つれづれに:白浜行き(2024年11月20日)

つれづれに

つれづれに:白浜行き

 晴れた日が続き、少しづつ普段の生活が出来るようになって、日常と陽の光の有難さが身にしみる。今日はもう11月20日、旧暦の立冬(りっとうー11月7日、木枯らしが吹き、冬の気配を感じる頃)を過ぎ、明後日22日はもう小雪(しょうせつ、木々の葉が落ち、遠くの山々には初雪が降り始める頃)、12月7日には大雪(たいせつ、寒さもだんだん厳しくなり、雪が多くなる頃)が、21日には冬至(とうじ、一年で夜の長さがもっとも長くなる頃)が始まる。カレンダーを送った大阪唯一の村千早赤坂村に移り住んでいる友人は返信の文尾に「よいお年を」と書いていた。腰を痛めたのが6月だから、半年は経ったわけである。マッサージでは、ずっと車で送り迎えをしてもらったおかげで、何とか少しずつ日常が取り戻せている。久しぶりの白浜は、生憎(あいにく)、曇り空だったが日常の海(↑)があった。(→「腸腰筋」、6月17日)、→「オーバーワーク」、6月18日)

 自転車で小一時間かかる白浜まで週に一度マッサージを受けに通うのも大切な日常である。距離が長いので、周りの景色を確かめながら、自転車を走らせる。最初は高台の公園の前を横切って坂を南に下りながら、今日も加江田の山(↑)がきれいなあと思う。この日は曇り空でくっきりとはしていなかったが、風の強い日はくっきりと鮮やかである。雨が上がりかけたころの霞(かすみ)がかかった山と田圃(たんぼ)の組み合わせも、幽玄な感じがする。退職後に再任されたあとに使っていた研究室の3階からも、加江田の山が見えた。下のキャンパスから聞こえる学生の声と山の組み合わせも、なかなかだった。7階にあがると、より見晴らしがきく。

 加江田の山の次は、田圃の中の道を通る。今は稲刈りもとっくに終わって、田起こしの作業まで動きはない。大きなドームの見える辺りから、大きな道を南に下る。途中、総合運動公園近くにラーメン屋さんがあり、今日は人が入ってるやろか?と心配する。客入りがよくないのに、よくもまあ営業を続けられるものだ。もう、何軒も店をやめている。それから、小さな坂を下って青島への旧道に入る。この辺りも、芒(すすき、↑)だらけである。普通はプロ野球の巨人2軍や青学大や実業団の駅伝チームなどが停まるホテルのある所から、海岸線に出る。歩道・自転車道を曽山寺浜から青島の浜に進んで行く。昨日は、そのまま旧道を進んだ。子どもの国から青島を通り過ぎた。青島には人出(↓)が戻っているようで、大きな駐車場には6台の大型バスが停まっていた。1時半くらいである。そのあとスーパーに寄ってパンを買い、白浜に着いた。

 帰りは青島港を過ぎた辺りから海岸線の小道に入り、青島を通った。3時半くらいだったが、参道への人出は、この時間にしては多い方だろう。コロナの時の人出の無さを見ながら通り過ぎていたので、余計にそう思う。植物園から参道沿いの店屋の辺りにも、それなりに観光客(↓)が歩いていた。気温も下がり、風も少し強かったが、サーファーも何組かいた。海岸線は風が強いので、サーファーを見ながら旧道に入り、家の方に向かって自転車を漕いだ。有難い一日だった。

白浜に行く 辺りの芒も枯れかけている    我鬼子