2010年~の執筆物

概要

2005年に始めたEMPも9年が過ぎ、退職を目前にした段階で取り組みの全容を取りまとめました。臨床・基礎の医師・教員。医師と英語科の教員が協力し、事務局、病院看護部も含めて全学部的な取り組みになったこと、平成30年度からはEMPが選択科目ながら4年生のクリニカルクラークシップの一環として取り入れられたこと、提携先の大学が増えたことなど、目に見える成果をまとめましたが、何より、入学時ほとんど英語がしゃべれなかった医学生が6年次のクリニカルクラークシップでアメリカのカリフォルニア大学のアーバイン校の救急で臨床実習を受けて、何気なくこなしている実態は、結果として、文部科学省が言い出したactve learningそのものだった、と思いながらまとめました。

Abstract

This is the nine years’ report of the EMP program. The Faculty of Medicine, University of Miyazaki and Prince of Songkla University (PSU) in Thailand, agreed on a student exchange program in March, 2005. In April, four 6th-year students attended a one-month clinical clerkship program at PSU. The EMP project was started as a preparatory short English training program for the clinical clerkship. EMP, an acronym for English for Medical Purposes, derive from ESP (English for Specific Purposes), a teaching method designed for motivating English learners by providing with clear goals. The program is conducted as an elective subject in the curriculum to improve the students’ English communicative skills for their overseas clinical training.

On December 14, 2005 the English Department presented a proposal for a program for 4th year and 5th year students to the faculty. The faculty approved our proposal and we conducted a short English program for students by inviting medical doctors from PSU and the University of California, Irvine (UCI), sponsored by the University. That was the beginning of the EMP program.

We have extended our program to ENP (English for Nursing Purposes) for nursing students, N_ENP (ENP for nurses in the University Hospital), and the O_EMP for office workers of the Faculty of Medicine, including the University Hospital. In 2009 we sent the first medical student to UCI. Since then seven students experienced their precious experiences at UCI. (In 2014 four more students will stay at UCI.)

We have made the best use of a grant (the “GP – Good Practice”) from the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology. “Developing medical workers with a multilateral perspective,” our EMP project, was selected as a “Supporting Program for Distinctive University Education 2008.”

Though much is to be done every year, we hope we’ll continue our efforts.

本文(写真作業中)

EMP9年:結果として、active learning

EMP9年

海外での臨床実習のための英語のプログラムEMPの9年間の報告です。

宮崎大学医学部は、2005年3月にタイのプリンス・オブ・ソンクラ大学(PSU-Prince of Songkla University)と学部間学生交換プログラムに関する覚え書きを締結し、4月に医学科6年生4名がクリニカル・クラークシップ(臨床参加型実習)・プログラム(4週間)に参加しました。EMPはその準備のためのプログラムです。

2005年度の歓迎パーティ、医学部学生食堂で

EMPとは、English for Medical Purposes のそれぞれの頭文字を取って作った略語で、医療のための英語という意味で、元々、目的を明確にして学習効果を高める狙いで考案された ESP (English for Specific Purposes) 教授法由来の言葉です。海外での臨床実習に参加するための英語運用力を高めるという明確な目標のもとに、医学部の正式なカリキュラムの中に位置づけられた選択科目として実施されて、9年が過ぎました。

参加した学生の意見を汲んで英語科にプログラムの要請があったとき、私は学部全体の総意と捉え、①医学科5年生だけでなく4年生も、②看護学科の学生も、③大学病院看護部の看護師も、④医学部事務局の事務員も、⑤大学院生も、と考えました。

現在⑤大学院生用のプログラムはまだ実施出来ていませんが、一年目から①医学科4・5年生、二年目から②看護学科3・4年生(現在は2・3年生)と③看護部の看護師、5年目から④事務局の事務員のプログラム(①EMP、②ENP-English for Nursing Purposes、③N_ENP、④O_EMP)を実施しています。

大学病院看護部ENPの授業で

現在、医学科はソンクラ大に8名、米国カリフォルニア大学アーバイン校(UCI-University of California, Irvine)の小児科に2名(来年度からは救急にも4名)、大学病院はソンクラ大病院に研修医を2名、看護学科はソンクラ大に4名(2週間)、看護部はソンクラ大病院に看護師を2名(1週間)の派遣・受け入れが可能です。

今回は医学科EMPの報告で、実施した内容については①始めた年2005年、②UCI 開始、③GP(文部科学省の交付金)、④The Language of Medicine(医学用語)に項目をわけて報告します。

EMPプログラムの実施

始めた年2005年

2005年4月に学生が参加したのは単位互換を伴う学生交換の制度に基づいたものです。双方の大学病院の医局で学生を受け入れて臨床実習を行ない、それぞれの大学で単位認定を行なう制度です。

帰国した学生からは「『タイでは医師といったら、なんでもできるもの』ソンクラでの実習はまさしく、この言葉につきます。医学教育のシステムは、医師が足りないという状況もあるため全てが実践的です。5年になると、病棟実習が開始され、担当患者の事はまず学生が問診し、所見をとり、検査、治療方針をたて、それをレジデントが毎朝のラウンドでチェックするといった状況です・・・・日本で卒後にやることをそのまま5年、レジデントがやっている。何もできない自分が非常に恥ずかしく思えました。」(日吉優)、「最も印象に残っているのは、タイと日本の医学教育の違いを体験できたことです。特に、最後の一週間に訪れた、地域の診療所での医師達の姿です。その診療所では、GP(General Practitioner:総合診察医)とよばれる医師達が、地域の患者の診療の中心を担っており、一人の医師が内科的疾患から、外科、産科など、あらゆる疾患を診ていました。」(今吉鈴子)、「単語は知っているが、聞けない、喋れない。日本人の特徴なのだろうか、医学についても同じではないか、ソンクラでそんな事を考えた。見て、聞いて、考える学問としての医学、大容量の短期記憶と反射神経で乗り切る試験勉強としての医学。そして私達は後者に溺れる。制度も環境も大きく異なり一概には言えないが、タイの学生達は少なくとも私達より、『医学』を『人』を通して学んでいた。1ヶ月ソンクラで過ごした事は何事にも変えられない貴重な体験で、今後の人生の大きな糧となると信じている。」(西垣啓介)、「私にとってはこれまでに経験したことを生かせる良い機会であったと同時に、実習を通じてタイとう国の医療サービスについて色々学ぶこともでき、参加して本当に良かったと思っています。」(山本茜)など貴重な体験をしたという思いとともに、実際にはなかなか思うようには英語が使えなかったという意見も強かったそうで、医学部として英語科に何か準備のための英語プログラムを、という要請があったのは夏前です。(河南洋医学部長が研究室に訪ねて来られて、正式な要請がありました。)

タイのプリンス・オブ・ソンクラ大で

早速準備に取りかかり、次年度のソンクラ大での臨床実習に向けての英語のプログラムと経費の確保策を考えると同時に、次年度以降のプログラムについても考えました。初年度のプログラムの具体案を11月の半ばにまとめ、12月の教授会に、英語分野が「4・5年生の英語研修プログラムーEMP (English for Medical Purposes) 講座」を実施することを提案して、承認されました。

[実施計画・方法]は、英語分野の4人が中心となり、17年度学長裁量の「教育戦略経費」を利用してソンクラ大学とアーバイン校から医学教員を招いて(ソンクラ大学との窓口役は、応用生理学分野の丸山教授、アーバイン校の窓口役は産婦人科学分野池ノ上教授)、英語の短期研修を行なう、でした。

[期待される成果]は、①4・5年次に明確な目標の下でこのプログラムが実施出来れば、海外での貴重な研修の場で、学生自身がより多くのものを吸収することが期待出来る、②プログラムを正規のカリキュラム内に位置づけて、入学から卒業までの一貫性を持つ制度が定着すれば、下級生の指針や励みにもなり、1・2年次での英語学習にも大きな成果が期待出来る、③卒後研修との連携が可能になれば、研修生確保の一助にもなり得る、④プログラムを充実させて実績を積めば、学外資金の獲得も可能になる、でした。

12月に助教授の横山がソンクラ大に視察に行きました。

ソンクラ訪問(右端が横山さん)

17年度学長裁量の「教育戦略経費」は、「将来の職業と直結した英語教育プログラムの構築に取り組む」ことを骨子にした「プロジェクト名 英語が使える医療人の育成プログラム」で申請したもので、240万円が交付されました。

2月17日から3月11日まで(1期が2月17日から23日まで、2期が3月7日から11日まで)、5年生6名、4年生9名(途中参加1名、辞退2名)がEMPに参加し、1期はソンクラ大からのDr. Teerha PiratvisuthとDr. Sakon Singhaのセッションを中心に、2期はカリフォルニア大アーバイン校からのDr. Feizal Waffarnのセッションを中心に実施されました。以下がその概要です。

2006年02月17日 EMP講座始まる

17日からEMP講座が始まりました。5年生5人が参加、月曜日からのケース・スタディの前に、自己紹介なども含めた会話の練習と医学用語の発音の練習などをしました。横山さんが撮影の練習をして、録画した映像をハイビジョン画面で確認しました。ホワイトさんも会話に加わり、質問や解説などをしました。

2006年02月19日 Dr Teerha、Dr. Sakon、宮崎に到着。

Dr Teerha、Dr. Sakonが宮崎空港に到着されました。横山助教授、丸山教授と玉田が出迎え、宿泊先のパームビーチホテルに案内しました。昼食をしながら、打ち合わせを行ないました。

旧パームビーチホテルで(左から丸山、ティーラ、サンコン、横山さん)

2006年02月20日 EMP講座2日目

講師2名によるケーススタディに4・5年生とタイの留学生3名が参加しました。以下、受講者からの報告です。

「本日、ティラー先生によるケーススタディが行なわれました。席の配置は、議論のしやすさを考慮して半円形にし、前列に5年生とタイからの留学生とサコン先生が座り、後列に4年生が座りました。

症例は、数週間前の交通事故後から黄疸を呈した44歳男性でした。尋ねるべき情報は? ラボデータの解釈は? 鑑別診断は? まず行なうべき検査は? といった形で話が進み、最後に黄疸の鑑別のフローチャートが提示されました。答えは、交通事故後に投与された抗生剤による薬剤性肝炎でした。

5年生には4月にタイでクリニカル・クラークシップを行なう学生も含まれており、この機会を最大限に利用するべく、ふだんの講義のときよりも積極的に議論していました。あとから、タイの学生から聞いたのですが、タイではスモールグループでのケーススタディでも皆あまり発言しないらしく、日本の学生は積極的だと言っていました。しかしこの1週間タイの学生とつきあった感想では、日本の学生よりも何倍も勉強しているようで、我々は見習わなければならないと思います。

ティラー先生の議論は非常に論理的であり、内容だけでなく、思考の仕方の勉強にもなりました。

午後からは第2内科でベッドサイドラーニングがあり、タイの先生方、2内科の先生方、タイの学生3人、5年生3人が参加しました。議論も白熱し、我々学生も勉強になりました。(M5 杉田 )」

* 昼食会

Dr Teerha、Dr. Sakonを迎えての昼食会が本学でありました。住吉学長、名和副学長、河南学部長などを囲んで和やかに歓談しながらの食事となりました。

* 歓迎パーティ

ソンクラからの5人を迎えて、医学部挙げての歓迎パーティが催され、約50名の参加がありました。

初めての試みでもありますので、みんなが試行錯誤しながらやっていますが、Dr. Teerha の挨拶の中にあったように次の世代のためになれば幸いです。名和副学長の挨拶にもありましたが、農学部とも協定が結ばれるようですので、ますます実質的な往き来が実現しそうです。宮崎大学とソンクラ大学に乾杯!

医学部での歓迎パーティ

2006年02月21日 EMP講座3日目

5年生とタイの留学生は Dr Teerha のケーススタディに、4年生は Dr. Sakon の講義に参加しました。

2006年02月22日 EMP講座4日目

4・5年生と留学生が、Dr. Sakonの講義を受けました。

2006年02月23日 EMP講座5日目

4年生はホワイトさんが、5年生はゲストさんが担当してそれぞれ、レビューと会話をやりました。4年生は医学用語の発音練習も少しだけ。

EMP5年生のクラス

2006年3月7日 EMP講座第二部開始、講師 Dr. Feizal Waffarnが宮崎に到着。

7日にEMP講座を再開しました。5年生はゲストさんが担当、4年生はホワイトさんが担当して、8日の新生児室でのセッションのPreviewを行ないました。

午後には、Dr. Waffarnが宮崎空港に到着されました。横山助教授と玉田が出迎え、学部長室に直行、今回持参された既にサインを終えた学部間の協定書を確認しました。今回のEMP講座は、学部間提携校としての初めての試みとなります。

そのあと、英語のスタッフ4人と明日のセッションの打ち合わせを行ないました。

2006年3月8日 EMP講座第二部2日目

Dr. Waffarnによる新生児室でのセッションに4年生、5年生が分かれて参加しました。4年生がやっているときは5年生にゲストさんがPreviewを、5年生がやっているときは4年生にホワイトさんがReviewを行ないました。英語科の4人と熊本大と県立看護大の見学者もセッションに加わりました。

写真:Dr. Waffarnの授業

* 昼食会

河南学部長主催の Dr. Waffarnと学生の昼食会が医学部でありました。菅沼副学部長、池ノ上教授、鮫島助教授(産婦人科)、英語科のスタッフ4人も加わりました。

* 昼食会のあと、Dr. Waffarnと英語科のスタッフ4人とで、今日のセッションのフィードバックと明日の講義の打ち合わせを行ないました。

* 学長・副学長へ表敬訪問

午後、Dr. Waffarnが住吉学長・名和副学長に表敬訪問をされました。河南学部長と玉田が案内しました。協定書の確認のあと、今後の交流の展望についての意見交換を行ないました。

2006年3月9日 EMP講座第二部3日目

講義棟301教室で、4年生、5年生が分かれてDr. Waffarnの参加型の講義に参加しました。4年生がやっているときは5年生にゲストさんがPreviewを、午後から4年生にホワイトさんがReviewを行ないました。県立看護大の見学者も加わりました。

2006年3月10日 EMP講座第二部4日目

昨日にひき続き、同じ形式で参加型の講義が行われ、産婦人科の池ノ上教授も参加されました。今日も、県立看護大から2名が見学に来られました。

2006年03月11日 EMP講座第二部5日目

4年生はホワイトさんが、5年生はゲストさんが担当してそれぞれ、レビューをやりました。

急遽プログラムを考えて実施した側としては、当初の「取り敢えず今年は先ずやってみる」という目標が果たせただけでなく、①英語分野、応用生理学分野、産婦人科学分野、総務課など、医学科全体が相互協力してプログラムが実施できた、②目的を持って語学を学ぶことの大切さを改めて実感した、③招聘講師を招いて行なったセッションから今後の講座の内容と展開のやり方についての具体的な手がかりが得られた、④学部間協定を締結したアーバイン校との学生間交流が開始出来る可能性が高まった、などが主な成果としてあげられます。今回のプログラム実施を足掛かりに病院も含めた医学部全体の取り組みに発展させようという流れになったのは最大の成果で。その取り組みの総称にEMPを使うことになりました。EMPは医学部全体の取り組みの総称です。

次年度以降のプログラムについては菅沼副学部長(教務委員長、現学長)と、医学科は4・5年生、看護学科は3・4年生の選択科目としてカリキュラムの中に組み入れました。医学科は4年生の前期しか通常の時間割には組み込めませんでしたが、看護学科は通常の時間割内に収まりました。(医学科4・5年生後期は春休み、5年生前期は夏休みに実施)2014年度入学生から、選択科目ながらクリニカルクラークシップの時間割の枠内で授業をすることになっています。学部全体がEMPを評価している結果だと思います。

4月に玉田と横山助教授がソンクラ大病院での臨床実習の見学に行きました。

  • UCI 開始

2008年度に締結された協定に基づいてUCIでの実習が始まったのは2009年度からで、初年度は1名(成田健太郎くん)が参加しました。産婦人科教授の池ノ上さんとUCIのFeizal Waffarn教授(Chairman of Department of Pediatrics)との交友関係と個人的な尽力に負うところが大きく、2005年8月に本学に来訪中に英語科の部屋でWaffarn教授と英語科スタッフとでざっくばらんに話をしたことで急速に話が進みました。「日本の学生は英語に自信のない学生が多いので言葉に自信を持つ学生を送ってください。医学部プロパーで英語教員がいるなんてすばらしい環境ですね。一緒に何かやりませんか」と話が具体化して行きました。

Dr. Waffarn:NICU

2008年12月に横山さんがUCIを訪問して、①Clinical Skills CenterでのOSCE (surgery, clinical foundation, family medicine)見学、②オスロからの留学生へのインタビュー、③Family Health Center (Santa Ana)の見学、④Waffarn教授、Larry Goldとの打ち合わせ、⑤Penny Murata(臨床実習責任者)との打ち合わせ、などを実施しました。Dr. Penny Murataとのミーティングの内容です。

1.カリキュラムについて

・UCIでの研修でローテーションの一つに小児科を希望する場合。ゴール、目標、臨床での問題などCouncil on Medical Student Education in Pediatrics (COMSEP)によって全米で統一のカリキュラムがあるのでそれに基づいている。

2.クラークシップについて

・Long BeachにあるMiller Children’s Hospitalでの入院患者臨床実習:4週間

・UCI付属の病院またはMiller Children’s Hospital付属の小児科officeでの外来患者臨床実習:4週間

・UCI Medical CenterまたはMiller Children’s Hospitalでの新生児:4週間の外来患者ローテーションのうち1週間

 

写真:UCI Medical Center

3.カンファレンスについて

・週に1度の学生カンファレンス、週に1度のDepartment of Pediatrics Grand Rounds、昼休み時間のDepartment of Pediatrics Residency noon conferenceがある。

4.アサインメント(課題)について

・入院患者臨床実習期間中にpatient historyとphysical reports(3本)

・外来患者ローテーション期間中にpatient note(1本)

・文献検索

・clinical skillsのチェックリスト

・patient log

・人文学あるいは児童の権利擁護に関するプレゼン(内省的なもの)

・Problem-based learning (PBL)での症例プレゼンテーション

5.評価について

・faculty residentsとsenior residents(2,3年目の小児科レジデント)からのclinical performanceについての評価、historyおよびphysical report、外来患者の記録、PBLの症例、医師国家試験官の試験

6.その他(ロジスティクス)

・オスロの学生のように長期(4ヶ月)の場合にはアパートを借りることも考えられるが、本学の場合は4週間なのでホテルが妥当

・自家用車(レンタカー)は必須

宿泊先は費用面でホームステイの可能性を探ったが受入れ家庭が見つからず、今後も可能性は低い。旅費、滞在費、レンタカー代金などをあわせて為替レートにもよるが1ヶ月でおよそ60~70万円の負担が生じる。

2009年1月23日にUCIでの実習に耐える語学力を確認するために、産婦人科のカンファレンスルームにて、インターネットテレビ会議システムを利用したインタビューがWaffarn教授とDr. Murataにより実施されました。

経済的な問題も含めて難題もありましたが、何とか成田くんの参加が実現しました。

 

写真:成田

  • GP(文部科学省の交付金)

EMPを始めてから間もなく、執行部や事務長からの要請もあって、GPを申請して予算をもらいました。平成20年度~平成22年度「質の高い大学教育推進プログラム」(教育GP)、題目:「複視眼的視野を持つ国際医療人の育成」(61,669,000円)です。ヒアリングでは「予算をもらってもすることが増えるだけで、実際に招待した人たちの接待も自分持ちですし、予算をもらっても痛し、痒しですね。」と言いましたが、本音です。単科大学の時に比べ、看護学科が出来て授業が増え、無理矢理の統合で共通教育の授業が増えて、その上に、選択科目とは言え、医学科4・5年生、看護学科2・3年生、看護部看護師、事務部事務員のEMP/ENP授業とコーディネートが加わったわけですから、毎年毎年、やっぱり大変です。しかし、折角もらった予算ですし、目一杯有効に使いました。看護師や事務員、看護学科の教員や基礎と臨床の医師にもソンクラ大とアーバイン校に行って、自分の目で見てもらいました。予算を使って報告書や留学記などの冊子もたくさん作りました。以降も毎年、授業報告書や留学記も残すようにしています。ホームページも作り、学生の医学図書も充実させ、EMP専用の二部屋の映像機器も補充させました。

  • The Language of Medicine(医学用語)

医学英語に困らなくなったのは、The Language of Medicine(SAUMNDERS ELSEVIER, 8th Edition)という分厚い医学用語の本を使い始めてからです。アーバイン1号の成田くんたちの学年です。4年生のEMPが始まってもあまりにも積極性に欠ける風にみえたので、このままやとあかんやろとはっぱをかけました。慶應大出身の石井信之くんが具体的に言ってもらわないとわかりませんと反論しましたので、横山さんがファイルを作って足りない点をたくさん指摘しました。その時点で石井くんにギアが入ってしまって、みんなをひっぱって、一年ほどかけてThe Language of Medicineの約2200語の医学用語の定義と名前の試験を繰り返して全部覚えたようです。五年生になってからは内科の医者を引っ張って来て、毎週英語でケーススタディをやってもらっていました。その成果もあって卒業時には全員が成績上位に並んでいました。林直子さんが「一緒に励まし合うEMPの仲間がいたから、何とか三年間、続けてこられました。」と書いていましたが、うまく協力し合えた学年だったと思います。

The Language of Medicineは自習用のすぐれたテキストで、22章からなり、4章までが基本構造や接尾語、接頭語などで、それ以降は消化器系などの系からなっています。各章の最初に説明と用例があり、次の解説と練習問題でその用例に慣れ、最後に発音記号付きの必須用語が並べてあります。

そのThe Language of MedicineをGPの予算を使ってデータ化し、音声をリンクさせたファイルを5年かかって作りました。EMPで最初にその資料を配っています。学生はグループにわかれて、試験を繰り返しながら覚えています。講師(医者か研究者)の専門に合わせて、事前に用語の確認も一緒にやっています。アメリカのテレビドラマERを使った産科のテーマだとChapter 8 Female Reproductive System、脳外科の水頭症や脳腫瘍の症例研究だとChapter 10 Nervous System、眼科だとChapter 17 Sense Organs: The Eye and the Earといった具合です。

 

写真:The Language of Medicine(8版)

現在は一年生の授業でも横山さん、南部さんと協力して三分の一程度、4章までとChapter 5 Digestive System とChapter 15 Musculoskeletal Systemを全員でやっています。必須医学用語は750語程度です。

The Language of Medicineのおかげで、最近はソンクラやアーバインで医学用語に困るということはなくなりました。

結果として、active learning

2005年に医学部長の河南さんからの依頼でEMPを始めたときは、取り敢えず始めるだけでその後の展望が持てたわけではありませんでしたが、予想以上の成果があったように思います。文部科学省はグローバルに続いてアクティヴ・ラーニングをキーワードにしているみたいですが、このEMPプログラムを通して感じるのは、海外の臨床実習で実際に使うためにという目標が定まると自分から進んでやるし、英語も使えるようになるし、結果的として、EMPはまさにアクティヴ・ラーニングやったなあ、です。学部全体としても学生のために協力し合えるのは、有り難いことです。

最近PSUで実習をする学生の英語力がすごいのでソンクラの学生も大いに刺激を受けています、という声も聞きますし、6年生の報告会でも、もっと医学用語をしておけばよかった、もっと会話の練習をしておけばよかったという感想がなくなって、タイでは急性疾患が多く、日本では慢性疾患が多い、などの内容的なことに主眼が置かれるようになっています。その点では、実習で自信を持って英語が使えるようにという目的はある程度果たせているのではないかと思えます。

ただ、いい面ばかりではありません。始めた当初はみんなで創り上げるという気持ちもあって学生もかかわりが濃かったと思いますが、慣れて来ると、制度があって当たり前というふうに考える学生も出てきているように思います。「今までEMPの授業のことを、義務のように受けなければいけないもの、と思っていたが、今回は受けたいから行く、という感じだった。」という5年生の感想を見たりすると、少しかなしくなります。今年卒業した学年はなかなか大変でした。2年次では、期間も最初から決めているのに、試験の間近には半数以上が欠席し、アンケートにそんな時間割を組むとはと書かれていました。結構欠席者や遅刻する人もいて、とても自主的に参加しているとは思えませんでした。連絡網もあるわけですから、気持ちがあればメールで欠席の連絡くらいは出来るのにと思いました。卒業まで続けたのはわずかに4名でした。こんな人たちが医者になるのかと思うと暗澹たる気持ちになったこともあります。

一昨年卒業した学年が2年次からEMPを始めた最初の学年ですが、4年生になったとき5名しかメンバーが残りませんでした。オリエンテーションでは20名ほどの希望者がいましたが、実際に始めたのは11名で、留年やら辞退やらで、最終的には5名になりました。ソンクラに派遣する8名枠が埋まらずに3名を公募で選考して派遣を決めました。8名枠を満たせない理由は色々と考えられますが、専門科目の学習やサークル活動など一番忙しい学年で英語の優先順位をどれだけ保てるかだと思います。実際には2年間の活動を続けるのは難しいようです。

もちろん、ソンクラにしろ、アーバインにしろ、行った人は例外なくよかったと言っています。ソンクラの医学科の学生は国の事情もあって、5年生で研修医、6年生でレジデントと同じような仕事を任されますから、向こうに行って教わることも多く、EMPの学生にとってはまたとないいい機会だと思います。

 

写真:報告書

一人一人と向き合うには手間と時間がかかりますし、大変なこともたくさんありますが、何とか工夫しながら続けられたらと思います。違う文化の中で言葉を自由に使って貴重な体験が出来る機会を確保するのは大事なことですし、貴重な経験をしてすてきな医者になってくれれば、嬉しい限りです。

  1. 4名の学生には卒業前に感想や報告を書いてもらい、玉田吉行、横山彰三、Michael Guest、Richard White「2005年度EMP報告書・ソンクラ報告記」(https://kojimakei.jp/tamada/works/EMP/05ソンクラ報告記.pdf、2006年3月29日、1~3頁、全4頁)に入れました。また玉田吉行、横山彰三、Michael Guest、Richard White、南部みゆき「ソンクラ大学留学記・報告記(1)2005年度~2008年度」(https://kojimakei.jp/tamada/works/EMP/08ソンクラ留学・報告記Ⅰ.pdf、2009年3月29日、4~5頁、全102頁)にも収載しています。
  2. 玉田吉行、横山彰三、Michael Guest、Richard White「2005年度EMP講座報告書」(https://kojimakei.jp/tamada/works/EMP/05EMP報告書.pdf、2006年3月29日、3頁、全33頁)
  3. 横山彰三「ソンクラ大視察」(同上報告書28頁)

4.「第一回 EMP 講座詳細」(同上報告書12~17頁)

  1. 横山彰三「UCIとの学生交流開始について」「留学記・報告記(2)-PSU・UCI」(https://kojimakei.jp/tamada/works/EMP/09留学期・報告記II.pdf、2010年3月、2~3頁、全85頁)
  2. EMP報告書と留学記などはブログにまとめて、クリックすればPDFファイルが読めるようにしてあります。→玉田吉行の「EMP報告書・留学記」http://kojimakei.jp/wordpress/2014/11/20/%E7%8E%89%E7%94%B0%E5%90%89%E8%A1%8C%E3%81%AE%E3%80%8Cemp%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%83%BB%E7%95%99%E5%AD%A6%E8%A8%98%E3%80%8D/

7.(教育GP)専用のホームページ→「複視眼的視野を持つ国際的医療人の育成」http://www.med.miyazaki-u.ac.jp/english/index.html、英語科のホームページにはソンクラ大、アーバイン大の実習時に送られて来たメッセージも載せてあります。→「songkla diary・Irvine diary – ソンクラ・アーバイン通信」http://kojimakei.jp/english/scientific/d_songkla/

執筆年

2014年

収録・公開

「ESPの研究と実践」第11号57-67ペイジ

写真:ESP11号

ダウンロード

(作業中)

2010年~の執筆物

概要

2011年11月26日に宮崎大学医学部で開催したシンポジウム「アフリカとエイズを語る―アフリカを遠いトコロと思っているあなたへ―」を何回かにわけてご報告していますが、前号でご紹介したシンポジウム「『ナイスピープル』理解26:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告5」「モンド通信 No. 46」、2012年6月10日)の続きで、五番目の発表者天満雄一氏の報告です。今回が最終報告です。

天満氏によるシンポジウムのポスター

本文

シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告(6):天満雄一氏の発表

会場で紹介するために司会進行役の南部みゆきさんが予め本人から聞いていたアフリカ滞在歴と経歴は以下の通りです。

「天満雄一(てんまゆういち)宮崎大学医学部医学科6年

2007年3月11日より24日までザンビアに滞在。学生団体IFMSA-Japan(国際医学生連盟 日本)で友人とAfrica Village Projectを立ち上げ、TICOというNPOの協力のもと現地の健康意識調査等を行いました。また、2007年7月30日から8月10日までマダガスカルに滞在し、jaih-s(日本国際保健医療学会学生支部)のプログラムを通じて、JICAの運営するマダガスカル母子保健プロジェクトの活動視察を行いました。」

発表ではパワーポイントのファイルを使ってたくさんの写真を紹介していますが、写真は省いてあります。

「ザンビア体験記:実際に行って分かること」    天 満 雄 一

天満雄一氏

ザンビアに行ったのは2008年の3月で、IFMSA-Japan(国際医学生連盟)という学生団体での活動がきっかけでした。IFMSAは1951年に設立されたフランスに本部に置く、医学生を中心とした国際NGO団体で、100ヶ国以上の国の医学生が何らかの形で活動しています。IFMSA-JapanというのはIFMSAの日本支部で、現在医学部を有する51の大学が加盟し、約500人の医療系学生が活動しています。

ここの団体の活動で出会った他大学の学生との「アフリカに行きたいな。」という他愛もない話が、ザンビアに行くきっかけとなりました。アフリカに行くなら、単なる旅行ではなく、目的を持ったプロジェクトで行こうということになったのです。ただ、アフリカに行き何らかの活動をするといっても、はじめは何をしていいかわからず、そこで実際にアフリカで活動しているNGO団体を探し連絡をとることから活動をはじめました。その時にTICOという主にザンビアで活動する徳島のNGO団体に出会い、協力してもらえることとなり、そういった経緯から目的地がザンビアに決定しました。

ザンビアはサハラ以南の国で、面積は日本の約2倍、人口は約1200万、73もの部族が存在し、公用語は英語となっていますが、それぞれの部族でそれぞれの言語を使用し、教育を受けていない大人や、街からはずれた場所では、英語を理解できない人も多く見られます。また、世界3大瀑布の1つであるビクトリアの滝やサファリなど多くのあるがままの自然が残っている国です。

アフリカの地図

UNICEFのデータによると、2004年時に比べて2009年には大幅に経済や教育指標の改善が見られました。HIVの感染率も2004年に16. 8%であったのが、2009年のデータでは13. 5%とまだまだ高いものの、データとしては大幅な改善が見られました。しかし、私は実際にザンビアに行った経験より、これらのデータが必ずしも現状を表した正しい数字を示しているとは限らないのではないかと思います。

私は他のメンバーとともに現地に行き、主に5歳以下の子どもを持つ母親を中心とした住人の健康意識調査や、井戸の水質調査、伝統的産婆へのインタビューに加え、病院や孤児院やJICAの運営するHIV/AIDSプロジェクトの見学をさせてもらいました。こういった活動に備えて、私はTICOにも協力してもらいながら、メンバーとともに1年以上の時間をかけて、ザンビアの現状やアフリカのことについて学び、そして計画を練ってきました。しかし実際に現地へ赴き活動してみて、いかに自分がアフリカについて、そしてザンビアについて知らなかったのかということを思い知らされました。例えば調査の中で、「どこで子どもを産みましたか?」という質問があり、それに対する答えとしては、診療所や病院、他には自宅や伝統的産婆の所という答えを想定して選択肢を設けていたのですが、10%以上の母親が路上という回答をしました。これはつまり、産気づいてからそれらの場所に向かおうとしたが、車などの移動手段がなく、またそれぞれの場所が離れているため間に合わなくなり途中で産まれてしまったという理由からでした。またその場合子どもが破傷風などの感染症にかかることも多く、実際に話を聞いた3分の1以上の母親が子どもを亡くした経験があるということも驚きでした。また、水質調査では井戸がいわゆる井戸ではなく、地面に穴を掘っただけの水たまりのような程度のものであり、そこで大腸菌が検出されたにも関わらず、住民が日常の飲み水や生活水として用いていることも衝撃を受けました。

HIV/AIDSに関しても同様に衝撃を受けることが多くありました。1つは孤児院の見学です。HIV/AIDSに関しては疾患自体の感染率や発症人数、それらの対処方法に目が行きがちですが、実際に疾患が社会に様々な影響を与えていることを孤児院の見学を通して感じました。訪れた孤児院で最も孤児である原因として多かったのは、AIDSによる親の死でした。AIDSは性交渉により感染することもあり、親が2人とも感染していることも稀ではありません。また親が生きていたとしても、感染による体調不良や片親であることを理由に孤児院に来た子どもは多いということでした。さらに、母子感染により生まれて間もないながらHIV感染が認められる子どもも多いとのことでした。そういったようにHIV/AIDSは目の前の患者だけではなく、次の世代にも多くの問題を残しているのだと感じ、ただ治療が良くなるだけでは解決できない問題の根の深さを感じました。

同様にJICAが行っているHIV/AIDSプロジェクトの見学の中でも、いろいろなことを考えされました。ザンビアではHIV/AIDSに対する薬を配布しており、診断がつけば患者は無料で薬を手にすることができます。今はHIV/AIDSの薬が良くなってきたこともあり、たとえHIVに感染したとしても、薬を正しく飲み続けられれば寿命を大きく損なうことはないのが現状です。それゆえに、そのような政策がとられているなら、今後はザンビアのHIV/AIDSの問題はだいぶ改善に向かっているのではないかと思いました。しかし、実際にその現場を見て話を聞き、それがそんな簡単な問題ではないことがわかりました。薬が無料で配布されていたとしてもそれを行う診療所や病院まで行く手段がないのです。最寄りの診療所や病院まで10km以上離れていて、そこまで歩く以外、バスや自転車などの交通手段がない状況でそれを受け取るだけに病院や診療所に定期的に通うのが難しい状況にある人が多くいました。また薬を手に入れてもそれを他の誰かに売ってお金にするという人がいたりなどというような現状があり、これも日本にいて入る情報だけではなかなか気づきにくいことだと思いました。

天満雄一氏

ザンビアに行った経験を一言で表すと「百聞は一見にしかず。」。プロジェクトを通じてザンビアに実際に行き、現地の状況を自分の目で見、そして現地の人の話を自分の耳で聞いて、多くの驚きと発見があったと同時に、自分が何もわかっていなかった現実を思い知らされました。インターネットや本で出てくる情報やデータだけでは、見えない現実も多くあることを実感しました。私は国際保健の分野に興味を持っており、将来的にその道に進むことも考えているのですが、今回の経験を通して、現場に赴き現状を自分自身で体感することが如何に大事かということを学びました。

またアフリカのことが好きな人や、今回のシンポジウムを通じてアフリカに興味が湧いた人は、是非機会があれば実際にアフリカの地を訪れ、自身の目や耳でアフリカを体験し、そしてアフリカを感じてきてもらいたいと思います。

宮崎医科大学(現在は宮崎大学医学部、旧大学ホームページから)

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大学祭の翌週ということもあって参加者は少なかったのですが、毎日新聞の石田宗久記者が参加して下さって以下のような報告記事を翌日に掲載して下さいました。

アフリカの現実を知って 宮大医学部でHIVシンポ

HIV(ヒト免疫不全ウィルス)を通じてアフリカの保健事情を考えるシンポジウム
「アフリカとエイズを語る―アフリカを遠いトコロと思っているあなたへ―」が26日、宮崎大学医学部であった。玉田吉行教授(アフリカ文学)や医学生ら滞在経験のある5人が、貧困の背景や現地の医療事情などを語った。

アフリカの現実を知ってほしいと企画した。
海外青年協力隊でタンザニアに滞在した宮崎大出身の服部晃好医師は、世界のHIV感染患者推定数3330万人中、2250万人がサハラ砂漠以南のアフリカ在住とのデータを紹介。「奴隷貿易の歴史や先進国のアフリカ政策が国力のなさにつながっている」と指摘した。
玉田教授も「貧困がエイズ関連の病気を誘発している。開発や援助の名目で搾取されている」と先進国民の無関心さを批判した。
医学生3人はザンビアなどでNGO(非政府組織)の保健意識調査などに参加した体験を語った。
医学科6年の天満雄一さん(30)は、不十分な医療体制で子供を亡くした母親たちに話を聞いたといい「現地に行くまで全然分かっていなかった。将来は国際保健のために働きたい」と話した。【石田宗久】

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シンポジウムの報告もアフリカとエイズについても今回が最終回で、次回からは「アフリカ史再考」(仮題)を連載したいと考えています。この十年以上、色々な角度からアフリカとエイズについて考えてきましたが、その中で一番感じたのは、病気の問題を考えるのに社会や歴史や文化なども含めた包括的なものの見方が必要だということでした。1980年の初めにアフリカ系アメリカ人の文学を理解するために辿り始めたアフリカの歴史について、今までやってきたことのまとめの意味も含めて、もう一度考え直してみたいと思っています。(宮崎大学医学部教員)

石田記者

毎日新聞の報告記事

執筆年

2012年7月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 47」

ダウンロード・閲覧

(作業中)

2010年~の執筆物

概要

2011年11月26日に宮崎大学医学部で開催したシンポジウム「アフリカとエイズを語る―アフリカを遠いトコロと思っているあなたへ―」を何回かにわけてご報告していますが、前号でご紹介したシンポジウム「『ナイスピープル』理解25:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告4」「モンド通信 No. 45」、2012年5月10日)の続きで、四番目の発表者小澤萌さんの報告です。

天満氏によるシンポジウムのポスター

本文

シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告(4):小澤萌氏の発表

会場で紹介するために司会進行役の南部みゆきさんが予め本人から聞いていたアフリカ滞在歴と経歴は以下の通りです。

「小澤萌(おざわもえ)宮崎大学医学部医学科5年

2010年3月に、のJICAプロジェクトによる現地病院・NGO見学の目的で、3週間ケニアに滞在しました。」

発表ではパワーポイントのファイルを使ってたくさんの写真を紹介していますが、写真は省いてあります。

「ケニア体験記:国際協力とアフリカに憧れて」 小澤萌

小澤萌氏

私がアフリカに関心を持ったきっかけをお伝えするためにまず自己紹介を簡単にさせていただきます。
私は現在医学部5年ですが、宮崎大学入学前に関西学院大学総合政策学部総合政策学科国際関係コースを卒業致しました。以前の大学在籍中から国際協力に関心があり、旧ユーゴスラビア地域の難民支援や、日本での小学生から大学生に向けた開発教育普及の活動を行っていました。そのような活動を続ける中で、医療職として世界の人々の健康、いのちに携わる仕事がしたいと思い、医学部を志すようになり、今に至ります。医学部入学以後は「国際保健」という分野の勉強を始め、日本国際保健医療学会学生部会(略称jaih-s、以下jaih-s)という学生団体に属し、専門家の先生方のお話を聞いたり、同じ志を持つ仲間とのディスカッション、勉強会開催等を行う機会に恵まれるようになりました。

この「国際保健」分野を学ぶうちに、どうしても私が関心を持たざるを得なくなったのが、アフリカという場所です。私が国際保健をかじり始めた2007年当時の国際保健界の最大の関心事の一つであったのが、ミレニアム開発目標の達成であり、その中で保健分野のゴールの達成の遅れは問題となっていました。中でもエイズ、マラリアを始めとした感染症、母子保健の分野でのアフリカの数値の悪さは大きな問題であり、国際保健を今後も自分が続けて行くならアフリカの地を自ら踏み、現状をこの目で見て、なぜそんなにもアフリカが問題だと言われるのかを考える必要があるだろうと思っていました。

そこで巡り合ったのが、JICAのケニアでの「保健マネジメント強化プロジェクト」見学の機会です。この機会を得て、医学部3年生の終わり、2009年の3月に3週間ケニアを訪問することとなりました。このプロジェクトには、前述の私が所属するjaih-sの「国際保健 学生フィールドマッチング企画」(以下マッチング企画)で紹介を受けて、参加の機会を得ることとなりました。マッチング企画は、国際保健に関心を持つ学生に、見学の機会を提供できるという国際保健の専門家を紹介し、フィールド研修の経験を積ませることを目的とした企画です。なお、私が訪問させていただいた時は、受け入れ先の専門家の方の計らいで、このプロジェクト見学以外にも農村部約30カ所の水質調査、AIDS治療サポートNGO見学、現地の病院実習や農村地域でのホームステイなどを経験させていただくことができました。

ここでケニアの概要を少しご説明したいと思います。人口は約3430万人(2007年)であり東京都の約3倍、面積は日本の約1.5倍、公用語は英語です。多民族国家で、キクユ、ルオ、マサイなど約42の民族がいます。宗教はキリスト教徒が半数以上を占めます。私も現地で多くの諸派に別れてはいますが熱心なキリスト教徒に会いました。一人当たりのGDPは$809(2010年)で、アフリカの中では低くありませんが、日本 が$42,820であるのと比較するとその差は明白です。

 

ケニアの地図

次に、皆さんにケニアを身近に感じていただくために、数値だけではなく、私の感じた印象も交えてお話します。まず、人口約220万人を擁する首都ナイロビの気候ですが、一般的に暑いと思われがちなアフリカですが、標高が高いナイロビでは実は夜はとても冷え込み、セーターを着ている人がいるほどです。

ケニア人の性格ですが、一般的に「アフリカ人」というと、ダンスが好きで、明るい印象を持たれることが多いのですが、私の訪問した地域の民族「ルオ」族は、おとなしい民族性と言われており、実際寡黙な人が多かった印象です。少し、ケニアのイメージが湧いてきたでしょうか。ケニア概要の最後に、ケニアの保健医療事情をご説明します。

乳児死亡率(出生1000対)は81(日本3)、妊産婦死亡率(出生10万対)は1000(日本5~6)、5歳未満児死亡率(出生1000対)122(日本4)、15歳未満の子どもの数が全人口比 42%(日本13%)、出生時の平均余命57.86 才(日本82.3才)、HIV/AIDS感染率6%(日本0.8%)、低体重で生まれてくる子ども19%(日本9.7%)となっています。

以上、WHOのデータからの引用です。これらのデータも、アフリカの中では悪くないものの、日本と比較すると大きな違いがあることをご理解いただけるかと思います。

それでは私のケニアでの経験をお話させていただきます。
まずJICA「保健マネジメント強化プロジェクト」についてです。このプロジェクトは、JICAの近年の取り組みのひとつ「保健システム」の整備と強化を行うものです。「保健システム」とは行政・制度の整備、医療施設の改善、医薬品供給の適正化、正確な保健情報の把握と有効活用、財政管理と財源の確保、そしてこうしたプロセスを実際に動かしたり人々に直接保健医療サービスを提供したりする人材の育成と管理などの仕組み全体のことを指します。私が見学させていただいたプロジェクトは、具体的にはニャンザ州の「地方保健行政官のマネジメント」を主としており、ニャンザ州の地方保健行政官のリーダーシップ、人材・財政管理能力などの基礎的マネージメント技術の向上を基礎に、保健に関わる計画、実施、モニタリングや評価の能力、監督指導能力などの強化が目的とされていました。

ニャンザ州は、ケニアの中でも最もHIV感染率が高いと言われるという地域です。そのため以前から各国の保健機関やNGOが援助に入っており、実際ニャンザの街ではいたるところにそういった援助団体の看板やポスターを見かけ、病院ごとに援助先が決まっているところも多くありました。その一方、長年援助が入っているにもかかわらず、エイズ感染率などデータの悪さはなかなか改善されないことにより、行政の保健担当者は疲弊し、自信を失い、そのためにやる気をなくしている状態にあるということでした。そこでJICAのプロジェクトが注目したのが、既存の援助にあったようなモノ・カネでなく、ヒトであり、保健システムという大きな基盤を安定させるために人材育成を行うという目的を設定したのです。モノ・カネというリソースの利用ももちろん重要ではありますが、人材育成を目的としたプロジェクトということで、私たちも実際に現地の保健行政官の能力強化のための戦略ミーティングへの参加や、面接への同席など稀有な機会に恵まれ、保健行政官の生の声を聞くことができました。また、中央だけでなく、農村地域に出向き、地元の主婦らを中心としたコミュニティヘルスワーカー(地域保健員)の集まる集会にお邪魔したり、アメリカのNGOがコミュニティヘルスワーカーの人らに教育を行う様子を見学させていただくこともありました。途上国の農村地域では、病院等へのアクセスが悪いため、妊産婦であっても検診はもちろん出産の時も医師や看護師のいる病院へは行かず、地域の伝統的産婆のもとで出産し、適切な処置が行われず出血多量で亡くなることが多く問題となっています。そのような問題に対しコミュニティヘルスワーカーらは地域の家々を回るなどして、一軒ごとに病院へ行くことの重要さを説いて回るなどの活動を行なっており、一定の効果も上げています。

小澤萌氏

アジアなどに比べアフリカでは定着しにくいと言われていますが、ケニアの私が見学した地域では集会に来る主婦らに油や食糧などのインセンティブを送ることでコミュニティヘルスワーカーの増加を図ろうとしている欧米のNGOもありました。しかしそのようなインセンティブを送る行為は、確かに集会に来る人は増えますが、実際にその人の意識を「保健が重要だから集会に来る」と変えたことにはならず、一概に良いとは言えないのが事実です。

そのような状況を見る中で、一つ、とても印象に残ったエピソードをご紹介します。ある日、県の保健行政官を集めた定例集会に参加させていただきました。100人位が地域の集会場に集まり、それぞれの行政官の方が統括する各地域の保健状況の報告のプレゼンテーションを順にされていました。その最後に、私の研修担当をしてくださっていたJICA専門家の方が、プロジェクトの紹介のプレゼンをされており、そのプレゼンの主眼は地域の人々のモチベートにありました。現地のデータを見せながら、アフリカ、ケニア、ニャンザ州の良さも語り、オーディエンスが引き込まれていくのがわかりました。「あなた方ならできる。自分の住む地の健康を、自分で守ろう。」という、メッセージを載せたスライドを出し、人材育成プロジェクトの内容を語り、プレゼンが終わった最後に、何人もの人が立って大きな拍手を送っていました。それまでの何人かのプレゼンでは、居眠りしている人もいる位だったのに、大変な違いでした。この時私は、モチベーションとは万国共通であり、「あなたならできる」と言われることで、ケニアの人の表情がこんなにも明るくなるのだということを知りました。そしてもっとも頭の中に響いたのは「アフリカをアフリカにしているのは私たちである」という言葉です。これは、やはりJICA専門家の方の言葉なのですが、私たち、つまり先進国の人間の中に「アフリカは貧困の国だ」「どうやっても改善しない」という気持ちがあるために、問題の解決が遅れているのだという考えからの言葉です。例えば、コミュニティヘルスワーカー育成のためにインセンティブを送るというのも、ひとつの方法ではあるかもしれませんが、本当の行動変容ではありません。
それらを知識としては知っていても、自分もいつの間にかアフリカを「そういうものなのだ」と見てしまっていたことに気づかされました。これはおそらく多くの人も、アフリカの人も含め、そうなのではないでしょうか。しかし、そのままではアフリカが本当の意味で変わることはないでしょう。アフリカを変えたいと思う人間自身も、それに気づく必要があることを知りました。

私が今回ケニアに訪問したのは、国際保健を志すにあたり、アフリカの地を知ることで今後自分が国際保健にどう関わるかを考えようという気持ちからでしたが、今回の訪問で、その気持ちは改めて強くなりました。アフリカの広い空の下に立ち、電気も水道もない村の中で、日本とはあまりに違う健康状態に置かれている人々を救いたいという気持ちは強まり、また、自分の先入観に気づかされたことで、今度は私と同じように思う人々の意識を変える立場に立ちたいと思いました。まだ未熟な学生ではありますが、今後とも勉強を続け、現場に立つ準備を行ない、いつか自分が、世界で、アフリカで待つ人々のいのちを救いたいと思います。

宮崎医科大学(現在は宮崎大学医学部、旧大学ホームページから)

次回は最後の発表天満雄一:「ザンビア体験記:実際に行って分かること」をご報告する予定です。(宮崎大学医学部教員)

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石田記者

毎日新聞の報告記事

執筆年

  2012年6月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 46」

ダウンロード・閲覧

作業中

2010年~の執筆物

概要

2011年11月26日に宮崎大学医学部で開催したシンポジウム「アフリカとエイズを語る―アフリカを遠いトコロと思っているあなたへ―」を何回かにわけてご報告していますが、前号でご紹介したシンポジウム「『ナイスピープル』理解24:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告3」「モンド通信 No. 44」、2012年4月10日)の続きで、三番目の発表者山下創氏の報告です。

天満氏によるシンポジウムのポスター

本文

シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告(4):山下創氏の発表

会場で紹介するために司会進行役の南部みゆきさんが予め本人から聞いていたアフリカ滞在歴と経歴は以下の通りです。

「山下創(やましたそう)宮崎大学医学部医学科4年

2005年2月より2005年8月までの約6カ月間、難民を対象に医療を提供する現地NGO、ADEOのインターンとして、日本のドナー向けの報告書や広報資料、HIV/AIDSプロジェクトの運営・補佐を担当しました。2009年8月より9月まで(2週間)、国際医学生連盟 日本(IFMSA Japan)のAfrica Village Projectの活動の 一環として、健康教育や健康や食生活に関する意識調査などを行うため、ザンビアに滞在しました」。発表ではパワーポイントのファイルを使ってたくさんの写真を紹介していますが、写真は省いてあります。

「ウガンダ体験記:半年の生活で見えてきた影と光」    山下創

山下創氏

みなさん、こんにちは。
宮崎大学医学部医学科4年の山下創と申します。
本日は「ウガンダ体験日記、半年の経験から見えてきた影と光」と題しまして、自分が、アフリカのウガンダという国での約半年間のボランティアを通して見聞きし、考えたことの一部を皆さんにご紹介できればと思います。

私は、現在はここ宮崎大学の医学科4年生ですが、以前は東京の大学でイギリス地域文化研究と国際関係論という学問を学んでいました。そんな自分が、アフリカとのつながりを持つきっかけとなったのがイギリスへの留学。大英帝国として世界中に植民地を持った経験のあるイギリスには、アジアやアフリカの途上国から多くの留学生が学びに来ていました。自分たちとは全く異なる文化で生まれ育ち、将来のビジョンを明確に語る彼らがまぶしく、どうしても彼らの生まれ育った国が見てみたい、そうした思いが強くなり、どうせいくならば中でも最も厳しい状況に置かれている国を訪れてみたいと思い、いろいろと探していくうちに、ウガンダのNGOへのインターンが決まったのでした。

さて、まずはじめに、ウガンダという国について簡単にご紹介します。ウガンダの国土は日本の本州程度の大きさ、人口は日本の約1/4で、首都であるカンパラは標高1300mあまりの高地に位置しています。アフリカというと「暑い」というイメージがあるかと思いますが、ウガンダは高地であるためか、気温は最高でも30度台前半、朝などは10度台ととてもすずしく、植生も豊かなため、アフリカの真珠と呼ばれています。

また、アフリカの多くの国に共通する特徴ですが部族が50余り存在し、それぞれの部族が自分たちの言語を持っています。こうした異なる部族の間のコミュニケーションのため、公用語としては英語が使われています。宗教はキリスト教が6割、伝統宗教が3割、イスラム教が1割といった分布で、旧英植民地であったため、キリスト教徒が多いことが特徴となっています。寿命、所得、識字率などの指標を考慮して、国の豊かさを表す指標である「人間開発指数」では170ほどの国の中で143位と非常に低い所に位置しています。

日本とウガンダとのつながりという意味では、現地ではトヨタのハイエースが公共の交通機関として大活躍しているということがあります。またカンパラで唯一の信号機は、日本の援助機関であるJICAによって建てられたものであるということでした。さらに、ご存知の方は少ないかと思いますが、日本で売っている魚の缶詰、ウガンダのVictoria Lakeでとれたナイルパーチという魚が使われていることもあるのです。これからはぜひ缶詰の製造元にも注目してみてください。また、ウガンダに実在した通称「人食い大統領」イディ=アミンをとりあげた非常に有名な映画「The Last King of Scotland」というものがあり、アフリカの様子やアフリカ英語の雰囲気などもよく表現されていますのでよかったら一度ご覧になってください。

さて、それではこれから、私が現地でどんな活動をしてきたかご紹介することを通して、なかなか想像がしづらい、現地での国際保健活動、HIV/AIDSの予防啓発活動などについてお話し、現地で見えてきた光と影についてご説明できればと思います。

山下創氏

私がインターンをしていたNGOはADEO (African Development and Emergency Organization)というアフリカの現地NGOでケニア人医師が設立したNGOです。ケニア、ウガンダ、シエラレオネなどの国で保健医療、教育などの分野で活動していました。
私が訪れた北ウガンダでは、スーダンからの難民を対象に、プライマリケア、母子保健、治療などのサービスを提供していました。そんな中で、非医療者である自分は、できることはなんでもやる、みられるものは何でも見るという姿勢でいろいろなプロジェクトについてまわっていました。今回は、中でも印象に残った3つのトピックをご紹介します。

まず一つ目が「HIVテストとサッカーイベント」です。こちらの写真をご覧ください。
(男性がヤギをひいている男性に何か話しかけている写真を提示しました)HIVテストとヤギが何の関係があるのか、想像がつきますでしょうか。実は、このヤギ、サッカー大会の賞品として購入したものなのです。写真は、値段の交渉をしているところです。HIVテストを行い、感染率を把握することは、対策をするうえで非常に重要ですが、単に検査をする、といっただけではなかなか人は集まりません。そこで、ウガンダで大人気のサッカーイベントを開催し、その会場で検査も一緒にやってしまおう、というのがこのイベントです。予想した通り、イベントは大盛況、多くの人が検査とカウンセリングをうけていってくれました。

こちらの写真(優勝チームの集合写真。正面中央には賞品のヤギがうつっています)は、大会の勝利チームと賞品のヤギの集合写真です。この後、ヤギはチームのみんながおいしくいただきました。エイズというと暗い話題のように思われるかも知れませんが、なるべく地元の人たちに楽しんでもらえるように、そのうえで、彼らの健康を守れるように、活動の一つひとつに工夫がこらされていることが非常に印象的でした。

2つ目は「ポストテストクラブ」。さきほどのHIVテストと関係します。アフリカで一般的に行われているHIV検査は、VCT (Voluntary Counseling and Testing)と言って、皆さんに自発的に検査を受けてもらい、検査の前後には心理面のサポートや知識の提供を行うカウンセリングを必ず行います。このVCTを受けた若者が集まって、HIV/AIDSの予防啓発活動を行うようになったのが、Post Test Club(このテストはHIV検査のことです)と言います。クラブのメンバーにはHIV陽性、陰性にかかわらず、なることができ、歌や劇を通して、自分たちと同年代の若者たちにエイズに関する正確な知識の提供を行っていました。地域の健康を守りたいという強い意志から、ボランティアでこのような活動を行う若者たちに非常に大きな希望の光をみました。

最後に、私が半年間の活動を通して、常に接してきた「難民」のみなさんに関してです。ウガンダの北隣の大国スーダンは何十年にも及ぶ南北対立で当時、近隣諸国に多くの難民が流出していました。難民と言うと、仮のテントで暮らす姿をテレビなどでみられたことのある方もおおいかと思いますが、ウガンダでは10年単位で定住している難民も多く、ぱっとみでは現地の人であるのか、難民であるのかは区別がつかないことがほとんどです。ですが、すぐに定住できるわけではもちろんなく、難民の保護を主な活動とする国際機関であるUNHCRの審査を経て、順々に土地を与えられていきます。その登録地がNGOの事務所からすぐ近くのところにあったため、散歩がてらよく訪れていました。

そこで目にしたのは、難民認定されるまでの、彼らの過酷な暮らし。そして、難民と言っても、女性と子供しかいないという事実です。少し考えれば当たり前のことではあったのかもしれませんが、男性はみな戦争に駆り出され、母国に残り、逃げることができたのは女子供だけだったのでした。そのような状況でも笑顔を忘れない子供たち、私たち日本人と変わらない「教師になりたい」「パイロットになりたい」といった夢を持つ子どもたちに勇気づけられ、自分は彼らに何がしてあげられるのか、深くふかく考えさせられました。

時間もなくなってきましたので、最後のまとめに入りたいと思います。ウガンダから日本に帰ってきて、約6年、今、私はアフリカでの自分の経験を客観的に見つめなおし、整理しなおす段階に来ていると思っています。ですから、今回お話したことも、十分に整理されたものとはいえません。ですが、皆さんにお伝えしたいこと、それは、自分がウガンダでみてきた子供たちの笑顔であり、人の温かさであり、上を向いて歩くひたむきさです。

遠いところ、貧しい地域と思われがちなアフリカですが、私たちが学ぶべきことはとても多くあると感じています。約半年のウガンダでの滞在を通して今でもどうしても忘れられないエピソードが一つあります。私がインターンをしていたNGOの守衛さんも実はスーダン難民だったのですが、彼があるとき、ぼろぼろの本を熱心に読んでいるのをみかけました。何を読んでいるのかと思ってみてみるとそれは英語の辞書だったのです。『なんで辞書なんか読んでいるんだい?』そう聞くと彼は答えました。『自分がいつかもっといい職につけるチャンスが巡ってくる、その時のために、自分の英語を磨いておきたいんだ』このひたむきさが、未来を創るパワーになると確信しています。今回の発表を通して、皆さんにとってアフリカが少しでも身近なものと感じられたのであればとてもうれしいです。
ご清聴ありがとうござました。

宮崎医科大学(現在は宮崎大学医学部、旧大学ホームページから)

次回は四番目の発表小澤萌:「ケニア体験記:国際協力とアフリカに憧れて」をご報告する予定です。(宮崎大学医学部教員)

石田記者

毎日新聞の報告記事

執筆年

2012年5月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 45」

ダウンロード・閲覧

作業中