1976~89年の執筆物

解説

高校を辞め、大学を探し始めて4年目、私立の短大とか大学とか話はあるものの決まらず、結局大阪工業大学の嘱託講師(見かけは常勤、実際は非常勤)と他の非常勤をかけもちし、週に16コマの授業を持っていた頃です。

修士論文で取り上げた作品の中でも、ライトの出世作『ネイティヴ・サン』(Native Son, 1940)を、特に擬声語を手がかりに、テーマに表現をからめて考えてみました。「Richard Wright, “The Man Who Lived Underground” の擬声語表現」(1984)を書いた時に、他の作品でもテーマにからむ重要な場面で擬声語の表現が意図的に用いられていると予測し、『ネイティヴ・サン』や『ブラック・ボーイ』(1945)のような主要な作品で同じように書けないかと考えるようになっていました。

『ネイティヴ・サン』を最初に読んだ時は、その展開の早さや勢いを感じながら、2日か3日で一気に読んだ記憶があります。その印象は、やっぱり使われている言葉遣いとも密接に関係があったのだと、この小論を書きながら思いました。英語を母国語としている人たちが、この文章で分析しようとしているように感じて、意識的に擬声語を用いたのかどうか自信はありませんが、今までにない視点だと思います。

1981年と86年にシカゴに行きましたが、この小説の舞台になったサウス・サイドには行きませんでした。81年は初めてのアメリカ行きで余裕がなかったうえ、ミシガン通りでパレードを眺め、この小説の初版本を手に入れようと古本屋をまわるだけで精一杯でした。86年は、シアーズタワーに登り、前年にミシシッピ大学であったシンポジウムでの発表者シカゴ大学のSterling Plumpp さんに会うだけで終わってしまいました。英語もあまり聞けないのに、電話をかけて自宅のマンションに会いに行きました。

本文

Native Sonの冒頭部の表現における象徴と隠喩

Ⅰ. はじめに

リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)の『ネイティヴ・サン』(Native Son, 1940)を読んで衝撃を受けた人は多い。出版直後に一部で発禁書扱いを受けた事実からも、その衝撃の度合いがわかる。それらは、人種の問題をはらむ時代背景の中で、その書が提起した問題の大きさなどによるが、同時に、物語の展開や構成、或いはその表現の工夫などに負っている点も見逃せない。

ライトは本の書き出しに大層苦心したらしく、いざタイプライターの前に座ってはみたが、なかなか書き出せない模様を次の如く描いている。

…, when I sat down to the typewriter, I could not work; I could not think of a good opening scene for the book. I had definitely in mind the kind of emotion I wanted to evoke in the reader in that first scene, but I could not think of the type of concrete event that would convey the motif of the entire scheme of the book, that would sound, in varied form, the note that was to be resounded throughout its length, that would introduce to the reader just what kind of an organism Bigger’s was and the environment that was bearing hourly upon it. Twenty or thirty times I tried and failed; then…1

そこには、テーマと深く関わり、作品全体にわたって絶えず繰り返される組み立ての骨組みと主調音の如きものを読者の心に植えつける出来事を冒頭部に据えたいという意図が読み取れる。

惨々苦心した挙句、ライトは主人公ビガー・卜一マス(Bigger Thomas)が鼠を殺すシーンを選んだ。本人は鼠を登場させるかどうかについて相当悩んだようだが、その辺りの経緯についてライトは以下のように述懐している。

I went back to worry about the beginning….One night, in desperation…I sneaked out and got a bottle. With the help of it, I began to remember before. One of them was that Chicago was overrun with rats. I recalled that I’d seen many rats on the streets, that I’d heard and read of Negro children being bitten by rats in their beds. At first I rejected the idea of Bigger battling a rat in his room; I was afraid that the rat would “hog" the scene. But the rat would not leave me; he presented himself in many attractive guises. So, cautioning myself to allow the rat scene to disclose only Bigger, his family, their little room, and their relationships, I let the rat walk in, and he did his stuff.2

冒頭の場面に於いて、犯罪を生んだその街の中の、主人公が日常生活を営む一室と、その中で展開される人間関係を、鼠を<スタッフ>の一員に加えることによって象徴的に凝縮させようとしていることがわかる。本稿では、ライトの意図が作品の中でどう生かされているかを、キー・ワーヅを中心に考えてゆきたいと思う。

Ⅱ. i)  “their little room" (「小さな部屋」)

物語が始まる「小さな部屋」を特殊なものとしてではなく、サウス・サイドでは極くありふれたものとしてライトは選んでいるが、先ず、その背景を知る為に、『1200万の黒人の声』(12 Million Black Voices, 1941)から少し引用しておこう。

When the white folks move, the Bosses of the Buildings let the property to us at rentals higher than those the whites paid.

And the Bosses of the Buildings take these old houses and convert them into “kitchenettes," and then rent them to us at rates so high that they make fabulous fortunes before the houses are too old for habitation….they take, say, a seven-room apartment, which rents for $50 a month to whites, and cut it up into seven small apartments, of one room each; they install one small gas stove and one small sink in each room….because there are not enough houses for us to live in,…we rent these kitchenettes and are glad to get them….Sometimes five or six of us live in a one-room kitchenette,…3

逃亡中のビガーが屋根から窓ごしに見た一室…そこにはベッドが二つあり、一方のベッドに裸の黒人の子供が三人、睦み合う両親を見ながら座って居る様子を見て、自分にも経験のある見慣れた光景だと目を逸したのだが…も、或いは弁護士マックス(Max)が法廷で、施設もひどく鼠すら巣食っているのに、どうして法外な家賃を取るのかと、所有者ドールトン氏(Dalton)に詰め寄った一部屋式アパートも、そしてこの「小さな部屋」も、紛れもなく上の引用文に示された “キッチンネット"(簡易台所式一部屋アパート)に他ならない。ライトはこの「小さな部屋」に、あるイメージを投影しようとしているが、特に,(1)騒々しい、(2)穢ない、(3)狭い、という点を象徴的に強調していると思われる。以下、その3点に焦点を当てながら、少し詳しい検討に入ることにしよう。

(1) 騒々しい……<騒々しさ>を文字から読者の聴覚に訴えるのに、この場面でライトは音に関する言葉、特に自然音を模した擬声語をことのほか多く使用している。ライトが擬声語を意図的に用いるのは何もこの作品だけに限ったことではないが、それでも読者は先ずBrrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiiinng! という書き出しの語にはっとさせられる。本文を少し引用してみよう

Brrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiinng!

An alarm clock clanged in the dark and silent room. A bed spring creaked. A woman’s voice sang out patiently.

“Bigger, shut that thing off!"

A surly grunt sounded above the tinny ring of metal. Faked feet swished dryly across the planks in the woonden floor and the clang ceased abruptly.

“Turn on the light, Bigger."

“Awright," came a sleepy mumble. 4

次の行でその見慣れない語が目覚し時計の音を表わしていると気付くのだが、同時に、その音を表現し換えた動詞clangと6行後の名詞clangからその金属音が大きく響いたことがわかる。Brrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiinng ! という表記から、何か尋常でないものを感じるが、ライトは『長い夢』(The Long Dream, 1958) の中でも、よく似た表記を使っている。6才の主人公が、葬儀屋の父親から寝ずの電話番を頼まれ、呼び寄せた友人と地下室から夜道を通る白人女性を脅した際に、その女性の驚き様に逆に不安を覚え始めた次の場面に於いてである。

They entered the office and stood in the dark.

Brriiiinnnnnnnnnnng!

The phone’s metallic ringing shattered the dark and the boys’ muscles grew stiff. They could hear one another’s breathing.

Brrriiiiiinnnnnnnnnnnnnng!

“Oh Lawd. I got to answer." Fishbelly whispered stickily….

Brriiiiiiiinnnnnnnng! Brrriiiiiiiiiiiinnnng! 6

電話の音にその表記が使われたわけだが、時計の場合と少し違う。ここでは「轟く餘音を表はすのに適切」7 な鼻音 [N] がより長く記されている。余音に力点が置かれたのであろう。死体置場を併設する地下事務所の、比較的広いコンクリートの空間に、真夜中,突然鳴り渡った電話の音が余音を残さないわけはないのだが、それでも微妙に異なる電話の表記の中に、無邪気な少年でさえ「白人女性」の前ではリンチの被害を免れないという南部特有の、あの不安感に揺れる少年の心の綾を表現しようとする作者の工夫のあとが感じられるのだ。8

電話の音が余音に力点が置かれているなら、「鋭敏・急速等を象徴する」9 母音 [i:] を含み、「大きさ」を特徴とするclangで2度言い換えられた時計の音は、喧しさ,慌しさに力点が置かれている。わずか3日間の間に,2人の殺害、逃亡、逮捕を軸にめまぐるしく展開される事件の慌しさを考えれば、喧しさ、慌しさを象徴して余りあるこの時計の躁音は、まさしくこの物語の幕開けの鐘の音にふさわしいものであろう。その意味では、佐伯氏の次の評は言い得て妙と言える。

Brrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiinng! という金切り声が、冒頭の第一行目の開幕の合図だが、この長編の結末にいたるまで、この耳にきしむ金属音が鳴りつづけている。作中のあらゆる動きがこの目ざましい時計の音にせきたてられるような目まぐるしさで進行する。10

時計の音を主役とするなら、他の様々な音が脇役で、それぞれ引き立て役を演じている。現実に音声を発したのは、時計、ベッドのバネ、少年の足と床、母親、それに少年である。時計の音と会話文を除く7つの文章を主語+動詞の形で簡略に示すとclock+clang / spring +creak / voice+sing / grunt+sound / feet+swish / clang+cease / mumble+come となる (下線部は擬声語)。又、Brrrrrrriiiiiiiiiiiiiiiiiinng! は音そのものであり、その動作が動詞clangで、その音がthe tinny ring of metal, the clangでそれぞれ言い換えられている。A woman’s voiceが “Bigger, shut that thing off!" であり、それがA surly gruntで表現されている。最後の “Awright," はa sleepy mumbleと同格である。こうして見ると、最初の9行に含まれた時計の音、3つの会話文、及び7つの文章は、すべてが音声そのもの、もしくは音に係わる表現であることに気付く。しかも、7文のうち6文までが擬声語(clang, creak, grunt, swish, clang, mumble)を含んでおり、それらはすべてO. E. D. に [Imitative.] の表記がある自然音を模した擬声語である。この場合、それらの音が快音ではなく、耳ざわりな大きな音、又は神経に障る噪音であるのは注目に値する。

一つ目の大きな音(clang)ときしみ音(creak)が、母親のいらいらに関する語(impatiently)を、更に不平の表現(A surly grunt)を引き出し、大きな音ときしみ音と「いらいら」にせかされた少年の動作が、「鋭敏・急速等を象徴する」母音iを含む摩擦音swishを生んだことになる。そのような状況であるから、ねむいのに意に反してせかされた少年の口から洩れた不平を表現したmumbleが、この場合、生きてくる。継続的な物の響きに関係する鼻音 [m] 2個と「濁った噪音的な感じを出す」11 有声破裂音 [b] を含むmumbleは、喧しい時計の金属音が突然止んだ静けさの中で、ねむけ眼をこすりながら洩らした少年の不平の響きを言い当てている。そのmumbleと同じく不平を表わすgruntは微妙に違う。喧しい金属音の鳴り響く室内では、当然低い不平の音声は掻き消されるが、その様子が「後に響きを残さぬ瞬間的な」12 感じを表わす末尾の破裂音 [t] に感じられる。

更に、短かく、鋭い摩擦音swishに含まれている短母音目 [i] がiを19個並べた時計の"超" 長母音 [i:] と著しい対比をなして、時計の喧しさの効果を増す働きをしていることも忘れてはならない。

喧しすぎる時計の音の存在のかげに隠れてはいるが、確かに聞えるベッドのバネのきしみ音creakと、少年の足と床の間の摩擦音swishの働きも見逃せない。それらが設備の貧しさを暗示しているからだ。ビガーが寝ていたベッドは決してふかふかの豪華なものではなく粗末な堅い鉄製のものだ。おそらく錆のきたバネがきしみ音を立てたのだろう。又、少年が横切ったのは柔かいじゅうたんの敷き詰められた床の上ではない。色々な汚れと臭いのしみついた硬い床板("the planks")の上である。設備の悪さをほのめかす為にライトは敢えてベッドのバネをきしませ、少年にきしむ床の上を素早く横切らせる場面を設定したということである。それらの設備の貧しさは、のちに暖房器の修理をしてくれない家主への不満をビガーが友人に洩らした一節からも窺える。凍死者も出たと報じられる厳冬のシカゴでの小さなストーブ("a small stove")に対する次の嘆きはあまりにも切なすぎる。

“Kinda warm today."

“Yeah," Gus said.

“You get more heat from this sun than from them old radiators at home."

“Yeah, them old white landlords sure don’t give much heat."

“And they always knocking at your door for money."

“I’ll be glad when summer comes."

“Me too," Bigger said. (13 -14)

又、警官に追いたてられて引っ越した2日後にその建物が崩れ落ちたことをビガーが回想する光景に出合うとき、読者の耳に再びこのcreakの、或いはswishの噪音が聞えてくる気さえするのである。

主役、脇役が相互に働いて、燥しさ、慌しさが見事に凝縮された冒頭のシーンである。

母親に促された少年が電気のスイッチを入れ、明るくなった室内では、しばらく少年と母親と妹による比較的穏やかな会話が続く。が、突然かすかに聞え出した音 “a light tapping" によってその状況は一変する。鼠の登場である。鼠はビガーの投げたフライパンによって殺され、ごみ箱にぽいと捨てられて “退場" してしまうのだが、そのあたりを少し端折って引用してみよう

…Abruptly, they all paused,…, their attention caught by a light tapping….Bigger looked round the room,…and grabbed two heavy iron skillets….Buddy ran to a wooden box and shoved it quickly in front of a gaping hole….A huge black rat squealed and leaped at Bigger’s trouser-leg….Bigger held his skillet;…The rat squeaked….Bigger swung the skillet; it clattered to a stop against a wall….The rat…let out a furious screak….The rat  bared tong yellow fangs, heavy piping shrilly,…Bigger…let the skillet fly with a heavy grunt…."I got 'im," he muttered,…. (4-6, 下線は筆者)

喧しい時計の場面とは対照的に、かすかな音を模した擬声語tapによって始まる鼠の場面には.会話を除いて6度の音に関する記述がある。鼠の鳴き声に関してのsqueal, squeak, screak, pipeと、フライパンについてのclatter, gruntである。このうちsqueal, squeak, gruntはO.E.D. に [Imitative.] の表記があり、screak, clatterもそれに類する擬声語である。"piping shrilly" の記述を待つまでもなく、pipeばかりかsqueal, squeak, screakにもすべてshrill(=piercing & high pitched in sound)の含みがあり、それらは恐怖もしくは苦痛の状態に於いて使われる言葉である。[ski:l], [ski:k], [skri:k] に共通して含まれる無声の摩擦音 [s] 及び破裂音 [k] は、退路を断たれ、身の危険を感じ取った鼠が極度の緊張の為に締めつけられたのどから絞り出したしわがれ声の感じを、母音 [i:] はその音の甲高さ、鋭さを象徴している。又、流音 [r], [l] は鼠の動きを暗示しており、squealは声を発しながらビガーに飛びかかる静から動への動作を、squeakは機を窺いながら待つ静の状態を、screakは動から静の、逃げ回って機を窺う状態を、それぞれ表わしている。この中で特に注目したいのはscreakである。Screak は P.O.D., C.O.D. には収録されておらずO.E.D. に “Now chiefly dial." と表記のある語であるが、日頃あまり用いられない語を使ってまで、恐怖に逃げ惑う、音をも含めた感じをそれぞれ写し分けたいという作者の工夫のあとが感じられる一語である。

ビガーが最初に投げたフライパンの音を写したclatterは、cl- でその音の大きさを、無声音 [k] でフライパンと壁との間に発せられた金属音を、 [l] でその動きを暗示しており、投げ損じたフライパンが大きな音をたてて壁に当った感じをうまく伝えている。それに対して、二投目の音を写したgruntに含まれる有声音 [g] は、フライパンが大きな柔かい鼠に命中した際に、壁との間に生まれた鈍い躁音を、流音 [r] はその動きを、更に、末尾の破裂音 [t] は「響きを残さぬ瞬間的な音」の感じをそれぞれ象徴しており、鼠がしとめられたという感じがよく出ている。

先に「会話文を除く」と記したが、会話について少し触れておこう。全体を通して会話文だけが示されている場合が多いのだが、引用文末尾の “I got’im," he muttered. の"muttered" のような記述が、この場面には12回あり、妹には wail, whimper、弟には shout、母親には5回の scream、ビガーには call, whisper, ask, mutter が用いられている。そのうちの screamは恐怖もしくは苦痛の状態で用いられ “at the top of one’s voice" の含みがあり、発音とともに先の [ski:l], [ski:k], [skri:k] と極めて類似している語である。ただ泣きじゃくる(wail, whimper)妹、叫ぶ(shout)弟、金切り声をあげる(scream)母親、鳴き廻る(squeal, squeak, screak)鼠。末尾の、余音を残す鼻音 [m] に導かれた短いつぶやき(mutter)は、それらと対照的に配置されており、慌しく、騒々しいねずみの場面の締めくくりの語にふさわしい。

(2)穢ない……<騒々しい>より<穢ない>象徴としての鼠の役割の方がむしろ大きい。音の側面からではなく、少し角度を変えて鼠が登場する場面を再び引用してみよう。

…Abruptly, they all paused,…, their attention caught by a light tapping in the thinly plastered walls of the room…their eyes strayed apprehensively over the floor.

“There he is again, Bigger!" the woman screamed and the tiny, one-room apartment galvanized into violent action. A chair toppled (4, 下線は筆者)

P.O.D. のtapの説明 “strike a light but audible blow" が示すように tapping はかすかにではあるが何とか聞える音である。しかし、かすかな音に対する家族の反応は実に素早く「小さな一部屋式アパートが火のついたように激しく動き出した。」ここで注目したいのは、鼠がitではなくあくまでheと呼ばれていることだ。奴(he)はいつも現れる顔なじみの「一員」である。母親は金切り声をあげ、妹はベッドに這い上がって泣きじゃくり、兄弟は手にフライパンを持って構える。四人の目は<奴>を追う – しかし、それはあくまでいつもの一光景に過ぎない。<奴>はとてつもなく大きい。兄弟のやりとりが如何に大きかったかを教えてくれる。

The two brothers stood over the dead rat and spoke intones of awed admiration.

“Gee, but he’s a big bastard."

“That sonofabitch could cut your throat."

“He’s over a foot long."

“How in hell do they get so big?"

“Eating garbage and anything else they can get."

“Look, Bigger, there’s a three-inch rip in your pant-leg." (6)

人に危害を与え得る程鼠が大きくなったのは、排水設備すら満足にない老朽化した建物に詰め込まれているたくさんの黒人が、鼠に「食べ物」を十分に供給しているからだ。太った鼠の大きさは、環境のひどさの代名詞だと言っていい。環境のひどさは様々な現象を生み出す。

The kitchenette is the seed bed for scarlet fever, dysentery, typhoid, tuberculosis, gonorrhea, syphilis, pneumonia, and malnutrition.

The kitchenette scatters death so widely among us that our death rate exceeds our birth rate, and….13

母親がビガーに向って「おまえに人並みの甲斐性さえあれば、こんなごみ溜めなんかに住まなくていいのにねえ」(7, 傍点は筆者)と嘆く言葉が真実味を帯びる。ライトは本書出版の翌1941年の暮れに初稿を書き上げ、改稿して1944年に公けにした「地下にひそむ男」("The Man Who Lived Underground")の中でも、この太った鼠を登場させている。

He…jerked his head away as a whisper of scurrying life whisked past and was still. He held the match close and saw a huge rat, wet with slime, blinking beady eyes and baring tiny fangs. The light blinded the rat and the frizzled head moved aimlessly. He grabbed the pole and let it fly against the rat’s soft body; there was a shrill piping and grizzly body splashed into the dun-colored water and was snatched out of sight, spinning in the scuttling stream. 14

太った鼠は、下水を流れる死んだ嬰児と並んで<地下>の穢なさ、或いは死臭の象徴的存在である。ライトは暗に、地上世界を白人社会、地下世界を黒人の住む社会になぞらえた。そして隔離され、疎外された状況をむしろ有利な地点と把える<地下の視点>を生み出した。その意味でも、その原形となるべき穢なさの象徴としての巨大な鼠の果たす役割は決して小さくはない。

(3)狭い……時計の音が止み電気のスイッチが入り、母親と妹の着替えが始まる。

“Turn your heads so I can dress," she said.

The two boys averted their eyes and gazed into a far corner of the room….

A brown-skinned girl…fumbled with her stockings. The two boys kept their faces averted while their mother and sister put on enough clothes to keep them from feeling ashamed;…Abruptly, they all paused,…,their attention caught by a light tapping.,..They forgot their conspiracy against shame….(3-4, 下線は筆者)

着替えする度毎に、お互いに恥しい思いをする。狭い部屋の中では避ける術もない。その感じる恥しさの表現 ashamedは元来あくまで受身表現である。もし充分な空間さえあれば、目を逸らす(avert)必要もない。着替えが済むまで部屋の隅をじっと見つめる(gaze) 様子が何ともいじらしい。恥しいと感じさせられる行為が度重なっていつしか恥(shame) という状態に変わる。いかにもそんな感情の機微に触れるashamed, shame の使い分けである。

メアリー殺害後、朝食の席でぼんやり考え事をしていたビガーは、見つめられていると勘違いした妹に責められる。最低限のプライバシーさえ守れないのだ。空間の狭さは、要らぬいさかいを生み、徐々に個々の人間性を歪めてゆく。

The kitchenette throws desperate and unhappy people into an unbearable closeness of association, therby increasing latant friction, giving birth to never-ending quarrels of recrimination, accusation, and vindictiveness, producing warped personalities.15

ありふれた一日の、ありふれた一場面ではあるが、目覚し時計が鳴り、鼠が殺される「小さな部屋」は、<騒々しい><穢ない><狭い>いうイメージを確実に伝えている。

  1. ii) “Bigger, his family," and “their relationships"(「ビガーと家族」)

<騒々しさ>は人の心に苛々を募らせ、<穢なさ>ゆえに種々の病気がはびこる。空間の<狭さ>は家族の間に要らぬ衝突を生み、「人はただくる日もくる日も,わめき合い,ののしり合うばかり。」 (11) そんな中で生まれてくるのは、ぎすぎすした人間関係だけである。狭い部屋の中で、母親は顔さえ合えば「おまえに甲斐性さえあれば…」[“we wouldn’t have to live in this garbage dump if you had any manhood in you,"(7, 下線は筆者)] などとビガーに不平を並べ、南部で暴徒に殺された夫の替わりに “manhood" をビガーに求める。家族の苦しみが、ビガーにはわかりすぎる程わかってはいたが、同時にその家族に何もしてやれない自分を視ていたから、よけいに家族の存在がうとましかった。ビガーは、そんな生活の中で、すでに自らの生き方に結論を出していた。

…So he held toward them an attitude of iron reverse; he lived with them, but behind a wall, a curtain. And toward himself he was even more exacting. He knew that the moment lip, allowed what his life meant to enter fully into his consciousness, he would either kill himself or someone else. So he denied himself and acted tough. (9)

そんなビガーと家族、特に女性(母親と妹)との関係を鼠の場面が象徴的に表わしている。うろたえ、金切り声をあげる母親、ただ泣きじゃくる妹と、あくまで冷静なビガー。両者の対処の仕方が対照的だ。その特徴を暗示しているのがその動作を示す動詞 (若干、名詞を含む) である。<騒々しい>の中で既に少し触れたが、ビガーが外出するまでの冒頭の場面(pp. 3-11)では、母親についてはscreamが6回、sobが3回、cryが1回、妹については whimper が2回,wail, cry, scream が各1回ずつ用いられている。窮地であくまで冷やかなビガーと、泣き、叫ぶ女性 – その図式は第2部,第3部でも再現される。第2部、愛人ベシィー(Bessie)を連れ出し、殺害するまでの場面(pp. 190-201)では、ベシィーについての語の使用はcry 8、whimper, moan, sigh各5、sob(sobsも含む)4、wail, scream各1 (数学は回数を示す)である。更に第3部、ビガーの独房で、検事はじめ家族やドールトン夫妻などが一堂に会する場(pp. 251-257)では、母親についてはsob (sobsも含む)7、 cry 5, wail 2, mumble, whimper各1、妹についてはsob 1である (ビガーが妹に質問を1度だけしているが、妹の発言はない。) それに対しビガーには、冒頭部と第3部の場面でshout がそれぞれ1度ずつ – 冒頭部では、母親がビガーにドールトン氏の提供してくれる仕事に就けと執ように繰り返した時に、又、第3部の場面では、母親がドールトン夫人にひざまづいてビガーの命乞いをした時に用いられているだけである。

女性に共通して使われた sob, cry, wail, whimper などの “泣く" 意の言葉が象徴的イメージを読者に与える意味でのキー・ワーヅの働きをしている。それらのキー・ワーヅを用いてライトが強調したかったのは、惨状に黙従する黒人像、例えば、もはやこの世に希望をなくし酒や宗教に逃避の手段を求めるベシィーや母親の姿である。そのイメージを通して暗にライトはそんな現状への憤りと警告を示している。その憤りや警告は、惨状を生んだ白人社会への抗議とともに、この作品の大きな主題の一つになっている。その意味では、この冒頭の場面で象徴されたビガーと家族との人間関係は、ライトが読者にそのイメージを投影しようとした「物語の組立ての骨組み」のひとつと言えるだろう。

Ⅲ.『アメリカの息子』とサウス・サイド

『アメリカの息子』の舞台シカゴは、かって南部で、「ミシシッピで知事になるよりはむしろシカゴで街灯柱でいる方がいい」16 としばしば歌われた、言わばあこがれの地だった。第一次大戦前後には莫大な数の黒人が南部農村を離脱して北部の大都市へ移住したが、ライト自身もそうであったように、その人々にとってシカゴは決して約束の地ではなかった。黒人はゲトーと称する隔離された貧民街の一角に追い遣られ、「雇われるのは最後だが,クビ切られるのは先ず最初!」("Last hired, first fired!")に示された極めて不安定な経済状態を強いられた。黒人と白人との間には目に見えぬカラー・ラインが厳然と引かれ、黒人は実質上、そのラインを決して越えることは出来なかった。かつて南部でプランター達が黒人奴隷を食いものにしたように,北部の大都市では、一部の大資本家が多数の黒人を搾取し、暴利を貧っていた。作品の中で、ビガーの部屋の所有者が、実は慈善事業の一環としてビガーに仕事を提供してくれたドールトン氏であることが判明すると、読者はいやでもその構図を知らされる。ライトはマルキシズムの歴史的、経済的分析を借りて、何世代にもわたって白人が築きあげたアメリカ社会の抱える歪みを指摘し、アメリカの息子ビガーの犯した犯罪の本当の責任の所在を解明することによって、黒人を隔離し、抑圧し続ける白人社会への痛烈な抗議をしてみせたが、サウス・サイドを含むシカゴは、隔離の実態を或いは搾取の経済構造を明らかにする舞台としては最適の場所だったのである。

Ⅳ.象徴と隠喩

「小さな部屋」に住むトーマス家の人間関係、家族構成は特殊なものではなく、サウス・サイドではむしろありふれたものである。その手掛りに、再び『1200万の黒人の声』の一節を引用してみよう。

The kitchenette injects pressure and tension into our individual personalities, making many of us give up the struggle, walk off and leave wives, husbands, and even children behind to shift as best they can….

The kitchenette blights the personalities of our growing children, disorganizes them, blinds them to hope, creates problems whose effects can be traced in the characters of its child victims for years afterward.17

トーマス家は父親が南部で殺され、白人の家であくせく働く母親が一家を支え、街に飛び出して問題を起こす不良少年を抱える典型的な母子家庭である。サウス・サイドにならどこにでも見られるそんな家族が生活を営む「小さな部屋」は、まさにサウス・サイドの縮図であった。

サウス・サイドを我が物顔に横行する鼠は「小さな部屋」と並んで、環境の劣悪さの象徴でもあるが、ビガーは、退路を断たれ、逃げまわる鼠を追いつめて殺し、ごみ箱に捨てた。そのビガーは、サウス・サイドの廃屋を逃げ回り、追いつめられ、捕えられ、電気椅子にかけられて殺されて行く。両者の運命はあまりにも酷似している。サウス・サイドが「鼠」を生み、アメリカが「アメリカの息子」(ビガー)を生んだ。そして,両者はともに社会の存在悪として抹殺されて行く。

ライトは「黒人はアメリカの隠喩である」("The Negro is the metaphor of America.")とよく言ったが、その言葉を借りて言えば、「小さな部屋」はサウス・サイドの隠喩であり、「鼠」はビガーの隠喩であると言うことになろう。

「小さな部屋」とビガーと鼠。象徴的、隠喩的表現を用いてそれぞれに役割を演じさせた冒頭部のシーンである。

<注>

1 Richard Wright, “How 'Bigger’ Was Born," Saturday Review, No. 22 (June 1, 1940), rpt. in Native Son (New York: Harper & Row, 1965), p. xxix.

2 “How 'Bigger’ Was Born," p. xxxiii.

3 12 Million Black Voices: A Folk History of the Negro in the United States (1941; rpt. New York: Arno & The Times 1969), pp. 104-105.

4 Native Son (New York: Harper & Brother, 1940), p. 3; 本書の引用については、ペイジ数のみを (  ) 内に記す。

5 P.O.D. のClangの項には “1. Loud resonant metallic sound" とあり、clangが「大きな、響く金属音」を表わすことがわかる。

6 Richard Wright, The Long Dream (1958; rpt. Chatham: The Chatham Bookseller, 1969), p. 54.

7 乾亮一、「擬声語雑記」(『市河博士還暦祝賀論文集』第二輯、研究社、1947年)、3ペイジ。

8 読者には「ビッグ・ボーイは故郷を去る」(“Big Boy Leaves Home," 1936) で、偶々泳いでいた現場近くに白人女性が居合わせていた為に、悲惨な運命を辿った4人の少年の姿が浮かぶ。更に、この物語 (『長い夢』) では,この事件のすぐあとで、白人の女性と係わりのあったという主人公の友人が暴徒に惨殺される場面がある。読者は “不安" が的中することを知って、この場面がその一つの伏線となっていることに気付く。

9 乾亮一、「擬声語雑記」、6ペイジ。

10 佐伯彰一、『文学的アメリカ』(中央公論社、1967年)、193ペイジ。もっとも、同氏の『アメリカ文学史』(筑摩書房、1969年、156ペイジ) には「シカゴのスラム街生まれの黒人主人公が,二人の白人を殺害して、…」(傍点は筆者) とあるから、本書がきっちりと読まれてはいないのだが。

11 乾亮一、「擬声語雑記」、2ペイジ。

12 同上、3ペイジ。

13 Wright, 12 Million Black Voices, pp. 106-107.

14 “The Man Who Lived Underground," in Cross Section, ed. E. Seaver (New York: L. B. Fisher, 1944) , p.60.

15 12 Million Black Voices, pp. 108.

16 Cf. Richard Wright, Lawd Today (New York: Walker, 1963), p. 154. (“Lawd, I’d ruther be a lamppost tin Chicago than the President in Miss’sippi…")

17 Wright, 12 Million Black Voices, pp. 109-111.

執筆年

1986年

収録・公開

「言語表現研究」4号29-45ペイジ

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Native Sonの冒頭部の表現における象徴と隠喩(186KB)

1976~89年の執筆物

概要

修士論文です。5年間の高校の教員生活に疲れ果て、ゆっくり眠りたい、の一心で高校に在籍したまま、教員の再養成課程にもぐりこみました。兵庫教育大学大学院学校教育研究科教科・領域教育専攻言語系コース修士課程です。覚えられないほど名前が長いのは、多分、何か引け目があるのでしょう。

入学試験を受けるのに卒業大学の教官の推薦書が必要とのことで、愛校心などとおよそ縁のない僕は、結局講義で何やらマルクスの労働と人間疎外の問題を熱く語っていたかすかな記憶を手繰り寄せ、その教師の住む奈良の自宅までおずおずと出かけました。「管理職を養成して職員を分断支配することを目論む教員再養成の大学院の新設に私は強く反対している、お前は何を考えているのか」、とその人は怒っていたような。結局、推薦書は書いてもらえませんでした。試験当日、試験会場の甲南女子大学の校門前でその人はマイクを持って大声で演説をしていました。やめて帰えろ、と引き返していたら、車が止まって甲南女子大学はどこですか?と聞かれました。ここぞとばかり乗り込んで一気に校門を突破してやろうと目論んだのですが、車は校門のところで止められ、人だかりの中に放り込まれるはめに。マイクを持った奴が、お前、その髭で教育出来るのか?放っといてくれ。

結局、こづかれて押されて気がついたら、校門の中、ま、いいや、このまま試験を受けて帰るか、それが後から振り返って見れば、大きな分岐点となりました。

マイクを持って日教組の旗振りをしていた人は、大学紛争で学生側につき反体制の姿勢を示していたようですが、のちに学長になりました。言うこととすることが違うように思えました。給料と手当てまでもらいながら、入学式も欠席、学校もろくに行かないまま、修了、そんな僕が偉そうなことを言えるとも思えませんが。

そして、この修士論文が残りました。

1年目の夏に、ファーブルさんの伝記の文献目録のコピーを持って、シカゴとニューヨークの古本屋と図書館をまわりました。ニューヨークの古本屋で、この修士論文の軸にした「地下にひそむ男」が載っている1944年のCroos-Section誌の現物を見つけたのは、大収穫でした。最初のアメリカ行きでしたが、言葉もしゃべれず、食べるものも口に合わなかったものの、アメリカにもそれなりの良さがあると思ったような、思わなかったような。

高校教員をやりながら、読む時間も書く時間も取れないまま毎日を追われるように過ごしていましたが、離れて初めて、活字と向き合える時間が持てました。

大学に書くための空間を求めてと自己弁護をしながら、高校には戻りませんでした。しかし、途中から入れてくれる博士課程もなく、どうしようと思いながら、ま、折角時間が出来たんだからと、長男の母親役と家事をやりながら、読んだり書いたりの生活をするようになりました。

本文     Richard Wright and His World

(作業中↓)

A Thesis Presented to The Faculty of the Graduate Course at Hyogo University of Teacher Education

In Partial Fulfilment of the Requirements for the Degree Master of Education by Yoshiyuki Tamada

(Student Number: 81226)

Hyogo University of Teacher Education, December 1982

<修士論文表紙>

Contents

Chapter  I Introduction・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1

Chapter II  Racial Protests

2.1  Big Boy and others who are no longer “Uncle Tom" in Uncle Tom’s Children (1940)・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・2

2.2  Jake Jackson who is like “a squirrel turning in a cage" in Lawd Today (1963)*・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7

2.3  Bigger Thomas who makes a “rebellious complaint" in Native Son (1940)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11

Chapter III  Beyond Racial Protests

3.1  Fred Daniels who has “got to hide" in “The Man Who LivedUnderground (1944)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19

3.2  Cross Damon who makes a desperate “groan" in The Outsider (1953)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25

3.3  Erskine Fowler who “sins a second time" in Savage Holiday (1954)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30

3.4  Rex Tucker who is “leaving" for Paris in The Long Dream (1958)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34

Chapter IV

Conclusion・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 38

Bibliography

* a posthumous work

 

Chapter I

Introduction

 Richard Wright (1908-60) is generally labeled as a black protest writer on American white racism, but the works after “The Man Who Lived Underground" (1944) suggest that he makes determined attempts to step beyond mere racial protests without reconciling himself to the estimation.

The theme of this article is on the world of Richard Wright of whom we cannot form a fair estimation if we label him only as a protest writer, by way of tracing the protagonists in his major fictions. The protagonists with whom we are to deal in this paper are Big Boy and others in Uncle Tom’s Children (1940),1 Jake Jackson in Lawd Today (1963),2 Bigger Thomas in Native Son (1940), Fred Daniels in “The Man Who Lived Underground" (1944),3 Cross Damon in The Outsider (1953), Erskine Fowler in Savage Holiday (1954), and Rex Tucker in The Long Dream (1958). The first three are to be dealt with in Chapter II under the title of Racial Protests and the rest are in Chapter III under the title of Beyond Racial Protests.

Chapter II

Racial Protests

2.1 Big Boy and others who are longer “Uncle Tom"

<アンクルトムの子供たち表紙>

Much attention is to be paid to one of the two epigraphs in Uncle Tom’s Children so as to understand the stories:

The post Civil War household word among Negroes — “He’s an Uncle Tom!”— which denoted reluctant toleration for the cringing type who knew his place before white folk, has been supplanted by a new word from another generation which says — “Uncle Tom is dead!”

In the epigraph Wright hints to us that the protagonists in the stories are no longer “Uncle Tom."4 In what sense are they no longer “Uncle Tom" though they are Uncle Tom’s descendants without any doubt?

Big Boy5 is not an “Uncle Tom" in the sense that he flees from his native South to the North for his survival. His readiness to defend himself urges him to kill a white man, who rushes to his fiancēe wildly screaming to see four black boys swimming naked in the pond where no black is allowed to trespass. The murder forces him to have the alternative of death or flight; the death will force him to sacrifice his life in the face of a white mob; the flight will lead him to the loss of his native land and his family. His choice is restricted between the reluctant submission to the whites as a “nigger" and the flight from his society as a “black boy." In startling contrast to Dixie, with the sun shining all the time and sweet magnolias in full bloom at everybody’s door, what he sees across the “line" between the two races is beyond his imagination. Two of his mates are shot to death on the spot by the white man and the rest burnt to death by the white mob, with his tarred and feathered body twisted in agony. Narrowly escaping death from the mob, Big Boy leaves home for the North by choosing the flight as a “black boy."

Mann6 is not an “Uncle Tom" in the sense that he prefers death to his submission to the whites. He is caught in a dilemma twice. The first time is when his brother-in-law returns with a boat stolen from a white man; if he uses it, he will be put in some trouble with the whites; if not, his wife will suffer more and his family will be washed away by the flood. He decides to use it and begins to battle against the steering currents of muddy water, only to be confronted by the white man whose boat has been stolen. The man claims the boat at his gun point, which forces Mann to shoot him back. Mann inevitably kills him to defend himself and save his family. The second time is when he is put in a rescue work by the authorities. He happens to find the family of the white man, whom he has killed, in an imperiled house. He faces a dilemma; if he saves them, he may be accused; if not, they will be washed away by the raging flood. Mann reluctantly saves them, for he has neither the courage to kill them nor the will to flee from the village. In the hills of refuge he is accused by them and condemned to death by the authorities. He is a strong man in the flood, but he is only a helpless “nigger" before the whites. Mann, however, chooses to die, shot in the back, before being lynched by the mob, muttering to himself: “Ahll die fo they kill me! Ahll die…."7

Sarah8 is not an “Uncle Tom" in the sense that she sees her husband fight defiantly to death against a white mob. She surrenders herself to a white salesman who comes to her farm while her husband, Silas, is in town to sell his cotton. She knows in her heart that she cannot refuse his seduction in a way, for she always feels lonely because of her former lover whom she still remembers in secret, and because of her husband who is too busy himself in getting rich to care for her. When he discovers his wife’s betrayal, Silas utters furious cries, shattered: “The white folks ain’t never gimme a chance!…They take yo lan! They take yo freedom! They take yo woman! N then they take yo wife!" (125) Next morning when the salesman returns with his friend, Silas shoots on the spot the salesman whose friend barely escapes to the town, which forces Silas to have the alternative of fight or flight. Though she begs him to flee, he chooses the fight, making his final groan: “…Lawd….Yuh die ef yuh fight! Yuh die of yuh don fight! Either way yuh die n it don mean nothin …." (125) Silas kills as many whites as he can, before the mob sets fire to his house. In a nearby hill Sarah sees her husband live briefly with dignity as a “black man" without surrendering himself to the whites, for she knows Silas stays inside and burns to death without a murmur.

Dan Taylor9 is not an “Uncle Tom" in the sense that he resists against a white oppression. Taylor, a black preacher, cannot act in a crisis; his hungry people beg him to persuade white relief authorities to provide them food; Deacon Smith, eager to get his position in the church, stirs up his congregation against him; both the Mayor and the police demand that he should try to dissuade his people from joining a hungry demonstration. In the dilemma he cannot act. It is, however, his physical ordeal by a mob who torture him that makes him decide to act. When his son reproaches him openly for his reluctant attitude, he shifts his religious duty to his social action. He leads his people to the demonstration, marching on to the City Hall, crying out exultingly: “Freedom belongs t the strong!" (180)

Sue10 is not an “Uncle Tom" in the sense that she sacrifices herself to the faith of her own, by resisting against the white authorities. Sue, a religious widow, has two sons, Sug and Johnny-Boy. Sug is now in jail because of his Communist activities and Johnny-Boy takes over Sug’s tasks with Mother’s aids. Influenced by her sons, she has got a new faith; she has converted Christianity into Communism, for she loves her son. Her faith is tested by white oppressors. When city officials are determined to root out all the Reds, she is forced to confess when and where a planned meeting of Communists is to be held and who are to join it. The sheriff and his men threaten and torture her till she has fainted, but she never yields to them. Unfortunately she lets herself be persuaded to show the identity of the members by a white Communist informer. Soon she realizes her mistake and goes out to the woods to prevent the traitor from blurting out the names to the authorities. In the woods she is forced to confess the names before her son groaning in agony, with his legs and eardrums broken, but she never surrenders herself to the mob even in agony. Sue, with a gun hidden in a sheet, shoots the traitor who appears later, but Sue and Johnny-Boy are inevitably murdered by the mob.

The stories thus suggest that none of the protagonists are in the nature of an “Uncle Tom"; Big Boy flees from his native South because he kills a white man for self-defense; Mann is shot to death because he murders a white man to defend himself and save his family; Sarah sees her husband burnt to death because he shoots a white man in revenge; Taylor is tortured because he refuses to obey the whites; Sue is murdered because she resists against the white authorities. In the stories Wright gives considerable emphasis to the point that they are the new generation who are not “Uncle Tom." It is because he regards the new generation as a faint hope for the liberation of the oppressed blacks though the solutions are not necessarily offered as a way out of their plight. Through portraying the helpless blacks in a white world, he shows the Southern white oppressors how the racial injustice forces the blacks to live their humble and miserable lives. The depictions make us feel both his pity and anger. The pity is taken on “the degraded, the poor and oppressed who in the face of casual brutality, cling obstinately to their humanity."11 The anger is shown against the whites who have long oppressed the blacks in the rural South, where he himself has been forced to learn the ethics of living Jim Crow.12 With the combined pity and anger he directs his strong protests against the living Jim Crow in the brutal South which drives the blacks into inhuman conditions. The considerations we have given lead us to the conclusion that the stories of Big Boy and others are among the works of his racial protests, in which he makes a social comment on white racism in the South.

2.2  Jake Jackson who is like “a squirrel turning in a cage"

In the night shift-work Jake and his friends complain as follows:

'It’s hard to just move your hands all day and not see what you doing.’

'Like a squirrel turning in a cage.’

'This kind of work’ll drive a guy nuts.’

'I’m thinking he’s nuts when he takes a job like this.’

'That ain’t no lie.’13

The complaints guide us to right reading of the story of the black hero, Jake Jackson, who is dissatisfied with his present job. There are various causes of his dissatisfaction. A cause is due to the fact that the postal work is not the very job he yearns for. He eventually makes efforts to apply himself to memorizing the train schedules to get work as a railroad conductor, but only finds himself disappointed at his failure. He always has “no real ambition that can be translated into positive action."14

Another cause is formed by the contents of the job in the post office, in which he finds no satisfaction either in the process or after the work.

The unsatisfactory work consumes his energy, physical and mental, and makes him feel that even time passes more slowly than usual in the work time.

A third cause is to be sought in the bad working conditions in the post office as is suggested in the following text:

…All I could see right now was an endless stretch of black postal days; and all he could feel was agony of standing on his feet till they ached and sweated, of breathing dust till he spat black, of jerking his body when a voice yelled. (102-103)

…For eight long hours a clerk’s hands must be moving ceaselessly, to and fro, stacking the mail. At intervals a foreman makes rounds of inspection to see all is well. (113)

In the conditions he is forced to do the tedious work day after day.

The last cause, effective of all, is to be attributed to the invisible segregation in Chicago where he lives. Though finding no written rules of segregation, he always feels abused in one way or another. In the office “black men and women work side by side in the same post office jobs,"15 a curtain divides the two races, the blacks and the whites. His following dialogues with his companions give us a clear picture of the subtle segregation in Chicago:

'When a black man gets a job in the Post Office he’s done reached the top.’ (103)

'No white man wanted to work nights and breathe all this dust.’

'Look like the white folks don’t want us have nothing.’ (115)

'The white man’s Gawd in this land.’

'If they says you live, you live.’

'And they says you die, you die.’

'The only difference between the North and the South is, them guys down there’ll kill you, and these up here’ll let you starve to death.’

'Well, I’d rather die slow than to die fast!’ (156)

The implicit segregation thus deprives Jake of any hope and direction.

His wife, Lil, is another cause of his dissatisfaction. She has been ill since he tricked her into having abortion. Her illness presents to him various difficulties, such as his sexual frustrations and the deep amount of debt to the family doctor. Of all, the chief difficulty is that she will no longer trust him due to his betrayal. Dissatisfied with both his job and wife, he always attempts to release his frustrations temporarily through using violence toward his wife, playing gambles, telling dirty jokes, and going to a brothel for drinks and women with his companions.

In the story Wright shows us two problems. One is his active warning toward the blacks who are unconsciously blinded by American materialism and deluded by the prejudices. He reveals how American materialism blinds the blacks by depicting Jake as a brutal, lustful, and contemptible character. He is not so heroic as some heroes in Uncle Tom’s Children who fight back defiantly in their different ways against the whites. He is brutal enough to use violence toward his weak wife, lustful enough to indulge “his appetites with outrageous selfishness," and contemptible enough to dress fastidiously even when he is deeply in debt. The depictions about Jake reminds us of the following letter from Margaret Walker to Wright:

…I am beginning to see more and more every day the tragedy of Lawd Today: It’s right in my face….Everything is just as you have written it….Drinking and playing bridge, and living above their means, straining and bragging….16

He also reveals how their prejudices keep them from being aware of what they are by giving Jake a vulgar, prejudiced, and shameless character. He is vulgar enough to mutter to himself as follows: “Yeah, too much reading’s bad. It addles your brains, and if you addle your brains you’ll sure have book-worms in the brain." (62) And he is prejudiced enough to denounce the only Communist who appears in the novel, saying, “Nigger, You’d last as long trying overthrow the government as a fert in a wind storm!" (54) And he is shameless enough to make the following remark on his own race: “Niggers is just like a bunch of crawfish in a bucket. When one of ’em gets smart and tries to climb out of the bucket, the others’ll grab hold on 'im back…." (55) Through pointing out their blindness and prejudices he lays emphasis upon “the necessity for political education to make masses aware of their plight." (Quest, 154)

The other is his passive protest which he directs against the whites who have driven the blacks into their plight. Though he voices no explicit protest, the depictions of their plight suggest that the blame of the plight should be placed upon the whites who have long segregated in every subtle way; they have deprived the blacks of a fair chance of education; they have spoiled the blacks with American blind materialism; their implicit segregation has deprived the blacks of any hope and direction in life.

From all these considerations we draw the conclusion that the story of Jake Jackson is among his protest works against racial injustice and prejudice, in which he gives his active warning toward his own race and at the same time makes his passive protest against the whites.

2.3  Bigger Thomas who makes a “rebellious complaint"

The epigraph to Native Son runs as follows:

Even Today is my complaint rebellious,

My stroke is heavier than my groaning. -Job

The epigraph contributes effectively to our understanding of the black hero of the story, Bigger Thomas, who is “fated to live a never-ending debate" due to his “complaint," like Job in the Bible, and who is finally driven into the murder of a white girl, Mary Dalton. What kinds of complaint drive him into the rebellion? There are three factors of his complaint.

The first factor is the bad conditions in the Black Belt of Chicago’s South Side, where he lives with his family in a rat-infested one-room apartment as most black people do. The room is too small, dirty, and old to have any way of his own; he has no privacy. For such a nasty room he is charged eight dollars a week, which is equivalent for 40% of his weekly wage. Though there is no written law on segregation in Chicago, a “line" is strictly drawn between the two races. Black people are not allowed to cross the “line." It is at the Daltons’ where he is taught the difference between the two worlds. “Whereas everything at Bigger’s is loud, crowded, and collapsing, at the Daltons’ it is subdued, expansive, and expensive." (Hero, 68-9)

The second factor is the black people he lives with in the Black Belt. Every day his mother makes her bitter and loud complaints against Bigger who lives his idle life without taking a job which the relief authorities offer him. Her complaints only makes him feel sick of his life at home. What makes him feel more disgusted is her attitude toward life with which she accepts her misery quietly; she already gives up her hope of living in the world. Such is the case with his friend, Bessie. When she is forced to flee with Bigger who already kills Mary, she feebly moans as follows: “…all my life’s been full of hard trouble….I just worked hard everyday as long as I can remember, till I was tired enough to drop, then I had to get drunk to forget it."17 She has quietly accepted her misery as his mother has done. It is also the case with his companions. They make bitter complaints to their misery, but find no positive way of a protest. What they can do is playing “a game of playing-act" in which they imitate the manners of white folks or making a plan of the robbery in vain. They all accept their misery too quietly. As he cannot accept his misery unless he lays “his head upon a pillow of humility," he holds “an attitude of iron reverse" toward them denying himself. It is because “he knew that the moment he allowed what his life meant to enter fully into his consciousness, he would either kill himself or someone else." (9)

The third factor is the white people with whom he is thrown into contact after taking the job at the Datons’. They regard him as a “nigger" or as an example of the oppressed minority, not as a man. Mr. and Mrs. Dalton, rich owners of many buildings in the Black Belt, view him only as a timid uneducated black boy whom they have given a chance as a supporter of National Association for the Advancement of Colored People. Though they have offered him a job and a neat room, they never suspect that their hypocritical attitudes make him feel uneasy, tense, and miserable. Mary Dalton and Jan Erlone, young Communists, reckon him only a sample of the oppressed blacks and a potential member of the Party. Though they are liberal enough to shake hands with and drive him to the Black Belt to take dinner together, they don’t know that their progressive attitudes drive him into fear and hatred. Britten, a private detective employed by Mr. Dalton, considers him to be a “nigger." He never sympathizes with black people, for to him “a nigger’s a nigger" and “niggers" don’t need a chance.

The factors make his complaint rebellious, which carries him to the murder of Mary. Although he suffocates Mary to death for fear of being discovered by her blind mother who appears unexpectedly and ghostly at Mary’s room, it seems to him that his murder of Mary is not accidental in a true sense. Before he calls at the Daltons’, he says to his friends as follows: “….every time I got to thinking about me being black and they being white, me being here and they being there, I feel like something awful’s going to happen to me…." (17) After the murder of Mary he reaches the following conviction: “…in a certain sense he knew that the girl’s death had not been accidental. He had killed many times before, only on those other times there had been no handy victim….he felt that all his life had been leading to something like this." (90) Bigger has thus come to regard the murder of Mary to be a form of his rebellion. To him the rebellion has a double sense. One is his positive rebellion against the whites who have oppressed the blacks for centuries. The other is his passive rebellion against the oppressed blacks who have accepted their misery too quietly. Bigger never feels sorry for Mary: on the contrary he feels that the murder is “more than amply justified by fear and shame" which Mary made him feel. The murder even adds to him “a certain confidence which his gun and knife did not."18 The confidence produces a new perspective with which he can realize that a lot of people are blind; they do not want to see what others are doing if that doing does not feed their oven desire. The confidence and the perspective guide him with a plan to get ransom money from the Daltons by making it appear that Jan and other Communists kidnapped Mary, for he knows that Mr. Dalton and others have prejudices against blacks and Communists; to them “niggers" are too timid to have such a plan and “Reds" are crazy enough to commit such a crime. The offense of the murder of Mary brings him “the sense of fulness" which he has never felt. To him the offense is among “the first full actions" and “the most meaningful, exciting and stirring things," for he already finds no meaning in life as is shown in his following confession: “everything I wanted to do I coudn’t….I just went to bed at night and got up in the morning. I just lived from day to day." (301) The acts carry him into another murder of Bessie because she stands in his way of flight from the police. When he kills her, he feels that he has created “a new world for himself."

Few people in the story can understand his way of life. Buckley, the State’s attorney, and the reporters proclaim that Bigger is a rapist, emphasizing his race and his bestiality. In the jail, Hammond, a black preacher, attempts to persuade him to kneel before God. Bigger’s sister, Vera, sobs and complains of her misery brought by her brother’s crime. His mother asks him to pray to God. The sights of the black people make him feel sick. Crushed with shame and anger, he groans as follows: “They ought to be glad!…They ought not stand here and pity him, cry over him; but look at him and go home, contented, feeling that their shame was washed away." (252) Jan and Boris Max alone try to understand and help him. In the trial Max, a Communist lawyer, analyzes Bigger’s crime as follows:

…did Bigger Thomas really murder?…If it was murder, then what was the motive?…The truth is…there was no motive as you and I understand motives within the scope of our laws today. The truth is, this boy did not kill….He was living, only as he knew how, and as we have forced to live. The actions that resulted in the death of those two women were as instinctive as breathing….It was as act of creation! (335)

He pleads of sending Bigger to prison for life as the best way of the first recognition of his personality, but Bigger is sentenced to death under the laws of the State. Though he makes efforts to plead for Bigger, Max has not seen all; though he can see the racial situation in general, he cannot see the individual in the mass.

Through the story of Bigger Thomas, Wright tries to show us four problems. The first problem is his protest against the whites who have oppressed the blacks for a long time. By borrowing the phrases of Max who makes powerful and subtle analyses of Bigger’s crime on historical, economical, and social backgrounds, Wright makes it clear that Bigger is a native son America has produced, and that it is not on Bigger but on Mr. Dalton and white Americans that Bigger’s crime should be blamed rationally. It is because Mr. Dalton is an exploiter of the poor blacks by renting houses, though he contributes much money for Negro education as a supporter of NAACP in order to ease the pain of his conscience, and because the white Americans have helped to keep the blacks within rigid limits. The protest implies the warnings against the whites; the whites do not acknowledge what their racism has produced, a second and a third “Bigger Thomas" will appear; even if the whites try to make the blacks avert their eyes from racial acts of violence by giving the limited charities as Mr. Dalton has done, the time will never come when the solution is to suggest itself to them.

The second problem is his warning toward the blacks who have long accepted their misery too quietly. Wright depicts most black characters as contemptible persons as Jake Jackson in Lawd Today. Bigger is too poor-educated and unintelligent to know what the society is. His companions are too pointless and hopeless to live their own lives, only indulging their appetites with selfishness day in and day out. Bessie and his mother are too helpless to find any hope in life. They try to find some escape from their everyday sufferings by drinking and praying. They never realize what they are, even when Bigger feels that he has washed away “their shame" by the murder of Mary. His sister moans her misery; his mother and a black preacher attempt to persuade him to pray to God. They are too blind to know the fact that the whites make efforts to defend themselves from racial violence by forcing the blacks to adopt religion as the means of solacing their sufferings. In that sense the following comment by Redding is to the point: “…They (Negroes) did not want to believe that they were helpless, as outrageous, as despairing, as violent, and as hate-ridden as Wright depicted them. But they were."19 What Wright depicts is a manifestation of his warning toward his own race; as long as they find same escape and accept their misery quietly, they cannot free themselves from the white oppression; they should make efforts to find any way of self-education without making constant complaints in vain. The third problem is about the perspective which Bigger has gained through the murder of Mary. It is not until he murders Mary that he realizes that a lot of people are blind. Most black people make complaints of their sufferings, but never realize what they are. Most white people help to keep the blacks within rigid limits, but never realize what their segregation has produced. In his essay Wright states about the matter as follows:

If I were asked what is the one, over-all symbol or image gained from my living that most nearly represents what I feel to be the essence of American life, I’d say that it was that of a man struggling mightily to free his personality from the daily and hourly encroachments of American life. Of course, Native Son is but one angle of what I feel to the struggle of the individual in American for self-possession.20

The last problem is the revelation of his “ultimate break with the Communist Party."21 In the story Wright portrays Max as a lawyer who has not seen all of Bigger’s crime. Max “sees Bigger as one black man among twelve million, not as a boy suddenly aware of his own identity. He understands the case of the crime, but not what it means to Bigger."22 The story implies his break with the Party with which Wright is to deal later in The Outsider in details.

With all this taken into consideration, we conclude that the story of Bigger Thomas is among his racial protests in which he makes a strong protest against the whites and at the same time gives warnings toward his own race.

Chapter III

 Beyond Racial Protests

3.1  Fred Daniels who has “got to hide"

クロスセクション誌と青山書店大学用テキスト

The story begins with the mutter of the black hero, Fred Daniels: “I’ve got to hide,…"23 The mutter echoes through the story and gives us an important clue to it. His hiding implies two levels of reality, objective and subjective. The former indicates what drives him into the underground and what his hiding means. The latter indicates what he sees there.

What drives him into the underground and what does his hiding mean? The scene in the sewer where he remembers his past tells us his situation; he was wrongly arrested, accused of the murder, and forced to sign a confession by the police. His surrender means his death, unavoidable because he is sentenced to death under the white law. He realizes his situation so instinctively that he prefers life to death by running away from the authorities. When he happens to see a manhole cover leap up on the street, he hatches a plan of hiding in the sewers and goes down through the manhole into the underground. The very fact of his being accused of the crime means that he is denied by the society and excluded from it. The fact of hiding in the sewers means that he denies the society in value. Fred is now “a human in unreal, inhuman context" (Quest, 241) and a man who “is no longer deluded by the aboveground values."24

What does he see in the sewers with his own eyes? Under the ground he sees many kinds of “the reverse of reality." (Quest, 240) From the crevice of the sewer wall he sees a black church service. Seeing them singing and praying, he feels an irrestible impulse to laugh at their blindness, thinking that “they oughtn’t do that." Although he has a vague feeling that “those people should stand unrepentant and yield no quarter in singing and praying," he does not know the reason. Later when he revisits the church, he realizes the reason; “their search for a happiness they could never find made them feel that they had committed some dreadful offense with which they could not remember or understand." (85)

Another kind of “the reverse of reality" is reflected in the sewer, where he catches a glimpse of a nude baby of “nagged by debris and half-submerged in water." The baby is floating, with its eyes closed “as though in sleep," its fists clenched “as though in protest," and with its mouth gaped “in a soundless cry." When he finds the baby dead, he feels “the same nothingness" he felt while seeing the people singing in the church.

A third kind of “the reverse of reality" he finds in a movie house is “a stretch of human faces, tilted upward, shouting, whistling, screaming, laughing." The sight makes upon him a touching impression which is akin to the same kind of compassion that he felt before in the church. The vast “sea of faces" makes him aware of their mere “laughing at their lives" and of their mere “yelling at the animated shadows of themselves."

Then comes the last phase of “the reverse of reality" in a jewelry firm, where he sees a man open a huge safe filled with more money and jewelry than he has ever seen and feels like stealing them by getting the dial combination of the safe. It is only a symbolic act of defiance to the world that he wants to get them. It is not that he considers them to be of great value to him but that, paradoxical this may sound, he regards them as of no worth. He patiently waits till the safe is opened once again. He finally sees a man open the safe and steal some of the money, which makes him feel indignant “as if the money belonged to him." After that he steals the rest of the money, but does not feel guilty, for his instinct tells him that his stealth of the money is different from that of the man in motive; he has no intention of spending the money away; the man, who must be an employee of the firm, is to spend it for pleasure. Later when he revisits the firm, he sees a night watchman being accused of the robbery of which he is innocent. The accusation leads to the suicide of the convicted, on which he hears the policemen making observations in this way: “Our hunch was right," adding that “He was guilty," and that “Well, this ends with the case." (88) A keen sense of “the reverse of reality" leads him to the conclusion that the aboveground is an absurd world “fundamentally marked by chaos and disorder and blind materialism."25; in the church the people are blinded by the delusions; in the sewer the innocent baby is floating in debris; in the jewelry firm the employee steals the money and the watchman is wrongly accused and tortured by the policemen.

From the building he creeps into, he brings back many articles into the cave which he finds in the sewers. In the cave he plays games with the loots, plastering walls with green bills, hanging watches and others on the walls, and dumping diamonds and coins on the dirty floor. The games symbolize both his defiance to the blind materialism and mockery of the values on the aboveground as is shown in the text: “…the cleaver, the radio, the money, and the typewriter were all on the same level, all meant the same thing to him….They were the serious toys of the men who lived in the dead world." (77) Before the loots, he reflects on his experiences: “…he remembered the singing in the church, the people yelling in the movie, the dead baby,…He saw these items hovering before his eyes and felt that some dim meaning linked together…." (79) Fixing, a steady gaze on the papered walls, he broods: “…between him and the world that had branded him guilty would stand this mocking symbol. He had simply picked it up, just as a man would pick up firewood in a forest. And that was how the world above ground now seemed to him, a wild forest filled with death." (81) He resumes brooding:

…Why was this sense of guilt so seemingly innate, so easy to come by, to think, to feel, so verily physical? It seemed that when one felt this guilt one was reacting in one’s feeling a faint pattern designed long before; it seemed that one was always trying to remember a gigantic shock that had left a haunting impression upon one’s body which one could not forget or shake off, but which had been forgotten by conscious mind, creating in one’s life a state of eternal anxiety. (85)

And finally he discovers that all men are guilty because they are human, and that “all men are responsible for their actions in a world of evil and absurdity, and that men must accept responsibility for their existence nevertheless." (“Identity," 52) Fred can be said to have gained a new personality by descending underground, a new perspective that “all men are guilty because they possess an inherently evil nature," (“Identity," 52) but they must be responsible for their deeds nevertheless. The new perspective urges him to go back to the aboveground to proclaim his discovery. His readiness to tell it to the people cannot find its justification due to his violent death by one of the policemen who says after shooting as follows: “You’ve got to shoot his kind. They’d wreck things." (102)

Through the story of Fred Daniels, Wright shows us his new views which he has never offered in his previous works. In those works he has laid too much emphasis on what racism has produced-what the two races are, not on what blackness is – what blackness means; in Uncle Tom’s Children he has put his finger on the terror of direct white oppression in the rural South, by giving a clear picture of the new generation who obstinately cling to their humanity in the face of the white brutality; in Lawd Today he has indicated the brutalization of black life in the urban North, by portraying an ordinary black worker who is dejected by the subtle segregation and spoiled by blind American materialism; in Native Son he has pointed out what racism has produced, by depicting a native son who has gained his self-consciousness through the offense of the murder. In those works he has given too much weight to “those moments when the black and white worlds interact with, or react to, each other." (Works, 28) On the contrary in this work he has laid more emphasis on what blackness is what blackness means than on what racism has produced. It is due to his conviction that “the black man can recognize the absurdity of the world more rapidly than others" (“Identity," 52) that Wright portrays the hero as a victim of a racial society at the beginning of the story. Fred, who is condemned and shot to death, mirrors “the dilemma of all black Americans, who are both part of America and excluded from it." (Quest, 241) Fred is “a kind of negative American" about which Wright states in White Man, Listen!:

…The American Negro’s effort to be an American is a self-conscious thing. America is something outside of him and he wishes to become part of that America…. But…since he lives amidst social conditions pregnant with racism, he becomes an American who is not accepted as an American, hence a kind of negative American.26

The story, however, enters upon the second phase of the plot as soon as Fred descends underground. Under the ground he is omnipotent and can view the people above ground from the vantage point, for they do not realize that they are being observed. Fred is now an outsider “whose color is no longer important." (Quest, 240) Fred, who is forced to flee in the sewers, is merely an aviator of the oppressed minority indeed, but Fred, who has returned back to the aboveground with the new perspective and personality, is an aviator of all men. Therefore the message from Fred Daniels is the universal one. Through Fred Daniels Wright sends to us the following message: “only the acceptance of one’s responsibility in an absurd world can result in self-realization." (“Identity," 52) The message is Wright’s “great concern with meaning, with identity, and with the necessity to remain sane in a society where the individual personality is denied and the world appears devoid meaning.”27

These considerations lead us to the conclusion that the story of Fred Daniels is not only a racial protest but a universal quest of “nature and evil" and of “the problem of identity to all mankind," in which Wright has made an attempt to step beyond mere racial protests by giving more weight to what blackness means than to what racism has produced.

3.2  Cross Damon who makes a desperate “groan"

The Outsider 表紙

“He buried his face in his hands, closed his eyes and groaned; 'God …"'28 – this is the depiction of the black hero, Cross Damon when he calls on Eva Blount. What makes him groan? Eva is an efficient painter but her work and freedom are already ruined by her husband Gil, a Communist leader, who was ordered to marry her to get her into the Party for prestige purpose. When Lionel Lane (Cross’ false name in New York) is brought by Gil to their apartment, Eva pities him at first, for she considers him to be the same innocent victim to the Party as she is. But he is rather a “willing victim" that an innocent one, for he tries to use the Party as the contemporary comflage behind which he can hide from the law, as Gil uses Cross for the Party.

In Chicago Cross encountered a subway accident one day, when he barely escaped uninjured from the mess. Later when he heard the radio announce his death wrongly, he hit upon a plan of accepting the accident which would wipe out his practical problems. He was an intellectual young postal clerk, who had dropped out of Chicago University. At that time he was completely in plight economically, physically, and mentally – his wife with three sons was always complaining of alimony; his young mistress was urging him to marry; his religious mother was charging him coldly with morality; the alcohol was deadening the raw nerves of his stomach. In such a serious plight, Cross was too pessimistic to find meaning or values in the world. When he left Chicago for New York, he had already become a lawless outsider, living alone under his own laws. Under the laws he killed four men. First he killed Joe so as to maintain his new freedom, because Joe, whom he encountered at a cheap hotel in Chicago, was his postal friend – a symbol of his old world. Secondly he killed Gil and Herndon so as to blot out the dark image of the struggling men from the face of the earth, because both persons, a Communist leader and a total Fascist, were their own “little gods" and his enemies. Last he killed Hilton so as to defend himself from being accused of his murder, because Hilton was determined to make a convenient use of the bloody handkerchief, the proof of Cross’ murder.

In New York Cross uses the false name Lionel Lane and chances to be acquainted with the Communists. After her husband’s death Eva falls in love with Lionel Lane, who is not now what he was as he comes to know what it is to love another. Eva is to him a thread of hope with which he will be able to go on living. In the presence of such a woman the hero is to face which he should do: Should he make a confession of all his past? Should he be bold enough to go on with his life under the false name? Should he flee from Eva before she is aware of his identity? In such a dilemma there is nothing left for him but to make a desperate “groan": “God…" In the meanwhile Eva is taught what he is and has done by the Party leaders who take her to the Party headquarters. Back in the apartment she is told all the truth by Cross and gives desperate cries, edging away from him with horror: “…I thought you were against brutality – I thought you were going to tell me what Gil had done to you – I thought you hated suffering." (289) She no longer believes in him. However hard he tries to make an excuse for his infidelity, he finds it all in vain. Eva finally kills herself. Eva never understands an outsider Cross Damon. The only character in the story that is capable of understanding the hero Cross is Houston, the New York District Attorney. As he is in a sense an outsider because of a hunchback, he shares identical viewpoints with Cross. What he talks in earnest to Cross about an outsider goes as follows:

Negroes, as they enter our culture, are going to inherit the problems we have, but with a difference. They are outsiders and they are going to know that they have these problems. They are going to be self-conscious; they are going to be gifted with a double vision, for, being Negroes, they are going to be both inside and outside of our culture at the same time…. (129)

My deformity made me free; it put me outside and made me feel as an outsider. It wasn’t pleasant; hell, no. At first I felt inferior. But I have to struggle with myself to keep from feeling superior to the people I meet…. (133)

Later when he investigates the case of Cross’ murder, Houston insists that the case of Gil and Herndon is not “double manslaughter" but the murder by a third person – a man of lawless impulses, and then accuses Cross of the murder on psychological basis, after finding his real identity in Chicago. It is ironical that an outsider Houston accuses another outsider Cross. Cross has begun to have the truest relationship with Houston for the first time in his life, for Houston is the very man Cross has long sought for – Houston is the man who has become an outsider not because he was born poor and black, but because he thought his way through many veils of illusion. Houston releases Cross because he has no proof on material basis, but Cross is shot down by one of the Party members, who is afraid of him because they cannot understand him. When Houston rushes to the spot where Cross is shot down, Cross whispers to Houston as follows:

'I wanted to be free…, to feel what I was worth…what living meant to me…. I loved life too… much…’

'Never alone…. Alone a man is nothing…. Man is a promise that he must never break….’

'…We’re different from what we seem…. Maybe worse, maybe better…But certainly different…We’re strangers to ourselves.’

'Don’t think I’m so odd and strange…. I’m not…. I’m legion…. I lived alone, but I’m everywhere….’ (439-40)

Through the story of Cross Damon, Wright shows us three problems. The first problem is about a philosophical theme of an outsider – the theme of how an outsider should live in a society where he no longer finds any meaning or any value. Cross is not the only outsider, for Eva, Houston, Gil, Herndon, and Hilton are much the same in a sense; Eva is dejected by Gil’s betrayal; Houston is alienated by his physical handicap; Gil, Herndon, and Hilton are deluded by their blind ideology. The problem of an outsider is, therefore, a universal one, as is shown in Cross’ whispering to Houston in his death time: “I’m everywhere…." The problem implies a social comment on America and other Western countries whose civilizations have produced many outsiders, and at the same time gives implicit warnings to modern citizens governed by their culture. In the sense Hicks’ comment is to the point: “The Outsider is…a book about modern men….It challenges the modern mind as it has rarely been challenged in fiction…his principal problems have nothing to do with his race."29 Through the problem Wright deepens the theme dealt with in “The Man Who Lived Underground" – the theme that all men “must accept responsibility for their existence" (“Identity," 54) even in a world of evil and absurdity.

The second problem is about a “double vision" with which Wright widens the “underground vision" handled with in “The Man Who Lived Underground." With the vision Wright makes it clear that “the black man is able to recognize the irrational character of the world more rapidly than others" because of being driven underground by racism. Wright tries to “achieve universality by concentrating on the specific, by dealing with his experience."30

The last problem is about Wright’s personal relationship with Communism. Wright has tried to write Uncle Tom’s Children, Native Son, and other works on the belief that Communism is the means of the liberation of the blacks, but in this work he tries to repudiate the belief as is implied in Gil’s words: “We’re Communists. And being a Communist is not easy. It means negating yourself, blotting out your personal life and listening only to the voice of the Party. The Party wants you to obey." (183) It is the declaration of his personal break with the Party. Wrghit shows a slight sign of his personal break with the Party in Part III of Native Son, in which Wright gives a picture of a Communist lawyer Max who cannot see Bigger as an individual though he can understand him as a sample of the oppressed minority. In the sense The Outsider is the further quest of Native Son beyond which Wright tries to step.

Taking all these considerations into account, we conclude that the story of Cross Damon is among his larger quests of a man, in which Wright has tried to step beyond racial protests.

3.3  Erskine Fowler who “sins a second time"

The epigraph to Savage Holiday leads us to the solution of the story:

For he who sins a second time,

Wakes a dead soul to pain,

And draws it from its spotted shroud,

And makes it bleed again,

And makes it bleed great gouts of blood,

And makes it bleed in vain!

– Oscar Wilde’s The Ballad of Reading Gaol

In the case of Erskine Fowler, the white hero in Savage Holiday, his “sin" has a double sense. The primary sense is his real murder of Mabel Blake, a young widow with a son next door. The secondary is his psychopathetic murder by which the hero tries to disown the retained image of his own dead mother. In the latter case, the “concept of deeply buried desire that emerges thirty years later in the form of a crime places the murder itself on another, almost secondary level, since the remembered reality of Fowler’s childhood is revealed as the unreality of a dream." (Quest, 378)

Tony’s death is caused by Fowler’s faults, but is he responsible for the death in a true sense? On the morning when the accident happens, he finds himself locked out of his apartment, naked, for a sudden draft slams and locks the door behind him when he steps out to pick up his Sunday news paper scattered in the hall, before taking a shower. He dodges naked and terrorized through the buildings and finally rushes to the balcony, where Tony has been playing alone, in order to climb in through his bathroom window, but the sight of his loaning nude body startles Tony so terribly that Tony shrinks back against the railings and falls down from the tenth floor. His nudity is to blame indeed, but it seems to him that the way of Tony’s fright was too extraordinary. At first he cannot see why Tony was so afraid of him. On his second thought he comes to realize the reason: Tony thought that naked men were to attack his mother, for he always observed his mother making love with men. In that sense it is not Fowler but Mabel who is to blame for Tony’s death. He does not go to the police nevertheless; he cannot go. As he knows that others will not believe in his story, he decides to conceal the fact for self-protection. From then on a sense of fear and guilt begins to attack.

At that time he was already assailed by another anxiety. He was suddenly forced a premature retirement from an insurance company, so as to make room for the president’s son. Though he felt disgusted with the retirement, “what was fundamentally fretting him was that – now that he had retired and free – he didn’t know what to do with himself."31 To the displeasure is added another irritation due to the boy’s death.

Two reasons force their ways into an inevitable acquaintance of Fowler with the dead boy’s mother Mabel. One reason is given for his self-complacent sense of mission which he felt while preaching his sermon in Sunday School. The other is supplied for his fear that she might have seen his crime. Mabel, quite an opposite to his own character, at once attracts and disturbs him. “Her helpless state" caused by her son’s death blinds his judgement, and “her gestures of modesty" make him feel that she is “really kind of pure" even though he regards her to be a whore. He begins to “allow himself to be swamped by pity" and then finds himself trapped in a kind of love – “the more abandoned she was, the more he yearned for her." He finally decides to marry her, not to silence her, but to possess her entire being. But Fowler and Mabel are too different in every way. Fowler, a middle-aged rich man, is a Sunday School superintendent. Mabel, a young employee in a night club, is a kind of prostitute. His love-hate struggle begins. Her way of life irritates him. He cannot understand why she can go out for drinks, spend with a young man, and receive frequent phone calls in so tolerant way. Her degraded way of life reminds him of his own dead mother, for Mabel is so much alike the retained image of his mother. Mabel forced his son to live in constant terror of violence, by allowing him to watch her making love with many men. His mother made Fowler feel afraid and ashamed of men, with whom she had gone out even when Fowler had been ill in bed. He would have liked his mother to love him. He realizes that Tony was psychologically crippled. Combined love and hate of this sort ends in a kind of delirium, which brings about a desperate murder of Mabel. It is the only way he can possess her, and at the same time disown the retained image of his mother.

Four problems are presented to us in the story of Erskine Fowler. The first problem is on crime and guilt. Wright asks us which is guilty of Tony’s death, Fowler or Mabel, in a true sense, and which is to be blamed for the murder of Mabel, Erskine or his mother. For Tony’s death, Fowler is not to be blamed only because the death is accidental. But he is to blame both in the sense that after the accident he has “a wish that Tony died instantly upon his impact with pavement" for fear of being accused, and in the sense that he substitutes his faults for his self-complacent sense of mission. It is, however, not Fowler but Mabel who is to be blamed in a true sense, for She forced Tony to live in constant terror of violence. Of Mabel’s death Fowler is guilty, for he likes to possess her through the offense of the murder. But it is his dead mother who is to be blamed in a true sense, for it is the retained image of his mother that drives him into the murder of Mabel.

The second problem is on “mother." In the story Fowler has attempted to repudiate his mother’s image to disown the haunted image of his dead mother, placing the real murder on another level. The problem is another angle of The Outsider, in which Wright repudiates his psychological past throw Cross Damon who repudiates his mother on intellectual grounds. The third problem is on religion. In this work Fowler has tried to redeem himself by substituting his faults for a sense of mission. His religion adds to him even another anxiety without reducing his irritation. The depictions reflect on his mockery of the blindness of the men and on his implicit protests against Christianity.

The last problem is on freedom. It is not until he is fired from his job that he realizes what his freedom is. As Constance Webb points out, “his freedom has lain within the context of a job, a church, Ivy League clothes, money in the bank and an East Side address." (Webb, 316)

It is the problem of “a man struggling mightily to free his personality from the daily and hourly encroachments of American" with which Wright already deals in Native Son.

From these considerations we draw the conclusion that the story of Erskine Fowler is his new attempt of “completely non-racial, dealing with crime," in which he tries to step beyond racial protests.

3.4  Rex Tucker who is “leaving" for Paris

The Long Dream 表紙

“You scared, Papa! You scared too! Just like me!"32 Fish (Rex’s nick name) exclaims to his father Tyree, when he is released from the jail, where he has been put under the charge of trespassing into the white territory. What makes Fish call his father scared? Before the jail house trouble, Fish has a bitter experience. It is the lynching of Chris by the white mob. The lynch teaches Fish what a “race fight" means. In the “race fight" he sees his father trembling and scared in the face of the whites. The sight of his father makes him feel a nameless hatred toward his father. In the jail his father’s “act" before the whites makes Fish feel so humiliated that Fish comes to feel that he has no “father." Fish feels more shameful when his father says as follows: “A white man always wants to see a black man either crying or grinning. I can’t cry, ain’t crying type. So I grin and git anything I want." (142) Fish thus calls his father scared, casting reproach on his Uncle Tom’s role in the face of the whites. Tyree, however, does not keep silent when he is called a coward by his son. Tyree forces his son to answer whether Fish is to obey his father, saying, “Boy, look at what I done with my life! I’m black, but do you hear me whining about it? Hell, naw! I’m a man! I got a business, a home, property, money in the bank…." Tyree’s fury is unbridled enough to make Fish obey. Contented his son’s submission, Tyree takes his son to a whore house, where Fish sees another side of his father. He discovers that Tyree owns the whore house with the permission of the chief of the police and exploits the poor blacks by renting houses; Tyree is a cruel exploiter and a powerful leader of the black community; Tyree can handle with the chief of the police. Tyree guides his son to the white world, by giving the following warnings: “You are nothing because you are black, and proof of your being nothing is that if you touch a white woman, you’ll be killed." (157) The mob lynch and the jail house trouble enable Fish to see the ambivalance of Tyree’s personality, which initiates Fish from a boy to a man.

The most cruel incident Fish has experienced is the big fire of the whore house, which kills 42 people. The fire put Tyree and Cantley, the chief of the police, into a serious crisis, for Tyree runs the house, while neglecting the warning of the fire department and Cantley has continued to snatch bribes from Tyree for ten years. Tyree feels intuitively that Cantley is to escape from the crime because of being white, and that Tyree is fated to be a scapegoat because of being black. The desperate feeling urges Tyree to threaten Cantley with canceled checks, the only proof of the bribes. Tyree asks Cantley to put “six niggers" on the jury in his trial. The sight of two Tyrees – “a Tyree resolved unto death to save himself and yet daring not to act out his resolve" and “a make-believe Tyree, begging, weeping"-makes Fish feel something obscene. Cantley promises to help Tyree, but Tyree instinctively feels his own fate and makes a desperate rebellion against Cantley – he takes ,the checks to a white lawyer, McWilliams, and tells him as follows:

'I ain’t corrupt. I’m a nigger. Niggers ain’t corrupt. Niggers ain’t got no rights but them they buy….for years I done bought me rights from the white man and I done built a business….Now the same men who sold me rights ask me to give ’em all my money’ (273)

This is Tyree’s last desperate fight against the whites, which makes Fish feel as if Tyree “had draped about his shoulders an invisible cloak of authority,…" (284) Tyree, after all, is framed and shot to death by Cantley. After Tyree’s death, Fish is also framed and forced to stay in jail for two years by Cantley, for he is afraid of Fish’s checks which his father left for him. In the jail Fish finds himself acting an “act" before the whites as his father did. He realizes that his father has already become “shadow of himself." When Fish is released from the jail, Cantley advises Fish to take over Tyree, but Fish makes up his mind to flee Paris where “folks don’t look mad at you just cause you are black" (360) and says a farewell to his dead father: “Papa! I’m leaving….I can’t make it here." (377)

In this work Wright’s effort is focused on the father-son relationship between Tyree and Fish-Tyree who lives his own life, grinning, and Fish who grows up to be a man under his father’s guidance. The chief aim is made to depict the reason why Fish should leave his native South for Paris. The depictions show us that “Fishbelly’s dream of identifying with white values can never be realized under existing circumstances." (Art, 151) Though in this work Wright sets the plot in the South as in Uncle Tom’s Children which is written with his aim of active protests against the white brutality, this work is not the same in motive with Uncle Tom’s Children. It is because this work is written in view with the aim of Part I of the trilogy, in which Fish’s life in non-racial situation is to be portrayed in details. The view is confirmed with the fact that another part of the trilogy was published in three years after Wright’s death, in which the exile life of Fish was to present itself.

The conclusion we arrive at is that the story of Rex Tucker is “a solid foundation for his new departure" (Quest, 475), in which Wright tries to step beyond racial protests.

Chapter IV

 Conclusion

 In Uncle Tom’s Children Wright shouts strong protests especially against the whites by depicting Big Boy and others who are not in the nature of an “Uncle Tom," with emphasis laid on the terror of direct white oppression in the rural South. In the work he shows his profound pity toward his own race by giving a picture of the new generation who obstinately cling to their humanity in their different ways in the face of the white brutality, with hope laid on the liberation of the oppressed blacks. In Lawd Today, contemporary with Uncle Tom’s Children, he also makes protests against the whites by portraying Jake Jackson dejected by the subtle segregation in Chicago and spoiled by blind materialism, with weight given to the brutalization of black life in the urban North. In the work he gives warnings toward his own race by giving a clear picture of ordinary black workers unaware of what they are, with emphasis to “the necessity for political education to make the masses aware of their plight." Both works are based on his following conviction stated in “Blueprint for Negro Writing" (1937):

…for the Negro writer, Marxism is but the starting point. No theory of life can take the place of life. After Marxism has laid bare the skelton of society, there remains the task of the writer to plant flesh upon those bones out of his will to live. He may, with disgust and revulsion, say no and depict the horrors of capitalism encroaching upon the human being. Or he may, with hope and passion, say yes and depict the faint stirrings of a new emerging life.33

Following his “blueprint," Wright depicts “the faint stirring of a new emerging life" in Uncle Tom’s Children “with hope and passion." While in Lawd Today he depicts “the horrors of capitalism encroaching upon the human being" “with disgust and revulsion."

The intensity of the protests and warnings shown in the two works increases in Native Son. Through the story Bigger Thomas who is finally driven into the offense of the murder of a white girl and a black girl, Wright both directs active protests against the whites and extends passive warnings toward the blacks. The combined protests and warnings confirm us that Bigger is a native son America has produced, and that both the blacks and the whites are blinded by too heavy daily and hourly encroachments to realize what they are. In the sense the following comment given by Felgar is to the point: “They (Negroes) did not want to believe that the America they loved had bred these pollutions of oppression into their blood and bone. Similarly whites did not and do not want to acknowledge what their racism has produced."34 The protests in Native Son are overwhelming enough in their power to extract their reluctant admission from both the blacks and the whites, but to our regret, the story makes us feel something important lacking. It is because the solution of the existing plight does not suggest itself to us in spite of a skillful presentation of the cause and the effect of the plight; Bigger, though he becomes aware of his identity by way of the offense of the murder, “still has not resolved the problem of how to get along in this world." (Hero, 94)

In the three works too much weight given to “those moments when the black and white worlds interact with, or react to, each other" (Works, 28) keeps Wright from depicting what blackness is; though he clearly portrays what racism has produced and what the blacks are, Wright does not pay much attention to what blackness means and how the blacks should live in the absurd world. On the contrary, in “The Man Who Lived Underground" Wright gives more weight to what blackness is than to what racism has produced, by depicting Fred Daniels who has gained his self-consciousness and new perspective in the underground where he hides because of being wrongly accused by the authorities. In the story of the hero he makes it clear that “the black man can recognize the absurdity of the world more rapidly than others" because he is both part of America and excluded from it by racism. Wright makes an attempt to step, beyond mere racial protests by carrying his eyes from what racism has produced to what blackness means – from the present situation which has been brought about by the past one to the present situation which is to bring about the future one. This view is confirmed by the fact that Wright made the following remark about this work in his letter to Reynolds on December 13, 1941: “It is the first time I’ve really tried to step beyond the straight black-white stuff…." (Quest, 240)

The “underground" perspective gained by Fred extends far and wide in The Outsider in its presentation of the hero, Cross Damon, who has tried to get along in the world where he can no longer find any meaning or any value. In the story he makes it more clear that the oppressed blacks are to be gifted with a “double vision" with which they are going to be both inside and outside of American culture at the same time. It is his manifestation of the serious quest for what blackness means. In the sense The Outsider is his new attempt to “achieve universality by concentrating on the specific, by dealing with his experience."

In Savage Holiday he handles with the matter of crime and guilt by portraying the white hero, Erskine Fowler, who is driven into the murder of a woman so as to disown and forget the retained image of his mother. In this work he makes a new attempt by dealing with only white characters, not black ones, in which he tries to step beyond racial protests.

In The Long Dream Wright makes a new attempt by depicting Rex Tucker who is to leave his native South for Paris. The work is written with the aim of Part One of the planned trilogy in view, in which the exile life of the hero is to be portrayed in details in non-racial circumstances.

All this taken into consideration, we conclude that Richard Wright is not a mere protest writer on racism, but a writer who has tried to step beyond racial protests by carrying his eyes from what racism has produced to what blackness means.

Notes

1 There are two editions of Uncle Tom’s Children (1938 and 1940). The former includes four short stories, “Big Boy Leaves Home," “Down by the Riverside," “Long Black Song," and “Fire and Cloud." The latter includes the four stories and “Bright and Morning Star" and “The Ethics of Living Jim Crow, an Autobiographical Sketch."

2 Lawd Today is written in the 1930’s and published posthumously in 1963.

3 “The Man Who Lived Underground" is published first in Cross Section and later included in Eight Men (1961). In 1942 two excerpts of the first draft are published in Accent under the same title.

4 Herbert Hill says in “Uncle Tom, an Enduring Myth,” in The Crisis, LXXII (May, 1965), p. 289 that an Uncle Tom is a black man who behaves without self-respect and dignity and without racial pride in relation to white persons and controlled institutions.

5 Big Boy is the hero in “Big Boy Leaves Home,” first published in The New Caravan (1936), and later included in both editions (1938 and 1940).

6 Mann is the hero in “Down by the Riverside," included in both editions.

7 Richard Wright, Uncle Tom’s Children (1940; rpt. New York: Perennial Library, 1965), p. 102; all subsequent page references to this work will appear in parentheses in this paper.

8 Sarah is the heroine in “Long Black Song," included in both editions.

9 Dan Taylor is the hero in “Fire and Cloud," first published in Story Magazine, No. 12 (March, 1938), and later included in both editions.

10 Sue is the heroine in “Blight and Morning Star," first published in New Masses, No.27 (May 10, 1938), secondly included in 1940 edition, and finally published in booklet form by International Publishers in 1941.

11 Edward Margolies, The Art of Richard Wright (Carbondale: Southern Illinois Press, 1969), P. 73. hereafter cited as Art.

12 In his autobiographical sketches “the Ethics of Living Jim Crow," first published in American Stuff (New York, 1937), and later inched in Uncle Tom’s Children (1940 edition), Wright depicts his bitter experiences in the Jim Crow South.

13 Richard Wright, Lawd Today (New York: Walker and Company, 1963), pp. 130-131; all subsequent page references to this work will appear in parentheses in this paper.

14 Katherine Fishburn, Richard Wright is Hero: The Faces of a Rebel Victim (Metuchen: The Scarecrow Press, 1977), p. 56; hereafter cited as Hero.

15 Russell Carl Brignano, Richard Wright: An Introduction to the Man and His Works (Pittsbisgh: Unversity of Pittsburgh Press, 1970), p. 25; hereafter cited as Works.

16 Michel Fabre, The Unfinished Quest of Richard Wright, tra. Isabel Barzun (New York: William Morrow, 1973), p. 155; hereafter cited as Quest.

17 Richard Wright, Native Son (New York: Harper & Brothers, 1940), p. 194; all subsequent page references to this work will appear in parentheses in this paper.

18 Bigger went to see the Daltons with his gun and knife at first, but after tie murder he did not carry them with him.

19 Saunder Redding, “The Alien Land of Richard Wright," in Soon, One Morning: New Writing by American Negroes, 1940-1962 (New York: Alfred. A. Knopf, 1963), p. 53.

20 Richard Wright, “Why I Selected 'How Bigger Was Born, '" in This Is My Best, ed. Whit Burnett (Philadelphia: Blackstone & Grayson, 1942), p. 448.

21 Constance Webb, Richard Wright: The Biography of a Major Figure in American Literature (New York: G. P. Putnum’s Sons, 1968), p. 175; hereafter cited as Webb.

22 James Nagal, “Image of 'Vision’ in Native Son," University Review, 36 (December, 1969), pp. 109-115; rpt. in Critical Essays on Richard Wright, ed. Yoshinobu Hakutani (Boston: G. K. Hall, 1982), p. 157.

23 Richard Wright, “The Man Who Lived Underground," in Cross Section, ed. Edwin Seaver (New York: Fisher, 1944), p. 58; all subsequent page references to this work will appear in parentheses in this paper.

24 Robert Felgar, Richard Wright (Boston: Twayne, 1980), p. 157.

25 Shirley Meyer, “The Identity of 'The Man Who Lived Underground, “' in Negro American Literature Forum, IV, 2 (July, 1970), p. 52; hereafter cited as “Identity."

26 Richard Wright, White Man Listen! (1957; rpt. New York: Anchor, 1964), p. 16.

27 Herbert Hill, ed., “Introduction," in Soon, One Morning: New Writing American Negroes, 1940-1960 (New York: Alfred A. Knopf, 1963), p. 8

28 Richard Wright, The Outsider (1953; rpt. New York and Evanston: Perennial Library, 1965), p.289; all subsequent page references to this work will appears in parentheses in this paper.

29 Granville Hicks, “The Portrait of a Man Searching," New York Times Book Review (March 22, 1953), pp. 1, 35; rpt. in Richard Wright: The Critical Reception, ed. John M. Reilly (n.p.: Burt Franklin, 1978), p. 198.

30 Michel Fabre, “Richard Wright, French Existentialism, and The Outsider," in Critical Essays, p. 185.

31 Richard Wright, Savage Holiday (1954; rpt. New Jersey: Chatham, 1975), p. 30; all subsequent page references to this work will appear in parentheses in this paper.

32 Richard Wright, The Long Dream (1958; rpt. Chatham: The Chatham Bookseller, 1969), p. 145; all subsequent page references to this work will appear in parentheses in this paper.

33 Richard Wright, 'Blueprint far Negro Writing," New Challenge, II (Fall, 1937), pp. 53-65; rpt. in Richard Wright Reader, ed. E. Wright & M. Fabre (New York: Harper & Row, 1978), p. 44.

34 Felgar, p. 98.

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ソルボンヌを背景に家族とファーブルさん(1992年パリ)

執筆年

1982年

収録・公開

Master thesis, Hyogo University of Teachers’ Education
(未出版、兵庫教育大学付属図書館所蔵)

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Richard Wright and His World (164KB)

1976~89年の執筆物

概要

ライトがパリに移り住んで、普遍的なテーマを模索して書いた作品のひとつ Savage Holiday (『残酷な休日』)の作品論です。

普遍的なテーマを模索していたライトを知る上には欠かせない作品と位置づけて作品論を試みましたが、今から考えると、やはり作品自体に勢いがないように思えます。もともと、作家が逃げるような形でその地を離れて何かのテーマを追うのは、難しいのでしょう。この作品に関する論評や作品論なども少なく、日本にも紹介すべきだと考えて作品群の中で捉えようとしましたが、もともと芸術作品自体は自己充足的なもので、その作品に力のない限り、作品論にするのは限界がありました。たくさん取り上げた作品のなかでは、駄作だったと思います。どの作品も取り上げないと気が済まない、僕自身の性格のなせる業だったのでしょうか。ほろ苦い思いの残る作品論となりました。

「黒人研究」(1983) 53号1-4ペイジ。

本文

リチャード・ライトと『残酷な休日』

『残酷な休日』1Savage Holiday,1954)は、リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)がパリ亡命の後に出版した長編小説『アウトサイダー』(The Outsider,1953)の直ぐ後を受けて出された「白人を扱った」2中編小説である。「人種問題に係わりなく、罪そのものを扱った」3この作品は、主人公アースキン・ファウラー (Erskine Fowler)の“罪”にまつわる物語を通じて、過度の物質文明の発展に精神文明が伴なって行かない現状の中で、キリスト教を基盤にした西洋文明が、如何に社会に於ける個人の存在を蝕んでいるかという一面を描き出している。本論では、白人プロテスタントアースキンの犯した2度の罪を通して、ライトの描こうとした問題が一体何であったのか、又、それがライトにとってどの様な意味合いを持っていたのかを探って行きたい。

<トウニーの死> アースキンは、トウニー・ブレイク (Tony Blake) の墜落死を招き、その母親メイバル・ブレイク(Mabel Blake)をナイフで惨殺するという2度の犯罪を犯すが、この2つの犯罪は決して同じ次元のものではない。トウニーの死は言わば偶然の事故であった。アースキンが後に侮んだように、散らばった新聞を拾うために廊下に出た際、突然風が吹いてドアーが締ってさえいなかったら、或いは浴室の窓をよじ登って自室に戻ることを思い着いてバルコニーに駆け込みさえしていなかったら、或いはトウニーがバルコニーでそのとき遊んでさえいなかったら、おそらくトウニーが墜落などすることはなかっただろう。その意味では、墜落の責任が総てアースキンにあったわけではない。にもかかわらず、彼は警察に出向いては行かなかった。いや出向けなかったのである。その理由は事故の現場を誰にも目撃されずに、うまく自室に戻ることが出来たことにもよるが、何よりも保険会社の相談役であり、4万ドルの預金者であり、ロータリーの会員であり、日曜学校の校長である自分が、こともあろうに日曜日の朝に、うろたえながら裸で廊下を走りまわった挙句、バルコニーで遊んで居た5才の子供を誤って墜落死させてしまったなぞと到底他人には信じてもらえないと考えたからである。自首できなかった彼には、結局事実を隠し通すしか他に道は残されてはいなかった。勿論、トウニーに対する後ろめたさから良心の呵責に苛まれるが、現実にはトウニーが中途半端に生きて居るより、むしろ即死していてくれと願い、自分の運命が、すべてトウニーの落ちた一地点にかかっているとさえ考えたのである。その彼は、以後事故について他人に疑われはしないかと終始不安に苛まれることになるが、その時、彼の心の中には既に別の<不安>4 が見え隠れしていた。その不安とは、突然会社に見限られ、無理やり退職させられたことによって誘発されたものだった。確かに、彼は13才の時より43才に至る30年の間、心身を傾けて忠誠を尽し、自分の事以上に熟知した保険会社に突然見限られ、捨てられたことで表現出来ない程の疎外感を味わった。又、自分の後釜に事もあろうに、大学出たてのわずか23才にしかならない社長の愚息が座ると聞かされて憤慨もした。又、社長と副社長に退職のことで抗議を申し込んだ時、彼の唯一の誇りである仕事上の手腕を時代遅れだと非難されたばかりか、既に契約済みの退職金と年金、更に相談役として会社に残るという契約を楯に脅された末、退職記念会で会社発展の為のピエロ役を強要されたにもかかわらず、結局抵抗すら出来なかったという屈辱感を味わった。しかし、そんな疎外感や屈辱感よりも、もっと彼を苛立たせたのは、退職して自由になった今、一体自分自身をどう始末してよいのかわからないというところから来る不安感であった。平穏だったお決まりの生活に波風が立ち退職の噂が流れ始めて以来、彼の心の中には得体の知れぬ敵が見え隠れするようになっていた。平穏な生活を支えていた会社に捨てられて初めて、会社や教会や財産等を含む日常性の中に埋没させていた何ものかが頭をもたげ始め、心の中に不安感として広がり始めたのである。「毎週新たにもう丸6日間の日曜日が恐ろしく彼の前に姿を現わし、仕事中心の生活の中で長い間うまく閉じ込めでいた彼自身が拒んでいた部分に、何とか吐け口を見い出さなければならなくなった」5 のである。言い換えれば、今まで彼は仕事を含む平程無事な生活の中に、把み切れない自分や、触れたくない過去の自分の一切を封じ込め、自分自身と直接対話することをうまく避けて来たのである。彼が10年間遅刻すらしないで通い続けた教会を通じて、宗教の中に安らぎを求めたのも,やはり自分自身との対話からくる得体の知れぬ不安を隠すためであった。その意味では、彼にとって仕事と教会は得体の知れない不安を覆い隠すヴェールの役割を果たしていたと言える。自らの意思に反した退職を強要されたことによって感じ始めた不安は、言わばその不安を覆っていたヴェールが外的な力によって剥がされた為にもたらされたことになるが、トウニーの事故によって感じ始めた不安は、むしろ平穏な生活を支える役目をしていたヴェールそのものによってもたらされたと言ってよい。なぜなら、彼が裸の狂態を演じた末、隣家の少年を死に追い遣った事実を他人に信じてもらえないと考えたのも、又、その事実を隠し通す決心をしたのも、平穏な生活を支えていた社会的地位や財産のなせる業であったから。又、事実を隠し、人から嫌疑をかけられない様ように、いつも通りに正装をして教会に出かけたり、トウニーの事故の知らせを聞いて狂乱する母親や彼女を取りなす隣人達に何食わぬ顔で立ち振舞ったり、或いは、事件発覚のどさくさに紛れて血で汚れた自分の新聞をメイバルのものとすり替えたのも、総て30年間携わった保険という仕事から得た経験のなせる業だったからである。ともあれ、退職を契機に感じ始めていた得体の知れぬ不安は、トウニーの事故に引き起こされた不安によって、再び徐々にアースキンの心の中に<潜伏>し始める。勿論、トウニーの死は偶然の事故によってもたらされたものには違いなかったが、結果的にはそれがアースキンとメイバルを接触させる契機となる。

<メイバルの死>アースキンがメイバルと直接接触を持つようになったきっかけは2つある。1つはアースキンが教会から帰ったとき、管理人夫人のウエスタマン (Mrs. Westerman)から、メイバルが事故の起った頃に自室の窓から宙に浮いた裸の足を見たわと口走ったのを聞かされたことである。もう1つは、彼が教会から自室に戻った際に、2度電話が掛ったことである。1度目の電話は、相手が何も告げずに切ってしまったが、2度目の電話では「私は起った事を見たわ」(114ペイジ) というか細い小さな女の声がした。誰にも見られていないと考えていたアースキンにとって、それら2つの出来事は、結果的にはメイパルを訪れる決心をする引き金となった。しかし、本当に彼をメイバルに近づけたものは、不安を覆い隠す役目をしていた宗教であった。トウニーに対する後ろめたさや他人に事故の真相を知られないかという不安を感じながら、敢えて平静を装って教会に出かけたアースキンは、それでも教会に足を踏み入れたとたん、流れる賛美歌にこれが自分の世界だとほっと安堵感を覚える。その日の<神の永遠の家族>という話題で取り上げられたマタイによる福音書12章46-50節を見ながら、トウニーの事故の忌まわしいイメージを頭から拭い去るのに適しい話題はないものかと考え始める。この福音書はメイバルを神の姉妹と見るべき神のお声ではなかったか。又、トウニーの事故は迷えるふしだらな母親メイバルを救う為の神のお思し召しではなかったか。その福音書を眺めながらそう思い着いた時、彼は神の名の下に、自らの罪のすり替えを始める。神がトウニーを天国に召されることによって母親メイバルを罰したのであり、彼はその神に遣わされた使徒にしか過ぎなかったのだと考える。その思いを自分に言い聞かせるかのように、説教では、マタイによる福音書からのキリストの言葉を借りて、神の教えを行なうものはすべて母であり、姉妹であると熱っぽく会衆に語りかける。彼は説教をしながら、隣人のメイバルは実は神の家族となるべき人であり、彼女を神の道に導いてやることこそが彼の使命なのだと自らの心に言いきかせようとしたのである。彼はトウニーの死によってもたらされた不安から逃れる為に、自らの罪をうまく神の道へ転嫁したわけである。罪の転嫁は更に重ねられて行く。彼は教会からの帰途、心を鎮める目的も兼ねてセントラルパークに立ち寄るが、そこで事故の時のトウニーの驚き方に疑問を持ち始める。確かに、突然裸の大男がバルコニーに現われたのだから、トウニーが驚いたのは無理もないことだったが、それにしてもその驚き方が彼には異常すぎると思われたのである。というのも日頃母親にかまわれないトウニーを見兼ねて何かと気をかけてやっていたアースキンは、トウニーから父親のように慕われていたからである。アイスクリームやおもちゃをねだられては買い与えてやった日々の事を思い浮かべているうちに、アースキンはふと意外な事実に思い当たる。トウニーは男性の裸に、特別に恐怖心を抱いていたのではなかったか・・・・・・彼には思い当たる節があった。かつて彼はトウニーから子供がどうして出来るのかと与ねられたことがあった。彼は神様がお作りになったのだよと説明したが、トウニーは納得しなかった。トウニーは男と女が取っ組み合い (“fight”) をした結果赤ちゃんが出来るのだと言い張った。そして自分は決して大人になんかなりたくない、母さんのように裸で取っ組み合いをしたくないと付け加えたのだ。トウニーは、夜の仕事を終えて帰った母親が、ベッドで男と享楽に耽る姿を盗み見て、裸の男が母親と争っていると考えて、裸に対して異常なまでの恐怖心を持ったに違いなかった。隣に住む彼が明け方に何度かリズミカルに軋むベッドの音に起こされてなかなか寝つけないで悶悶としたことを考え合わせてその思いを深めるのだった、トウニーが突然手に持っていた親子2台のおもちゃの戦闘機をこわがって放り出したまま逃げ出したのも、常に大人の暴力の中に晒されることにより感情が損われ、情緒が不安定になっていたからであろう。のちに隣人からトウニーがいつも突然何かに怯え出し、おもちゃを投げ出して逃げて帰るということを聞かされてその見方はますます強まって行く。トウニーがバルコニーで異常に驚いた謎が解け始めた時、本当の意味でトウニーの死に責任があるのは彼自身ではなく、むしろトウニーに裸の恐怖心を抱えつけた母親メイバルではなかったかと彼には思えてくるのだった。そして、トウニーとメイバルの関係が、彼と彼の死んだ母親のイメージと重なり始めた時、その思いは強まっていった。3才で父を亡くした彼も又、トウニーのように男出入りの激しかった母親に疎まれて育った。友達からはふしだらな母親の悪口を浴びせられて相手にされなかった。彼が高熱でうなされている夜でさえ、母親は彼をひとり部屋に閉じ込めたまま男と出かけて行った。そんな彼の過去は、トゥニーの現状とあまりにも似通っていた。彼がトウニーのことを理解すればする程、トウニーの罪のつぐないをすることこそが自らの痛ましい過去をつぐなうことにもなる・・・・・・その為にも、どうしても、哀れな母親を神の道へ導いてやらねばならないと思えて来るのだった。こうして自らの罪を完全に神の道にすり替えたアースキンはメイバルと接し始める。

彼はメイバルをふしだらな女だと考えながらも、子供をなくして打ちひしがれる彼女への同情を禁じ得なかった。彼女の慎み深い仕草に、ある種の純粋さすら感じ始め、いつしか彼女を所有したいと考えるようになった。目にあまる彼女のふしだらさを責めた時、彼女は興奮のあまり卒倒して気を失ない彼の手の中に倒れ込むが、そんな彼女が彼にはこの上もなく愛しいものに思えるのだった。彼は衝動的に結婚を申し込む。自分でも気持ちがはっきりしていたわけではなかったが、彼女が奔放であればある程、彼女に魅かれて行く自分を抑えることが出来なかった。しかし、仕事と教会中心の安穏な生活を送って来た中年独身のアースキンとナイトクラブで働き、人から娼婦と陰口を叩かれる若い未亡人メイバルは、生き方、考え方に於いてあまりにも違いすぎた。子供が墜落死したその日に、その母親が何故若い男を自室に連れ込めるのか、或いは美容室やバーに出かけたり出来るのか、或いは、頻繁にかかって来る男からの電話にどうしてあんな風に楽しげに応対出来るのか彼には解らなかった。彼の心の中では愛と憎しみが交錯した。なぜ、ある瞬間には彼女を愛していると思うのに、次の瞬間には彼女を憎しみ始めているのか自分でも解らなかった。結局、彼は台所から肉切りナイフを持ち出してメイバルをメッタ突きにするが、アースキンにとってその行為は唯一の、メイバルを所有する手段に他ならなかった。同時にそれは自堕落なメイバルの振舞いを見ているうちに彼の心の中に蘇って来た彼の母親のイメージを消し去る手段でもあった。このように考えると、メイバルの死は彼にとって、彼女を永遠に所有する唯一の方法であると同時に、絶えず付きまとって彼を苦しめ続けた不安を完全に拭い去る唯一の方法でもあったのである。退職を強いられ、会社から疎外されて初めて、それまでの平穏な生活の中でうまく封じ込めていた不安を感じ始めたアースキンの自由は、ウェブの指摘を待つまでもなく「教会と仕事、アイビーリーグの服、及び銀行の預金とイーストサイドの彼の住まいという関係の中に存在していた」6 ことになる。彼は主に仕事と教会を通して社会と通じ、その中で自らの存在価値を見い出していたと言える。それが30年間も忠誠を尽して来た会社に、わけもなく捨てられた時、彼は疎外感を感じる同時に社会に於ける自らの存在価値について不安を抱き始めた。仕事や教会を含む生活の中で自らの存在価値を信じて疑わなかった彼は、疎外されて初めて社会での自分の存在に不安を覚えたことになる。その不安が契機となり仕事を含む日常性の中で忘れていた得体の知れぬ不安と彼は対面することを強いられたのだ。その不安はのちに正体を現わした様に、かつて母親に疎まれた過去の経験から生まれたものである。子供にとって母親は神にも似た存在であったから、その人がたとえ自堕落な母親であれ、彼は従わざるを得なかったわけだが、7 母親に愛されずに疎まれた我が身の存在は、子供ながらにも忌まわしいものに感じられたに違いない。そしてその忌まわしさは、やがては自らの存在に対する後ろめたさに、更には生まれて来た自らの存在に対しての憾みにさえ発展して行ったのではなかったか。そう考える時、アースキンの感じた得体の知れぬ不安の正体が、実は母親に疎まれた為に自らの存在価値を見出せなくなった自分、又そんな存在に対して後ろめたさを感じずには居られなかった自分自身であったと思えて来るのである。

トウニーの事故で自らの罪を神の道に、或いはメイバルに転嫁したのは、言わば自らの存在のあかしを確かめる為の自己防衛の行為だった。彼が宗教の中に安らぎを求めたのも、母に疎まれた後めたい我が身の存在を、神の存在によって埋め合わせたいと願ったからであったし、メイバルを神の道に導いてやることに使命感を抱いたのも、神の名の下に世の中で自らの存在を確かめたいと願ったからだった。メイバルと彼の母親のイメージがだぶり始めた時、彼は母親によって疎まれ,存在に対して後ろめたさを感じるようになった我が身の救済をメイバルに求め始めたのだ。つまり、彼にとってメイバルは、疎外された自分を救ってくれる唯一の手掛り、自分と社会を繋いでくれる唯一のかけ橋であり、換言すれば、これから彼が生きて行く上で社会の中に於ける自分の存在価値を確かめる最後の望みだったことになる。しかし、その一縷の望みもぷっつりと切れた。トウニーの事故についての真相を互いに告白し合い、トウニーの為にも結婚し助け合って生きようと誓い合ったにもかかわらず、彼はメイバルを本当の意味で所有出来ないことを肌で感じた。彼は、男からの電話の対応に出ようとしたメイバルを制して、結婚したら誠実 (“faithful”) であれと言ったが、メイバルは2人がお互いに満足すればそれで誠実なのよと制止を振り切って自分を押し通そうとした。結局メイバルを所有出来ないと知った時、又、母親にもそうであったようにやはりメイバルにも愛されないと悟った時、アースキンにとってメイバルを永遠に所有する術は、自らの手で彼女を殺すしか他に残されていなかったのである。してみれば、メイバルの殺害は、理想と現実、夢と現実との間のひずみから生まれた所産であったと言える。

このように考えて来ると、この「残酷な休日」で扱われた問題は、前作『アウトサイダー』で取り扱われた問題と非常によく似通っていることに気付く。退職によって疎外されて初めて、日常性の中に埋没していた問題に気付くという視点は、肌の色、裏切り、身体的欠陥等の故にアウトサイダーとなった時、初めて日常性の中で見えなかったものが見えて来るという<アウトサイダーの視点>に通じるものである。盲信するが故に自らの姿を見失なうギル (Gil)、ヒルトン (Hilton) のコミュニズム,ハーンドン (Herndon) のナショナリズムは罪のすり替えに使ったアースキンのキリスト教に置き換えることが出来る。又、生きて行く上での最後の望みとクロス (Cross Damon) がその夢を託したエヴァ (Eva Blount) は、アースキンがその望みを託したメイバルに相当すると考えられる。その意味では、マーゴリーズの「ある意味では、その小説は『アウトサイダー』の問題をもう一つ別の形で提示したにすぎない」8 というこの作品についての評は当を得ている。『アウトサイダー』と同様に、この作品には現代文明の抱える疎外、不安等の問題が提示されている。それら諸問題を交えながら、ライトはアースキンの犯した罪の問題、特に彼がその罪のすり替えの手段として利用したキリスト教の問題を通じて、暗にキリスト教を基盤にして築き上げられた西洋文明が、社会に於ける個人の存在を如何に蝕んでいるかという一面を描き出している。その意味では、3年後に出された『白人よ、聞け!』(White Man, Listen!, 1957)  の中の一節は興味深い。自分は西洋人であるが、完全には西洋人に同意出来ないと言明した後の次の一節である。

『白人よ、聞け!』写真

「プロテスタントは、自分というものが充分に解っていない妙な動物で、自分が未成熟な自由民で、意識を充分に取り戻せなかった、歴史が生んだ申し子であるとは夢にも考えない妙な動物である。今までずっとプロテスタントが抑圧の産物であるということが便宜上忘れられてきた・・・・・・プロテスタントは、自分が心から喜んで受け容れることの出来ない、ある重荷を背負わされた勇敢で、目の見えない人間である。」9

常に自分と社会との係わりの中で自らの存在のありかを問題にして来たライトは「地下にひそむ男」(“The Man Who Lived Underground,” 1944)で、それまで描いて来たレイシズムに対する抗議という色彩の濃い問題を一歩踏み越えて、より広い意味での人間の問題を描こうとした。特に、日常性に埋もれて自らの存在が見えなくなった人間と矛盾に満ちた社会とを、<地下>という視点から透かして見せた。結局は<地下>という排泄溝に葬り去られてしまう主人公ダニエルズ(Fred Daniels)の描き方の中に、疎外された人間が虚偽に満ちた世の中でどう生きればよいのかという具体的な解決策が必ずしも示されているとは言えないが、確かに一つの新しい方向は提示されたと言える。『アウトサイダー』では、その視点やテーマは更に広げられ、肌の色によって疎外されているからこそ逆にアメリカ文化の内・外両側に立ち得るのだという、むしろレイシズムにより疎外された現状を有利な視点と把え、矛盾した世の中で如何に生きるべきかという問題を提起した。主人公を黒人インテリに設定し、特にイデオロギーに焦点を当て、盲目的イデオロギーが個人の存在を如何に蝕んでいるかを書いた。この作品では、主人公を白人プロテスタントに設定し、罪のすり替えに使われたキリスト教に焦点を当て、現代文明の中の社会と個人の一問題を提起した。白人の主人公を扱った悲劇3部作の第1作としてこの作品を発表したが、10 数々の出版拒否にあって、結局ペーパーバックという形でしか世に出せなかった。11 その上アメリカではいい評価が得られなかったから、ライトは再び南部アメリカに舞台を戻し、黒人を主人公にした『長い夢』(The Long Dream, 1958) に於いて、現実と夢というテーマを通じて、広く人間の問題を手掛けることになる。その意味では、現実と夢のひずみが生んだアースキンの罪を扱ったこの小説は『長い夢』の序曲であったとも言える。『アウトサイダー』でエヴァが自殺を遂げて死んだように、この作品でメイバルが惨殺されて死んだ結末に、やはり解決策が示されているとは思えないが、それがアメリカを捨てパリに亡命してまで自らの存在場所を求めて、尚そのありかを模索し続けたライトの苦悶を如実に代弁しているとは言えないであろうか。

そう考える時、この『残酷な休日』がライトの苦悩を蘇らせる上に、又、次の『長い夢』を理解する上に欠かすことの出来ない作品だと思えてくるのである。

<註>

1 本稿は1982年6月26日の黒人研究の会総会で口頭発表したものを加筆・訂正したものである。

2 cf. Michel Fabre, The Unfinished Quest of Richard Wright, tra. lsabel Barzun (New York: William Morrow, 1973), p. 379.ライトは1953年3月6日のReynolds当ての書簡中、この本について以下の様に記している。“…, this deals with just folks,white folks.” 尚、本文中には、セントラルパークのべンチで漫画を読んで居る黒人少年や黒人のメイド等が数ケ所で登場するが、人種の問題として描かれてはおらず、主要人物は総て白人である。

3 cf. Michel Fabre, Quest, p. 376.ライトは1952年12月26日のReynolds当ての書簡の中でこの作品が “completely non-racial, dealing with crime per se” であることを記している。

4 不安 (ANXITY) は、第1部のタイトルになっている。物語は、ライトの得意の3部から成って居り、頭文字がAで揃えられている。第2部潜伏 (AMBUSH)、第3部攻撃 (ATTACK)。

5 Richard Wright, Savage Holiday (1954; rpt. New Jersey: The Chatham Bookseller, 1975), p. 33. 以下の引用はすべてこの版による。

6 Constance Webb, Richard Wright: The Biography of a Major Figure in American Literature (New York: G. P. Putnum’s Sons, 1968), P.316.

7 第3部 (ATTACK) の冒頭に次のエピグラフが掲げられている。

(We must obey the gods, whatever those gods are. – Euripides’ Orestes)

8 Edward Margolies, The Art of Richard Wright (Carbondale: Southern Illinois Press, 1969), p. 138.

9 Richard Wright, White Man, Listen! (1957; rpt. New York: Anchor, 1964), p. 56.

10 Fabre, Quest, pp. 429-432.

11 Ibid., p. 380. Harper’s, World, Collins (London),Pyramids Booksの各社に出版を拒否されている。尚、1954年にAvonから出版された後、1965年にはUniversal Publishing and Distributing Corp.からペーパー版で、1975年にはハードカバー版でThe Chatham Bookseller (New Jersey) から再版されている。

12 cf. Yohma Gray, An American Metaphor: The Novels of Richard Wright, Diss. Yale 1967 (Michigan University Microfilms, 1969), p.169.

執筆年

1983年

収録・公開

「黒人研究」53号1-4ペイジ

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リチャード・ライトと『残酷な休日』(68KB)

1976~89年の執筆物

概要

高校に在籍したままで修士課程に行きましたが、そこでの目標は、「高校での5年間で心身ともに疲れ果てたので出来るだけ寝る」ことでしたが、公費で通っている手前、修士論文も書かないわけにはいかず、その題材に大学の頃に惹かれながらそのままにしていたリチャード・ライトを選びました。

ミシシッピに生まれ、常に疎外感を感じながら自分の居場所を探し求めたライトに惹かれたのは、僕が、家にも、学校にも、地域社会にもいつも疎外感ばかりを感じていたからでしょう。生きる命題も見つからず無為に時を過ごしていましたので、余計に惹かれたのかも知れません。それに、自分を疎外したアメリカ社会への抗議を超えた、もっと普遍的なテーマへの模索を始めていたライトに自らを投影したかったのかも知れません。それに、圧倒的な文章の力を感じたのも、大きな要因だったと思います。

修士論文では、「地下にひそむ男」(“The Man Who Lived Underground”) を手がかりに、そんなテーマの普遍性を追い求めたライトと代表作を扱って『リチャード・ライトの世界』 (Richard Wright and His World) を書きました。

1981年には、はじめてアメリカに行き、ファーブルさん (Michel Fabre) の伝記 The Unfinished Quest of Richard Wright の巻末にある文献目録を片手に、シカゴとニューヨークの古本屋や図書館を巡って資料を探しました。ニューヨークの古本屋のうずたかく積まれた本の山の中からで「地下にひそむ男」が収められている選集Cross-Section を見つけ出しました。今から思いますと、1944年と言えば第二次大戦中で、そんな時に発行された本がはじめて行った古本屋でよくも見つかったものだと感心せざるを得ません。87年に再びその古本屋を探しましたが、すでにありませんでした。

日本ではライトの資料も手に入れ難かったこともあり、神戸市外国語大学を拠点に1950年代から活動を続けていた黒人研究の会に入ったのもその頃で、その機関誌『黒人研究』にこの「リチャード・ライト作『地下にひそむ男』―出版の経緯に触れてー」を寄せました。修士論文を書いたり、初めてアメリカに行った中から生まれたもので、「学術的な」最初の作品、ということになります。

「黒人研究」52号 (1982) 1-4ペイジ

本文

リチャード・ライト作『地下にひそむ男』―出版の経緯に触れてー

この作品が中篇とはいえ、黒人・白人の枠を超えて読者に訴えかけるのは、展開のおもしろさと表現上の工夫に加えて、テーマの普遍性と新しい視点に負う所が多い。この小説は、一部分も含めて、Accent 誌、Cross-Section 誌及び短編集『八人の男』(Eight Men) の中に “The Man Who Lived Underground" のタイトルで作品が収録されているが、この小論ではその出版の経緯に触れた上で、テーマと視点の面から「地下にひそむ男」の評価を試みたいと思う。

ライトは1941年の終りには150ペイジからなるこの作品の草稿を仕上げており、脱稿後直ちに翌年の春を出版のめどに、草稿をHarper’s社に送っているが出版を断られている。注1 同年12月には、Accent誌の刊行を始めていた友人Kerker Quinnにその草稿の一部を与えており、それが翌年の同誌春季号の170ペイジから 176ペイジに「ある小説からの二つの抜粋」と副題が付された小篇として収載されている。注2 1942年度中にはHarper’s社にならったCosmopolitanMacall’s MagazineThe Atlantic Monthlyにも出版を断られているが、それは単行本としては作品が短か過ぎて展開の統一性に欠けている理由からであった。又、その草稿が1940年にベストセラーになった『アメリカの息子』(Native Son) に匹敵するだけの作品かどうかの確信が、出版者側に持てなかった事にもよる。注3 結局、1944年にそれまでライトの出版に尽力して来た友人Edwin Seaverが、新人発掘を目的とした選集Cross-Section誌にこの作品を収載するまでまとまった形では公にされていない。注4 尚、作品は同誌の58ペイジから102ペイジに収められているが、最初の草稿にあったとされる場面が大幅に削られている。その削られた部分には、警察の暴挙により逮捕され不当な拷問を受けた末、無実の殺人罪を押し着せられた主人公の黒人青年が、隙を見て逃亡する場面が扱われている。注5 その後1960年には、Cross-Section誌に発表されたものと同一の作品が、短編集『八人の男』の中に収録されている。その短篇集は同年のライトの死によって翌1961年の出版になっているが、著者自らが編集し、配列した集大成とも言える内容の作品であるので、短編集の中に収められた作品を完成版と呼んで差しつかえないと考える。従って現在、1941年脱稿の草稿、1942年にAccent 誌に発表された小篇、及び1944年にCross-Section誌に収められ、後に『八人の男』の中に収録された完成版とが存在していることになる。草稿が未出版であるので三者を比較考察する事は出来ないが、草稿の一部と見られる小篇と完成版を比べる限り、完成版は小篇にかなりの手が加えられたものである事がわかる。もっとも、小篇には完成版に見られない表現も散見されるし、それが150ペイジの草稿からの7ペイジ足らずの短い抜粋である事も考える必要はある。しかしながら、抜粋という副題から考えて、その7ペイジ足らずがほぼ草稿のままで発表されたと見られる小篇に、完成版ではかなりの加筆が認められる事、更に、先に記したように完成版を発表する際に草稿が大幅に削られた事から判断して、完成版は草稿にかなりの手が加えられたものであると推察できる。

以上の経緯から、完成版を評価する際には小篇に触れるのが妥当だと思えるのだが、その小篇が、「地下にひそむ男」の作品評価の対象には現在なっていない。その理由は、それが草稿の抜粋である上、量が非常に僅かなことによると思う。しかし、逃亡後下水溝に逃れた主人公の地下での場面の一部を扱った小篇が、この作品全体のテーマに係る重要な部分の抜粋であり、「地下にひそむ男」の評価に関する重要な手掛りを握っていると思われるので、ここではまず小篇の考察を終えてから、この<地下作品>の評価をはかりたい。

Accent 誌の小篇は、副題の「ある小説からの二つの抜粋」が示す通り、二つの部分で構成されている。前半はほぼ3ペイジ半の分量で、下水溝から主人公が後に隠れ家と決め込む空洞に入るところから始まり、その空洞内で盗んで来た様々な「戦利品」を使って、例えば、天井から電気を引いて電燈をつけたり、膠を塗りつけた壁に紙幣を張りめぐらしたり、タイプライターを打つ場面が中心に描かれている。そして、その遊びに飽きてしまった主人公が、再び下水溝の中へ探険に出かけて行き、その途中で下水の窪みに落ち込むが、持っていた棒きれで九死に一生を得る箇所で終っている。後半は3ペイジ足らずの量で、主人公が空洞内で眠りから醒める場面で始まり、紙幣を張りめぐらした壁に、今度は釘を打ちつけ、そこに時計や指輪を吊り下げたり、ピストルを試射したり、或は泥の床にばらまいたダイヤモンドを踏みつけたりする場面が中心に描かれている。そして、壁をみつめながら道具箱の上に腰を下ろし、莨に火をつけ、深く物事を考えた様子で、主人公が首を横に振る場面で終っている。

抜粋という形式を取った短いこの小篇から受ける印象は全体を通じて非常に曖昧である。例えば、主人公がどういう名のどんな人物で、なぜ地下に居るのか、又、紙幣やダイヤモンドがどこから持って来られたものなのか・・・それらについては殆んど記述がなされていない。只、タイプを打つ時に、「長い暑い日でした」(it was a long hot day)とやったり、契約書に見たてた用紙を手にして架空の人物に向って「はい、明日までに契約書を用意しておきます」と言った後、全く奴ら (they) のやる通りだとつぶやいたりする。或は自らを、朝食後の葉巻きを吸いながら散歩する富豪に仕立てて空洞内を歩いたりするといったことから、おそらく主人公が、いつも金持ちの白人を羨しげに眺めている黒人青年ではと想像するのは可能だが、それも明確なものではない。又、紙幣を張りめぐらした空洞を自分の隠れ家と決め込むところから何らかの理由で逃亡している事はわかるが、その原因は示されていない。或は紙幣にしてもダイヤモンドにしても最初から定冠詞が付されていて、それがどうして地下に持ち込まれたのかは明らかではない。更に、登場人物が主人公一人である上、大半が空洞内での主人公の行動についての記述になっている為、作品全体は単調で緊迫感に欠けている点は否めない。しかし、逆にその描写や記述の為に、かえって二つの姿が浮き彫りにされていると私は考える。一つは、主人公が紙幣を壁に張ったり、ダイヤモンドを踏んづけたりする中で執拗にその価値を問いかけている地上世界の姿であり、もう―つは、地下の空洞内での問いかけを通して、社会や自己について目覚める主人公の姿である。地上で価値あるものとされる紙幣もダイヤモンドも、地下の主人公には壁に張り、泥の床に踏みつける遊び道具に過ぎなかった。又、地上では意識の基準とされる時間も、地下の青年にはもはや意識する必要性のないものに過ぎなかった。壁に紙幣を張り終えた青年は「これで地上世界に勝った」と考える。又、それらの金品は「使う」ために盗んで来たのではなく、人があたかも森から薪を拾って来るように取って来たに過ぎないのだと考える。そう考える主人公には、地上世界が死臭に満ちている荒涼とした森のように見えて来たのである。その地上世界に拒まれた自分、その地上世界から逃れて来た自分とは一体何か。刻明な描写と記述を通して、社会の価値観や社会の中に於ける自分の存在についての問いかけを浮き彫りにしたこの小篇は、草稿からの一部の抜粋である短いものに過ぎないが、完成版のテーマに係る重要な問題部分を扱っており、この<地下作品>の評価への大きな手掛りを含んでいると考えるのである。

Accent誌のこの小篇と同様にCross-Section誌に収められた作品も二つの部分で構成されていて、その前半は、ほぼ30ペイジ分の量から成っている。官憲に無実の殺人罪を押し着せられた主人公の黒人青年フレッド・ダニエルズ (Fred Daniels) が、逃亡中、偶然の出来事からマンホール伝いに下水溝に逃げ込む緊迫した場面で始っている。そして、地下で旧下水道の空洞を発見し、そこを拠点に色々な地下室に侵入して相手に見られることなく地上世界の「現実の裏面」を垣間見たり、そこから持ち帰った紙幣やダイヤモンドを使い空洞内で遊びに興じる場面が中心に描かれている。その体験と遊びを通して地上社会の本当の姿や自分自身の存在に気づいた主人公は、その事を告げたい衝動を抑え切れず再び地上に戻る事を決意する。そして、地上に戻る途中、彼のせいで無実の罪の嫌疑をかけられ咎め立てを受けているラジオ店の少年の姿と、同じ様に咎め立てを受け、その責め苦に耐えかねた末自殺を図って死んで行く宝石店の夜警の姿を覗き見る所で終っている。後半は、ほほ14ペイジの分量で、主人公が地上に戻る所から始まり、無意識のうちに辿り着いた警察署での場面が中心に描かれている。そこで青年は、既に真犯人が捕えられている為に自分が自由の身であることを知る。それにもかかわらず、地下生活を通して知り得た真実を告げたいという思いが捨てられず、警官たちを自分が出入したマンホールの所まで案内する。しかし、地下生活から獲得した視点を明らかにしようとした彼の思惑とは裏腹に、その中の一人の警官の手にする銃に撃たれて、主人公が下水の中に消し去られる場面で終っている。

作品全体は、表現上数々の工夫がなされて緊迫感に満ちている。その中で浮き彫りにされるものは次の三点である。(1) 主人公が地下から覗き見た日常性に埋没している地上世界の人々の姿、(2) そのような人々の生活する虚偽と死臭に満ちた地上世界の姿、(3) そうした地上世界から追われて地下に逃げ込んだ結果知り得た自分の本然的な姿である。その (1) の日常性に埋没している地上世界の人々の姿については、主人公が垣間見た教会と映画館に関する場面があげられる。彼は地下から二度教会で歌う人々の姿を見る。最初、その光景を見て「何かひどく嫌なものを眺めている」(62ペイジ)注6と感じるが、その理由はわからなかった。二度目、その光景を見た時には「あいつらは間違っている」(85ペイジ)とつぶやいた後「あいつらは決して見つけられない幸せを求めようとするから、思い出す事も納得する事も出来ない何か恐しい罪を犯してしまったと感じるんだ」(85ペイジ)と考える。又、人が一旦その罪を感じると「意識では忘れていても、日常生活の中でいつも不安な状態を作り出すんだ」(85ペイジ)と主人公はその理由に気づく。又、映画館に入り込んだダニエルズは、映画に興じる人々を見て、教会の人たちを見て感じたのと同じ衝動を抱く。「この人たちは、自分の人生を嘲笑っているのだ」(65ペイジ)と思い、又、 奴らは自分たちの動く影に向って叫んだりわめいたりしているのだ」(65ペイジ)と哀れむ。更に、「この人たちは子供なのであり、生きている時には眠っていて、死にかけた時に目覚めるのだ」(65ペイジ)と考えてため息をつく。

(2) の虚偽と死臭に満ちた地上世界の姿に関しては、下水に流されている赤子の死体を見た場面、宝石店で、ある男が金庫から金を盗むのを覗き見た場面、或は主人公の盗みのせいで無実の罪の咎め立てを受けているラジオ屋の少年と宝石店の夜警の姿を垣間見る場面があげられる。更に、地上に戻った主人公が警官の手によって下水に流し去られてしまう場面もあげられよう。最初、下水溝を歩いていた主人公は、塵芥に交って流れる赤子の姿を見た時、まだ生きていると考えて一度は救おうとするが、死んでいる事に気づいてぎくりとする。その時、彼は教会で歌う人々から受けたと同じむなしさを味わうと同時に、警官に咎められた時と同じ感情を抱く。赤子は、眠っているように目を閉じ、無言の抗議をしているかの様に拳を握りしめていた。彼を地下に追いやった地上世界は、無垢な赤ん坊を下水に流し去るような人間の住む世界であった。又、宝石店で、偶然から金が一杯詰った金庫の中を覗き得た彼は、一度は大金の感触を味わってみたい感情から「盗み」を思い着き、金庫が再び開けられるのを待つ。閉店時かと思われた時、白い手が金庫のダイヤルに触れ、金庫は開けられ、ある男が金を持ち去って行った。ダニエルズは、自分の「盗み」は単に大金を手にする感動を味わいたい為で、おそらく快楽の為に使うその男の盗みとは違うのだと考える。閉店間際に忍び入って来て、いとも簡単に金庫を開けたその男は、実は店内の事情に詳しい内部の者ではなかったか。注7 その後、主人公が金庫内の金品を総て持ち去った為に、盗みの嫌疑を受け咎められる宝石店の夜警の姿を見るが、主人公は「現実に盗みを働いたその男が咎められていない」(87ペイジ)ことを苦々しく思う。地上世界は、信頼されるべき内部の人間でさえ盗みを働く所でしかなかった。そして、ダニエルズは、彼のせいで無実の窃盗罪を押し着せられ咎め立てを受けるラジオ屋の少年と前述の宝石店の夜警の姿を見ることになる。その夜警を厳しく責め立てていたのは、ダニエルズを拷問し、彼に無実の罪を押し着せた同じ三人の警官たちであった。責め苦に堪えかねたのか、夜警は自殺を図る。その光景を前にして、彼は地下から飛び出して行き彼らに真実を告げてやろうかと考えるが「夜警は罪を犯している。今責められている犯罪については無実であったとしても、彼はいつも罪を犯しているし、今までずっと罪を犯していたのだ」(87ペイジ)と考えて彼は思いとどまる。結局、その夜警は自らピストルを使って死んで行くが、その死体を前にして警官たちは次のように言う。

「わしらの予感は正しかった。やっぱりこいつがやっていたんだ」

「よし、これでこの件も片づいた」(88ペイジ)

そんな光景を目の当りにしたダニエルズは、その後長くその場を立ち去れず暗闇の中に立ち尽す。地上世界とは、無実の人間が咎められない所でしかなかった。最後は、主人公が警官の手により下水に流し去れる場面に関してである。ダニエルズは、自分が地下生活の体験から得たものを立証する為に、先ず自らマンホール伝いに下水溝に降りて行く。下水の流れに立って、マンホールを覗き込んでいる警官たちに、自分に続いて入って来るように叫ぶが、警官のひとりがダニエルズをいとも簡単に銃で撃ってしまう。撃った後警官たちは次のような会話を交す。

「なぜあいつを撃ったんだ、ローソン」

「やらなきゃならんかったんだ」

「どうしてだ」

「ああいう手合いは撃たんといかん。あいつら物事を目茶苦茶にするからな」(101~102ペイジ)

地上世界は、官憲が代表するような体制の暴挙や不条理がまかり通る所で、物事をまるくおさめる為に無罪の人を咎めたり、邪魔者は虫けら同然に切り捨てる所でしかなかった。ダニエルズ主人公が地下から垣間見た地上世界は、そんな欺瞞と死臭に満ち溢れた世界であった。

(3) のそうした地上世界から追われて地下に逃げ込んだ結果知り得た自分の本然的な姿とは一体何であろうか。主人公は侵入した様々の地下室から「戦利品」を空洞内に持ち込んで「遊び」を繰り広げる。紙幣を壁に張りめぐらし、その壁に釘を打ちつけ、指輪や時計を吊り下げる。泥床にダイヤモンドやコインをばらまいて踏んづける。それらは総て、自分に犯罪人の烙印を押した地上世界への挑戦であり、虚偽に満ち溢れた地上社会の価値観に対する烈しい問いかけに他ならなかった。地下の主人公には、宝石店から盗んだ宝石も、肉屋から持ち帰った庖丁も同レベルの遊び道具としての価値しか持たなかった。又、地上では、時を「意識の王座」に着かせているが、昼夜の区別すらない地下にいて、社会から隔絶された彼には,もはや時を意識する必要性もなかったのである。

このように見てくると、この作品には主人公が黒人である必然性が必ずしもないとも考えられるが、それはライト自身が意図したことでもあった。ライトはこの作品の草稿を書き終えた後の1941年12月13日に、友人Paul R. Reynolds に当てて「自分がまともに黒人・白人問題を超えて一歩踏み出したのは初めてのことだ・・・」という手紙を送っているのである。注8又、この作品は数々の問題を提起している。虚偽に満ちた社会への疑問、日常の惰性に気づかぬ人々への批判、権力の暴挙に対する抗議、或はその社会の価値観に対する問いかけ、或はそんな社会の中で現に生活し、苦悶している自分の存在への不安、これら総ては、現在の社会にも相通じる問題である。従って、この作品の中で扱われているテーマは、ライト自身が意図したように,人種の枠を超え時代を超えた普遍性を備えていたと言える。更に、テーマの普遍性に加えて見逃してならないのは視点の問題である。つまり、主人公が多くの体験を通して社会や自己の存在について考え、その本当の姿に気づき目覚めたのが、日常性に埋没した地上世界に於いてではなく、むしろ異常とも言える地下世界からであり、主人公が垣間見たものは「さかさの現実」ではなくて、「現実の裏面」であったという新たな視点である。先にライトは『アメリカの息子』に於いて、黒人青年ビガーが白人娘メアリーを殺害したのは、黒人を隔離し続けて来た白人のアメリカ社会が産んだ所産だと決めつけ、烈しく白人社会に抗議した。この作品に見られるテーマの普遍性と新たな視点は、その『アメリカの息子』に見られる抗議的色彩の濃いテーマや視点を一歩踏み超えたものであったとは言えないであろうか。

又、そのテーマの普遍性と新たな視点からメタファーが生まれている。例えば、虚偽に満ちた地上世界が、あの「アメリカの息子」を生んだアメリカ社会の姿であるとすれば、悪臭に満ちた地下の排泄溝の世界は、白人には見えない、隔離された黒人社会の姿であると考えられる。或は夜警を死に追いやり、ダニエルズを虫けらの如く下水に流し去った権力の横暴が、正に不条理を孕む白人アメリカ社会の象徴であるとすれば、下水溝の中を塵芥に交って流れ去る黒人青年ダニエルズは、その白人至上主義社会で何の力も持たない黒人社会の化身であるとも考えられる。

完成版としての中篇作「地下にひそむ男」が、普遍的なテーマを扱い、新たな視点を備え、しかも黒人社会を暗喩(メタファー)として扱った点で、ライト自身の黒人作家としでの自己意識も失われていない作品であり、人種の枠を超え、時代の枠を超えて人々に訴えかける小説であると考えるのである。Edwin Seaverは1945年のCross-Section誌の序文で、前年に収載したこのライトの小説を 'excellent’ という語で形容しているが、注9 私もそれに賛成の意を表したいと思うのである。最後に、この作品が、既に1956年には、ハックスリー、トルストイ、モーパッサン、サロヤンと並んで『クインテット-世界最傑作中篇小説5篇』(Quintet – 5 of the World’s Greatest Short Novels) の中に収録されていることを付け加えてこの小論を終えたいと思う。注10

<注>

注1 Michel Fabre: The Unfinished Quest of Richard Wright,William Morrow & Company, 1973.

注2 Ibid., pp. 241, 575. 尚、Accent 誌は1940年の秋から開始された季刊誌で、この作品が収載されている春季号はVol.Ⅱ (Autumn, 1941 – Summer, 1942) に含まれている。

注3 Ibid., p.241. Michel Fabreは以下の記述をしている。

“It may also have been too short or tracking unity, considering the abrupt change from the realistic style of the police brutality in the first chapters to the more metaphoric,・・・”

注4 同誌にはA Collection of New American Writingの副題が付きれており、その序文で Edwin Seaverは、その語彙 'American’ は、アメリカ人によって書かれたというだけの意味であり 'New’ は今まで出版されていないという意味に過ぎないと予め断り、色々な事情から出版されない主として1940年代の作品の発掘が出来ればとの主旨を述べている。

注5 Michel Fabre: op. cit., p. 240.

注6 引用文はCross-Section (ed. Edwin Seaver, L. B. Fisher, New York, 1944) 誌中の本文による。以下、括弧内にペイジ数を記している。尚、日本語訳は赤松光雄・田島恒男訳『八人の男』(晶文社、1969年)を参考にした。

注7 この点は、古川博巳氏の直接の御指摘による。

注8 Michel Fabre: op. cit., p. 240.

注9 その序文には次のような記述がある。"I don’t mean to say that if I had not included Richard Wright’s The Man Who Lived Underground and Ira Wolfert’s My Wife The Witch in the first Cross-Section, these excellent novelettes would have gone unpublished forever."

注10 古川博巳著『黒人文学入門』 (創元社、1973年), 202ペイジ参照。

執筆年

1982年

収録・公開

「黒人研究」52号1-4ペイジ

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リチャード・ライト作『地下にひそむ男』のテーマと視点(78KB)