つれづれに:南アフリカ1860年(2024年2月3日)
つれづれに:南アフリカ1860年
桜田門外の変で斃(たお)れた井伊直弼
日本でもアメリカでも1860年が歴史の大きな潮目だったが、南アフリカでは1867年だった。7年遅れである。(→「日1860」、→「米1860」)
1860年に大統領に選ばれたエイブラハム・リンカーン
南アフリカの歴史を辿(たど)ったのは、業績が大学の職を得る唯一の選択肢だったので、アフリカ系アメリカ人の作家リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)で書いていたが、急遽(きょ)南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマ(Alex La Guma, 1925-1985、↓)でも書くようになったからである。「ライトシンポジウム」でミシシッピ大に行ったとき、アメリカの学会「MLA」に誘われ、出来ればイギリス文学とアメリカ文学以外の英語で書かれた文学で発表してもらえたらと言われた。
小島けい画
アメリカの作家で引き受けたのに、アフリカの作家をと言われてもすぐに対応できないところだったが、→「黒人研究の会」の月例会で月に一度はアフリカ研究の発表を聞いていたので、すんなり「やってみるか」と思えた。まだ職探しの最中で目途もついてなかったが、先輩の薦めで会った出版社の人から雑誌(→「ゴンドワナ (3~11号)」)、→「ゴンドワナ (12~19号)」)に書いてはと言ってもらっていたので、原稿を書いて送ることにした。
歴史についてはバズル・デヴィドスンの「『アフリカシリーズ』」と「ハーレム」の本屋さんで手に入れたThe Struggle for Africaが手元にあったのは幸運だった。
南アフリカには先にオランダ人が、そのあとイギリス人が入植していた。イギリスにとっては、植民地争奪戦でインドへの要衝地をフランスに譲れないというのが居座った主な理由だったが、南アフリカ自体はそれほど重要ではなかった。先に来ていたオランダと諍(いさかい)はあったものの、1854年頃には肥沃な海岸沿いの2州をイギリスが、内陸部をオランダがと棲み分けが出来ていたが、1867年にダイヤモンドが、1886年に金が発見されてから、俄(が)然状況が変わった。産業社会では金とダイヤモンドは重要な鉱物資源だったからである。両方ともオランダの領有地で発見されたので、当然戦争をしたが、相手を殲滅(せんめつ)できるほどの軍事力の差はなかったので、折り合いをつけて1910年に国まで創ってしまった。その流れでは、1867年が潮目だったと言えそうである。日米に遅れること7年である。(→「南アフリカ1860」)
1960年代のヨハネスブルグの金鉱山「抵抗の世代」より