南アフリカ概論(後期用)

10月11日

2回目の授業でした。

「遠い夜明け」の続きを先に見てもらうつもりが、カードリーダーのこともあったんで、つい、出席で縛られる学生も縛る教師も考え直さんとあかんやろというような話、自分たちの持っている意識についての話をしてしまいました。

今の日本の体制についても。ほんとは先進国である日本が第三世界から搾り取って潤っているのに、当事者、加害者側にいる日本人の大半は、加害者意識はなく、実際にはそんなことを考えたことがない場合も多い、情報は公開されているのに気づかないのは自分の持っている意識の問題、みたいな話でした。

その延長で、自分について考えるのが如何に大事か、実際に自分が何に向いていて、何がやりたいかがわかってやり始めると、することが無限に広がって来る、是非、大学の豊かな空間で、自分の選択について、自分の適性ややりたいことについて、将来について考えてほしいと思っています。
それには今まで馴染みのなかった南アフリカなどの話は、いい材料になると思います。

それから「遠い夜明け」の続きで、ビコが殺される場面まで。

映画についてやこの前観てもらったの部分の解説を書かなかったので、少々。

この映画を作ったのは監督のリチャード・アッテンボロー。(映画の新聞記事は配っていますが。)少しあとに観てもらう予定の「ガンジー」や、「コーラスライン」で超有名な監督です。「ガンジー」でも暗殺の場面を最初に持ってきました。冒頭に典型的な場面を持って来るのが好きなようです。今回の場合は、スラムの強制立ち退きの話を南アフリカの典型的な場面として衝撃的に持って来ていました。英文テキストの中にも以下の文を紹介しています。日本語訳も貼っておきます。

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The bantustan policy meant that Africans were to be prevented from living permanently in the white areas. Ruthless, forced evictions took place to force ‘surplus labour’ to move from the towns to the bantustans. Crossroads outside Cape Town is only one example of this policy.

バンツースタン政策は、アフリカ人を白人地区で永住させないという意味のものでした。冷酷で、強制的な立ち退きが、「余剰労働力」を町からバンツースタンに強制的に移動させるために強行されました。ケープタウン郊外のクロスローヅはこの政策の一例です。

REFERENCE 3 参照3

We can hear the news of Radio South Africa about the 1978 Crossroads eviction in the following scene of Cry Freedom.
Newscaster: “This is the English language service of Radio South Africa. Here is the news read by Magness Rendle. Police raided Crossroads, an illegal township near Cape Town early this morning after warning this quarter to evacuate this area in the interests of public health. A number of people were found without work permits and many are being sent back to their respective homelands. There was no resistance to the raid and many of the illegals voluntarily presented themselves to the police. The Springbok ended . . .”

米国映画「遠い夜明け」の以下の場面で、1978年のクロスローヅの立ち退きについての南アフリカのラジオニュースが出てきます。
ニュースキャスター:「こちらは南アフリカラジオの英語放送です。
マグネス・レンドルがニュースをお伝えします。公衆衛生の見地から、その地域を空け渡すように勧告を出したあと、今朝早く警察は、ケープタウン郊外の不法居住地区クロスローヅの手入れを敢行しました。多くの人が労働許可証を持たず、それぞれのリザーブに送り返されています。手入れに対して全く抵抗の気配もなく、不法滞在者は自発的に警察署に出頭していました。放送を終わります・・・。」

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人種隔離政策の下で情報操作を強いられている白人にはそういうニュースしか流れないわけです。小さい頃から白人社会で育ったら、それが当たり前、というわけです。

ウッズとビコの出会いのシーンは、いつも美しいなあと思います。あの通りはハラレに行った時に、たぶん近くを通ったような気がします。transcribeしたのを貼っておきます。

Cry Freedom_The first meeting

Woods: Steve Biko? Are you Steve Biko?
Biko: l am. l would have met you in the church, but, as you know, l can only be with one person at a time. lf a (third) person comes into the room, even to bring coffee, that (breaks) the (ban)… And the (system) – the police – are just across the road. But, of course, you would (approve) of my (banning).
Woods: No. l think your (ideas) are (dangerous), but, no, l don’t (approve) of (banning).
Biko: A true (liberal).
Woods: lt’s not a title l’m (ashamed) of, though l know you (regard) it with some (contempt).
Biko: l just think that a white (liberal) who (clings) to all the (advantages) of his white world – jobs, housing, education, (Mercedes) – is perhaps not the person best (qualified) to tell blacks how they should (react) to (apartheid).
Woods: l wonder what sort of (liberal) you would make, Mr. Biko, if you were the one who had the job, the house, and the (Mercedes), and the whites lived in (townships).
Biko: lt’s a (charming) idea. lt was good of you to come, Mr. Woods. l wanted to meet you for a long time.

Mercedesはマーサディーズと発音、意味はメルセデス・ベンツ。ドイツ車で金持ちのシンボル。医者ややくざがよう乗ってる車で、医学科の駐車場ではよう見かけるねえ。

次回はビコが獄中で殺された場面のあとから。主演のデンデル・ワシントン↓

それから、テキストを見てもらいながら大ざっぱに歴史の流れを話しました。

大きな山は3つ、

①ヨーロッパ移住者がアフリカ人から土地を奪って課税して安価なアフリカ人労働者の一大搾取機構を打ち立てた

②アパルトヘイト政権とアフリカ人の抵抗運動

③白人政権と日本の関係

です。その順番で行こうと思っています。今日は①の一部分だけ。

その辺りを年代順に箇条書きにしてまとめておきます。次回時間があれば、年表で確かめます。時間ないやろな。

*1652年にオランダ人が到来
*1795年にイギリス人がケープを占領
*1806年にイギリス人が植民地政府を樹立
*1833年にイギリス人がケープで奴隷を解放
*1835年にボーア人が内陸部に大移動を開始(グレート・トレック)
*1854年頃には海岸線のケープ州とナタール州をイギリス人、内陸部のオレンジ自由州とトランスバール州をオランダ人、で棲み分ける
*南アフリカは戦略上そう重要ではなかった
*金とダイヤモンドの発見で状況が一変、一躍重要に
*1867年キンバリーでダイアモンドを発見
*1886年1ヴィトヴァータースランド(現在のヨハネスブルグ近郊)で金を発見
*1899年金とダイヤモンドの採掘権をめぐって第二次アングロ=ボーア戦争(~1902)
*イギリスの勝利。
*1910年南アフリカ連邦成立(イギリス人統一党とアフリカーナー国民党の連合政権、統一党が与党、国民党が野党)

ビコが移送されたのはプレトリア、南西の端のケープタウンから700マイル(1100キロ)も離れた北東部の首都プレトリア。脳挫傷しているビコを載せてがたがた道を走ったこの行為は合法的殺人、ほんまようやるよね。

配ったプリントはなしです。

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ビコの自己意識の話の補足です。

今日も映画を観たあと話をしたように、ビコは合法的に殺されたけど、それだけ体制に脅威だったということやろなあ。
裁判の中でビコがEven in this environment we must find a way to develop hope for themselves, to develop for this countryと言ってたけど、ほんとすごいよね。前の方Even in this environment we must find a way to develop hope for themselvesは僕でも言えるので、ま、授業でずっと言い続けて来たつもりやけど、あとの方のto develop for this countryは、言えないもんね。この国のやってきたことを考えると、恥ずかしすぎて、国に希望を紡ごうと言う気にならんもんなあ。こう言わないといけないのは悔しいなあ。
自己意識については、ビコとマルコム・リトルに焦点を当てて書いたことがあります。ビコを引用して書いた部分です。

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白人優位・黒人蔑視

奴隷貿易に始まる西洋諸国の侵略によって、支配する側とされる側の経済的な不均衡が生じましたが、同時に、白人優位・黒人蔑視という副産物が生まれました。支配する側が自らの侵略を正当化するために、懸命の努力をしたからです。支配力が強化され、その格差が大きくなるにつれて、白人優位・黒人蔑視の風潮は強まっていきました。したがって黒人社会は、支配権を白人から奪い返す闘いだけでなく、黒人自身の心の中に巣食った白人優位の考え方を払しょくするという二重の闘いを強いられました。アメリカ映画「遠い夜明け」で広く知られるようになったスティーヴ・ビコは、ある裁判で黒人意識運動の概念について質問されたとき、その「二重の闘い」に言い及んで、次のように述べています。

基本的に「黒人意識」が言っているのは黒人とその社会についてであり、黒人が国内で二つの力に屈していると、私は考えています。まず何よりも黒人は、制度化された政治機構や、何かをしようとすることを制限する様々な法律や、苛酷な労働条件、安い賃金、非常に厳しい生活条件、貧しい教育などの外的な世界に苦しめられています。すべて、黒人には外因的なものです。二番目に、これが最も重要であると考えますが、黒人は心のなかに、自分自身である状態の疎外感を抱いてしまって、自らを否定しています。明らかに、ホワイトという意味をすべて善と結びつける、言い換えれば、黒人は善をホワイトと関連させ、善をホワイトと同一視するからです。すべて生活から生まれたもので、子供の頃から育ったものです。[I Write What I Like (New York: Harper & Row, 1986), p. 100.神野明他訳の日本語訳『俺は書きたいことを書く』(現代企画室、 一九八八年)が出ています]

南アフリカを本当の意味で変革していくためには、先ず何よりも黒人ひとりひとりが、厳しい現状に諦観を抱くことなく、自らの挫折感とたたかい、自分自身の人間性を取り戻すべきだと、ビコは説きました。自己を同定するために自分たちの歴史や文化に誇りを持ち、次の世代に語り伝えようと呼びかけました。そして、経済的な自立のための計画を立てて、実行に移しました。

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全文をホームページからこのブログに移してるんで、リンクしておきます。↓

「自己意識と侵略の歴史」

 

次回は先に映画の続きをみて、そのあとオランダ人(岩切くん)→イギリス人(山口くん)→英文(THE CONFLICT ~, THE UNION~,牧浦さん)の順で。全部終わりますように。3人とも工学部、手を上げてくれてありがと。楽しくいっしょにやっていけるとええね。

課題の資料、授業で使う映像のコピーなどは、遠慮なくどうぞ。

今週は面接などもたくさんで、疲れたけど、南アフリカ概論だけは、今日のうちに書けました。

また、来週に。

南アフリカ概論(後期用)

10月4日

1回目の授業でした。楽しくやれそうやろか。

最初に挨拶もせずに時間前にヘイリー(Hayley Westenra、ニュージーランドの歌姫と言われていたそうです。)のオーソドックスなAmazing Graceを聴いてもらってから、Soweto Gospel ChoirのAmazing Graceを聴いて、観てもらいました。最初聴いたときは鳥肌が立ったけど、どうやったやろか。

オーソドックスと言ったのは、ヘイリーのように少し高めのソプラノの女性が歌ったのが一番多いようなので。それに馴染んでいる耳には、たぶん異質、やろか。Soweto Gospel Choirはあと何曲か観て、聴いてもらうつもりです。

そのあとそのまま「遠い夜明け」の最初の部分、ビコとウッズの出会いの場面(あの場面はいつ見ても美しいと思うな)、ソウェトに案内してもらう場面(実際にはロケをしたハラレ郊外の最大のスラム街ムバレ。知り合ったジンバブエの学生アレックス↓に案内してもらいました。夕暮れのバスなどで混み合うあの場所で、乗り合いタクシーを乗り換えました。昼間やったけど。)まで観てもらいました。2時間半以上の大作やけど、最後まで丸まる観てもらおうと思っています。

(プリントの中に、デンデルワシントンとウッズの新聞記事、「遠い夜明け」の試写会の半券も入れてあります。)

そのあと、学士力発展科目についていろいろ。話した通りです。

次回は、最初に今日の補足と何人かに南アフリカについて知ってること、授業を取った経緯、授業に望むことなどを話してくれると嬉しいです。

発表についても詳しく説明します。いっしょにやっていこ。

ブログも紹介しました。

次回は、映画の続き、コメント。誰かにやってもらって英文も読もうと思ってるんで、誰かやってや。それも決めよ。

歴史も少し。テキストの3章(南アフリカ概観)と5章(ヨーロッパ人とリザーブ)、巻末の南アフリカ小史をざっと見ておくとわかりやすいと思います。

課題については解説をしてないんで、それも次回に。

テキストは760円です。封筒に学科、学籍番号、名前を書いて持って来てや。まだ買ってない人は、直接か生協かで必ず買ってや。いろいろ指示をするので、毎回持って来といてや。

最初座席のことをうるさく行ったけど、なるべく前に来てや。うしろでは映像も迫力ないし、後に行く人は大概パソコンか携帯をやってるんで。折角の機会、大事にしよ。

前期あんまりあほらしいんで、切れてしまって予定してたアフロアメリカの歴史と音楽を急遽取りやめたけど、今回あんまり反応もなくええかげんやと、最後振り絞って来年の前期は何とか一年生対象に南アフリカ概論を持とうとは思ってるけど、やめてしまうかも。自信がないです。

やる限りは、お互い、気持ちよく、楽しくやろうや。

配ったプリント

①自己紹介(たま、B5)、②自己紹介用紙(次回学科ごとに集めるね、しっかり書いてや、出来たら写真を貼ってもらえれば、顔も覚えやすいね)、③授業(A4で7枚、「成績について最初に書いておきます。」は初めて書きました。ええかげんなのは、単位を出さないつもりです。でも、普通にやってくれれば、もちろん大丈夫。そのために、頼まれもしないのに学士力発展科目を3年間で3000人も持ったんやから。でも、それも限りがあるんでね。)、④⑦エボラ関連の新聞記事B51枚、⑧資料B4で8枚、次回以降解説もします。Soweto Gospel Choirについては、服部くんの紹介も含めて解説しました。)

また、来週に。

課題図書の資料の要る人は、直接かメールでいつでもどうぞ。面接も随時メールをもらえれば時間を合わせてやりましょう。医学科の部屋でも木花の部屋でも大丈夫です。

南アフリカ概論(後期用)

授業

(あくまで予定): 毎回映像を観てもらい、歌も聴いてもらうつもりです。発表や議論も期待しています。楽しみながら、いろいろと考える機会になれば嬉しいです。授業でやった内容をチェックしたり、次回の予定などがわかるように、ブログに授業のページも用意しています。→https://kojimakei.jp/tama

メール→tamadayoshiyuki@gmail.comもどうぞ。

課題と評価

人が人を評価出来るとも思えないけど、100点を満点にして点数を出さないとあかんので、提出物(自己紹介、感想、課題など6つ、7つあります)と授業への関わり(発表、コメント、討論など)を点数化して総合的に評価する予定です。課題の提出がない時は未受験。

課題はエセイを二つ、提出期限、1回目は11月の最終日:11月29日、2回目は1月の1回目:1月10日。印刷物の形で。学科、学籍番号、名前一枚目に忘れずに。2枚目に目次と出来れば要約。最低A4で8枚程度。

仮説を立てての論証文(課題図書を最低一冊は読む)詳しくはプリント参照。

課題図書について

資料は自分で探すこと。すべて詳しくはプリントにして配りました。

質問・要望などがあれば、いつでも直接かメールでどうぞ。