つれづれに:アメリカ(2026年2月25日)
つれづれに:アメリカ

画像編集ソフトを使ってブログ用に画像を小さくできないので、また写真はメディアライブラリーからである。
2月は1日から5日まで「2月も〇日目に」の題で「つれづれに」を書いた。6日目を書き始めたとき、そうだトランプのことを書いていたんだと思い出して、トランプの続き→「トランプ3」を書いた。実は今の小説でその辺りを題材にしたオンラインでの集まりの話を書いているので、その修作の気持ちも多少はあった。

アメリカについては、戦争後しばらくして生まれたせいか、反発やらがやたら強かった。よく知っていたわけでは、もちろんない。生まれた頃にサンフランシスコ条約が結ばれて、日米安全保障条約が結ばれていたとは夢にも思わなかった。そもそも、生きることそのものを諦めた時点で、世の中についての認識が自動的に停止していた。アメリカも何もない。受験勉強が出来なくて、辛うじて入学した大学の→「夜間課程」の初日に、安保反対断固粉砕と正面入り口の急な階段に朱色の鮮やかな文字が書かれているとは、そっちの方も思いもしなかった。今から思えば、激烈な新入生歓迎の挨拶だったのに、その時は気づきもしなかった。もちろん、前の年の東大紛争で自民党体制にこてんぱんにやられたあおりを受けて、同級生全員が留年したことを知る由もなかった。

授業のあった講義棟、木造2階建て、背景は六甲山系(大学HPから)
その後、どこでどうなったかはしっかりと覚えているが、アメリカの歴史をやるとは思わなかった。英文でアフリカのテキスト(↓)を書いて、3章にA Short History of Black Americans(→「アフリカ系アメリカ小史一覧」)を書き、教養の授業でアメリカ黒人の歴史と音楽という授業も担当した。時間割の編成のためだと思うが南アフリカ概論ほど人は集中しなかった。それでも毎年、200人とか300人の受講の申し込みがあった。定年退職した年には300人ほどを受け持ったが、大抵は成績をつけるのに責任が持てる150人に制限させてもらった。コロナ騒動があった年の後期には、コロナで大変だった新入生のために、いつもの1コマに加えて同じ内容のクラスを他に2つ持った。どのクラスも100人以上の参加者があったので、最後の年は300人以上の学生にアメリカ黒人の歴史と音楽の授業をしたわけである。100人以上のリモートのクラスを3つも経験させてもらった。構内から締め出されて家に閉じこもることが多かった1年目だったから、ほぼ全員が授業に出ていた。普段では考えられない異常事態だろう。少し早めに始めて、一人一人の名前を呼び、顔を見ながら挨拶を交わした。普段は出席を取らないが、名前を読んで下さいと言う学生が余りにも多かったからである。入学したとたんに学内にも入れずに、それだけ、不安な中で過ごしていたということだろう。あとで聞いてみると、まともに時間割通りに対応できた教員はそう多くなかったようだ。しかし、オンラインで授業を受けるだけの毎日を過ごす1年生が、2年目、3年目だと同じような反応をしたかは、怪しい。長い間、無気力な学生の多い中で授業をした直感だった。不真面目というわけではないが、意欲を持たない人が多いので、あるとき、授業をやめて将来の希望を聞いたことがある。7割ほどのが公務員になって安定した生活が出来ればいいですと答えていた。
今はメールもあまり来ないが、その時は担当学生の数も多くて毎日何百というメールが届いていた。可能な限り、返事を出したと思うが、ずいぶんと遠い過去のような気がする。何とも不思議な歳月だった。Covid19の最盛期である。

まさかアメリカの歴史をやるとは思わなかったが、よく持って30くらいまでかと余生を持て余していたのに、急遽教員採用試験を受けることになった。受験でも大学でも英語はしなかったので、採用試験に通るには英語をするしかなかった。2年留年して2回目の4年生の前期に受験することになった。試験まじかだったので、通るはずもなかった。しかし、取り敢えず受けてみるかと決めて受験して、卒業した。2回目の4年では出席するだけで単位が取れる英会話だけを残していたので、卒業は問題なかった。受けてみて、何が必要かを体で感じた。それで、準備を始めた。学割のことも考えて、ついでに大学院も受けていたので、両方通るには、高校か修士で困らない程度の英語が出来ればよかった。それで、大学の授業で会った2人の研究室を訪ねた。訪ねて、読めて書ければいいのかと感じた。一人が紙切れにアメリカ文学何冊かの筆者と本のタイトルを書いてくれた。その足で、図書館に寄って、本を借りた。どれも分厚かった。最初に読んだのが、1026ページの『アメリカの悲劇』だった。「日本の悲劇」でなくてよかったと、軽口を叩いている場合か?
トランプのことを書いていたら、そうだ、アメリカ文学の本を読んでいたんだと、気づいた。そう言えば、ニューイングランドの本は暗かったなあ、1920年代の白人社会の話は延々と続いてつまらなかったなあ、とかを思い出した。しかし、その時代の一面を書き綴っていたのだと思い直した。→「アメリカ文学」と→「アメリカの悲劇』を書いたあと、そのままになってしまっている。続きも書きたい。

Theodore Dreiser, An American Tragedy