概要
ほんやく雑記の5回目で、オハイオ州デイトン出身の詩人ポール・ダンバー(Paul Laurence Dunbar, 1872–1906)の“Little Brown Baby”という詩を取り上げます。表現の仕方と、時代背景の理解の大切さについて書きました。
本文
ほんやく雑記の5回目です。
前回はアレックス・ラ・グーマの『夜の彷徨』(A Walk in the Night)の舞台になったケープタウンの第6区を取り上げ、ほんやくをする人の気持ちの大切さについて書きましたが、今回はオハイオ州デイトン出身の詩人ポール・ダンバー(Paul Laurence Dunbar, 1872–1906)の“Little Brown Baby”という詩を取り上げます。表現の仕方と、時代背景の理解の大切さについて書きたいと思います。(写真:ポール・ダンバー)
わが子と戯れる父親について詠んだ短かい詩は、次のように始まります。
輝く瞳の愛しいわが子よ、
こっちに来て、パパのお膝にお座り。
閣下、何をしておられたのでありますか?お砂のパイでもお作りでしたか?
涎掛けを見てごらん、パパと同じくらい汚れているね。
お口を見てごらん、きっと、糖蜜だろうね。
マリア、こっちに来て、この子の手を拭いてやってくれないか。
蜜蜂が来て、この子を食べちゃいそうだから、
ねばねばして、甘いからね!
Little brown baby wif spa’klin’ eyes,
Come to you’ pappy an’ set on his knee.
What you been doin’, suh – makin’ san’ pies?
Look at dat bib – you’s ez du’ty ez me.
Look at dat mouth – dat’s merlasses, I bet;
Come hyeah, Maria, an’ wipe off his han’s.
Bees gwine to ketch you an’ eat you up yit,
Bein’ so sticky an’ sweet goodness lan’s!
そのあと父親は、一日じゅうも笑みも絶やさない可愛いわが子を見つめながら、突然からかい始めます。「パパはお前なんか知らない、きっといたずらっ子だと思うよ」「戸口からこの子を砂場に投げちゃおう」「この辺りに、いたずらっこなんて要らないから」「この子をお化けにやっちゃおう」「お化けよ、お化け、戸口から入っておいで」「ここに悪い子がいるから、食べてもいいよ」「父さんも母さんも、もうこんな子は要らないから」「頭から爪先まで飲み込んじゃって下さい」と脅された子供は、ぎゅっと父親にしがみついてきます。そして、最終連です。
ほらほら、やっぱり、ぎゅっとしがみついて来ると思ったよ。
お化よ、もう帰っておくれ、もうこの子はあげないないから。
もちろん、迷子でもないし、いたずらっ子でもないよ。
父さんを許してくれるいい子で、遊び相手で、喜び。
さあ、ベッドに行って、お休み。
お前が、いつも平穏無事で、こうして素敵なままでいられたらどんなにいいだろうね。
お前がこのまま私の胸の中で、子供のままでいられたらどんなにいいだろうね。
輝く瞳の愛しいわが子よ!
Dah, now, I t’ought dat you’d hub me up close.
Go back, ol’ buggah, you sha’n’t have dis boy.
He ain’t no tramp, ner no straggler, of co’se;
He’s pappy’s pa’dner an’ playmate an’ joy.
Come to you’ pallet now – go to yo’ res’;
Wisht you could allus know ease an’ cleah skies;
Wisht you could stay jes’ a chile on my breas’
Little brown baby wif spa’klin’ eyes!
アフリカ系アメリカ人の言葉(いわゆる「黒人英語」)で書かれたこの詩はなかなか難しいですし、仕事帰りの父親が小さなわが子と戯れる様子は微笑ましいのですが、最後の仮定法の二行に来ると、ちょっとほろっとしてしまいます。
小作人(『1200万の黒人の声』より)
ダンバーは早くから詩を書いて白人の編集者に認められて国際的に有名になったそうですが、33歳の若さで亡くなっています。ダンバーの生きた頃は、アフリカ系アメリカ人には厳しい時代でした。奴隷貿易で大儲けをした南部の荘園主と、奴隷貿易で蓄積した資本で産業革命を起こしてのし上がった産業資本家が、奴隷制をめぐって南北戦争で殺し合い、法的に奴隷制は廃止されたものの、経済力の拮抗する対立の最終決着はつかず、結局アフリカ系アメリカ人は奴隷から小作人に名前が変わっただけ、苦しい生活は変わりませんでした。1890年代に入ると「奴隷解放」によって自由を夢見て南部から北部へどっと人が押し寄せますが、安価な単純労働しか求められないアフリカ系アメリカ人には厳しい現実は元のまま。特に本来なら知的労働者になるべき人たちには特に厳しい時代です。
小作人(a sharecropper)、Twelve Million Black Voicesから↓
炎天下の綿摘み作業、Twelve Million Black Voicesから↓
Richard Wright’s Twelve Million Black Voices (1941)
merlassesは砂糖黍の絞り滓、口のまわりをべとべとにして汚くしているのは、長くて汚い仕事から戻って来た俺といっしょ、今は俺の胸の中で何とか平穏にいてもらえるが、大きくなって仕事があっても安い辛い仕事ばかり、カラーラインを越えようものなら、白人のリンチ。このまま、俺の胸の中にいてくれたらなあ、という切なる父親の願いに、ほろっとしてしまいます。人種差別反対を声高に唱えるより、「現在事実の反対の仮定」を意味する「仮定過去」を最後に二つ並べた表現の妙は、心にじんと迫ります。
リンチの一場面(『1200万の黒人の声』より)
アメリカ文学会の会誌か何かでLittle brown baby wif spa’klin’ eyes が「きんきら目玉の小さな褐色の赤ちゃん」とほんやくされているのを見かけて違和感を覚えたことがあります。「きんきら」「目玉」「赤ちゃん」は論外ですが、それより「褐色の」が気になりました。
次回は「ほんやく雑記(6)イリノイ州シカゴ」です。(宮崎大学教員)
執筆年
2016年
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2016年7月用ほんやく雑記5(pdf 286KB)