アフリカとその末裔たち 2 (2) ②『誉れ高き国会議員』(The Honourable MP)
アフリカとその末裔たち 2 (2) ② 『誉れ高き国会議員』(The Honourable MP)
『誉れ高き国会議員』
前回のラ・グーマが描いたアパルトヘイト時代のスラムを描いた『まして束ねし縄なれば』に続いて、今回は独裁政権の続くジンバブエで辛うじて政権批判が作品にこめられている戯曲を選びました。ゴンゾウ・H・ムセンゲジィ(Gonzo H. Mesengezi )の『誉れ高き国会議員』(The Honourable MP)です。『誉れ高き国会議員』は、1992年にジンバブエ大学で在外研究をした時に見せてもらった英文科の授業で取り上げられていた英語の戯曲です。英語科では受講する学生が話し合ってテキストを選び、仕上げに毎年街で劇を上演するそうです。
講義と実技を担当していたのは20冊以上の著書のあるツォゾォさん(英語科の科長代行)。オハイオ州立大学で映像と演劇の研究をしたそうで、授業は英語でやっていました。
田舎の選挙区から選ばれた国会議員が、選挙民を忘れて贅沢三昧の日々を送る話です。二幕六場の短かい劇で、その概要です。
一幕一場。
国会議員シェイクスピアの愛人イザベラのマンションに教員時代の生徒だった青年チトが田舎から訪ねて来て、旱魃で飢えに苦しむ村人たちの惨状を訴えますが、突然妻が訪ねて来て国会議員は、青年と自分の愛人をカップルに仕立ててその場を凌ぎます。
一幕二場。
国会議員夫婦の寝室で妻が注射器とペニシリンを見つけて一悶着あり、国会議員は床の上で寝るはめに。
一幕三場。
食堂で、取るはずの休暇をマダムに取り上げられたガーデンボーイのスペンサーが、独立前の白人マダムよりも質(たち)が悪いと不満を並べ立てます。国会議員が何とかなだめたあと、妻がナイロビで買った日本製品の自慢を始めます。聞いていた青年チトは「日本の技術は疫病のように世界を荒らし回っています。ある日起きてみたら日本の科学者が首相になっていても不思議ではない程です。」と言いながら続けます。
日本は天才の土地
すべての島とは違う島
車が列をなしている光景が今目に入ります
明るい東京のネオンサインの下に
私たちのこの暗黒大陸を目指して
日本製のダットサンに乗ってわれらの司令官が危なっかしく車を乗り回します
日本製のパトカーに乗った警官が通りをパトロールします。
「カップル」に仕立てられた二人は帰り、国会議員は車でムバレ市場に向かいます。
一幕四場。
シェイクスピアの選挙区で、ある中年夫婦が旱魃で三日ほど何も食べていない人たちのために食事を提供し、人々は列をなして出される食事にがつつきます。農民の女性がクワショーカ(蛋白不足で起こる病気)にやられた赤ん坊を背中から下ろすと、赤ん坊は激しく泣き始めます。
二幕一場。イザベラの部屋で、議員から大手銀行に出す借金の申し込み書を渡されて、私設秘書と愛人を続ける自分の過去を振り返ります。小学校をでたあと街に出て仕事を見つけて、昼も夜も働いて秘書になり、ある日、大学卒業間際の初恋の相手に再開し、何度か部屋に行ったあと妊娠が発覚。報告すると、「卒業前の大学生がどうしてお前のような学のない女を孕ませるんだよ?」と言われて、捨てられます。そのあと職を変えて、最後に秘書になって、議員の愛人になりました。
二幕二場。
国会議員の選挙区で、選挙民を前にいかに自分が援助資金のかき集めるために世界を駆け回って成果を上げているかを語りますが、突如一人の農民が立ち上がり、怒りをぶつけます。
騙されるな、騙されるなよ。何年も同じことを聞いて来たよ。で、実際に何を見たかって?電車、そう、でも腹を空かせた人間にどんな電車が要るって?中学校、そう、しかし自分たちの手で拵えた中学校がある・・・・使ってない土地をきれいにして種を蒔き、私たちの家を建てた、それで何が起こった?警察犬を連れて警官が来た。ブルドーザーが俺たちの家を潰した・・・・ブルドーザーが作ったものを駄目にした、そして今旱魃だ。家もない。
作ったものもない。蔵は空っぽ、議員も村長もいない・・・。・・・この子供たちを見てくれ。完全にクワショーカ(栄養失調)にやられている。下痢で死にかけているのもいるし、飢えと渇きで死にかけているものもいる。俺たちはあんたを議会に送った、それであんたは何を持ってきてくれた?あんたは骨を追いかける犬みたいに小さな女の子の尻を追っかけてばかり。(イザベラを左手で抱きかかえながら)この子のお腹には子供がいて、父親はあんただ・・・。
議員は銃を抜いて構えますが、チトが飛びかかって銃を蹴り飛ばし、議員の怠慢を責め、みんなに「農民と労働がこの旱魃を乗り切ろう。自分たちの力と未来を信じよう」と語ります。
ビラ音楽が流れ、幕が上がります。
ジンバブエでは与党が圧倒的に強いために、政権を批判するのはかなり難しいのですが、この劇は社会問題にからめて暗に政権を批判している数少ない作品の一つです。公演の日にはすでにパリにいましたので、観劇はかないませんでした。招待されながら授業の成果をこの目で確かめられなかったのは、心残りです。
日本が批判的に描かれていますが、キャンパスで知り合った学生のアレックスは「日本は経済力があるんだから、外国人に日本語をしゃべらせればいいのに」と言っていました。南アフリカからイギリス系の入植者が来てからわずか百年程しか経っていないのに、大学構内ではアフリカ人同士が英語を使っていました。当時ハラレにいた日本人は百人足らずだと聞きましたが、街で見かける車の半数はMAZDAでした。かつて日本が台湾や韓国の人たちに無理やり日本語をしゃべらせた史実をアレックスは知っていたのかなあ?(宮崎大学医学部教員)
アレックス・ムチャデイ・ニョタくん