つれづれに:ウラン(2024年8月22日)
つれづれに:ウラン
→「金とダイヤモンド」が発見されて、南アフリカは一気に産業社会に突入したが、ウランの発見で更にその流れは加速した。まだ後処理の目途が立たないまま原子爆弾を使ったアメリカは、ウランの価値をどこよりも知っていた。イギリス主導で築かれた植民地体制下では南アフリカへの出番は望めないので、アメリカは第2次大戦を利用して、それまでの西側諸国の体制の基本的構造を変えた。
原爆:広島市公式ホームページより
戦場にならなかったために一人勝ちしてヨーロッパ諸国にも金貸していたので、ごり押ししてでも体制を変えることが出来た。アメリカ主導の多国籍企業による資本投資と貿易による体制である。体制を変えたことによって、ヨーロッパ諸国が自国の復興に追われているのを尻目に、大手を振って南アフリカにもアメリカ企業が参入出来たのである。原子力爆弾を落とされて無条件降伏を呑(の)んだ日本も、アメリカの核の傘の下、腰巾着のように南アフリカに参入できた。不名誉白人としてである。旧八幡製鉄(↓)が長期の通商条約を復活できたのもそのお陰である。
第2次大戦後、復興と併行して急速に産業化を進めた日本は南アフリカとの貿易高をその後も急激に伸ばした。1980代の後半には、とうとうアメリカを追い越してしまった。名目だけでも国連(↓)主導に従って経済制裁をしていた各国からは非難を浴びた。日本の財界とアパルトヘイト政権のつなぎ役を任されていた与党自民党は、名目上、一応世界の非難の矛(ほこ)先をかわすために、南アフリカとの貿易高世界第2位を目指して奮闘した。その甲斐(かい)あって、無事目標を達成して、自民党は鼻高々、名誉白人として意気軒高だった。エコノミックアニマルと揶揄(やゆ)される所以(ゆえん)である。
西側諸国では戦争をする毎に軍需産業を肥大させた。南アフリカでウランを確保したアメリカは核開発に多大な予算をつぎ込み、原子力爆弾を製造した。広島と長崎で使ったあとは、容易には武器としては使えなくなったので、核開発は武器から電子力発電所に転換させた。
九州電力玄海原子力発電所、写真特集:時事ドットコムより
資本主義のアンチテーゼとして共産主義政策を推し進めた東側諸国でも、西側諸国に対抗するために核開発を進めた。ソ連にもウランが出たから、東西の競争は激化した。チェルノブイリ(↓)と福島の原発で事故を起こし、大変な被害が出たが、それでも利益優先の産業社会は方向転換を図ろうとしない。原発に依存し続けるばかりか、他国に売りつけようとしている。過去から学ぼうとする人が、少なすぎる。
京都大学複合原子力科学研究所より