続モンド通信2(2019年1月20日)
1 私の絵画館:「トラちゃんとキタローと昼咲き月見草」(小島けい)
2 アングロ・サクソン侵略の系譜2:着想と展開(玉田吉行)
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1 私の絵画館:「トラちゃんとキタローと昼咲き月見草」(小島けい)
1年くらい前から、台所に立つ時、私はいつもスマップの歌を聞いています。理由は簡単。新しく作ってもらったCDにスマップが入っていたから、それだけです。ただ、今までほとんど聞いたことのなかったスマップでしたが、なかなかいいなあと思うようになりました。
実は6年前の春、桜の花を描きすぎて血圧があがってしまいました。もちろんそれだけの理由ではなかったのですが、それ以来、シーンとしたなかで何かを一生懸命していると、神経が自身の内側へ内側へと入り込んでいくのを感じました。
これはいけない!と考え、絵を描く時と台所に立ってお料理を作る時には、毎回必ずバックグラウンドミュージックをかけるようになりました。
けれどCDを作るなどという面倒なことを自分でできるわけもなく、いつも娘に頼んでいます。そして、たまたま今回はスマップの曲だった、というわけです。
2枚のCDのうちの1枚は、あまり知っている曲もなく<たいしたことないかなあ>とあなどっていたのですが。2枚目にはダンスの教室で踊った曲やよく知っている曲も入っていて、<スマップもよくがんばっていたのだなあ・・・・>と改めて思うようになりました。
音楽というのは不思議なもので、曲が流れるとそれを聞いていた時代も同時によみがえったりします。その頃しんどい出来事があったりすると、そのことまで思い出されてしまうので、どんな曲をバックに流すのかは、私にとって結構難しい面もあるのです。
その点、スマップの曲は基本的に明るくて、踊るのに適しているので、軽く聞き流すにはうってつけです。おまけに<ナンバー1にならなくてもいい、もともと特別なオンリー1>などと歌われると、ほんとうにそうだよねえ、と納得してしまいます。なかにはちょっと深刻な歌詞の歌もありますが、あの人たちが歌うとヘンに重たくならず、素直に心に入ってきます。もしかしたらそのあたりが、グループが長年続いた理由の一つかもしれないなあと、今頃になって気付いたりしました。
<ずうっとおんなじ曲やなあ>とひかえめなイヤ味を言われながらも、これから当分私のスマップの時代は続きそうです。
二匹の猫の手前にいるのがトラちゃんです。13歳の時ひどい糖尿病で逝くまでは、大きな病気もなく、よく食べよく遊ぶ、手のかからない子だったそうです。病院の猫でしたので、何度も献血をして他の猫を助けたということでした。
ちょうど飼い主さんのお兄様と同じ時期に糖尿病がわかり、トラちゃんが亡くなった後、お兄様はすっかり回復されたとか。トラちゃんが兄の病気も背負っていってくれたのではないかと思ってしまいます、というお話でした。
病院のなかでとても仲のよかったキタローくんもいっしょに描いて下さいとのご希望でしたので、前々からいつか絵にしたいと思っていた昼咲き月見草の野原のなかの二匹を描きました。
キタローくんは<子ネコの時にひどい風邪の状態で病院にてくてくと自分ひとりで歩いてきて、玄関の前に座りこんだ>という伝説(?!)の猫です。
病院にやってきた時から足が悪く、ずっと高いところには登れませんが、今も元気に福岡の動物病院で暮らしています。
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2 アングロ・サクソン侵略の系譜2:着想と展開
前回は「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」の概要でしたが、今回は着想に至った経緯と今後の展開についてです。
<着想に至った経緯>
アフロアメリカの作家リチャード・ライトの小説を理解したいという思いで歴史を辿り始めたのですが、アフリカ系アメリカ人は主に西アフリカから連れて来られたのだと初めてアフリカに目が向きました。まだアパルトヘイトがあった時代で、アメリカで研究発表をしたり、反アパルトヘイト運動の一環で講演を頼まれてやっているうちに、次第に世界と日本、第三世界と先進国の関係が見えて来ました。おぼろげに見えて来たのは、次のような構図です。
イギリスを中心にした西欧諸国のこの五百年余りの侵略で、人類は二つの大きなものを変えました。生産手段と武器です。それを可能にしたのは1505年のキルワの虐殺に始まる西欧の略奪とそれに続く大西洋で繰り広げられた奴隷貿易によって蓄積された資本です。その資本で産業革命が可能になり、生産の手段を手から機械に変えました。人類は捌き切れないほど大量の工業生産品を作り出せるようになったわけです。あとは金持ちの論理で進んで行きます。さらなる生産のための安価な原材料と労働力が植民地戦争を産み、二度の世界大戦で殺し合いをしてもめげずに、開発と援助の名の下に多国籍企業による経済支配に制度を再構築して搾取構造を温存し、現在に至っています。その体制を維持するために剣から銃、終にはミサイルや原爆まで開発し、武器産業が「先進国」の重要な産業にもなっていて、在庫がだぶつくとアメリカは世界のどこかで戦争を起こして来ました。
1992年の在外研究は一つの転機になりました。国立大学の教員は国家公務員で、アパルトヘイト政権と密な関係にありながら、国は表面上、文化交流の禁止措置を取っていましたので、申請書を出した1991年には南アフリカのケープタウンには行けないと却下されました。かわりに、アメリカ映画「遠い夜明け」(Cry Freedom, 1987)のロケ地でもあり、南アフリカと制度のよく似た国ジンバブエに行き、奪う側、奪われる側の格差を実感しました。それまでいろいろ頭の中で考えていたものが、現実だったわけです。
しかしながら、加害者であるにもかかわらず、アフリカは可哀相だから助けてやっている、と考えている人が実際には大半です。以来、大学の教養に役目があるなら、意識下に働きかけて自分や社会について考える機会を提供することだと考えるようになりました。授業では出来るだけ英語を使い、映像や資料も集め続け、「概要」で紹介した英文書を二冊と、編註書A Walk in the Night(Mondo Books、1988)とAnd a Threefold Cord(Mondo Books、1991)、翻訳書『まして束ねし縄なれば』(門土社、1992)も出版しました。
医学生は教養を軽視する傾向があるうえ、馴染みのないアフリカだと拒否反応を示す人も多く、自然と医学と関連させる工夫をするようになりました。その中からエイズのテーマ「英語によるアフリカ文学が映し出すエイズ問題―文学と医学の狭間に見える人間のさが―」(平成15年度~17年度基盤研究C、2500千円)と「アフリカのエイズ問題改善策:医学と歴史、雑誌と小説から探る包括的アプローチ」(平成21年度~平成23年度、基盤研究C、3900千円)も生まれました。
旧宮崎大学と統合後は、教養が全学責任体制になって「南アフリカ概論」や「アフリカ文化論」なども担当し、『アフリカ文化論Ⅰ』(門土社、2007)も書きました。今も学士力発展科目「南アフリカ概論」や「アフロアメリカの歴史と音楽」などを担当、この3年間半で3400人を担当しました。
今回のテーマも、そんな「研究」と授業の中から、自然と生まれました。
<今後の展望>
奪う側、持てる側(The Robber, The Haves)は富を享受出来て快適ですが、奪われる側、持たざる側(The Robbed, The Haves-Not)はたまったものではありません。理不尽な思いを強いられたり、悔しい思いを味わった多くの人たちが文学や自伝や評論に昇華して、後の世に残しています。特にアングロ・サクソンに搾り取られできたアフロアメリカ、ガーナ、コンゴ、ケニア、南アフリカの系譜を辿り、文学と医学の狭間からその系譜を見てゆきたいと思います。それぞれの手がかりとする作品と明らかにするテーマは以下の通りです。
<アフロアメリカと人種隔離政策>
歴史とライトの自伝的スケッチ"The Ethics of Living Jim Crow, 1937″、小説Native Son(1940)、歴史的スケッチ12 Million Black Voices(1941)、自伝Black Boy(1945)、ミシェル・ファーブルさんのライトの伝記The Unfinished Quest of Richard Wright(1973?)、マルコムのMalcolm X on Afro-American History(1967)
<ガーナと独立>
ライトのガーナ訪問記Black Power(1954)とクワメ・エンクルマの自伝The Autobiography of Kwame Nkrumah(1957)と自伝Africa Must Unite(1963)
<コンゴの独立・コンゴ危機とエボラ出血熱>
トーマス・カンザの評論The Rise and Fall of Patrice Lumumba(1981)とリチャード・プレストンの小説Hot Zone(1995)、バズゥル・デヴィドスン(写真 ↓)のAfrican Series (NHK, 1983)
<ケニアと新植民地支配とエイズ>
グギの評論Writers in Politics(1981)、ワグムンダ・ゲテリアのエイズの小説Nice People(1992)、メジャー・ムアンギのエイズの小説The Last Plague(2000)
<南アフリカとアパルトヘイトとエイズ>
ラ・グーマのAnd a Threefold Cord(1964)、セスゥル・エイブラハムズのラ・グーマの伝記・作品論Alex La Guma(1985)、ベンジャミン・ポグルンドのロバート・マンガリソ・ソブクエの伝記Sobukuwe and Apartheid (1991)、レイモンド・ダウニングの評論As They See It – The Development of the African AIDS Discourse(2005)、メイ・ポン編The Struggle for Africa(1983)
アングロ・サクソン中心の奪う側、持てる側(The Robber, Haves)が如何に強引に、巧妙に支配を続けていて、アフロアメリカ、ガーナ、コンゴ、ケニア、南アフリカの奪われる側、持たざる側(The Robbed, Haves-Not)が如何に辱められ、理不尽を強いられて来たか、文学作品とエイズやエボラ出血熱―文学と医学の狭間から見えるその基本構造と実態を明らかにしたいと思います。
最初は歴史を辿って行って結果的に作品に出会ったという流れでしたが、今回は作品から「アングロ・サクソンの系譜」を浮かび上がらせたいと考えています。
「文学と医学の狭間に見えるアングロ・サクソン侵略の系譜―アフロアメリカとアフリカ」の次の申請が可能なら、アフロアメリカのところで手に入れて手つかずのままの奴隷体験記An American Slaveの41巻と、エイズのところで集めて消化仕切れていないアフリカのエイズ小説19冊を元に、違う形でのアングロ・サクソン侵略の系譜を辿ろうと思っています。奴隷貿易がおそらく、この500年余りの歴史の中で最も後の世に影響を及ぼした出来事で、エイズが人類史上でおそらく最大の被害と利益を生んでいる病気だからです。
それと、また科研費の交付があり得るのか、を確かめてみたいという気持ちも、ほんの少しだけあるようですから。(宮崎大学教員)