置いた。ポツポツ (plop-plopping) が金属に当たることで、突然小さなバシャン (rumbling) に変わり、次第に鈍いポトン (tinkling) になった。
3つの擬声語に含まれる流音こは雨漏り水の流れ落ちるさまを、plop (ポツ) の2つの無声破裂音pは雨水が床に当たる澄んだ階音を、rumbling (バシャン) の有声破裂音bは缶の中にこもる軽い金属音の感じを、tinkling (ポトン) の無声破裂音kは缶の中に溜った水の表面に雨水が落ちる際に発するリズミカルな快音をそれぞれ言い写している。又、語尾の鼻音 [N] はその音が余韻を残して響く様子を、更に別の鼻音 [m]、[n] との繰り返し音 (rumbling [rV’mbliN]・tinkling [tiNkliN) は、その音の短い楽音的な響きをうまく言い当てている。家族がまだ眠っている静かな部屋の中では、それらの響きがより広がりと余韻をもつ。3つの擬声語は短いながら、室内のそんなイメージを伝える働きをしている。
風が烈しくなれば、雨の音も大きくなる。同じ章に次のような別の光景がある。
外では風が再び烈しくなり、小屋に雨を叩きつげ、暫くの間トタン板にバシャ(rumbling) という音がした。それから風向きが変わって風は止み、それまでのパラッ (rattling)、ポタッ (tapping) という低い音が消えた。
Tap (ポタッ) には元来「そっと打つ」という含意があるから「低い」がなくても風の弱かったことはわかるが、この場合、rumbleとrattleの強弱、清濁の対比的使い方がおもしろい。雨の流れるさまを象徴的に示す両鼻音r, lにはさまれたmbと辞の対比である([rV’mbl]・[rA’tl])。
烈しい風が雨を小屋に叩きつける濁った鈍い音と弱い風による小さな雨の澄んだ軽い音の差を、余韻を残す鼻音mと濁った音を表わす有声破裂音bとの組み合わせmbと澄んだ音を示す無声破裂音pとの対比で言い分けたのである。先の場合と同じように、室内が静かなだけに雨の音はよけいに、響きの広がりをもつ。
又、同章には、ヒュッ (hiss) を巧く使った光景がすぐあとにある。弟ロニーを起こしてしまったチャーリーがベッドに戻って座る場面である。
チャーリーは汚れた下着でベッドに腰を掛けた。もう1人の弟のジョー二ーは、顔を壁の方に向け、中身の出かけた古い掛けぶとんから刈り込んだ黒い頭だけを見せて眠っていた。雨が家に当たってヒュッと音を立てた。(hissed)。
Hiss (ヒュッ) は短い言葉だが、両摩擦音h, sで雨の叩きつけられる激しいイメージを、短母音iでその速さ、鋭さを象徴している。ラ・グーマは静かな小屋の雰囲気と対照的なそのイメージを短い動詞1語で簡潔に言い当てている。
数えあげればきりがないのだが、ラ・グーマは直接的、感覚的な感じを与える擬声語を駆使することによって、雨に苛まれる人々の実状を鮮明に、聴覚から訴えかけていると言える。
雨は小屋に騒音をもたらすだけではない。雨の湿気が小屋内の悪臭を助長する。じめじめした小屋は一種の臭いの溜り場と化す。そんな臭いに関する1節もある。
室内にも又、臭いがこもっていた。汗、毛布、むっとする寝具の臭いがしみこんで、どこからともなくすえた食べものとこもった湿気、それに濡れた金属の悪臭が漂っていた。
それは貧乏の臭いであり、スラム街の別の象徴的存在でもある。哀しいことに、小屋の住人たちはその臭いが気にならないほど慣れてしまっている。
第1章でラ・グーマが視覚に訴えているとすれば、第2章では聴覚と嗅覚に直接訴えかけていることになる。
雨・雨・雨・・・・・・父親の臨終、2つの手入れ、キャロラインの出産、ロニーのスージィ惨殺など、既に触れたように主だった事件ではすべて雨が降っていた。
例えば、フリーダの小屋の手入れやキャロラインの出産では、雨がフリーダや子供たち、またキャロラインの、それぞれの不安を助長する一因となる。
そして、裸同然の姿で引き立てられて行く場面、スージィ惨殺の場面においては、状況の苛酷さが雨によって増幅されている。
終章 小屋・・・・・・第2章と同じ書き出しで始まる第28章もやはり雨で終わる。灰色の世界である。火事で2人の子供を亡くしたフリーダを今は亡き父親のベッドに休ませて、母親とチャーリーがやさしく慰める。
ある友人のことを思い出しながらチャーリーはフリーダに語りかける。
ある時あいつは、人間は大抵ひとりの時に問題を起こすもんだ、というような意味のことを言った。それが今にピッタリかどうか分からない。そのことを俺がはっきり解っているかどうかもわからない。でも、あいつの頭にゃ、いいことが一杯詰まってたと思うよ。
あいつの言うように、人は独りではやってけないのさ。力を合わせなきゃ。あいつは正しかったと思うよ。かしこい奴だった。
外では烈しい嵐が吹き荒んでおり、その様子をラ・グーマは次のように描く。
雨は土台を掘り起こし、表面の土をさらった。そして継目が口を開け、外の壁が騒々しい音を立てた。家はたわんで倒れそうになり、歪んだひし形に形を変えた。雨は庇のところで、ゴボゴボ、ブクブタ、タツタツと音を立て、天井に沿って水銀のように流れた。下では、貧しい人々が吹いて缶に火を起こし、容赦ない雨のなか、悪寒に震えてうずくまり、歯をガタガタ鳴らせながら、肩を寄せ合って暖を取った。
吹き荒ぶ外の嵐はアパルトヘイト体制を死守する白人政権の暴挙を連想させる。又、土台を掘り起こされ、倒れそうになりながらも嵐に耐える小屋の姿は、白人でない人々の社会的立場を暗喩する。その小屋の中で寒さに震えながら肩を寄せ合って暖を取る光景は、アパルトヘイトの嵐の中で何とか生きのびている南アフリカの人々の姿の象徴でもある。
ラ・グーマは雨のイメージをうまく利用して、視覚から、聴覚から、そして嗅覚から直接的に読者の感性に迫っている。
ラ・グーマの思い
世界に現状を知らせなければという作家としての自負と、歴史を記録して後世に伝えなければという同胞への共感からラ・グーマは『三根の縄』を書いた。62年から63年にかけてのことである。以来、4半世紀の歳月が流れたにも拘わらず、現状は基本的に何ら変わってはいない。
昨年の春に来日した、マンデラの同僚オリバー・タンボ現ANC議長は、63年モシで開かれた第3回アジア・アフリカ人民連帯会議で日本代表団に申し入れたと同趣旨の内容を日本各地の講演で訴えた。
今春開設された宮崎県立図書館に設けられた<国際コーナー>には、東京にある南アフリカ観光局 (South African Tourism Board) 寄贈の本や地図が並べられている。すばらしい「南アフリカ共和国」を強調する写真入りの美しい装丁で、20数年前にラ・グーマが雨のイメージを用いる動機となった政府の観光宣伝用と同じ類のものである。
84年から3年余り、記者としてヨハネルブルグに在駐した伊高浩昭氏は『南アフリカの内側』の中で次のように記している。
白人政府は1955年、ケープタウンを中心とするケープ西部の商工業地帯を、カラード雇用優先地域に指定した。雇用主は、カラード労働者を補充できない場合に限って黒人を雇うことが認められた。この地域での黒人用住宅の建設は同年、中止された。
それから20年後の70年代半ばには、20万人を越える家のない黒人たちがケープタウン郊外に住みついていた。この事実を背景にして、81年に「不法居住者」問題が改めて浮き彫りになった。
ケープタウンの東方20キロの荒地に、ダンボール、ナイロン、トタン、木の切れ端などで掘立小屋が立ちはじめた。小屋はキノコのように次々に現われ、いつしか荒地を埋め尽くしてしまった。81年7月のこと、荒れ地の名はンヤンガ。
『三根の縄』の中に描かれたスラム街の再現である。かつてラ・グーマによって描かれた世界が、現にそのまま南アフリカで繰り広げられているのだ。
ラ・グーマは次の1節で『三根の縄』を終える。
それから暫く、チャーリーは家の屋根や壁に激しくはね返る雨にじっと耳を傾けていた。そして、台所の方へ行き、止め金を引いて、戸を少し開けた。サッと風が吹き込み、雨がまともに顔に当たった。
チャーリー・ポールズはそこに佇んで降り頻る雨をながめていた。雨は地面をたたきつけていた。外の光は灰色をして、雨が心臓の鼓動のように絶え間なく降っていた。チャーリーが雨を見上げた時、驚いたことに、鳥が一羽、継ぎはぎだらけの小屋の屋根の間から、頭をまっすぐ、まっすぐにして、空の彼方めざして、突然飛び立って行った。
激しい雨のなか、大空に向かって鳥が飛び立つ印象的な締め括りは、チャーリーのその後の成長を暗に灰めかす。それは、極めて厳しい状況のなかでさえ、力を合わせて「三根の縄」の世界を築き上げれば必ず何とかなるさ、というラ・グーマ流の楽観から生み出されたものである。そこに絶望はない。
かつて「あなたにとって写実的表現とはどんな意味を持っていますか」と聞かれた時、ラ・グーマは次のように答えた。
自らの観点を投影する流儀を自分で選ぶ創作において、作家は好きならどんな手段でも選びます。私にとって写実的表現とは単なる現在の投影ではないのです。その進展状況の中で写実的表現を見るべきです、写実的表現には原動力が含まれています、活力や様々な直接的反応とつながりがあります。写実的表現によって読者に真実を確信させ、何かが起こることをほのめかす必要性があります。その目的は人の心を打つことなのです。
すべての政治活動を禁じられても怯むことなく、マンデラやビコとは違った局面で、その理想のために、ラ・グーマは自らの命を燃やし続けた。
「三根の縄」の世界は、単なる南アフリカだけの問題ではない。国を越え、時代を越えて、ラ・グーマのその思いは「人の心」を打つ。
「三根の縄」の貴さを言葉にくるんで残していったラ・グーマ。私たちはその魂の叫びを引き継いで、後の世に伝えていきたい。
1988年10月19日
*昨年10月のウォルター・シスルらについで、本年(1990)2月に、ネルソン・マンデラは釈放されました。
「ネルソン・マンデラが釈放された日」と題して稿を改めたいと考えています。
リボニアの裁判については野間寛二郎氏の『差別と叛逆の原点』(理論社、1969年) に負うところが多く、記して感謝したいと思います。
<終>
(宮崎医科大学講師・アフリカ文学)
執筆年
1990年
収録・公開
(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」17号6-19ペイジ