英語 Ta2(8)

10月20日(火)3-4(10:30:-12:00)

3回目でした。

 

今年は生り年のようで、台風の直撃を免れたこともあって100個以上も大きな西条柿がなっています。宮崎神宮の植木市で買った苗木を植えたら7年目にこの柿が一個だけなったので描いてもらいました。渋柿を剝いて干し柿にするつもりやけど、ようさんやから先に熟れて落ちてしまうかも。無事出来てたら、お裾分けは可能、食べてみたい人はどうぞ。

<今日>は(CNNをやってくれる予定の樋口くんが最初いなかったんで、先に)

①ウィルスの話など。

②E2:Deadly ebola virus sweeps through Zairean town、E3:Patient zero’ who started it all、E4:Nature of the killer virusの解説。難しいけど、英文に慣れる意味で読んでみるとええね。

③アメリカ映画『アウトブレイク』の冒頭と米国陸軍内の疫学研究所(Biosafety Levelでゾーンが分けられていて、一番毒性の強いゾーンにエボラウィルスが分類されている様子を見てもらいました。

④CNNの聞き取りの最初だけ。

⑤対面授業についてのアウトブレイクセッション

①コロナ騒ぎの今なので、ウィルスのアウトブレイクの際の用語などを解説。Pathogen(病原体)には、ウィルス(virus)、細菌(bacterium – pl. bacteria)、プリオン蛋白(prion)の3種類がある。感染する(infection)、感染因子(infectious agent)など。

③は最初だけ、次回まとめてtranscriptionと日本語訳を貼るね。

CNNの映像と音声は参考ファイルのZipの中にあるんで、ダウンロードして解凍して使ってや。

⑤みんなの意見が聞けてよかった。入学以来大きな画面で映画を観たり、充分な音声で音楽も聴いてもらえてないんで、何回かは実感してもらうつもりで、対面授業が出来る部屋を予約しました。でも、意見を聞いて、このまま遠隔を続けることにしました。時間は取ったけど、大学の方針や扱いについて考えてもらいたいという気持ちもあったと思う。学部も大学もそれほど一人一人のことを大事に考えているわけでもないので、極力自分のことは自分でやるようにした方がいいみたい。ま、組織はこの大学だけやなくて、大学を出て就職をした先でも同じような問題に遭遇する可能性は高いと思うし。

<次回は>

①CNNのtranscriptionの続き(樋口くん)

②新聞記事の要約(渡辺拓哉くん、今日出来なくて申しわけなかったです)

③次回の発表者決定:コンゴの独立(   )、コンゴ危機(   )

④(時間があれば)Zoomトーイック3 問題編のPart 1 (Listening)の6題と『金のフレーズ⑤』

試験直前Zoomトーイックは10月31日(土):リスイング、11月3日(火、祭日):リーディングの午前10:00から出来るように準備したおきます。案内は来週の授業の時に。

来週、また。

参考ファイルに置いてある資料①のCNNの聞き取りは→E5:Ebola virus Outbreak in 1995 (CNN)、新聞記事は→E1:Ebola virus returns Zaire into world’s spotlight

また、来週に。

クラス名簿(Zoomではある方がよさそうやから、学生支援課でもらったファイルからコピーしたよ。)

2020年後期 クラス名簿(48名)(2020年10月6日現在、登録修正期間が済んだら確定名簿をWebClassで確認出来るので、その時また更新するね。)

61200043 イケムラ ヒロト 工学部環境応用化学科
池村 広飛 1年
61200254 ソネ ケンセイ 工学部環境応用化学科
曽根 健聖 1年
61200375 ニシムラ ハルヒ 工学部環境応用化学科
西村 春陽 1年
61200430 ハマカワ コウヘイ 工学部環境応用化学科
濱川 光平 1年
61200441 ハヤシダ カズヤ 工学部環境応用化学科
林田 和也 1年
61200476 ヒダカ ユウセイ 工学部環境応用化学科
日高 祐誠 1年
62180110 カワノ シヨウヤ 工学部社会環境システム工学科
河野 匠哉 3年
62200062 イワモト ソウマ 工学部社会環境システム工学科
岩本 颯真 1年
62200109 オオツカ コウキ 工学部社会環境システム工学科
大塚 恒輝 1年
62200213 クラヅメ トシナリ 工学部社会環境システム工学科
倉爪 駿成 1年
62200259 サトウ リヨウセイ 工学部社会環境システム工学科
佐藤 瞭成 1年
62200471 ミヤジ ユウト 工学部社会環境システム工学科
宮地 優人 1年
63200027 イイヤマ タカト 工学部環境ロボティクス学科
飯山 貴冬 1年
63200030 イガラシ レン 工学部環境ロボティクス学科
五十嵐 廉 1年
63200319 ナカシマ リク 工学部環境ロボティクス学科
中島 陸 1年
63200373 ホリタ ヒデオミ 工学部環境ロボティクス学科
堀田 英臣 1年
63200401 ミヤ ヨシエ 工学部環境ロボティクス学科
宮 佳恵 1年
63200425 モタニ ケンタ 工学部環境ロボティクス学科
茂谷 健汰 1年
63200508 ワタナベ タクヤ 工学部環境ロボティクス学科
渡辺 拓哉 1年
64200222 カミヤ ヒョウ 工学部機械設計システム工学科
神谷 彪 1年
64200271 ソノダ コウダイ 工学部機械設計システム工学科
園田 高大 1年
64200299 タカハシ コウジ 工学部機械設計システム工学科
高橋 輝至 1年
64200356 ニシダ ツバサ 工学部機械設計システム工学科
西田 大翼 1年
64200387 ハヤシ ジユンヤ 工学部機械設計システム工学科
林 隼矢 1年
64200518 ヤガサキ リユウヘイ 工学部機械設計システム工学科
矢ケ崎 龍平 1年
64200523 ヤマガ トモヤ 工学部機械設計システム工学科
山鹿 友也 1年
65160180 サイトウ タイチ 工学部電子物理工学科
齊藤 太一 4年
65200186 クロギ アヤミ 工学部電子物理工学科
黒木 彩心 1年
65200371 ナガタ ジユンペイ 工学部電子物理工学科
永田 惇平 1年
65200384 ナカタケ キヨウタ 工学部電子物理工学科
中武 杏太 1年
65200409 ハシグチ リト 工学部電子物理工学科
橋口 理斗 1年
65200418 ヒグチ レン 工学部電子物理工学科
樋口 蓮 1年
66190222 キリハラ ヒロキ 工学部電気システム工学科
桐原 拓希 2年
66190253 クリタ ワタル 工学部電気システム工学科
栗田 亘 2年
66200060 オゼキ タイセイ 工学部電気システム工学科
尾関 泰正 1年
66200183 タムラ リユウスケ 工学部電気システム工学科
田村 竜佑 1年
66200288 ニシカワ リヨウ 工学部電気システム工学科
西川 遼 1年
66200332 ヒガシ コウシロウ 工学部電気システム工学科
東 香士朗 1年
66200451 モリ カイヤ 休学 工学部電気システム工学科
森 海也 1年
67200018 アマキ ダイスケ 工学部情報システム工学科
天木 大介 1年
67200146 オシカワ リヨウ 工学部情報システム工学科
押川 陵 1年
67200184 カワバタ アオイ 工学部情報システム工学科
川畑 葵 1年
67200212 クシマ リュウヤ 工学部情報システム工学科
櫛間 龍也 1年
67200230 コバヤシ リヨウスケ 工学部情報システム工学科
小林 良輔 1年
67200294 スギモト ダイチ 工学部情報システム工学科
杉元 大地 1年
67200333 タナカ シンノスケ 工学部情報システム工学科
田中 慎乃介 1年
67200368 トダカ ヨシヒコ 工学部情報システム工学科
戸高 快彦 1年
67200528 ヨシオカ シユン 工学部情報システム工学科
吉岡 駿 1年

ビジネス英語 I-2(2)

10月19日(月)5-6(1:30:-3:00)

3回目でした。

今年は生り年のようで、台風の直撃を免れたこともあって100個以上も大きな西条柿がなっています。宮崎神宮の植木市で買った苗木を植えたら7年目にこの柿が一個だけなったので描いてもらいました。渋柿を剝いて干し柿にするつもりやけど、ようさんやから先に熟れて落ちてしまうかも。無事出来てたら、お裾分けは可能、食べてみたい人はどうぞ。

<今日>は

①対面授業についてのアウトブレイクセッション

②Zoomトーイック3 Part 1-2(何か2回同じところをやったみたいやね。誰か言ってくれたらよかったのに。)

①みんなの意見が聞けてよかった。意見を聞いて、このまま遠隔を続けることにしました。時間は取ったけど、大学の方針や扱いについて考えてもらいたいという気持ちもあったと思う。前期も言ったような気がするけど、学部も大学もそれほど一人一人のことを大事に考えているわけでもないので、極力自分のことは自分でやるようにした方がいいみたい。ま、組織はこの大学だけやなくて、大学を出て就職をした先でも同じような問題に遭遇する可能性は高いと思うし。

ブレイクアウトセッションのグループ分けはグループ発表時に使えるように手動で設定しました。個人の発表と併行して時間を取るつもりなんで、各グループ進めて行ってや。

<次回は>

①(今日出来なかった分の)口頭発表:岩井くん、門田さん、木原くん、羽田野さん、服部くん、春山くん

②トーイック関連:Part 1の残り4題と『金のフレーズ』

③グループ発表のブレイクアウトセッション

*********

試験直前Zoomトーイックは10月31日(土):リスイング、11月3日(火、祭日):リーディングの午前10:00から出来るように準備したおきます。案内は来週の授業の時に。

来週、また。

クラス名簿(Zoomではある方がよさそうやから、学生支援課でもらったファイルからコピーしたよ。)

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(32名)(2020年10月3日現在)

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

英語 Ra2(2)

10月19日(月)3-4(10:30:-12:00)

3回目でした。

今年は生り年のようで、台風の直撃を免れたこともあって100個以上も大きな西条柿がなっています。宮崎神宮の植木市で買った苗木を植えたら7年目にこの柿が一個だけなったので描いてもらいました。渋柿を剝いて干し柿にするつもりやけど、ようさんやから先に熟れて落ちてしまうかも。無事出来てたら、お裾分けは可能、食べてみたい人はどうぞ。

<今日>は

①対面授業についてのアウトブレイクセッション

②Travel GuideのListening Comprehension Practiceの続き

③次回のtranscriptionの発表:福留くん

④発表:Amazing Grace・作曲者John Newton(篠原さん)、The colonization of South Africaの要約(川越くん)、グレート・トレック(下條さん)、金とダイヤモンドの発見(永松くん)

①みんなの意見が聞けてよかった。入学以来大きな画面で映画を観たり、充分な音声で音楽も聴いてもらえてないんで、何回かは実感してもらうつもりで、対面授業が出来るL111(350人収容)を予約しました。でも、意見を聞いて、このまま遠隔を続けることにしました。時間は取ったけど、大学の方針や扱いについて考えてもらいたいという気持ちもあったと思う。学部も大学もそれほど一人一人のことを大事に考えているわけでもないので、極力自分のことは自分でやるようにした方がいいみたい。ま、組織はこの大学だけやなくて、大学を出て就職をした先でも同じような問題に遭遇する可能性は高いと思うし。→SFの映像音声は、参考ファイルに置いてあるよ。

エイズの最初の患者が出たドキュメンタリーの画像やけど、僕が初めて行ったのもこの年。最初の患者が出たとも知らずに呑気にゴールデンゲートブリッジを歩いて渡ってたなあ。

②来週transcriptionのあと、今日英問英答したEveryday sees invasion, Tolerance is the virtueについては、改めて詳しく全体の中で。

漁夫の波止場。カリフォルニア大学アーバイン校の小児科で臨床実数を受けた石﨑さん(当時6年生、今は医学部病院医師)が滞在してたロサンジェルスから小児科医のペニー・ムラタさんに連れて行ってもらった時に撮って送ってくれました。

④発表は今回の篠原さん、川越くん、下條さん、永松くんもしっかり準備してくれてたと思います。The colonization of South Africaの日本語訳は末尾に貼っときます。

 

<次回は>

①transcriptionの発表:福留くん

②英文の続き:資料①S4のTHE GROWTH OF MINING CAPITAL, THE CONFLICT BETWEEN THE BRITISH AND THE BOERS, THE UNION OF SOUTH AFRICA AND RESERVES(福留くん)

③Zoomトーイック3 問題編のPart 1 (Listening)の6題と『金のフレーズ⑤』

試験直前Zoomトーイックは10月31日(土):リスイング、11月3日(火、祭日):リーディングの午前10:00から出来るように準備したおきます。案内は来週の授業の時に。

来週、また。

************

The colonization of South Africaの日本語訳

THE COLONIZATION OF SOUTH AFRICA 南アフリカの植民地化

When Europeans arrived in the southern part of Africa, different peoples had been living there for some centuries. Groups of San people lived in the mountains and on the edges of the deserts in the southeast. They hunted rock rabbits, lizards, locusts and so forth. Near them lived the Khoikhoi who herded cattle and had more permanent camps than the San. They sometimes intermarried.

南部アフリカにヨーロッパ人が到着した時、そこにはすでに何世紀にも渡って様々な民族が住んでいました。サンの人々はいくつも集落を造って南東部の山や砂漠の端に住んでいました。その人たちは岩兎や蜥蜴や蝗などの狩りをして暮らしていました。サン人の近くには、家畜を飼うコイコイ人が住んでいて、狩りをして移動するサン人よりは定住型の生活を営んでいました。時にはサン人とコイコイ人は結婚することもありました。

The Europeans began to settle down in the latter half of the 17th Century on the initiative of the Dutch East India Company. The Dutch traders had out-rivalled the Portuguese and taken over the spice trade with Asia. Because the voyage to Asia was long, the Company built a depot of provisions at the Cape of Good Hope in 1652. A small white settlement was to grow vegetables and supply other services for the Company. The colony was completely dependent on the Company, among other things for the supply of arms. The Dutch colonialists called themselves Boers. It means farmers in Afrikaans, their Dutch dialect.

オランダ東インド会社に率いられて、17世紀の後半にヨーロッパ人は定住を始めました。オランダの貿易商はポルトガル人との競争に勝ち、アジアの香辛料貿易を引き継ぎました。アジアへの航海は長いものでしたので、会社は1652年に喜望峰に食料を補給するための基地を築きました。その小さな白人入植者の居留地は野菜を育て、会社のために色々なものを提供しました。居留地はすべてを会社に依存していましたが、なかでも武器の供与は全て基地任せでした。オランダの植民地主義者たちは自らをボーアと呼びました。それはオランダ語由来の言葉であるアフリカーンス語で、農民という意味です。

Disputes between the Boers and the Company made them move further inland. The first people they met were the Khoikhoi, whose pasture they conquered. Worse still for the Khoikhoi, the settlers forced them to hand over their cattle. It so was the very basis of their social system. The Khoikhoi were forced to work for the European settlers. The whites’ intrusion meant catastrophe for the San. Only a few San escaped and fled into the Kalahari desert. Their descendants live to this day under much more primitive conditions than did their forefathers in their rich soil.

会社との間で諍いを起こしてボーア人は、内陸の方に移動しました。ボーア人が最初に遭遇した人たちはコイコイ人で、その人たちの放牧地をボーア人が征服しました。コイコイ人にとって更に悪いことには、入植者達は牛を引き渡すように強要しました。それはコイコイ人の社会システムの基盤そのものでした。コイコイ人はヨーロッパ人入植者に、労働を強制されました。白人の侵入者は、サン人には悲劇的な結末を意味しました。ごく僅かのサン人は逃亡)、カラハリ砂漠に逃げこみました。その人たちの子孫は、今日でも、肥沃な土地に住んでいた祖先たちよりも原始的な状態で暮らしています。

The Xhosa and the Zulu peoples were most numerous in South Africa. Land was owned collectively, but cultivated individually. This might be called a moderate kind of socialism. When these highly developed cultures with their strong military organization clashed with the Boers, they could not be defeated as easily as the Khoikhoi and the San. The Wars of Dispossession started in 1871. The battles were many and fierce during the nine wars. The whites could only consolidate their control over what was formerly African land by crushing these African military kingdoms with superior arms. This process was almost completed in 1881. But the Boers never conquered South Africa completely. Conquest was completed only when the British forces took over the process.

南アフリカでもっとも人口の多かったのは、コサ人とズール人でした。土地は個人ではなく全体で共同所有されていましたが、個人個人が耕やしていました。一種の穏やかな社会主義と呼び得るものかも知れません。強大な軍を持つ高度に発達した文化がボーア人とぶつかった時、コイコイ人やサン人が簡単にやられたように、コサやズールーの人々がやられることはありませんでした。1871年に、略奪戦争が始まりました。9つの略奪戦争では、戦闘も数多く、激しいものでした。白人たちは優れた武器を使って、軍を持つアフリカの王国を破壊することによって、元はアフリカ人所有の土地に対する支配権を確立したのです。この過程は1881年には、ほぼ完成していました。しかし、ボーア人は完璧に南アフリカを征服しわけではありません。イギリス軍がその過程を引き継いで初めて、征服が完了したのです。

Britain feared that French control of the Cape could jeopardize British interests in India and trade with the East, and in 1795 sent a large British force to the Cape and forced the Dutch governor to capitulate. The Boers at once came into conflict with Britain. Britain was looking for raw materials and new markets for industrial goods. Slave trade and slave labour were no longer necessary. But for the Boers slavery was the foundation of their economy, so they resisted all attempts to abolish it. This contradiction resulted in bitter conflicts between them and the British colonialists. In 1833 the British managed to abolish slavery in the Cape. Many Boers, particularly the wealthy ones, left the Cape and moved inland in big ox caravans. This was called the Great Boer Trek. The Boers who stayed in the Cape needed workers for their farms, so they imported workers from Indonesia and Malaysia, Dutch colonies in Asia.

イギリスはインドおよび東洋との貿易で、ケープをフランスが支配することになればイギリスの利益が危険にさらされるかもしれないのではないかと心配しました。そして、1795年にはケープへ大規模なイギリスの軍隊を送り、オランダの植民地相に降伏することを強制しました。ボーア人は、直ちにイギリスと衝突しました。イギリスは、原料および工業製品の新しい市場を探していました。奴隷貿易と奴隷の労働は、もはや必要ありませんでした。しかしボーア人には奴隷制度が経済の基礎でしたから、ボーア人は奴隷制度を廃止する試みすべてに反抗しました。この矛盾は、ボーア人とイギリスの入植者の苦しい対立を生む結果に終わりました。1833年には、イギリス人がどうにかケープの奴隷制度を廃止しました。多くのボーア人、特に豊富なものがケープを去り、大きな雄牛の隊列を組んで内陸に移動しました。これはボーア人の大移動と呼ばれました。ケープにとどまったボーア人は、自分たちの農場のための労働者を必要としましたので、アジアのオランダ植民地インドネシアとマレーシアから労働者を輸入しました。

By 1854 South Africa was divided into four provinces. The British claimed the Cape and Natal, the coastal provinces rich in soil. The Boers had established two inland republics: the Orange Free State and Transvaal, which Britain had to recognize as autonomous.

1854年までに、南アフリカは4つの州に分割されました。イギリス人はケープおよびナタールの土壌の豊かな沿岸地方を要求しました。ボーア人は内陸の2つの共和国オレンジ自由国とトランスヴァールを設立し、イギリスはその2州を自治領として認めざるを得ませんでした。

The number of colonizers of British origin gradually grew. In Natal province sugar cultivation was started on a large scale at the end of the 19th century, and Indians were imported as indentured labour (See Appendix South Africa 1).

イギリスから来た入植者の数は徐々に増えていきました。ナタール州では、19世紀の後半に大規模な砂糖栽培が始められ、インド人が契約労働者として輸入されました。(附録<南アフリカの1>を参照)

The British and British capital became really interested in South Africa only when diamonds were found in 1867 and gold in 1886. This also caused a growing conflict with the Boers, since the rich deposits were found in their republics.

イギリス人とイギリス資本は、1867年にダイヤモンド、1886年に金が見つかったに初めて、南アフリカに本当に興味を持つようになりました。豊富な鉱物がボーア人の共和国で見つかったので、そのことでさらにボーア人との衝突が激しくなりました。

クラス名簿(Zoomではある方がよさそうやから、学生支援課でもらったファイルからコピーしたよ。)

2020年後期 英語 Ra 2 (3)クラス名簿(32名)(2020年10月3日現在)井戸くんは事務の手違いで単位は出てたそうで、前回は全員揃ってたわけです。県庁に内定した就職活動の話をしてくれると思います。

30200038 生田 志潤 イクタ シジユン
30200087 植村 尊 ウエムラ タケル
30200148 小野 拓海 オノ タクミ
30200173 加知 倫太朗 カチ リンタロウ
30200205 川越 晴登 カワゴエ ハルト
30200214 河野 晃輝 カワノ コウキ
30200308 齋藤 優奈 サイトウ ユウナ
30200317 坂元 美琴 サカモト ミコト
30200360 重山 夕美 シゲヤマ ユウミ
30200371 篠原 小伯 シノハラ コハク
30200384 下條 帆乃佳 シモジョウ ホノカ
30200399 菅付 彩友 スガツケ アユ
30200447 恒吉 実於 ツネヨシ ミオ
30200454 角田 楓 ツノダ カエデ
30200472 堂薗 翔永 ドウゾノ シヨウエイ
30200520 戸島 脩太 トジマ シユウタ
30200579 永松 日向 ナガマツ ヒナタ
30200582 中屋敷 香波 ナカヤシキ カナミ
30200597 原田 佳純 ハラダ カスミ
30200603 東久保 光汰 ヒガシクボ コウタ
30200612 日田 快希 ヒタ ハルキ
30200627 平井 優季 ヒライ ユキ
30200704 福留 駿佑 フクドメ シユンスケ
30200742 本田 拓哉 ホンダ タクヤ
30200759 待山 功星 マチヤマ コウセイ
30200795 松山 峻平 マツヤマ シユンペイ
30200807 間野 壱晴 マノ イツセイ
30200821 宮崎 琉奈 ミヤザキ ルナ
30200869 山口 澪夏 ヤマグチ ミオカ
30200898 吉田 晴紀 ヨシダ ハルキ
30200926 JIANG TIANCHENG コウ テンセイ

南アフリカ概論(木7-8)

10月15日(木)7-8(3:15-4:45)

3回目でした。

<今日は>

①発表:The colonization of South Africaの日本語訳(酒井くん)

②南アフリカの用語解説→The colonization of South Africaの英語での確認

③次週の発表者決定:、グレートトレック(黒木くん)、金とダイヤモンドの発見(大野くん)、資料①S4の英文の続き:THE GROWTH OF MINING CAPITAL, THE CONFLICT BETWEEN THE BRITISH AND THE BOERS, THE UNION OF SOUTH AFRICA AND RESERVES(浦川くん)

①酒井くんの発表は丁寧でしっかりしてたねえ。感心しました。

族(tribe)については、無意識の西洋のバイアス(偏見)に気をつけないと、という話をしました。言葉は形になったものやけど、深層の意識が発現したものやから、軽蔑的な意味合いが含まれていたら聞いた方は感じ取るからねえ。500年というスパンの中で無意識に刷り込まれる場合もあるから、気づいた時点から意識するように出来るとええね。アフリカ人の蔑称Kaffir(世界史などではカフィールで見たこともがある人もいると思う。)日本語訳は末尾に貼っときます。

<次回>は

①発表:グレートトレック(黒木くん)、金とダイヤモンドの発見(大野くん)、英文の続き(浦川くん)

****

今日初めに対面授業の話をしたけど、「遠い夜明け」を大きなスクリーンで見てもらえそうです。L111の階段教室が空いていたら、の条件でやけど、うまく日程が決まったら連絡するね。劇場で観てるような迫力があるからねえ。

The colonization of South Africaの日本語訳

THE COLONIZATION OF SOUTH AFRICA 南アフリカの植民地化

When Europeans arrived in the southern part of Africa, different peoples had been living there for some centuries. Groups of San people lived in the mountains and on the edges of the deserts in the southeast. They hunted rock rabbits, lizards, locusts and so forth. Near them lived the Khoikhoi who herded cattle and had more permanent camps than the San. They sometimes intermarried.

南部アフリカにヨーロッパ人が到着した時、そこにはすでに何世紀にも渡って様々な民族が住んでいました。サンの人々はいくつも集落を造って南東部の山や砂漠の端に住んでいました。その人たちは岩兎や蜥蜴や蝗などの狩りをして暮らしていました。サン人の近くには、家畜を飼うコイコイ人が住んでいて、狩りをして移動するサン人よりは定住型の生活を営んでいました。時にはサン人とコイコイ人は結婚することもありました。

The Europeans began to settle down in the latter half of the 17th Century on the initiative of the Dutch East India Company. The Dutch traders had out-rivalled the Portuguese and taken over the spice trade with Asia. Because the voyage to Asia was long, the Company built a depot of provisions at the Cape of Good Hope in 1652. A small white settlement was to grow vegetables and supply other services for the Company. The colony was completely dependent on the Company, among other things for the supply of arms. The Dutch colonialists called themselves Boers. It means farmers in Afrikaans, their Dutch dialect.

オランダ東インド会社に率いられて、17世紀の後半にヨーロッパ人は定住を始めました。オランダの貿易商はポルトガル人との競争に勝ち、アジアの香辛料貿易を引き継ぎました。アジアへの航海は長いものでしたので、会社は1652年に喜望峰に食料を補給するための基地を築きました。その小さな白人入植者の居留地は野菜を育て、会社のために色々なものを提供しました。居留地はすべてを会社に依存していましたが、なかでも武器の供与は全て基地任せでした。オランダの植民地主義者たちは自らをボーアと呼びました。それはオランダ語由来の言葉であるアフリカーンス語で、農民という意味です。

Disputes between the Boers and the Company made them move further inland. The first people they met were the Khoikhoi, whose pasture they conquered. Worse still for the Khoikhoi, the settlers forced them to hand over their cattle. It so was the very basis of their social system. The Khoikhoi were forced to work for the European settlers. The whites’ intrusion meant catastrophe for the San. Only a few San escaped and fled into the Kalahari desert. Their descendants live to this day under much more primitive conditions than did their forefathers in their rich soil.

会社との間で諍いを起こしてボーア人は、内陸の方に移動しました。ボーア人が最初に遭遇した人たちはコイコイ人で、その人たちの放牧地をボーア人が征服しました。コイコイ人にとって更に悪いことには、入植者達は牛を引き渡すように強要しました。それはコイコイ人の社会システムの基盤そのものでした。コイコイ人はヨーロッパ人入植者に、労働を強制されました。白人の侵入者は、サン人には悲劇的な結末を意味しました。ごく僅かのサン人は逃亡)、カラハリ砂漠に逃げこみました。その人たちの子孫は、今日でも、肥沃な土地に住んでいた祖先たちよりも原始的な状態で暮らしています。

The Xhosa and the Zulu peoples were most numerous in South Africa. Land was owned collectively, but cultivated individually. This might be called a moderate kind of socialism. When these highly developed cultures with their strong military organization clashed with the Boers, they could not be defeated as easily as the Khoikhoi and the San. The Wars of Dispossession started in 1871. The battles were many and fierce during the nine wars. The whites could only consolidate their control over what was formerly African land by crushing these African military kingdoms with superior arms. This process was almost completed in 1881. But the Boers never conquered South Africa completely. Conquest was completed only when the British forces took over the process.

南アフリカでもっとも人口の多かったのは、コサ人とズール人でした。土地は個人ではなく全体で共同所有されていましたが、個人個人が耕やしていました。一種の穏やかな社会主義と呼び得るものかも知れません。強大な軍を持つ高度に発達した文化がボーア人とぶつかった時、コイコイ人やサン人が簡単にやられたように、コサやズールーの人々がやられることはありませんでした。1871年に、略奪戦争が始まりました。9つの略奪戦争では、戦闘も数多く、激しいものでした。白人たちは優れた武器を使って、軍を持つアフリカの王国を破壊することによって、元はアフリカ人所有の土地に対する支配権を確立したのです。この過程は1881年には、ほぼ完成していました。しかし、ボーア人は完璧に南アフリカを征服しわけではありません。イギリス軍がその過程を引き継いで初めて、征服が完了したのです。

Britain feared that French control of the Cape could jeopardize British interests in India and trade with the East, and in 1795 sent a large British force to the Cape and forced the Dutch governor to capitulate. The Boers at once came into conflict with Britain. Britain was looking for raw materials and new markets for industrial goods. Slave trade and slave labour were no longer necessary. But for the Boers slavery was the foundation of their economy, so they resisted all attempts to abolish it. This contradiction resulted in bitter conflicts between them and the British colonialists. In 1833 the British managed to abolish slavery in the Cape. Many Boers, particularly the wealthy ones, left the Cape and moved inland in big ox caravans. This was called the Great Boer Trek. The Boers who stayed in the Cape needed workers for their farms, so they imported workers from Indonesia and Malaysia, Dutch colonies in Asia.

イギリスはインドおよび東洋との貿易で、ケープをフランスが支配することになればイギリスの利益が危険にさらされるかもしれないのではないかと心配しました。そして、1795年にはケープへ大規模なイギリスの軍隊を送り、オランダの植民地相に降伏することを強制しました。ボーア人は、直ちにイギリスと衝突しました。イギリスは、原料および工業製品の新しい市場を探していました。奴隷貿易と奴隷の労働は、もはや必要ありませんでした。しかしボーア人には奴隷制度が経済の基礎でしたから、ボーア人は奴隷制度を廃止する試みすべてに反抗しました。この矛盾は、ボーア人とイギリスの入植者の苦しい対立を生む結果に終わりました。1833年には、イギリス人がどうにかケープの奴隷制度を廃止しました。多くのボーア人、特に豊富なものがケープを去り、大きな雄牛の隊列を組んで内陸に移動しました。これはボーア人の大移動と呼ばれました。ケープにとどまったボーア人は、自分たちの農場のための労働者を必要としましたので、アジアのオランダ植民地インドネシアとマレーシアから労働者を輸入しました。

By 1854 South Africa was divided into four provinces. The British claimed the Cape and Natal, the coastal provinces rich in soil. The Boers had established two inland republics: the Orange Free State and Transvaal, which Britain had to recognize as autonomous.

1854年までに、南アフリカは4つの州に分割されました。イギリス人はケープおよびナタールの土壌の豊かな沿岸地方を要求しました。ボーア人は内陸の2つの共和国オレンジ自由国とトランスヴァールを設立し、イギリスはその2州を自治領として認めざるを得ませんでした。

The number of colonizers of British origin gradually grew. In Natal province sugar cultivation was started on a large scale at the end of the 19th century, and Indians were imported as indentured labour (See Appendix South Africa 1).

イギリスから来た入植者の数は徐々に増えていきました。ナタール州では、19世紀の後半に大規模な砂糖栽培が始められ、インド人が契約労働者として輸入されました。(附録<南アフリカの1>を参照)

The British and British capital became really interested in South Africa only when diamonds were found in 1867 and gold in 1886. This also caused a growing conflict with the Boers, since the rich deposits were found in their republics.

イギリス人とイギリス資本は、1867年にダイヤモンド、1886年に金が見つかったに初めて、南アフリカに本当に興味を持つようになりました。豊富な鉱物がボーア人の共和国で見つかったので、そのことでさらにボーア人との衝突が激しくなりました。

遅うなったけど、今日も何とか今日中に書けました。

また、来週に。

クラス名簿(Zoomではある方がよさそうやから、学生支援課でもらったファイルからコピーしたよ。)

2020年後期 クラス名簿(39名)(2020年10月15日現在)

46190550 長瀬 樹潤 ナガセ ミキヒロ 教育学校小中一貫中主免(社会) 2年生
50200061 乾 公平 イヌイ コウヘイ 農学部植物生産環境科学科 1年生
50200203 後藤 啓貴 ゴトウ ヒロキ 農学部植物生産環境科学科 1年生
50200434 三浦 慶斗 ミウラ ケイト 農学部植物生産環境科学科 1年生
51200145 岡田 優奈 オカダ ユウナ 農学部森林緑地環境科学科 1年生
51200396 橋本 凪咲 ハシモト ナギサ 農学部森林緑地環境科学科 1年生
53190057 岡本 姿月 オカモト シヅキ 農学部海洋生物環境学科 2年生
54180550 村上 友斗 ムラカミ ユウト 農学部畜産草地科学科 3年生
54180624 大野 篤太 オオノ アツタ 農学部畜産草地科学科 3年生
54190157 小野 純平 オノ ジュンペイ 農学部畜産草地科学科 2年生
54190207 川口 奏 カワグチ カナデ 農学部畜産草地科学科 2年生
54190522 藤田 真由子 フジタ マユコ 農学部畜産草地科学科 2年生
54200069 池田 麗 イケダ ウララ 農学部畜産草地科学科 1年生
55190147 金野 琉聖 コンノ リュウセイ (農)獣医 2年生
55190266 松岡 瑞穂 マツオカ ミヅホ (農)獣医 2年生
61180530 山田 祐斗 ヤマダ ユウト 工学部環境応用化学科 3年生
61190063 岩切 一真 イワキリ カズマ 工学部環境応用化学科 2年生
61190191 古谷 航大 コタニ コウダイ 工学部環境応用化学科 2年生
61200014 荒木 愛斗 アラキ マナト 工学部環境応用化学科 1年生
62200185 川崎 大 カワサキ ダイ 工学部社会環境システム工学科 1年生
63200094 浦川 大和 ウラカワ ヤマト 工学部環境ロボティクス学科 1年生
63200216 黒木 雅人 クロキ マサト 工学部環境ロボティクス学科 1年生
64180450 古川 陽仁 フルカワ ハルト 工学部機械設計システム工学科 3年生
64190062 上山 翔大 ウエヤマ シヨウタ 工学部機械設計システム工学科 2年生
64190190 木村 一平 キムラ イツペイ 工学部機械設計システム工学科 2年生
64190242 小松 倫太郎 コマツ リンタロウ 工学部機械設計システム工学科 2年生
64190277 嶋村 悠 シマムラ ユウ 工学部機械設計システム工学科 2年生
64190352 那須 智彬 ナス トモアキ 工学部機械設計システム工学科 2年生
64200189 数森 皓太 カズモリ コウタ 工学部機械設計システム工学科 1年生
64200536 山川 里玖 ヤマカワ リク 工学部機械設計システム工学科 1年生
65180230 酒井 将道 サカイ マサユキ 工学部電子物理工学科 3年生
65200119 尾崎 天哉 オザキ タカヤ 工学部電子物理工学科 1年生
65200229 小溝 睦 コミゾ トモ 工学部電子物理工学科 1年生
65200447 牧ノ瀬 開人 マキノセ カイト 工学部電子物理工学科 1年生
66180270 武吉 慧史朗 タケヨシ ケイシロウ 工学部電気システム工学科 3年生
67190254 田尻 航晟 タジリ コウセイ 工学部情報システム工学科 2年生
67190364 西尾 吉平 ニシオ キツペイ 工学部情報システム工学科 2年生
67200047 諫山 あやね イサヤマ アヤネ 工学部情報システム工学科 1年生
67200171 川越 彪雅 カワゴエ ヒヨウガ 工学部情報システム工学科 1年生