つれづれに

つれづれに:「アウトブレイク」

 映像や音声をたくさん使って英語の授業をしていたので、授業で使える映像や音声に敏感になっていたからだろう。2回目のエボラ騒動と同じ年に上映されたアメリカ映画「アウトブレイク」(↑)もすぐにDVDを手に入れて、授業でも利用した。世紀末騒動に加えて、生物兵器と絡(から)んだこのアメリカ映画も危機感を煽(あお)った一因だろう。

一般教養と医学を繋(つな)ぐためにエボラ出血熱に目を向けたやさきだったから、なおさら貴重な映像だった。テンポのいいハリウッド映画は楽しいので、一石二鳥だ。医学英語もたくさん出てくるし、何より早口の人が多いので、聞き取りの練習用にもいい。

 映画は、既にベストセラーとなっていた小説『ホット・ゾーン』にも出て来るエボラ出血熱を参考にして製作されたという。その本には、1976年の1回目の流行時の様子も詳しく描かれている。主人公は陸軍の伝染病研究所の研究者でもあり、軍人でもある。未知のウィルスが出た知らせを受けて、西アフリカに飛び、感染者から血液サンプルを持ち帰った。後に、研究所ではそのウィルスから秘密裏に生物兵器を製造する。1990年代に感染源と思われるチンパンジーが密輸されて、その時と同じ菌が入り込んで感染が広がった。密かに製造されていたワクチンを試したが、効果はなかった。変異していたからである。空気感染するようになって、ウィルスはより強力になっていた。瞬く間に感染が拡大し、カリフォルニアのある町では手が付けられない状況になった。政府は大統領命令を出して爆弾で町ごと気化させようとするが、主人公と友人が爆撃機の軌道に入り込んで、投下阻止に成功した、そんな話である。

エボラウィルスの顕微鏡写真

 1970年代の後半に発生したエボラ騒動の際にコンゴに飛んで患者から血液サンプルを採取し、爆弾を投下して証拠隠滅をはかったのちにアメリカに持ち帰り、陸軍の研究所でエボラウィルスを使って生物兵器を製造したと言う話を、映画で脚色して誰かが内部告発したわけである。HIVでも同じことをやっている。生物兵器開発を問われた国会議員が事実として証言したので、以降は研究開発を隠すために研究所を軍隊の研究所に移したというのもよく知られている。HIVの場合は団体を作って活動したが、政府やCDC(米国疾病対策予防センター)や製薬会社の資金に無視された。しかし、考えてみると、エボラ菌を作って生物兵器を製造したことをねたに映画を作ったわけだが、その映画が利益をあげるとふんで投資をしてぼろ儲けした人たちがいる。大がかりな映画には莫大な費用がかかる。奴隷貿易の蓄積資本で資本主義へのスピードは加速され、消費が一気に拡大し、体制維持のための武器開発のためにも多大な費用がかかる。核兵器だけでなく、一台何兆円もする戦闘機を敗戦国に買わせて、拡大した軍需産業で働く人たちの仕事を確保している。製造された武器を使う必要もあり、常にどこかで戦争を起こしている。ペンタゴンの描くアメリカ民主主義は、今のところ大成功というわけである。

一般教養と医学を繋(つな)ぐためにエボラ出血熱に目を向けたために、またあらたな絶望感を味わうことになった。

1995年のCNNニュース

映画film Outbreak

Casey: When the ( patient ) first gets the ( virus ), he complaints flu-like ( symptons ), 'n then in two or three days, pink lesion begins to appear all over his body, along with small pustules that soon erupt with the ( blood ) and pus, a kind of milky substance….
Salt: When these particular lesions become full blown, they feel mush to the touch, there is ( vomitting ), ( diarrhea ), ( bleeding ) in the nose, ears, gums, the eyes’ hemorrhage, the ( internal ) ( organs ) shut down. They look….

 

 

Sam: The ( first ) ( case ), ( patient ) zero?
Murby: A young man called Nmurazo, worked with a white man to build a, a road into Kinshasa. And when he returned, he was sick….
Sam: I see.
Murby: …and he drank from this ( well ). From there it spreads to the ( entire ) village.
Sam: Did you ( identify ) the ( carrier ), the ( host )?
Murby: No. When we arrived, the boy was incoherent. He died, ah, two hours later. He couldn’t tell us how he got it.

Salt: O.K., ( sirs ). Here we go. These ( pictures ) were taken over a ( period ) of eight hours. ( Normal ) ( healthy ) ( kidney ) ( cells ) before they meet the ( virus ). In the ( space ) of an ( hour ) a ( single ) ( virus ) has ( invaded ), ( multiplied ), and killed the ( cell ). And in just ( over ) two hours its ( offsprings ) have ( invaded ) ( nearby ) ( cells ) here and here, ( continually ) ( multiplying ).

授業では、医学用語がたくさん使われている4つの場面で聞き取りシートを作って演習をした。言葉を聞き取ってもらいながら、医学用語の使い方にも慣れればという気持ちもあった。アフリカに向かう飛行機の中

感染場所のある村

感染症センターbiohazzard level紹介

研究所顕微鏡の前 絵bら

 

 

Outbreak

爆発的感染力を持ち保菌者の生命を2~3日で奪う新種の病原体が米国本土に上陸。1つの町が閉鎖に追い込まれるパニックへ。エボラ出血熱を参考にした戦慄のサスペンス!

ベストセラー実録小説「ホット・ゾーン」も取り上げた“エボラ出血熱”を参考に、未知のウイルスが巻き起こす恐怖を描いて大反響を呼んだヒット作。専門家をして“地球上における人類の永続的優位を脅かす、最大の存在”と言わしめるのがミクロの怪物、ウイルス。思わず手に汗握るスリルを満載した、戦慄と興奮の話題作だ。出演は「レインマン」の名優D・ホフマンはじめ、「ティン・カップ」のR・ルッソ、「ショーシャンクの空に」のM・フリーマンら。監督は「ザ・シークレット・サービス」のW・ペーターゼン。
爆発的感染力を持ち保菌者の生命を2~3日で奪う新種の病原体が米国本土に上陸。1つの町が閉鎖に追い込まれるパニックへ。エボラ出血熱を参考にした戦慄のサスペンス!

合衆国陸軍で伝染病を研究している科学者サムは出張先のアフリカで、新種の病原体“モタバ・ウイルス”の人間に対する猛烈な威力を知る。彼が米国に帰国後、カリフォルニアのある町で同じような伝染病が発生し、サムと仲間の科学者たちは現地に向かう。どうやらウイルスの感染経路はアフリカから米国に密輸された、1匹のサルらしく、一同はその行方を追う。さらに、この事故にはほかにも意外な背景もあることが分かっていき…。

監督
ウォルフガング・ペーターゼン原題/Outbreak
制作年/1995
制作国/アメリカ
内容時間(字幕版)/129分
内容時間(吹替版)/129分
ジャンル/サスペンス/ミステリー

アフリカのモタバ川流域にある小さな村に派遣された米国陸軍伝染病医学研究所のサムは、体中の皮膚が赤黒くふくれあがり苦痛にうめきながら死んでいく住民たちの姿を目にする。同じ頃、カルフォルニア州のシーダー・クリークという町で同じ症状の伝染病が発生した。ペスト以上に確実に死をもたらすというこの絶望的なウイルス。ところが、陸軍から持ち出された未知の血清が、このウイルスに奇跡的な効果をもたらすという意外な出来事が起こった。発見されたばかりのウイルスに効く血清をなぜ陸軍が持っていたのか。疑念を抱いたサムは、陸軍幹部マクリントック少将が企んでいた驚愕すべき事実を知る。世紀末的な新型ウイルスの脅威を描いたサイエンス・スリラー。

キャスト
出演
ダスティン・ホフマン
レネ・ルッソ

 

1995年の春に突然エボラ出血熱流行の報道が流れた。コンゴでの流行も初めてではなかったが、テレビでも連日報じられ、ニュースや新聞などでも大々的に扱われた。80年代の後半にベルリンの壁が崩壊し、1990年には27年ぶりにネルソン・マンデラが釈放され、4年後には大統領になった。前年にサンフランシスコで大きな地震があり、年が明けて淡路・阪神大震災もあった。都市直下型の地震の映像はかなりインパクトが強かった。またぞろ、世紀末かという報道も出始めたころである。その前の年にコンゴから持ち帰った強力なウィルスのサンプルで生物兵器を造り、大統領命令でその兵器が投下されそうになったというアメリカ映画が公開されて話題になった。その分余計に、エボラ出血熱が大きく取り上げられた傾向は否めないだろう。

その頃録画したCNN(Cable News Network)ニュースは、一般教育と医学を繋ぎたいと考えていた私には、想像以上に使い勝手があった。ただ授業で扱うには準備も必要だった。コンゴの歴史だけでなく、感染症に関する医学の基礎知識も必要だった。ニュースでは、先ずキャスターが、ザイールでエボラウィルスによって百名以上の死者が出て、更に36人以上の人が感染している状況を伝者が出たことを伝えて、現地の特派員に経過報告を求めている。特派員は、先にモブツ大統領が北東部の小さな村を訪問したことを伝え、密林の映像を映しながら、感染源が特定できていない状況を伝えた。そして欧米から送られた国際医療チームの様子を映したあと、大統領のインタビューを挟み、予算的にも科学的にも解決策を見つけるのは極めて難しいと結んである。

1976年

リチャード・プレストン『ホットゾーン』

「人類の健康を守れるか?」というドキュメンタリー

戦後体制の実態

一握りの階級が欧米と手を握って利益を享受

インタビューから支援慣れ、貰うことを当然と考えている

つれづれに:ニュースを聞く

赴任した当時の宮崎医科大学(大学HPから)

 独り言や面接で英語が勝手に口から出て来るようになったあと、次は聞く、だった。相手の言っている内容を正確に聞き取れないと理解出来ないからである。会話も続かないし、意志の疎通も図れない。聞けるようになるには、聞くしかない。英語も言葉の一つだから、当たり前と言えばごく当たり前のことである、やってみて実感しただけの話である。

聞いて理解できるようになるために、英語の授業で映像や音声をたくさん使っていたので、それを利用した。バスケットボールをやったときもそうだったが、シュートやドリブルなどの各部分の力を集中して高める分習法と言ったところか?ちょうど衛星放送が使えるようになったので、先ずはBBC(British Broadcasting Corporation)、ABC(American Broadcasting Companies)、CNN(Cable News Network)、NHKBS1などのニュースを録画して、繰り返し聞いた。特にマンデラの釈放時前後の英語放送は全部予約録画した。1995年の淡路阪神大震災の時も可能な限り録画して聞いた。

ニュースを聞いてわかったことがいくつかある。一つは意外と簡単だったことである。考えれば、キャスターが予め用意された原稿を読む場合が多いので、スピードも速くないし、いわゆるわかり易い標準的な喋(しゃべ)り方なので慣れればそう難しくないわけだ。俗語や聞いたことのないような言葉もそうは出て来ない。中に挿入されるインタビューが早かったりするが、流れで慣れれば大体わかる。

NHKBS1のニュースはわかり易かった。取り上げる題材が国内のことが中心なので、内容が大体わかっている場合が多い。それに、キャスターのレベルがたかい。シンショウカルナというキャスターがCNNのメインキャスターだったという話も聞いた。概してできる女性の集団で、微笑みながら軽快にニュースを読んでいるという感じだった。女性の声の質や音の高さの方が耳に心地よい気がする。一度、ネクタイを締め髪を七三に分けた男性のキャスターが登場したが、その違いをはっきりさせるために登場させたんやない?と思えるほどだった。緊張気味で頬(ほほ)の筋肉が固まっていたせいか、音がくぐもって聞きづらかった。おそらく真面目で優秀な人だったと思うので、かえって気の毒な感じがした。2ケ月ほどで交代した。

1995年エボラ出血熱を報じるCNN

 1995年の震災後、各国は地震をどう伝えたか?という特集があった。英語ニュースでは、アメリカやイギリス以外に、香港やフィリピンのニュースがおもしろかった。香港はイギリス英語ぽかったし、フィリピンはたぶんタガログ訛(なま)り?という感じだった。その頃、バングラデシュの人がよく研究室に来ていて舌を巻くベンガリーズイングリッシュに慣れていたし、ジンバブエではショナイングリッシュの洗礼を受けていたので、そう苦にはならなかった。

 赴任したすぐあと、4年生がひとり部屋に来た。英語をするにはどうしたらいいでしょうか?と聞かれたので、いやー、英語が苦手でどうしたらいんでしょうねえ?と答えた。最初の年は2年生と1年生しか持たなかったので面識はなかった。今度来た新しい人どんな人やろと覗(のぞ)きにきたのか、いまだにその真意はわからない。その後何回か部屋に来て、次の年の講演会を手伝ってもらったり、家に来たりもしたが、そのあと医者になってからは会っていない。

だいぶ英語が使えるようになった頃、授業で顔を合わせていた1年生が部屋に来て同じような質問をした。その時は、最初にニュースを聞いてみたら?とテープをたくさん渡した。陸上をやっている背の高い真面目な学生で、トラックの上やキャンパスでヘッドフォーンをつけた姿を時々みかけた。1年ほどあとに部屋にきて言ったのが印象的だった。

「大体わかるようになりました。株価まで聞き取れます」

卒業後、精神科でバイトしながら基礎系の研究室で博士号を取った。そのあと大学内で何度か通りすがりに会った。研究室に残るような話をしていたが、今はどうしているんやろ?

宮崎医大講義棟、3階右手厚生福利棟に研究室があった

赴任した当時の宮崎医科大学(大学HPから)

 1988年に宮崎医大に赴任して以来、それまで書いていた雑誌の記事の他に、テキストの編纂(→「テキスト編纂1」、→「テキスト編纂2」)に→「日本語訳」と、次々に出版社の人から言われて、小説を書き出せなかった。することがあり過ぎて、月日が過ぎていったというのが実際だったかも知れない。

授業は1年生の100人を4クラスにわけて最初は通年で週に4コマだけだったし、教授会は教授だけだったので、会議らしい会議もなく、ほぼ全部の時間をわりと自由に使えた。小説を書く空間が欲しくて探して辿(たど)り着いた格好の場所だったわけである。おまけに、→「研究費」までついていた。1年目に出した書類で、2年目には100万円も交付された、のに書き出せなかったのである。

授業に関する時間の締める割合は多かった。映像や音声や、英語も使っていろいろ工夫もしたし、準備にも時間をかけていたからである。元々一般教育英語学科目というのが授業担当の名目だったので、臨床医や基礎の担当者にはできないものをという意識が強かったが、どうも一般教育を大事だと思ってない人が多い風だった。医学をしに来たのに関係のない一般教育ばかりという傾向である。それで、医学と一般教育を繋(つな)ぐ形でやってみるかと思い始めた。のちに、教授になったあとすぐに、海外での臨床実習用の講座を担当して本格的に医学に特化した英語をする前に、自然と医学についても避けては通れないだろうと考えていたわけである。

「日本語訳」の作業を終え、家族で在外研究にジンバブエに行ったあとしばらく出版社からの要請の声も静かだったので、→「衛星放送」と英字新聞の力を借りて、医学と一般教育を繋ぐ具体策を考えは始めた。出版社からはジンバブエの話を本にまとめるようにいわれて半年ほどで一気に書き上げてはいたが、ちょうど1995年に西アフリカで流行したエボラ出血熱をやってみる気になった。舞台は赤道が国内を左右に通る大きな国コンゴだった。

 歴史を理解するために、資料を集め始めた。デヴィドスンの「アフリカシリーズ」では1800年代後半からの植民地時代と1960年前後の独立・コンゴ動乱が取り上げられていたし、『アフリカの闘い』にはそのほかに、戦後の新植民地時代の典型としてのコンゴの詳細な記述があった。そこに当時はまだあったロンドンのアフリカブックセンターで見つけた植民地時代とレオポルゴ2世について詳しく書かれた『レオポルド王の亡霊』という分厚い本が加わった。

 植民地時代→独立・コンゴ動乱と、30年続いていたモブツの独裁政権が時代的に繋がり、広がりを見せて行ったのである。そして、1995年の春先に、衛星放送でエボラ出血熱の流行を伝えるCNNニュースを録画した。

つれづれに:ニュースを聞く

赴任した当時の宮崎医科大学(大学HPから)

 独り言や面接で英語が勝手に口から出て来るようになったあと、次は聞く、だった。相手の言っている内容を正確に聞き取れないと理解出来ないからである。会話も続かないし、意志の疎通も図れない。聞けるようになるには、聞くしかない。英語も言葉の一つだから、当たり前と言えばごく当たり前のことである、やってみて実感しただけの話である。

聞いて理解できるようになるために、英語の授業で映像や音声をたくさん使っていたので、それを利用した。バスケットボールをやったときもそうだったが、シュートやドリブルなどの各部分の力を集中して高める分習法と言ったところか?ちょうど衛星放送が使えるようになったので、先ずはBBC(British Broadcasting Corporation)、ABC(American Broadcasting Companies)、CNN(Cable News Network)、NHKBS1などのニュースを録画して、繰り返し聞いた。特にマンデラの釈放時前後の英語放送は全部予約録画した。1995年の淡路阪神大震災の時も可能な限り録画して聞いた。

ニュースを聞いてわかったことがいくつかある。一つは意外と簡単だったことである。考えれば、キャスターが予め用意された原稿を読む場合が多いので、スピードも速くないし、いわゆるわかり易い標準的な喋(しゃべ)り方なので慣れればそう難しくないわけだ。俗語や聞いたことのないような言葉もそうは出て来ない。中に挿入されるインタビューが早かったりするが、流れで慣れれば大体わかる。

NHKBS1のニュースはわかり易かった。取り上げる題材が国内のことが中心なので、内容が大体わかっている場合が多い。それに、キャスターのレベルがたかい。シンショウカルナというキャスターがCNNのメインキャスターだったという話も聞いた。概してできる女性の集団で、微笑みながら軽快にニュースを読んでいるという感じだった。女性の声の質や音の高さの方が耳に心地よい気がする。一度、ネクタイを締め髪を七三に分けた男性のキャスターが登場したが、その違いをはっきりさせるために登場させたんやない?と思えるほどだった。緊張気味で頬(ほほ)の筋肉が固まっていたせいか、音がくぐもって聞きづらかった。おそらく真面目で優秀な人だったと思うので、かえって気の毒な感じがした。2ケ月ほどで交代した。

1995年エボラ出血熱を報じるCNN

 1995年の震災後、各国は地震をどう伝えたか?という特集があった。英語ニュースでは、アメリカやイギリス以外に、香港やフィリピンのニュースがおもしろかった。香港はイギリス英語ぽかったし、フィリピンはたぶんタガログ訛(なま)り?という感じだった。その頃、バングラデシュの人がよく研究室に来ていて舌を巻くベンガリーズイングリッシュに慣れていたし、ジンバブエではショナイングリッシュの洗礼を受けていたので、そう苦にはならなかった。

 赴任したすぐあと、4年生がひとり部屋に来た。英語をするにはどうしたらいいでしょうか?と聞かれたので、いやー、英語が苦手でどうしたらいんでしょうねえ?と答えた。最初の年は2年生と1年生しか持たなかったので面識はなかった。今度来た新しい人どんな人やろと覗(のぞ)きにきたのか、いまだにその真意はわからない。その後何回か部屋に来て、次の年の講演会を手伝ってもらったり、家に来たりもしたが、そのあと医者になってからは会っていない。

だいぶ英語が使えるようになった頃、授業で顔を合わせていた1年生が部屋に来て同じような質問をした。その時は、最初にニュースを聞いてみたら?とテープをたくさん渡した。陸上をやっている背の高い真面目な学生で、トラックの上やキャンパスでヘッドフォーンをつけた姿を時々みかけた。1年ほどあとに部屋にきて言ったのが印象的だった。

「大体わかるようになりました。株価まで聞き取れます」

卒業後、精神科でバイトしながら基礎系の研究室で博士号を取った。そのあと大学内で何度か通りすがりに会った。研究室に残るような話をしていたが、今はどうしているんやろ?

宮崎医大講義棟、3階右手厚生福利棟に研究室があった

つれづれに

つれづれに:ロイター発

 エボラ出血熱流行のCNNニュース(↑)を録画した翌日1995年5月16日のデイリー・ヨミウリで読んだ短い記事のタイトルは「ザイールがエボラウィルスで再び世界の脚光を浴びた」だった。この記事も英語の授業でずいぶんと役に立った。短い記事だが、初めて要約の練習にも使った。パラグラフは18、大体は最初の方に言いたいことが書いてある。英文に下線を引き、それを集めて要約の文章を作る作業である。

Mail & Guardianのエボラ特集記事

①エボラウィルスの発生でザイールに再び注目が集った

②治療薬もワクチンもないウィルスで64人の死者が出た

③多く国民は大統領に公然と腹を立てている

④流行病の頻発(ひんぱつ)も資源不足も、鉱物資源に恵まれた国の富の管理ミスと賄賂(わいろ)のせいだと批判されている

⑤公共資源の管理ミスで日和見的な要因が作り出され、流行病が発生している

⑥医療施設は悲惨な状況である

⑦賄賂はザイール社会と政府に深く染み込んでいる

⑧公務員は何ヶ月分も無給で、賄賂は生活の一手段になっている

⑨ウィルスは老朽化した医療機関に広がり、エイズ禍の対応にも追われている

⑩鉱物の豊かな現シャバ州の分離工作以来、政治問題は早くに始まった

⑪ザイールには豊かな農場があり、水にも恵まれている

⑫銅の埋蔵量を誇る国営鉱山会社が経済のエンジンだが、事実上操業を停止している

⑬銅とコバルトの製造量も落ちこんでいる

⑭政府は国営の3つの中心会社を解散させた

⑮世界銀行も国際通貨基金もベルギーも、ザイールをずっと以前に見捨てている

⑯インフレ率が5桁(けた)近くなりつつある

⑰首都キンシャサは兵士の略奪行為から立ち直ろうとしているところだ

⑱冷戦の間モブツ支援続けたアメリカもザイールでの民主主義を求めて圧力をかけている

<要約>

エボラウィルスの発生でザイールが再注目されている。治療薬もワクチンもなく、64人の死者が出た。大統領は公然と批判され、流行病の頻発も資源不足も、鉱物資源の管理ミスと賄賂のせいだと批評家は指摘する。賄賂が社会と政府に染み込み、公務員の生活の手段になっている。ウィルスが広がる医療機関はエイズ禍の対応にも追われている。現シャバ州の分離工作以来、政治問題は早くに始まった。豊かな農場や水や鉱物資源にも恵まれているが、銅の国営会社も操業を停止している。製造量も落ちこみ、政府は主な国営会社を解散させた。世界銀行などからもすでに見捨てられ、インフレ率も5桁に近い。首都キンシャサは兵士の略奪行為から立ち直りかけているが、冷戦中にモブツ支援を継続したアメリカは民主主義を求めて圧力をかけている。

 短い記事だがザイールの惨状をよく知らない人にもわかりやすいようにうまくまとめられている。もちろん、欧米寄りの記事だ。こんな短い記事なのに3ケ所も誤りがある。awayがa wayに、ReutersがReuterになっている。a wayは校正の見落とし、Reuterは通信社を始めた人に因(ちな)んでつけられたので欧米人には間違いとは言えないかもしれないが、英語表記はReutersだから、やっぱり見落としか?3つ目はsince independence from Belgium in 1963である。こちらの方はお粗末である。記者は独立とコンゴ危機(Congo crisis)と勘違いしている。ま、その程度と考えればいいだけなのかもしれない。3ケ所に気づく人はまずいない。

 アフリカに関する欧米寄りの記事は、得てしてこの程度である。日本と同じで、基本的にアフリカに関心がないだけである。

しかし、この短い記事はあまり事情を知らない人には次を知る手掛かりにはなりそうである。独立とコンゴ危機、その結果、アメリカ主導で作り出された新しい搾取体制やモブツの独裁政権の実態などである。次回からは、1976年の1回目の流行→コンゴ危機→独立→レオポルゴ2世(↓)の「コンゴ自由国」の流れで、歴史を遡(さかのぼ)ることになるだろう。

つれづれに

つれづれに:ロイター

宮崎医大講義棟、3階右手厚生福利棟に研究室があった

 英字新聞を購読したのは英語に慣れるためで、非常勤では出来なかったことの一つだった。えっ?研究室だけやなく、研究費もあり、その→「研究費」で雑誌や新聞が購読出来るんや、と初めて知った。当時は福岡か鹿児島支店の人が各研究室まで営業に来ていた。それで採算が取れていたということだろう。旅行会社の人も同じように定期的に回って来ていたし、必要な時は英語科の担当事務官の人に言えば、研究室まで来てくれた。統合して、そんな状態が他の学部では当たり前ではないと知ったが、医学部では事務員を雇う予算が配分されていて、その中に居る限り、そういうシステムで動くようになっていた。内科や外科のような大きな講座ではどこからか資金が出て、何人もの事務員が机を並べていた。

 特に購読紙の希望はなかったが、何となくJapan Timesは嫌やなと思って、狭い選択肢の中でDaily Yomiuriを定期購読することにした。あれば、毎日目を通すものである。見る所は限られているが、その当時は、南アフリカの記事を読むことが多かった。ケニアやコンゴについても、日本の新聞よりは記事がたくさん載っていた。折角なので、しみったれた近鉄球団と喧嘩して単身西海岸に渡ってトルネード旋風を巻き起こした野茂英雄や、復帰して大活躍をしていたマイケル・ジョーダン(↓)の記事も読んだ。試合がある時は、→「衛星放送」で録画して繰り返し聞いていたから、文字でも確かめられて重宝した。英語の授業でも映像や記事を使うと、楽しそうに見る人も多く、概(おおむ)ね好評だった。小論文入試に初めて英文を使ったとき、野茂の記事を出したら、臨床や基礎の医者からは、スポーツ紙からねえと反対の声が大きかった。京大出の反骨精神の強い基礎系の教授は、いいねえ、おもしろいかもと言っていた。日本文だと信じて疑わなかった受験生は戸惑ったようである。試験で英文を見てあちゃー、と泣きそうでしたよと、授業の自己紹介で言った学生がいた。

 医学科の女子学生で自分で取るのもお金がかかるので、たまさん貸してもらえませんかと言って英字新聞を持って帰る人もいた。赴任後すぐに、アメリカの大衆誌エボニー(↓)の定期購読を申し込んだ。大した記事は掲載されていないが、ブラックミュージックやスポーツの大きな写真を切り貼りして、授業の素材にするのに役に立った。南アフリカの週刊紙Weekly Mailも定期購読した。マンデラの釈放前後の詳しい情報や、エボラの特集記事や、アフリカ文学の書評などは、他では手に入らない貴重な資料だった。

 新聞を読むようになって、ロイターという文字をよく目にするようになった。それまであまり気にかけたことはないが、調べてみる気になった。それで、読者を持たず新聞社に記事を売っている新聞社だと知った。考えれば自然な話で、世界各地のニュースを毎日届けるにはたくさんの特派員が必要で、そんな資金がない新聞社にとっては自分たちで網羅出来ない地域の記事を買える新聞社はありがたい。日本でも共同通信や時事通信があり、両社とも宮崎にも支局がある。

 ロイターのウェブ検索の概要である。

 ロイター(英語: Reuters)は、AP通信、フランス通信社とならび世界3大通信社の1つで、ロンドンに本社を置く通信社で、中立公正の報道姿勢が特徴である。2007年にカナダに本拠を置く大手情報サービス企業トムソンに買収されてトムソン・ロイターとなったが、金融情報・報道部門では引き続き「ロイター」ブランドが使用されている。名前は設立したユダヤ系ドイツ人ポール・ジュリアス・ロイター (Paul Julius Reuter) に因(ちな)む。

 1995年の春にCNNニュースを録画した翌日のDaily Yomiuriで読んだ記事は、ロイター通信社の短い記事だった。

Weekly Mailのエボラ特集記事

つれづれに

つれづれに:CNNニュース

 1995年の春に突然エボラ出血熱流行の報道が流れた。コンゴでの流行も初めてではなかったが、テレビでも連日報じられ、ニュースや新聞などでも大々的に扱われた。80年代の後半にベルリンの壁が崩壊し、1990年には27年ぶりにネルソン・マンデラが釈放され、4年後には大統領になった。前年にサンフランシスコで大きな地震があり、年が明けて淡路・阪神大震災もあった。都市直下型の地震の怖さを思い知らされた。寸断された高速から落ちかけの車や傾いたままの高いビルなどの映像は強烈だった。2ケ月後に知人を訪ねて地震跡を回った時も、手付かずのところも多かった。またぞろ、世紀末かという報道も出始めたころである。コンゴから持ち帰った強力なウィルスのサンプルで生物兵器を造り、大統領命令でその兵器が投下されそうになったというアメリカ映画がその前の年に公開されて話題になった。その分余計に、エボラ出血熱が大きく取り上げられた傾向は否めないだろう。

 その頃録画したCNN(Cable News Network)ニュースは、一般教育と医学を繋(つな)ぎたいと考えていた私には、想像以上に使い勝手があった。ただ、授業で扱うには準備も必要だった。コンゴの歴史だけでなく、感染症に関する医学の基礎知識も要る。ニュースでは、先ずキャスターが、ザイールでエボラウィルスによって100名以上の死者が出て、更に36人以上の人が感染している状況を伝えて、現地の特派員に経過報告を求めている。特派員は先に、首都に危機が迫るなか、モブツ大統領が北東部の小さな村を訪問したことを伝え、次に密林の映像を映しながら、感染源が特定できていない状況を解説した。そして欧米から送られた国際医療チームの様子を映したあと、大統領が医療チームの費用は他の国で払うべきだと答えているインタビューを挟(はさ)み、流行を抑えるのが先決だが、真の解決策を見つ出すのは難しいと結んである。

 2分40秒余りの短い映像で、キャスターも特派員も原稿を読んでいるだけなので聞き取るのはそう難しくはないが、コンゴの歴史とエボラウィルスとアフリカと先進国の関係を知らないと、内容の理解は難しい。首都に危機が迫るなか、なぜ大統領が小さな村に行ったのか?なぜ大統領は医療チームの費用は他の国でと答えたのか?首都に危機が迫っているのに、遠くの小さな村を訪問したり、派遣された医療団の費用は他の国が払うべきだと日本の首相が答えるとは誰も思わないだろう。ではどうして大統領がそんな行動を取ったのか?

 日本の人でその大統領の行動に違和感を覚えた人はそう多くないと思う。一つはたいていの人はアフリカに関心がないからである。第3世界から搾り取っている先進国側にいて富を享受している自覚がないから、アフリカかわいそうという意識を持っている人が大半である。たくさんの学生と顔を合わせたが、それが現実である。開発や援助の名の下に、多国籍企業による資本投資と貿易で搾り取る今の社会の仕組みを理解する必要がある。それがわかれば、大統領が先進国と手を組んで私利私欲に明け暮れる実態がその仕組みの当然の帰結だとわかる。援助慣れした大統領がまたエボラ騒動を利用して先進国から金を集めるために、取材班を連れて20年前にエボラ騒動のあったところにでかけ、インタビューで無心を仄(ほの)めかしたのである。もう一つは。インタビューに使われたfinanceという言葉が瞬時に聞き取れた人が多くないという面もある。実際にはbe financed by other countries, not hisと受け身で伝えていた。まさか大統領がそんな行動を取っていたとは、平和ボケした日本にいる人には想像もつかない、それが現実だろう。

 すでに手元にあった資料「アフリカシリーズ」、『アフリカの闘い』、『レオポルド王の亡霊』に、新たに1976年の事態を知る手掛かりとして、リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』と衛星放送で録画した「人類の健康を守れるか?」というドキュメンタリーという貴重な資料を見つけた。

 短いCNNニュースだが、実際に英語の授業で扱ってみると、一般教育と医学を繋ぐ手懸かりの第一歩に相応しい素材だった。そこから更に展開して行けそうな気がした。