つれづれに:かき顛末記(2022年12月7日)

つれづれに

つれづれに:かき顛末記

 「のど顛末記」の続き、「かき顛末記」である。今回「日常」が乱れたのは喉をやられたのが直接の原因だが、1)干し柿の作業、2)ボイラーの故障、3)原稿の推敲、4)ブログの更新、5)畑仕事、6)妻の個展の準備が一定期間重なって、寝不足と運動不足になったことが遠因である。今後のこともあるので、確認しておきたい。今回は1)干し柿の作業についての「かき顛末記」である。

①今年の「つれづれに」と、②干し柿を始めてからの過去の「つれづれに」と、③西条柿、の3回に分けて書くことにした。

①今年の「つれづれに」

今年は生り年でたくさんの実がなった。500個近く生ったのではないか?去年が7個で、干し柿になったのは6個だった。生り年は隔年のようだ。一昨年は、採り入れて、へたを取り、洗って、剥いて、消毒して陽に干す作業がずいぶんと億劫になっていたが、去年ほとんど実が生らなかったせいか、多くても干し柿を拵えようという思いに傾いていた。小説の修作のつもりで「つれづれに」を書いているので、10月も毎日書いていた。その中に、柿の作業状況を書いた。写真も撮って載せた。「つれづれに」によると、10月18日に作業を始めている。11月2日の「日常」に書いたのが最後で、体調を崩して少し持ち直したときに、採って残っていた最後の柿を剥いて干した。それが11月10日だから、ずいぶんと引き摺っていたわけである。樹から採り入れたあと体調を崩して作業が出来ない間に、熟し過ぎて干せなくなった実を70個前後は畑に戻した。最終的に剥いて干したのは306個だった。以下が「つれづれに」に書いた内容である。

10/19→「畑も始めたが」

2022/10/18現在合計30個、作業継続中

 柿もそろそろ色付き始めた。今年は生り年で500個近くなったが、すでに風で落ちたり、変に熟して落ちてしまったりしたのが50個ほどはある。それでも結構な数の実が残っている。熟したのを剥いて干してはみたが、重さに耐えかねて枝の根元が千切れてぼとりと何個かが落ちてしまった。それでも何とか15個(↑)がもうすぐ食べられそうである。今朝新たに17個をとりこんで、剥いて干した。2個がじゅくじゅくで干せなかったが、15個(↓)は無事にぶら下がっている。これで30個である。

今からが干し柿の本番である。最終的に干しあがるのが何個になるか、数でも数えておかないと‥‥、作業が嫌で煩わしいというわけではないが、どうやらそんな流れになっている。幸い晴れの過ごし易い寒露特有の天気が続く。

前の写真、今は少し色付きかけている

 10/22→日1860」

 柿(↑、↓熟す前)が一気に色付いてきた。短い期間に作業をしないと実が崩れる可能性はあるが、先ずは5つずつである。先は長い。ずいぶんと気温も下がってきたし、雨が降らないでいてくれそうなので、何とか干し柿が出来そうである。生り年につき、お裾分けも充分、連絡があればいつでも送付可である。今年は暑さのせいか、熟し方がおかしいので、剥く時にぐちゃぐちゃになったり、吊(つ)るすための枝の支えの部分が重さで耐えられなくて落ちてしまう柿が50個ほどあった。それに比べて、今から取り込むのは例年通りの熟し方で、剥く作業も例年通りで、助かる。タスカルの原理である。

10/23→「南アフリカ1860」

 色付いてきた柿を昨日は夕方までの第1弾で35個、夜に第2弾で21個、合計56個剥いた。既に出来ていた15個と出来かけの15個を足すと86個まで行ったわけである。最初の15個は取り入れ、きれいに洗って熱湯消毒して拭いた。一部は大根とのなますになっている。「サラダ感覚で食べてね」「細かく千切ってヨーグルトに入れて食べたよ」と妻は言っていた。糖分を一定分しか摂れないのでたくさんは食べられないが、大事に食べようとしてくれている。「手間がかかってるからね‥‥」と言っていた。作業はまだ続く。

10/27→「ボイラー」

柿が色付いているのに、なかなか思うように剥いて陽に干せないでいる。一昨日15個を剥いてやっと116個(↓)になった。まだ200ほどありそうなので、熟しすぎて落ちてしまうまでに終われるかどうかは怪しい。

2022/10/25現在合計116個、作業継続中

 10/30→「『つれづれに』」

「つれづれに」を小説の修作に使うことになって毎日書いてはいるが、時たま書けない日がある(中略)もう一つの理由は干し柿である。生り年で300個~400個もなったようで、風で落ちたり、早熟で干しても落ちてしまったりして100個近くは干し柿にはならないが、それでも300個ほどはある。枝から採って、へたの部分を切って洗い、剥いて、消毒して吊るす、それだけの作業だが、なかなかの手間である。妻は「手作りやから、大事にしないとね」と言ってくれるが「足では作られへんもんな」と、毎回同じことを繰り返す。一生変わりそうにない。口が反射的に動く。「手作り」という言葉自体に違和感を感じるからなのか?「なんでもかんでも手作りをつけんでもええやろ」とでも言いたいのか?

昨日30個剥いて、やっと146個になった。最初の10個ほどはすでに大根なますになって、2回目の分がほぼなくなりかけである。こちらは吉祥寺の娘に甘酒と一緒に、第一号を送ることができた。50個ほどは完成まじかである。今日も今から昨日の晩に取りこんで、へたの部分まで作業が済んでいる30個を剥こうとしているところである。今日中に200個まで行ければと思ってはいるが‥‥。

2022/10/29現在合計146個、作業継続中

 10/31→「コンゴ1860」

苗を植えた7年後に生った唯一の柿(小島けい画)

 土日で65個を剥いて累計がやっと201個になった。すでに食べてなくなった分や出来上がったもの以外半分ほどを外に干している。今日は生憎曇り空で、太陽の恩恵は余りない。あしたは雨になっても夜には上がりそうだから、夜から作業の再開である。昨日の夕方に取り込んだのが50個足らずあって、まだ100個ほどが樹に生ったままである。何個か鳥が啄ばんでいるので、採るのも気が引ける。実を採ったあと落ちた葉を集め回らなくていいように、樹から葉を落としておくか?

2022/10/31現在合計201個、作業継続中

 11/2→「日常」

昨日は雨で柿も小休止だった。また再開である。陽が照っていないが、向こう1週間は雨マークがないので、無事に干し柿は出来そうである。数が多いので、干してある分を2階のベランダまで運んだ。途中で2個が落ちてしまい、へたの部分が千切れてしまった。生乾きの柿は充分に重い。運ぶのも一仕事である。下の場所は確保したので、またせっせと剥いて、消毒して、干すだけである。長男が「おれ干し柿大好きやでえ」と妻に電話で言ったらしい。「送ったろ」と、妻は決めたようだ。干し柿づくりを再開したので、今の家に来てからだから、宮崎に来てからいっしょに借家に住んでいた時は干し柿を作っていなかった。だから、長男が好きだと知らなかったわけである。

2階に移動した柿

 放っておくと「息をするのも面倒くさい」とため息をつくのに、「食べ物が薬だ」と思って努めて野菜を食べ、わざわざ拵えて甘酒を飲み、発酵食品を欠かさない。妻の個展の案内の返事の中に、病気の知らせが多い。身近な人がなくなった知らせもある。大変そうな人が多い。特に配偶者や親が癌になっている人は、ほんとうに大変そうである。もちろん私より上の世代の人では、連れ合いが自分を忘れてしまっている人もいる。「妻が老人ホームに入り丸一年が経ちました。半分は認知、半分は?面会に行ってもすぐ判ってもらえないのが寂しいです。他人ごとではない己こそ‥‥迷惑をかけないよう気をつけます」という90を越えた人の便りは、重い。日常が過ぎていく。

2022/11/1現在合計201個、作業継続中

 追伸:降らないと思っていた雨が降り出した。慌てて2階の分を部屋の中に入れたが、一本がどさっと落ちてしまった。3個が駄目になって、3個が支えの枝が折れている。雨に濡れたままだと、黒ずんでしまう可能性があるから、ドライヤーで乾かす作業が増えた。「向こう1週間は雨マークがないので、無事に干し柿は出来そうである」と書いた矢先だ。なんでもありである。

今の家に来てから暫くした頃、北側の花壇に柿の苗を植えた。桃栗三年柿八年と言われるが、その柿は七年目に一つだけ実をつけた。大ぶりの渋柿だった。二年目に三つ、三年目に十七個、それから百個近くと数が増えて行き、最近は実を数えなくなっている。たくさん生った次の年は実の数が格段に少ない。一年おきに生り年が来るようである。一昨年は二百個近くも実をつけた生り年だったが、去年は七個しか生らなかった。今年は300個くらいが実をつけていて、既に大きくなり始めている。このまま台風にやられなければ、干し柿作りの作業に追われそうである。

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すでにお裾分けもして、50個ほどが残っているだけである。一つ一つラップをして冷凍しておけば、長期保存が可能らしいので、今年から黴をはやさなくて済みそうである。これだけの作業だったので、体調を崩した遠因の一つになったのも無理はない。

来年何個生るのかはわからないが、当たり前のように柿を剥ける「日常」も有難いことの一つである。体調を崩して日常が乱れると、尚のことその思いは強くなるようだ。