『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語(18)第18章 ナイセリア菌

2020年3月8日2010年~の執筆物

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の18回目です。日本語訳をしましたが、翻訳は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。

日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)

解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)

本文

『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―

(18)第18章 ナイセリア菌

ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)

第18章 ナイセリア菌

私は朝の生理的要求を満たすためにしゅっとズボンのチャックを開けました。最初はその感触に何となくはっきりとは確信が持てませんでしたが、すぐに間違いないと思いました。症状として間違いなく現われるひりひりとした特有な痛みが襲って来ました。イバダンで学生だった五年ほど前に、淋病にかかったことがありました。当時は、尿道に割礼を施されるまでは一人前の男ではないと自慢までしたものです。しかしながら、売春婦と遊びまわらず、素敵な女の子とデートをするだけの素敵な男なので、私は性感染症に感染するわけがないと信じるようになっていたので、今回の発病は訳が違いました。

ナイジェリアのイバダン市街

私が医者にかかる場合は、医療義務として治療のためにセックスをしている相手を連れて来ることが求められました。今の病気にはンデュクかムンビのどちらかが関わっていました。さらに悪いことには、もし二人のうちのどちらかが病気でなかったとしても、私が病気の仲介役をしたわけですから、二人ともおそらく既に感染しているでしょう。ムンビがモンバサに戻る前に、私は動かなければなりませんでした。

私はかなりのスピードを出してフォードエスコートKML721を走らせ、30分でンデルに着きました。顔を見れば昨日の晩もたくさん飲んだのだと分かりましたが、珍しくドクターGGは素面でした。

「やあ、ドクタームングチ。近頃ンデルはお忘れかな?」
「いいえ、ドクターGG。決してそんなことないですよ。」
「さあ、入りたまえ。嬉しい来客だな。おめでとう、今じゃ登録医師で、運伝までしてるとムンビが言ってたな。」
「そうなんです、ドクター。」私は娘の名前を聞いて、汗が噴き出て来ました。ムンビが父親とどれほどおおっぴらに私について話すかはわかりませんが、私とムンビには既に隠しごとができていました。」
「大丈夫かね?『床屋は自分の後ろ髪は切れない』というギクユの古い諺があるだろう?」と、その老人は、熱があるのではないかと私の額に手を当てながら聞いてきました。

「諺は知っています。だからこうして診てもらいに来たんですよ。どうも淋病みたいで。」
「おやおや、ドクタームングチ。淋病でこんなに大量の汗をかくんかね?戦時中の朝鮮やビルマ、ソマリアでも、セックスしたらすぐに感染したそうだ。ズボンを下ろしたまえ。」

両方の尻に相当痛い注射をし、これで何日かすれば元のしゃんとした体に戻ると保証し、容器半分ほどのアンピシリンを出してくれた年老いた医者の言葉に私は従いました。

ムンビが私と一緒にいたことをドクターGGるのが心配でしたが、私はムンビについては尋ねませんでした。自分の娘が私に性病を感染させたと知ったら、父親のドクターGGはどう思うのだろうか思いました。

「娘を治療した後だから、残ったのはこれだけだったんだよ。」

私はひどく腹を立てるところでした。と言うことは、この老人は私が治療に来た病気に自分の最愛の娘ムンビが関係していることを知っていたわけです。以降、二人はこの問題について二度と口にしませんでした。

運転して家に帰りながら、今回起こったことにとても恥ずかしい思いを感じていました。自分の性器が以前はなんとも無かったことを考えると、ナイセリア菌はムンビから来たものに違いありません。一番最近の女性との出逢いの場面がより鮮明に思い出されました。ムンビだけでなく、あの場にはンデュクもいたのです!

「ああ、なんてことだよ。医学研究生の偽善者ドクター・ムングチ、お前は一体何をやってるんだ?」と、私は声に出して罵りました。つい先日、性感染症の脅威という闘いに勝つために、マジェンゴの公衆トイレにコンドームの販売機を設置するという主張を強く支持したところです。

「ドクタージョゼフ・ムングチ、お前は自分の体のことを考えなかっただけでなく、鼠かハマダラカか他の危険な媒介動物のように二人の女性の病気の仲介役になってしまったのだ!」
私は独りで叫び声を上げ、こんなことは二度と起きないようにと願いました。これからはコンドームの使い方をきっちりと説明して使うように奨めたいと思います。

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ンデュクはがかんかんに怒りながら私の宿舎に入って来ました。あの二人プレーをしてから10日後、私がGGの診察を受けてから一週間後のことでした。ンデュクは文字には出来ない卑猥な言葉で私を罵りながら300シリングの請求書を私に投げつけました。

「ジョゼフ、あんた汚いわね?」
「何、どうして?」
「よくも性病をうつしてくれたわね。」
「ンデュク、聞いてほしいんだ……。」
「先ず300シリングの返金をしてもらいたいわ。」
「何のだい?」
「わかるでしょ、医者が淋病の原因はあんただと言ってるわ。」
「どうして僕が原因だと判断するのさ?」
「ジョゼフ、私はあんたを訴えるわ。」

訴えると脅されても、300ドルを返せと言われても私は)心配しませんでした。特に腹立たしいのはンデュクが向けた非難の矛先でした。

「しかし、君は肌の白い愛人と遊び回ってるよね?」と、私はンデュクがひどく嫌う話題を持ち出しました。
「白人には性感染はないわ。」
「何を言ってるんだよ?」
「ブラウンさんは素敵で、売春婦は買わないわ。」
「性感染症が白か黒かをどうやって知るんだい?」

二人は終わりのない遣り取りを始めました。私はお互いに矛先を向け合うことが二人に取ってどれほど無意味なものかを証明しようとしました。性病を私にうつしたのは君だと思ったが、もしそうでないとすれば残るのは一人だよ、と私はンデュクに説いて聞かせました。

「そう、あのモンバサの売春婦だったの?」と、ンデュクは叫んで、座ったり起き上がったりする度にいつもぎいぎいと音を立てるソファから立ち上がり、そのまま寝室に行きました。「性病がうつった人の服をここに置いとかないでよ!」と、ンデュクが言いました。あっという間に、ムンビのショーツとブラジャーとユーニスが置いて行ったワンピースを選び取って、ンデュクは暖炉の火の中に投げ込みました。

「だめだ、ンデュク、やめてくれ。」と、私はンデュクに頼みましたが、間に合いませんでした。絹の布地は既に縮み始め、私が暖炉から取り出した時には、ユーニスのワンピースには三つほどもう繕えないほどの穴が開き、ムンビの下着も半ば焼けてしまっていました。

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ある日、私はンデュクとムンビの比較をし始めました。恐ろしいことに、秘書のンデュクよりも売春婦のムンビの方に魅力を感じていました。ンデュクはわがままで、自己中心的で、口喧しい女でした。自分の世界だけが大切でした。それに引き換え、ムンビは素直で、愛らしく、聡明なうえに決して私をなじったりしませんでした。独特の言い方で、私を好きだと言ってくれました。ンデュクは私を大切には思っていませんでした。ンデュクにはイアン・ブラウンとその金が大事だったと思います!ムンビはひどく魅力的で、ベッドの中でも外でも一緒にいて心が安らぎました。反対に、ンデュクは場所によっては苦痛を感じました。うわべは堂々と服を着こなし香水の芳香を漂わせていましたが、ンデュクは下品で虚栄心に満ちていました。物質的にも精神的にも、過剰なほど私に期待を寄せ、私が期待に添えたことは一度もありませんでした。不思議なもので、ンデュクの愚痴や口喧しさが私にある効果をもたらしました。ンデュクに釣り合うように、更に高価な服を着るようになり、家具も年代ものを買うようになっていました。いつもブラウンの金のことを考え、金持ちへの憧れがじわじわと心の中に入り込んできていました。

ある日、そんな事に深く思いを巡らせている時に、ユーニスがドアを叩きました。会員になっているナイロビ・クラブに車を置き、そこから2, 300メートル南にある医師用宿舎まで、ユーニスは歩いてきました。
私はワンピースが燃えてしまった経緯を説明しました。ユーニスは落ち着いて事実を受け止めてくれましたが、原因も考えず服のような無生物に怒りをぶつける単純な女とは付き合わないほうがいいと、私に警告しました。ユーニスは本当に物分りの良い人でした。私を大切に思っていると言い、いつかそのことに気が付いて欲しいとも言いましたが、私は返事をしませんでした。

私の愛情はどこか他にあるはずでしたが、どこにあるかは分かりませんでした。ムンビといっしょでも、ンデュクといっしょでも、マインバの妻といっしょでもありませんでした。アイリーンは妹のような存在で、悩みを打ち明けられる唯一の人間でしたから、アイリーンといっしょでもありませんでした。かわいそうに、アイリーンは仕事にすべてを捧げ、心が寛く、人生に満足していましたし、父親の愛情と私との友情に幸せを感じていましたが、それでも、何が原因だか本人にも分からない満たされない性欲に苦しんでいました。信じられません。

ケニア周辺地図

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登録医師としてケニア中央病院に入った半年後に、ギルバートが死にました。希望もなく治療をして苦しんできた看護師や医師の間では、密かに祝杯が挙げられました。その時第20病棟で担当に当たっていたのはギチンガ医師で、四年半もの長い間ギルバートが懸命に病気と闘ってきたせいでしょうか、結果的にはとうとうギチンガ医師が手を出してしまったようです。安楽死や中絶とピポクラテスの誓いに関するギチンガの異論を理由に、病院の中央委員会はギチンガが不正行為をはたらいたのではないかという嫌疑を掛けました。ギチンガ医師は謹慎させられましたが、その後、調査で嫌疑を立証出来なかったために復職を許可されました。ギチンガ医師は、リバーロード診療所を担当しながら医療の日々をまた送ることが出来たので、謹慎中はこれまでに無く充実した時間だったよ、と私に言いました。KCHの登録医師として働いていたので、約束していたのに、ギチンガ医師のために働くことが出来ていませんでした。

アイリーンは、ギルバートが死んだ日に病棟を出たとき、ギルバートは非常に陽気で元気だったので、ギチンガ医師がギルバートを毒殺したと確信していました。アイリーンが訴えると、ギチンガ医師は目を丸くしてから、アイリーンに微笑みかけました。アイリーンの好きな、特別な温もりと感謝の気持ちが伝わって来る微笑みでした。ギルバートがランガタ墓地に埋葬されたあと、アイリーンは何日か泣きました。

ナイロビ市街

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執筆年

  2010年6月10日

収録・公開

  →モンド通信(MomMonde) No. 23

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